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第38話 俺たちの銀河鉄道(石和温泉旅行編【2/6】)

 一行(いっこう)が、()武田信玄公(たけだしんげんこう)(ゆかり)県都(けんと)に到着したのは、お昼を少々(しょうしょう)回った(ころ)であった。コインロッカーに荷物を預けて、甲府(こうふ)駅南口に降り立った。目指すべき、山梨県立科学館は駅北口となってはいるが、甲府(こうふ)駅の南口の方が栄えており、腹拵(はらごしら)えするにも店を見つけ(やす)かろうとの理由から、南口に降り立ったのである。駅前には、武田信玄公(たけだしんげんこう)の銅像があり、どっかりと床机(しょうぎ)に腰を()え、約5mの高さから周囲を睥睨(へいげい)している。()の像は、川中島の戦いに(のぞ)信玄公(しんげんこう)をイメージしたものとされ、右手に軍配(ぐんばい)、左手に数珠(じゅず)(たずさ)え、今では甲府(こうふ)駅前のシンボルとなっている。一体(いったい)に、甲府(こうふ)()う地名は、甲州の府中(ふちゅう)()う意味であり、そうした意味では、駿府(すんぷ)()う言葉も(ほぼ)同義に当る。一行(いっこう)武田信玄公(たけだしんげんこう)の銅像を見上げ(なが)ら、平和通を南下して行った。駅前にほうとうの老舗(しにせ)らしき店舗があったのだが、数多(あまた)の客が並んでおり、別の店を探す事となった。通りの右手には郵便局があり、左手には山梨県庁が見える。()の通りは、甲府(こうふ)市の目貫通(めぬきどお)りに(あた)り、山梨県、甲府(こうふ)市の官公庁、金融機関、証券会社、大企業が(のき)(つら)ね、目指(めざ)すべき料理屋などは見つからない。(しか)し、此処(ここ)は、()のメンバー屈指(くっし)の人間通である高志が、早速(さっそく)物怖(ものお)じせず、通行人を捕まえると、地元(じもと)名物である『ほうとう』の美味(うま)い専門店を聞き出したので、行ってみる事とした。()の、地元(じもと)在住(ざいじゅう)の、胸の大きな綺麗(きれい)なお姉さんが()う事には、何でも、飯田通り沿()いに()る『ほうとう』屋がお(すす)めであるとの事である。『ほうとう』とは山梨県を中心に(しょく)される郷土(きょうど)料理であり、小麦粉を()った短めの(めん)を、かぼちゃ、にんじん、いもなどと味噌(みそ)で煮込み、(しょく)するものである。正太郎が聞いた説では、武田信玄公(たけだしんげんこう)(ゆかり)の武田家秘蔵の軍用食(コンバットレーション)との事であったが、此方(こっち)如何(どう)やら俗説(ぞくせつ)の様であり、()のルーツは(さら)に古い様である。まあ、一般的な軍用食(コンバットレーション)、例えば、カレーライスなどと比較しても、栄養価(カロリー)遜色(そんしょく)無く、調理も比較的容易(ようい)であり、軍用食(コンバットレーション)としてはうってつけであり、先程(さきほど)俗説(ぞくせつ)を妙に裏付ける様な代物(しろもの)ではある。正太郎は(にわ)かに思った。


(なかなかに、栄養価(カロリー)が高そうだな…)


 まあ、()れはそうであろう。ほうとうにせよ、カレーライスにせよ、お手軽で、栄養価(カロリー)の高い(ところ)から、軍用食(コンバットレーション)として格好(かっこう)なのであって、当然(とうぜん)、食後は軍事行動を前提(ぜんてい)としている(わけ)でもあり、抑々(そもそも)栄養価(カロリー)が低かろう(はず)が無い。(しか)し、正太郎は何しろ持病(じびょう)がある。栄養価(カロリー)過剰(かじょう)摂取(せっしゅ)(げん)(つつし)むべきであろう。()してや、車中で弁当を(しょく)しているのである。本来(ほんらい)は、腹、八分目とすべき(ところ)であろうが、正太郎は、一同の折角(せっかく)の旅行気分に水を差すことを恐れ、平然(へいぜん)(たい)らげてしまった。まあ、(とど)()まりが、美味(うま)かったと()う事なのであろう。一同は倉皇(そうこう)として、ほうとうを手繰(たぐ)り、かっこんだ次第(しだい)なのである。高志は、大きく、伸びをし(なが)()った。

「あーあ、食った。食った」

美味(おい)しかったよねえ。今度、おうちでも作ってみようかな」

 凛子の(つぶや)きに、祐子も同調する。

「私も思った。早速(さっそく)、お土産(みやげ)に買って帰らなきゃ」

「いずなも、お土産(みやげ)リストに入れたよ」

 (みんな)(ひど)くご満悦(まんえつ)の様である。高志が(みんな)を取り(まと)めて()った。

(さて)と、如何(どう)するか? 山梨県立科学館だったな。タクシー2台で分乗していくか?」

 ひろみが()った。

「急ぐ旅でもないし、歩いて行こうよ。駅から、徒歩で30分って、書いてあるし」

「そうだな」

 (しか)し、一行(いっこう)は、(ふたた)び、平和通を南下し始めた。山梨県立科学館とは正反対である。と()うのも、正太郎が山梨県庁横にある山梨近代人物館を見てみたいと()い出したのである。


 一行(いっこう)は山梨近代人物館の後、先程(さきほど)の平和通の一本東側の通りを北上していた。舞鶴通りと()うらしい。道路の右側には、舞鶴城(まいづるじょう)公園が姿を現した。葉を落とした木々は桜であろうか。屹度(きっと)、春には、満開となり、市民の(いこ)いの場となることであろう。説明文を熱心に読んでいた祐子が正太郎に(たず)ねる。

「ねえ、正ちゃん。此処(ここ)甲府(こうふ)城ってなってる。って事は、此処(ここ)武田信玄公(たけだしんげんこう)居城(きょじょう)なの?」

 ()れに対して、ハハハと笑い(なが)ら、正太郎は訂正する。

「違うよ。祐ちゃん。武田信玄公(たけだしんげんこう)居城(きょじょう)は、もっと北にある躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)。今は武田神社になっている(ところ)だよ。()甲府(こうふ)城は武田氏が滅亡した後から作られた城だよ。()うした、平地のお城は、戦国時代に(くら)べ、飛躍的に経済が発展し、武器としての鉄砲が一般的になった、安土桃山時代以降の特徴だよ。領民だけで無く、都市と()う経済システムも防衛しなければならなくなったからね。躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)()だ行った事が無いけど、戦国時代のお城だから、もっと山の上の方で、天然の地形を利用した要害(ようがい)の地に作られたんじゃないかな。時間が有ったら、是非(ぜひ)、行ってみたいね」

「うん」

 祐子が満面の()みで応える。高志が、

「まあ、如何(どう)でも良い話なんだが…」

 そう、前置きし(なが)ら、(つぶや)いた。

如何(どう)した?」

「ああ、躑躅(つつじ)で思い出したんだが、何でも、作者(バカ)の奥さんが、躑躅(つつじ)髑髏(ドクロ)と読んで世間を騒がせたらしい…」

「本当かよ。まあ、確かに、微妙(びみょう)に似ているとは思うが、如何(いか)にも嘘くせえ話だな」

 明彦が疑問を(てい)すれば、凛子も()れに便乗(びんじょう)する。

「そんな事、()って、実は彼奴(アイツ)が誤読したのを、奥さんのせいにしているだけじゃあないの?」

「いや、()れは無いだろう。彼奴(あいつ)無駄(むだ)に本だけは読んでやがるからな。漢字の読みは漢検準一級レベルだって豪語していたぞ。(もっと)も、漢字の書き取りは、小学校2年生レベルらしいが…。あと、字の稚拙(ちせつ)さもな」

 いずなが、ぷっと吹き出す。凛子もあきれながら、感想を述べる。

()れで、良く、小説なんか書こうと思い立ったわね」

「何でも、漢字を書こうとすると、野郎(やろう)の脳みそがゲシュタルト崩壊を起こしてな。ワケが判らなくなるらしい」

「わかったぞ。近江(おうみ)って書けなくなる(ヤツ)だな」

「そんなモンじゃあねえ。何でも、昔、町内会の夜店で氷苺(こおりいちご)の店を出店した時の事だそうだ。野郎(やろう)、看板に『おいしい水毒』と書いて、盛大に世間を騒がせたそうだ」

「そりゃ、世間は騒ぐだろ」

「なんか、嘘くさい逸話(エピソード)ね」

「特に、人と入が鬼門で、最早(もはや)、イップスになっているらしい。何でも、社会人になった直後に、一人(ひとり)と書くべき(ところ)を、一入(ひとしお)と書いてしまい、()れ以来、一入君(ひとしおくん)()う、変な仇名(あだな)を付けられてしまったそうなんだ。(やっこ)さん、()れが相当(こた)えたと見えて、トラウマとなってしまったらしい」

「何と()って良いのやら…」

()れに、()れは、親父に聞いた話しなんだが、野郎(やろう)、大学受験の直前に志望校を3校ほど提出したんだが、全部、漢字が違っていたらしいんだ」

「嘘でしょ」

()の時は怒った担任にグーで殴られ、職員室で泣き(なが)ら漢字の書き取りをさせられたらしいぞ。受験3日前に…、()れで、野郎(やろう)は、自身の出身大学名は(いま)だに平仮名で書くらしい…。だから、ワープロが世に出た時は、野郎(やろう)、泣いて喜んだって話だぞ」

「まあ、あれなら、自動的に変換されるからなあ」

「何でも、野郎(やろう)が大人になると自然に身につくと信じていた事が、3つあるらしい」

「?」

「①字が上手になる。②ビールが美味しくなる。③お化けが怖くなくなる。()の3つだそうだ。どれも嘘だった。と、怒っていたぞ」

「ビールは普通に美味(うま)いだろう」

 敬介が口を(とが)らすが、()かさず、いずなが(たしな)める。

「ムッキー、ケースケ。お酒は二十歳(はたち)を過ぎてから!」

野郎(やろう)の息子さんの通信ノートの保護者(らん)に、野郎(やろう)が記入したら、先生から朱筆(しゅひつ)で『もっと良く頑張りましょう。』と、書かれたらしい」

「ちょっと、流石(さすが)()れは(つくり)でしょ」

「いや、()れが、如何(どう)もそうでも無いらしい。親父の話だと、字面(じづら)が小学校3年の息子さんと大差なかった様なんだ。(しか)も、漢字の量は圧倒的に息子さんの方が多かったそうだから、先生は息子が保護者(らん)に保護者を(かた)って書いたと思ったんだろうな。其処(そこ)朱筆(しゅひつ)()(わけ)だ」

成程(なるほど)

 凛子が再び(あき)れる。

(かさ)(がさ)ね、()れで、良く、小説なんか書こうと思い立ったわね」

()れに、野郎(やろう)、お化けが苦手でな。夜、自室で怖い心霊動画を見ていた際に、(にわ)かに尿意を(もよお)したそうなんだ」

「ふーん」

(ところ)が、便所が階下にある。一人で行くのが怖くて、行くに行けなくなったらしい」

「ちょっと待ってよ。()れ、自宅の話よね?」

「一人で逡巡(しゅんじゅん)していたところへ、当時、幼稚園児だった息子が寝ぼけ(なが)ら、トイレに起きたんだ。野郎(やろう)、『パパが一緒に行ってあげるね』とか、調子(ちょうし)の良い事をほざいて、ちゃっかり()いて行ったんだそうだ。(ところ)が、息子さんは用をたすと、()(まま)、すたすたと2階に上がっていってしまった。(ヤツ)は、(てっき)り、自分が用をたすまで、息子さんが待ってくれると思ってたんだろうな。野郎(やろう)、大いに(あわ)てたんだが、何しろ我慢(がまん)してたから、当然(とうぜん)、すぐには終わらない。でも、途中で切り上げ、『待ってくれえ!』とか、情け無い悲鳴を()げ、追い(すが)ったそうだ。(さて)、翌日、(ヤツ)のかみさんが起きてみると、便所の床、台所の床、階段と、水浸(みずびた)しだったそうで、かみさんに相当しばかれたそうだ」

 一同が笑い転げる。ひろみが、

「でも、あんたも良く自分の事、(たな)に上げて、そう()う事、()えるわね。今年の春先に、似た様な事やらかしたじゃない(第4話参照)」

「そう()えば、そうね。(まった)く、そう()うのを、五十歩百歩って()うのよ」

「や、(やかま)しい」

(しか)し、本当に如何(どう)でも良い話柄(わへい)ね」

 人の黒歴史を(さかな)に、目的地へと歩む。(まった)()って、実にとんでもない連中(れんちゅう)である。


 何時(いつ)に無く静かで物思いに(ふけ)っていた高志が、突然(とつぜん)、正太郎に(たず)ねた。

「なあ、正太…」

「ん?」

先刻(さっき)、近代人物館で(しき)りに出て来た地方病ってなあ、一体(いったい)、何の事だ?」

「ああ、()れは…」

 正太郎は、奥歯に物が(はさ)まった様な歯切(はぎ)れの悪さで、慎重(しんちょう)に言葉を選びながら答えた。

「昔から、()の地方に伝わる風土病(ふうどびょう)だよ」

 正太郎の歯切(はぎ)れの悪さには理由(わけ)がある。一つは、正太郎は、()の病気についての知識は、ウィキペディアを読んで知っている程度(ていど)の物なのである。にも(かかわ)らず、(さなが)ら見て来た様に説明するのは、少し(はばか)られる思いがあったこと。そして、いまひとつは、ウィキペディアに()れば、相当(そうとう)悲惨(ひさん)疾病(しっぺい)であったことが(うかが)える。()れを、何一つ、実体験の無い他国者(よそもの)である自分が、態々(わざわざ)()の地で偉そうに講釈(こうしゃく)()れる資格(など)、無いであろう。万一、地元(じもと)の人が聞けば、気分を害するやもしれぬ。()れを懸念(けねん)したのである。

「何でも、戦国の時代以前から、()の地方で猖獗(しょうけつ)(きわ)めた流行病(はやりやまい)だそうだよ」

 正太郎は(あえ)て、ふんわりとした説明で逃げようとした。其処(そこ)へ敬介が無邪気(むじゃき)に質問する。

「へー、何て病気なんだ?」

 正太郎は返答に(きゅう)してしまった。()うべきか、()わざるべきか、逡巡(しゅんじゅん)していたところへ、代わりに、(うめ)く様に質問に答えたのは、いずなだった。

「…日本住血(にほんじゅうけつ)吸虫病(きゅうちゅうびょう)

 敬介は無邪気(むじゃき)に感心する。

「へー、流石(さすが)だね。いずなちゃん。流石(さすが)、お医者さんの娘だ」

 だが、いずなは悲しそうな()みを浮かべると、()(こう)から否定(ひてい)した。

「違うよ。ケースケ。…実は、うちのママが此方(こっち)の出身なんだよ。ママのおじいちゃんや、おばあちゃんが()の病気で亡くなったって()ってた…」


 本来(ほんらい)()の病気の解説をするのは、()稿(こう)趣旨(しゅし)ではない。(しか)し、作者の貧弱な知識だけでは、(いささ)か説明不足の感も(いな)めぬ(ため)若干(じゃっかん)補足(ほそく)する。以下はウィキペディアからの抜粋(ばっすい)である。


『医学的に「日本住血(にほんじゅうけつ)吸虫症(きゅうちゅうしょう)」と呼ばれるようになったのは、病原寄生虫が発見され、病気の原因が寄生虫によるものであると解明されてからのことである。しかし山梨県内では病原解明後も今日に至るまで、「地方病」という言葉は一般市民はもとより行政機関等においても使用され続け定着しており、一般的には風土病(ふうどびょう)を指す「地方病」という言葉は「日本住血(にほんじゅうけつ)吸虫症(きゅうちゅうしょう)」を指す代名詞と化している。


 腹部が大きく膨らむ特徴的な症状から古くは、水腫脹満(すいしゅちょうまん)、はらっぱり、などと呼ばれていた「地方病」は、以下に示す史料文献中の記述により、少なくとも近世段階にはすでに甲府(こうふ)盆地で流行していたものと考えられている。

(中略)

 地方病に罹患した患者の多くが初期症状として発熱、下痢を発症するが、初期症状だけの軽症で治まるものもいた。しかし感染が重なり慢性になった重症の場合、時間の経過とともに手足が痩せ細り、皮膚は黄色く変色し、(やが)て腹水により腹部が大きく膨れ、介護なしでは動けなくなり死亡した。

 今日の医学的見地に当てはめると、肝臓などの臓器に寄生虫(日本住血(にほんじゅうけつ)吸虫(きゅうちゅう))の虫卵が蓄積されることによる肝不全から肝硬変を経て、罹患者の血管内部で次々に産卵される虫卵が静脈に詰まって塞栓を起こすことにより、逃げ場を失った血流が集中する門脈の血圧が異常上昇する。その結果門脈圧亢進症が進行、それに伴い腹部静脈の怒張および腹腔への血漿流出による腹水貯留を起こし、最終的に食道静脈瘤の破裂といった致命的な事態に至る。これら種々の合併症が直接の死因である。また、肝硬変から肝臓がんへ進行するケースも多く、さらに肝臓など腹部の臓器だけでなく、血流に乗った虫卵が脳へ蓄積する場合もあり、片麻痺、失語症、痙攣などの重篤な脳疾患を引き起こすこともあった。

 甲斐国(現:山梨県)の人々は、腹水が溜まり太鼓腹になったら最後、回復せず確実に死ぬことを、幼い頃から見たり聞いたりしていた。また、発症するのは貧しい農民ばかりで、富裕層には罹患・発症する者がほとんどなかったことから、多くの患者が医者に掛かることなく死亡したものと推察されている。地方病の感染メカニズムを知識として知ることのできる現代の視点から見れば、農民ばかりが罹患した理由も明らかである。しかし、近代医学知識のなかった時代の人々にとっては原因不明の奇病であり、小作農民の生業病、甲府(こうふ)盆地に生まれた人間の宿命とまで言われていた。

 (やが)て幕末の頃になると、甲府(こうふ)盆地の人々の間でこの奇病に因んだことわざが生まれた。

 水腫脹満(すいしゅちょうまん) 茶碗のかけら

 この病に罹ると、割れた茶碗同様二度と元の状態に戻らず、役に立たない廃人になり世を去る、という意味である。

 夏細りに寒痩せ、たまに太れば脹満

 普段(ふだん)の暮らしは貧しく痩せ細っているが、太るとすれば脹満に罹った時だけ、という意味である。

 また、発症者の多発する地区がある程度偏っていたことから、流行地へ嫁ぐ娘の心情を嘆く俗謡のようなものが幕末文久年間の頃から歌われ始めた。


 〽 嫁にはいやよ野牛島は、能蔵池葭水飲むつらさよ

 〽 竜地、団子へ嫁に行くなら、棺桶を背負って行け

 〽 中の割に嫁へ行くなら、買ってやるぞや経帷子に棺桶

 このような悲しい口碑や民謡が、かつての甲府(こうふ)盆地の有病地に残されている。


 寄生虫の存在すら知り得ない当時の人々にとって、この奇病の原因はもちろん、なぜ特定の地域にばかり発症者が多発するのか、全てが謎であった。』


 一同、いずなの説明や正太郎の提示する、ウィキペディアを見た後は黙りこくってしまった。()れはそうであろう。彼らの知っている寄生虫症は、疾病(しっぺい)とは()っても、蟯虫(ぎょうちゅう)や回虫と()った、命に別状の無いものばかりである。()れが、斯様(かよう)(まで)致命的(ちめいてき)疾患(しっかん)(もたら)すもの、()れも、つい、数十年前まで、()れこそ、昭和の後期まで、猖獗(しょうけつ)(きわ)めていたと()う事実に、強い衝撃を受けたのである。勿論(もちろん)、現在では山梨県知事より、地方病終息宣言がなされ、()の病気の終息に至ったのは、誠に(もっ)重畳ちょうじょう至極(しごく)次第(しだい)である。(しか)し、恐らくは、此処(ここ)に至るまでの、関係者、医療従事者、住民の筆舌(ひつぜつ)()くし(がた)い、そして、官民一体(かんみんいったい)(たゆ)まぬ努力があったればこその話なのである。高志はお調子者ではあるものの、人一倍、感受性が強い。()の高志が、項垂(うなだ)(なが)らボソリと()った。

「なあ、正太」

「ん?」

(おれ)たちは、如何(どう)したら良いと思う?」

「さあ…」

 正太郎は、少し困った様に()った。

多分(たぶん)、記憶に(とど)めて置く事が大切なんじゃあないかな」

 だが、()の後、決然と()い直した。

「戦争の歴史の様に、()の話を聞いたからとて、今、出来(でき)る事は然程(さほど)無いよ。でも、記憶しておく事は出来(でき)る。いや、記憶しておかなければいけない事なんだ。…多分(たぶん)。でないと…」

「でないと?」

「歴史を学ぶ意味なんて、なくなっちまう」

「そうだな」

 ()し、旅行という娯楽の中に、多少(たしょう)(なが)らも意味を見出(みいだ)すとすれば、()うした学びがある点なのであろう。抑々(そもそも)、正太郎が、ウィキペディアの()の記事を読み(ふけ)ったのも、(はな)から、()したる興味があった(わけ)ではない。ただ、漫然(まんぜん)と読み進めていたに過ぎないのだ。(しか)し、読んでいくうちに、()の記事に()ける書き手の、並々ならぬ情熱を記事から感じたからであり、恐らく、()の記事は、()の地(ゆかり)の人物が、情熱を注ぎ書いたものに相違(そうい)ない。正太郎はそう断じたし、高志も()れを理解したが(ゆえ)に、ああした言動に及んだのであろう。()の様に、若干(じゃっかん)、観念的な会話を楽しみ(なが)らも、彼らは山梨県立科学館に到着した。


 山梨県立科学館は、甲府(こうふ)駅北の愛宕山(あたごやま)という小高い丘の上にあった。甲府(こうふ)市内が一望(いちぼう)できる。館内は宇宙、ロボット、人体といった、科学的展示が満載だった。みんな、思い思いのブースで展示を満喫していた。特に、理系科目の好きな、明彦や高志は、子供の様に燥いでいた。()の中でも目玉は、県下最大級のプラネタリウムであり、演目は『銀河鉄道の夜』となっている。正太郎が(つぶや)いた。

「へー、『銀河鉄道の夜』かあ。祐ちゃんも読んだ事あるよね」

「うん。小学校の頃。()れに、中学の時の課題図書だったよね。いずなちゃんは?」

 いずなは八重歯(やえば)(きら)めかせ(なが)ら答えた。

当然(とうぜん)あるよ。私、小学校の頃、読んだけど、いろいろ、感情移入しちゃって…」

「私もあるわよ」

 ひろみが()った。

「宮沢賢治の代表作じゃないの」

 凛子も続く。敬介がおずおずと、()った。

「実は(おれ)、読んだ事、無いんだ」

「良かった。(おれ)もだ」

 高志が続く。明彦も、

「いやー、実は(おれ)も。()の流れ、みんな読んでいるみたいで、一時は如何(どう)なる事かと…」

 高志がニヤニヤし(なが)ら、()った。

「あー、ほっとした。そんな事()って、正太も、本当は読んだ事無いんじゃねーの」

 祐子がムキになって()った。

「そんな事、無いよ。私に、()の本(すす)めたの正ちゃんだもん。ラジオ体操の時に。大体、うちの中学は夏休みの課題で、感想文書かされたもん」

「高志め。馬鹿(ばか)にしやがって。(おれ)は宮沢賢治と芥川龍之介なら、読んだタイトルで山手線ゲームが出来(でき)るぜ」

「分かった。分かった。お、もうすぐ、開演みたいだぜ」

 物語が始まった。原作を忠実になぞり(なが)ら、描写(びょうしゃ)に出てくる星座を丁寧(ていねい)に説明してくれる。そして、物語はクライマックスを迎えた。作中、他の乗客たちが下車し、主人公の少年達が二人きりとなった(ところ)で、物語は終わり、『続きは本を買って読みましょう』と()う、ナレーションで()(くく)られていた。

「なんだとおー」

 高志が(さけ)んだ。正太郎が(たしな)める。

「わっ、バカ。静かにしろ」

 周囲から、くすくすと失笑(しっしょう)が聞こえる。ぞろぞろと館内から出て来た一行(いっこう)は、階段を下り(なが)ら話し始めた。(たし)かに甲府(こうふ)市街が一望(いちぼう)出来(でき)る、素晴(すば)らしい観景である。脇の売店の葦簀(よしず)虎落笛(もがりぶえ)(かな)で、師走(しわす)の風が()の葉を巻き上げ(なが)ら吹き抜けていった。高志が(ふる)(なが)()った。

「ブルルッ。(さて)と、14時40分。そろそろ、駅に向かうか?」

「そうだね」

 ひろみが答えた。其処(そこ)で、高志がぶつぶつ()い始める。

「くっそー。先刻(さっき)の話、あの先、如何(どう)なるか続きを知りてー。夢オチかな。なあ、ひろみ。お前知ってんだろ? 教えろよ」

「何、()ってんの、買って読めば良いじゃないの。ナレーターも、そう()っていたでしょ」

 ひろみが(たしな)める。(しか)し、明彦が高志に同調する。

「だけど、終盤頃から、なんだか、(あや)しい雰囲気(ふんいき)だったじゃねーか。タイタニック号の事故っぽい描写(びょうしゃ)もあったし、仏教説話っぽい話もあったじゃねーか」

 敬介も同意する。

()れな。暗示(あんじ)されているのは、死者の救済みてーな描写(びょうしゃ)だったよな。って事は、実は、みんな死んでるオチ?」

 高志も応じる。

「おう。登場人物たち、間違い無くフラグ立っていたよな。全員死者とか、あるいは、異世界転生物かなあ」

 明彦も熱く語る。

「そうだよなあ。でも、昭和初期の作品だぞ。そんな、ラノベチックな展開ありかなあ」

「くっそー。続きを知りてえなあ」

 男三人で、実に侃侃諤諤(かんかんがくがく)である。()れを横目で見ていた、いずなが、いたずらっ子の様な(ふく)み笑いを浮かべ()った。

「キシシ…。あいつら、結末(けつまつ)を知りたくて、イラついている。からかってやろう」

 祐子が(たしな)めた。

「ちょっと、やめようよ。いずなちゃん」

「良いから。良いから」

「おーい。みんな。いずな、あらすじ知ってるんだけどなあ。あと、オチも」

 敬介が、()み手をし(なが)()り寄った。

「いずな様。肩、お()みしましょう」

「えへへ。ウッキー♪」

 高志も負けじと、いずなの前に回りこんだ。

「いずな様。私目は、ちっぱい、お()みしましょう」

「ムキーッ。ハロゲン族、何て事()うの。やっぱり、最低」

 いずなが、顔を()()にして怒る。高志の伸ばした手が、いずなのデニムの腹当てに(さわ)るか如何(どう)かの(ところ)で、いきなり、後ろ手に()じりあげられた。

「あいてててて…」

「…いい加減(かげん)にしないと殺すわよ」

「わーっ、待て待て。冗談(じょうだん)だ。ひろみさん」

「たく、もう、あんたって人は…」

 そう()(なが)ら、ひろみは高志の手を離した。

「くっそー。ひでー目にあった」

 正太郎が(あき)れた。

「…(まった)く。しょうもねー事するからだ」

「おい、正太。お前は、ネタ知っているんだろ。早く、結末(けつまつ)、教えろよ」

「何、()ってんだ。ナレーションが()っていただろ。買って読めよ。幻想的(げんそうてき)で、()作品(はなし)だぞ」

「ムキー。ハロゲン族、安直すぎ。ケースケもちゃんと読まないと駄目(だめ)だよ。ところで、正ちん。あの、作品(はなし)って、季節が夏じゃなかったっけか?」

「そうだよ。プラネタリウムの説明も、夏の星座ばかりだったじゃないか。流石(さすが)にちょっと、違和感があったよ。まあ、星や宇宙に(まつ)わる名作だからな…。季違いだが、仕方がないけど」

「…正ちゃん。それ、別の作品(はなし)。ネタバレになるから、()わないけど」


 ()の頃、予定よりやや早い、14時20分頃、清水高校では後発組が集結しつつあった。葵は、校舎の横に立っていた。濃紺のロングスカートに黄色のVネックのセーター。髪は下ろしている。みうみうはオレンジのセーターにジーンズ。だが、オレンジのセーターは大きな胸ではち切れそうである。其処(そこ)へ、ジャージ姿の、六助と一平がやってきた。

「おーす。葵ちゃん、みうみう」

「あっ、六助君、一平君。おはよう。今日はよろしくね」

「うっきい。六と一平。(よろ)しくね」

「…よろしく」

(さて)と、後、小百合(さゆり)さんか。15時だったな。待ち合わせは」

「あっ、あれじゃない」

 一台の、白色のセダンが入ってきて、校舎の横に止まった。中から、白のセーターにジーンズという、ラフな格好(かっこう)のゆり姉が下りてきた。やや、釣り目の、目がパッチリした美人である。敬介が()ったとおり巨乳である。

「こんにちは。酒井君、杉本君、宮城島さん、羽根田さんかしら?」

「そーす。サッカー部の酒井っす。六助でいいっす。で、()のでかいのが、一平。で、かわいいのが葵ちゃん。あと、おっぱいがみうみう」

 紹介を受けた、無口な一平と内気な葵がもじもじし(なが)挨拶(あいさつ)した。

「…ちわっす」

「よろしくお願いします」

「今回は無理聞いてもらって、ありがとね。私は敬介のいとこで、今井小百合(さゆり)。よろしくね」

「とんでもないっす。楽しみにしてましたから」

「お誘い、ありがとうございます。私も、楽しみにしてました。よろしくお願いいたします」

「じゃあ、出発するわよ。さあ、乗って。今からなら、ご飯食べても、17時にはつけるわよ。17時30分には、待望(たいぼう)の温泉よ」

「いやったー。…おい、一平。如何(どう)した?」

 一平の目が()わっている。

「…()れた」

「…は?」

「いや、こゆりさん。とても…綺麗(きれい)だ」

「…小百合(さゆり)さんだろ? 名前を間違えてどーする?」

 六助が一平のしょうも無い間違いを訂正する。

「うおー、小百合(さゆり)さんかあ。おい、六助。助手席は(おれ)が座るからな。お前は葵ちゃんとみうみうと後部座席。反論は一切(いっさい)認めん。いいな?」

「…すごい。一平君が多弁になっている」

「ああ、付き合い長いけど、こんなの、初めて見た」

 トランクに荷物を詰め、乗り込んだ一平が声を掛けた。

「おーい、六助。何をやってる。早くしろ。出発するぞ」

 六助は肩を(すく)(なが)ら、()った。

「行こう。葵ちゃん、みうみう。一平の(ヤツ)。舞い上がってやがる。あいつが、饒舌(じょうぜつ)なの、初めて見たよ」

「うん」

 ゆり姉は陽気に()った。

出来(でき)るだけ、早く合流したいから、可能な限り、上を使っていくわよ」

 一平も()った。

小百合(さゆり)さんが行くところなら、天国でも、地獄でも。お供いたします」

「おい、…地獄は、やだぞ」

「ところで、みんなは、敬介達とは如何(どう)()う関係なの?」

「クラスメートです。僕と、六助はサッカー部です。葵ちゃんはアニメ研究会です。んでもってみうみうは帰宅部」

 一平が率先して答えた。ゆり姉が()った。

「でも、夏の合宿の時にはいなかったわね」

「そうなんすよ。あいつら、誘ってくれなくて。(おれ)も、いや、僕も六助も行きたかったんですがね」

 六助が、()いなおした一平をくすくす笑った。

「弟に聞いたわ。うちの弟、和田島小でサッカーやっているんだけど、一平君と六助君のファンなんだって。二人とも、サッカーでは清水の英雄なんですってね。会ったら、サイン貰ってきてくれって。サインいただける?色紙も持ってきたから」

「光栄です。よろこんで」


 正太郎たちは早めの夕食を、またしても郷土料理であるほうとうでとった。流石(さすが)に、(いささ)か、食傷気味(しょくしょうぎみ)(かん)はある。そして、16時ごろ、『スパ=リゾート石和』にチェックインした。10階建ての本格スパリゾートである。みんな、キョロキョロし(なが)ら、ロビー周囲を見回している。いずなが()った。

「ムキー。本格的なホテルだ。お風呂が楽しみ。20種以上の温泉だって」

 祐子もニコニコし(なが)ら、()った。

「本当だね。すぐに温泉?」

「でも、ハロゲン族とケースケが買い物に行くって」

「チェックイン、終わったぜ。男子は5220室。女子は5221室。とりあえず、部屋に行こうぜ。5階だってさ」


 17時ごろ、正太郎達が部屋で、思い思いに(くつろ)いでいると、六助と一平が入ってきた。

「いよー。正太」

「おー、意外と早かったな」

「ああ、車だからな。途中で夕飯のほうとうも食ってきた」

「おー、お前らもほうとうかあ」

 そして、女子勢が入ってきた。全員ホテル備え付けの部屋着を着ている。

「あっ、ゆり姉」

「みんな、ありがとね」

此方(こちら)こそ、お誘いありがとうございます」

 正太郎が恐縮して()った。突然(とつぜん)、高志が葵に声を掛けた。

「ようこそ。葵ちゃん。ところで、葵ちゃん、早速(さっそく)で悪いけど、『銀河鉄道の夜』って読んだ事ある?」

 オットリとした葵が(いぶか)しげに(たず)ねる。

「うん。あるけど…。如何(どう)して?」

「いやあ、ちょっと、(わけ)ありでさあ。あらすじ、教えてくんねえか? ラストだけでもいいからさ…。()し、()れが駄目(だめ)なら、せめて、おっぱいだけでも(さわ)らせ…ぐぎゃん」

 ひろみが、鬼の形相(ぎょうそう)で、高志の後頭部に頭突きを放っている。明彦が(あき)れる。

(まった)く、怖いもん無しかよ…」

「葵っち。()っちゃあ、駄目(だめ)だよ」

 いずなは、ニヤニヤし(なが)らそう()うと、プラネタリウムの(けん)を話した。

「だから、自分で読んだ方が良いんだよ」

「おのれ、いずなめ、余計(よけい)な事、()いやがって、ちっぱいの(くせ)しやがって」

「ムッキー。ハロゲン族。また、侮辱(ぶじょく)した」

 (やお)ら、一平が手を()げた。()の動作。(さなが)ら、冬眠明けの熊の様である。

「…(おれ)、読んだ」

 敬介が(さけ)んだ。

「マジか? 一平。ストーリーを教えろ」

「なんか、みんなに(いじ)められていて…」

()(あた)りの(くだり)は分かってる。()の後だ…」

相棒(あいぼう)と銀河を旅して…」

()の辺も良く分かってる。()の後は?」

(たし)か…機械の体を手に入れるんじゃ、なかったけか?」

 高志が、すかさず(さけ)んだ。

「敬介。()のでくの坊の頭をひっぱたけ。そりゃ、別の銀河鉄道だ」

「いてっ、何すんだよ」

 六助がニヤニヤし(なが)ら、()った。

()()学術的(アカデミック)な問題で、一平を頼って如何(どう)する? センスが()(ヤツ)らだな。(おれ)も読んだぜ。高志」

「マジか? ストーリーを教えろ」

「あれだろ、土工たちとトロッコを押す話だろ?」

「…?」

(たし)か、家に帰って号泣(ごうきゅう)するんだ。理由はトロッコに乗れなかったから…。痛え。何すんだよ」

 高志が六助の頭をひっぱたいた。

()れも、違う話だろ。(しか)も、(スジ)出鱈目(でたらめ)だし。お前ら、本当は読んでねーだろ? 芥川も(ふく)めて」

 祐子が弁護した。

「そんな事無いよ。私達、中学1年の時の課題図書、『銀河鉄道の夜』だったもん。六助君も一平君も読んだ(はず)だよ。…多分(たぶん)。…ちょっと勘違いしちゃったみたいだけど」

「だったら、あの、でこぼこ赤点コンビの頭の中に、変なフィルターが入ってやがるんだ。そういや、あいつら、ポプテのポプ子とピピ美に似てるしよ」

「なんだとお。(さて)は、アンチだな。オメー」

「くっそー、あいつらに、頼った(おれ)がバカだった。おい、敬介、明彦。やっぱり予定通り、本屋に行くしか無いぞ」

 其処(そこ)でみうみうが口を(はさ)む。

()れなら、みうみうも読んだよ。(たし)か、きつねが()うんだよ。『いちばんたいせつなことは、目に見えない』って…。作中、屈指(くっし)の名言だよね」

 正太郎が(いぶか)る。

「おい、また、何か別の話が混じってねーか?」

 高志が憤慨(ふんがい)する。

「そりゃ、ちげーだろ。(まった)く、乳がでけえ(くせ)に、使えねえなあ」

「むっ、ハロゲン族。相変わらず助平(スケベ)


 いずなが、ニコニコし(なが)ら話し始めた。

「もう、しょうがないね。あの後のシーンは金庫室なの」

「金庫室? また、唐突(とうとつ)だな」

「そう、金庫室。だけど、誤って、少年の大切な人の妹さんが閉じ込められてしまうの。周囲はパニック状態に。実は、少年には秘密があった。少年は金庫破りの天才的名人だったの。彼の技を使えば、救出出来(でき)るかもしれない。少年も当然(とうぜん)救出しようとした。しかし、少年は人ごみの中から、刺すような視線を感じていた。永年、彼を付け狙う、刑事のものだったの。刑事は、少年が技を使った瞬間に、逮捕するつもりだった。少年は逡巡した。ここで、技を見せるわけには行かない。しかし、彼は、大切な人の『お願い。助けて』の一言(ひとこと)に背中を押された。少年は、もう、迷わなかった。彼は、天才的な技で、速やかに金庫を開錠し、妹を救出した。蝟集した人々からは喝采の嵐だった。しかし、彼は、賞賛や賛辞に背を向け、ゆっくりと、刑事の下に歩み寄り、項垂(うなだ)れて両手を差し出した。『お手数をお掛けしました。行きましょう』それに対する刑事の答えは意外なものだった。刑事は(ニベ)も無くこう()った。『なんか勘違いをしてるんじゃないか? (おれ)が追ってた悪党は、どうやらこの街にはいないらしい。じゃあな、あばよ。幸せになりな、小僧』刑事は(きびす)を返すと、ゆっくりと立ち去っていった。少年のほほを涙が一筋、流れた…。ねっ、良い話でしょ。いずな、()の話を聞く度に涙が出ちゃって…」

 そう語った後、いずなはぺろりと舌を出した。相変わらず、八重歯(やえば)がチャーミングだ。明彦は天井(てんじょう)を見上げていた。涙する(ところ)を見られたくなかったに違いない。

「何だ、意外と月並みな話だったな。…まあ、その、ちょっと、良い話だったけどよ」

 そう()うと、チーンと鼻をかんだ。敬介も涙を(ぬぐ)(なが)()った。

「ありがとう。いずなちゃん。(おれ)、ちょっと、ウルッと来ちゃって…」

 そう()うと、また、涙を(ぬぐ)った。(しか)し、何かがおかしい。何故(なぜ)か、横で正太郎が腹を(かか)えてのたうっている。良く見ると、ひろみ、凛子、ゆり姉も腹を(かか)えている。()(となり)で、祐子と葵が困ったような顔で笑いをかみ殺しているし、みうみうはキョトンとしている。(さら)に、高志が、怒気(どき)(ふく)んで()()になって()えた。

(だま)されるな。明彦、敬介。()れ、全然(ぜんぜん)、違う話だ。別作家の作品の筋立てだぞ。(しか)も、日本の作品ですらねえぞ。おのれ、いずなめ。人が知らないのを良い事に、嘘八百(うそはっぴゃく)、並べ立てやがって…。悪質にも(ほど)があるぞ。おっぱいがぺちゃんこの(くせ)しやがって…」

「ひどいよ。いずなちゃん。また、テストで書いちゃったら、どーすんだよ。(第2話参照)」

「ムッキー。だから、ケースケ、自分で読まないと駄目(だめ)()れに、ハロゲン族。乙女に向かってなんて事、()うのよ」

 涙を、一生懸命(いっしょうけんめい)()いた後、明彦が()えた。

「て事は、()れは釣りか? いずなめ、ふざけやがって」

 すかさず、凛子がウーロン茶を渡し(なが)ら、低い声で(つぶや)いた。

「ようこそ、バーボンハウスへ。()のテキーラはサービスだから、まず飲んで、落ち着いて欲しい。そう、またなんだ」

「ぷっ」

 普段(ふだん)、おとなしい祐子と葵が噴出(ふきだ)した。

「ひー、だめ、凛子。おなかが、苦しい」

 ひろみが、腹を押さえ(なが)(あえ)ぐ。余程(よほど)、バーボンハウスが、つぼに、(はま)ったらしい。すると、凛子は(さら)に、(つぶや)いた。

「また、(だま)されて、()の板に飛んで来た(わけ)だが…」

「く、苦しい。今度はダム板かあ」

 ひろみが、(あえ)(なが)()う、横合から、正太郎がいずなに、腹を(かか)(なが)()った。

「ヒーッ。腹が苦しい。いや、いずな、()しかった。高志を()わせれば、完璧だったのに。(おれ)だったら『注文の多い料理店』を使ったぞ。()れなら、多分(たぶん)、高志も()わせた(はず)だ」

「ムッキー、そうか、()の手があったか。『宮沢賢治』(つな)がりだもんね。ごめん、ハロゲン族。銀河鉄道のストーリーを思い出したよ。(たし)か、ラストは山猫亭って料理屋で…」

「ふざけんな。バカにしやがって、誰が信じるか。いずなめ、覚えてろよ。後でおっぱい()んでやるからな…ぷぎゃん」

 高志の頭に、肘撃ちをお見舞いしたひろみであったが、体をくの字にして()った。

「ひー、まだ苦しい。私なら『高野聖(こうやひじり)』を使うな。あいつらHだから、食いつきがいいわよ。それに、助平(スケベ)が過ぎると大変な事になるって()う教訓にもなるし」

「くっそー。何奴(どいつ)此奴(こいつ)も…。バカにしやがって。おい、明彦、敬介。()()えず、本屋を探すぞ。話は()の後だ」


 3人組は本屋を探して、飛び出して行ってしまった。ゆり姉は()だ、腹を(かか)えている。

「あー、面白(おもしろ)かった。良介たちが()ったとおりだわ。あんた達、いつも、こんなんなの?」

「ええ。まあ」

「来年も、夏はまた、うちで合宿するんでしょ?」

 祐子が答えた。

「みんな、行きたいって、()ってるんですけど…」

「あら…。チビたちが、夏休み後半は、お姉ちゃん達が合宿するから、お客を取らないでって父さんに()ってたわよ」

 正太郎と祐子は、思わず、顔を見合わせた。

「じゃあ。来年もしたいって()ったら?」

「勿論、うちは構わないわ。父さんに()っとくわよ。父さんも母さんも8月に一週間位休みが欲しいって()っていたし…」

 いずなの目が輝く星になっており、早くも、(となり)のひろみとハイタッチである。

「いやったー」

「おい、正太。当然(とうぜん)(おれ)達も参加可なんだろうな」

「だから、おめーら、サッカー部は部活あるだろ」

「だから、毎年、その頃はオフがあるんだよ。仮に、休みじゃなくても、其処(そこ)から、チャリで、練習行ってもいいし。なっ、大魔神、お前も当然(とうぜん)参加だろ?」

「…誰が大魔神だ。…(ところ)で、小百合(さゆり)さんは、今度の夏は如何(どう)するんですか?」

「そうねえ。こんなに、面白(おもしろ)そうなら、私もバイトしないで帰省(きせい)しようかな」

「ですよねえ。おい、こら、六助。当然(とうぜん)、参加するに決まっているだろ。弟君にサッカーを教える仕事もあるし。なに、練習なんて一日、二日サボっても…」

「おい、一平。お前今、さらっと、トンでも無え事、()って無かったか?」

 正太郎と祐子がそっと六助に聞いた。

「おい、六。一平の(ヤツ)如何(どう)したんだよ? 何か悪いものでも食ったのか? 異様にハイテンションで、(しゃべ)っているんだが?」

「そうだよ。いつも、17文字越えて、話す事、無かったのに。ヘディングの練習をし過ぎたとか…」

 祐子も目を丸くする。六助が小声で説明する。

「あのなあ、…お前らも、大概(たいがい)だよな。…()れたんだと。ゆり姉に」

「…マジか?」

「ああ。()きの道中(どうちゅう)(やっこ)さん、(しゃべ)りっぱなしだったぞ。あいつが、のべつ幕なしでしゃべっていると、()れは()れで、気味悪いんだよな。なんか、天変地異(てんぺんちい)前触(まえぶ)れ見たくて…。ところで、葵ちゃんやみうみうも当然(とうぜん)参加だよな」

「えっ…、あ、うん」

「いいよー」

「やったね。葵っち。来年の夏は合宿参加だ。あのね、10mの断崖から、草薙素子ごっこするの。とても楽しいよ」

「お願い。いずなちゃん。()れだけは、勘弁して」

 みんな、大爆笑である。落ち着いた(ところ)で、正太郎が祐子に提案した。

「じゃあ、祐ちゃん。買い物に行くか?夜食とお菓子、飲み物をね」

「うん。ひろみちゃん達は?」

「私達も行くわ」

 正太郎が六助たちに()った。

「六、一平、如何(どう)する?」

「ああ、(おれ)達も行くよ」

 残りの全員は、部屋着のまま、裏手にある、ショッピングセンターに出かけたのだった。(さて)佳境(かきょう)に入って来た甲州旅行記。()の続きは次号に譲りたいと思います。

愈々、待望の温泉デビューである。能天気なメンバーによる、長閑な歴史論議に花が咲く。石和温泉旅行編第3弾。次回、『第39話 アナーニ事件とヴァレンヌ逃亡事件(石和温泉旅行編【3/6】)』。お楽しみに。

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