第41話 私もあるよ!(石和温泉旅行編【5/6】)
扨、前回は、正太郎の思い出話に、聊か、紙面を割きすぎた。此処いらで、閑話休題する事にしよう。武田神社を後にした正太郎たちが、次に向ったのは、甲州市である。甲州市は旧塩山市、旧勝沼町、旧大和村の3市町村による合併で出来た市である。従って、市の代表駅は旧市名である、塩山駅となる。甲府盆地の東側に位置し、旧勝沼町を抱えている処から、勝沼地区の扇状地を中心に、葡萄や桃など果樹の栽培が盛んである。市の中心は旧塩山市市街地が中心となる為、市全体を俯瞰するに、かなり、西側に偏っている事となる。扨、目的は甲州市にある武田氏の菩提寺でもある恵林寺である。此の寺は、鎌倉時代に夢想国師が開いた寺として知られ、快川紹喜和尚の、『安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し』、の遺偈が頗る有名である。天正10年、六角義定の引渡しを拒んだ快川紹喜和尚は織田勢に取り囲まれ、此処の山門に押し込められ、火を放たれた際に、此の偈を唱えたと謂う逸話が残る。今の恵林寺にも立派な山門があり、此の偈が扁額として掲げられている。当時の山門は、当然、天正10年に灰燼と帰した訳であるから、其の後に建立されたものであろう。今の山門も大きく立派な物であるが、其の当時の物は、更に巨大な物であったと伝う。
扨、其の恵林寺を訪れた一行であるが、みうみうが件の扁額を徐に見上げる。
安禅不必須山水
滅却心頭火自涼
「うわぁ。漢文の授業だぁ。ねえ、正ちん。何て読むの? 何て読むの?」
「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し…」
「如何謂う意味なんだ?」
漢文の赤点コンビが、正太郎を捕まえて、矢継ぎ早に質問する。
「うーん。まあ、要約すると、修行をするには、何も特別な環境は必要無い。無我の境地に達すれば、火も涼しく感じられるものだ。と、謂う事かな」
「此の快川紹喜さんって人の作なの?」
正太郎は笑い乍ら、謂った。
「違うよ。此れは偈だからね。元ネタは唐代の詩人である杜荀鶴の『夏日悟空上人の院に題す』だよ。
此の内の、下二句が原典だよ。杜荀鶴がお寺で修行する禅僧を詠んだ詩なんだ。快川紹喜が敵方の織田の軍勢に囲まれ、火を放たれた際に、斯う謂って、他の僧たちを励ましたとされるけど…。ほら、其処に快川紹喜や殉死した僧侶の供養塔があるだろ」
正太郎が説明する。正太郎が指差す方には、石灯籠に囲まれて、ひっそりと供養塔が置かれていた。
「へえぇ。そうなんだ。正ちん、よく知ってたね」
みうみうが思わず目を丸くする。
「えへへ、実は、今回旅行するに当り、事前に調べて居たんだよ。そうそう、都合よく覚えていられるもんか」
正太郎は、笑い乍らネタバラシをする。其の詩は以下のとおりである。
三伏閉門披一衲
兼無松竹蔭房廊
安禪不必須山水
滅得心中火自涼
訳すれば、以下の通りになるのであろうか。
猛暑三伏の候にも寺門を閉ざして、きちんと僧衣を着る。
此の寺には、部屋や廊下を覆う松や竹もない。
ああ、安らかに座禅を組むには、必ずしも山水の地を必要としないのだ。
無念無想の境地に達すれば、火もまた涼しく感じるものなのだなあ。
此の詩は、七言絶句の形式になるのであろう。七言絶句では、一句、二句、四句の末尾で脚韻を踏む事となっているが、此の詩も、ノウ、ロウ、リョウと脚韻を踏んでいる。そして、起の句で発して、承の句で受ける。転の句で視点を転じ、結句で全体を纏める。所謂、起承転結の形式を、見事に踏襲している。
「そうか、正ちゃんも、予め、調べていたんだ」
「うん。折角の、甲州旅行だからね。話があった時に、躑躅ヶ崎館と恵林寺は、是非、行って見たいと思ってたんだ。『正ちゃんも』って、謂う事は、祐ちゃんも?」
祐子は嬉しそうに、含羞み乍ら、答えた。
「うん。昨日、車で行く事が決まった時に、調べたの」
「あはは、そうなんだ」
二人の愉快そうな笑い声が、寂然とした林間のなかに、楽しげに響く。此れが夏の季節にあれば、如何にも涼しげな環境なのであろうが、此の季節にあっては、聊か、寒々しい。目の前を、木から放たれた桐の葉が、北風に乗って、悠然と泳いで行った。件の山門を潜ると、割と開けた境内にでた。此の先は本堂である。入口の両脇には、如何にも禅寺らしく、花頭窓が設えてある。入口上方には、武田菱を幾重にも模した、大きな組子欄間が、お出迎えである。本堂の縁側を歩いてみると、お庭は枯山水式の方丈庭園であり、巨大な鬼瓦が安置されている。なんでも、信長の焼き討ちにあった際の、庫裡の鬼瓦との事で、大きさからしても、其の当時の伽藍の威容が偲ばれる。人々が殺戮の末、滅び去っても、此の様な瓦だけが往時の名残を留めているのである。
夏草や兵どもが夢のあと
人の世とは、なんと虚しいものであろうか。正太郎は、此の句を連想せざるをえなかった。
扨、一行は恵林寺を拝観した後、次の目的地である勝沼のワイナリーへ向った。此れは、酒好きのゆり姉の父の為に、お土産を買う事を目的とした為である。そして、其の途次、勝沼ぶどう郷駅に立ち寄ったのである。勝沼ぶどう郷駅は甲府盆地の一番の東端にあたり、盆地東縁の上部に位置している。此れはJR中央本線に乗ってみると判るのであるが、新宿方面から来た場合、笹子隧道、新大日影隧道を抜けると、一気に甲府盆地への展望が開ける。そして、直に勝沼ぶどう郷駅がある。つまり、甲府盆地の東縁に駅があり、中央本線は、勝沼から盆地北縁を舐める様に下って行き、塩山、山梨市、石和温泉を経て甲府に至るのである。昔、筆者の山梨出身の友人が語るには、笹子隧道を抜けると故郷に帰って来た気に成ったと謂う。特に新大日影隧道を抜け、甲府盆地の展望を臨む時は、いつも胸が熱くなり、込み上げて来る物があったと謂う。屹度、故郷とは、其の様な物なのであろう。勝沼ぶどう郷駅には、かつて、蒸気機関車の時代、スイッチバックの施設があったとの事である。確かに、駅の東側はすぐ山であり、駅の出口は西側にしかない。其の西側出口を望むと、見渡す限り、葡萄畑である。勿論、此の季節の事であり、一面、収穫の終わったブドウの畑が続き、時折、枯れ掛けた芒が風に戦いでいる。如何にも、寒々とした風景が連なっているのである。然し、冷静に俯瞰して見れば…。そう、文字通り、俯瞰と謂う言葉がピッタリ来るのであるが、全ての風景を見下ろす形となっており、下へ下へと、うねうねと果てしなく続く葡萄畑の遥か西方彼方に、甲府の街を見下ろしているのである。一同は、休憩と趣味の写真撮影の為、立ち寄った勝沼ぶどう郷駅前から、甲府盆地を見下ろしている。祐子と正太郎とみうみうは、スイッチバックの遺構を見に行き、其処で3人、記念撮影をしている。復刻された旧駅は公園として整備されており、EF65形電気機関車が安置されていた。此れも、或る意味、思惑の有る事で、ゆり姉と一平を二人だけにしてやろうと謂う、正太郎と祐子による暗黙の諒解の末の行動でもある。
ゆり姉と一平は、駅西側の丘の上から、甲府盆地を見下ろしていた。此の杉本一平と謂う男。以前より、散々、描写して来た様に、元来、口が達者な方では無く、極めて、寡黙な男である。本来であれば、女性には、此の様に、間が持た無い男性を敬遠する向きも多い。然し、ゆり姉は其れに対して、怒った風でも無く、辛抱強く接している。時折、一平の端正な横顔を見やり乍ら、優しげな眼差しを送っている。後に、判明した事ではあるが、ゆり姉、一平、伴に、生涯初のデートであったそうである。扨、其の様な次第であるから、勢い、デートのイニシアティブはゆり姉がとる流れと成った。ゆり姉は寒々とした葡萄畑を見下ろし乍ら、一平に話し掛けた。
「一平君は卒業後は、矢張り、体育大学か何か、かな。或いは、サッカー部が強い大学に推薦とか…」
其れに対して、一平は、暫く葡萄畑を眺めていたが、頓て、溜息と伴に斯う謂った。
「自分は、大学には行きません。プロになります」
「プロって? サッカーの?」
「…はい」
「だったら…、もっと普通の学校でも。そう謂っちゃあ、何だけど。うちの学校、学力偏重は凄まじいわよ。テストの数も半端無いし。まあ、今更だけど…」
一平は寂しげに微笑を浮かべ乍ら、
「確かに、そうっすね。お陰で難渋しています。だけど、あと、3年だけは、いや、もう2年か。彼奴に付き合おうと思って…」
「彼奴?」
「はい。往きに一緒だった…」
「彼奴って、六助君の事?」
「はい」
此の男、明確な回答をする習性は、常に持たぬのであろう。愚鈍な牛が反芻でもする様に、徐に答え始めた。
「確かに、彼奴と自分と修吾は三羽烏なんて謂われました。でも、全然、違うんです。彼奴だけは別格です。俺と修吾のサッカーは技術かもしれませんが、彼奴のサッカーは芸術なんです。敢て謂えば、其の技術も桁違いなんです。見ている者の魂を震わせる様なサッカー。其れが彼奴のサッカーなんです。自分は少しでも長く其れに触れていたい。本当は、修吾も同じ学校でサッカーを続けたかったと思います。修吾の奴、六助が清水高校を受験するって聞いた時、凄く、寂しそうな顔をしてましたから…」
確かに、修吾は中学校に上がった時の成績は学年最下位であった。ただ、正太郎と3年間同じクラスであった事が、多少なりとも幸いした。正太郎にしてみれば、小学校のサッカー部時代、色々世話になった恩義もあるのであろう。正太郎は忠実に修吾の勉強をみてやっていた。当初は、正太郎の宿題を写すだけであった修吾であるが、其の内、正太郎のアドバイスに耳を傾ける様になり、質問なども出る様になった。いつしか、修吾の全教科の成績を明白に押し上げ、平均を少し超える様なレベル迄、持って行ったのであった。以前にも叙述した様に、修吾の家は土建屋である。男3兄弟の末っ子でも有る。余り、勉強には縁が無い家庭環境の中にあって、正太郎との出会いは、天の配剤でもあった。未だに正太郎が修吾の家に行くと、修吾の両親に頗る歓待される理由は此処にある。更に、隣家のヤスベエの存在である。彼女も、修吾の勉強は、悪態を吐きつつも、忠実に見てくれていたのである。一平の独白の様な話は続く。
「本当は、自分も六助もジュニアユースからの誘いがあったんです。修吾は残念乍ら、無かったけど。本来は、彼奴が、彼奴こそが、プロへ進む人材なんです。そして、彼奴は断って、清水高校を受験した。だから、自分も学力的には無理を承知で清水高校を受験したんです。でも、彼奴は、ひょっとしたら、高校を最後にスパイクを脱ぐかもしれません。だから、自分は最後まで付き合いたい。いや、見ていたい。此の目に焼き付けておきたい。そう、思っているんです」
「そうかあ。本当に凄い選手なんだね。六助君は」
「…はい」
ゆり姉の嘆息を受け、一平は静かに肯く。やや、傾き掛けた冬の陽は、風に戦ぐ芒を、一際、輝かせていた。
続いて、勝沼のワイナリーに到着した一行はお目当てのワイン探しに没頭する。とは謂っても、全員が未成年である。例え試飲とは謂っても、公然と酒を飲む訳には行かない。ゆり姉以外が舐める様に味見する。運転手であるゆり姉が恨めしそうな眼差しで、横目で見乍らも、祐子やみうみうに感想を聞いていた。結局、各自、白ワイン、赤ワイン、シャンペンと思い思いのお土産を買い込み、宿への帰路へと着いたのである。
旅行の楽しみ方には、其の目的によって異なるものではあるが、現地に於いての行動に因って大いに変ってくるものと思われる。例えば、其の目的を観光とした場合、如何しても、寸暇を惜しんで観光に勤しむ傾向にあり、今回の場合、正太郎や祐子たちのグループがそうである。一方で、其の目的を、小説などに良くある保養と捉えた場合、例えば、宛ら、シャーロックホームズや金田一耕介の如くに、体を休める事を目的とした場合である。とすれば、日がな一日、宿で転がっているのが、正しい過ごし方である。尤も、シャーロックホームズや金田一耕介の場合は、其処で、事件に巻き込まれてしまうのであるが。
筆者が旅行に出かける場合は、絶対的に後者である。勿論、彼方此方をちょろちょろする様な旅行を、まるっきりしない訳では無いが、若し、金と時間を好きに使って旅行に行って来て良いと謂われれば、絶対に後者を選択するであろう。恐らくは、何処か保養地、鄙びた温泉宿を定め、沢山の娯楽小説を持ち込んで、其処に一週間位逗留し、日がな一日、温泉と読書と昼寝に明け暮れるであろう。勿論、執筆活動なども一切しない。目的が精神の保養なのである。筆者も会社の定年を迎える頃には、そう謂った暮らしが待っていると思ってはいた。然し、現代社会に於いては、意外な事に、そう謂う悠々自適な生活はやって来ず、相変わらず、独楽鼠の如く働いている次第である。
一方で、前者の様な旅行の仕方を好む向きもいる。昔、二十代の頃、筆者はそう謂った御仁と旅行した事があったが、頗る大変なものである。兎に角、其れこそ、独楽鼠の様に彼方此方を見聞して回るのである。折角の機会でもあり、気持ちは分からぬ物でも無いのであるが、あれでは、余暇を楽しんでいるのか、仕事で観光をしているのか、分からぬ始末では有る。まあ、此れも旅行の楽しみの一つであると、謂ってしまえば其れ迄なのであるが、普段、斯うした旅行に慣れていない筆者としては堪ったものでは無い。扨、此のメンバーの中で、斯うした前者の様な旅行ではなく、後者の様な保養を好む者は誰であろうか? 其れは、いずな、敬介、六助である。ただ、六助は相棒である葵が、内気なキャラとは裏腹に、甲府の町を見て回りたいと切望したので、葵に付き合い甲府の町を見物して回っていた。いずなと敬介についてであるが、彼らは典型的な保養好きなタイプでもある。セレクションした笛吹川フルーツ公園も、割とそう謂った色彩の色濃い施設でもあるのだ。然も、温泉施設などは異性二人で楽しめる施設でもない。そんな訳で、早々に帰路に着いたのは、彼ら二人だったのである。
扨、そんな訳で、お昼少し過ぎた頃に、宿に戻った二人であったが、当初は、男子部屋でPS等をして遊んでいた。だが、幼い容姿ではあるものの、若い男女の事である。いつしか、唇を重ねる様な展開になったとしてもおかしくは無い。其のうち、いずなと敬介は口接吻に及んだ。両者、初めての口接吻であった。いずなと敬介ともにホテルの部屋着である。然程、色気の有る格好では無い。敬介はいずなをまじまじと見た。母親似の、実に端正な顔立ちである。其の顔立ちは頗る神々しい。敬介は舐める様にいずなを見た。確かに、高志が良くからかうように未発達の胸である。然し、其の二つの乳房はほんのりと盛り上がっており、更には、其の頂点に遠慮がちな突起が、二つ確認出来る。有ろう事か、いずなは、敬介の為に自ら、下着を外していたのである。そして、いずなは次に来るべき行為を催促する様に、静かに目を閉じた。此の様な状況に、理性的にいられる男性なぞ皆無であろう。敬介はいずなの突起に右手を伸ばした。
「あっ…」
いずなの口から微かに声が洩れた。敬介は右手でいずなの上着越しの突起を弄った。いずなの突起が俄かに少し大きくなった様な気がした。
「ああっ…」
再び、いずなの口から敬介の行為を了承する声が洩れた。続いて、敬介の舌がいずなの口中に侵入する。二人の舌が激しく絡み合った。と、此処までは良かったのであるが、次の瞬間、
ガチャリ。
何者かが部屋のドアを開けたのである。
若い二人は、吃驚仰天し、互いに3m程、飛びのいた。其れはホテルの女中さんだった。
「すみません。お部屋のお掃除をしようと思ったものですから…」
敬介が慌てて叫ぶ。
「だ、だ、だ、だ、…大丈夫です。間に合ってます」
勿論、百戦錬磨の女中さんである。状況はすぐに把握し、慌てて引っ込んだ。敬介は立ち上がると部屋の入口から廊下を覗き、誰もいない事を確認し、今度は確りと施錠をし、戻って来た。いずなは戻ってくる敬介を少女らしいあどけない顔立ちで見上げる。然し、宜なる話ではあるが、敬介の彼処は、此れ以上有り得無い位に、男の子になっているのである。いずなは多少の恥じらいは感じたものの、嫌悪感は全く無かった。何よりもケースケの其れなのである。だが、今度は敬介が困った様にモジモジし始めた。
「如何したの?」
敬介が答える。
「持ってないんだ」
いずなは、主語も述語も欠如した敬介の言葉の真意を、完璧に理解した。彼女は、敬介を安心させる様に、小さな化粧袋から5cm四方位の赤いビニール片をおずおずと取り出した。敬介は其れを見るなり、思わずドキリとした。其れは、優等生で真面目ないずなには、余りにもそぐわない代物ではあったが、コーラ飴などでは無い事は明白であった。敬介はごくりと生唾を飲み込むと、恐る恐る問い掛けた。
「い…、いいの?」
いずなは、真っ赤な顔で、こくりと頷き、黙して肯定の意を示す。敬介は少しばかり大胆になり、再び、二人の唇が重なった。若い二人の魂は燃え上がり、舌は激しく絡み合い、離れて、また、絡み合う。舌と舌の間には、二人の唾液の橋が架かり、かなり大きな水滴がぽちょりと落ちて行った。敬介は左腕でいずなの背中を支え、先程の様に右手でいずなの膨らみかけの小さな乳房を弄った。突起は直に発見出来た。先程よりも少し堅くなっている気がした。敬介はたまらず、いずなの部屋着をたくし上げた。いずなの未発達な乳房とピンク色の乳首が現れた。敬介は其の乳首を口に含む。いずなはびくんと反応し、其の直後、
「ああん…」
と、此れ迄、敬介が聞いた事が無い様な甘く切ない声を漏らした。いずなはいそいそと部屋着の上着を脱ぐ。敬介は更に大胆になる。そろりそろりと、いずなの下腹部に手を伸ばす。そして、豪胆にも部屋着の中に手を差し入れた。下着越しにいずなの恥毛を感じる。最早、敬介の右手といずなの女の子との間には、薄い下着しか夾雑物は無い。勇を鼓し、敬介の右手の指先が、下着の裾から侵入を試みた其の時。
ガチャリ。
またしても、入り口が開錠され、今度は高志の大声が聞こえた。
「いやあ、寒いの何のって、冬の清里。半端ねーな。其れこそ、冬の八甲田山並みだったぜ」
「抑々、…行った事ねーだろ。手前は。八甲田山に…」
正太郎の声も聞こえる。
「なあ、正太。冬の八ヶ岳を歩いてみたいと思わないかな?」
「思わねーよ。此方人等、東海地方の夏山で遭難し掛かっているんだ。そんな処に、行けるかよ。大体、何で、八甲田山みたくなっている? 友田少将か? おめーは」
「遭難し掛かったんじゃなくて、紛う事なき遭難だろ。ありゃあ」
「喧しい!」
(げっ、な、な、なな、何で、此奴らが…)
正太郎たちの能天気な会話を聞いて、敬介は途轍もなく、狼狽した。そして、次の瞬間、二人が部屋に入って来た。
「見るなあ!」
敬介は、思わず両手を広げ立ちはだかった。
「何やってんだ? おまえ? 素っ裸で?」
高志が呆れる。其れはそうであろう。上半身裸の敬介が両手を広げ、宛ら、案山子の如く、部屋中央で仁王立ちしているのである。キョトンとした敬介は高志の反応に、俄かに戸惑いを感じ乍らも、おずおずと後ろを振り返る。
(アレッ。いずなちゃんがいない?)
そうなのである。敬介の愛しい、いずなは雲散霧消している。忽然と姿を消しているのである。続いて、ひろみと祐子が入って来た。
「ねえ、いずなは居たの?」
「いや、いねーよ。敬介だけだぜ。おい、敬介、流石に何か着ろよ。一応、レディの前だぜ」
高志が返す。敬介は慌てて部屋着を羽織る。
「一応とは、何よ、失礼ね。其れにしても、全く、いずなったら、何処、行ったのかしら? あれほど、鍵はフロントに預ける様に申し合わせた筈のに」
「風呂にでも行ったんじゃねーのか?」
高志が呑気に請合う。然し、其処で正太郎が疑問を呈する。
「でも、此処にバスタオルがあるぜ。此の派手な柄は、彼奴のバスタオルじゃねーのか?」
其処には紅白幕の様なボーダー柄のバスタオルが落ちていた。いずなが自転車とかセーター、Tシャツなど、持ち物に此の柄を好む事は良く知られている。祐子が件のタオルを拾い上げた。と、同時に、実に然り気無く、落ちている部屋着を自身の小脇に抱えた。此の行為は完全に自然な行為であった。斯うして、いずなの上着は、祐子の一連の動作に因って、完全に風景の中に溶け込んだ。最早、祐子が予備の部屋着を当初から抱えていた様にしか見えない。とは謂え、部屋着はサイズによって色が違う。3Lの祐子が、拾い上げたSサイズの部屋着が入る訳が無いのであるが…。
「おい、敬介。いずなは来たのか? 来なかったのか?」
高志が、すかさず詰問する。
「き、ききき、来たよ。風呂上りだった。先刻まで一緒にゲームしてた。今はいないけど…」
「だから、何処に行ったか聞いてんだよ? 其れに先刻から、此奴、妙に聴牌ってやがるし…」
「そそ、そんな事あるもんか!」
「ははあ、判ったぞ。扨はテメー、風呂上りのいずなに妙な気を起こして、おっぱいでも触ろうとしたんだろ? 其れで、いずなが怒って部屋を飛び出して行った。つまり、斯う謂う訳だな」
「バ、バ、バババ、馬鹿な事、謂うんじゃねえ!」
「ハハハ。成程。誰もいないのを良い事に、袖を引いたと謂う訳か。如何やら、図星らしいな」
正太郎も、古風な謂い回しで嘲笑う。実際の処、図星以上なのである。袖を引いた処の騒ぎでは無い。高志の謂うおっぱいは既に触っている。敬介が触ろうとしていたのは、いずなの女の子自身であり、或る意味、おっぱいの完全上位互換である。状況的には、将に、図星の完全上位互換形なのである。
「変ねえ。トイレにもいないわよ」
ひろみが部屋のトイレを確認して出て来る。其処へみうみうが、ひろみたちを呼びに来た。
「ひろみっち、ゆうちん。ゆり姉が、フロントで鍵貰って来たよー。早くお風呂行こうよー」
「うわあ。行く行く。あれっ、祐子は行かないの?」
祐子は人差し指を唇に当て乍ら斯う謂った。
「うん。もう少し此処に居るよ。後から行くから」
みうみうとひろみが出て行った。今、此の部屋の中で、完全に状況を把握しているのは、敬介以外では、恐らく、祐子だけであろう。いや、敬介もいずなの行方は掴めていないのである。先程、祐子はいずなの部屋着を拾い上げる時、別の遺留品も拾い上げている。5cm四方位の赤いビニール片。其れは、断じてコーラ飴などでは無かった。祐子は、何食わぬ顔で、其れを左手の掌に握り込むと同時に、状況を即座に看破したのである。ひろみたちが行った後、祐子は小声で囁いた。
(正ちゃん、お願い。高志君と敬介君、1分で良いから、部屋から連れ出して)
其れは、囁きと謂うには余りにも小さく、口の中で小さく呟いたに過ぎなかった。当然の事乍ら、誰に聞こえる筈も無い。但し、正太郎を除いては。正太郎は祐子の呟きを完璧に理解した。正太郎は、祐子の肩をポンポンと軽く二つ叩いた。恐らく、
『分ったよ』
と、謂う合図であろう。正太郎は、コホンと咳払いをすると、斯う謂った。
「おい、高志、敬介。俺たちも風呂に行こうぜ」
「ああ、いいけど、祐子ちゃんは如何するんだ?」
「私は残るよ。いずなちゃんが戻って来たら一緒にお風呂に行くから…。鍵はフロントに預けておくからね」
と、同時に再び呟いた。
(お願い。正ちゃん、早く。いずなちゃんは間違い無く、此の部屋の中にいる)
正太郎は、分かったと謂う風に、高志と呆然とする敬介を急き立てた。
「さあ、早く行こうぜ。寒くて風邪をひいちまう」
「お、おう」
「ほら、敬介も早く」
「あ、ああ」
此の頃には漸く、正太郎にも、真相がうすうす判って来た。よくよく、耳を澄ませば、部屋の何処からか、微かな息使いが聞こえる。此の男の異常とも謂える聴力である。間違えようが無い。其れに、先刻、祐子が拾い上げた遺留物を、正太郎も横目で見ている。5cm四方位の赤いビニール片。此処最近、頓にお世話になっているアレである。間違い無く、コーラ飴などでは無かった。
3人が部屋を出ると、祐子は徐に部屋の壁面の押入れに向かい、そおっと襖を開けると、斯う謂った。
「もう、大丈夫だよ。いずなちゃん」
押入れの隅には、大粒の涙を浮かべ、両腕で恥かしそうに胸を隠した、上半身裸のいずなが、怯えた仔猫の様に、カッと見開いた目で祐子を見つめていた。
「うわあん」
号泣と伴にいずなが祐子に抱きつく。よしよしと、祐子が優しくいずなの頭を撫で乍ら、斯う謂った。
「さあ、早く服を着て、私達もお風呂へ行こうよ」
余程、不安であったのであろう。いずなの激しい欷歔は、中々、治まりそうに無かった。服も着ず、祐子に抱きついた儘、只管に、わあわあと泣いている。祐子はいずなの頭を優しく撫で乍ら、斯う謂った。
「さあ、服を着て。何の心配も無いから…」
祐子はいずなに部屋着を渡す。いずなは項垂れ乍らも、漸くに、部屋着を着た。其れと同時に、紅白幕の様なバスタオルと件の遺留物を渡す。いずなはカーッと上気すると、奪う様に其れを受け取り、また、下を向いた。いずなの胸中は察して余りある。
(ゆうちんは何が起きたか、完全に把握している!)
其れはそうである。若し、自分が祐子の立場であれば、状況を完全に把握するであろう。自分と同等以上の知的水準を持つ祐子である。其れが出来ぬ筈が無い。いや、ゆうちんでなく、朴念仁の正ちんであっても、完全に事態を把握するであろう。あの、遺留品はインポスターのベント以上に、明白な代物なのである。ケースケに申し訳無い。ゆうちんに覚られた自分の恥ずべき秘密。いや、ゆうちんだけでは無いのかもしれない。他にも、気付いた人間が居るかもしれない。未だ、高校生の分際でエッチな事をしようとしていた。其の明白な証左は、今、確りと自分の掌に握りこんでいる。いずなの脳裏に様々な思いが波の様に去来した。恥かしくて死にそうだった。浴場へ向った二人であったが、いずなの足取りは、宛ら、屠所へ向う牛より重かった。
祐子は、一つ、小さな溜息を吐くと、不意に話し掛けて来た。
「私もあるよ」
「…」
いずなには、何の事か判らない。
「先刻、いずなちゃんに渡したアレね。…私も使った事があるよ」
「…えっ」
(今、何て謂ったの?)
内気で晩熟なゆうちんが? 聞き返したい気持ちはある。然し、構わず、祐子が続けた。
「勿論、使ったのは、私の恋人なんだけどね。…する時は必ず使うよ。…もう、何度も使ったよ」
「ええっ」
此処で初めて、祐子がいずなの方を振り返る。丸顔でちょっぴりおでぶな祐子が、ほんのり、顔を赤らめ、含羞んで少し困った様な笑顔を浮かべつつ、可憐に微笑んだ。
「私だけの秘密じゃあ無いから、余り、他言されると困っちゃうんだけどネ」
「其れって、…正ちんだよ…ね?」
「もう、当たり前だよ。いずなちゃん」
いずなは、驚愕の余り、呆然としている。暫しの後、二人はまた歩き出した。現金なもので、いずなにも、少し元気が出て来た。そして、今度はいずなから話し掛けて来た。
「あのね、ゆうちん。如何聞いても、下世話な質問になっちゃうんだけど…」
そう、前置きし乍らも、
「…如何だったの?」
続けて、
「其の、なんて謂うか、痛かったとか、…気持ち良かったとか」
祐子は歩き乍ら、少し首を傾げる。
「うん、痛かったよ。中が裂けてるかと思った」
いずなは思わず、ごくりと生唾を飲み込む。然し、祐子は続ける。
「少しだけ、快感も有ったよ」
祐子は、態と控えめに謂った。此の辺りの心理は、筆者には良く判らない。あのとき、祐子たちは4回も事に及んでいるのである。快感が伴わなければ、流石に此の回数は出来ないであろう。
「でも、一番幸せだったのは、正ちゃんと一つになれた事かな…」
祐子は正直な本音を吐露した。此れはいずなにも良く理解出来る心情である。いずなは、実に興味深そうに聞き入っていた。懸命なる読者は、もう、お気づきの事と推察するが、祐子が話した此の描写、灯篭流しの時の描写ではない。円周率騒動の時の描写なのである。灯篭流しの時の描写、筆者は態とさらりと牧歌的に描写したが、此れは或る意味、武士の情けであって、実際の処、正太郎は興奮の余り、祐子の奥に達する前にいってしまっていた。更に、祐子は祐子で、極度の緊張で、失禁とともに失神してしまい、よもやそんな事とは、気付く由も無かったのである。ただ、面白いのは、情緒的過ぎる此の二人。失敗したとの自覚は微塵も無く、後になって妙だとは思いつつも、初体験と謂う甘美で神聖な響きに、自ら香を焚き、金襴袈裟を着せて、神棚に奉り、良い想い出に昇華させてしまっている点である。そんな次第であるから、本当の意味での初体験は、円周率騒動の時、と謂っても過言では無かったのである。
扨、浴場に着いた二人は、着衣を脱ぎ始めたが、込み合っていた為、ロッカーが一人分しか空いていない。いずなは下着を脱がずに、少しモジモジしている。其の理由は明白であった。可愛らしいピンクのウサギさん柄の下着であったが、先程の直後である。しっとりと水気を含んでいる。祐子は直にピンと来た。
「大丈夫だから。いずなちゃん。私は気にしないよ。お部屋に戻ったら変えればいいし」
「でも、ゆうちんの荷物が汚れちゃうよ。あたしのうさちゃん、多分、すごい事になっちゃってるよ」
「へーき、へーき。だって、私なんて、初体験の時、正ちゃんの前でおもらししちゃったんだから」
祐子はあっけらかんとし乍らも、とんでもない告白を口にする。
「えええーっ」
驚愕するいずな。
「勿論、此れは誰にも内緒だよ」
そう謂って、にっこりと微笑んだ。次の瞬間、いずなは、がばっとばかりに、祐子に抱きついた。勿論、祐子は全裸である。祐子の豊満な胸に、いずなが顔を埋めている。
「ちょっと、いずなちゃん」
当然、当惑した祐子が慌てる。然し、いずなは、ぎゅうっと抱きしめ、離さない。
「ゆうちん、お姉ちゃんみたい…」
「ちょっと、駄目だよ。人が見ているよ。其れに、先刻から、いずなちゃんの鼻が私の先っぽに…。其処、敏感な処だから…、感じちゃうよ」
確かに、顔を埋めると謂う事は、そう謂う位相関係になるのであろう。先程から、いずなが顔を動かす度に、祐子の敏感な処が擦れてしまう。
「ムッキー、正ちんに怒られちゃうかな?」
いずなは、いたずらっ子の様な面持ちになると、そう謂い乍ら、突然、祐子の黒々とした敏感な其れを、優しくぺろりと舐め挙げた。
「うひゃん」
祐子が、素っ頓狂な声を挙げる。
「ちょっと、あんたたち。こんな処で、何、ゆりかわいい事してる訳?」
「うっきー。みうみう、斯う謂うの、薄い本で見た事有る」
後ろで、ひろみが全裸で仁王立ちになっている。其の後ろから、みうみうが物欲しそうに覗いている。
「いいなあ。みうみうもやりたいなあ。ゆうちん。後から、みうみうもやらせてね」
祐子が真っ赤な顔で頭を振る。
「もう…、駄目だよ。みうみう」
「ほら、みうみうも馬鹿謂ってないで、温泉に行きましょ」
ひろみが音頭を取った。
祐子は湯船に浸かり乍ら、考える。いずなちゃんが窮地を脱出出来てよかったと。然し、思わぬ副産物もある。お陰でとでも謂うべきか、いずなには妙に懐かれてしまっている。現に、いずなは祐子の傍を片時も離れない。湯船の中では、祐子の左側に陣取り、ぴとっと祐子に肩を寄せて、確りと祐子の左手を握っている。
「もう、今日のいずなちゃん。凄く甘えん坊。敬介君に怒られちゃうよ」
と、祐子が窘めるも、
「ムッキー、ケースケにはちゃんと甘えるよ。でも、今だけは、お姉ちゃんに甘えるんだもん」
「ちょっと、いずなちゃん」
多少、困惑する祐子。其処へロリ巨乳の持ち主、みうみうもやって来た。彼女は、
「あっ、いいな」
と、呟くと、
「みうみうも、祐子お姉ちゃんに甘えちゃお」
と謂って、祐子の右側に腰掛け、祐子の右手を握り離さない。何故かみうみうまでもが、祐子に懐いてしまっている。みうみうにしてみれば、今回の旅行、いずなに誘われるが儘に参加したのであるが、メンバー構成から、途中、単騎に成らざるを得ないと覚悟を決めていたのである。だが、道中、祐子の其れと感じさせない気配りのお陰で、実に楽しい旅を満喫出来たのであった。祐子には感謝をしてもし足りない。思えば、此の3人、全員、一人っ子である。姉妹が欲しいと謂う欲求もあったのかもしれない。
「何よ、二人とも、また、随分と祐子に懐いたものね。此のゆりクラシスターズは? 高志辺りが見たら泣いて喜ぶ絵面よ」
ひろみが片眉毛を挙げて呆れる。実際、JKが3人揃って全裸で居るのである。別に高志で無くとも、健全な男子であれば喜ぶであろう。
「ゆるゆりクラブ?」
「危ないわね。そうじゃないわよ。ゆりクラシスターズ。だって、あんたたち、先刻からゆりっぽい事ばかりしてるし、みんな、クラリネットやってるし…。みうみうは中学ん時だけど」
3人は思わず顔を見合わせた。祐子が燥ぎ乍ら、謂った。
「此れはもう、みうみう、ブラスに入るしかないよ。そして、一緒にゆりゆりクラブを作ろうよ」
「ムッキー、ゆうちん。名前が先刻より過激になってる…」
女子浴場に笑い声が弾けるのであった。
いずなが女子浴場を出ると、敬介がソフトクリーム売り場の長椅子でぼんやり座っていた。屹度いずなの様子が気になったのであろう。敬介はいずなを見つけると、少し安心した様であった。
「い、いずなちゃん」
いずなは長椅子のもう片方に腰掛けると、ニッコリ笑って斯う謂った。
「大丈夫だよ。ケースケ。もう、平気だから」
「うん」
いずなは、思いっきり声を潜めると、うんと小声で謂った。
「いずなの初めてね。ケースケの為に大切にしておくから…。屹度、また、チャンスがあるよ」
「う、うん」
ケースケは真っ赤な顔で少し涙ぐんでいる。
「もう、こんな事で泣かないの。男の子でしょ」
今度はいずなが、お姉ちゃんみたいである。だが、ケースケは、頗る意外な事を謂う。
「違うよ。いずなちゃんが元気だったんで、安心しちゃって」
其れを聞いたいずなは、
(本当に優しい人だね。ケースケ君)
そう思うと、先程、祐子にした様に、ケースケに肩を寄せて手を繋いだ。
「ありがとね。ケースケ君」
そう謂うと、いずなは、ケースケのほっぺに、ちゅっと口づけをしたのだった。
どんな旅にも終わりがある。甲州旅行完結編。両手に抱えきれないお土産と想い出を携えた一行は、懐かしの清水に帰還する。次回、『第42話 ただいま!(石和温泉旅行編【6/6】)』




