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第37話 特急ふじかわ号に乗って(石和温泉旅行編【1/6】)

 12月24日、正太郎と別れて帰宅した後の、夜の20時頃、祐子はラインに気がついた。丁度(ちょうど)、夕飯を食べ終わったばかりだった。ラインとは別に、メールも入っている。何方(どちら)も、敬介からだった。

「何だろう?」

 祐子は(いぶか)しみ(なが)らも、中を確認して驚いた。書き手である敬介自身、大変混乱している様な内容ではあったが、要旨(ようし)()(つま)んで説明すると、明後日(あさって)、12月26日から、2泊3日で温泉(おんせん)旅行に行かないか? と、()うより、温泉(おんせん)旅行に来て欲しいと()う物であった。最低、4人以上、狩り集めなければならないらしい。明日、午前中(まで)に回答が欲しいとの事だった。すぐさま、正太郎からも連絡が入った。

「あっ。正ちゃん。ライン見た?」

「うん、見た。()れだけだと、良く分からないけど、(よう)温泉(おんせん)旅行に来てくれって事の様だ。最低5人以上だって。先刻(さっき)、敬介から電話が来たけど、何とか、祐ちゃんを説得してくれってさ…。今、敬介はいずなを口説(くど)いているが、高志たちと、眼鏡(めがね)コンビは(つか)まら無いらしい。何てったって、イブだもんなあ。今の(ところ)、確定メンバーは敬介とゆり姉だけだって」

「えーっ。今回は、敬介君のおじさんの民宿。あの、ゆり姉の(ところ)じゃないの?」

如何(どう)やら違うみたいだ。今回は、石和(いさわ)温泉(おんせん)だって。本格スパ=リゾートだとさ」

「えっ、何処(どこ)? 石和(いさわ)って山梨県の?」

「ああ。山梨県笛吹(ふえふき)市。甲府(こうふ)盆地(ぼんち)の中央部のやや東寄りだね。結構(けっこう)、遠いよ。祐ちゃんは如何(どう)する? (おれ)は、ちょっと行ってみたいけど…」

「費用は?」

「宿泊費が半額だって、1泊朝食付きで4千円が2泊で8千円。だけど、旅費が多分(たぶん)往復で1万円位だと思う。祐ちゃん。如何(どう)しよう?」

「私は行きたいな。お小遣(こずか)いもあるし。正ちゃんは?」

(おれ)は、先刻(さっき)、おやじと交渉した。成績も上がった事だし、旅費と宿泊費を出してくれるってさ。あと、金をやるから、桔梗(ききょう)信玄餅(しんげんもち)と、ほうとうを買って来いってさ」

「じゃあ、私もOKだよ。楽しみだね」

「分かった。早速(さっそく)、敬介にメールするよ」


 ()の頃、高志とひろみは、ひろみが()(ところ)の、白樺(しらかば)の林に囲まれた別荘風の設備がある、千歳町(ちとせちょう)のとある施設(しせつ)内に居た。まあ、要するに、またしても、パフェを()いに来ていた(わけ)である。()の手の施設(しせつ)が、一年で一番割高になる12月24日(クリスマス・イブ)に、(まった)()って、ご苦労な事である。

「高志君。にゃーん。ゴロゴロ」

「ひろみちゃん。かっ、かわいい」

「えへへ。じゃあ、いい子いい子して。あと、キスも」

「うん」

「高志君。優しいから、大好き。にゃん」

 ひろみは、例によって、甘えん坊モード全開である。

「にゃんにゃん。高志君大好き。…あれっ。メールが着てる。あと、ラインも」

「あれ、(おれ)もだ」

 二人は、ライン、メールを熟読した後、二人は思わず顔を見合わせた。高志が口火を切った。

如何(どう)する? ひろみ。いや、ひろみちゃん」

「高志君は?」

「個人的には行きたいなあ。(ただ)()の時期、みかんの収穫(しゅうかく)()只中(ただなか)なんだよなあ。親父(おやじ)達を(おが)み倒して、なんとかって(ところ)かな」

 ()収穫(しゅうかく)()最中(さいちゅう)()の時期に、白樺(しらかば)の林に囲まれた別荘風の設備がある()施設(しせつ)で、呑気(のんき)にじゃれ合っている割には、実に、殊勝(しゅしょう)な発言である。

「正太からのメールだと旅費が1万円、宿泊費が8千円。あと、食事代とお小遣(こずか)いで1万円、計3万円って(ところ)か。ひろみちゃんは如何(どう)する?」

「私は、いいわよ。でも、高志君、お金、大丈夫(だいじょうぶ)? ()し、何だったら貸す事、出来(でき)るけど」

 高志は、ひろみが時々、家庭教師のバイトをやっている事を知っていた。

流石(さすが)に、ひろみちゃんに借りたら、孫子(まごこ)代迄(だいまで)の恥さらしだ。大丈夫(だいじょうぶ)、心配ないよ。実は、(おれ)、家の手伝(てつだ)いでみかんや甘夏の収穫(しゅうかく)摘果(てきか)を手伝うんだが、()駄賃(だちん)手間賃(てまちん)はいつも、家でお中元やお歳暮で(もら)った商品券やら、旅行券で(よこ)すのさ。小学校の頃から()めた分が20万円近くある。大丈夫(だいじょうぶ)だよ。ひろみちゃんの分も出せるけど…」

()れこそ、大丈夫(だいじょうぶ)だよ。お互い、貸し借り無く、行けそうだね。じゃあ、もうちょっと、甘えちゃお。にゃーん」

「わあ。かわいい」

「えへへ。いい子いい子して」

「もう、ひろみちゃん、可愛(かわい)すぎ」

 (まった)()って、能天気(のうてんき)な二人である。


 明彦と凛子が、()のラインに気がついたのは、二人とも自宅で(くつろ)いでいる時だった。すぐさま、凛子から電話が掛かってきた。

「明彦君。ライン見た?」

「ああ、()の後に正太からメールが来て、ざっくり、3万円位らしい。凛子さん。如何(どう)する?」

「私、先刻(さっき)親父(おやじ)に聞いたら、いつも、旅行に連れて行って上げられないから、行って来いってさ。だから、旅費も出してくれるって」

「そうか、うちも、良いってさ。一応(いちおう)小遣(こずか)いなら、5万円位、()めていたんだが…」

「私も同じ位ある。でも、親父(おやじ)がとっておけって」

「じゃあ。二人とも参加って事で」

「うん。楽しみだね」


 いずなは、敬介から話を聞いて、心は(すで)に決まっていた。敬介が困っているなら、何とか力になってあげたいし、()れにも増して是非(ぜひ)、参加したいと思っていた。そうでなくても、心(おど)るものがある。お小遣(こずか)いなら、10万弱位はある。(しか)し、楽しかった夏合宿が思い出された。出来(でき)る事なら、みんなで、大人数でワイワイ楽しみたい。だけど、今回は有料で旅費も掛かる。おまけに、(いそが)しい年の瀬の上、何よりも熟考する時間も然程(さほど)無い。とても、全員参加と()(わけ)には行かないだろう。敬介の話だと、良二おじさんが、同業の組合から頼まれたとの事だった。かなり割安な料金ではあるが旅費が実費で掛かるし、最低でも6人、2部屋以上の予約が必要との事だった。いずなは祈る様な思いで、ラインを見つめていた。突然(とつぜん)携帯(スマホ)が鳴った。(あおい)からだった。

「あっ。いずなちゃん。ライン見たよ。私も参加したいんだけど、いいかな?」

勿論(もちろん)だよ。良かった。誰も参加しないのかと心配してたんだよ。お金も掛かるしね。(あおい)っちは、お金は大丈夫(だいじょうぶ)?」

「うん。パパが出してくれるって。私が、お友達と旅行って()ったら、ひどく喜んで。でも、私、26日は、午前中ママと一緒(いっしょ)に浜松まで行かなきゃならないから、後から(おく)れて参加になっちゃうけど…」

「うん。分かった。ケースケに()っておくよ」

「私、部外者だけど、いずなちゃんから、夏合宿の楽しい話を、沢山(たくさん)、聞いてたから、行きたくなっちゃったの」

(あおい)っちは、部外者じゃないよ。いずなね。夏の合宿、すごく楽しかったの。それで、今回もみんな参加してくれればなあって、でも、今回は急だったし、お金も掛かる話だし、年末の忙しい時期だし、参加者0かなあって思ってたんだ。本当にありがとね。何か決まったら、また、メールするよ」

「うん。じゃあ。ラインに返事入れるね」


 続いて、またしても、電話があった。(ひど)間延(まの)びした声。みうみうからである。

「もしもしいー。みうみうだよー。みうみうも、温泉(おんせん)行きたいよお。行って良い?」

勿論(もちろん)。大歓迎だよ」

「でも、()の日は御餅(おもち)つきがあるから、あとから(おく)れて参加になっちゃうけど…」


『お誘いありがとうございます。よろしかったら、参加させてください。当日は、所用のために、清水に戻るのが14時頃になります。()れからですので、石和(いさわ)到着(とうちゃく)は18時位になると思います。―(あおい)

『みうみうだよー。みうみうも参加するよー。でも、みうみうも(おく)れて参加なんだよ。そうだ、(あおい)っち、一緒(いっしょ)に行かない? ―美羽(みう)

 ラインを見つめていたいずなは、ほっとした。()れで何とか4人確定した(わけ)だ。あと、二人だ。でも、もう少し欲しいな。せめて、ゆうちんと正ちんだけでも…。あれ、既読(きどく)がつき始めた。そして、(またた)く間に既読(きどく)がついた。ぴこっという音とともに、ラインが入った。

『お誘いありがとう。参加いたします。よろしくお願いします。―祐子』

親父(おやじ)の許可が下りた。喜んで参加させてもらうよ。楽しみだな。―正太郎』

 (さら)に、やや、間をおいて、

『敬介。面白(おもしろ)そうな企画ありがとうな。喜んで参加させてもらう。―高志』

『敬介。ありがとね。私も参加するね。とても、楽しみ。―ひろみ』

 いずなは、スマホを握り締め、涙を流した。

(よかった。みんなありがとう。そうだ。私自身が、返事を入れてなかった)

 いずなが、返事を入れようとしたら(さら)に、ラインが入った。

(おれ)だ。六助だ。(おれ)も参加するぞ。―六助』

『御招待下さいまして、ありがとうございます。私も是非(ぜひ)参加したいと思います。ただ、当日はサッカー部の練習が、午前中からお昼過ぎまであり、オフになるのが14時過ぎとなります。恐らく、16時前のワイドビュー富士川(ふじかわ)号となります。()れだと、甲府(こうふ)着が18時過ぎとなり、恐らくホテル到着(とうちゃく)が19時近くになるものと存じます。(したが)って、私と六助は(おく)れて参加となりますが、ご無礼ご容赦願います。―一平』

 いずなは、送られたラインを見て、ぷっ、と噴出(ふきだ)した。一平君は相変(あいか)わらずだ。間髪いれず、六助からラインが入った。

『なげーよ。要点だけにしろ。あっ、返事はいいからな。―六助』

 (しか)し、残念なラインも入った。

『敬介、みんな、ごめんね。あたし、明日から家族で鹿児島に帰省するの。お父さんのお墓参り。また、誘ってください。―ヤスベエ』

『六助、一平、みんな、よろしくな。(おれ)も参加だ。―明彦』

『敬介。また、ありがとね。私も参加でーす。―凛子』

 いずなは涙を拭き(なが)ら思った。


(もう、みんなったら、私が一番、最後じゃないの)


『みんな。よろしくね。楽しみにしています。―いずな』


 いずなは、敬介から話があった時、()っ先に両親に相談していた。吾郎先生にも、順子先生にも、(いな)やは無かった。彼らは、娘の中学校時代、クラスメートから拒絶される愛娘(まなむすめ)を見てきた。(しか)し、娘は、泣き言、一つ漏らさず懸命(けんめい)()えていた。吾郎先生も、順子先生も、(ほぞ)()()む思いであったに違いない。(やが)て、彼らは、高校に入学して素敵(すてき)な友人達に恵まれ、明るく、活発になっていく我が娘を()の当たりにして、心の底から喜んでいた。吾郎先生は、先日、ゲーム大会に参加して、誠実な友人達の、人となりも知っている。友人達にはいくら感謝しても、足りなかった。祐子の家と同様、裕福な家である。吾郎先生も、順子先生も、友人達の宿泊費も出して差し上げたい心境(こころもち)であったのだ。流石(さすが)に、()の好意はいずなに反対されたものの、当然(とうぜん)、いずな自身の、旅費、宿泊費は吾郎先生が負担してくれた上に、3万円のお小遣(こずか)いをくれたのだった。裏を返せば、いずなの小、中学校生活は、吾郎先生、そして、順子先生にとって、心痛の種だったのである。同様の、反応は、祐子の家、(ある)いは、(あおい)の家でも見られた。彼らは、勉強こそ出来(でき)たものの、友人関係で苦労している愛娘(まなむすめ)達の今後を、心から案じていたのだ。


 (さて)、話が決まってからは、ボストンティーパーティーの面々の行動は、(にわ)かに活発化した。敬介の話だと、15畳の部屋が2部屋。男女、6人と7人に分かれる形である。家に帰った高志は、早速(さっそく)時刻表を調べ、ふじかわ5号で行く事を提唱(ていしょう)した。15時のチェックインに、丁度(ちょうど)良い様に思われたからである。祐子は、みんな、バラバラの席になる事を恐れ、明日、指定席を手配する事を提唱(ていしょう)した。また、正太郎は当日、車中で昼飯時を迎える事から、六助の家で弁当を手配する事を提案(ていあん)した。いずなはゲーム機、トランプ等の持込を提案(ていあん)した。(さら)に、現在、東京にいるものの、明日、帰省予定のゆり姉からは、サッカー部の二人と(あおい)とみうみうを車で拾っていく事が提案(ていあん)された。明日、高志が持っている旅行券及び金券で、8人分の片道の切符を購入する事が決まった。()れを、車内で清算すれば、高志の宿泊費、および、小遣(こずか)いが工面(くめん)出来(でき)(はず)である。()れらは、全員が参加の意思表示をした後、10分足らずの間に、(またた)く間に決まった事なのである。


 特急ふじかわ号。静岡―甲府(こうふ)を結ぶ優等列車である。約2時間20分程度で100キロ弱の行程を結ぶ形となる。()距離(きょり)であれば、自動車で高速を使えば、1時間(きょう)の行程である。2時間20分では、少々、時間が掛かり過ぎとも思われるが、何しろ、身延(みのぶ)線は富士宮以北が単線である。列車の行き違いを待つ上に、狭隘(きょうあい)な路線、山岳地形による急な勾配(こうばい)により、仕方が無い部分はあるのであろう。ふじかわ号自体(じたい)は筆者が少年の頃から存在する。当時は急行富士川(ふじかわ)号として、同区間を運転していた。()の頃は、古き良き昭和の時代でも在り、国鉄の列車全盛(ぜんせい)の時代でも在る。在来線の優等列車と()っても、静岡地区では、東京発の夜行特急である、客車型寝台列車(ブルートレイン)強盛(きょうせい)を極めていた。東京―西鹿児島(現鹿児島中央)を日豊本線(にっぽうほんせん)経由(けいゆ)で結ぶ、特急『富士』。東京―西鹿児島(現鹿児島中央)を鹿児島本線経由(けいゆ)で結ぶ、特急『はやぶさ』。東京―熊本を結ぶ、特急『みずほ』。東京―博多を結ぶ、特急『あさかぜ』。東京―長崎・佐世保を結ぶ、特急『さくら』。他にも、客車型寝台列車(ブルートレイン)型急行、『桜島』に『高千穂(たかちほ)』。『桜島』や『高千穂(たかちほ)』などは、当時、清水駅にも停車しており、鉄道好きの筆者は、良く清水駅に見物に行ったものである。()れらは、(すべ)て、客車型寝台列車(ブルートレイン)であり、国鉄の全盛(ぜんせい)期に()ける、豪華ラインナップで有った。他にも、名古屋―博多を結ぶ特急『金星』。新大阪―宮崎を結ぶ特急『彗星(すいせい)』。新大阪―西鹿児島(現鹿児島中央)を結ぶ特急『明星(みょうじょう)』。()れらは一部電車型寝台特急(583系)であり、筆者は、当時としては、()のモダンでスタイリッシュな車体に(あこが)れたものでもある。寝心地は、客車型寝台列車(ブルートレイン)電車型寝台特急(583系)(とも)に甲乙つけ難かったが、()れでも、甲乙をつけるのであれば、電車型寝台特急(583系)の下段が最高であろう。客車型寝台列車(ブルートレイン)は列車進行方向に対し、垂直に寝台が来るのに対し、電車型寝台特急(583系)は中央の通路に対し平行に寝台があるのである。(したが)って、下段寝台は車窓(しゃそう)を独占出来(でき)るのである。深夜、灯りを消した車窓(しゃそう)から(なが)める、見知らぬ街の夜の風景(ふうけい)は、(さなが)ら、夢の様な光景(こうけい)であり、筆者の幼い心に、(いま)だに深く刻まれている。筆者が鉄道好きになったのは、()の頃からであった様に思う。(もっと)も、筆者の鉄道への興味は、各種寝台列車の廃止と(とも)に、急速に薄れて行ったのである。中学校時代には、松本清張の超有名作品に感銘(かんめい)を受け、小遣(こずか)いを()め、熱海から静岡(まで)、立席特急券で特急『あさかぜ』に乗車したのは、今となっては良い思いでである(思えば、良く補導(ほどう)されなかったと思う)。当時は、列車火災の事故を受け、営業休止中の食堂車を(すこぶ)る残念に思い(なが)らも、『早く再開しないかな』と、子供心に思った記憶がある。(やが)て、時代は移り、矢継ぎ早に客車型寝台列車(ブルートレイン)電車型寝台特急(583系)は姿を消して行った。一方、静岡地区の昼間の特急も、特急『東海』が姿を消し、いまや特急『ふじかわ』が令和の()の時代に姿をとどめているのみなのである。


 (さて)閑話休題(かんわきゅうだい)翌日(よくじつ)早速(さっそく)に計画の修正を大幅に余儀(よぎ)なくされる様な事態が発生した。ふじかわ5号の指定席が8人分確保出来(でき)無かったのである。高志は一緒(いっしょ)に同行した正太郎と急遽(きゅうきょ)協議し、他の車両も当たってみた。結果、一本前のふじかわ3号で、8人分の確保が出来(でき)た。全席、2人並びの席であった。高志、正太郎は即決した。と、同時に、全員に列車の変更を連絡した。()れに()り、集合時刻は清水駅改札(かいさつ)前に9時30分となった。そして、清水発が9時50分となる。甲府(こうふ)到着(とうちゃく)が12時過ぎとなり、チェックインまでの時間が3時間(ほど)(あま)る形となるが、車中で弁当を食べ甲府(こうふ)駅で一度、改札(かいさつ)を出て山梨県立科学館を見学する事になった。一方、自動車組は、清水高校通用門に15時集合となった。


 翌日(よくじつ)、26日は、肌寒くはあったものの、晴天に見舞われた。季節の割には(うら)らかな小春(こはる)日和(びより)であった。正太郎はチェックのシャツの上から、水色のVネックのセーターにベージュのスラックスにトレンチコートといういでたちで、祐子の家を朝8時に訪れた。祐子は例によって玄関の(かまち)で待っていたに違いない。黄色のタートルネックのセーターに、濃茶のジャンパースカートにブーツ。上にはグレーのロングジャケットを羽織(はお)っている。頭には緋色のベレー帽をちょこんと乗せて、髪は何時(いつ)ぞやの様にツインテールにしている。()れに、誕生日に正太郎から(もら)った星型の髪飾りをつけるのを忘れなかった。あと、普段(ふだん)と違う点を()げれば、眼鏡(めがね)をつけている所であった。

「祐ちゃん。すごくかわいいよ。ベレー帽がよく似合(にあ)っている」

「もう、…恥ずかしいよ。でも、正ちゃんもコートが良く似合(にあ)っているよ」

 祐子はボストンバッグを片手に、デイパックを背負(しょ)い込んでいた。二人して花月に行くと頼んでいたお弁当を受け取った。店番は六助だった。

「おっ、おはよう。正太、祐子ちゃん。今日はよろしくな」

「おはよう。六。悪いな。一足先に行っているが」

「おはよう、六助君」

「誘ってくれてありがとな。(おれ)も一平も楽しみにしている。練習が終わったらすぐに行くよ。ところで、お前ら、人数8人だよな。弁当、10個あるんだが」

「高志と明彦だよ。彼奴(あいつ)ら、一個じゃたりないんだと。それじゃあな。気をつけて来いよ」

 正太郎と祐子が、バスで清水駅に着いたのは、8時40分頃である。祐子は先刻から胸の高鳴りが止まらなかった。いつだって、旅行は胸が(おど)るものである。流石(さすが)に、早く着きすぎた(ため)、マックで時間潰しをしようとすると、いずなが店内にいた。チェック柄のシャツに赤白ボーダー柄の派手(はで)なセーター、デニムのオーバーオールにバスケットシューズ。大きな旅行トランクにデイパックを背負(しょ)っている。

「あっ、ゆうちん、正ちん、おはよう」

「いずなちゃん。おはよう」

「うーす。いずな。早いな」

 いずなはニコニコし(なが)ら話しかけた。

「もう、楽しみで、昨日(きのう)寝付(ねつ)けなかったの。本当に、お友達とのお泊り旅行が、楽しみになる日が来るとは、思わなかったな」

 すかさず、祐子も相槌(あいづち)を打つ。

「私もだよ。昨日(きのう)、ベッドに入ったのが22時だったけど、1時過ぎまで寝られなかったもん。ところで、敬介君とは、此処(ここ)で待ち合わせ?」

「うん。あと、ひろみっちも」

「おっはよー」

 ()っている、矢先にひろみが現れた。

「えっ」

 濃紺(のうこん)のワンピースにベージュのVカーディガンに、グレーのロングコートを羽織(はお)っており、頭にはストローハットを乗っけたひろみが現れた。

「おっ、おはよう。ひろみちゃん。なんか、イメージが変わってて、びっくりしちゃった」

「もう、恥ずかしいから、あんまり見ないで」

 ひろみが、照れて赤くなり(なが)()う。いずなも、八重歯(やえば)(きら)めかせ(なが)()った。

「とっても素敵(すてき)だよ。ひろみっち」

「もう…恥ずかしい」

 其処(そこ)へ、田舎(いなか)の小学生の敬介がやって来た。水色のワイシャツに赤のセーター。上には派手(はで)なスタジャンにジーンズである。

「おはよう、みんな。バスが(おく)れちゃってさ…。わっ、ひろみ如何(どう)したんだよ、()格好(かっこう)

「…うっ、うるさいわね」


 9時20分過ぎに、清水駅改札口(かいさつぐち)に移動した。改札口(かいさつぐち)前には、高志、明彦、凛子がいた。高志はチェック柄のシャツにジーンズにランチコート。明彦は紺のスラックスに、緑色のVネックのセーターにYシャツ。凛子は白のブラウスに、紺の上下。髪にはレモン色のカチューシャをつけていた。凛子が(つぶや)いた。

「あっ、来た来た。おっはよう、みんな」

「おはよう、凛子っち」

 高志が時計を見(なが)()った。

「おー、来たか。遅刻(ちこく)かと思ったぜ。わっ、何だ。ひろみ。森ガールみたいな格好(かっこう)しやがって」

「うるさいわね。もう」

 ひろみが(ふく)れるのを見て、祐子が(たしな)めた。

「高志君、駄目(だめ)其処(そこ)はちゃんと()めてあげないと」

 正太郎も祐子に続いた。

「そうだぞ。女心が分からない(やつ)だな」

「お前が()れを()うかあ」

 各カップルの代表が抽選の結果、海側最後尾(さいこうび)窓側から祐子、正太郎、通路を(はさ)んで反対側に敬介、いずな。祐子の後ろ窓側がひろみ、高志、通路を(はさ)んで明彦、凛子となった。高志が()の決定に基づき、切符を配り、改札(かいさつ)を抜けた。全員、ホームに降り立つと、(うら)らかな冬の朝の気配(けはい)(まぎ)れ、(かす)かに海の香りがする潮風が流れ込んで来た。程なく、特急ふじかわ3号のシルバーグレーのスマートな車体が、音も無くホームに(すべ)り込んで来る。乗り込んで、各自、座席に着席したところで、正太郎が弁当を配り始め、弁当代と、切符代の清算を行った。列車は、ガタンと大きく()れると、一路、東へ向かって出発した。一同、(うら)らかな冬晴(ふゆば)れの陽気の中、()だ見ぬ北の温泉(おんせん)地に向って出発である。祐子が正太郎に()った。

「変なの。(すご)く見晴らしが良いけど、後ろ向きなんだね」

 正太郎がうなぎ弁当をほおばり(なが)ら、笑って答えた。

「富士までの辛抱(しんぼう)だよ。富士駅でスイッチバックして、身延(みのぶ)線に入っていくから、()の車両が先頭車両になるんだよ」

「へー。そうなんだ」

 高志は、うなぎ飯を平らげたあと、鳥飯をほおばり(なが)ら、ひろみに()びていた。

先刻(さっき)は、無神経な事を()って、ごめん。女の子らしくて、()の…、可愛(かわい)いよ」

「なーに、らしくない事、()って…。でも、ありがと」

 ひろみは、ニッコリと微笑んだ。明彦はうなぎ飯二つを平らげると、昼寝を始めた。凛子はイヤホンで音楽プレイヤーを聞いている。いずなは敬介と今日泊まる『スパ=リゾート石和(いさわ)』について話をしている。何でも、20種以上の様々な温泉(おんせん)があるらしい。いずなの瞳が輝く星になっている。

「ゆうちん。ノルマ、一日3回は入ろうね。いずな、サウナって入ったこと無いんだよ。とても、楽しみ」

「私も無いけど、3回も入ったら、ふやけちゃうよ」

 高志が横から茶々を入れる。

(おれ)、サウナより、ソープの方がいいなあ。…あいたたたた」

 横でひろみがそっぽを向き(なが)ら、高志の耳を引っ張っている。いずなが、むっとし(なが)ら、

「ハロゲン族、相変(あいか)わらず、最低。ケースケはそんな所行っちゃ、だめだよ。行ったら、おてて繋いであげないからね」

「うん、行かないよ。て、()うか、抑々(そもそも)、未成年者は、行っては駄目(だめ)だろ」

「分かっていれば、いいんだよ」

 祐子がおずおずと()った。

「正ちゃんも、そういう所は、…だめだよ」

「行く訳無いよ。…もう」

 祐子もほっとした様に()った。

()れならば、よろしい」

 ひろみの低い声が聞こえた。

「高志くうん」

 ひろみが頬杖(ほおづえ)を突き、(おだ)やかな顔付きで景色(けしき)を見ている。高志が気さくに応じる。

「なんだい」

「そんな(ところ)、行ったら…」

 此処(ここ)で、ひろみは、初めて高志の方を向いた。半眼でアルカイックスマイル(凍て付いた笑顔)を浮かべている。ひろみの場合は、なんと()っても、()笑顔(えがお)こそが恐ろしい。

「…殺すわよ」

「…はい」

 高志は小さくなり(なが)ら、小声で正太郎に()った。

「…正太。何か()えーよ。頼む。席、変わってくれよ」

「アホか。()まんねー事、()うからだ。(おれ)まで巻き()え喰ったじゃねーか。馬鹿(バカ)だな。早く謝れ」

 ひろみは、相変(あいか)わらず、景色(けしき)を見ている。

「さあせんでしたあ」


 (やが)て、列車は連続トラス橋が架かる大河(たいが)を渡り始めた。富士川(ふじかわ)の鉄橋である。

普段(ふだん)、止まる駅を通過するのは、何か気持がいいね」

 祐子が楽しそうに、(つぶや)く。もうすぐ、富士駅に到着(とうちゃく)する(はず)である。気が付けば、眼鏡(めがね)コンビがスヤスヤと寝息(ねいき)を立て始めていた。やはり、昨日(きのう)寝付(ねつ)けなかったのかも知れない。正太郎が予告した様に、富士駅で進行方向が逆になり、最後尾(さいこうび)が前向きに進み始めた。列車は、愈々(いよいよ)加速する。タタンタタン、タタンタタン、車輪が(かな)でる小気味(こきみ)よいリズムと共に、踏み切りの警報機の音を置き去りに、列車は北へ向かって疾走(しっそう)して行く。敬介といずなは、テレビドラマの話題で盛り上がっている。高志とひろみはお菓子を食べ(なが)ら、ゲームの話をしている。(やが)て、富士宮駅を過ぎた(あた)りから、列車は(きし)る様な金属音を(ひび)かせ(なが)ら、次第(しだい)に左へのカーブが多くなった。目の前には、天子(てんし)山地の山塊(さんかい)が、大きく行く手を(さえぎ)っている。(やが)て列車は、(ほぼ)180度向きを変えると、一旦(いったん)、南へと進路をとり始めた。そして、北方(ほっぽう)に展開する山塊(さんかい)西端(せいたん)(かす)める様に、抜けて行った。()の内、かなり峻険(しゅんけん)な切り通しや、ごく小さな隧道(トンネル)が、断続(だんぞく)して続く様になる(あた)りから、周囲(しゅうい)風景(ふうけい)が、ススキや枯れた木立(こだち)が続く様になり、何時(いつ)しか、左手に冬の薄日(うすび)を受けて、キラキラと輝く大河(たいが)が平行して走る様になっていた。特急電車は(ひど)呑気(のんき)な速度ではあるが、快調に飛ばしている。身延(みのぶ)自体(じたい)は電化されているとは()え、単線なのである。車窓(しゃそう)両側からの圧迫感が半端(はんぱ)無い。時折(ときおり)沿線(えんせん)からの笹藪(ささやぶ)が線路内に(おお)(かぶ)さってくる様に見える。遠くの身延(みのぶ)山地の向こうに、雪を(いただ)いた山々が寒々(さむざむ)(つら)なっている。()の地は天子(てんし)山地と身延(みのぶ)山地に(はさ)まれた、一衣帯水(いちいたいすい)の地である。(やが)て、進行方向左手に紺碧(こんぺき)大河(たいが)が顔を(のぞ)かせるようになって来た。富士川(ふじかわ)である。


 富士川(ふじかわ)赤石山脈(あかいしさんみゃく)北端(ほくたん)鋸岳(のこぎりだけ)(たん)(はっ)する一級河川である。()の正太郎たちが乗車している特急列車の名称が、()の川の名称に由来している様に、甲府(こうふ)までの道中(どうちゅう)(ほとん)どが、()の川と進退を共にする形となる。()の川自体(じたい)は、球磨川(くまがわ)最上川(もがみがわ)と並び、日本三急流と呼ばれ、大層(たいそう)、流れの早い川として知られ、戦国の昔より、()の水運は地域の重要な交通路として利用されてきた。南アルプスに(たん)(はっ)する富士川(ふじかわ)は、甲府(こうふ)盆地(ぼんち)一気(いっき)に南下するかの(ごと)縦断(じゅうだん)すると、峡南(きょうなん)地区を丿乀(へつほつ)として、蜿蜒(えんえん)たる大河(たいが)を形成し、流域(りゅういき)の水を集め(なが)ら、(やが)ては駿河湾に(いた)るのである。


 列車は(にわ)かに加速した。今や、完全に大河(たいが)並走(へいそう)する形となった。其の大河(たいが)の上空、列車と同じ目線に、小型の猛禽類(もうきんるい)、恐らくは(はやぶさ)であろうか、並走(へいそう)している。列車は今、(はやぶさ)と同じ風を体感しているのだ。(やが)て、(はやぶさ)は、風に(あらが)(たこ)の様に、ふわりと優雅(ゆうが)に静止すると、一気(いっき)川面(かわも)に急降下して、獲物を(つか)むと、ひょうと、身を(ひるがえ)し、(はる)かなる身延(みのぶ)山地の方に、静かに飛翔(ひしょう)して行った。祐子が、ぼんやりと、()光景(こうけい)を見ている正太郎に()った。

「正ちゃん、何、見ているの」

「ん。富士川(ふじかわ)を見ているのさ」

 俯瞰(ふかん)される富士川には、濃い紺碧(こんぺき)の部分と緑柱玉(エメラルド)色の部分とがあり、上空からも()(ふち)が良くわかる。

「今、どの(あた)りかなあ」

先刻(さっき)寄畑(よりはた)を通過した。もうすぐ、内船(うつぶな)だよ。南部(なんぶ)町の中心駅だよ。清水から国道52号沿()いに行くと、山梨県側の最初の大きな町だよ。岩手の南部(なんぶ)氏、発祥の地だよ」

「ふーん、そうなんだ。ねえ、ところで正ちゃん。()(あた)りって、来た事あるの?」

「えっ? ああ。内船(うつぶな)駅や、寄畑(よりはた)駅や、井出駅を利用した事がある。日帰りで安倍奥(あた)りを歩くと、此処(ここ)いら(あた)りが出口になるんだ。だから、割と、良く使うんだよ」

「へー、そうなんだ」

()れに、()南部(なんぶ)町、身延(みのぶ)町はアニメ『ユルキャン』の舞台(ぶたい)になっていたもんね。(おれ)、初めてあれ見たとき、ヒロインが南部(なんぶ)橋渡るシーン見て、『あっ、此処(ここ)()の前、渡った』って思ったもん」

「えっ、いずなも見てたけど、舞台(ぶたい)までは分からなかったよ。()(あた)りじゃないかとは思ったけどさ…」

 何時(いつ)しか、いずなも会話に参加していた。(やが)て、少し開けた集落(しゅうらく)が見えた(ところ)で、内船(うつぶな)駅に到着(とうちゃく)した。内船(うつぶな)駅を過ぎると、列車は、富士川(ふじかわ)(はさ)んで、進行方向左手に身延(みのぶ)山地、右手に天子(てんし)山地に囲まれた狭隘(きょうあい)な土地を北へ疾駆(しっく)していく。正太郎は祐子に語りかけた。

「祐ちゃん。先刻(さっき)、川の向こう側に、洞門(どうもん)の道が見えただろう。あれが、国道52号だよ。清水と甲府(こうふ)を結んでいるんだ」

「そうなんだ」

()れも、軍用路の名残(なごり)なんだなあって」

「…?」

「祐ちゃん、僕達が通っていた小学校が、城跡(しろあと)だったって知ってた?」

「うん。江尻(えじり)城」

江尻(えじり)城を作った人。誰だか知ってる?」

「うーん。ちょっと、待って。正ちゃんの小学校時代の、夏の自由研究を思い出してみる」

 祐子は、目を(つむ)って、小学校5年の9月の光景(こうけい)瞑想(めいそう)した。5年2組。正太郎のクラス、横の廊下(ろうか)。小学校5年の時、正太郎の夏休みの自由研究、見事、校長賞に輝いた。テーマは『江尻(えじり)城と()の歴史ついて』。()の研究が廊下(ろうか)に張り出されてあった。祐子は今、彼女の特殊能力、フォトグラフィックメモリーにより、記憶を辿(たど)っていた。あった。祐子は自身の記憶の映像を読み上げた。

「えーっと、縄張りが馬場信春(ばばのぶはる)。初代城代が山県昌景(やまがたまさかげ)。二代目城代が穴山信君(あなやまのぶきみ)梅雪(ばいせつ))。えっ、()れって、正ちゃん、間違いじゃなくて?」

「やっぱ、すごいね。祐ちゃんの超記憶力。うん、間違いじゃないよ。(おれ)、当時、散々、資料を調べたもん」

「でも、()れって、みんな、武田方の武将だよね」

 いずなも、横から口を(はさ)む。

「間違い無いよ。いずな、知ってるよ。馬場信春(ばばのぶはる)山県昌景(やまがたまさかげ)は武田四天王、穴山梅雪(あなやまばいせつ)は武田二十四将の一人だよ」

「やっぱりすごいな、お前ら。ご名答。つまり、江尻(えじり)城はガチガチの武田信玄(たけだしんげん)の持ち城って、(わけ)さ」

 祐子といずなが(いぶか)しんだ。祐子が(おもむろ)(たず)ねた。

「でも、如何(どう)して? 清水って武田領だったの? 今川の本拠(ほんきょ)から、10kmとはなれてないよ」

「そう、だから、()身延(みのぶ)線が走る富士川(ふじかわ)東岸ルートも、52号線の走る富士川(ふじかわ)西岸ルートも輜重(しちょう)(ため)の道、(すなわ)ち、軍用道路だったと思うんだ。もともと、()のルート、甲州往還(こうしゅうおうかん)とか、富士川街道(ふじかわかいどう)とか呼ばれていてさ、ちゃんと、宿場もあるんだが、ところどころ、峻険(しゅんけん)な山に阻まれていて、見ての通り、身延(みのぶ)線にも、52号線にも、洞門(どうもん)隧道(トンネル)があるところを見ると、戦国時代には、さぞかし難路だったんだろうと思うんだ。甲府(こうふ)から清水まで、何日位で行けたのかな?」

 其処(そこ)で正太郎はダイエットコーラを飲むと、一息ついた。

「ああ、ごめん。江尻(えじり)城だったね。そう、もともと、清水は今川領だよ」

「ならば、如何(どう)して?」

先刻(さっき)、過ぎた南部(なんぶ)町あたりが、土地の豪族である穴山氏の領地。恐らく、()(あた)りが武田方の最前線だったと思うよ。此処(ここ)から、清水に抜ける国道52号線ルートは、実際、歩いてみると分かるけど、高低差があって、結構(けっこう)峻険(しゅんけん)だよ。勿論(もちろん)尾根(おね)(づた)いに安倍奥(あべおく)に抜ける道もあるけど、()れは(さら)峻険(しゅんけん)で、とても、軍用路と()える様な物じゃ無い。今でも、車で抜けられる道はないし、鎖場(くさりば)なんかがあるくらいだからね。結局(けっきょく)、領地の目安は今の県境(けんきょう)と大差無いと思う」

 祐子といずなと敬介が正太郎の話を聞き入っている。(さら)に、正太郎が続けた。

「ところが、()(あた)りの地政学を一変(いっぺん)させる様な出来(でき)事が起こったんだ。武田、今川、後北条による、『甲・駿・相三国同盟』さ。(おれ)は、()出来(でき)事により、大きく、日本史が動いたと思っている」

「へえ、如何(どう)して?」

 祐子が興味深げに(たず)ねる。時々、富士川(ふじかわ)が視界に飛び込み、正太郎が()う様に、西岸を走る国道52号線の洞門(どうもん)が見え隠れする。

()(まで)は、()の三国、事あるごとに、小競り合いを繰り返して来ていたんだ。(しか)し、()の同盟を境に、日本史上、有名な出来(でき)事が続発(ぞくはつ)する事となる。三国とも、後顧(こうこ)(うれ)いが消失した事で、対外的に膨張(ぼうちょう)し始めている。武田は小豪族がひしめく、信州を手中に収め、北信濃の覇権(はけん)(めぐ)って、上杉と衝突している。『川中島の合戦』の背景は、()の同盟だったと思うよ。北条は関東侵略を()し進め、(またた)く間に、関東を手に入れた。また、今川は後背(こうはい)懸念(けねん)が無くなった事で、遠江(とうとうみ)三河(みかわ)と手に入れ、西進を本格化させ、結果、『桶狭間(おけはざま)の戦い』で義元(よしもと)は討たれてしまった」

「本当だね。そう考えると、日本史でも有名な事件ばかりだね」

「が、今川氏真(いまがわうじまさ)の代になると、今川家の力の衰憊(すいはい)(はなは)だしくなった。三河の松平の独立に(たん)(はっ)し、最後は、武田と松平の間で交わされた、大井川を境に東を武田、西を松平という密約により、滅ぼされてしまった。独ソ不可侵条約下のポーランドみたいなもんだね。そして、()の後に出来(でき)たのが、江尻(えじり)城と()(わけ)さ」

 いずなと敬介が口々に感心した。

「ふーん。正ちんすごいね」

「本当だよ。中々、面白(おもしろ)い」

 正太郎はちょっと顔を赤らめ(なが)ら、

「好きなだけだよ。しかし、()れに()り、武田は、永年、渇望(かつぼう)していた、海への出口を手に入れた。港を手に入れた事で、交易(こうえき)ルートと塩を手に入れる事が出来(でき)た。甲州は山国だけに、塩の入手は困難だ。実際、上杉謙信の『敵に塩を送る』と()う、エピソードもあるくらいだ。また、今川氏真(いまがわうじまさ)は、『塩止め』という、塩の交易(こうえき)禁止にも踏み切っている。だから、信玄が駿河侵攻と同時に、江尻(えじり)城を築城したと()(わけ)さ。重要な海への拠点(きょてん)だからね。()れに、江尻津(えじりつ)(清水(みなと))には、武田水軍という名の海軍も、置かれていたらしいよ」

 いずなが疑問を口にした。

「でも、いくら、『桶狭間(おけはざま)の戦い』で主将を討たれたからって、()れだけで、衰退(すいたい)するって、あるのかなあ」


 旅の無聊(ぶりょう)(なぐさ)める様な閑人閑話(かんじんかんわ)ではある。正太郎は、()()った話柄(わへい)途轍(とてつ)もなく好きなのだろう。(すこぶ)る、楽しそうに見えた。いずなが少し話の腰を折る様に、(つぶや)いた。

「あれ、富士川(ふじかわ)がみえなくなっちゃった」

 正太郎も車窓(しゃそう)に目を落すと、(おもむろ)(つぶや)いた。

「ああ、もうすぐ、下部(しもべ)温泉(おんせん)かな」

 正太郎が(つぶや)いた様に、身延(みのぶ)線は波高島(はだかじま)付近(ふきん)から、富士川(ふじかわ)には、一旦(いったん)、別れを告げて、富士川(ふじかわ)の一支流である常葉川沿()いに、本栖道(もとすみち)を北上する様な形となる。確かに開けた大河(たいが)沿()いの景色(けしき)から、一転(いってん)して、山間(やまあい)渓流(けいりゅう)沿()いの素朴(そぼく)景色(けしき)へと、風景(ふうけい)一変(いっぺん)した。敬介が(つぶや)く。

「本当だ。何だか、景色(けしき)が変わった」

「もうすぐ、大きな温泉(おんせん)ホテルが見えるよ」

 正太郎の()の言葉が終わらぬうちに、下部(しもべ)温泉(おんせん)ホテルが視野に入って来た。祐子が思わず、

「うわあ、何か立派なホテルだね」

「うん、()れが見えると下部(しもべ)温泉(おんせん)だよ。景色(けしき)富士川(ふじかわ)沿()いとはかなり変わるよね。此処(ここ)下部(しもべ)温泉(おんせん)信玄(しんげん)の隠し湯の一つと()われている、昔からの温泉場(おんせんば)なんだ」

 確かに、正太郎の言葉の通り、山間(やまあい)渓流(けいりゅう)沿()いの風景(ふうけい)()った(おもむき)で、いつしか、見慣れた富士川(ふじかわ)風景(ふうけい)からは一変(いっぺん)しており、湯煙(ゆけむり)が立ちのぼる温泉場(おんせんば)素朴(そぼく)街並(まちな)みが現れた。

「ムキー。()(まま)富士川(ふじかわ)とはさよならなの?」

「ううん。そんな事無いさ。(しばら)く行くと、隧道(トンネル)富士川(ふじかわ)沿()いに戻るよ。」

「本当に正ちゃん。()(あた)りの地理に明るいね」

 祐子が感心した様に()うと、正太郎も(こた)える。

()の辺も、散々、歩いたからね」

()れより、正ちん。桶狭間(おけはざま)の戦いの後の話。今川の衰憊(すいはい)の話。義元(よしもと)が討たれたから、一族が滅んじゃうって(くだり)


「ああ、そうだったね」

 正太郎も思い出したらしい。とても楽しそうに答えた。

「思うに、それだけ組織が属人的(ぞくじんてき)だったんだろうね。ただ、一つ()えるのは、今川義元(いまがわよしもと)が小説やドラマで描かれるように、暗愚(あんぐ)な武将ではなかったと思うよ。(むし)ろ、高いカリスマ性を持った有能な武将だったからこそ、討たれた後の今川家の衰退(すいたい)が激しかったんじゃないかな。大体、『桶狭間(おけはざま)自体(じたい)、知多半島の付け根くらいの場所なんだが、正確な場所は良く分かっていないらしい。桶狭間(おけはざま)が山なのか窪地なのかもはっきりしないらしいが、最近では小高い丘のような地形であったらしい。今川方が油断(ゆだん)していた。あるいは、織田方が情報収集の末、奇襲(きしゅう)をかけた。いろんな説が有るけど、真相(しんそう)は、はっきりしないのが、実態(じったい)みたいだよ。ただ、今川方は(いく)つかの(とりで)を攻略し(なが)ら進軍していた(わけ)だから、今川方の戦力は相当分散していたのだろうね」

 祐子も疑問を口にした。

「でも、中学の時、歴史の授業では、今川方25000に対して、織田方3000って習ったけど。其処(そこ)(まで)、戦力差があったのなら…」

 正太郎が答えた。会話自体(じたい)を楽しんでいる様であった。

「そうだよ。でも、それって、駿河を発った時の兵力であり、今の研究では、今川方の本陣兵力は、会戦時はせいぜい、数千、多くて5千位だった様だよ。()れと、大豪雨の中での戦いだったらしい、()し、そうだとしたら、(ほぼ)同数の、視界が()かない雨中遭遇戦で、しかも、片や、土地勘の有る尾張勢な(わけ)だから、()の結果も当然(とうぜん)なのかもしれないよ」

成程(なるほど)ねえ」

 敬介が感心した。正太郎が(さら)に、続けた。

「そして、今川の領土半分を手にした武田も(つまづ)く時が来た。『長篠(ながしの)の戦い』だ」

 敬介が()った。

「ああ、それなら、知っているぜ。有名な鉄砲の三段撃ちだろ」

 正太郎がニヤニヤし(なが)()った。

「いや、如何(どう)()れも、後世の創作らしいんだ」

「えっ、そうなの。学校でも、そう、教わったよ」

 祐子も驚いた。

「『長篠(ながしの)の戦い』は長篠(ながしの)城をめぐる設楽ヶ原(しだらがはら)で行われた戦いなんだが、織田・徳川連合軍3万8千に対し武田方1万5千となっている。先刻(さっき)、敬介が()ったとおり、鉄砲の三段撃ちが有名だが、どの、資料も三段撃ちの記述は無い。信長(のぶなが)の史書である、『信長公記(しんちょうこうき)』ですら、大量の鉄砲を投入した、とあるだけさ」

 いずなが()った。

「でも、何で?」

 正太郎が楽しそうに答える。

結局(けっきょく)、歴史ってのは、勝者の歴史って事だろ。勝者を華々しく、劇的に描く事で、勝者の決断の無謬性(むびゅうせい)演出(えんしゅつ)される事になる。『桶狭間(おけはざま)の戦い』と同じさ。敗者はただ、歴史に埋もれて行くだけだよ。設楽ヶ原(しだらがはら)は単純な平原じゃない。川あり、丘陵(きゅうりょう)ありの河岸段丘(かがんだんきゅう)の様な、複雑な地形だよ。しかも、織田方は、()の時、かなり巧妙な陣城(じんじろ)(野戦陣地)を作っている。そして、攻撃方は少数の武田方だ。近代の用兵思想に『攻撃方3倍の法則』と()うのが有る。攻撃方は守備方の3倍の兵力が必要、と()う考え方なんだが、()の時に関して()えば、兵力比は真逆(まぎゃく)。しかも、織田方は陣城(じんじろ)を築いて待ち構えている。多くの武田方の重臣達は撤退を主張したそうだが、勝頼(かつより)は聞き入れなかったそうだ。鉄砲の三段撃ちが無くても、かなう(わけ)、無いよ。実際、()の戦いで、武田方の有名な武将が多数討ち取られている。江尻(えじり)城の馬場信春(ばばのぶはる)山県昌景(やまがたまさかげ)等も戦死している。結局(けっきょく)()れが、命取りとなった。勝頼(かつより)は命からがら、甲斐の国に逃げ帰ったが、()の戦いによる、重臣の大量の戦死が後々に響いた。(くし)の歯が欠ける様に、家臣が欠けていった(ため)、領国経営に支障を来たし、最後は武田家の滅亡となった(わけ)さ」

 祐子が興味深そうに(たず)ねた。

江尻(えじり)城は如何(どう)なったの?」

()の後の江尻(えじり)城主は、穴山梅雪(あなやまばいせつ)だったけど、家康に調略されて、徳川方に寝返った。徳川方は無血で江尻(えじり)城と、()峡南(きょうなん)地区(山梨県南部(なんぶ)富士川(ふじかわ)沿()い一帯)を手に入れている。結局(けっきょく)、滅ぶ時はこんなもんなんだろうね。でも、こんな話、退屈だろう」

 敬介が目を輝かせて()った。

「いや、そんな事ないよ。すごく面白(おもしろ)かった。『その時、歴史は動いた』を、見ている様だった」

 正太郎は照れ(なが)()った。

「よしてくれよ。恥ずかしい。好きなだけさ。(さて)、どの辺かな? おっ、もうすぐ、鰍沢口(かじかざわぐち)か」


 祐子は思った。()れが、正太郎なんだと。正太郎は小学校時代から、教科書に載っていない様な知識は途轍(とてつ)も無く豊富だった。そして、良く(うそぶ)いていた。『(おれ)は、勉強は嫌いだよ』と。確かに()の通りかもしれない。(しか)し、自分の好きな事は、徹底的に掘り下げる。本人は勉強をしている心算(つもり)は、(まった)く無いのだろう。だが、小学校、あるいは、中学校で()れだけの知識を持っていたら、()の教科は満点のレベルだろう。正太郎の知識は、別に、歴史だけでは無い。地理や化学、生物、国語と多岐(たき)に渡っている。特に、雑学に(いた)っては比類(ひるい)を見ない。恐らく、()のメンバーの中でも屈指(くっし)だろう。果てしなく如何(どう)でも良い様な知識が、好きなのだ。祐子にとって、社会や理科は、無味乾燥な暗記教科であるが、恐らくは正太郎にとっては違うのだろう。学者肌、と()うよりも、芸術家が、芸術を愛するような感覚なのであろう。同様の印象をいずなも持った様だ。

「正ちんすごいね。私、教科としての歴史を此処(ここ)(まで)、楽しそうに話す人、初めて見た。クイズ大会のあの博識ぶりも(うなづ)けるね。ケースケ君の地理もそうだけど、何か尊敬しちゃうな」

 正太郎は、ますます、照れ(なが)()った。

「中学時代に、全教科、満点をとった人間が、何を()いやがる。(おれ)からしてみれば、祐ちゃんや、いずなや、高志みたく、全教科、穴が無い人間の方が、瞠目(どうもく)(あたい)するよ。オールラウンダーって()うのかな。大したもんだよ。なあ、敬介」

「ああ。でも、お前らと話すと、勉強したくなるよ。追いつかなきゃって思ってな。今日は、勉強道具持ってこなかったけど…」

「やめてくれ、今回は、夏合宿と違って、純粋に楽しもうと思っているんだから。この、3日間は勉強はしないつもりだから。あっ、如何(どう)やら、甲府(こうふ)盆地(ぼんち)に入ったみたいだよ」


 成程(なるほど)甲府(こうふ)盆地(ぼんち)とは良く()ったものである。四方を山に囲まれている。確かに、甲府(こうふ)盆地(ぼんち)に入ってからは風景(ふうけい)一変(いっぺん)した。何時(いつ)しか、列車左手に見えていた、山々と大河(たいが)が消え、田畑が続く様になって来た。笛吹(ふえふき)川の鉄橋を渡ると、列車は甲府(こうふ)盆地(ぼんち)の穀倉地帯を北へ疾走(しっそう)する様になる。目の前を甲府(こうふ)盆地(ぼんち)の北壁を織り成す山々が(せま)り、(やが)て、中央本線とぶつかると、西へ大きく曲がり並走(へいそう)する事となった。そして、進行方向右手に、ホテルであろうか、白い大きな建物と、瓦斯(ガス)タンクを横目に、()(まま)、山梨県都の玄関口である甲府(こうふ)駅のホームに(すべ)り込んで行ったのである。()(さて)、ボストンティーパーティによる、でこぼこ温泉(おんせん)道中記(どうちゅうき)一体(いったい)如何(どう)なる事やら…。今月、今宵(こよい)は、此処(ここ)(まで)にしたいと存じます。

プラネタリウムの上演映画に端を発した、其処は彼と無い文学論議。旅の徒然のなる儘に、能天気な面々が奏でる石和温泉旅行編第2弾。次回、『第38話 俺たちの銀河鉄道(石和温泉旅行編【2/6】)』。お楽しみに。

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