第48話 走れ!祐子【後編】
女子たちが続々とゴールして来る。そんな中で、高志がひろみの姿を探していた。ひろみはグランド外れのトイレの前にいた。ひろみはいつもの溌剌とした風は無く、気持ち元気が無い。高志は其の姿を見て、一瞬、声を掛けるか戸惑った位である。然し、勇を鼓し、徐に声を掛けた。
「よう、3位入賞だったな。おめでとう」
「高志…」
「なんだ、元気ねーじゃねーか? こんな処で黄昏てよ。あの、谷澤先輩と凛子相手に戦って、堂々の3位入賞だぜ。もっと胸を張れよ。尤も、胸、あんまりねーけどよ」
「…うん」
ひろみは、高志のくだらぬ戯言にも、余り反応しない。ひろみはグランドの外れから、高志の視線を敢て避る様に、ぼんやりと富士山の方を見ている。矢張り、余程に悔しかったのであろう。垂れ目勝ちな瞳が、少し、潤んでいる。高志は一際小柄なひろみの頭を、ポンポンと二度ほど優しく叩いた。其の所作、一見、無神経かつがさつな風であり乍ら、妙に慈愛に満ちた温もりがあった。
「兎に角よ、胸を張って良いと思うぜ。…でもよ、確かに悔しさもあらあな。だから、斯う謂う時はよ。思いっきり、涙を流すのもありだとは思うぜ」
ひろみは、一瞬、屹度した眼差しで高志を睨むも、すぐに涙腺が緩んだ。
「うわーん」
気が付けば、ひろみは高志に抱きつき、似気も無く、号泣していた。高志は再び、ひろみの頭をポンポンと軽く叩いた。
「よく頑張ったな。本当に偉いよ」
ひろみの欷歔は、すぐには治まりそうに無かった。
(成程。こんな処迄似てやがる)
蛍にである(第23話参照)。昔、正太郎が高志の好みを腐してからかった言葉。高志は其れを反芻していた。高志は考える。
(彼奴も負けず嫌いだったからなあ)
尤も、蛍は人前で涙を見せる事など、最後の瞬間まで決してなかった訳ではあるが…。
宮本真琴は朝から体調不良である。彼女の体調不良の原因は、女の子特有のものである。彼女は中学3年生。約一月後に高校受験を控えている。学業では学年トップである彼女は、受験自体は何の不安も抱いてはいなかったが、恐らく、次回のアレの周期が、高校受験日程と被るであろう事が唯一の憂鬱であった。彼女はもう何年も此の不快感と付き合ってきたが、未だに、馴染む事は出来なかった。彼女は庵原一中の生徒であり、ポニーテールが良く似合う、円らな瞳の美少女である。学年で謂えば、正太郎達の一級下、ヤスベエの妹である、紅や蒼と同学年となる。彼女は状況が状況であり、混み合う校舎内のトイレを忌避して、敢てグランド外れのトイレを使ったのであるが、今日は朝から近隣の清水高校の生徒たちが、マラソン大会とかで、何やらバカ騒ぎをしている。彼女は内心、其の喧騒を苦々しく思い乍らも、来年以降世話になる学校の事でもある。冷たい視線を送るだけに留めていた。
そんな彼女が、トイレを出た時の事である。
「ひっ」
入口のまん前で、長身の男が女の子を抱きすくめ、有ろう事か、何とお尻を触っているのである。然も如何やら其の女の子は、羞恥の余り泣いている様である。
「な、何て事してんのよ! 此の痴漢」
「でえぇ。全然、違う」
「違わないわよ。大方、女の子のおしっこする処を覗きに来て、劣情の催す余りに事に及んだんでしょ。先生に謂いつけてやるわ!」
真琴が極め付ける。
「な、何なんだ? 其のマニアックな設定は? 一体、此のメンヘラ女はなんだ? 頼む、ひろみ、何とか謂ってやってくれ。此の儘じゃあ、本当に痴漢にされちまわあ」
ひろみが慌てて間に入る。
「ち、違うのよ。確かに、普段から誤解される様な行動が多い奴だけど、今回は違うの。私が腰の筋を痛めたって謂ったから…」
ひろみも咄嗟に嘘を吐いた。で、無ければ、ひろみのお尻を撫で回している高志の痴漢疑惑を払拭するのは難しいであろう。現に真琴は疑わしそうな眼差しで、高志を凝視している。
「おいこら、て、てめーもきっちり、フォローしねえか…。誤解が増幅すんだろ」
「何、謂ってんのよ、抑々、どさくさに紛れてお尻触ってたのは事実でしょうに」
「ほーら、やっぱり。そう謂うのを、世間一般では痴漢って謂うのよ。警察に突き出してやるわ」
「わーちょっと待て」
どたばたしている処へ、敬介がやって来た。
「おっ、何だ。こんな処で何やってんだ?」
「あっ、敬介先輩」
「ありゃ、何だ、真琴じゃねーか? お前こんな処で何やってんだ? 抑々、今、授業中じゃ、ねーのか?」
「そーなんすけど、ちょっと、体調不良で…、其れでトイレに来たら、痴漢がいたもんで…」
「誰が痴漢だ!」
高志が真っ赤になって熱り立つ。
「あんたよ!」
真琴が決め付ける。敬介が高志との間に割って入ると、
「まあまあ、痴漢って謂うけど、此奴に何かされたのか?」
「あたしじゃないっすけど…、其方のお姉さんがお尻を触られてて…」
真琴が顎でしゃくった延長上には、真っ赤になったひろみがいる。状況を一目で見て取った敬介は、真琴を宥めた。
「まあまあ、確かに此奴は痴漢と境界域の振る舞いも多いけど、一応、俺の親友だ。其れに其方のねーちゃんは、一応、此奴の彼女だ」
「ええっ」
「そんな訳だ。真琴も授業に戻れ」
「判りました。あっ、そうだ、敬介先輩。高校で吹奏楽始めたそうですね。宜しくお願いします」
慌てて校舎の方に戻る真琴の後姿を、疎ましそうに眺め乍ら、高志が呟く。
「ガチャついた野郎だったな。何者だ? ありゃあ」
「うちの近所の子だよ。ほれ、先刻とおってきただろ。雀田橋。彼処の橋の袂に住んでる。真直ぐな奴で、男相手にも一歩も引かないが、根は素直ないい子だよ。」
「其れにしても、ガチャつき過ぎだろ。まあ、俺も清高に来て、あー謂う類の野郎には、免疫も出来て大分慣れては来たが…」
敬介はにやにやし乍ら、斯う謂った。
「そーか、其奴は良かった。其の真琴なんだが、彼奴の学力だと、間違い無く清高に来るぞ。何でも、学年首位を絶賛独走中だそうだ」
「なっ」
「其れに、真琴が高校にはいったら、多分、吹奏楽部に入るぞ」
「何だと!」
「だって、先刻の挨拶聞いたろ。入る気まんまんじゃあねーか」
「嘘だろ。なあ、敬介。其処は彼と無い嫌な予感がするんだ。一応、念の為に聞くんだが、野郎のパート。一体、何だ?」
「予感的中だな。喜べ。アルトサックスだ。仲良くしてやれよ」
「マジかよ…。ところで、敬介。如何かしたのか? 俺を探していたんじゃなかったのか?」
「そうなんだ。正太が大変なんだよ」
「野郎が何か為出かしたのか?」
「ああ、学校を飛び出して行っちまって…」
「何だそりゃ?」
「何でも、女子のスタート直後に、祐子ちゃんが怪我をしたらしいんだ」
其処でひろみも口を出す。
「そうなの、結構、激しく転倒して…。其れで棄権したのだと思うんだけど…」
「ところが、棄権してないんだよ。すみれちゃんの話だと、其の儘、ふらふらしながら、競技に復帰したらしい」
「なっ」
「其れを聞いた正太の馬鹿が、先刻、一目散に飛び出して行っちまって…」
「あのバカ…」
此れは高志の感想の通りであろう。行動パターンとして、以前に叙述した小学校時代の遭難の時から、何ら進歩が無い。
早速、高志達は、先生方の処へ移動する。途中、鉄棒の処で、ぶら下がった六助から声を掛けられた。
「よお、高志。あわくって何処へ行くんだ?」
「何だ、六助か。お前の方こそ何をしている?」
「体を休めているんだよ」
「とても、そうは見えねえ」
六助はぶら下がった儘で、海老の様に腹筋で頭を持ち上げている。一平はと謂うと、其の隣でぐるんぐるんと、呑気に大車輪をしている。高志は鉄棒から飛び降りた六助に、今聞いたばかりの話を伝えた。六助は心配そうな面持ちで聞いている。頓て、一平も大車輪を止め、鉄棒から降りて来て、難しい顔で会話に加わった。全てを聞き終わると六助は斯う尋ねた。
「其れで高志。正太は何方に行った?」
「?」
高志には六助の謂った言葉の意図が、咄嗟に読み取れなかった。が、頓て、六助の意図を理解すると、おずおずと答えた。
「グランド側の方だ」
「つまり、順路を逆走するルートだな?」
「あ、ああ…」
一平は大きく屈伸をし乍ら、徐に六助に尋ねた。
「おい、六助。行けるか?」
「誰に物を謂っている? 其れより、一平。先刻の記録を塗り替える気で行くぞ。高志、わりいが先生には上手く誤魔化しとけよ…」
「おい、ちょっと待てよ。お前等まで行く気かよ?」
「当然だろ。俺たちゃ、祐子ちゃんに借りがあるんだ。でっけえ借りがな」
「そんなら、せめて携帯くらい持って行け。いざと謂う時に役に立つ。位置情報もオープンにしておけよ」
一平は既に走り出している。六助は後ろを振り返ることなく、大きくサムアップして見せた。『持ってるよ』の合図なのだろう。斯くして、でこぼこコンビは脱兎の如く校門を飛び出して行ったのである。
其の頃、祐子は漸くに高山隧道まで辿り着いた処である。速度はと謂うと、祐子には誠に申し訳ないが、此れはもう歩いていると謂っても過言ではない速度であった。然し、当人にとっては歩いているなどと謂う感覚は、微塵も無い。隧道手前で監視している体育教師の伊沢が、『残り8km』の看板を掲げ乍ら、心配して声を掛けた程である。
「おい、大丈夫か?」
祐子は力無く頷いたのみである。何とか気力だけで走り続けている。然し、行程は未だ半分にも満たないのである。
一方、サッカー部の二人組は、時候、山切、杉山、奥杉山の集落を、稲妻の様な速度で、急激な上り坂を駆け抜けて行っている。所謂、本気の走りであった。勿論、先程の本戦も本気で戦ったのであろうが、今回の走りは、聊かの余裕も感じられない。まさに鬼気迫る走りと謂って良い。彼らは、瞬く間に高山隧道迄達したのである。其処で帰り支度の準備を始めている伊沢にあったのである。当然、伊沢は目を丸くした。
「うわっ、何だ? お前ら?」
「ちわっす、監督。自主トレっす」
一平が挨拶方々、咄嗟に恍けた。此処迄走り詰めであり、高志の謂う携帯の位置情報をオープンにする操作を、今更乍ら完了した六助が其れに続く。
「ところで、監督。祐子ちゃんが此処を通過したのはどれ位、前ですか?」
「祐子ちゃん? ああ、あの丸っこい子、山本の事か…」
此の会話からも判る様に、伊沢はサッカー部顧問兼監督である。伊沢もサッカー部の部員である彼らに、教師にあるまじきくだけた表現をしている。
「5分くらい前かな…。なにやら怪我をしていてな。余程に止めようと思ったくらいだ」
「行くぞ、六助!」
一平は六助を急かせ、再び、走り出そうとするのを、伊沢が止め、六助に尋ねた。
「何だ、ひょっとしてお前のコレか?」
伊沢が小指を立てている。此の教師も少々品が無い。其れに対し六助は笑い乍らも、多少真剣な面持ちで、斯う答えた。
「そんなんじゃあ、ありません。俺たちの…、恩人です」
一平が走り出した。六助もそう謂い残すと、一平を追走し始めた。其の後姿を見ていた伊沢は、感慨深げに呟いた。
「おうおう、青春だねえ。まあ、あのくらいの年頃だと、恩人も想い人も紙一重だからなあ…」
そして、再び片づけを始めたのであった。
高志は多少いらいらしていた。先刻から正太郎、六助にラインで呼び掛けているが、一向に既読がつかない。尤も、話を聞く限りでは、正太郎が携帯を持って飛び出したものとは、思われない。そんな思慮があれば、抑々、飛び出してはいないであろう。だが、六助の方も既読はつかない。のみならず、位置情報も不明である。
ピコッ。
突然、既読がつく。そして、位置情報もオープンとなる。地図によると、高山隧道周辺である。
「彼奴ら、もう、そんな処迄行ったのか」
覗き込んだ明彦が呆れる。敬介もしみじみと頷く。
「確かにな」
「まあ、そんだけ、彼奴らも必死なんだろ」
「?」
「いや、此れは、正太に聞いたんだが…」
そう、前置きして高志が語り出した。
以前にも叙述したやも知れぬが、正太郎の中学校は3年間クラス替えが無い。従って、祐子、六助、一平は中学時代に3人とも3年間同級生であったのだ。清高合格の絶対的安全圏にいた祐子や正太郎と異なり、六助や一平の清高受験は、学力的にはかなり果敢な挑戦、と謂うよりも、無謀な挑戦と謂っても、過言では無かった。勿論、彼らのサッカーに於ける実績を加味すれば、簡単に合否を論ぜられるべきものでも無いのであろうが、単純に学力だけであれば、かなりの無理筋であったのである。祐子は彼らと近しいと謂う程の、間柄でも無かった。然し、事態を一変させる様な出来事が起きる。其の当時、疎遠となっていた正太郎が祐子の処迄、態々、彼らの勉強を見てくれる事を頼みに来たのである。当然、祐子は快諾した。正太郎としては、学年トップの祐子が彼らの面倒を見てくれれば、此れ以上の安心はない。そう謂った意味では、祐子は格好であり、逆に謂うと、其れ以上の意味は無かったのであるが、祐子にしてみれば少々、意味合いが違う。勿論、気性の良い祐子の事であり、幼馴染であるサッカー部の二人の面倒をみるのはなんら吝かではなかったし、祐子にしてみれば、此の二人によって、疎遠となっていた正太郎との接点が、再構築された様な気がした。祐子は忠実に二人の勉強をみてあげたのであるが、此れは、此の二人にとっても幸いした。女神先生の件で叙述したように、祐子は勉強の教え方が、頗る上手であった。俄然、此の二人の学力はめきめきと向上し、無事、清高に合格する運びとなった訳である。高志は、以前、正太郎から此の様な話を聞いていたし、でこぼこコンビが、頗る、祐子に感謝の念を抱いていると謂うのは、容易に想像出来た。
其の頃、祐子は、高山の集落で、聳立した壁に向って伸びている様な道を見上げ絶望していた。
(嘘でしょ…)
見上げる様な山肌に向って、急勾配の土瀝青の道路が、延々と続いている。気力だけで走り続けるにも、自ずと限界がある。傍目には祐子の速度は、最早、通常人の徒歩の速度より遅い。然し、祐子は、決して歩いている気持ちは無いのだ。祐子の気持ちの中では、懸命に走り続けているのである。祐子は走り乍ら、今回のマラソン大会に臨んで、正太郎達が催してくれた、楽しかった練習の事を思い出そうとしていた。温かい正太郎の優しい笑顔。何時も陽気な六助の、冗談交じりの助言。無口な一平はただ伴走するだけである。紅、蒼の姉妹は一生懸命声援を送ってくれた。心から祐子の事が好きなのだろう。そんな事を思い乍ら、祐子は眼下の高山の集落を見下ろした。気がつけば随分と登って来たものだ。高山の集落の前を清高のジャージを着た二人組が凄い勢いで爆走している。一体誰だろう? そんな事を思い乍ら前方の峠の方へ目を移した瞬間、祐子は愕然とした。其処にはあり得べからざる人物が立っていたのである。
高野正太郎である。
(嘘? 正ちゃん?)
正太郎は、祐子に対し、手を振る訳でも無く、声を掛ける訳でもなく、ただ、立ち尽くすのみであった。正太郎は此の邂逅に際し、祐子の無事を確認出来て、取り敢えず、安堵すると共に、僅か乍らの後悔もあった。其れは祐子と出発前に交わした約束である。正太郎は祐子を待っていると約束したのである。然し、如何に祐子の事が心配とは謂え、此処迄来てしまったのである。約束を破ってしまった事には変わりが無い。正太郎は祐子の後方にも目をやった。呻吟し乍ら走る祐子の遥か後方から、猛然と迫ってくる二人組がいる。六助と一平である。頓て、祐子と六助、一平は正太郎が立っている、峠の付近で合流したのであった。
実に奇妙な道行であった。正太郎は祐子に声すら掛けない。祐子も祐子で、正太郎に、声を掛けない。黙々と走っているのみである。勢い、後から追いついてきたサッカー部の二人組も、正太郎が黙して語らぬ訳であり、倣って、沈黙せざるを得ない。斯うして、4人は黙々と下山を始めた訳でもあるが、俯瞰してみるに、祐子の表情が随分と和らいで感じられた。祐子のペースに合わせる事となり、余裕の出来た六助は、極短いラインを打った。
『祐子ちゃんに追いついた。正太も合流した。今から戻る』
其れを見た、いずな、ひろみ、凛子は安堵したと謂う。勿論、下りコースになったせいもあるのであろうが、次第に祐子に安定感が出て来た。何処と無く余裕の様な物も感じられる様になった。伊左布の集落に差し掛かった時の事である。突然、一平が素っ頓狂な声を挙げた。
「ラースト、3千。頑張れ!」
確か、此処には、薬缶が『残り3000m』のプラカードを持って立っていた。薬缶は既に撤収してしまっていたが、一平が代わりを務めた形となった。一平は、先程から祐子にエールを送りたくて仕方が無かったのだ。声を掛けるのは叶わぬまでも、せめて道標の代わりなら、との思いだった。続いて、雀田橋。今度は六助が叫んだ。
「あと、1500。もう、少しだ!」
二人の切実な迄の、祐子に対する感謝の念の発露である。頓て、漸くに庵原一中が見えて来た。
庵原一中の門を潜ると、祐子は唖然とした。既に、グランドへと続く道には、人垣が出来ている。正太郎と六助、一平は何時の間にか溶暗して行った。喝采の栄誉は、祐子が、祐子だけが浴するべきものなのである。祐子が入場すると、人々から、歓声と拍手喝采が巻き起こった。祐子はもう、涙で前が見えなかった。人垣の先頭にはひろみといずながいる。
「祐子。何やってんの! あと少しでしょ! ボストンティーパーティーの根性見せなさい」
「ゆーちん。あと、300mよー」
続いて、凛子が叫ぶ。
「祐子。ゴールの瞬間は一番美しい瞬間だから、笑顔を忘れずにね」
女子の部優勝者の谷澤も叫ぶ。
「山本さん。あと、200mよ。最後迄気を抜かないでね」
「祐子ちゃん。あと、少しだ。頑張れ」
「祐子ちゃん。頑張れ」
明彦や敬介からの声援も聞こえる。
頓て、祐子がテープを切った。記録、3時間35分48秒。流石に金栗四三の記録には、遠く及ばなかった。
テープを切った祐子はフラフラと倒れ掛かったが、其の祐子をがっしりと支えたのは、当然、高野正太郎だった。祐子は正太郎だと気がつくと、激しく喘ぎ乍ら謂った。
「正ちゃん。私、歩かなかったよ。最後迄、歩かなかったよ…」
「うん。見てた…よ。よく…。よく頑張ったね。約束破ってごめんね」
「そんな事無いよ。ありがとね正ちゃん」
正太郎はがっしりと祐子を抱きしめる。歓声と拍手に加え、多少、囃し立てるような声も混じるようになる。其処へ、伊沢先生がやって来て、少々、苦言を呈する。
「あのなあ…。一応、体育の授業の一環なんだがな…」
祐子はひどく赤面した。取り乱す正太郎。
「サッ、サーセン」
然し、真っ赤な顔で、慌てて祐子から離れようとする正太郎を、伊沢は叱り飛ばす。
「こら、ふらふらになった女の子から、離れる馬鹿があるか!」
正太郎が祐子から離れるべきか、抱きしめるべきか、逡巡している間隙を縫い、高志が音頭を取る。
「そら、行くぞ!」
忽ち、多数の生徒たちが祐子の回りに殺到した。一瞬、祐子の体が仰向けに倒れこむと思いきや、次の瞬間、祐子の体が、5、6度、大きく宙を舞った。
「ちょ、ちょっと。やめてよ、高志君。みんな。恥かしいよ」
悲鳴を上げる祐子。胴上げの嵐は止みそうになかった。頓て、胴上げが終わると万雷の拍手である。祐子は嬉しいやら、恥かしいやらで、困惑している。其の間にも、親しい女の子たちが完走の祝辞を述べている。其処へ高志がやって来て、祐子に向かって、恭しく斯う謂った。
「お姫さま。馬の用意が出来ました」
見ると、一平を先頭に、右に六助、左に正太郎と、3人で騎馬戦の騎馬が組まれている。
「ちょっと、正ちゃん、六助ちゃん、一平君。恥かしいよ」
嫌がる祐子を無理やり騎馬に乗せると、高志は大声を張り上げた。
「よーし。此の儘、学校まで帰るぞ!」
「おー」
斯くして、マラソン大会は、無事完了したのである。此の騒動を窓から見ていた真琴は、
「ふーん。なかなかに面白そうな学校じゃん」
爽やかな笑顔とともに、そう呟いたのだった。
いつも、ご愛読有難う御座います。当面の間休載致します。12月末より再開の予定です。また、お会いしましょう。
大変お待たせしました。2月末より再開いたします。バレンタイン・デイのドタバタ劇をコミカルに描いたバレンタインシリーズ第一弾、『第49話 バレンタイン・ラプソディ① お願いだからもうやめて』お楽しみに。




