第43話 あけまして桃も李もさくらんぼ【問題編】
20xx年元旦。世間的には、あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。と、敬頌新禧を申し上げる処なのであるが、其の日、正太郎は朝から机に向って、冬休みの宿題に没頭していた。正月の元旦早々から勉強とは、流石は県内屈指の進学校、清水高校の生徒である。と、そう謂いたい処ではあるのだが、其の実、流石でも何でも無い。其れは此処数日の、正太郎の行動を見てみれば、将に、一目瞭然なのである。以下は正太郎の日記からの抜粋である。
18日祐ちゃんと仲直り。やったね。★
19日部室立ち聞き事件。高志、逃げ遅れ、ひろみにボコられる。可愛そうに。
20日終業式。明日は祐ちゃんとデート。
21日徹夜でアマンガス大会。★
22日愛猫と終日昼寝昼寝哉。
23日祐ちゃんとイブイブデート。★
24日クリスマスイブ。祐ちゃんと映画。★
25日高志と切符を手配に静岡の街を徘徊。
26日山梨旅行
27日山梨旅行
28日山梨旅行から帰宅。★
29日みんなでカラオケ。★
30日流石に宿題がやばい。然し現実逃避。
31日大晦日。朝から宿題に取り組む。
と、以上の通りであり、正太郎が焦るのも、宜なる事では無かろうか。まあ、要するに、有り余る青春の全ての力の限りを尽くして、遊び呆けていた訳ではあるのだが、扨、此処で問題に成ってくるのが、此の表に於ける★印である。懸命なる読者諸君は、既に何事かお気づきの事と思うが、正太郎と祐子が、少々、大人の立ち居振る舞いに至った日である。高志、ひろみの、要領を得た言葉で謂い換えれば、パフェを食べに行った日であり、所謂、男女の関係になった日、と謂っても良いだろう。冬休みに入って、旅行中を除いて3日と置かずに行っている。嘗て、正太郎が高志の事を好き者と笑ったものであるが、此の日記を見る限り、とても、高志の事を腐す資格など無い事が、将に一目瞭然なのである。然も、此の二人、行った時は、最低でも3回は事に及ぶのである。28日、即ち、旅行帰りの日の事であるが、溜まりに溜まった若い二人の魂は熱く激しく燃え上がり、何と6回も事に及ぶのである。筆者の如き年配の人間からしてみれば、此れ又、或る意味、実に羨ましい限りなのではあるが、此れは、既に、常識的な回数の範疇を遥かに凌駕しており、自宅暮らしであり乍ら、充分に爛れた生活と謂えるであろう。其の代償として、極度の金欠である。元より、正太郎は、割と貧乏性と謂うか倹約家である。決して金遣いが荒い方では無い。然し、旅行に加え、此の回数パフェ屋に行っているのである。素封家の娘である祐子とは異なり、一般家庭の息子である正太郎には、此れはかなり厳しい。まあ、小遣いの方は、新年のお年玉で充当されるとしてもである。当面の間、大人しくしているより他は無いであろう。第二にパフェ屋に行った後に、宿題などする気に成るかと謂う、極めて、現実的な問題もある。然も、行った際には必ず、非常識的な回数、事に及んでいるのである。正太郎が如何に絶倫であったとしても、中々に、難しいであろう。加えて、清水高校の宿題の場合、宿題として、決して難易度が低い物では無い。鯔の詰まりが、其れや此れやの要因により、新年早々、正太郎は机に向う羽目になったと謂う訳である。
扨、お話は一日ほど遡る。前日の大晦日の事である。勉強に関しては、いつもはスロースターターである正太郎であるが、其の日は朝から真面目に机に向っていた。其れで無くとも、昨日は一日中ゴロゴロしており、みにゃらと一緒に昼寝などしているのである。其れだけに、宿題の進捗状況が、刻下の急務であり、目を逸らし続けた喫緊の課題であった事は謂う迄も無いのであろう。昼過ぎに、一度、祐子からの架電があった。内容は、今日、23時過ぎに近所の神社に行こうと謂う事である。扨、其の宿題であるが、正太郎は先ず、世界史から着手した。此れは、此の学校で最初に学んだ事である。と謂うのも、中学校時代は、宿題なり、テスト勉強であっても、先ず、苦手な教科から取り組んだものである。其れで無くとも、苦手な教科の底上げを少しでも図りたいと謂うのは、人情であるし、苦手教科を最後に残して、やりきれなかった場合、不安しか残らない。処が、此の学校の宿題の場合、正太郎の苦手な英語とか数学とかになると、難易度が高過ぎて、実際のところ、効率が悪過ぎるのだ。何時間掛けても一歩も進めぬことも粗であり、其れこそ、『何の成果も得られませんでしたあ』、何て事は普通にあるのだ。正太郎も、入学直後、最初のテストで其の事を学習して以来、まず、好きな科目から潰して行く事を、頓に、心掛けている。此れは、或る意味、苦肉の策であって、詰まる処、最後に苦手な教科が山の様に残る羽目になりかねない。朝からぶっ続けで世界史をやった後、夕方頃、昼食兼夕食として、慌てて蕎麦を手繰り、其の後は生物を始めた。そろそろ、佳境と謂った頃、再び、祐子から電話があった。時計を見ると、彼処れもう、23時10分である。朝からぶっ続けで机に向って居た事になる。此の辺りは、如何に正太郎と謂えども、流石は清水高校の生徒と謂えなくも無い。
「ああ、もう、こんな時間か。ごめんごめん、祐ちゃん。今から、支度して行くよ」
「うん、分った。待っているね」
祐子の楽しそうな声が、電話の向う側から聞こえた。正太郎は電話を切ると、俄かに支度を始め、母親に声を掛けた。
「母さん。祐ちゃんと、小芝神社に、お参りに行って来るよ」
「はーい。気をつけてね。あーそうそう祐ちゃんの家に行くんだったら、此れ持って行って。おすそ分け。鹿児島名物かるかんと薩摩揚げ。祐子ちゃんのお母さんに宜しくね」
「ああ、分ったよ」
正太郎は母親から、白いビニール袋を受け取ると、すぐさま、自転車に跨り祐子の家を訪ねるのであった。
家を出て、渋川橋交差点に差し掛かると、渋川橋の方から、乾いた凍風が吹き降ろす。正太郎は交差点を渡ると、頓て右に折れて渋川橋に向って坂道の歩道を登り始めた。強烈な寒風で、自転車すらも押し戻される様な感覚がある。正太郎は全てを諦め自転車から降りると、自転車を曳いて歩き始めた。渋川橋の坂道の頂上、橋の袂では、寒風が巴川方向から吹き荒んでいる。正太郎は思わず、ぶるると寒そうに肩を窄めると、コートの襟を立て、慌てて坂道を祐子の家の方へと下って行った。
直に祐子の家である。祐子の母親が出て来た。既に留袖姿である。正太郎はにこやかに年始の挨拶を言上する。
「あっ、おばさん、明けましておめでとう御座います。…まだ、ちょっと早いけど」
「あらまあ、正ちゃん。いらっしゃい」
「あの、此れ。おふくろから」
「まあ、何かしら」
「薩摩揚げとかるかん」
「まあ、鹿児島にでも行ったの?」
「ええ、親父の実家が彼方なんで…」
其処へ支度を整えた祐子が出て来る。旅行の時と同様、ジャンパースカートにコートを羽織っている。
「わあ、正ちゃん。いらっしゃい。自転車で行く?」
「いや、祐ちゃん。厚着して徒歩の方が良いよ。凍風が結構すごいや」
素封家の娘である祐子の事である。当然、振袖姿も有り得るとは思っていたのだが、少々、当てが外れた。祐子の母親もそんな正太郎を見透かした様に斯う謂う。
「ほら、祐ちゃん。正ちゃんも残念がっているでしょ。折角、振袖買ってあげたのに…」
「ええーっ、だってあれ、結構、疲れるもん」
「もう、何、謂ってるの。一年に一度の事なんだから…。正ちゃんだって、新年の始めには、昆布巻きの一つも摘んでみたいに決ってんでしょ」
正太郎は真っ赤になって俯く。恐らくは、此の母親の事である。当然の事として、御節料理の話などでは無いであろう。例え若し、料理の話であれば、抑々、会話の前後で、まるで文脈が噛み合わない。隠語の方に決っている。其れにしても、此の母親は自分の娘を出汁にして、実に飛んでも無い事を謂う。正太郎は瞿然とした思いで、呆れた様に祐子の母親を見上げる。まあ、最近は正太郎に対して、其れだけ慣れて来たと謂う事でもあろう。然も、娘と正太郎との関係性は概ね知悉している様なのである。斯う謂う軽口も出るのであろう。祐子は顔をあからめ乍らも、上目遣いで尋ねた。
「えっ、そうなの? 正ちゃん。其れなら、すぐに着替えて来るけど…」
祐子も無邪気に、実に霰も無い事を口走る。
「でーっ、全然違う。流石に今日は身軽な方が、其の…。あっ、いや、いつもどおり…」
「あはははは…」
忽ち、祐子と母親の明るい笑い声が響き渡る。一瞬、想像の中、駅前の『アマルフィ』の一室で、携帯にて振袖の着付け方を懸命に調べている自分が居た。然し、正太郎はブルルと首を振り、何とか其の不埒な妄想を絶ち切った。何と謂っても、今日、祐子の家には、普段留守がちな父親もいるのである。ばれたら、其れこそ、出禁位では済まない。其れにしても、母娘二人掛かりで、純情な草食系少年をいたぶる。全く以って、此の母にして此の娘ありなのである。
以前にも描写したが、正太郎や祐子が住む渋川橋周辺は、最近では、一端の住宅街となっており、今でこそ、大型商業施設も犇いているが、其の昔は巴川の氾濫の名残で、沼地や池や低湿地帯だった処を埋め立てて、出来あがった様な土地である。筆者が幼い頃は沼地や三日月湖等が、数多残されており、其れ故に、母親に謂われる儘に、金魚の餌となる、水蚤や水蠆。田螺の卵、布袋葵を良く採りに行ったものである。其れら沼地や貯木場は何時しか姿を消し、埋め立てられ工場になった。当時は、実にごみごみした処で、ガシンガシンと、巨大鎚を打つ音や、チュイーンと謂う、製材加工の鋸の刃音が響き渡る、或る種、妙な活気のある街ではあった。巴川や大沢川沿いに大小様々な工場が、雑然とし乍らも櫛比しており、合板工場や鍍金工場、何本もの煙突を生やした工場、鉄工所、金型工場の参差錯落とした外観は、不揃い乍らも風景に見事に調和していた。其れらの工場群からは、紅や、碧や、緑の毒々しい迄の色合いの工業排水が、川に注がれており、時折、巴川を有り得ない様な色合いに染める事もあった。夕陽に映えた心ぶれた工場群も、秋茜が飛び交う貯木場も、今は清水の街でも見かけなくなってしまったが、此れも、紛れも無く、昭和の高度成長を支えた風景のひとつであり、今にして思えば、黄昏に消え行く、セピア色の昭和の原風景であったのだろう。
そんな次第であり、正太郎、祐子の家周辺は、所謂、場末の街と謂っても良かった。家の前の県道67号、正太郎と祐子の家を隔てる渋川橋の通りは兎も角として、祐子の家の前の巴川沿いの道など夜になると、心寂れた人気の無い道だったのである。然し、大晦日の深夜と謂う、此の日、此の時間だけは少し違う。深夜であるにも拘らず、周囲が何処かざわついており、いつもと異なり、新しい年を迎える、妙な活気に満ち溢れていた。正太郎と祐子は小芝神社に向かい、県道67号線を駅の方向に歩いていった。小芝神社はいずなが、みにゃらを拾った神社であり、正太郎達の学区であり乍ら、正太郎や祐子の家から、然程近いと謂う訳でも無い。二人はテトテトと散歩でもする様な心持で歩を進める。
頓て、二人は二の丸小学校へと折れる細い路地の様な道へと足を踏み入れた。此の道は路地の様な道ではあるが、昔からの街道ではある。駅から真直ぐに伸びた県道67号線と、斜めに交差する形の此の道は、永楽町の六助の家の辺りを掠めると、高橋と謂う、昔乍らの集落にぶち当たる。江尻地区と高橋地区を一本の道で繋いでいる処からも、恐らくは昭和の時代からの主要な街道であったに相違ない。此の道。再三描写して来た様に、路地裏の様な道なのであるが、何と其の昔は、路線バスが通っていたのである。普通車ですら容易に行き違う事が難しい此の道を、バスが通っていた事自体が驚嘆に値する。
正太郎と祐子は、二の丸の交差点で旧国一を横断すると、二の丸稲荷神社に立ち寄った。此処の神社は幼稚園のむかいにある、極小さな神社なのであるが、一平の家の裏手である。話に因れば、一平の家も此処の神社の氏子であり、あるいはと思ったからである。寄って見ると案の定、ジャージ姿の一平が大人たちに混じってお神酒を飲み乍ら、焚き火の番をしている。
「おっ、正太、祐子ちゃん。明けましておめでとう」
一同は、新年の挨拶を済ませた。すると、正太郎たちは、もう行くと謂う。
「なんだ、もう行くのか? もうすぐ、六助と修吾とヤスがくるぞ」
アルコールのせいもあるのだろう。此の男、何時に無く多弁である。
「ああ、すまんな。彼奴等にも宜しく伝えておいてくれ」
正太郎達は二の丸稲荷を辞すと、当初の目的だった小芝神社に向った。小芝神社は二の丸稲荷に較べれば格段に大きな神社である。地元の氏神さんであり、見知った顔も幾人か参拝している。筆者も此の神社は子供の頃からの遊び場であり、時折やってくる、紙芝居屋の一本50円の水飴を舐め乍ら、紙芝居を見たものであった。彼らは紙芝居を餌に、水飴を子供達に売り捌くのである。そして、一番飴を白濁させた子供は、一本飴を無料で貰えるのである。今にして思えば、子供騙しも良い処なのであるが、当時、昭和40年代には、テレビも普及したてであり、此の手の如何わしい行商人は未だ生息しており、当時の子供達の細やかな娯楽の一つでもあった。当時、ラムネが一瓶20円前後の時代であり、後々、社会問題にまで成った、仮面ライダースナックが一袋20円だった事を思えば、50円と謂う価格は中々に高額なものであった。まあ、今にして思えば、此れも消え行く昭和の原風景であったのであろう。
扨、閑話休題。深夜零時をまわる直前頃から小芝神社に居合わせた人々たちの間で、突如としてカウントダウンが始まった。
5、4、3、…0.
ハッピーニューイヤー。
あけましておめでとう御座います。
様々な敬頌新禧が飛び交う中、正太郎と祐子は新年を祝いあった。思えば、昨年はいろんな事があったものだ。今年も良い年で有りますよう祈念して、お参りを済ませ、帰路に着いたのであった。
扨、明くる日の一月二日の事である。当日、いずなの家では朝も早いうちから、結構、大童であった。幾ら子供達の集まりだとは謂っても、何の準備もしない訳にはいかぬであろう。然し、其処は予期せぬ、助っ人たちが現れたのである。まず、六助の両親たちが揚げたての大量のから揚げを持ち込んだ。また、小百合の家の父親と、敬介の父親が新たに突き入れたお餅をそれぞれ持ち込んだ。また、葵の家からは新巻鮭が届けられた。斯くして、子供達だけだと思われた集いは、其れに関わる大人たちの手に因って、華やかに、そして、艶やかに彩られて行ったのである。
当日、9時過ぎ。一時間も早く村松原の交差点脇の小泉医院に到着したのは、正太郎と祐子であった。正太郎は水色のトレーナーにジーンズ。祐子は鶯色のセーターに茶色のスカートと全くの普段着の儘である。彼らは準備のお手伝いをする心算で、一時間早くやって来たのであった。彼らを迎えたのは、鮮やかな赤の振袖姿のいずな、黒の留袖姿の順子先生、そして、羽織袴の吾郎先生であった。流石に元プロ棋士である。其の姿、何処と無く威厳に満ちている。一同は新年の挨拶の後、早速、準備のお手伝いを始める。その間にも、みうみう、ひろみ、高志、明彦、凛子らが到着した。みうみうは赤のトレーナーに白で犬のペイントがされている。下は気軽なジーンズ姿である。
「うわー、みうみう。其れかわいい。ペスだね」
早速、祐子が食いつく。
「そーだよ。ペスそっくりだから、買っちゃった」
「うわあ、いいなあ。後から何処で買ったか教えてね」
「うん。いいよお」
そんな、長閑な件があるかと思えば、浅葱色のセーターにジーンズのひろみが、いずなに対して語り掛ける。
「うわあ。いずな振袖なんだあ。綺麗だね。良く似合っているよ」
「ムッキー、ひろみっちこそ、振袖かと思った」
ひろみは、大仰に手を横に振ると、
「無理、無理、無理。昨日、一日着てたけど、あれって、拘束着と変らないわよ。大体、あれじゃあ、喧嘩も出来やしない…」
革ジャンにジーパンの高志が呆れる。
「抑々、新年早々、一体、誰と喧嘩する心算なんだ。物騒な奴だな。手前は?」
其の高志であるが、いずなのご両親と対面した時の事である。何やら怒っている。
「やい、こら、いずな」
「ムッキー。何よハロゲン族」
「手前も人が悪い。こんな綺麗な姉ちゃんがいるなら、何故、先に謂わねえ」
「まあ、お上手な」
順子先生は、娘の様にぽっと頬を赤らめると、満更でも無い風である。吾郎先生の奥方は、矢張り傾城の美女である。其の美しさは稀世の感が有る。
「ムッキイ。其の人、いずなのママだよ」
「へっ」
高志は目を丸くすると、順子先生と吾郎先生をまじまじと見較べる。そして、徐に、斯う謂った。
「…いずな、お前、ひょっとして父ちゃん似か?」
「ムッカー、何か失礼! いろんな意味で」
然し、透かさず、ひろみが後ろから高志を締め上げると、吾郎先生に謝った。
「先生。すみません。後から良く謂っておきますから…」
「ぐえぇ…」
高志は半ば白目をむいている。吾郎先生は一向に気にした風も無く、
「はっはっは。元気な子供達だねえ」
と、笑い飛ばしている。
「ムッキー、笑っていられるのも、今のうちだけだよ。パパ」
いずなが渋い顔で釘を刺す。続いて葵、ヤスベエ、小百合と良介、千穂の兄弟、敬介。そして、最後に六助と一平が到着し、全員集合と相成った。会場であるいずなの家では、普段使っている居間の他に、客間2部屋と吾郎先生の書斎を開放して会場とした。一同は順子先生が腕によりを掛けたご馳走を始め、六助の父ちゃんが持ち寄った鳥の唐揚げ、敬介、小百合が持ち寄ったお餅。いろんな料理を前にジュースで乾杯をした。
「あけまして、おめでとうございます」
愈々、怒涛の大宴会が開催された。食事の後には、順子先生、祐子、凛子、葵に因る百人一首大会。女たちの熱き戦いである。其の傍らでは、正太郎の懇願により、吾郎先生との囲碁対決が実現している。吾郎先生に井目風鈴で相手をしてもらってはいるが、元プロ棋士のタイトルホルダーである。其れでも相手にすらならない。高志、いずな、良介、千穂はモニターの前でぷよぷよ対決である。かと思えば、小百合、六助、一平、みうみうはカタン対決である。明彦とヤスベエは何事か和やかに談笑している。
「正月って謂ったら、やっぱり、双六だろ」
と謂う高志が、いずなと西洋双六対決を始める。頗る意外な事に、結果は高志の3戦全勝であった。
「むっきー。強いなあ」
「はっはっは。兄貴に鍛えられたからな」
「へえぇ。菜月ちゃんに勝ったのか。なら、今度は私とやろう」
今度は吾郎先生との対戦である。其れでも、尚、高志の2勝1敗である。
「はっはっは。本当に強いねえ」
吾郎先生は素直に褒め称える。
「ムッキー。何か悔しいなあ」
「いずなちゃん、気にするなよ。所詮は賽子勝負なんだろ?」
慰めるのは敬介である。
「違うよ。ケースケ。あのゲームは如実に実力差が出るんだよ。彼奴の一手一手は、普通にAIレベルだよ」
「そうなんだ…」
「いやあ、完敗だ。君、西洋双六は本当に強いねえ」
「見たかいずな。元プロのお墨付きを貰ったぞ」
高志は鼻高々である。
「別に、パパ、西洋双六の元プロじゃあ無いんだけど…」
いずなは少々むくれている。
頓て、一段落着いた時の事である。徐に、呟き始めるのは祐子である。
「そう謂えば正ちゃん」
「?」
「今回もあったのかなあ…」
「?」
「いや、あのね。数学の補習の、羅漢先生のクイズ」
正太郎は、祐子の謂わんとしている事が、漸くに飲み込めた。確かに薬缶は、去年の夏休み、数学の補習では、中々に難易度の高いクイズを出題していたのだった。
「さあ、如何だろう? 俺、今回は補習じゃ無かったから…」
「あっそう謂えば、そうか」
「そうだよ。ひどいよ。もう」
此の決め付けは、流石に正太郎に対して失礼であろう。祐子は、正太郎が数学の補習を回避した事を一緒に喜んでくれていた筈である。然し、つい、イメージが先行し、此の様な発言に及んでしまったのである。昨今で謂う処の無意識下の偏見と謂う奴であろう。其れでも、正太郎は然程怒った風も無く、
「ほら、其処に敬介がいるよ。聞いて見ようよ」
と謂い。
「おーい、敬介」
と、何事かいずなと談笑している敬介に声を掛けた。敬介は今回、数学の補習を受けているのを正太郎は知っている。流石に此の場合は無意識下の偏見には当らない。
「ん、如何した正太?」
敬介は気さくに応じた。正太郎と祐子は事情を説明すると再び尋ねた。敬介は徐に考え込むと、呟いた。
「そう謂えば、確かあったなあ。何でも桃とメロンを何とかするってな、問題だったけど…」
「詳しく!」
祐子がすかさず食いつく。然し、其れに対する敬介の回答は、祐子を失望させるものであった。
「ごめん。祐子ちゃん。詳細は全く覚えて無いよ」
此れは、敬介の謂う事を一概には責められないであろう。あの時、敬介は補習の後にいずなとのデートが控えており、補習に対しては気も漫ろであったに相違無い。
「むっきー。ケースケったら。授業はちゃんと聞かなきゃ駄目でしょう」
「ごめん、いずなちゃん」
祐子は残念そうに呟いた。
「えーと、いずなちゃんは…。流石に出てないか」
「ごめん。ゆーちん。流石にいずな、補習には出て無いよ」
いずなは思わず苦笑する。祐子はクイズ知りたさで、状況認識能力が多少混乱を来たしている様である。正太郎は兎も角、学年有数の優等生で自身と同等水準のいずなに聞いた処で、補習になぞ出ている筈が無いのだ。祐子は思わず辺りを顧眄する。
「流石に葵ちゃんも…。出てないよね?」
「一体、何の話?」
更に祐子は顧眄を続ける。
「高志君も…。違うよね?」
「一体、何の話だ?」
此れは、いくら何でも、流石に彼らに失礼であろう。クイズ知りたさとは謂え、葵、高志ともに数学上位組。学年二桁順位なのである。数学補習に参加している姿は想像出来ない。然し斯うして見ると、此のメンバー、割と優等生が多いのである。補習受講者を探すのは、意外にも難しいのである。祐子は彼らに事情を説明して、高志達にも協力を仰いだ。
高志が状況を理解して、得意そうに謂った。
「つまり、今回、数学の補習受講者を探せば良い訳だ。だったら簡単じゃねーか。おーい、正太…」
「おい、ふざけんな。俺は今回は、違うと謂っただろ」
高志は周囲を顧眄する。
「まさかな。だが、ワンチャンあるかもしれねえな。おーい、明彦…」
「ある訳ねーだろ。締め落すぞ、こらっ」
冷やかに返す明彦を尻目に、最後に辿り着いたのがひろみだった。
「ひろみ、お前は…」
だが、ひろみは後ろから高志を締め上げている。
「ある訳無いでしょ。大体、あの時、二人で何処行っていたと思って…」
「うっきー。何処に行ったの?」
みうみうの返しに、はっと我に帰るひろみ。しどろもどろになり乍ら、
「パ、パフェを食べに行っただけよねえ。ねぇっ、高志」
だが、肝心な高志は同意をせずに、白目を剥いている。
「むっきー、みうみうは、今回、補習出たの?」
「うん。出たよ。英・数・国。主要3科目は全て出たよ。皆勤賞だよ」
と、余り自慢にもならぬ事を自慢する。其処で祐子ががばっと身を乗り出す。
「ねえ、みうみう。数学の補習の事なんだけど…。羅漢先生、何かクイズを出さなかった? 如何?」
「うーん」
首を傾げて考え込むみうみうであったが、頓て、ニッコリと微笑むと斯う謂った。其の仕草、足跡処気ない幼女の様で、中々に可愛らしい。
「うーん。なんか果物を一杯買う話だったよ。桃とか、栗とか、西瓜とか…」
「詳しく!」
祐子が身を乗り出すも、みうみうは済まなそうに答える。
「ごめん。ゆーちん。其れ以上の情報は思い出せないよ」
「そう…」
祐子は頗る残念そうに頷く。だが、祐子は諦めない。カタン中の六助と一平に事情を話した。然し、一平からは、
「すまん。祐子ちゃん。如何謂う訳か不思議な事に、補習中の事は一切合切記憶が無いんだ…」
「不思議でも何でもねーだろ。手前は終始一貫して爆睡してたじゃねーか?」
「何だと? そう謂う手前は如何なんだ?」
「ばかやろ。覚えている訳ねーだろ。何やら果物を沢山買う話をしていたが…」
「詳しく!」
「すまん、祐子ちゃん。俺も其れ以上は覚えてねーわ」
「うううーっ」
地団駄を踏んで悔しがる祐子。高志が残念そうに声を掛ける。
「流石に万策、尽きたか…」
「ううん。未だ望みがあるよ。そ、そうだ。正ちゃんなら。ねえ、正ちゃん確か出ていなかったっけか?」
「怒るよ、祐ちゃん。…もう」
「そうだ! 良い考えがある。羅漢先生に電話をして聞けば良いんだ」
「うわあ、待て待て、新年早々、薬缶だって迷惑だろうに…」
正太郎が慌てて止めに入る。祐子は問題知りたさで、多少、常軌を逸している。騒ぎを聞きつけたヤスベエが顔を出す。
「もう、一体、何の騒ぎ?」
「あっ、康代ちゃん。康代ちゃんね、数学の補習出た?」
「出たわよ。みうみうと一緒に。英数国、皆勤賞だったよねー」
「だよねー」
ヤスベエとみうみうは妙な処で互いに傷を舐めあっている。
「ねえ、康代ちゃん。其の時に羅漢先生、何かクイズを出さなかった?」
「ああ、恒例の奴ね。出してたよ。何か果物を一杯買う話」
「詳しく!」
「待ってよ、祐子。流石に覚えて無いわよ」
「駄目かあ…」
「でも、安心して、祐子。其れなら確か…」
指でぽちぽちと携帯を操作すると、祐子に見せた。
「ほら、清高通信に載っていたよ。薬缶の奴、補習の後で掲載したのね…」
清高通信とは清水高校の所謂HPである。正太郎達も、時折、閲覧はするものの、流石に其の様なトピックス的な記事には気がつかなかった。其れは以下の様な問題であったのである。祐子は自身の携帯を凝視する。いずなも件の問題文をノートパソコンで確認した後、透かさず、プリントアウトした。以下を列挙する。
『桃も李もさくらんぼ
花子さんは、おばあちゃんから6,000円貰いお使いを頼まれました。
水蜜桃 340円。
メロン 290円。
さくらんぼ 17円。
すもも 51円。
全て、最低一つは購入した場合、6,000円を全て使い切るとしたら、メロンは何個購入する事になるのでしょうか?』
「へええ、此れかあ」
祐子からは思わず安堵の溜息が洩れた。余程、問題を知りたかったのであろう。
「だが、妙な問題だな。一見、ただの鶴亀算の様にも思えるが…」
疑問を口にするのは明彦である。
「鶴亀算な訳あるか。鶴さんと亀さんの他に犬さんと猫さんも混じってやがるじゃねーか。みうみうのバカめ。大体、西瓜も栗も入ってねーじゃねーか。よーし、斯くなる上は…。一度、自慢の其の西瓜触らせろ。ついでにモモとクリも…」
「うっきゃあ、何、すんの。ハロゲン族。変態!」
「どさくさに紛れて、何、とんでも無い事、しようとしてんのよ」
ひろみが後ろから、脳天に肘打ちをお見舞いする。
「其れにしても、妙だな。此れって、6,000円全てを使い切る前提であれば、メロンの個数は特定されると謂う事だよな…」
「そんな事ってあるのかしら…」
明彦と凛子が、問題に対する違和感を口にする。其処で異論を唱えるのはみうみうである。
「えっ、でも、其の問題なら、みうみう、補習中に解けたよ」
「えっ、まじか?」
驚く敬介。
「俄かには信じ難い話だが、如何やったんだ? 謂ってみろよ」
と、高志が疑り深げに謂う。
「簡単だよ。まず、おばあちゃんの希望どおり、各品目を1個づつ買うの」
「ふむふむ」
「うっきー、此れで698円でしょ。其れで、残りの5,302円は恵まれない子供達に寄付をするの…。此れなら天国のおばあちゃんも、屹度、喜んでくれるよ」
「うわあ、何、謂ってやがる。駄目だろ、其れは」
「えー、駄目じゃないよ。人として正しい事なんだよ!」
「人として、正しいかも知れねえが、クイズ的には駄目だろ。大体、どさくさに紛れて、勝手にばあちゃんを殺してんじゃねえ! 全く、乳がでけえ癖に使えねえなあ」
「むっかあ」
みうみうがふくれている。其れを見ていた六助が口を挟む。
「お前なあ、こんな問題でみうみうを当てにして如何する?」
「なら、お前には判るって謂うのか?」
「ったりめえだろ。まず、西瓜と真桑瓜を買うんだ。あれはうめえからな」
「おい、何か、また新要素が出てきたぞ? 真桑瓜なんてあったか?」
敬介が疑問を呈するが、高志は先を促す。
「其れで?」
「残りはスパイクを買う資金の足しにするに決ってんだろ」
「うわー、何て事すんだ。手前は。クイズ以前に、人として駄目だろ。ばあちゃん、泣いちまうぞ」
「なーに、ばあちゃんも可愛い孫の為だ。草葉の陰で、屹度、喜んでくれるさ」
「たく、何奴も此奴も、碌なもんじゃあねえな。挙句の果てに、勝手にばあちゃん殺しちまうし…」
高志が嘆息する横で、敬介が呆れる。
「お前なあ、彼奴らに何を期待してたんだ。本当に解けたんなら、問題ぐれえ覚えているだろうに…」
「でも、此れなら正太が作ったVBAが使えんじゃね?」
「『つるかめ君』か? ありゃあ、無理だ。そんな仕様になってねえもん」
「何だそりゃ」
突っ込みを入れる高志に六助と正太郎。彼らが話しているのは、正太郎が中学3年の夏休み自由研究で発表した自作のVBAの事である。表題を『つるかめ君』と謂う。六助が続ける。
「如何せ、おめえのHPに未だ貼ってあんだろ。いずなの姉ちゃんちょっとPC借りるぜ」
「ちょ、ちょっと…」
六助は正太郎のHPにアクセスすると、件のページを開き、ZIPファイルをDLした。いずなが不安げに声を掛ける。
「ちょっと、正ちん。此れ、大丈夫なんだよね?」
「多少、ウイルスっぽい動きをするが、大丈夫だ。問題ない」
「何か、不安しか無いんだけど…」
ZIPファイルを解凍すると、エクセルファイルが現れた。確かに、ファイル名が『つるかめ君』となっている。其のエクセルファイルを開くと、ババンとユーザーフォームが現れた。
『つるかめ君へようこそ。早速ですが、つるさんとかめさん全部で何人ですか? 自然数でお答えください』
「何人って何だ? つるさんもかめさんも人じゃあねーだろ」
「細けぇこたぁ良いんだよ!」
やりあう敬介と正太郎を他所に、高志は入力する。
「おー、結構本格的だな。えーと、2人と…」
『足は全部で何本ですか? 自然数でお答えください』
「えーと6本と…」
すると、エクセルシート上に、
x+y=2
2x+4y=6
x=1,y=1
と表示された。高志が感心する。
「なんか、バカバカしいが、見事なもんだ」
祐子も我が事の様に自慢する。
「でしょう。其れにエラートラップがとても秀逸なの。例えば、足の数を奇数入れてみて」
ブボッと謂う警告音と伴に、以下の警告が表示された。
『足の数がおかしいです。扨は第三の足まで数えてますね?』
「く、くだらねえ」
「何か、馬鹿馬鹿しいわねえ」
明彦と凛子が呆れる。
「他にも例えば0を入れてみて」
『私は自然数に0を入れない派なんです』
「…」
「だから、何なんだよ」
「其れでもう一回間違えると…」
『テメエ3回も間違えやがって。もう、頭に来た。此のPCの全データを消去してやる!』
「ムッキー。何なの、此のVBA。正ちん、本当に大丈夫なんでしょうね? 此れ」
「ああ、大丈夫だ。ただの冗談だ」
「本当にウィルス紛いの動きをするなあ…」
否定的な方向に感心する敬介に加え、明彦も呆れる。
「唯のブラクラじゃねーか」
「其れで、根源的な質問なんだが。此のいかれたVBAが、此の問題の解決に何処か寄与するのか?」
「うんにゃ。多分しねーよ」
「アホか手前は」
「だから、端から関係ねえって謂ってただろうが。文句なら六助に謂え」
其の六助であるが、さっさとカタンに戻ってしまっている。
いつものメンバーが落語の様な件をつけている中、鉛筆を咥えたいずなが祐子と向かい合う。
「うーん、ゆうちん。如何思う? エクセルかなんかを使って、力技をすれば何とかなるとは思うんだけど…」
「でも、いずなちゃん。あの羅漢先生がそんな問題を出すと思う?」
「其処なんだよねえ…。確かにそう考えれば、何か論理的な解法があるとは思うんだけど…」
其処へ子供たちから解放された吾郎先生がやって来た。一様に首を傾げている一同に、訝しげに声を掛けた。
「おや、如何したんだい? 君達」
いずなは黙ってプリントアウトした紙片を渡す。吾郎先生は、ふむふむと頷き乍ら、一読していたが、読み終えると、斯う謂った。
「成程ね。中々に面白い問題だね」
「えっ、パパ。ひょっとして判ったの?」
「ははは。まあね」
「むっきー。教えて、パパ」
「駄目だよ。菜月ちゃん。こんな良質な問題には、滅多にお目にかかれ無いよ。斯う謂う良い問題は、ちゃんと自分で考えないと…」
「ムッキー。何時ぞやのゆうちんみたいな事を謂ってる…」
「此処で答えを謂うのは簡単だが、解けてない人間からしてみれば、100%、『何故?』と謂う問いが帰ってくる。良いかい? 斯う謂う問題はね、まあ、全てのパズルがそうなんだが、其の何故と謂う部分が一番重要なんだよ。即ち、論理の部分なんだがね。だから、論理が判れば自ずと解答も現れると謂う訳さ。まあ、此の問題は解法は幾らもあるとは思うけど…」
其処へ良助と千穂がやって来た。
「あっ、おじさんいた。さあ、早くぷよぷよやろうよ」
吾郎先生は子供達に捕まってしまった。だが、諦めきれない敬介が声を掛ける。
「待ってください。お父さん。せめて、ヒントだけでも…」
吾郎先生は立ち止まって、優しげに答えた。
「そうだね。其の問題の表題が最大のヒントだと思うよ。恐らく、出題者もそう考えて、其の表題にしたと思うからね」
吾郎先生はそう答えると、子供達に連れて行かれてしまった。
あけまして桃も李もさくらんぼ
一同は途方に暮れ、顔を見合すばかりである。
【新年緊急特別告知】
『桃も李もさくらんぼ
花子さんは、おばあちゃんから6,000円貰いお使いを頼まれました。
水蜜桃 340円。
メロン 290円。
さくらんぼ 17円。
すもも 51円。
全て、最低一つは購入した場合、6,000円を全て使い切るとしたら、メロンは何個購入する事になるのでしょうか?』
扨、此処で本を置いて考えてみよう。意外とスッキリ解けますよ。其れでは、読者の皆様。良いお年を。
さて、久し振りの数理パズル物です。今回は前後編にして見ました。1ヶ月時間が有りますので、じっくりといて下さい。次回、『第44話 あけまして桃も李もさくらんぼ【解決編】』。お楽しみに。




