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第33話 カッサンドラーの憂鬱【後編】

 さて、話は30分程前に(さかのぼ)る。ひろみといずなは手分けして、校内を探し回っていた。如何(どう)しても、祐子は見つからない。いずなは、まさかとは思ったが、念の(ため)、校舎の屋上(おくじょう)に上がってみた。屋上(おくじょう)には常時、(かぎ)が掛かっていたが、()(かぎ)が本来の機能を果たしてはいない、(すなわ)ち、(こわ)れている事を思い出したのだ。確か女神(めぐみ)ちゃん騒動(そうどう)の時も、()れを利用して進入したのであった。祐子は居た。ぼんやりと景色(けしき)(なが)めている。()の内、酔歩蹣跚(すいほまんさん)とした状態で、ふらふら歩き出したのだ。


(う、嘘。まさか?)


 最早(もはや)一刻(いっこく)猶予(ゆうよ)も無い。いずなは大急ぎでひろみにメールを打つと、咄嗟(とっさ)に飛び出し、大声で(さけ)んだ。

「祐子ぉー」

 祐子もいずなに気がついた。顔中涙でくしゃくしゃだった。祐子にしてみれば、飛び降りる心算(つもり)など皆目(かいもく)無く、本当に無意識のうちに、ただ、蹣跚(まんさん)(あゆみ)を進めただけに過ぎなかったのであるが、いずなには、()の様な事など(わか)らない。(しか)し、二人は互いを抱き締め合うと号泣(ごうきゅう)した。

 其処(そこ)へ、ひろみも駆けつけた。三人で気が済むまで泣いた。少し落ち着いたところで、いずなが()った。

「ごめんね。ゆーちん。いずなが変な事頼んだばっかりに。()れに、正ちんで無くてごめんね」

「いずなちゃん。心配かけてごめんね。私、正ちゃんに嫌われちゃったみたい。如何(どう)せ、嫌われたのなら、いっそ正ちゃんの事、嫌いになってやろうと思ったの。でも、出来(でき)なかった。小学校の頃のお兄ちゃんみたいな、正ちゃん。中学校の時の輝いていた、正ちゃん。高校入学した時の親切で優しい正ちゃん。花見の時に、照れ(なが)ら花を()んでくれた優しい正ちゃん。竜爪山(りゅうそうざん)に登った時、命を救ってくれた頼もしい正ちゃん。学校祭での、クイズ大会の時の博識(はくしき)な正ちゃん。合宿の時に一緒(いっしょ)に星を見て、夢を語ってくれた正ちゃん。お誕生日の時に、照れ(なが)ら贈り物をしてくれた正ちゃん。みんなとバカやって、面白(おもしろ)い事()って、飄々(ひょうひょう)として、剽軽者(ひょうきんもの)(くせ)に、ロマンチストで、(さみ)しがり屋で、繊細(せんさい)で、優しくて、素敵(すてき)な正ちゃんばっかり、…無理(むり)だよ。嫌いになんて…なれないよ」

「ゆうちん。心配しないで。いずなが絶対(ぜったい)に何とかしてみせる。どんな手を使ってでも、必ず、元の(さや)に収めてみせる」

大丈夫(だいじょうぶ)だよ。祐子。私も力ずくでも、元の(さや)に収めてみせる」


 (さて)、話は再び赤灯台に戻る。正太郎は、おずおずといずなとひろみの横を通り抜け、(さみ)しく(たたず)んでいる祐子の方に歩み寄って行った。通り抜ける時、いずなとひろみに、小さな声で、()れでいて、心底申し訳無さそうに、

「本当にすまない。迷惑(めいわく)を掛けた」

 と()い、祐子に近づいて行った。

「正ちゃん。あのね…」

 正太郎が(さえぎ)った。そして、祐子に深々と頭を下げると、()()った。

「祐ちゃん。本当にごめんなさい。許して(もら)えないかも知れないけど、もう、手遅れかも知れないけど、本当にごめんなさい。昨日(きのう)からずっと考えていた。変な事も考えた。でも、思い出すのは、祐ちゃんの笑顔(えがお)ばかりだ。(おれ)、祐ちゃんの笑顔(えがお)が大好きだ。やっぱり、祐ちゃんがいない世界なんて考えられないよ。(おれ)なんか、祐ちゃんの(ため)にならないかもしれない。不釣合(ふつりあ)いかもしれない。でも、もう一度、チャンスをもらえるのなら、やっぱり、(そば)にいて欲しい。本当に(ひど)い事をしてごめんなさい。如何(どう)(ゆる)してください」

「正ちゃん。私、(たと)え、嫌われても、やっぱり、正ちゃんの事が好きです。だから、迷惑(めいわく)掛けないから、(そば)にいさせて下さい。お願い…」

迷惑(めいわく)だ何て…。(おれ)は祐ちゃんにいて欲しいんだ。本当にごめんね」

「ううん。それと、隠していて、ごめんなさい」


 正太郎は、目の前にいる、飛び抜けた才能を持つ、16歳のごく普通の、少々(しょうしょう)肥満気味(おデブ)の少女を強く抱きしめた。

「ごめんね、つらかったんだね。苦しかったんだね。もう、無理(むり)しなくていいから。敬介みたく気づいてあげられなくて、ごめんね」

 祐子は、正太郎の腕の中で激しく泣き(じゃく)っていた。号泣(ごうきゅう)だった。

「私、…正ちゃんの(そば)にいていいの?」

勿論(もちろん)(おれ)の方こそ。祐ちゃんが許してくれるなら、…一生、(そば)にいたい。…それと、遅くなっちゃたけど、…優勝おめでとう」

 ひろみといずなが安堵(あんど)して、ホッとした様に顔を見合わせた。そして、ひろみが涙を(ぬぐ)(なが)()った。

「今の、プロポーズだったよね」

 いずなも、涙を()いて(うなず)いた。

「うん。すごかった。良かったね。ゆうちん」

 祐子も涙を(ぬぐ)(なが)()った。

「もう、いずなちゃんの意地悪(いじわる)。でも、いずなちゃん、ひろみちゃん、本当にありがとう。それと、みんな、隠していてごめんなさい」

 そして、みんなに向かって頭を下げた。それを見ていた、正太郎も、みんなに(あやま)った。

「ごめんなさい。またみんなに迷惑(めいわく)をかけた」

 と()って、一生懸命(いっしょうけんめい)に頭を下げた。

「別に(あやま)る事じゃないわよ。正太。友達でしょ。でも、()し、あの場で祐子を捨てていようものなら、(アゴ)粉々(こなごな)粉砕(ふんさい)していたけどね」

 ひろみが、真顔(まがお)でかなり物騒(ぶっそう)な事を、けろりと()ってのける。高志もしたり顔で続く。

()れに、祐子ちゃんも(あやま)る事は無いだろ。人間、秘密があって当然だ。(おれ)だってみんなに内緒(ないしょ)にしている特殊能力位、あらあな」

 ひろみが()めた顔で問い(ただ)す。

「へー。どんな?」

「どんな女でも、胸のカップサイズを()い当てる事が出来(でき)る。()れも、かなり正確にだ。(たと)えば、いずなはA、お前はB、(ただ)し、Aに近い。そして、祐子ちゃんはHだ。ぐへえぇっ」

(だま)んなさいよ。()女性(おんな)の敵。そう()うのを、鶏鳴狗盗(けいめいくとう)って()うのよ。(まった)()って、しょうもない」

「ムキーッ。ひろみっち。もう一発。(にわとり)の鳴き真似(まね)男にもう一発」

 祐子も()()になって怒る。

全然(ぜんぜん)、違う。正確じゃない。(すこぶ)る不正確。だって、私、Eだもん。(まった)く、もう…」

 (しか)し、()れには、多分(たぶん)に祐子の見得(みえ)(ふく)まれている。実際の(ところ)近頃(ちかごろ)の祐子のブラジャー事情は、Hでも物足りなく、愈々(いよいよ)、Iの範疇(カテゴリー)になりつつある。

「だが、(おれ)は知ってるぜ、いずな。お前はAでも、やや大きめだろ? 多分(たぶん)、AAカップ位。だから、(おれ)は心の中で、AAカップの事を、(ひそ)かに『いずなカップ』と、命名して呼んでいるんだ」

 いずなが()()になって()える。

「ムッキーッ。ひろみっち。()の無礼者の毛皮泥棒を何とかしてー」

「あいたたた…」

 ひろみが高志の腕を、後ろ手に(ひね)りあげ、()気無(けな)()った。

「いずな、()れで()い?」

 いずなはぷりぷりし(なが)()った。

「うん、()いよ。(まった)く、ハロゲン族は…。本当に、失礼なんだから…。だけど、ケースケ君、いずなの事はすぐ分かったのに、ゆーちんの事は、全然(ぜんぜん)、気が付かなかったの?」

「うん。全然(ぜんぜん)気が付かなかった。勿論(もちろん)。えらく頭が()い子だな。とは、思ったけど…。()れに、(おれ)、いずなちゃんの事ばかり見ていたし…」

 敬介がもじもじし(なが)らも、惚気(のろけ)る。

「ウキーッ。そう()う恥ずかしい事、()っちゃ駄目(だめ)。もう、おてて(つな)いであげないよ。…そりゃ、いずなも、本当はね…すごく(うれ)しいけど…。みんながいる(ところ)では、絶対禁止」

「うひゃあ。ごめんね。いずなちゃん」

 敬介といずなのじゃれ合いを他所(よそ)に、ひろみが悲しげに首を振り(なが)()った。

「でも、正太は、全然(ぜんぜん)、気づいてなかったんだね。不思議(ふしぎ)だよね。昔からいつも一緒(いっしょ)にいるのにね」

「うん。全然(ぜんぜん)気が付かなかった。勿論(もちろん)、えらくおっぱいが大きな子だな。とは、思ったけど…。()れに、(おれ)、祐子ちゃんのおっぱいばかり、見ていたし…」

 祐子が()()になり、当然(とうぜん)の事(なが)ら、憤慨(ふんがい)する。

「もう、正ちゃんのエッチ…。何よ、今の」

「えっ。(おれ)じゃないよ。今、()ったの、高志だよ。此奴(こいつ)、得意なんだ。声帯模写(ものまね)が…」

「えっ、そうなの?」

大体(だいたい)、いくら、祐ちゃん相手でも、(おれ)が女の子に面と向かって、彼処(あそこ)まで、明白(あからさま)に下品な事、()える(わけ)ないだろ。抑々(そもそも)、そんな度胸(どきょう)もないよ。(しか)し、…(まった)く、鶏鳴狗盗(けいめいくとう)故事(こじ)()(まま)だな」

 いずなが素直(すなお)に感心した。

「ムッキー、すごいね。正ちんの声、()の物じゃないの。内容はハロゲン族、()の物だったけど」

「なっ。誰にも、特技の一つや二つあるんだよ。抑々(そもそも)()れに、ショックを受けて、突っ走る方が間違い」

 高志がニヤリとする。

「あれっ。(おれ)を責めないんじゃなかったけか?」

 高志がけろりとして()った。

「ああ、責めないよ。だけど、お前も祐子ちゃんも笑顔(えがお)になった今なら、話は別だ。今だから、責めるんだ。今なら、聞く耳も持っているだろう。もうこんな事も無いとは思うが、今度あったら、祐子ちゃんがどんだけお前の事を想ってくれてたか、思い出してみるんだな。(もっと)も、お前も、(おれ)()われるまでも無く、昨夜から一晩かけて、それを考えたから、今、此処(ここ)にいるんだろ」

「…ああ。本当に済まなかった」

 高志が急に何かを思い出した様に、高らかに(さけ)んだ。

「そうだ。思い出した。確か、正太の説得に成功したら、(さわ)らせてもらえる(はず)だったよな。ひろみのおっぱいとおま●こ。()状況(じょうきょう)は、如何(どう)考えても任務(ミッション)完了(コンプリート)だろ…。ぐへぇっ」

 ひろみが()()になり(なが)ら、肘打(ひじう)ちを放ちつつ()った。

乙女(おとめ)になんてえ事、()うのよ。()のとんちき。後者(あとんの)は約束すら、して無かったわよ」

「いてて、なら、前者は()(わけ)だ。何処(どこ)にする。インター前か? 鳥坂(とりさか)か? なんなら、お前んち近所の、千歳町界隈(かいわい)にするか?」

「バカ()わないで。私、あの界隈(かいわい)二度と歩けなくなるじゃないの。いずな、お願いだから、()のうすらとんちき何とかしてぇ」

 ひろみが泣き声を()げる。いずなは(あきら)めた様に肩を(すく)(なが)ら、()()った。

「ひろみっち。もう、(あきら)めた方が()いよ。()のうすらとんちきを選んだのはひろみっちだし、()れに、ひろみっち、とんちきに()ってた。『何でも()う事、聞いてやる』って」

「こんな時に、能力発動しないでよ。あれは、(ただ)の言葉の(あや)でしょ」

 祐子が正太郎の後ろから、小声で心配そうに(ささや)いた。何時(いつ)()にか、祐子も何時(いつ)もの定位置(ポジション)に戻っている。

「正ちゃん、正ちゃん。ひろみちゃん、困っているよ。私達のせいだし、ひろみちゃんを助けてあげないと…」

大丈夫(だいじょうぶ)だよ。高志流の冗談(じょうだん)だ。あんな状況(じょうきょう)(おれ)の意向ですら尊重(そんちょう)しようとする(やつ)が、ひろみの意向を尊重(そんちょう)しない(わけ)が無い。あいつ、()う事は下品()の上なく、袒裼裸裎(たんせきらてい)(やつ)だけど、俺達(おれたち)の中で一番紳士(しんし)だよ」

「お願いだから。何か、別の事で」

 混乱の(きわみ)にあるひろみが、高志に懇願(こんがん)する。

「仕方がねえなあ。じゃあ、ストロベリーパフェで手を打とう」

「分かった。(おご)る。(おご)る。(おご)る」

「あのなあ…。違うって。(おれ)(おご)るんだよ。みなと祭りの時の約束。もう忘れちまったのか。あん時のストロベリーパフェ1回分、()だ残っているだろ。ちったあ、いずなや祐子ちゃんを見習えよ。だから、()の約束を履行(りこう)させろ」

 正太郎が祐子に、ニッコリと微笑(ほほえ)みかけた。

「ねっ」

「本当だ」


 みんなが帰る頃はもう、(あた)りは漆黒(しっこく)の闇であった。正太郎と祐子はみんなに、丁寧(ていねい)にお礼とお()びをしていった。特に正太郎は誠心誠意お()びをしていた。如何(いか)に混乱していたとは()え、祐子と別れる寸前(すんぜん)であったのだ。みんなと別れた後、正太郎は祐子に、今一度、丁寧(ていねい)(あやま)った。

「祐ちゃん。本当にごめんね。(おれ)、本当に如何(どう)かしていた。祐ちゃん、気を悪くすると思うけど、あの、優勝の瞬間(しゅんかん)(おれ)、祐ちゃんの事、…化物。と、思った。それに、ホテルの前の事だって、あんな()い方すれば、祐ちゃん泣いちゃうかもしれないと思ったけど、()ってしまった。それに、家に帰ってからも、謝ろうと思ったけど、出来(でき)なかった。今日、敬介の話を聞いていて、とても、恥ずかしかった。敬介はいずなの事、あれだけ理解して、守ってあげようとしていたのに…。祐ちゃん、こんな(おれ)なのに、許せるのか?」

「許すも何も無いよ。私は正ちゃんに嫌われなくて良かったって。それに、正ちゃん、先刻(さっき)、自分にとって()いにくい事、()ったよね。私、そんな、()()ぐな正ちゃんが大好きだよ。私だって、昨日(きのう)、メールを送ろうと思ったよ。でも、振られるのが怖くて出せなかったの。…ごめんね」

昨日(きのう)、祐ちゃんの事ばかりを考えた。でも、思い出す祐ちゃんって、笑顔(えがお)の祐ちゃんばっかりだ。もう、笑顔(えがお)が見られなくなっちゃうと思うと、悲しかった。(しか)も、引き金を引いたのが(おれ)だと思うと、気が変になりそうだった」

「ありがとうね。もういいよ。正ちゃんもすごい苦しんだんでしょ。私、正ちゃんの事は、前と変わらずに、ううん、前以上に大好きだよ。だから、もう、謝らないで」

「うん。()れで最後にする。本当にごめんなさい。そして、()れからも、よろしくお願いします」

「はい、…よろしくお願いします」

 にっこりと微笑(ほほえ)んだ祐子の眼に、再び涙が光っていた。二人は自転車を引き(なが)ら、夜の繁華街(はんかがい)を歩いて行った。


 正太郎はドキリとした。祐子の輝く様な笑顔(えがお)に対してである。

(一体、何時(いつ)の頃からだろう)

 そう、考えずには、いられない。正太郎が物心ついた頃には、何時(いつ)だって祐子は、必ず正太郎の(そば)に居た。振り向けば、其処(そこ)には常に祐子の笑顔(えがお)があった。はにかんだ笑顔(えがお)、遠慮がちな笑顔(えがお)、ぱあっと花開く様な輝く笑顔(えがお)。祐子の笑顔(えがお)(いく)つもあったが、()(かく)、正太郎は祐子の笑顔(えがお)が大好きだった。特に、ぱあっと花開く様な輝く笑顔(えがお)が一番好きだった。

(小学校の頃は()素直(すなお)だったな)

 そう、思わざるを得ない。祐子の笑顔(えがお)を見たいが(ため)に、花を摘んだり、髪飾りを造ったりした。祐子とクラスが違った3年生の頃は、何時(いつ)も祐子のクラスへ行き、一緒に帰っていた。そんな時、祐子は何時(いつ)でも正太郎を待っていた。祐子の方が先に終わった時は、正太郎のクラスへ祐子が来た。

「祐子、一緒(いっしょ)に帰ろう」

「うん!」

 正太郎が声を掛けると、()れを待っていたかのように、(きま)って祐子は、(はじ)ける様な笑顔(えがお)を見せるのを常としていた。小学校の頃は一緒に帰るときは、何時(いつ)も手を(つな)いで帰ったものだった。(やが)て、4年の頃、正太郎は修吾や六助に誘われサッカー部に入り、祐子と一緒に帰る機会はグンと減った。()れでも、祐子の笑顔(えがお)は正太郎の日常であった。(しか)し、中学校に入り祐子と疎遠(そえん)になってから、何時(いつ)しか、祐子の笑顔(えがお)は日常では無くなっていた。そして、高校時代(いま)に至るのである。今の生活は祐子の笑顔(えがお)が日常と()えるのだろうか? 正太郎は、そんな事を回想していたのである。

一体(いったい)何時(いつ)の頃からだろう)

 今一度(ふたたび)、正太郎は自問(じもん)した。()笑顔(えがお)無償(むしょう)の物と思う様になったのは。そう思い至った時、正太郎は今回の振る舞いを、只管(ひたすら)、恥じていた。


 何時(いつ)しか、昨日(きのう)のホテルの近所だった。(くだん)のファッションホテルは『リバー・サイド・ホテル』と()い、巴川(ともえがわ)河畔(かはん)に面した、割と澹乎(たんこ)(おもむき)のあるホテルであった。(しか)突然(とつぜん)()の前で祐子は、(いな)、アポロンを取り戻したカッサンドラーは、突如(とつじょ)として、()(あゆ)みを止めたのである。正太郎が驚いて、(いぶか)(なが)らも、何の気無(きな)しに(たず)ねた。

如何(どう)したの? 祐ちゃん。何処(どこ)具合(ぐあい)でも悪いの?」

 祐子は下を向いた(まま)()()な顔で(しき)りに、ブンブンブンと(かぶり)を振っている。()(あた)りが、正太郎が朴念仁(ぼくねんじん)()われる所以(ゆえん)でもあろう。祐子は()()な顔をし(なが)らも、じっと、下を向いた(まま)其処(そこ)から動こうとはしない。木枯(こが)らしが吹きぬける中、地元進学校の制服姿の女子高生が(うつむ)いて(たたず)んでいるのは、(まば)らではあるものの、人の往来(おうらい)のある通りのファッションホテルのまん前。(すなわ)ち、所謂(いわゆる)、ラブホテルの入口の前なのである。


 祐子は(まなじり)を決した様に()った。

「あの、()昨日(きのう)は、拒絶して…ごめんね。でも、…()の」

 如何(いか)朴念仁(ぼくねんじん)な正太郎と()えど、流石(さすが)に何かを察した様である。

「そんな、申し(わけ)ないよ…。抑々(そもそも)(おれ)にそんな資格も無いよ。昨日(きのう)だって、()の、…欲望の(おもむ)(まま)に祐ちゃんの事を微塵(みじん)も考えずに…」

 祐子は下を向いた(まま)殊更(ことさら)赤い顔で、屹然(きつぜん)()い切った。

「…でも、私にだって、…あるよ」

 正太郎は、激しい混乱の中、明らかに述語(じゅつご)欠如(けつじょ)した祐子の台詞(せりふ)の、述語(じゅつご)該当(がいとう)する言葉を懸命(けんめい)に探していた。勿論(もちろん)、正太郎は、咄嗟(とっさ)には分らなかった。(しか)し、いくら朴念仁(ぼくねんじん)である正太郎であっても、文章の前後、(いな)状況(じょうきょう)の前後からの推測は出来(でき)る。()れは、何時(いつ)も祐子の豊満(ほうまん)な胸や大きなお尻を見たときに、衝動的にムラムラと巻き起こるアレでは無いかと推測はした。現に、正太郎が昨日(きのう)祐子に、混乱の(あま)性衝動(リビドー)(たた)きつけようとしていた事を、吐露(とろ)した直後の祐子の台詞(せりふ)なのである。そう考えるのが、(すこぶ)妥当(だとう)であろう。だが、正太郎には、()れが正解である自信はまるで無い。(しか)し、()れが()し、(たと)えば国語の試験であれば、選択肢の中に、性衝動(リビドー)()しくは性欲と()う言葉があって(しか)るべきだと思ったし、()し、()れらの単語が選択肢の中にあれば、正太郎でも容易に選択し()たであろう。だが、本当に()れが正解なのだろうか? 本来(ほんらい)()の二つの単語は、祐子には最も縁遠く、そぐわないものだ。そして、当然の(ごと)く正太郎は、勝手にそう思い込んでいた。祐子は()わば、正太郎にとって、無垢(むく)な聖女の様な存在なのである。正太郎自身、祐子に対して、激しい性衝動(リビドー)(いだ)(たび)に、そんな祐子に対して申し(わけ)ない。勝手にそう思い込んでいたのだ。良くある、思春期の幻想(げんそう)()(やつ)である。(しか)し、常識的に考えれば、人間には男性(おとこ)女性(おんな)しか居ないのである。()の片方にしか性衝動(リビドー)が無い(など)()う事は、本来(ほんらい)、有り得ない事なのである。そんな、下を見つめた(まま)の祐子が、()()な顔でホテルの方をチラリと見ると、(おもむろ)(つぶや)いた。

「あのね、…祐子。行きたい」

「!」

 驚愕(きょうがく)する正太郎をよそに、祐子は最後まで()い切った。

「今日は…。私が、その…、正ちゃんと一つになりたいの…。祐子が正ちゃんを欲しいの。…駄目(だめ)かな」


 一方、高志とひろみは約束のストロベリーパフェを食べるべく、新清水駅方面に向かっていた。二人とも自転車を引いている。ひろみが突然(とつぜん)、切り出した。

「高志。今日はありがと。本当に、有難(ありがと)う。お陰で、祐子は救われた」

(おれ)は、何にもしちゃいないさ。赤灯台に来た時には、正太は(すで)にあの結論を選んでいたんだ。あとは、正太が祐子ちゃんに頭を下げるだけだったのさ。()いて()げれば、敬介の説得かな。彼奴(あいつ)の実直で朴訥(ぼくとつ)な説得が、正太の心を打ったのさ」

「何でそう思うの」

「そりゃあ、だって、正太が祐子ちゃんと別れる決心をしたのであれば、俺達(おれたち)が待ち構えている赤灯台になぞ、来る(わけ)なんか無いだろ。普通に無視(シカト)だ。正太が来たと()う事は、(はか)らずも、正太が元の(さや)に収まりたがっている。(ある)いは、戻りたいが背中を押してくれ、と()う事だったのさ。他に合理的な解釈の仕様が無いだろ。だから、彼奴(あいつ)が赤灯台に姿を見せた瞬間(しゅんかん)に、『すぐ来い』と、メールしたのさ」

「そうだったの。ところで、高志は祐子の能力に、気がついていたの?」

「ああ」

何時(いつ)から?」

 高志はちょっと考え込む様な仕草で躊躇(ちゅうちょ)した後、()()った。

「4月位からかな…」

「えーっ、何故(なぜ)?」

(おれ)の席、一番、後ろだからなあ。良く見えるんだよ。あの子、祐子ちゃん。授業で当てられた時、教科書無しで朗読してたよ。厳密には、違う教科の教科書を見(なが)らだったけど。最初は目を疑ったよ。()のうちいずなの(うわさ)を聞いて、『()()う事が出来(でき)る人間って本当にいるんだ』って、思ったよ。でも、いずなは、割と開けっぴろげだったけど、祐子ちゃんは違っていた。徹底して隠していたからな。最初は性格の違いだと思ったけど、()のうち、正太が原因だと、すぐ判ったよ。(おれ)が祐子ちゃんでも、正太には、徹底して隠したと思うぜ。彼奴(あいつ)(がら)にも無く繊細(ナイーブ)だからなあ。そんな、詰まんねえ事で嫌われても損だろ。(おれ)も、祐子ちゃんも、良くも悪くも、算盤(そろばん)(はじ)く。つまり、損得で動くんだ。だが、正太は違う。彼奴(あいつ)は、まず、感性で動く。理屈や道理、何よりも損得なんぞは二の次だ。そして、彼奴(あいつ)の感性に、間違い無くあの能力は相容(あいい)れ無い。祐子ちゃんも、本能的に()れが分かっていたから、隠したのさ。そんな(ヤツ)相手に、説得なんて意味がねえ。だから、気が乗らないと()ったのさ。ただ、彼奴(あいつ)()(ところ)は、自分が間違(まちが)った、と思ったら()かさず修正が()く点だ。そして、彼奴(あいつ)は赤灯台にやって来た。だから、勝負になったんだ」

「そうだったんだ。…でも、()の後、へんな話を持ち出した。…おっぱいとか彼処(あそこ)(さわ)る話」

「わー、悪かった。本当にごめん。でも、あの場の空気。正太を悪人にする様な構図を避ける(ため)には、笑いを取るしか、思い浮かばなかったんだよ。だから、最後はストロベリーパフェに誤魔化(ごまか)したんじゃねーか」

 ()()の天使が慈愛に満ちた優しげな眼差(まなざ)しで、下から見上げる様に、(すこぶ)屈託(くったく)の無い笑顔(えがお)を向ける。

「優しいんだね。高志は。…無理(むり)にストロベリーパフェに誤魔化(ごまか)さなくても良かったのに…」

「…?」

「おっぱい(さわ)りたいって()ってたし」

「…?」

彼処(あそこ)(さわ)りたいって()ってたし」

「あの…。ちょっと?」

「合宿の時は、彼処(あそこ)の毛も見たいって()ってたし」

「ちょっと、ひろみさん」

丁度(ちょうど)此処(ここ)は千歳町だし」

「ひろみ姉さん!」

如何(どう)せ、私の初体験(はじめて)…。高志以外の人にあげる心算(つもり)、…無いし」

「もし、もーし」

「…で、如何(どう)なのよ?」

 ひろみは、下を向いて、()()になり(なが)ら、ちょっと怒った様に()った。()のやや()()の勝気な天使は、()れでもかなり自身の(ぶん)を超えて、背伸びをしていたのだろう。少し、(ふる)えている。のみならず、うっすらと目に涙さえ浮かべている。高志にはそんなひろみがとても愛おしく思え、そして、申し(わけ)なかった。と同時に、()の小動物の様に小さく(ふる)える()()の天使を、自身の性衝動(リビドー)(おもむ)(まま)に、無茶苦茶(むちゃくちゃ)にしてみたいと()嗜虐的(しぎゃくてき)な思いも、不謹慎(ふきんしん)(なが)らも、心の何処(どこ)かには、確かにあった。(しか)し、結局の(ところ)、理性が(まさ)った。だが、よくよく考えてみれば、()の場合、理性が勝利しようと敗北しようと、実際、結果として、同じ事ではあった。高志は、天使の顔をまじまじと見つめ、ふうっと、小さなため息を()くと、肩を(すく)(なが)()()った。

()の状況で、如何(どう)()うも、ねーだろ」

 そして、居住(いず)まいを正すと、()う続けた。

「…すまん、ひろみ。無理(むり)をさせた。()れでは、ひろみちゃん、いや、ひろみさん。…()の、()いかな?」

「…うん」

 二人は千歳町のとあるホテルに、手を繋ぎ(なが)らも、人目を(はばか)る様に入っていった。ロビーでは、愛を(はぐく)(きら)びやかな部屋を選択するパネルの前に向かった。高志、ひろみ、二人とも、所謂(いわゆる)初体験(はじめて)である。心臓が早鐘(はやがね)の様な鼓動(こどう)(きざ)んでいる。今なら()の二人も、何時(いつ)ぞや筆者が(わずら)った不整脈(ふせいみゃく)状況(じょうきょう)を、極めて正確に体感してくれる物と思う。パネルの前には、もう一組、手を(つな)いだカップルが(たたず)んでいる。()れを認めた高志とひろみは一瞬(いっしゅん)慄然(ギョッ)としてたじろいだ。偶然(ぐうぜん)()のカップル達も人の気配(けはい)に気がついたのだろう。後ろを振り返った。そして、カップルが振り返った時に、瞬間的(しゅんかんてき)にお互いの目が合った。


「う、(うそ)。…祐子?」

「…ひろみちゃん?」

「げっ、高志」

「正太郎…」


 (まさ)に、驚愕(きょうがく)瞬間(しゅんかん)である。だが、()る意味、()の組み合わせで良かったのかも知れない。何故(なぜ)なら、()の組み合わせだからこその、奇妙な安心感があった。(しか)し、一方で、筆者にも経験があるが、()れは()れで、流石(さすが)に超恥ずかしい。()してや、正太郎たちは未成年。(しか)()の内一組は初体験(はじめて)同士である。一同、無言の(まま)、混乱の(きわみ)にあった。(さて)と話を戻す。正太郎と高志がツツツーッ、と移動しあって小声で(ささや)きあった。高志がまず()った。

「バカヤロー。お前ら、帰ったんじゃなかったのかよ。お前は()(かく)、祐子ちゃん、制服じゃねーか。制服でこんな(ところ)に来やがって、一体(いったい)如何(どう)()心算(つもり)だ。大体(だいたい)、お前ら停学明けだろ。バカじゃねーのか?」

「お前らこそ、二人とも制服じゃねーか。それに、停学明けはお互い様だろ。抑々(そもそも)、こんな(ところ)で何やってんだよ。今度こそ、停学(どころ)じゃすまねーぞ」

俺達(おれたち)は、()の、…ストロベリーパフェを、食いに来たんだよ」

「こんな(ところ)にか? 何処(どこ)の世界に、こんなところ(ラブホテル)にストロベリーパフェを()いに来る馬鹿(バカ)が居るんだ? 明白(あからさま)(うそ)()いてんじゃねー」

「おまえらこそ、何なんだよ?」

(おれ)んちも、祐子んちも巴川縁(ともえがわべり)だ。(ただ)、単に道を間違(まちが)ったんだよ」

「道を間違(まちが)っただあ? ふざけんな。何処(どこ)如何(どう)間違(まちが)ったら、此処(ここ)へ来るんだ。2キロも離れてるだろうが。抑々(そもそも)、ベクトルがおかしいだろ。見え()いた(うそ)こきやがって」

「…」

 (しば)しの沈黙の後、正太郎が(つぶや)いた。

「…やめよう」

「…ああ」

「健闘を祈る」

「ああ」

「今日の事は」

「他言無用な」

 正太郎は高志に(さら)に近づくと、ひそひそと耳元で(ささや)いた。

「お前、分かってると思うが、ちゃんと避妊具(コンドーム)を使えよ」

「…ああ、分かってる」

彼処(あそこ)も、ちゃんと洗えよ」

「お、おう」

「歯、(みが)けよ」

「…」

「宿題、やれよ」

「…ドリフかよ。馬鹿(ばか)野郎(やろう)

「また、来週!」

(やかま)しい!」

「よし。話は着いた。行こう、祐ちゃん」

一体(いったい)、何の話なのよ。もう」

 祐子が(あき)れる。正太郎と祐子は405のボタンを押すと先にエレベーターを上がって行った。高志とひろみは呆然(ぼうぜん)とし(なが)ら、二人を見送っている。()れもそうである。なにしろ、あの正太郎と祐子なのである。目が点になるとは(まさ)()の事だろう。高志は首を振り(なが)ら、(つぶや)いた。

「正太め、あの野郎(やろう)、完全にいつもの彼奴(あいつ)に戻ってやがる。(まった)()って、現金な野郎(やろう)だ」

()い事じゃない。()れよりも、祐子だよ。あの、祐子だよ。私、(いま)だに目を疑ってる。本当に祐子だったよね?」

「ああ、()れも彼奴(あいつ)ら、(おそ)らく、今日が初体験(はじめて)じゃない」

「ねえちょっと、(うそ)でしょ。あの、正太と祐子だよ。奥手が、服着て、道歩いて、挙句(あげく)の果てに、何かの間違いで告っちゃった様な二人なのよ」

「だって、聞いたろ。先刻(さっき)のあの会話。如何(どう)聞いても初体験(はじめて)のラブホじゃねーだろ。余裕綽綽(よゆうしゃくしゃく)じゃねえか。くっそー。前々から、妙な感じはあったんだよな。合宿の前位から…。野郎(やろう)此方(こっち)猥談(わいだん)してても、酢を飲んだ様な(ツラ)してやがるしよ、あの助平(スケベ)が、変だ変だとは思ってたけど、相手があの祐子ちゃんだったからな。四方(よも)やこんな事はあるまいと…。くっそー、油断(ゆだん)した」

(いま)だに、信じられない…」

 高志とひろみは406のボタンを押して次のエレベーターで上がっていった。入室すると、ひろみはもじもじし(なが)()った。

「あの、高志。私、かなり、胸ちっさいよ」

「んな事。分かってるよ。…それより、その、何て…呼んだら()い?」

「何でも()いわよ。…待って、あの、…ちゃんづけでも()い? 高志の事は、高志君で…」

「うん。()いよ」

「あと、ちょっと、…恥ずかしいお願いしても()い?」

「うん」

「二人きりの時は、…()の、うんと甘えん坊になっても()い?」

「うん」

「うれしい。高志君。大好き」

(おれ)も、ひろみちゃん。大好きだよ」

 刻一刻(こくいっこく)()瞬間(しゅんかん)が近づいて来る。一つ隣の部屋では、正太郎と祐子が(いた)している。(いな)、愛を(はぐく)んで結ばれている(はず)なのである。


 そして、ひろみと高志はかなり熱烈なキスをした後に結ばれた。思ったより、呆気(あっけ)無いものだった。そして、賢者タイム。高志はたった今、破瓜(はか)したばかりの、()れ目の天使の状態を気遣(きづか)って聞いた。

「あの、ひろみちゃん。…痛くなかった?」

「ううん。平気だよ。…それじゃあ、ご褒美(ほうび)にいい子いい子して」

「うん」

 高志はひろみの髪の毛を優しく()でてあげた。ひろみは一糸(いっし)(まと)わぬ姿で、布団(ふとん)の中で高志に抱きついた。高志も同じ姿で、優しくひろみを抱いた。

「本当は、高志君に思いっきり、甘えたかったんだ。…変かな」

「いや、お転婆(てんば)なひろみも、あっ、ごめん。ひろみちゃんも好きだけど、女の子しているひろみちゃんは、…その、すごく、かわいいから、大好き」

「よかった。うれしい…」

「本当は、不謹慎(ふきんしん)かもしれないけど、みなと祭りの夜に、()の…、浴衣姿(ゆかたすがた)のひろみちゃんが余りにも可愛(かわい)かったから、()()(ところ)へって…ちょっと思っちゃったんだ。でもまだ、抑々(そもそも)、告ってもいなかったし…」

「もう。高志君の…ばか。…本当は少し期待してたんだよ。でも、高志君。紳士(しんし)だから、期待薄だったけどね。じゃあ、埋め合わせにキスして。それに、来年、浴衣(ゆかた)の時は期待しても()いのかな?」

 ()の、たった今破瓜(はか)したばかりの、()れ目の天使の可憐(かれん)台詞(せりふ)に、高志の下半身はドキリとすると(とも)に、おもわず、(うなず)いた。

「うん」

「あー。高志君、胸さわってる。ちょっと、感じちゃうんだぞ」

「あっ、ごめん」

 (あわ)てて離そうとした高志を、ひろみが優しく止めた。

「…()いよ。()(まま)で」

 キスの後、高志が優しく()った。

「今日はありがとう。でも、ひろみちゃん、すごいツンデレだったんだ…」

「嫌…かな?」

「ううん。…すごく、可愛(かわい)いから、大好きだよ」

「えへへ。にゃーん」

「か、かわいい…」

「じゃあ、ご褒美(ほうび)に、もう一回キスと、いい子いい子して。あとね。今度二人きりになった時も、…又、甘えん坊になっても()い?」

「うん。いいよ。それと、ちょっと()いにくいんだけど。ひろみちゃんの浴衣姿(ゆかたすがた)想像したら、()の…又、元気になっちゃったんだ。ひろみちゃんさえ、…良ければ…()の、…()いかな?」

 ひろみが()()な顔を、(さら)に赤く染め(なが)らも、こくりと(うなず)(なが)()った。

「…うん。…もう、高志君の…H」

 ()る意味、ひろみのスーパーツンデレが炸裂した一日だった。


 一方、正太郎と祐子は、結ばれた後、()れ又、一糸(いっし)(まと)わぬ姿で、ベッドの上で賢者タイム&寝物語(ピロートーク)をしていた。

「驚いちゃったね。ひろみちゃんや高志君と出くわしちゃうとは…」

「うん。でも良かったよ。高志、人の事は良く見える(くせ)に、自分の事はからっきしだもん。あの(まま)じゃ、ひろみが可哀相(かわいそう)だったよ。彼奴(あいつ)、バカやっている(くせ)に、紳士(しんし)過ぎるんだよ」

「あら、正ちゃんもでしょ。だって、本気で私と別れるつもりなら、絶対(ぜったい)に赤灯台なんかに来ないでしょ」

「うん。本当にずるいけど、行けばみんなでよってたかって、正してくれると思った。みんなで、力ずくでも、祐ちゃんの前に連れてってくれると思った。卑怯だよね。本当は、祐ちゃんにメール一つ打てば良かったんだ。でも、拒絶されたらって思ったら、怖くて出来(でき)なかった。ごめんね」

「正ちゃん。()れは駄目(だめ)だよ。(あやま)るのは、先刻(さっき)のが最後だった(はず)だよ。罰としてキスして。ちゃんとお口に」

 正太郎は優しくキスをした。

「あのね、祐ちゃん。前に祐ちゃんが()った様に、お金を割り勘にするのと同じで、隠したり、我慢したり、無理(むり)したりするのは無しにしよう。長続きしないし、お互いにつらいだろ。本当は何でも()い合えれば、一番いいと思うけど、祐ちゃん優しいから、飲み込んじゃう事も多いと思うんだ」

()れは、正ちゃんもでしょ」

「そうかな。でも、祐ちゃんからみて、『正ちゃんそれは違っている。でも、正ちゃんに怒られそうだから()えない』って、思ったときは、シャーロックホームズじゃないけど、一言、『円周率』って、()ってくれないかな。そうすれば、僕は深呼吸して、10数えてから行動する」

「分かった。ホームズが失敗したあの話と同じだね。じゃあ、私が同じ様になったら、私にも、『円周率』って()ってくれると助かるよ。正ちゃんと一緒(いっしょ)にいる(ため)だもん」

「ありがとう。本当に、ごめんね」

「あー。また()った。もう、罰則一回追加。今度はもっと激しいの。…()の。先刻(さっき)みたく舌入れる様なのじゃないと駄目(だめ)

「えーっ。恥ずかしいよ」

駄目(だめ)。ペナルティだから。異議は認められません」

「もう、祐ちゃんのH!」

「祐子は、正ちゃんと二人きりの時は、本当はHな子なんだもん。あっ、でも、二人きりの時だけじゃないかも」

 そんな祐子が赤面し(なが)ら続ける。

「あのね、…本当は、いつも、正ちゃんの事を想像し(なが)ら、その、一人で…、その…。あと、時々、女神(めぐみ)先生の動画を見たり…とか。正ちゃんはそう()う事って無いの?」

 祐子が(すこぶ)る意外な事を、すごい早口で(まく)し立てる。祐子の突然(とつぜん)赤裸々(せきらら)な告白に、正太郎もモジモジし(なが)追随(ついずい)する。

「実は、…女神(めぐみ)先生の動画は時々見てる」

「あー、正ちゃんのH! 祐子、ヤキモチ焼いちゃうよ」

「なんだよ、祐ちゃんだって見てるって、たった今、()ってた(くせ)に」

「そんなの、覚えて無いもん。あのね、あのね。他には? そう()う時、私の事は考えたりするの?」

()えない」

「あーずるい。隠したり無しにとか()っていた(くせ)に。私は()ったのになあ」

 祐子の追及(ついきゅう)は割りと執拗(しつよう)である。正太郎も祐子にやり込められ、渋々、口を割った。

「僕は、その、祐ちゃんの裸とか、胸を想像し(なが)ら、一人で、夜、()の。頻度(ひんど)大体(だいたい)、…週に6日くらい。あと()の、動画を見(なが)らとか」

 正太郎は、最早、しどろもどろである。祐子はニヤニヤし(なが)ら流し目で流眄(りゅうべん)すると、()()った。

「へー、おっぱいと裸って、本当に()れだけかなあ? 何か怪しいなあ。他に想像する事はあるの? 一体(いったい)、祐子のどんな(ところ)をおかずにするのかな?」

「そんな恥ずかしい事、絶対、()えないよ。ずるいぞ祐ちゃんばかり。祐ちゃんの事も教えてよ。(たと)えば、先刻(さっき)、一人でとか()ってたけど、どんな事するの?」

絶対(ぜったい)()えないもん」

「わあ、ずるいぞ。それに、回数も()って無いし」

絶対(ぜったい)に秘密ですよーだ。()れは」

 (しか)し、賢者タイムの気楽さでもある。正太郎の執拗(しつよう)追及(ついきゅう)に、祐子も、少しだけ、遠慮がちな口を割った。

「…あのね。本当は、正ちゃんより、少しだけ、…多いかも。()の、…月に1日か2日。…しない日がある位で。…もう、正ちゃんの意地悪(いじわる)。早くキスして。」

 (まった)()って、男性はいつだって女性に教えられる。()の時、正太郎は素直(すなお)にそう思ったのである。(やが)て、二人はしっかり()き合って、濃密なキスをして、嵐の様な一日を()(くく)った。


 (はず)、だった…。


 (しか)し、若い二人の事である。お互いの()の会話に触発(しょくはつ)されたのであろうか。結局、2回戦、3回戦、4回戦迄、濃密な時間を過ごしたとの事である。初めて結ばれた時とは異なり、性欲の(おもむ)(まま)に、所謂(いわゆる)行為(こうい)を楽しんだ二人であった。まあ、要領(ようりょう)()た言葉で叙述(じょじゅつ)すれば、要するに、『()の後、無茶苦茶(むちゃくちゃ)青春(セクロス)した』状態だったのである。(まった)()って、思春期(やりたいざかり)の男女と()うものは実に(ぎょ)しがたいものである。と、()うよりも、実に(うらや)ましい限りである。


 翌日、金曜日は、打って変わって、強烈な冷え込みがする、どんよりとした曇りの日だった。部室にはひろみがぽつねんと座っていた。(いま)だ、昨夜の高志の感触(かんしょく)が、体の奥底に疼痛(とうつう)として残っている。部室に顔を出した祐子は、ひろみの隣に座ると、早速(さっそく)、小声で声を掛けた。

「あっ。ひろみちゃん、昨日(きのう)はありがとね。あと、…変な所で合っちゃたね」

「て事は、アレやっぱり、本当に祐子だったんだ…。私、(いま)だに、信じられない気分だよ」

「でも、私だって、思春期(ししゅんき)の恋する乙女だよ」

「それは、そうなんだけど…」

「高志君。優しかった?」

「…うん。すごく、優しかった。私、いっぱい甘えちゃった」

 祐子は満面の()みで、

「よかったね。ひろみちゃん」

「ありがとうね。祐子。本当はね、祐子が赤灯台で高志に告られた時、ちょっと、(うらや)ましかったんだ。ううん、(ねた)ましかった。いや、祐子の事は勿論(もちろん)大好きだよ。それに、高志のあれは、正太の背中を押す(ため)だってのは分かってた。でも、頭では分かっていても、心がね…。ごめんね。変な事、()っちゃって…」

「ううん。私も()の事が、ずっと、ひろみちゃんに申し(わけ)なかったもの。ごめんね」


 ()の頃、部室の外側では高志が腕組みをして、眉間(みけん)(しわ)を寄せて立っている。まるで渋柿でも食らった様な表情である。其処(そこ)へ、能天気な正太郎がやって来て、早速(さっそく)、軽口を叩く。

「おう、如何(どう)した。深刻な顔をして。(さて)は、避妊具(コンドーム)でも破れたか? 昨日(きのう)

 高志は、(あわ)てて、口元に人差し指を当て、『静かにしろ』の意を通わせると。うんと、小声で()った。

「中で、ひろみと祐子ちゃんが密談してやがるんだよ」

「なんだと!」

 二人は壁に耳を当てた。中では話が続いている。確かにひろみの声だ。

()れに、高志が昨日(きのう)()ってた。祐子たち、多分(たぶん)初体験(はじめて)じゃないって」

「…うん」

「で、…何時(いつ)なの?」

「…灯篭流(とうろうなが)しの夜」

 高志は正太郎に、思いっきり非難めいた眼差(まなざ)しを送っている。正太郎は()()になって、小さくなっている。

「て、あんた、告られた直後じゃないの。正太の(ヤツ)め。彼奴(あいつ)、手が早いにも(ほど)があるわ。如何(いか)にも、晩熟(おくて)です。みたいな顔をして置き(なが)ら」

「いや、違うのひろみちゃん。あの時は、実質、私の方から誘ったの。いや、そう仕向けたと()うか…」

 ひろみは、あんぐりと口を開けている。(あき)れて物も()えないとは、(まさ)()の事であろう。()の頃、正太郎は、只管(ひたすら)(あせ)っていた。

「おい、止めなくて()いのかよ? ()(まま)だと、俺達(おれたち)の秘め事、()のうち、(ことごと)く、()破抜(ぱぬ)かれるぞ」

 だが、高志は割合と冷静である。

「いや、待て待て。今、()破抜(ぱぬ)かれているのは、()()えず、お前の秘密だけだ。()(まま)、事態を楽しもう」

「わーっ、ふざけんな、()野郎(やろう)


 一方、中の二人の会話は(さら)に続く。

「ちょっと待って。すると、何? 一昨日(おとつい)、正太はあんたとそう()う関係にあり(なが)ら、あの騒ぎを起こしたって()うの? 冗談(じょうだん)じゃないわ。()い事、祐子。今度、ああ()う事があったら、すぐに私に()いなさい。(まった)く、女の子を何だと思ってんの…。(アゴ)だけでは済まさないわ。ギタギタにしてやる」

 高志がニヤニヤし(なが)ら、正太郎に()った。

「おーい。何やら、結構、物騒(ぶっそう)な事、()ってるぞー。何かと大変だなあ。お前も」

「ふざけんな。だから、止めろと()っただろうが…」

 中の過激な会話は(さら)に続く。

「あと、()れはお願いだけど、高志が浮気(うわき)したらすぐに教えてね」

「うん。あのね、浮気(うわき)じゃないけど、合宿の川遊びの時、何度か、どさくさに(まぎ)れて、胸を(さわ)られた…。そのうち一回は、後ろから鷲掴(わしづか)みにされたの。…あと、お尻も、結構(けっこう)(さわ)られた」

「何ですってえ」

 いきなり、矛先(ほこさき)を向けられた高志は()(さお)になる。

「おい、正太。早く祐子ちゃんを止めろ。お前の嫁だろ」

 正太郎はニヤニヤし(なが)ら答えた。

「仕方無いな()れは。抑々(そもそも)自業自得(じごうじとく)だろ」

()野郎(やろう)、ふざけんな。祐子ちゃん、(おれ)たちが聞き耳立てているのを知っていて、(わざ)()っているんだよ。くそっ、あの性悪女(しょうわるおんな)め。早く止めないと、()もないと、次は又、お前の番だぞ」

 ()の頃、中では、ひろみが(いき)()っていた。

「で、祐子。高志は何処(どこ)なのよ。あんた、同じクラスでしょ。知ってるんでしょ」

 祐子は、ひろみの肩越しに正面の入り口を指し(なが)ら、小声で()った。

多分(たぶん)其処(そこ)の入り口の向こうで、聞き耳立てていると思う…」

 ひろみは、最後(まで)、聞かなかった。憤怒(ふんぬ)形相(ぎょうそう)で部室を飛び出すと、壁にへばりついている高志の首根っこを、(またた)()に捕まえた。

「わー待って。あの、ひろみさん。いや、ひろみちゃん。勘弁(かんべん)。ぐへえぇっ」

 正太郎はと()うと、風を()らって早々に、匇卒(そそくさ)と逃走している。其処(そこ)へ、敬介、いずな、明彦、凛子とやって来た。敬介がニコニコし(なが)()った。

「おー、やってる。やってる。おーい。今度は、一体(いったい)、何の騒ぎだ」

(うるさ)いわね。観世物(みせもの)じゃあないわよ」

 ひろみが心底(しんそこ)、怒っている。余りの迫力に、敬介が泣き声をあげた。

「わー、ごめんなさい」

 明彦がニヤニヤし(なが)()った。

「いや、如何(どう)見ても、観世物(みせもの)だろう。今度は、一体(いったい)、何を仕出(しで)かした」

「祐子の胸とお尻を(さわ)ったのよ。(しか)も、胸の方は鷲掴(わしづか)みよ、鷲掴(わしづか)み。私には何にもしなかった(くせ)に」

「なんだよ、やって欲しかったのかよ。()れならそうと先に…」

「な(わけ)、無いでしょ!」

「まあ、落ち着け。抑々(そもそも)()んで欲しいのなら、学校祭のお化け屋敷(やしき)で一分弱程、()んでやったじゃねーか」

「て事は、やっぱり、アレは最初から最後まで、あんたの仕業(しわざ)だった(わけ)ね。人のおっぱいを執拗(しつよう)に…。(しか)も、乳首(ちくび)迄摘(までつま)んで。()のド助平(スケベ)!」

 (いき)り立つひろみ。(しか)し、よくよく考えれば、ひろみも、桜ヶ丘公園の花見の際に、いの一番でやられているのである。(みんな)の冷ややかな()めた視線が、高志に集中する。一方、高志は弁明(いいわけ)に必死である。

「ちょっと待ってくれ、大体(だいたい)昨日(きのう)、今日の話じゃ無いぞ。合宿の時の話だぞ。川遊びの時の…」

 凛子がすかさず左手を()げた。

「あー、それなら、私もやられた。後ろから()(かか)える様に…鷲掴(わしづか)み。(しか)も、両胸よ」

「何ですってえ、()浮気者(うわきもの)!」

「いや、あれは、ただの不可抗力(ふかこうりょく)で…。(いささ)か、()(ごた)えはあったけど…ぐわぁ」

「悪かったわね。どーせ、()(ごた)えは無いわよ!」

 ひろみの正拳突(せいけんづ)きが炸裂する。(ようや)く、いつものメンバーにも、いつもの余裕(よゆう)が戻ってきた。ひろみの照れ隠しの的にされた高志には災難だったが…。


 一方、()の頃、正太郎は脱出(エスケープ)して、図書室で(くつろ)いで芥川を読んでいた。

(本当に(おれ)は、一体(いったい)、何をやってたんだろう。また、祐ちゃんを泣かせてしまった)

 そう、思わざるを()ない。(わず)かばかりの気の迷いから、あわや、祐子と別れる寸前(すんぜん)であったのである。祐子の能力とても、知ってしまえば何の事は無い。何で今の様に冷静に振舞えなかったかが、不思議(ふしぎ)なくらいである。()れと同時に、(はなは)不謹慎(ふきんしん)(なが)らも、今回の一件は良かったとさえ思っている自分も居る。自分の祐子への思いを再確認できた事、そして、祐子の人間らしい一面も見えた事である。ちょっとHな普通な女の子。正太郎の事を一途(いちず)に思ってくれている、やや、ぽっちゃりした笑顔(えがお)素敵(すてき)な女の子。そう思うと何故(なぜ)だか急に、祐子に会いたくなった。記憶の中の祐子が屈託(くったく)の無い笑顔(えがお)を浮かべる。正太郎が一番好きな笑顔(えがお)である。祐子に会いたい。祐子の笑顔(えがお)を見たい。無性(むしょう)にそう思う自分が居た。()の時、祐子からメールが来た。


(みんな)も来たよ。正ちゃんも早くおいでよ』


 メールはそう()っていた。そうだ、祐子に会いに行こう。今なら、()だ、部室にいる(はず)である。だが、()の時、何故(なぜ)か、祐子の豊満な胸や大きなお尻が思い出された。それと同時に、昨夜の激し過ぎる交歓(エッチ)も思い出された。そして、次の瞬間(しゅんかん)、正太郎の男の子が過敏に反応してしまった。制御(アネイブル・トゥ)不能(・コントロール)とは(まさ)()の事であろう。実にまずい。こんな状態で(みんな)の前に行く(わけ)にもいかない。もう少し時間を置いて行こう。そして、正太郎の男の子が(しず)まったら、部室に行って、祐ちゃんの笑顔(えがお)を見るんだ。早く、祐ちゃんに会いたいな。正太郎の素直(すなお)な思いであった。(しか)し、豈図(あにはか)らんや、そう思えば、思う程、正太郎の男の子は(たくま)しさを増して来ており、静まる気配(けはい)など、微塵(みじん)も無い。(まった)()って、思春期の男の子は、実に(ぎょ)しがたい。思春期の少年である正太郎。揺れ動くカッサンドラーは、(にわ)かに伸びをすると、自身の男の子の過剰(かじょう)(まで)の反応を、憂鬱(ゆううつ)に思い(なが)らも、また、小説の続きを読み始めたのであった。

無事、2学期終業式も終了し、今年も残すところあとわずか。そんな中で、此れ以上は無い位に落ち込む正太郎と、頗る上機嫌の祐子。一体、二人の間に何があったのか? 次回、『第34話 約束の地アマルフィにて』お楽しみに。

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[一言] 最近、攻めてますね。ノクターンデビューを楽しみにしております。
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