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第40話 水琴窟と正太郎の思い出(石和温泉旅行編【4/6】)

 騒動(そうどう)一段楽(ひとだんらく)した(ところ)で、正太郎が切り出した。

「ところで、小百合(さゆり)さん。先刻(さっき)、祐ちゃんに聞いたんですけど、明日、車で回るなら、僕らもご一緒(いっしょ)していいですか? ()の、一平(いち)には申し(わけ)ないんですが」

「ええ、いいわよ」

 (しか)し、意外(いがい)な事に、一平が愁眉(しゅうび)を開き(なが)ら、()()った。

「いや、助かった。小百合(さゆり)さんみたいな美人と二人だけだと、(おれ)には、少々(しょうしょう)役不足(やくぶそく)だと思ってたんだ」

 正太郎がニヤニヤし(なが)ら、一平の()()ちなミスの訂正(ていせい)(すす)めた。

「なあ、一平(いち)一応(いちおう)、念の(ため)訂正(ていせい)推奨(すいしょう)するが、()れだと、多分(たぶん)、お前が意図(いと)しているのとは、(まった)く、真逆(まぎゃく)の意味になるぞ。ゆり姉に対して、抑々(そもそも)、失礼だろ」

「ま、マジか?」

 一平は、(にわ)かに顔色を変え、()()になると、

「さ、小百合(さゆり)さん…、さ、さーせん」

 と、(さけ)ぶ。ゆり姉も笑い(なが)ら、微笑(ほほえ)み掛ける。

()いのよ、一平君。日本語あるあるだもんね。明日は(よろ)しくね」

「あざーす」

 一平が冷汗三斗(れいかんさんと)で、(しき)りに恐縮(きょうしゅく)()くる中で、お礼を()う。其処(そこ)で祐子がみうみうに()った。

「ねえ、みうみうちゃん。明日はみうみうちゃんも、私達と一緒(いっしょ)に行かない?」

「えっ、私も()いの?」

「うん、勿論(もちろん)だよ。私もお買い物したいし…」

()れじゃあ、ゆり姉。私もご一緒(いっしょ)させてください」

(よろ)しくね。みうみうちゃん」

 ()うして、明日のメンバーが何と無く決って行ったのであるが、ある意味、()れは祐子のファインプレーでもあった。と()うのも、()のメンバーを俯瞰(ふかん)するに、みうみうを(のぞ)いて、全メンバーが、何となく(つがい)になっているのである。修学旅行や遠足の班決めと同じで、単騎(たんき)となった人間に寂しい思いをさせてはならない。()れは祐子が中学校時代の経験から来ている。祐子の誘いは、(まさ)にそんな配慮(はいりょ)であった。現にみうみうも、()状況(じょうきょう)に、多少(たしょう)居心地(いごこち)の悪さを感じていたのであろうか。(ようや)くに愁眉(しゅうび)を開くと、(ひど)くホッとした表情(カオ)で、()()った。

「ありがとね。祐ちん」


 そんな、みうみうと祐子を他所(よそ)に、六助がニヤニヤし(なが)ら、一平に突っ込んだ。

「お前、先刻(さっき)から何、()当然(とうぜん)の様に、小百合(さゆり)さんと回る事になってんの?」

「バカ野郎(やろう)小百合(さゆり)さんみたいな綺麗(きれい)な人を、一人で出歩(である)かせる(わけ)には、いかないだろ」

「お父さんか? お前は」

「いいのよ、六助君。ありがとうね、一平君。明日はエスコートよろしくね」

「とんでもないっす。此方(こちら)こそ、よろしくお願いしまっす。ところで、六助。お前は、如何(どう)すんだ?」

「おっ、(おれ)か? (おれ)は未定だ。明日は一日中、温泉でもいいんだが…」

 葵がおずおずと手を()げた。

「あの、()れなんだけど、六助君。()し、()かったら、私と山梨県立科学館に行って見ませんか? いずなちゃん達がすごく面白(おもしろ)かったって()ってたから」

「うん、分かった。いいよ。葵ちゃん、明日はよろしくな」

 ()れを受けて、一平が溌剌(はつらつ)(さけ)んだ。

「よし、六。明日も忙しいぞ。今日は明日に備えて、早めに寝よう」

「ムキーッ。こら、でかいの。何、()ってるの。まだ、18時だよ。今日はオールナイトゲーム大会に決まっているでしょ。お風呂(ふろ)もあと、2回ノルマだし。みんなでワイワイ楽しむんだよ。あのね、祐ちん、今日は桃鉄、ぷよぷよ、いたスト、カルドセプト、カルネージハート、提督(ていとく)の決断を持ってきたよ。全部、パパから借りてきた」

 祐子が目を星にし(なが)()った。

「いたスト持ってきたの? じゃあ、早速(さっそく)やろうよ。正ちゃんも…」

「いや、祐ちゃん。(おれ)抑々(そもそも)、ルールを知らないんだが…」

大丈夫(だいじょうぶ)だよ、簡単だから。欠陥を改良したモノポリーってとこかな」

「ムッキイ。祐ちんなら、絶対、食いつくと思った。じゃあ、ケースケも」

「えっ、(おれ)も、ルール知らないよ。いずなちゃん」

大丈夫(だいじょうぶ)。ルールは簡単。お金(もう)けした人が勝ち。以上」

「うわっ、何だよ()れ」

 いずなの大雑把(おおざっぱ)な説明に敬介が大仰(おおぎょう)にふてる。高志が(あき)れた。

(しか)しまた、ニッチなラインナップを持って来たなあ…。ボードゲーム系はいいとしても、大体(だいたい)、カルネージハートや提督(ていとく)の決断を如何(どう)やって、みんなでワイワイ()(なが)らやるんだよ」

「ヴー。余り考えてなかった。でも、面白(おもしろ)いよ、あれ」

「…まったく。他には何か持ってこなかったのか?」

「ヴー、カードゲームがウノとミールボーンズ。あと、ボードゲームがカタン」

「おー、ミールボーンズがあるのか? じゃあ、(おれ)、ミールボーンズな。でこぼこコンビもやるだろ」

 (しか)(なが)ら、ルールを知らないでこぼこコンビは(およ)(ごし)である。

「いや、(おれ)ら、抑々(そもそも)、ルールを知らんし…」

()れなら、二人ペアで出来(でき)る。おい、のっぽ君、ゆり姉と組めるぞ」

 其処(そこ)で、一平がすかさず寝返る。

「おい、六。(こま)けえ事をがたがた()かすな。折角(せっかく)、高志が誘ってくれたんだ。ミートボールとやらを楽しもうじゃないか。小百合(さゆり)さん、よろしくお願いします。(おれ)、ルールは()く知らないっすけど…」

「わーっ、一平。てめえ、何、調子(ちょうし)()い事、()ってやがんだ。()くじゃなくて、(まった)くだろ。大体(だいたい)、何だよ、ミートボールって。抑々(そもそも)全然(ぜんぜん)、違うじゃねーか」

「うるさい。(おれ)は、橡面坊(とちめんぼう)故事(こじ)(なら)ってだな…」

 一平の意外(いがい)な発言に女子一同、唖然(あぜん)としている。高志が(いぶか)(なが)ら、祐子と正太郎に(ささや)いた。

「なあ、橡面坊(とちめんぼう)って…、彼奴(あいつ)、あの作品読んだの? とても、漱石なんぞ読むタマには、見えねーが」

 正太郎が、祐子に代わって答えた。

「いや、読んだと思うぜ。中学2年の時の、課題図書だったからな。そう()や、お前がひろみに告った時、ひろみが、あの作品から引用(いんよう)してたよな(第14話参照)」

「テメーは恥ずかしい事、思い出させるんじゃねえ。てか、お前、そんな、序盤から狸寝入(たぬきねい)り決め込んでやがったのか。ふざけやがって」

「まあまあ。ところで、お前らは、明日、如何(どう)する心算(つもり)なんだ?」

「ああ、()れなんだけど、ひろみの(やつ)、本当は清里に行きたかったらしいんだよな。今、真冬だから諦めたみたいだけど」

「だったら、連れて行ってやればいいじゃねえか。折角(せっかく)機会(チャンス)だし、冬の清里ってのも、()いじゃねえか。中々、(おつ)なもんだと思うぜ。でも、小海線、本数少ないから、計画を立てて行かないとな」

「…そうだな。ちょっとひろみに話してみるか」

 結局(けっきょく)、正太郎、祐子、敬介、いずながテレビにPS2を接続して、いたストを始め、他のメンバーはミールボーンズペア対決をはじめる事となった。1時間ほど遊んだ後で、もう一度、風呂(ふろ)に入ることになったのだが、()の前に、裏手にあるショッピングセンターで、夜食や飲み物を買いなおす(ため)に、全員で散歩がてらに出かけた。


 全員、室内着にスエットを着込んだり、ジャージを羽織(はお)ったりしている。19時を回って、師走(しわす)の冷え込みが一入(ひとしお)となっている。()の後、温泉(おんせん)に入る前提が無ければ、とてもじゃないが、出歩け無い寒さだ。頭上には満天の星が(きら)めいている。祐子が正太郎に(たず)ねた。

「ねえ、正ちゃん。冬の大三角形って見えるかなあ」

 正太郎は携帯(スマホ)で時間を確認した。19時10分である。首を(かし)げていった。

「うーん。ギリギリアウトかなあ。見えるとすれば、東の方角なんだが…」

 いずなが、甲府盆地(こうふぼんち)東端(とうたん)勝沼(かつぬま)笹子峠(ささごとうげ)方面を(なが)めて()った。

「ゆうちん、正ちん。オリオンなら(かろ)うじて見えるよ」

「あっ、本当だ」

 祐子も(うなず)く。

「ムキ、正ちん。真上(まうえ)の真っ赤な星は?」

「ああ、あれか? おうし座のアルデバランだよ。雄牛(おうし)の心臓とも呼ばれてる。冬のダイヤモンドの一角さ。シリウス、プロキオン、ポルックス、カペラ、リゲルで冬のダイヤモンド」

「ふーん。正ちん、本当に星に(くわ)しいんだね。じゃあ、真上(まうえ)の固まって、ぼやぼやーっと見える星は?」

「ふふふ、秘密だ」

「ムキー、意地悪(いじわる)しないで教えなさいよ。でも、何となく分かった。ひょっとして歌で有名な星…」

()ってみな。いずな」

散開星団(さんかいせいだん)プレアデス」

其方(そっち)かよ。…まあ、正解なんだけど。歌、関係ねーじゃねーか」

「えへへ、あれが、そうなんだ」

「あーっ、二人だけで盛り上がって…ずるい。正ちゃん教えてよ」

 祐子が(ふく)(なが)ら、首を突っ込み、正解を(たず)ねる。

「もー、祐ちんたら。ほら、枕草子(まくらのそうし)や谷村新司さんの歌で有名な…」

「わかった。(すばる)だ」

「正解」

 正太郎が笑い(なが)()った。

「へえ、あれがそうなんだ。本当に幾つも(つら)なって見えるんだね」

「通常なら6、7個の星が肉眼で見えるからね。ギリシア神話のプレイアデス7姉妹の名が当てられている。日本では六連星(むつらぼし)とか呼ばれているけどね」

「本当に綺麗(きれい)だな。あれも冬の大三角の一つなのか」

 いつの間にか、敬介も会話に参加している。正太郎は笑い(なが)ら、説明を始めた。

「違うよ。冬三角はとても見つけやすいよ。オリオンが分かれば()ぐに分かる。オリオンの向かって左肩の赤い星。これをベテルギウスって()うんだが、()れが、冬三角の一角だ。冬三角は、ほぼ、正三角形だし、おおいぬ座のシリウスは、全天中、太陽以外で一番(いちばん)明るく見える恒星だし、こいぬ座のプロキオンも一等星だから、オリオン座が確認できれば、すぐ、分かると()(わけ)さ。ああ、やっぱり、まだ、見えないね。もう少しなんだけどなあ…。今日、21時位なら見えると思うよ」

「ありがとう、正ちゃん。()れなら、3回目にお風呂(ふろ)に入る前に確認に来ない?」

「ん、いいよ」

「ムッキーッ、ケースケ。私たちも来よ。いずなも見てみたい」

 いずなは大燥(おおはしゃ)ぎである。()の後ろで、高志がひろみに聞いた。

「なあ、ひろみ。明日は何処(どこ)へ行きたい」

何処(どこ)でもいいわよ。高志の行きたい(ところ)なら」

「なら、清里に行って見ないか?」

「えっ、でも、冬は何もないって…。()れに、お店もやってないって」

「でも、行ってみたいんだろ」

「…うん」

「だったら、行こうぜ」

「…いいの?」

「ああ、()のかわし、現地滞在は1時間だ。いいかな?」

「…うん」

 ()み渡った星空の下、二人は肩を並べて歩いた。気がつくと、ひろみが目に涙を浮かべている。高志は声を(ひそ)めて、優しく(ささや)いた。

「バカだな。こんな事位で、泣くなよ」

「…だって、だって」

温泉(おんせん)から出たら、ゆっくり計画を練ろうぜ」

 ひろみは(こぼ)れ落ちた真珠(なみだ)を手で(ぬぐ)うと、元気良く(うなず)いた。

「うん」

 凛子と明彦は最前列、桑畑の横を歩いていた。年の瀬の冷たい風が吹き抜けていく。

「あー、早く温泉(おんせん)に入りたいわ。体がすっかり冷えちゃった」

「おいおい、風邪(かぜ)なんて引かないでくれよ。ところで、明日は、本当に、博物館と美術館巡りでいいのか?」

「うん。()れだけは、明彦君と付き合っていて、感謝している。趣味が同じだもんね。私も、博物館と美術館は大好きだから」

「凛子ちゃん、()れだけはって、何だよ。ひでーよ」

「あはは、ごめん、ごめん。明彦君は他にもいっぱい()(ところ)あるよ。何よりも、優しいもんね」

「ば、ば、バカヤロー。照れるだろうが…」

「あはははは、ごめん、ごめん」

 後ろを歩いていたのは、いずなと敬介だった。二人仲()く、手を(つな)いでいる。

「ふーん。凛子っち、明るくなったね。()く笑うもん。明彦効果かな」

「えっ、そうだっけ?」

「うん。そーだよ。凛子っち、4月に入学したばっかの時は、何処(どこ)(しゃ)に構えたところがあって、ちょっと、近づき(がた)かったもんね。(ほとん)ど、笑わなかったもん。(もっと)も、(しゃ)に構えたって()えば、私達、ゆうちんを除いた女子全員、そうだったけどね。ゆうちんも、すごく内向的(ないこうてき)だったし」

「そう? いずなちゃんも?」

「うん。そーだよ。自分で()うのもナンだけど、あの頃のいずなも、みんなが敵に見えていたよ。でも、いずなはみんなと知り合えて変われた。特に、ゆーちんとケースケと知り合えて」

「そんな、(おれ)、何にもしてないよ。いずなちゃん」

「そんな事無いよ。いずなは、ケースケの優しさと、純粋さに触れて、変われたと思っているよ。本当にありがとね」

 いずなは、そう()うと、すっと、体を寄せた。敬介の体の温もりが伝わってきた。敬介の体はとても温かかった。

(ケースケの優しさが、いずなの心の氷を()かしてくれたんだよ)

 いずなは、優しげに敬介を見つめた。()み切った星空の下、また、一段と冷たい北風が吹きぬけていった。

如何(どう)したの、いずなちゃん」

「ううん、なんでもないよ」

「ところで、ねえ、いずなちゃん。明日は如何(どう)しよう?」

「うーん。笛吹川(ふえふきがわ)フルーツ公園って行って見たいなあ。アニメで出てきたんだよ。ケースケは?」

「じゃあ、其処(そこ)に行こうよ。あとは、宿に戻ってお風呂(ふろ)三昧(ざんまい)?」

「わあ。いずなも、()れでいいよ。楽しみだね」


 さて、本日2回目のお風呂(ふろ)である。女性陣が脱衣所で脱いでいた。いずなが紅白のだんだらの大きなバスタオルを持っている。祐子が豊満な胸を、手で隠し(なが)()った。

「あれ、いずなちゃん。バスタオル、宿の備え付けのがあるのに」

「うん。いずなのお気に入りのバスタオルを持ってきたの。()れより、早速(さっそく)、サウナへ行こうよ。みんなも」

 女性陣が全員サウナに移動した。ゆり姉は開口一番(いちばん)いった。

如何(どう)? みんなの、明日の予定は決まったの? ひろみちゃんは?」

「はい、高志が清里に()れて行ってくれるって…」

「まあ、()かったじゃないの。冬の清里なんて幻想的だわ。いずなちゃんは?」

「うーんとね。いずなは、ケースケと笛吹川(ふえふきがわ)フルーツ公園に。で、帰ったらお風呂(ふろ)三昧(ざんまい)

()れも、楽しそうね。折角(せっかく)温泉(おんせん)に来たんだもんね。凛子ちゃんは、如何(どう)するの?」

「私は結局(けっきょく)、予定通り、明彦と博物館・美術館めぐり」

()れも、素敵(すてき)ね。すごくアカデミック。でも、凛子ちゃん達、そういう(ところ)()く行くの?」

「はい。初めてのデートは県立美術館でしたから」

「ムッキー、初めて聞いたよ、凛子っち。すごくロマンチック」

「もう、当たり前でしょ。…誰にも()ってなかったし…」

 ひろみが意外(いがい)そうに()った。

「あの眼鏡(めがね)がねえ。ちょっと、意外(いがい)だよね」

 ゆり姉が続けた。

「葵ちゃんは如何(どう)するの?」

「私は、六助君と山梨県立科学館に。プラネタリウムを見てみたくて。甲府(こうふ)の町も歩いてみたいし」

「そうすると、全員、朝から活動だね。朝ごはんは8時でいいかな? バイキングだって()ってたけど。祐子ちゃん、みうみうちゃん。私たち車組は9時頃出発と()う事で」

「はい、分かりました。正ちゃん達に伝えます」

「ムッキー、ゆうちん。もう、限界」

「私も」

 みんな、一斉(いっせい)に、サウナ室から飛び出し、水風呂(みずぶろ)や、温水プールに飛び込んだ。

「ムッキー、気持ちいい」

「確かに、病み付きになるわね。()の、サウナと冷水のコンボ」

 凛子が水風呂(みずぶろ)の中で手足を伸ばし(なが)ら、()った。

「本当だよ。いずな、最初にスーパーに行った時、ダイエットコーラを1本買ったんだけど、飲みきっちゃったもん。だから、1500を2本も買って来た」

「すごいね。でも、私もお茶の1500を2本買って来ちゃった」

「サウナの後だと、一気に飲みきっちゃうもんね」

 一方、温水プールでは、ゆり姉、祐子、葵、ひろみ、みうみうが次々と飛び込んだ。

「ぷはあ、気持ちいいね」

「本当ですね。ゆり姉」

 ひろみが自分以外の四人を横目で見(なが)()った。

()れにしても、いいなあ。みんな、胸があって…。如何(どう)みても、D以上だもん」

 祐子が赤くなり(なが)()った。

「私の場合、(ただ)のおデブだし、肩が()るし、好奇の目で見られるし、()い事なんか無いよ」

「うっきー。そうだよ。大体(だいたい)、服選びが大変なんだよ。Tシャツなんか、胸にあわせると、だぶだぶの物しか着れなかったり…」

「一度、()ってみたいわね。()台詞(セリフ)

 ひろみがヘソを曲げる。

「そんな、気にする事ないわよ。ひろみちゃん。私もひろみちゃん位の頃は、もっと、ぺっちゃんこだったから…」

「…私ぐらいですかあ?」

 いつのまにか、いずなと凛子が水風呂(みずぶろ)から場所を移して参戦している。

「…うーん。もうちょっと、あったかな…」

「ムッキー、ゆり姉までも、(いじ)める」

大丈夫(だいじょうぶ)()のうち、大きくなるから、()のうちに…ねっ」

 凛子が思い出したように、()った。

「そう()えば、彼奴(あいつ)ら、合宿中、女湯を(のぞ)こうとしてたわよね(第14話参照)」

「うん。()れも、毎晩のように。()の手の(くわだ)てを…」

「あらあら、()れで、(とう)衝立(ついたて)(こわ)れていたのね。一体(いったい)、誰なの? 首謀者(しゅぼうしゃ)は」

 ひろみが、憮然(ぶぜん)として()う。

「そんなの、決まってますよ。夜、一人でおしっこに行けない(やつ)と、むっつり眼鏡(めがね)

「へー、正太君は?」

 ひろみが溜息(ためいき)混じりに()った。

大体(だいたい)諸悪(しょあく)根源(こんげん)はハロゲン族ですね。エロ眼鏡(めがね)手綱(たづな)は、キッチリ凛子が握っていたし、敬介は、基本(きほん)無邪気(むじゃき)な小学生だし、正太は、()れてないと()うか、意外(いがい)と、異性(いせい)に対して臆病(おくびょう)なんです。結局(けっきょく)、告ったのも、祐子の方だったし…」

 祐子は、また、顔を赤らめ(なが)ら、ぷくぷくっと潜水してしまった。矢張(やは)り、自分の事が話題になるのは、少し、恥かしい。

「へー、そうなの?」

 ゆり姉が感心する。ひろみが続けた。

「祐子も内向的(ないこうてき)だったけど、異性(いせい)に対してという点に()いては、正太は()れ以上だったと思います。(しか)も、女心に対しては、極めて、鈍感(どんかん)()れに、祐子は、人間観察力というか、洞察力(どうさつりょく)(すぐ)れていたから…。()(まま)だと、何の進展もないって思ったんでしょ?…だよね、祐子」

「…うん」

 葵が感心したように()った。

「すごいよね。祐子ちゃん。()く、勇気出したね」

「ううん。みんなが、背中を押してくれたの。特に、高志君が」

 ゆり姉がひろみに()った。

「ひろみちゃんは?」

「私は、合宿中、高志に告られて…」

 凛子がニヤニヤし(なが)ら、()った。

「みんなの前で、情熱的に告られたんだよね。最後はお姫様だっこされて、部屋を出て行ったとか何とか。(くわ)しく話しなさいよ、私、()のシーン見てないんだから」

 ゆり姉と葵が目を丸くする。

「違います。()れは、正太の創作(フェイク)です。実際は、私と高志以外、居たんだけど、熟睡している振りをしていて、()れに、気がつかなかった高志が…」

 ゆり姉が(うらや)ましそうに()った。

「いいなあ、本当に、みんな、青春してるわね。(うらや)ましいなあ。私、そんな、盛り上がりは無かったもの。凛子ちゃんは?」

「私は、そんな、盛り上がりなかったですよ。()れより、いずなの方が…」

「ムッキー、凛子っち、ズルい。()れより、ゆうちん、あのでこぼこコンビは?」

「うーん。あの二人も、人気はあったけど、正ちゃんと同じだと思うよ。異性(いせい)に対しては敷居(しきい)が高かったな。何人か、アタックした子達がいたけど、みんな、撃墜されてた。特に、一平君の異性(いせい)に対するATフィールドは強固だったよ。ゼルエルレベル」

 凛子がいずなに(ささや)いた。

「ねえ、いずな。如何(どう)()う事? ATフィールドって何よ?」

「うーん。バリヤみたいなもんかな。最強の拒絶型って事」

 葵が驚いて聞いた。

「そうなの? 六助君も?」

「うん。本当は、今日の一平君もそうだけど、遠足の時の六助君見て、驚いちゃったもん」

「そうなんだ」

「だから、がんばってね。明日」

「うん」


 女性陣がぞろぞろと男子部屋に入ってきた。高志と明彦が布団(ふとん)で大の字になっている。正太郎と敬介がぷよぷよに興じている。

「ムキー、気持ち()かったあ。あれ、でこぼこブラザーズは?」

 高志が起き上がると、ミネラルウオーターをラッパ飲みし(なが)()った。

「ああ、彼奴(あいつ)らなら、台湾式足つぼマッサージに行ったぞ。()れにしても、此処(ここ)の、リラクゼーション施設(しせつ)はすごいわ。10位の施設(しせつ)が入っている。あれ、ゆり姉と凛子と葵ちゃんは?」

 ひろみが答えた。

「ゆり姉と葵は、英国式ヘッドマッサージ。凛子はタイ式マッサージに行った。私もちょっと、行ってみたかったんだけど…」

「なら、行って来いよ。折角(せっかく)温泉(おんせん)旅行だぜ」

「だって、高志と明日の計画も練らなきゃなんないし…」

「計画ってったって、列車時刻の確認ぐらいだぜ。いいよ、(おれ)がやっとくから、行って来いよ。二泊しかない、大切な一泊目だぜ」

 祐子が助け舟を出した。

「ねえ、ひろみちゃん、私達も行ってみようよ。いずなちゃんも、みうみうちゃんも如何(どう)

「ムキーッ、本当は、いずなも、ちょっとやってみたかったんだ。ねえ、ゆーちん。何にする、何にする?」

 祐子は、リラクゼーションの案内パンフレットを見(なが)(つぶや)いた。

「うーん。肩凝(かたこ)りがあるから、華北式頚肩指圧をやってみようかな。いずなちゃんやみうみうちゃんは?」

「みうみうはゆうちんと同じでいいな」

「私は、アモイ式全身マッサージ。ひろみっちは?」

「うん。私も英国式ヘッドマッサージ。そうだ、ねえ、高志たちも行かない? 折角(せっかく)来たんだし…」

「そうだな。正太、明彦、敬介。俺達(おれたち)も行くか?」

「ああ。そうだな」

「実は(おれ)も行ってみたかったんだ」

 と、明彦。敬介も(はしゃ)(なが)ら、

「行こう、行こう。実は、(おれ)も行ってみたかったんだ」

 結局(けっきょく)、全員リラクゼーションに行き、初日の()りをほぐした。


 いずながダイエットコーラをラッパ飲みし(なが)ら、

「ムッキー、ひろみっち、気持ちよかったね。明日はひろみっちがやったヘッドマッサージやってみようかな」

 ひろみもニコニコし(なが)ら、

「本当。気持ちよかったあ。いつも、敬介には面白(おもしろ)い企画を持ってきてもらって申し(わけ)ないわ」

「ムッキー、本当だね。あれっ、ゆうちん、正ちん、如何(どう)したの?」

 祐子と正太郎が、丁度(ちょうど)、部屋から出てきたところだった。

「あっ、いずなちゃん。もうすぐ、0時になるから、コンビニに夜食購入がてら、星を見に行こうと思って」

「ムッキー、ゆうちん、敬介呼んで来る。ちょっと待ってて。ひろみっちは如何(どう)する? ハロゲン族呼んで来る?」

「うん、高志を呼んで来る。祐子、ちょっと待っててね」

 ()うして、一同は思い思いのリラクゼーションを満喫(まんきつ)したのであった。


 翌日、(おおむ)ね、7時頃には、全員起床した。此処(ここ)では、朝型、夜型が、物の見事に分かれる形と相成(あいな)った。朝型の代表格は祐子、正太郎、六助、一平である。現に、正太郎と祐子は、6時頃から、笛吹川(ふえふきがわ)河畔(かはん)へ散歩に出掛けた様であったし、六助は笛吹川(ふえふきがわ)側道をランニング。一平は、ランニングがてら国道20号を西進し、(しか)(のち)、平和通を北上し甲府(こうふ)駅まで行くと、スポーツ新聞を買って帰って来たとの事である。一方、中々起きられなかったのが、高志といずなであり、正太郎と祐子が7時頃、宿に戻った時にも、()だ、夢の中であり、起こした後も、寝ぼけ(まなこ)で食堂に来た次第(しだい)である。朝食はバイキング形式となっていたのであるが、()れ又、面白(おもしろ)い様に和食派と洋食派に分かれたのである。正太郎、高志、六助、敬介、葵は和食派であるのに対し、明彦、祐子、いずなは洋食派。そして、折衷(せっちゅう)型である、凛子、ひろみ、みうみう、百合姉(ゆりねえ)である。彼らは、倉皇(そうこう)として、朝食をかっこむと、部屋に戻り、今日の活動の準備を始めたのである。


 出発は、各グループ、三々五々出発する形となった。凛子と明彦は山梨県立博物館を目指した(ため)、徒歩で国道20号を東へ向った。距離にして約2km。営業開始が9時となっているから、のんびり、道中を楽しめば丁度(ちょうど)()いのではないか。宿の送迎バスを利用して、石和温泉(いさわおんせん)駅に向ったのは、高志、ひろみ、敬介、いずな、六助、葵である。(もっと)も、高志、ひろみは甲府(こうふ)駅であずさ1号に連絡する関係上、8時16分発の普通列車に乗らねばならず、一本先の7時50分の送迎バスを使って、一足先に駅に向かった。敬介といずなは上り列車で山梨市駅(まで)行き、其処(そこ)からバスで、笛吹川(ふえふきがわ)フルーツ公園を目指す様である。六助と葵は高志達より一本遅い下りで甲府(こうふ)(まで)行き、山梨県立科学館を目指す様である。(さて)、正太郎と祐子、一平、みうみうは小百合(さゆり)の車に便乗(びんじょう)する形で、甲府(こうふ)駅北部の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡地。(すなわ)ち、武田神社を目指したのである。


 躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は武田三代の居館(きょかん)である。甲府(こうふ)駅北方2kmの甲府盆地(こうふぼんち)北端(ほくたん)に位置し、武田通りと()う大学や専門学校に挟まれた(にぎ)やかな坂道を上り詰めると突き当たる。神社は扇状地(せんじょうち)上端(じょうたん)にあり、後方を、要害山城(ようがいさんじょう)後詰(ごつめ)とし、甲府市(こうふし)一望(いちぼう)出来(でき)る高台に(にら)みを利かせている。今では武田神社として、甲州一円の信仰を集めており、地元では、今でも、信玄公の事を呼び捨てにする者は無く、信玄公とか信玄さんと親しみを込めて、呼んでいると()う。正太郎は、昔、父親から聞いた話を思い出した。父親の郷里、鹿児島でも似た様な状況(じょうきょう)にあると()う。

「島津の殿さんや西郷さんを呼び捨てになんかはしない。そんな(やつ)は、生麦(なまむぎ)事件で切り殺された英国人(イギリスじん)と同じ目に()って、(しか)るべきで、文句(もんく)()えない」

 正太郎は、酔っ払って()の様な事を(のたま)っている父親を何度か目撃している。冷静に聞いてみると、(すこぶ)物騒(ぶっそう)な話であり、随分(ずいぶん)と、(かたよ)った郷土愛と()えなくも無いが、()れが薩摩人(さつまじん)の本心なのであろう。正太郎にしてみれば、(たと)えば、権現(ごんげん)さん(家康公の事)に対し、流石(さすが)其処(そこ)(まで)の思い入れは無い。正太郎は、子供心に(なか)ば冷静に、酔客(すいかく)戯言(ざれごと)を聞き流していた事を思い出した。


 武田神社は結構(けっこう)な観光客で(にぎ)わっていた。もうすぐ、新年を(むか)えるにあたり、()の準備もあるのであろう。巫女(みこ)さんや業者さん達が、(あわただ)しく行きかっている。武田神社、いや、此処(ここ)では(あえ)て、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)呼称(こしょう)するが、如何(いか)にも甲斐(かい)の国の、国守の居館(きょかん)らしく、甲府市(こうふし)一望(いちぼう)出来(でき)る丘の上にある。(さて)、正太郎、祐子、小百合(さゆり)、一平、みうみうの一行は北にある本殿へと向かって歩いて行った。小百合(さゆり)と一平が、二人、ぎこちなくも肩を並べ先行し、()の後、3人が並んで歩いている。祐子も、まあ、正太郎もそうなのであるが、友達作りは器用(きよう)な方ではなく、(わり)と、中学時代はボッチな方であった。(さら)()えば、みうみうもである。(したが)って、正太郎と祐子の間にみうみうが割り込む形となる。()の日のみうみうは、赤のトレーナーであり、白で可愛(かわい)らしい猫ちゃんが描かれている。下はチェックのロングスカートで、中々に少女チックである。

「わあ、みうみうちゃん。可愛(かわい)い柄だね。其のトレーナー」

「うん。にゃんにゃんなんだよ。みうみうのお気に入りなの。でも、ゆうちんのジャンパースカートもすごく可愛(かわい)いよ」

「そうかな? 私が着ると、何か、露西亜小芥子(マトリョーシカ)みたくなっちゃうんだけど…」

「そんな事無いよ」

 みうみうが肩身が狭い思いをしないように、祐子が(すこぶ)る気を使って、(しき)りに話を振る。(さら)に、そんな祐子を(おもんぱか)って、正太郎もみうみうと打ち解けて話をする。実に見事な、以心伝心(いしんでんしん)であった。


()れ。一体(いったい)、何だろ?」

 祐子が(かたわ)らにある井戸の様な物を指差(ゆびさ)す。

「ははあ。水琴窟(すいきんくつ)だな」

 正太郎が答えると、

「なんだよ。()れ」

 と、一平が(いぶか)る。正太郎が笑い(なが)ら答える。

「落ちる水滴の音を反響させて、音を楽しむ(ため)仕組(しく)みさ。此処(ここ)の下には、中に大きな(かめ)が仕込んであってな。其処(そこ)に落ちた水滴が、反響する様な仕掛けになっているんだ」

 確かに、時折(ときおり)、ポロン、ポロンと、弦楽器(ストリングス)の様な神秘的な音が、(かす)かに聞こえる。

「へええ、()れで琴なんだ。昔の人は、実に風流(ふうりゅう)だね」

 祐子も感心する。だが、其処(そこ)でみうみうが異論を提出する。

「うっきー。綺麗(きれい)音色(ねいろ)だね。でも、琴と()うよりも、月琴(げっきん)かリュートみたいな音色(ねいろ)だね。でも、低い音は、やっぱり、コントラバスかなあ」

「みうみうちゃんは耳が()いわね。私なんか(ほとん)ど聞き取れないわよ」

 ゆり姉がみうみうの耳の()さを、不平と(とも)(たた)える。みうみうは無邪気(むじゃき)屈託(くったく)の無い笑顔で、()う応える。

「えへへ。だって、私、元ブラスバンド部ですよお。今は帰宅部だけど。耳は自信があるんです。正ちん程じゃあ無いけど…(第30話参照)」

 だが、みうみうの()の発言に対し、驚いて反応するのは祐子である。

「えええー。初耳だよ。みうみうちゃんも、ブラスやってたの? だったら、ブラバンに入ろうよ。楽器は何やってたの?」

「みうみうで()いよ、祐ちん。パートはクラだよ」

「えええー。私もクラだよ。みうみうちゃ、ううん、みうみうも一緒(いっしょ)にやろうよ。身近で教えてくれる人が欲しかったんだ。いつも、いずなちゃんに聞いてばかりだと申し訳ないモンね。だけど、みうみう。4月に何で入らなかったの?」

「うーん。えーと、一身上(いっしんじょう)都合(つごう)かな…」

「えー、みうみう。ブラバンはいろうよ。一身上(いっしんじょう)都合(つごう)とやらがあるかもしれないけど。私、みうみうと一緒(いっしょ)にやりたいな。考えといてね。みうみう」

「…うん」

 ()の場は、祐子に押し切られる形で、思わず(うなず)いてしまったみうみうであったが、()りとて、みうみうの、所謂(いわゆる)一身上(いっしんじょう)都合(つごう)も、中々に剣呑(けんのん)なのである。


 正太郎は()(くだり)を見ていて、自身の小学校時代を思い出した。正太郎は小学校の4年の4月に、サッカー部に入部した。体を(きた)えたかった(わけ)ではない。修吾の執拗(しつよう)勧誘(かんゆう)に、(あらが)いきれなかった(わけ)でもない。祐子との日々に()いた(わけ)でもない。()いてあげるとすれば、男友達の中、孤独(ボッチ)で居るのに(いささ)嫌気(いやけ)したと()うのが、正鵠(せいこく)()ていると()えるだろう。多少(たしょう)自閉(じへい)スペクトラム症的気質(きしつ)を持つ、()の少年は、友達を作るのが(あま)上手(じょうず)な方では無かった。()の決断は、祐子を、当然(とうぜん)傷心(しょうしん)させた(わけ)でもあるが、()りとて、祐子も流石(さすが)文句(もんく)()えた義理では無かった。だが、正太郎にしてみれば、此処(ここ)から先の道は、(わり)(いばら)の道でもあったのである。二の丸小学校のサッカー部は、結構(けっこう)、強かった。所謂(いわゆる)、強豪校なのである。()れは、小学校時代から県代表に選抜される、六助、一平、修吾と()ったタレント(ぞろ)いであった事からしても、(うなず)ける。正太郎はと()うと、毎日、トラップ、インサイドキック、そして、球拾いの繰り返しである。一級下の3年生や、ともすれば、2年生相手に、延々とサイドキックの練習である。当時から県代表で、()わば、ヒーローでもあった六助や一平、修吾相手に、ボールが()れる(はず)も無く、下級生とのパス練習ばかりであった。()の下級生にも、いつしか、抜かれ、そして、置いていかれ、正太郎にとってサッカーとは、必要以上の劣等(インフェリオリティ)(コンプレックス)を体験する(ため)の、倶楽部活動(クラブ)でもあった。()れでも、何とは無しに、インサイドキックは()れる様になったのであるが、彼の場合、インステップキックが剣呑(けんのん)であった。如何(どう)()っても、地面を転がるだけで、ふわりと宙を浮く様な、軌跡(きせき)を描くボールが()れないのである。六助や一平、修吾などは、いとも簡単にボールを()り、()れが、ギューンと、20メートルも、30メートルも飛ぶのに対し、正太郎が渾身(こんしん)の力を込め()ったボールは、コロコロと(むな)しく地面を転がるのみなのである。


 ()の当時、正太郎が最も仲が()かったのは、岩井修吾であった。当時ですら160センチと恵まれた体格の修吾は、昭和の時代で()(ところ)の、ガキ大将キャラであった。幼稚園の時分から、自分の意に沿()わぬ事に対しては、常に腕力で従わせて来た。そんな、乱暴者な彼であったが、何故(なぜ)か、正太郎には一目置いていた。正太郎が、勉強が出来(でき)る事に斟酌(しんしゃく)した(わけ)でもあるまいが、他の子達は、彼の粗暴(そぼう)さを敬遠(けいえん)していたのに対し、正太郎は()りと遠慮なく物申していた。そんな(ところ)を、気に入ったのかも知れない。(しか)し、正太郎が入部した4年の初めに、彼が、()(まで)守って来たFW(フォワード)のポジションを、追われる事となるのである。彼は、DF(ディフェンダー)にコンバートされた。()れには、流石(さすが)の修吾も落胆(らくたん)した。だが、()れも、たった1日だけの事で、明くる日からは、いつもの修吾らしい溌剌(はつらつ)とした様子(ようす)で、練習に(いそ)しんでいた。修吾のポジションを奪ったのは、なんと、一平である。典型的な俺様(おれさま)キャラである修吾が、ポジションを追われた事で、チーム内が(にわ)かにざわついた。粗暴(そぼう)な修吾が、一平と一悶着(ひともんちゃく)起こすのではと、懸念(けねん)されたのであった。(しか)し、修吾は大人(おとな)しかった。(はた)から見れば、当然(とうぜん)納得(なっとく)づくとは思われぬのであるが、修吾は不気味(ぶきみ)な程、物静かに振舞っていた。勿論(もちろん)、ド素人(しろうと)である正太郎の私見(しけん)ではあるが、修吾と一平を比較した時、何方(どちら)CF(センターフォワード)に向いているかと考えると、()れは明らかに修吾の方なのである。確かに、足技(スキル)速力(スピード)は一平に一日(いちじつ)の長がある。(しか)し、あの、当り負けしない体幹(たいかん)()い、高い身体能力と()い、洗練(せんれん)されたヘディング技術と()い、(なん)外連味(けれんみ)(てら)いも無く一直線にゴールへ向うあの突進力と()い、何が何でも点を取ると()う、あの胆力(たんりょく)()い、CF(センターフォワード)としての資質(ししつ)は修吾の方に()があるだろう。抑々(そもそも)、一平は典型的なWG(ウインガー)(タイプ)FW(フォワード)である。縦横無尽(じゅうおうむじん)にサイドを切り裂き、CF(センターフォワード)にラストパスを供給するのが最大の持ち味である。事実、長らく、修吾と一平のコンビで、前線を張って来たのである。(おそ)らくは、監督(コーチ)が、修吾にFW(フォワード)以上にDF(ディフェンダー)の適正を見出(みいだ)し、手薄なDF(ディフェンダー)の人材育成の(ため)にコンバートしたのであろう。()うして、正太郎と同じポジションに修吾が来てくれた事で、正太郎と修吾の間はますます深まって行ったのであった。修吾は、実に()く練習をした。練習が終わってからも練習をした。日も暮れ、学校を追い出されると、修吾の自宅前の資材置き場、所謂(いわゆる)、空き地でボールを()った。()の時の相手が正太郎であった。修吾は、()(まで)粗暴(そぼう)な振る舞いが(わざわ)いして、練習が終わってからなお、修吾に付き合おうと()奇特(きとく)友達(やつ)は、正太郎しかいなかった。正太郎は一度、修吾に(たず)ねてみた事がある。(うわさ)どおりに、一平をやっつけるつもりかと。()れに対して、修吾は如何(いか)にも驚いた(ふう)で目を丸くすると、()う答えた。

「そんなバカするかよ。野郎(やろう)をぶちのめしたら、FW(フォワード)に戻れるならいざ知らず…。いや、戻れてもやらねえな。だって、(おれ)彼奴(あいつ)の事が好きだからな」

「好き?」

「おっとっと、妙な誤解をするなよ。そう()う意味じゃあ、ねえ」

「そりゃ、(わか)ってる。お前の好きなのは、ヤス…」

(やかま)しい!」


 ゴンッ。


 顔を赤らめた乱暴者の鉄拳(てっけん)が、正太の頭上に振り下ろされた。

「…たく、もう」

「あいたたた」

「そうじゃあねえ。(おれ)彼奴(あいつ)華麗(かれい)なサッカーが好きなんだ」

華麗(かれい)なサッカー?」

 正太郎は(いぶか)しんだ表情(カオ)で、そう反芻(はんすう)する。

「ああ」

 修吾が(うなず)く。下手糞(へたくそ)な正太郎からすれば、六助や一平だけでは無く、修吾のサッカーも充分に華麗(かれい)である。何しろ、県代表なのである。だが、そんな修吾から見ても、矢張(やは)り、六助や一平は別格だと()う。正太郎から見れば神々の(ごと)く思われるそんな彼らの間にも、斯様(かよう)軒輊(けんち)があろうとは、思われ無かったのだ。

「今の(おれ)は、彼奴(あいつ)らに、到底(とうてい)(およ)ば無い。だけど、いつかは辿(たど)り着きたい。そう、思っているんだ」

「そんなに、思うのなら、一緒(いっしょ)に練習しようと誘ってみたら、如何(どう)なんだ。(おれ)みたいな下手糞(へたくそ)相手にする練習より、()る物も多いだろ」

 修吾は悲しげに肩を(すく)めると、()()った。

(おれ)は、本気になった彼奴(あいつ)らを、見てみたいんだよ。彼奴(あいつ)らとボールを()ると(わか)るんだ。勿論(もちろん)、手を()いている(わけ)じゃあねえが、彼奴(あいつ)ら、一段も二段も降りて来て、(おれ)の相手をしてくれて居る。そう思うと、やっぱりな…。彼奴(あいつ)ら、()()ってるだろ。『人前でするのは、練習じゃあねえ』って」

 正太郎は()の時、成程(なるほど)と、思った。()の言葉、プロ野球選手である、落合博満が口にしたと()われる。彼は卓越(たくえつ)した野球センスの持ち主ではあったが、()れ以上に練習の鬼でもあった。そんな彼が、集中力の()がれる他人(ひと)との練習を嫌い、一人での練習を好んだのは、有名な話である。()われて見れば、イチローにも、()の様な逸話(エピソード)が有ったと(つた)う。()だ、小学生ではあったが、六助や一平にも()の様な(ところ)が確かにあった。正太郎はふと思った。確かに、天才肌の()の二人であったが、何よりも、天才的なのは、努力を()しまず、()れに没頭(ぼっとう)出来(でき)る事ではないかと。努力し続ける事が、()自体(じたい)、最大の才能なのだ。其れこそが、屹度(きっと)天賦(てんぷ)の才能、(すなわ)ち、天才と()(ヤツ)の正体なのであろう。だが、(しか)し、一方で、六助や一平にも相手がほしい時は、ある。そう、そんな時でも、彼らは、一年中、夜明け前から練習をしているのである。朝の早い正太郎は、自宅の前の広闊(こうかつ)な空き地で、一人でボールを()っている六助の姿を目撃した事が、何度かある。

一緒(いっしょ)()らないか? (おれ)にも教えてくれよ」

 正太郎が声を掛けた事もあった。そんな時、六助は、決って含羞(はにか)んだ様な笑顔を浮かべ(なが)ら、相手をしてくれるのであった。屹度(きっと)、修吾が正太郎を練習に誘う時も、同じ様な心理であったのかもしれない。


 結局(けっきょく)、正太郎は、3年間で公式戦の出場は一度も無かった。インステップキックすらまともに()れない正太郎に、お呼びの声が掛かる(はず)も無く、出る(まく)など無かった。二の丸小学校のサッカーチームは部員が50名程(めいほど)いるのだ。人数にして4チーム以上の人数である。普通に考えれば、()れは(むべ)なる話では、あった。


 でも、(くや)しかった…。


 最後の公式戦が終わった後、正太郎は、スタンドで(みな)とは、やや離れて、遅い弁当を食べていた。何故(なぜ)だか、一人で居たかった。随分(ずいぶん)と小ぶりの弁当である。母が正太郎の活躍を祈念(きねん)し、彼の(ため)に、早起きして一生懸命(いっしょうけんめい)作ってくれたものである。白いご飯と、黄色い卵焼きで見立てた砂浜。赤いウインナーで作られた(タコ)菠薐草(ほうれんそう)の海草。人参(にんじん)海星(ヒトデ)()綺麗(きれい)(いろど)られた弁当は、正太郎の視界の中で、見る見る内に(ぼや)けて行った。何故(なぜ)か、涙が止まらなかった。()れを見た下級生のチームメイトたちが、面白(おもしろ)がって(しき)りに(はや)し立てる。


下手糞(へたくそ)正太のぼっち(メシ)


 子供と()うものは、実に残酷である。(くや)しくも悲しい、一人ぼっちの涙午餉(なみだメシ)()れでも、涙は止まらなかった。人前で、(くちびる)を噛み締め(なが)ら、顔中くしゃくしゃにして、ぼろぼろと涙を(こぼ)す正太郎。(やが)て、()れを見かねた修吾が、正太郎を嘲笑(あざわら)うチームメイトたちに一人づつ、鉄拳制裁(てっけんせいさい)を加えだした。中には、修吾の打擲(ちょうちゃく)を受け、泣き出す子供達もいたが、()れでも、修吾は容赦(ようしゃ)をしなかった。如何(どう)やら、正太郎の涙とは重さが違うと()う事らしい。正太郎の涙は(とど)まる事はなかった。正太郎の(くや)しくも(かな)しい、最後の公式戦の想い出なのである。


 (さて)、正太郎が小学校6年生の2月の事である。()の日、正太郎の代の、最後の活動として、紅白戦が組まれた。30分の試合を4本。監督は、(すべ)てのメンバーを出場させる心算(つもり)で、選手を目まぐるしく交代させて行った。そんな中、矢張(やは)り、正太郎には出番(でばん)が無かった。だが、4本目の試合の先発に正太郎が出場した。正太郎は紅組。ポジションはDF(ディフェンダー)であった。正太郎にしてみれば、生涯初(しょうがいはつ)の試合である。紅組には六助がいたものの、全体の戦力比は、やや、白組に()があった。白組は、一平、修吾に加えて、一級下の、ヨシキやリュウジといった、現チームでも、(すで)先発組(せんぱつぐみ)のメンバーが名を(つら)ねている。白組は終始(しゅうし)押し気味に試合を進めていた。正太郎は左サイドバックでの出場であったが、一級下のヨシキには、再三(さいさん)、突破されていた。意地(いじ)の悪い事に、ヨシキは、態々(わざわざ)、正太郎の(また)を抜くのだ。ヨシキは修吾たちに並ぶ実力者であり、ポジションはMF(ミッドフィールダー)である。彼は()華麗(かれい)技術(テクニック)で、正太郎の接近を待ち、股抜(またぬ)きを敢行(かんこう)するのである。点差も開始10分で0―2と開いており、()れさえも、何とか六助の活躍で()の点差に収まっている状態であり、六助がいなければ、最早、試合にならなかった状態なのである。斯様(かよう)状況(じょうきょう)であった(ため)(いきお)い、試合は紅組陣内で展開される事となったのである。


 (さて)、試合も残り3分。点差は0―5と大差がついた状況(じょうきょう)であったのだが、正太郎は()だ試合に出場していた。(れい)()って、ボールを保持(ほじ)していたのはヨシキである。彼は()りもせず、正太郎の股抜(またぬ)きを(ねら)って来た。


 パシッ。


 (かわ)いた音と(とも)に、正太郎は股抜(またぬ)きを(はば)んだ。ヨシキが股抜(またぬ)きに来る事を予見(よけん)した正太郎の(かかと)と地面の間にボールが引っ掛かった。ヨシキは(にわ)かに顔色を変える。格下と(もく)されていた正太郎に、股抜(またぬ)きを阻止(そし)された事が、彼の自尊心(プライド)(いた)く傷つけたのであろう。彼は猛然(もうぜん)と正太郎に向けて突進して来た。下手糞(へたくそ)な正太郎の事である。()うして、圧力(プレス)を掛ければ、(すぐ)に、ボールを失う可能性が極めて高い。事実、正太郎は、(いささ)途方(とほう)に暮れていた。ボールを奪ったはいいが、自分には()れを保持(キープ)する技術(テクニック)は無い。周辺にも紅組はいない。後方に固まっているのみなのである。正太郎は右足で軽くボールに触る。と、同時にヨシキが猛然(もうぜん)とスライディングを敢行(かんこう)して来た。ボール保持者の、最初のボールタッチ直後を(ねら)う。()れは鉄則である。ヨシキの選択も、然程(さほど)、悪くは無かった。


 パパン。


 (しか)し、正太郎は右足で軽く(はた)いたボールを、左インサイドで()かさず、前方へ()りだした。決して、深い考えがあっての事では無い。周りが見えていた(わけ)でも無い。無我夢中(むがむちゅう)所業(しょぎょう)である。右足で(はた)いたボールをすかさず左足で蹴る。()れは、修吾から伝授(でんじゅ)された、(ごく)初心者(シロート)向けの技術(テクニック)であった。(しか)し、正太郎の()ったボールは、()しくも、猛然(もうぜん)と迫り来るヨシキの(また)を抜く。(さら)に、正太郎と()のボールの延長上には、六助が居た。彼は、懸命(けんめい)に正太郎が(つな)いだボールを受けると、ひらりひらり、(またた)く間に2人を()わし、俄然(がぜん)、加速すると、敵陣に向って疾走(ドリブル)を開始した。正太郎も、ボールを出して終わりでは無かった。監督(コーチ)から教わったとおりに、猛然(もうぜん)と敵陣に向って全力疾走(ぜんりょくしっそう)を始めたのだ。紅組の他の子供達も、四方(よも)や、下手糞(へたくそ)の正太郎が、ヨシキのボールを奪取(だっしゅ)するばかりか、彼を()わしてパス出しするとは夢にも思わなかったので、一瞬(いっしゅん)傍観者(ボールウオッチャー)となってしまった。(しか)し、次の瞬間(しゅんかん)、全員、白組陣に向って駆け出したのだ。所謂(いわゆる)、キック&ラッシュのカウンターである。()れが紅組の唯一(ゆいいつ)のカウンターとなった。ボール保持者(ほじしゃ)である、六助に対して、白組守備陣が殺到(さっとう)する。(しか)し、六助は(あわ)てた(ふう)も無く、左へ、右へ、踊る様に、歌う様に、ドリブルスピードを殺さず、軽く()なして行く。味方にすれば、()れほど頼もしい男はいないだろう。だが、白組も一筋縄ではいかない。多少(たしょう)、引き気味に守っていたFW(フォワード)の一平。DF(ディフェンダー)のリュウジ、そして、CB(センターバック)の修吾が天聳(あまそそ)泰山(たいざん)(ごと)くに、白組ゴール前に立ちはだかる。守備の(かなめ)である修吾が(さけ)ぶ。

一平(イチ)、左のコースを切れ! リュウジ。お前は右だ。正太とのコースを切れ! (おれ)一平(イチ)で、(ロク)仕留(しと)める!」

 ()の言葉の通りに、一平がパスコースを切り(なが)ら、六助の右前方から迫ってくる。そして、修吾が小山の様な体格で、六助とゴールとの間に立ちはだかり、シュートコースを消し(なが)ら、やや後ずさりしつつも、徐々(じょじょ)に、六助との間合いを詰めて来る。矢張(やは)()の男、知性とは無縁な風であっても、サッカーIQは中々に高い。2対1と()う数的不利を常に強いてくる。六助の前にはドリブルをする空間(スペース)(ほぼ)無い。だが、六助は保持(キープ)中は勿論(もちろん)の事、ドリブルの最中(さなか)で有っても、(つね)に、自身が制御(コントロール)出来(でき)(ところ)にボールを置く。彼は、本来は右利きである。(しか)し、左右同等の性能(パフォーマンス)発揮(はっき)出来(でき)る。そして、此処(ここ)でリュウジが少し遅れた。六助は()(かく)、攻撃側の今一人は、下手糞(へたくそ)の正太郎なのである。正太郎の後方から、先程(さきほど)()かれたヨシキが鬼の形相(ぎょうそう)で迫って来ている。()(おご)りが、リュウジの動きを、(わず)かばかりに緩慢(かんまん)にさせた。そして、六助が()(すき)を見逃す(はず)が無かった。


 パシィ。


 六助が(ごく)軽く、()き足とは逆の左足でボールを(はた)く。丁度(ちょうど)、リュウジとヨシキの(せま)い間。(ぞく)()う、(ゲート)()(やつ)である。軽く(はた)いた様に見えたボールではあるが、ギューンと(うな)りを上げると、地を()う様な球勢(きゅうせい)から、グンと浮き上がり、右へ、(すなわ)ち、ゴール方向へ、そして、正太郎の右後方45度から、正太郎の頭上を越え、前方へ()けて行った。だが、此処(ここ)不思議(ふしぎ)な事が起きた。(くだん)のボールであるが、(にわ)かにフラフラと失速すると、急にお辞儀(じぎ)を始め、正太郎の前方3m程の(ところ)へふわりと落下したのであった。(さなが)ら、大型の鷙鳥(しちょう)優雅(ゆうが)(つばさ)を広げふわりと着地した様な(おもむき)があった。だが、()れは、修吾、一平、ヨシキ、リュウジ、()の場にいる全員が予見(よけん)出来(でき)ていた事でもあった。六助の置きに行くパス。所謂(いわゆる)、ベルベッドパスである。リュウジは思った。初動(しょどう)で出遅れはしたが、何と()っても、パスの受け手が下手糞(へたくそ)な正太郎なのである。右後方から来る難易度の高い浮き球を、難なくトラップ出来(でき)る物とも思われぬ。トラップにもたついている間に、クリヤーすれば()い。(しか)(なが)ら、六助のパスは実に受け手に優しいパスである。彼は球に、強烈(きょうれつ)逆回転(バックスピン)を掛けている。斯様(かよう)なロングボールであっても、ボールが地面に落ちた時ですら、地面に吸い付く様にピタリと止まり、バウンドすらしないと(まで)()われていた。事実、()の時もバウンドする事は無かった。と、()うよりも、ボールが地面に落ちる事は無かったのである。


 パシィッ。


 と()う、妙に軽い音と(とも)に、正太郎の右足の甲が、吸い込まれる様に、完璧(かんぺき)なタイミングで、空中にあるボールを(とら)えたのである。今迄(いままで)、何度練習しても、まともに()れなかったインステップキック。確かに、インステップキックは、プレースキックよりも浮き球の方が、容易(かんたん)であると()われてはいる。(しか)し、あの正太郎が、後方からの浮き球を、ノートラップで(さば)くとは、誰も思いも()らなかったのである。


 果然(かぜん)、正太郎の放ったボレーシュートは、次の瞬間に、ゴール右上隅天井に突き刺さり、ゴール内で大きくバウンドしていた。キーパーは一歩も動けなかった。スタンドで見ていた祐子に()れば、ライナー性の弾道(だんどう)で、ズドンと()う感じであったと()う。()った正太郎自身が、自身(おの)が目を疑った程である。何よりも()った感触がまるで無かった。然し、サッカーに携る人間であれば、(およ)そ、一度は決めてみたいゴールであった。当然(とうぜん)()き立つ紅組陣営。だが、敵である(はず)の修吾が真っ先に近づいて来た。彼は豪放磊落(ごうほうらいらく)に、ガハハと笑うと、バシンと正太郎の肩を(たた)き、()()(はな)った。

「やったな、正太。ナイスシュートだ」

 彼は親友である正太郎のゴールを、我が事の様に喜んだ。と、同時にヨシキとリュウジに向って、説教を()れ始めた。

「お前ら、抑々(そもそも)、人を()めすぎだ。此奴(こいつ)が、毎日どれだけ、練習していたのか、見てなかったのか? 『点滴(てんてき)、人を穿(うが)つ』と、()うだろ」

 多少(たしょう)の照れ隠しもある正太郎が、()かさず、修吾の誤謬(ごびゅう)指摘(してき)する。

点滴(てんてき)が人を穿(うが)って如何(どう)する? ()れを()うなら、『涓滴(けんてき)岩を穿(うが)つ』、だろ」

(やかま)しい!」

 正太郎の頭上(ずじょう)に、真っ赤になった修吾の鉄拳(てっけん)炸裂(さくれつ)する。相変(あいか)わらず、蒙昧(もうまい)な乱暴者ではある。だが、実に、男気(おとこぎ)(あふ)れる乱暴者でもあった。(さら)()の乱暴者は続ける。

()(かく)、人を(あま)()めるな! 此奴(こいつ)だって、3年間休まずに練習を続けて来たんだ。抑々(そもそも)(あなど)るべきでは無いんだ!」

 と、何処(どこ)かで聞いた事のある様な台詞(せりふ)を口にする。意外(いがい)と、冷静でクールだったのは、六助である。正太郎は、試合終了後に六助に聞いてみたのだ。

何故(なぜ)(おれ)にパスを出した? お前が打った方が、確実だっただろうに…」

 六助は、(すこぶ)怪訝(けげん)そうな顔をすると、

「確実? (おれ)一番(いちばん)確実な手段を選んだ心算(つもり)なんだがな。何しろ、此方(こっち)は、修吾と一平にマークされてんだ。そうそう、簡単にシュートなんか、打たせてもらえるもんか。すぐ、目の前にフリーで走り込んでいる(オマエ)がいるんだ。司令塔として、当然(とうぜん)選択(チョイス)だろ。まあ、ノートラップで決めに来るとは思わなかったけどな。あれだけ、強烈(きょうれつ)逆回転(バックスピン)を掛けたんだ。結構(けっこう)()りにくかったろ?」

 ()くして正太郎最後の紅白戦は1―5のスコアで、幕を閉じたのである。(おそ)らくは、正太郎のサッカー人生に()いて、最初で最後の得点の思い出と(とも)に。


「何だって? 中学ではサッカーをやらないって()心算(つもり)か?」

「ああ、悪いな。でも、いろいろ、教えてくれて有難(ありがと)う。本当に楽しかったよ」

馬鹿野郎(ばかやろう)。楽しくなるのは、()れからだろうがよ。なあ、正太。続けようぜ。一緒に中学でもブイブイ()わそうぜ」

「本当にすまない。修吾。だけど、中学では、如何(どう)してもやりたい事があるんだ」

 修吾は正太郎の顔を、ギョロリと、睥睨(へいげい)する。正太郎の()の顔には、一歩も引かないぞと()う決意が(にじ)み出ていた。

(そうだ、()の顔だ。以前、此奴(こいつ)()の顔をした時には、俺様(おれさま)相手にも、一歩も引かなかった)

 修吾は思う。元来(がんらい)、正太郎はボールを()るよりも、本を読んでいる方が似合(にあ)う男だ。屹度(きっと)、中学にあがったら、今迄(いままで)出来(でき)なかった読書を存分(ぞんぶん)にやりたいのだろうな。修吾はそう思うと、正太郎を引き止める事を、渋々(しぶしぶ)断念(だんねん)した。だが、()の時の修吾の勝手な思い込みが、隣家(りんか)喧嘩(けんか)友達であるヤスベエに(つた)わり、()れが、(やが)ては、祐子へと伝播(でんぱ)して行く事となるのである。()の物語の冒頭(ぼうとう)。第1話で祐子に(もたら)された誤情報は、()うして創生(そうせい)されて行ったのである。

愈々、佳境に入って来た甲州旅行記。あちこちで楽しんできた一同ではあるが、矢張り、ドタバタが無ければ、赤燈台物語ではない。戻って来て、早々に、宿で一悶着が発生する。次回、『第41話 私もあるよ!(石和温泉旅行編【5/6】)』

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