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第44話 あけまして桃も李もさくらんぼ【解決編】

 (さて)、祐子は改めて考える。取っ掛かりは、当然(とうぜん)、吾郎先生の言葉である。あの時、吾郎先生は問題を一読(いちどく)した刹那(せつな)に、(おそ)らくは、正解に到達(とうたつ)したのである。以前にも叙述(じょじゅつ)した様に祐子の暗算能力は途轍(とてつ)も無く早い。(さら)には、類稀(たぐいまれ)な特殊能力もある。勿論(もちろん)()れらの能力を使えば、一般人の暗算能力の、水平線(ホライゾン)(はる)彼方(かなた)(まで)も、到達(とうたつ)する事は可能であろう。だが、()方法(メソッド)は、正解では無い様な気がした。羅漢(らかん)先生は、数学補習授業のトピックスとして、()の問題を提示したのである。生徒達に、其処(そこ)には数学的思考を()したのであって、暗算能力を高める(ため)に、あの様な問題を提起(ていき)したものとは思われない。(しか)(なが)ら、吾郎先生は、(ほぼ)瞬時(しゅんじ)解法(かいほう)を導き出したのである。勿論(もちろん)、元囲碁プロ棋士の思考である。記憶能力も暗算能力も一般人の()れとは、(くら)べるべくも無い事は、百も承知(しょうち)なのであるが、決して、そうした超人的能力を使った様には思われなかった。(さら)に気になるのが、(なぞ)の様な言葉である。


表題(タイトル)が、最大の(ヒント)だよ』


 吾郎先生は、(たし)かにそう()ったのである。恐らく()れは、()の問題の本質を見極めた上での発言であろう。


 正太郎は祐子と同様に考える。正太郎は()ず下一(ケタ)に着目した。6,000円買い切る(ため)には、下一(ケタ)を0にする必要がある。()(ため)には、さくらんぼ3個と(すもも)1個の組合せが必須である。其処(そこ)で今度は下二(ケタ)を0にする。(さら)には下三(ケタ)、そして、最終的に6,000円丁度(ちょうど)に着地させるのである。だが、正太郎は()の方法では無いと直感した。


(だが、()れだと、(おれ)の暗算能力の限界(リミット)を、(はる)かに超越(ちょうえつ)してやがる…)


 (たし)かにそうであろう。()の方法であれば、解法(かいほう)(いた)(まで)が計算の連続であり、()れこそ、エクセルを使って、力技(ブルート・フォース)でもするのであればいざ知らず。闇雲(やみくも)に組み合わせを考えていたのでは、とても(らち)が明かない。(およ)そ人間向きな手法(メソッド)では無いものと思われた。だが、此処(ここ)で正太郎の脳裏(のうり)去来(きょらい)するのは吾郎先生の反応であった。あの時、吾郎先生は文章を一読(いちどく)する(あいだ)に、(すで)真相(しんそう)辿(たど)り着いていた風であった。(たし)かに、吾郎先生が超人的な思考速度を持っていたとしても、矢張(やは)りあの速度は異常である。あれは、問題を(あらかじ)め知っていたので無いとすれば、論理的(ロジカル)方法(メソッド)があるのだ。吾郎先生は()論理(ロジック)沿()って、一本道を進んで行ったに違い無い。恐らく、()れは、薬缶(やかん)が補習対象者に出題した事からも(うなず)ける。だが、()れは一体(いったい)何なのか、見当もつかない。(しか)し、此処(ここ)(すこぶ)る重要になってくるのが、吾郎先生の示唆(しさ)にある。吾郎先生は(おそ)らく、問題を見た瞬間に、(ヒント)に気が付き、論理(ロジック)を組み立て、()の光速の暗算能力を駆使(くし)して、真相(しんそう)手繰(たぐ)()せたに相違(そうい)無いのである。


 いずなは己の父の思考を追跡(トレース)していた。(おそ)らく、父は我々(われわれ)が見落としている何かに気がついたのである。父は()った。

『答えだけ聞いても意味が無い』

 そうなのだ。()の問題で重要なのは答えでは無いのだ。()論理(ロジック)が重要なのである。だが、()論理(ロジック)が何なのか、悔しい事に(わか)らない。(ほぞ)()()む想いとは、(まさ)()の様な事を()うのだろう。いずなは、(すこぶ)る、知的天稟(てんぴん)に恵まれていた。今迄(いままで)の人生に()いて、(なぞ)(なぞ)(まま)、終わると()う事は(あま)り記憶に無かった。


「ムッキー。ゆうちん。何か(わか)った?」

「ううん。全然(ぜんぜん)。でも、絶対(ぜったい)、私たちが見落とした何かがあると思うよ」

「そうだよねえ…」

「正ちゃんは如何(どう)?」

駄目(だめ)だな。一の位、十の位、百の位と0にして行こうと思ったんだ。そして、最終的に6,000になる(まで)試行錯誤(しこうさくご)しようと思ったんだが、()の方法だと、(いささ)か計算量が多すぎる。だから、多分(たぶん)薬缶(やかん)が求めたのは()れじゃあ無いと思う。其処(そこ)で今は吾郎先生が()った(ヒント)の事を考えている…」

 祐子は(うなず)くと、勢い良く()った。

「『表題(タイトル)(ヒント)がある。』あれの事だね」

「ああ、だが、()れだけじゃあ、漠然(ばくぜん)とし過ぎていて、何が何やら…」

 すかさず、高志が口を(はさ)む。

「なあ、あれって、本当に(ヒント)なのかなあ。いずなの父ちゃんのブラフって可能性(かのうせい)は…」

「ムッキー、(ひど)い、ハロゲン族。パパは、そんな(うそ)()かないもん。もっと、いずなが(わか)(づら)(ところ)で、極、たまに()くけど…。パパの好きな言葉は、『如何様(イカサマ)もルールのうち』、だから。でも、見かけ上は、屹度(きっと)正々堂々(せいせいどうどう)とやると思うよ」

「うーん」

 何とも、微妙(びみょう)な父親像である。一同は首をひねってしまった。

「何か、うちのパパに似ているなあ…」

 (つぶや)くのは祐子である。祐子の父親、山本恭一郎氏。(すなわ)ち、株式会社清水インフォメーション・テクノロジー・ディベロップメント・サービスの代表取締役社長でもある。正太郎は祐子との幼馴染(おさななじみ)であるのだが、()の父親とは十回程度しか会っていない。非常に生真面目(きまじめ)な人物で、正太郎に対しては何処(どこ)他人行儀(たにんぎょうぎ)で、いつも、鹿爪(しかつめ)らしい相好(そうごう)で接していた。一昨日(おととい)昆布巻(こぶま)きの(くだり)で正太郎が(にわ)かに(おのの)いたのも()うした経緯(いきさつ)があるからであり、正太郎としても、昆布巻(こぶま)きと()う特殊な状況には、多少(たしょう)の興味を持ちつつも、()不埒(ふらち)妄想(もうそう)を断ち切ったのは、(ひとえ)()親父(おやじ)さんが恐ろしかったに相違(そうい)無い。()(あた)りの心境は結婚前の娘の父親に対する婚約者の心理と何ら変らない。祐子の父親としても、小さい頃から友達づきあいの苦手な祐子に、良くしてくれている近所の友達である。憎かろう(はず)は無い。(しか)し、一方で愛娘(まなむすめ)の異性の友達でもある。正太郎の真心(まごころ)(あふ)れた祐子への接近が、多少(たしょう)片腹痛(かたはらいた)くもある。()多少(たしょう)ぶっきら棒な塩対応も、手塩(てしお)に掛けた自分の愛娘(まなむすめ)を、(やが)ては(さら)いに来る、祐子の未来の夫に(おのの)く自身の未来図が、(ある)いは予見(よけん)出来(でき)ていたのかもしれない。


 (さて)閑話休題(かんわきゅうだい)。祐子の(つぶや)きの後に、ぼんやりと敬介が反芻(はんすう)する。

「でも、表題(タイトル)にヒントがあるって、一体(いったい)如何(どう)()う事(なん)だろう?」

「文字通り解釈すれば、(もも)(すもも)もさくらんぼって事だが…」

 明彦も困惑(こんわく)した様に(つぶや)く。

「本当に文字通りだな。見た(まま)じゃねーか。使えねえ眼鏡(メガネ)だな」

 高志が横槍を入れる。

「何だと()野郎(やろう)。そんなら手前(テメー)は、如何(どう)解釈する?」

 高志はコホンと軽く咳払(せきばら)いをすると、

「えーと、()れはだな。つまり、(すもも)(もも)もさくらんぼの仲間って事だろ…」

「ふざけんな。同じじゃねーか」

 (いき)り立つ明彦。高志達は喧々囂々(けんけんごうごう)である。()れらを尻目に、祐子は正太郎に(たず)ねた。

如何(どう)思う? 正ちゃん」

「うーん。単純に考えれば、(もも)(すもも)とさくらんぼの共通点を探せ、と()う意味に取れるけど…」

「そうだよねえ…。でも、共通点って()っても…」

 そう()(なが)ら、祐子はふと口を(つぐ)んだ。横にいる正太郎の顔が、何時(いつ)ぞやの錘問題(おもりもんだい)の時の様に奇妙に強張(こわば)っている。やがて紙片(しへん)をまじまじと見つめ直すと、(おもむろ)(つぶや)いた。

矢張(やは)りそうだ。間違い無い…」

如何(どう)かしたの? 正ちゃん」

「いや、ひとつ共通点らしきものを見つけたんだが、()れが、如何(どう)(つな)がるのかが、さっぱり(わか)らない。何か意味有(いみあ)()にも思えるんだが…」

 正太郎にしてみれば、先程(さきほど)から鼻先を揺曳(ようえい)している正体の解らぬ何者かの尻尾(しっぽ)(つか)んだ思いは、確かにあったのだ。(しか)し、高志が其処(そこ)で言葉を()く。

「正太も()れに気がついたか…。だが、流石(さすが)()れは、全然(ぜんぜん)、関係無いだろ」

「そうかなあ、でも、偶然(ぐうぜん)一致(いっち)()うには、(あま)りにも出来過(できす)ぎだぞ?」

「ただの偶然(ぐうぜん)だよ」

 (つぶや)く高志にいずなが詰め寄る。

「ムッキー、勿体振(もったいぶ)らずにさっさと教えなさいよ」

「そりゃ、かまわねえけどよ。本当に無関係だと思うがな…」

「いいから、早く、()いなさいよ」

 ひろみもせっつく、高志は仕方(しかた)無しに口を開いた。

「いや、(もも)(すもも)もさくらんぼもさ…。全部、薔薇(バラ)科の植物なんだ…」


「…」


 (しば)しの沈黙の後、ひろみが(おもむろ)(つぶや)く。

()れで?」

()れでって、()れだけに決ってんだ…ぐわっ」

 ひろみが高志の後ろからスリパー・ホールドを掛けている。

「くっだらない事を勿体振(もったいぶ)って」

「アホか手前(テメー)は。関係ある(わけ)ねーだろ」

「とて過ぎだろ」

 明彦と敬介も(いき)り立つ。後ろから締められ、じたばたともがく高志は、懸命(けんめい)虚空(こくう)に手を伸ばす。(やが)て、()の右手がむんずと何かを(つか)む。


 ()れはみうみうご自慢(じまん)西瓜(すいか)だった…。


「ひーーっ、ハロゲン族の痴漢(ちかん)!」

 みうみうが思いっきり、高志の横っ(つら)を張り飛ばす。

「がはぁ」

 みうみうは目に涙を浮かべていたが、()らず、しくしく、泣き出してしまった。流石(さすが)に、敬介が諫言(かんげん)する。

「あーっ、おめえ、ひでえ(やつ)だな。新年早々、女の子の胸を()んで泣かすたあ」

「だってよ…。不可抗力だろ…」

「泣かすこたあ、ねーだろうに」

仕方(しかた)無いだろ…。大義の(ため)だ」

「何が、大義よ。どさくさに(まぎ)れて、あの名台詞(めいせりふ)(おとし)めるんじゃないわよ。()(かく)、謝りなさいよ」

 原因の一端(いったん)でもある、ひろみも、ちゃっかり便乗(びんじょう)して口を(とが)らす。

「みうみう、すまん。今度、前店で何か(おご)るから…」

「本当? じゃあ、コーラ(あめ)3個…」

意外(いがい)と安っぽいぞ…おい」

 敬介が(あき)れる。明彦もうっかり思いを口にする。

(たし)かにな。()れなら、あと、ソーダ(あめ)を3個追加すれば、両胸同時にいけるんじゃね」

「おう、おまい、意外(いがい)と頭いいな。そう()(わけ)だ。みうみう、ソーダ(あめ)も追加するから、反対側も頼むわ…」

 つと、伸ばした高志の右手を、ひろみが瞬間的に()め、脇固めに押さえ込んでいる。

「ぐわわー」

 押さえ込まれた高志は、手足をばたつかせ、すかさずタップをする。横では、明彦を凛子がコブラ・ツイストを掛けている。みうみうは、キョトンとし(なが)らも、羨望(せんぼう)眼差(まなざ)しで見つめている。

「何て事しやがる。新年早々、骨折したら如何(どう)する心算(つもり)だ」

(やかま)しい。新年早々、破廉恥(ハレンチ)行為(こうい)を働いて。()の女の敵!」


 祐子は眼前にて展開されるドタバタ劇を、冷やかに流眄(りゅうべん)(なが)らも、()()った。

「正ちゃんが見つけたのも、先刻(さっき)、高志君が()ってた薔薇(バラ)科の植物って事?」

「…全然(ぜんぜん)、違う」

「えっ」

(おれ)が見つけたのは、メロン以外、(もも)(すもも)もさくらんぼも、値段が全部、17の倍数だと()う事だよ…。偶然と()うには、余りにも出来(でき)過ぎだろ…」


「!」


 ()れを聞くや(いな)や、祐子はがばっと身を乗り出し、紙片(しへん)凝視(ぎょうし)する。(ほぼ)、同時にいずなも食い入る様に紙片(しへん)を見つめる。

「本…当だ」

 そして、突如(とつじょ)として、祐子はテーブルの紙片(しへん)余白(よはく)に、何やら筆算(ひっさん)を始めた。いずなは祐子に問い掛ける。

「ゆーちん。ゆーちんは何方(どっち)をやってる?」

「…メロン」

「じゃあ、いずなは6,000円をやるね」

 そして、(しば)しの沈黙の後、再び、いずなが(たず)ねた。

如何(どう)だった? ゆーちん」

(あま)り1。いずなちゃんは?」

(あま)り、16」

「そうかあ。そう()う問題だったんだ。成程(なるほど)ね。ああ、すっきりした」


 祐子は感に()えた様に、思わず安堵(あんど)溜息(ためいき)を漏らす。其処(そこ)へ子供たちから解放された吾郎先生がやって来た。彼は、(なか)虚脱(きょだつ)した(てい)であり(なが)らも満足げな()みを浮かべた愛娘(まなむすめ)を見ると、確信した様に声を掛けた。

「やあ、菜月ちゃん。如何(どう)やら、何か(わか)った様だね」

 いずなはにっこりと微笑(ほほえ)むと、()()った。

「うん。答えは16個だね。パパ」

「はっはっは。ご名答」

 其処(そこ)で高志が不平を(かこ)つ。

「いやあ、先生。早く、答えを教えてくださいよう。丁度(ちょうど)此奴(こいつ)らが解いていた時に、(おれ)彼方(あっち)で、コーラ(あめ)とソーダ(あめ)の等価交換の法則について熱く論じていたもんで…」

「何が等価交換の法則よ。馬鹿(ばか)馬鹿(ばか)しい。あんたとエロ眼鏡(メガネ)が、破廉恥(ハレンチ)行為(こうい)悪巧(わるだく)みを立てていただけでしょうに…。」

「なっ、(おれ)は関係ねーだろ。あれは、ハロゲン族が勝手にだな…」

(うそ)、おっしゃい。あんたが馬鹿(ばか)(あお)っていたでしょうに」

 凛子が決め付ける。

「ちょっと待ってよ。いずなちゃん。(おれ)には、()だ、何が何だか…」

「むっきー。ケースケったら。あのね、(もも)(すもも)もさくらんぼも、全部、17の倍数なんだよ」

()れは、もう(わか)ったよ。でも、()れが何か関係あるの?」

「もう、ケースケったら。()れでね、6,000円は17の倍数じゃあないんだよ。6,000円を17で割ると(あま)り16。つまり、メロン以外の3品目を、如何(どう)組み合わせた(ところ)で、6,000円には、なり得ない…」

「あっ」

()れで、メロンは?」

「メロンは17で割ると(あま)り1」

「そうか…」

 あちこちで感嘆の声が挙がる。

「つまり、6,000円丁度(ちょうど)使い切る(ため)には、メロンで調整するしかないんだよ」

成程(なるほど)。そう()う問題だったんだ…。でも、待ってよ、いずなちゃん。如何(どう)してメロンが16個に特定出来(でき)るんだ。()理屈(りくつ)なら、もう、17個足してメロンが33個でも…」

 いずなは優しげな微笑(ほほえみ)を浮かべると()った。

「ムッキー、ケースケ。()れだと、6,000円を超えちゃうよ…」

「ああ!」

 敬介が思わず声を挙げる。

「つまり、()の状況に()いてメロンの数だけは、絶対(ぜったい)に特定出来(でき)ると()う事…」

「そうかぁ、良く考えられてるね」

 其処(そこ)で高志が不平を(かこ)つ。

()れにしても、薬缶(やかん)野郎(やろう)。人が悪いにも程があるぜ。17の倍数なんて…。普通、こんなん気がつける(わけ)、無いだろう。(しか)も、一平や六助、正太みたいな赤点予備軍に出題してさ…」

「おい、彼奴(あいつ)等は予備軍なんかじゃあねえぞ。何方(どっち)かと()うと精鋭部隊だ」

 明彦がニヤニヤし(なが)ら訂正する。其処(そこ)()かさず正太郎が(いき)り立つ。

「おい、(おれ)は、今回は違うと()ったろうが…。いい加減(かげん)、しつこいぞ」


 わいわい、()い合っている正太郎達を聞き(とが)めて、吾郎先生は考え深げに()った。

「ねえ、君達。()の問題の出題者、薬缶(やかん)とか()っていたけど、本当は羅漢(らかん)って()うんじゃ無いのかい?」

「えっ、そうっすけど…。()れがまた、べらぼうな野郎(やろう)でして…」

「そうか、矢張(やは)り、羅漢(らかん)仙吉君か。彼は元気かね?」

「むっきー、パパ。知ってるの?」

「はっはっは。高校の同級生だよ。まあ、(もっと)も、パパは高校に入る前に3年間遊んでいたから、パパの方が年齢は3つ上になるが…」

 吾郎先生は当時を思い出して述懐する。吾郎先生は中学卒業後、プロ棋士としてタイトル争いをしていたのである。遊んでいたとは、とても()えぬであろう。

「清高の数学教師。学年主任で、生活指導を担当してるんですよ。僕と祐ちゃんと高志のクラス担任です」

 正太郎が答えた。

「生活指導? 彼がかい?」

 吾郎先生は目を丸くする。

「そうっすよ。野郎(やろう)が生活指導をしてたら、何か不都合(ふつごう)なんすか?」

不都合(ふつごう)も何も、…彼は、当時、清高の停学回数の記録保持者だよ。(たし)か3回だったかな…」

「ぷっ」

 一斉に、クスクスと、あちこちから笑いが()れる。

野郎(やろう)は、一体(いったい)、何をやらかしたんです?」

 にやついた高志が(たず)ねる。

「一回目は、不純異性交遊だったな。ほら、千歳町の巴川河畔に『ホテル・カリフォルニア』ってファッションホテルがあるだろう。えーと、今じゃあ(たし)か、『リバー・サイド・ホテル』だったかな…」

 意外(いがい)と、()の先生は(くわ)しい。

彼処(あそこ)は当時から、パフェがウリでね。彼は『パフェを食いに行く』と()うのが口癖だった」

「…何処(どこ)かで聞いた事のある台詞(せりふ)だ」

 ボソリと(つぶや)く正太郎。

(やかま)しい!」

 (いき)り立つのは高志である。

「ホテルから出て来た(ところ)を、当時の先生に御用となった(わけ)だ」

「どはははは…」

 蝟集(いしゅう)した面々が一斉に嘲笑(あざわら)う。

「おいおい、笑い事じゃあ無いよ。抑々(そもそも)、君達も前科一犯だろう。明日は我が身と()う言葉もある。気をつけたまえよ」

 明彦が笑い(なが)ら弁解する。

「いや、先生。大丈夫っすよ。彼処(あそこ)のホテルで危ないのは、此奴(こいつ)らだけです」

 明彦がamong us大会の如何様(イカサマ)の仇とばかりに、高志達を指し示す。

「こらっ、明彦。手前(テメー)!」

「はっはっは。元気な子供達だねえ…」

「でも、パパ。先刻(さっき)から黙って聞いていると、パパも矢鱈(やたら)(くわ)しいんだけど、ひょっとして行った事あるの?」

「はっはっは。ちょっと、パフェを食べにね…」

「ムッキー。校則違反だよ」

「はっはっは。菜月ちゃん。私はあの当時、(すで)に20歳を超えていたからね。校則違反には該当(がいとう)しないよ」

「ムッキー、(うそ)おっしゃい。校則ではあの手の如何(いかが)わしい施設への出入りを禁止しているのであって、年齢は関係無いよ。パパの不潔!」

「あら、私はお相手の方に興味がありますわ。彼処(あそこ)如何(どう)考えても、野郎(おとこ)同士(どうし)で行く(ところ)じゃあ、ありませんからね」

 此処(ここ)でにこやかな微笑(ほほえみ)を浮かべた、順子先生の登場である。凍てついた微笑アルカイック・スマイルとでも()おうか、(すこぶ)る美しくはあるものの、案の定、目は少しも笑ってはいない。

「ひぃ」

 (おのの)く吾郎先生と順子先生の間に、まあまあと割って入った高志が話の続きを(うなが)す。

()れで、野郎(やろう)の2回目の停学は一体(いったい)、何をやらかしたんです?」

「あ、ああ。2回目は飲酒・喫煙かな…。ほら、駅裏に大将と()う居酒屋があるだろう。彼処(あそこ)で飲んでいたら、教師陣が飲み会で鉢合わせになってね。まあ、彼も運が悪かったね…」

「ムッキー。()の話も、パパ、妙に(くわ)しいけど…、ひょっとして」

「当初、私も一緒に飲んでいたんだが、知人との約束があってね…。一足先に失礼したのが幸いして、間一髪(かんいっぱつ)セーフ」

「ムッキー、パパったら。()れって校則違反だよ」

「はっはっは。菜月ちゃん。私はあの当時、(すで)に20歳を超えていたからね。法律違反には該当(がいとう)しないよ」

「ムッキー。法律的には抵触しなくても、校則的には駄目(アウト)でしょう。校則では飲酒・喫煙をただ単に禁じていたもん」

「あら、私は、()の約束した知人とか()う方に興味がありますわ」

 相変わらず順子先生はたおやかなる()みを浮かべている。(しか)し、矢張(やは)り目は笑ってはいない。

「ひぃ」

 吾郎先生が似気(にげ)も無く怯える。高志が次を(うなが)した。

「そして、3回目は?」

 ()の問いに対して、吾郎先生は、

(あま)()いたくない…」

 と返すのみである。

「?」

 (いぶか)る一同。()れに呼応したのが、順子先生である。

「つまり、(あま)()いたくも無い様な悪所に行かれて…」

 吾郎先生は、(くちなわ)(にら)まれた(かわず)(ごと)くにこくりと(うなず)く。

「またしても、羅漢(らかん)君だけが逃げ遅れたと…」

「ムッキー。パパったら。全部の(くだり)(すべ)て関与しているじゃないの?」

面目(めんもく)ない…」

 いずなはプリプリ怒っている風ではあったが、内心(ひそ)かに驚いてもいた。自身の父が()の様に人間味のある振る舞いをする男とは思っても見なかったからである。順子先生も同じ思いであったのかもしれない。


 (やが)て、パーティーも打ち上げとなった。子供たちは後片付けをした後、三々五々帰宅の()についた。最後に残った組である正太郎と祐子が吾郎先生に挨拶(あいさつ)をした時の事である。祐子は深々とお辞儀をすると、今日のお礼を述べると伴に()()った。

「本当に有難(ありがと)御座(ござ)います。賢者の先生」

 吾郎先生は(やさ)しげな(ひとみ)(しばた)(なが)()った。

矢張(やは)り、覚えて居られましたか。随分(ずいぶん)と久しぶりですね。山本祐子ちゃん。(たし)か、小学1年生だった」

 祐子は、はいと(うなず)くと、

祖母(おばあちゃん)の伝言を預かっております。お伝えしますね。『先生、本当に有難(ありがと)御座(ござ)います。先生は私を恐ろしい呪縛(じゅばく)から解放してくださいました。先生のおかげで私の人生の晩年は、実に素敵(すてき)な色で(いろど)られました。本当に有難(ありがと)う。いつまでもお元気で。さようなら』、()れが伝言です。祖母(おばあちゃん)今際(いまわ)の言葉でもあります。本当に有難(ありがと)御座(ござ)いました」

 祐子は再び、深々と頭を下げた。吾郎先生はそうかと()った(てい)(うなず)く。

「君の言葉だ…。(おそ)らく、一言一句(いちごんいっく)(たが)わぬのだろうね」

 吾郎先生は感に()えた様に(つぶや)く。()の先生は、祐子の特殊能力(ひみつ)を、矢張(やは)り知っているのである。

祖母(おばあちゃん)は、私が小学校6年の冬に目を(つむ)りました。(おだ)やかで。最期はまるで眠る様に…」

 言葉と同時に祐子の瞳から、はらりと一片(ひとひら)の涙が(こぼ)れ落ちた。無表情の吾郎先生の表情に(かす)かな変化があった。両の眉の根が、ぴくりと1ミリほど上がった。

「あの患者さんが…、5年も永らえた。と、()うのかい?」

 祐子は、(もく)した(まま)、同意の意を示す。

祖母(おばあちゃん)は、愈々(いよいよ)()う時、私を枕元(まくらもと)に呼び、今の言葉を私に(たく)しました」

 吾郎先生はボソリと(つぶや)く。

「そうか、(おそ)らく、おばあさまも君の才能に気がついていた。世界で一番信頼出来(でき)る人間に、最期の言葉を(たく)した。と()(わけ)だね。最後まで、あの合理的知性が(くも)る事は無かったと()う事か…」

(おそ)らく、そうだろうと思います」

「…そうか。本当はあの時の5年前、(すなわ)ち、君が小学校1年の頃に、いつ、そうなっても不思議では無かった。だからこその措置(そち)だったんだが…」

「はい、祖母(おばあちゃん)も常々()れを()っておりました。『私はあの賢者様に救われた』と…」

 其処(そこ)で、吾郎先生はお()やみの言葉を伝えると、祐子は改めて御礼を()い、正太郎と二人して小泉宅を()して行った。


「菜月ちゃん。今の方は…」

 順子先生が祐子の後姿を見送り(なが)(たず)ねる。

「山本祐子ちゃん。いずなの清高での最初のお友達だよ」

 いずなは誇らしげに答えた。そして、吾郎先生も言葉を()える。

「そして、あの山本君のお嬢さんだよ。(すなわ)ち、山本祐子さんのお孫さんと()(わけ)だ」

「あの子が…、あの時の」

 順子先生は其処(そこ)絶句(ぜっく)する。(しか)し、振り絞る様な声で言葉を加える。

「でも、あの時の奥様は、ステージ4。()れも最後の段階でしたわ。とても、5年も生き永らえる様には…」

「僕の見立ても同じでしたよ。あの時、あの方は絶望の中、家族を、特にお孫さんを見守る事に希望を見出(みいだ)していたのでしょうね。でも、あの人には使命があった。実に馬鹿(ばか)げた使命がね。()の使命は、あの人の半生を(つい)やして(まも)()いたものだった。だが、僕には()れが(ひど)くバカバカしいものに思われた。とても、あるべき姿とは思えなかった。だからこそ、余計(よけい)なお節介(せっかい)承知(しょうち)で、手を貸したのだが…」

()れにしても、5年とは…」

屹度(きっと)、生命の奇跡の()せる(わざ)なのだろうね。最大の希望を生み出すのが、絶望なのであれば、最大の奇跡を生み出すのは、矢張(やは)人間(ひと)だ。人の希望と()うものは無限の可能性を()めている。そう()う物なのだろうね。順子さん、我々(われわれ)も医師として、まだまだと()う事なのだろう…」

「…はい」


 いずなは両親の会話を(もく)して聞いていた。話の内容から察するに、祐子の家族に(まつ)わる話なのであろう。両親が()(けん)で、何らかの役割を(にな)ったのは明らかである。いずなは(たず)ねてみたい気もあった。断片的な言葉では、何があったのか推測する事すら困難である。でも、屹度(きっと)()の両親の事だ。()れは、誰かの(ため)になる事だったに相違無(そういな)い。結局(けっきょく)、いずなは()の事を両親に(たず)ねる事はしなかった。()の両親の事である。聞いた(ところ)で、(おそ)らくは口を開く事は無いであろう。


『天と大地の間には、お前の哲学では思いも寄らない出来事(できごと)が、まだまだあるぞ。ホレイシオ』


 人間は全智全能では無いのだ。(すべ)てを知ろうというのは、(はなは)だ、不遜(ふそん)かつ無謀(むぼう)な、(ただ)の思い上がりなのかもしれない。いずなの天稟(てんぴん)嘲笑(あざわら)うかの(ごと)く、いずなの脳裏(のうり)には、()名台詞(めいせりふ)がいつまでも去来(きょらい)していたのだった。

清高、冬の風物詩であるマラソン大会が、愈々、開催される。皆の様々な思惑の中、開催された大会は如何いった経過を辿るのか。運動音痴に悩む少女、祐子の決断とは? 次回、『第45話 走れ!祐子【前編】』お楽しみに。

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