第46話 走れ!祐子【中編(其の1)】
扨、抑々、筆者は此の大会の概要しか説明して来なかった。今更乍らではあるが、此処で改めて詳細を説明しよう。
清高マラソン大会は庵原の山中約15kmを走破する体育の授業の一環の大会である。此のコース自体は大変起伏に富んでおり、庵原の街道や農道を使って行なわれている。マラソン大会と銘打ってはいるが、起伏などを考慮すると、実際の処、トレイルラン大会と謂う方が相応しいのかも知れない。庵原と謂う地区は、概ね二つの集落に分割される形となる。川で説明すると、西に庵原川沿いを中心とする集落、そして、東に山切川沿いを中心とする集落である。二本の川は山の切れ目で合流しており、庵原川となっている。其の合流地点付近。丁度、平野部に山が突き出している様になるのだが、山を船に見立てると、割と判り易い。謂わば、船の舳先の部分。川と川が合流する河内付近に庵原一中、即ち、スタート地点とゴール地点がある。全員、スタートをすると校門を出て山切側に向う。道は頓て山切川を渡り、山切の本街道に出ると、山切川を上流に向って上っていく。此の時、草ヶ谷付近の三角点の標高が16。時候の集落を抜け、山切集落標高点が23。杉山橋標高が43。奥杉山が56。と徐々にではあるものの、明らかに40m程登っているのである。そして、此の辺りから、明白に勾配の比率は加速する。戸倉温泉付近は、141m。新東名を越える辺りで200mの等高線を越える。そして、高山隧道である。此処を超えると、一旦、激しく下る形となる。隧道より此方側に降った雨は、庵原川にも、山切川にも潅がない。此方側に落ちた水は全て興津川へと潅ぐ。即ち、分水嶺を越えた訳である。そして、隧道より高山の集落に向って一気に下って行く。然し、此の儘、ずっと下りが続く訳ではない。先刻の記述を思い出して貰いたい。隧道より此方側は興津川水系となるのである。従って、庵原一中に戻る為には、今一度、庵原川水系に戻る必要がある。即ち、再び分水嶺を越える必要があるのである。其れも、帰りは旧道、隧道の上を越えて行くのである。芥川のトロッコでは無いが、下る分が多ければ、其れ以上に上る分が多い勘定になる。トロッコと異なり、下り坂が、然程、楽な訳では無い。寧ろ、急激な下り坂は、意外と人間の身体を蝕む。下り坂がきつければ、其れだけ、肉体に掛かる負荷も大きいのである。此のコースの、或る意味、最大の難所でもある。そして、此の急激な下りは、其れ以上に、苛烈な上り坂を競技者に連想させ、激しく心を折って来る箇所でもあるのだ。斯様に非人道的な下り坂は高山の集落に当る迄、続く。頓て、集落にぶち当たると、突き当りを左に折れるのだが、競技者は、壁の様に聳り立つ、果てしなく続く上り坂を目の当たりにする羽目になる。此の道は、高山隧道が出来る前の旧道であるが、高山隧道の直上を越える形となる。集落を抜けると、竹薮の中の様な山肌を縫って、農道は幾つかの渓谷を等高線沿いに回りこむ様な形で、頓ては先程の高山隧道の上に出て、再び分水嶺を越える訳である。恐らく、此処いら辺りが、此のコースの最高標高地点となるであろう。此の道は興津川沿いの和田島地区と、庵原の最奥部である吉原、伊佐布地区を繋ぐ、昔からの間道となっているのである。頓て、吉原の集落に辿り着くのであるが、此方は先程の新道と異なり、比較的緩慢な勾配である。吉原の集落を抜けると、中部横断自動車道と新東名の交差点、即ち、新清水JCTを縫う様な形で潜り抜け、上伊佐布、そして、伊佐布の集落となるのである。此処から先は庵原川沿いの、略、平地と謂って良い緩慢な下りであり、庵原一中迄、大体、4キロほど、道為りに下って行く形となる。
扨、男子の部は、大方の予想に違わず六助や一平が主導する、かなりハイペースな展開となった。一平、六助、サッカー部主将白坂、野球部の坪井、木村そして、陸上部の望月らが、先頭集団を形成する。此の集団、当初よりハイペース過ぎるスピードで飛ばし、山切街道を爆走して行く。途中、山切の集落を抜けた辺りから、徐々に上り坂がきつくなって来る。蜜柑畑と竹薮の間を縫って道は登って行くのである。杉山、奥杉山の集落を越える頃には、並み居る挑戦者達を篩い落とし、先頭集団は7、8名となっていた。そんな中で、一人、気を吐いたのが、高志である。彼は其の8人の中に、喰らいついており、高山隧道手前の急激な上り坂、所謂、心臓破りの坂も、先頭集団の一角として、臨んだのである。
一方、女子の部は、主役不在の展開に聊か戸惑いを隠せない形となった。
(谷澤さんは如何したの?)
先頭集団の中では、そんな疑念が見え隠れしている。其れはそうであろう。結局の処、当初から、先頭集団を形成するであろうと予測された、谷澤育美、如月凛子が何故か不在の中、30人近い大集団が牽引する形となったのである。大集団であるが故の奇妙な安心感。此の心理、同調性バイアスによる其れと少し似ていた。誰も敢てリスクを取ろうとはしない。果然、女子の部の先頭集団は酷くゆっくりとしたペースとなった。
方や、女子の部、最後尾の集団(此の中には、祐子は当然含まれない)。其の中には、葵やみうみうがいたのであるが、かなり自分本位なスピードであった。彼女たちは、漸くに時候の集落に差し掛かった処だった。此れから、益々、上り坂も厳しくなっていく事だろう。抑々、葵は祐子がトラブルに巻き込まれた事など知る由もなかったのではあるが、葵は常々思っていた。自分より足の遅い生徒は居ない。いるとすれば祐子だけである。然し、祐子は近頃、マラソンの練習をしている様で、最近では、
『最近、走る事が少しだけ楽しくなった』
英語の授業中に、ニコニコし乍ら嬉しそうに語っていた事を、思い出したりもした。
だが、此の集団の中には、祐子はいない。
従って、葵は、自分より足の遅い人間が居る筈が無いと謂う、極、一般論的な帰納的推理に因り、此処が最後尾である事を確信していた。然し、次の瞬間である。
「えっ」
驚く葵を尻目に、圧倒的速度で、電撃の様に、女子の一団が猛然と抜き去って行ったのである。谷澤、凛子、ひろみ、いずな達だった。
(なんで?)
葵には驚愕しかない。
「うっきー。何、今の?」
横を走っていた、みうみうも呆れた様に呟く。
(如何謂う事?)
勿論、葵にも判らない。優勝候補と目される彼女達が、最後尾と思われていた集団を、今、颯爽と追い抜いていったのである。
明彦は奥杉山の集落を過ぎた辺りであった。序盤の難所と謂った処であろうか。今、自分が、全体の中でどれくらいの位置にいるのかすらも、判ってはいなかった。判っているのはトップ集団では無いと謂う事だけだった。元より、明彦は中学時代に、レスリングの全中に出場しただけあって、身体能力は其れなりにはある。然し、一方で中学校時代より、スタミナに課題があると謂われており、持久走は、然程、得意な部類では無かった。
(高志は元より、敬介や正太も見かけないな)
恐らく、今の自分の立ち位置は、第2集団、或いは第3集団辺りなのであろうが、其処でボストンティーパーティーの面々を見かける事は無かった。
(其れにしても、なんてえ坂だ)
此処から、戸倉、吉原に掛け、一気に100m以上登る勘定になる。蜜柑畑の中の、一見、長閑な農道も、憂鬱に思わざるを得ない。
正太郎は、黙々と自分本位な走りに徹していた。特に、順位などを気にせずに自由気儘に走行していた。斯うして山中の曲がりくねった細い農道を走っていると、今の自分の立ち位置は、さっぱり分らない。そんな中で、非常に漠然としてでは有るが、判った事が二つある。一つは、恐らく、自分が上位半分にいるであろうと謂う事。何故なら、此処に到る迄、数多の生徒を抜き去ったが、抜かれる事が殆ど無かったからである。そして、今一つは、自分が思っている以上に、自分は出来ると謂う事であった。以前にも記述したが、正太郎は小学校時代サッカー部に所属していた。其処での日々は、其れなりに楽しかったのではあるが、何しろ、誰よりも足が遅く、誰よりも蹴るのが下手糞では、如何ともし難かった。
(つくづく、俺はサッカーに向いていないな)
そう、思った。否、思わざるを得なかった。結局の処、正太郎が小学校時代にサッカー部で得たものは、不必要な迄の劣等感であった。
(勉強では苦労した事が無いのに…)
そう、思ったりもした。然し、果たして、本当にそうなのであろうか? 正太郎は忘れているだけなのであろうが、彼は小学校入学前の本考査に於いて、再考査となっている。正太郎や祐子が通った二の丸小学校には特殊支援学級があり、彼は既の処で其処へ入る処であったのである。彼らの学年に於いて、再考査となったのは彼だけであったから、よくよく、境界域の児童であったのは間違い無い。当時、正太郎の両親の心痛は一入ではなかったであろう。勿論、正太郎は、そんな事は露程も知らない。思えば、小学校入学直後の或る時期に、両親がゲーム盤や、矢鱈、パズルやクイズの本を買って来ては、寝る前に読む事を勧めた時期があったが、四方やそんな事があったとは、思ってもみなかった。何よりも、小学校卒業直前の知能テストでは、学年最高の知能指数(祐子よりも上との事である)である、142だったのだ。再考査の試験には、両親は沈痛な面持ちで同行したのであるが、当の正太郎は頗る呑気なもので、支援学級内にある、通常の小学校の教室ではありえない様な素敵なオモチャや、両親が絶対に買ってくれそうも無いゲーム盤に、目を輝かせていた。正太郎自身、本考査自体は全く記憶に無かったのであるが、再考査試験の内容は何故かはっきりと覚えていた。屹度、其のオモチャの類が、余程素敵で、酷く印象に残ったからに相違無い。再考査の内容自体は、バナナ、新幹線、傘、本などのイラストが描かれたカードを見せられて、其れが何であるか問われると謂う、実に馬鹿馬鹿しい物であった。小学校に上がる前の幼稚園児であった彼ですら、素直に斯う思ったのである。
『何故、此の大人たちは、こんな馬鹿な事を、繰り返し尋ねるのだろう?』
正太郎には不思議でならなかった。まあ、其の前の本考査の段階で、彼は合格していなかった訳であり、試験官の先生方を責めるのは、聊か、お門違いも甚だしい話ではあるのだが、正太郎自身、其の様な事は知る由も無かった為、致し方が無い。
然し、此れは或る意味、祐子では無く、正太郎であった事が幸いだったのかもしれない。以前に竜爪山遭難の件で叙述したが、祐子は特に同調性バイアスの補正が掛かり易い。恐らく、他人との相違を嫌う祐子であれば、他の児童がいないと謂う、此の、極めて特殊な状況での再考査等、萎縮してしまって考査処では無かったであろう。物事に無頓着で、他人のする事など、然程、気にも留めない正太郎であったればこそ、何事も無かった様に再考査が受けられたのかもしれなかったのだ。然し、其の後、常人以上の知能指数を発揮し続けてきた正太郎が、何故、通常の考査の段階で合格しなかったかは、遠い昔の出来事でもあり、本人の記憶も無い為、今となっては、余り良く判らない。或いは、考査の段階で、何らかの錯誤があったのかも知れぬが、正太郎の気質を鑑みるに、他人との同一性を極端に嫌い、他者と違う自分を全く意に介さない。実に些細な事に拘り、自分が関心を持つ物にはとことん執着する特殊な偏向。人付き合いが若干苦手で、人間関係を構築するのに、割と苦労する。落ち着きが無く、音や光の刺激に、特に音ではあるが、頗る過敏である。正太郎の気質を、斯うして並べたててみれば、臨床心理学や児童心理学の見地からすれば、全て、馴染みのある症例ばかりであり、そう謂う意味では、正太郎の、初回の考査の結果は、強ち、間違いではなかったのやも知れぬ。
扨、閑話休題。凛子たち集団に視線を移そう。谷澤育美を始めとする凛子、ひろみ、いずなの4人は、時候の集落で最後尾を捉えると、長く長く伸びきった隊列を掻き分ける様に進み、奥杉山の集落では第二集団迄辿り着いた。此処からは急激な登りとなる訳であるが、彼女たちは、然程、速度を落さず、一気に登りつめると、戸倉辺りで、遂に先頭集団を捉えたのである。此れには、先頭集団を形成する他の生徒たちは、嘸や驚いた事であろう。不在とばかり思っていた清高の走りの女王が、急激な上り坂を後方から猛然と現れ、抜き去って行ったのである。彼女たちは思わず慄然とした。
(一体、何が起きているの?)
其れはそうであろう。此の女王様は、昨年の大会に於いては、並み居る強豪、上級生達をものともせず、スタートからゴールに到るまでの凡そ15キロの道程、ぶっちぎりの一人旅だったのである。
先頭集団の女の子たちが驚いたのは、谷澤の出現だけではない。2年生からすれば、彼女は見慣れぬ1年生の伴走者を3名程引き連れ、急激な坂道を颯爽と駆け抜けて行ったのである。ほんの一瞬の出来事だった。一部のランナーたちは慌てて追走を試みるも、悉くが無残な失敗に終わった。抑々、其れ迄、必要以上のスローペースに慣らされた肉体が、丁度、セカンドウインドの恩恵を受け始めた、谷澤達一向に適う筈も無く、瞬時に置いて行かれたのであった。然し、谷澤はペースを落さない。寧ろ、好敵手である、如月の追撃を振り払うべく、益々、ペースを上げていく。そんな中で、凛子は、此れまた、谷澤に遅れじと、つきあってペースを上げる。ひろみといずなも懸命に追走する。斯うして、女子の先頭集団は、後発した4人へと入替って行ったのである。
其の頃、男子先頭集団は、丁度、高山の集落に差し掛かった処である。集落に突き当たると、左折して旧道を行く事になるのだが、其の道を見上げた瞬間、聳り立つ懸崖に向って伸びている様に思われた。
(嘘だろ。此処を登るのかよ…)
高志は真っ先に思ったが、他の7名は涼しい顔で登りだしている。寧ろ、少し、ペースが上がった気がした。先頭集団の8名は、黙々と本コースの最難関である高山越えに挑みつつあった。此の高山越えの旧道、先程、越えてきた、隧道の新道の上を越えていく形となり、此のコースの最高地点は隧道上の旧道上となる。高志達一行は多少の駆け引きを行ない乍らも、旧道を一気に下って行ったのである。
其の頃、祐子はと謂うと、漸くに、山切の集落に差し掛かった処であった。行けども、行けども、女子最後尾の影も形も無い。太ももの擦過傷もずきずきと痛み出した。何もかもが不快であった。受身を取った右腕も、強打した腰骨の辺りも、水で洗い流した傷口も、濡れた靴下も、冷え切った手先も、全てが不快であった。余程に棄権をしようかとも思った。先生方は、祐子がスタート地点で派手に転倒した事を知っている。此処で祐子が棄権したからとて、誰も何も謂わぬであろう。
だが。
祐子は足を止めなかった。
(次の電柱まで頑張ってみよう)
そして、件の電柱まで走る。すると、
(未だ、頑張れる。じゃあ次の電柱まで)
斯うして、必死に気力をつなぎとめているのである。何も、正太郎との約束の為だけではない。六助、一平、修吾、ヤスベエ姉妹。凛子、いずな、ひろみ。今回のマラソン大会の特訓に付き合ってもらった人々の優しい顔が、浮かんでは消えて行った。正太郎同様、友達作りに苦労した少女である。彼らの想いを無碍には出来なかった。
(私には、棄権が赦されない。否、歩く事だって…)
其の想いだけで、足を前に出す祐子であった。
其の頃、男子先頭集団は新清水JCT脇の上伊佐布の集落に差し掛かっていた。此処ら辺りから、急な下り坂は影を潜め緩慢なコースとなる。先頭集団からは2名ほどが脱落し5名となった。六助、一平、白坂、望月、そして、高志である。此の頃には、高志は野球部だった頃の体の記憶が、大分、呼び覚まされていた。ゴールである庵原一中迄、あと、4、5キロと謂った処だろう。此れ迄の急な下り坂にも、然程、負荷を掛けずに、足を溜めて来たのだ。
(斯うなったら、最後の最後迄、意地でも絶対、此奴らに喰らいついてやる)
高志は、横目で他のランナー達を睥睨しながら、誓った。彼は、決して、ドン・キホーテでは無かった。寧ろ、彼我の戦力差を怜悧に見極める慎重な頭脳を持っていた。彼の1500m走のベストタイムは4分ジャストである。此のタイム、一平や六助と較べても、然程、遜色は無い。勿論、15キロと謂う長距離は初めての経験では合ったが、1500mと謂う、学校で馴染みの或る距離には、其れなりの自負と矜持がある。有り難い事に、要所要所に教員が配置されており、残りの距離数を表示されたプラカードを持って立っている。ラスト1500m迄、此奴らに喰らいついて行く事が出来れば、最後の最後に捲りをぶっ込み、差しを一気に決めてやる。そんな思いが確かにあった。然し、次の瞬間、高志以外の4人が、猛然と全力疾走を始めたのであった。
(なっ)
高志も慌てて追走する形となった。然し、如何せん、出足で遅れた。否、其れだけではない。彼らの其の速度、高志の平常時の全力疾走を遥かに凌駕する速度であったのだ。1m、2m、5m、10m、と、見る見るうちに差が広がって行った。
(バカな! う、嘘だろ。此奴ら。ゴールまで、あと、何キロあると思ってやがんだ…)
100m程、高志も懸命に追走した。然し、其の時点で彼らとの差は約50m位となっていた。高志は全てを諦め、元のペースに戻した。高志は思う。恐らく、此の100mのタイムは生涯最高のタイムだろうと。其れでも、付いて行く事は出来なかった。足を溜めていたのは、何も高志だけでは無かった。高志以外の4名。六助、一平、白坂、望月はサッカー部と陸上部である。高山から上伊佐布に到るまでの急激なアップダウンは、決して、無理はしない。急激な坂道が足に負荷を掛ける事は、誰よりも知悉している。こんな大会で危険を冒し、足に故障でもしたら、其れこそ元も子も無い。恐らく、彼らは、山中のルートは高志の速度にあわせていたのだろう。素人の高志の少々無理をした速度が、丁度、手頃であり、彼らの格好の基準となっていたのだ。高志は、謂わば、彼らの先導員であった。
(つくづく、俺とはモノが違うな)
頓て、高志の視界からは、上伊佐布の畝った街道のせいで、彼らの姿は直に見えなくなった。
続いて、陸上部の望月が、徐々にではあるが、遅れだした。伊佐布の集落に差し掛かった辺りである。矢張り、序盤のハイペースが堪えたのであろうか。15kmと謂う長距離になれば、全体のペース配分が重要になって来る。全コースの約6分の1、即ち、残り2.5キロの距離を残して脱落して行った。結局、サッカー部の3人による三つ巴の対決となった。『中盤のダイナモ』として、無尽蔵の体力を有すると評される、現主将の白坂守。小学校時代から『トリックスター』と謂われる、サッカーの申し子酒井六助。そして、『スピードスター』と謂われる、点取り屋杉本一平。此の時点で、勝者は此の3名のサッカー部員に絞られたのである。
然し、変化は不意にやって来た。雀田橋付近の事である。3人の中で、白坂が、やや、遅れだしたのだ。否、此れは相対的な話であり、白坂が遅れたと謂うよりは、六助と一平が更に加速したと謂う方が選り正確であろう。雀田橋はゴールから丁度1・6キロの地点であり、夏の敬介の家の勉強会の際に明彦たちをむかえに行った処でもあり、奇しくも、高志が勝負を賭けようとしたラスト1600mの地点でもある。此処で、六助、一平の双方は、全力疾走へと切り替えた。白坂は見る見るうちに離されて行く。彼らは、ボールを追う時の、否、其れ以上の速度で疾走する。愈々、栄冠の行方は、サッカー部一年生同士のマッチレースとなった訳である。
『スピードスター』と評される一平と、『トリックスター』と評されるサッカーでは何でも出来る六助との戦い。然し、一平は『スピードスター』と謂う称号をひどく嫌がっていた。
(俺は、決して脚が速い方では無い)
常々、そう思っていた。此れは一平の謙遜も多少は入っている。現にサッカー部の中でも確実に3指には入った。然し、ナンバーワンでは無かった。恐らく、ナンバーワンは、県代表では一度として正選手になれなかった白坂か、何でも出来る六助であろう。他校のFWとも比較すると、更に一目瞭然である。恐らく一平は、僅かではあり乍らも、10指にも及ばなかった。にも関わらず、彼が他校の選手からも『スピードスター』と評されたのは、幾つか秘密がある。一つは、ドリブル時も通常走行時も、然程、速度が変らなかったのである。此れは、簡単に謂ってはいるが、極めて稀有な事で、通常、ドリブル時には、速力がダウンする事が普通である。そして、今一つは、動き出しの速度、静止時から全速力に持って行くまでの時間が極端に短いのである。そして、第三に位置取りが絶妙に上手いのである。此れらを駆使する一平の仇名が『スピードスター』なのである。然し、一平は釈然としない。
(勘違いにも程がある)
そう、思わざるを得ない。一平と対峙した相手DFは異口同音に、斯う謐く。
『彼奴が相手だと勘を狂わされる』
通常DFは目の前に相手FWを置き乍らも、対応出来る距離を保つ。此れは、DFからしてみれば、防衛上、絶対必要な緩衝地帯であり、一般論として、DFはFWより足が遅い。現代サッカーに於いては、SBの攻撃参加が当然となり、此の法則も過去のものとなりつつあるが、高校レベルでは其の浸透もまだまだである。故に、同じ位置からゴールに向って駆けっこをすれば、まず、DFが負ける。従って、DFがFWと対峙した時には自分の脚力と、相手の脚力を勘案し、位置取りをする。若し、ボールが来た場合、相手FWとゴールの間に割って入る必要があるからだ。だが、一平と対峙すると、此の守備感覚が大きく狂わされる。要するに間合いを見誤るのである。一平の位置取りの妙と、瞬発的な全速力への切り替えに幻惑され、かなりの高確率で、気がつけば、一平を後ろから追い掛ける羽目になるのである。抑々、サッカーに於いて此の形は致命的であり、更に、彼は足許の技術も、六助並みに定評がある。場合によっては、GKが動くのを見定めて、シュートを決める事が、侭あるのだ。
いまひとつ一平の代名詞として、広く知られていたのが、『豪快なシュート』である。此れについても、
(とんでもない誤解だ)
そう思わざるを得ない。抑々、此の男、杉本一平はライバルである梅高サッカー部の岩井修吾と異なり、豪快なシュートなど打ったことが無い。修吾のシュートとなると、漫画、アニメに登場する様な、渾身の力を込めたシュートが持ち味であり、ヘディングでクリヤーを試みた、相手DFの脳震盪を誘発したと謂う出来事は、未だに江尻中サッカー部の語り草となっている。引き替え、一平は、シュートはゴールへのパスである、と謂う持論の持ち主である。誰もいない箇所に、丁寧に確実に、パス(シュート)を流し込む。此れ程美しい事があろうか? 彼は常々そう思っていた。其れでは、何故、『豪快なシュート』が彼の代名詞となったのであろうか? 答えは簡単である。豪快に見えるからである。彼のシュートは、今までの叙述の通り、DFを置き去りにして、GKと一対一で放たれる事が圧倒的に多い。当然、足許の技術もある彼である。GKの動きを見て逆を突く事も容易い。斯うして放たれたシュートは、須く、豪快に見えるものなのである。例えばヘディングを考えて欲しい。数人で競り合って、何とか放たれたヘディングと、GKと一対一で好きなところに叩き込むヘディング。何方が『豪快な』と謂う形容詞が相応しいのだろうか。当然後者である。GKとの一対一と謂う状況は其れだけで豪快に映るものでなのある。
扨、そんな二人であるが、愈々、決着の時が来た。六助、一平の二人は益々加速する。立春間近の、薄ら寒い庵原川沿いの土手道を爆走する。一平の走りも、六助の走りも、相手DFを振り切るときの其れだった。そして、二人は肩を並べて庵原一中の校門に突入した。此の後はトラックを一周した後にゴールであり、残り300m程である。此の時、二人は並んでこそいたが、位置取りは六助に圧倒的有利な状況にあった。何故なら、六助は一平の左側を走っていたからである。此の儘、トラックに突入すれば、明らかに六助が内、一平が外となり、六助が体勢有利である。然し、トラックに入ってからも、二人は並走する。昨年の学校祭を彷彿とさせるレースである。身長190センチ超の一平と160センチにも満たない六助が、並んで全力疾走をしているのである。厳粛と謂うよりは、寧ろ、滑稽と謂うべき絵面でもあった。然し、両者は真剣そのものである。二人の間には差は無い。二人並んで、トラックを疾走している。だが、最後の半周で変化が現れた。僅か乍ら一平が体勢有利となり、其の儘、スルスルと前に出たのである。そして、ラスト10mの間に3m程に其の差を広げ、両手を挙げた一平が、テープを切ったのであった。一平の記録が59分48秒。そして、六助が同49秒となっている。15000mの記録としては平凡な記録かもしれないが、此の高低差を考えれば、此の記録は十分に速い。と謂うよりも異常に近い記録であり、此のコースで1時間を切る記録が出たのは、実に10年ぶりの事だったのである。
男子の部の勝者は決した。谷澤先輩と凛子の結末は、そして、ボストンティーパーティーの面々は、そして、祐子の運命は如何に? 次回、マラソン大会女子の部の優勝争い『第47話 走れ!祐子【中編(其の2)】』お楽しみに。




