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第27話 トリアージ【前編】

 唐突(とうとつ)ではあるが、医学用語にトリアージと()う言葉がある。辞典を紐解(ひもと)いて見ても、選別を表す英語、()しくは、(フランス)語とされている。選別(トリアージ)などと表記をすれば、輓近(ばんきん)流行(はやり)(うつ)アニメの様な展開を連想する向きも多いのであろうが、残念(なが)ら今回のお話は、若干(じゃっかん)、そう()った要素を(ふく)んだ展開でもある。


 トリアージ。日本語的には負傷者選別とでも(やく)すのであろうか。災害時、(ある)いは、非常時の際に、医師、医療資源、救命資材そして時間が有限(ファイナイト)である以上、救命手当てをすべき優先順位をつけるのは、(すべから)()むを()ない事ではあるのだが、()し、救助者と要救助者の需給(じゅきゅう)バランスがアンマッチであった場合は如何(どう)であろう。(こと)、一分一秒を争う状況の場合、()の救助の序列は非常に大きな意味合いを持ってくるのである。トリアージと()うのは、()の際に、救助すべき順番、(ある)いは、()の優先度合を意味する用語なのである。(したが)って、一目見て手の(ほどこ)し様の無い死亡者は、当然(とうぜん)是非(ぜひ)も無い話なのではあるが、(たと)え、手を()くしたとしても、救い()ない様な、(ある)いは、救い()る可能性の小さい瀕死(ひんし)の患者にあっては、優先度合として、劣位(れつい)に位置する事となる。本来(ほんらい)であれば、要救助者は(ひと)しく救助、救恤(きゅうじゅつ)されて、(しか)るべき(はず)である。にも(かかわ)らず、()うした言葉が存在する、と()う現実があると()う事は、かなり、衝撃的で有り、非人道的ですら有る。(なん)ともやり切れぬ話ではあるが、()うした、合理的な、そう、冷酷な(まで)に合理的な判断は、現実問題として、必要になって来る事が、時としてあるのだ。トリアージと()概念(がいねん)は、()わば、()序列(じょれつ)を表す用語なのである。(すなわ)ち、治療を優先すべき序列(じょれつ)とでも()おうか、(よう)は、命の選択(せんたく)、命の優先順位の序列(じょれつ)が、()の言葉の()いなのである。


 いずなが()の言葉を牢記(ろうき)せざるを得なかった事象に直面(ちょくめん)したのは、(どん)よりとした鉛色(なまりいろ)をした重い雲が垂れ込め、今にも、氷色(こおりいろ)をした氷雨(ひさめ)が降り出しそうな、寒い冬の入りが近づいた()る朝の出来事(できごと)である。小芝神社(おしばじんじゃ)()う、地元の氏神様(うじがみさま)のお社様(やしろさま)()の裏手の道から旧国道1号を横断し清水高校通用門へと至る道は、慣習的に清水高校に通う多くの学生達の自転車通学路となっており、巴川(ともえがわ)にあっては稚児橋(ちごばし)より下流の港方面や、清水、不二見(ふじみ)駒越(こまごえ)そして三保(みほ)方面、そして、(ある)いは稚児橋(ちごばし)から、入江(いりえ)追分(おいわけ)有度(うど)草薙(くさなぎ)(さら)には静岡方面、またJR線以南の岡、船越(ふなこし)方面の学生たちは、(おおむ)ね街道を一本(はず)れた()の裏通りを通学路として活用していたのである。(もっと)も最近では、旧国道1号のクミアイ化学のある北脇(きたわき)付近(ふきん)から新幹線に平行して東へ向かい、渋川橋(しぶかわばし)()る、比較的最近出来(でき)た広くて大きな県道も選択(せんたく)される様ではある。()れこそ今迄(いままで)散々(さんざん)描写(びょうしゃ)された正太郎と祐子の通学路が、(まさ)に、()れに該当(がいとう)し、此方(こちら)の道でも、最終的には(ほぼ)、一直線に清水高校に突き当たるのである。と、()うよりも、北脇(きたわき)からは、清水高校(まで)一直線の幅広い片側2車線の県道であり、(さら)には両側にゆったりとした歩道もあり、追分(おいわけ)以西の有度(うど)草薙(くさなぎ)方面の学生たちは此方(こちら)のルートを選択(せんたく)する様になったとの事である。()れでも、大多数の学生たちは昔乍(むかしなが)らの小芝神社(おしばじんじゃ)ルートを選択(せんたく)していた。(よう)するに、学校より南部、西部方面の大多数の生徒たちは、昔乍(むかしなが)らの小芝神社(おしばじんじゃ)の裏手の道を利用していたのである。


 いずなが通学の際に、()の道路を走行していた時の事である。小芝神社(おしばじんじゃ)搦手口(からめてぐち)(きわ)に白い真新(まあたら)しいダンボールが、ポツンと置かれていたのを発見した。天蓋(てんがい)虚空(こくう)に向けて開いた、白いダンボール箱である。いずなは一目見た瞬間(とき)に何やら(あや)しい胸騒(むなさわ)ぎを覚え、思わず自転車を止めた。何気(なにげ)無く()の箱を(のぞ)き込んだいずなは、思わず慄然(ギョッ)とした。中には、10センチ足らずの縞模様(しまもよう)の物体。(きじ)トラ模様(もよう)の5、6匹の仔猫(こねこ)たちが、折り重なる様に横たわっていたのだ。()だ、目すら()いてはいない。


『ひいっ』


 いずなは、両手を口許(くちもと)に持ってくると、思わず悲鳴を()げそうになった。


(何て(ひど)い事をするんだろう)


 最初に脳裏(のうり)に浮かんだ感想は()れだった。折り重なった仔猫(こねこ)たちに、いずなが恐る恐る()れて見た。(しか)し、いずなは、(すん)での(ところ)でピクリと手を引っ込めた。温もりがまるで無い。有ろう事か、()れは最早(もはや)(あたか)も氷の様に冷たく実に無機質的な温度で、とても、生命(せいめい)()れでは無かった。(おそ)らくは、もう、とっくに生命(いのち)の炎は消し飛んでいるのであろうが、(かつ)て、生物であった時の名残(なごり)(かろ)うじて(とど)めていたに過ぎない。いずなの(まぶた)には涙が浮かんで来るのをハッキリと自覚(じかく)した。時節柄(じせつがら)(するど)(やいば)の様な神渡(かみわた)しが、情け容赦(ようしゃ)も無く、箱の隅々(すみずみ)までも(さら)って行く。(しか)し、()の時、一番(はし)に居た、中でも比較的大柄(おおがら)の一匹だけが、今にも消え入りそうな可細(かぼそ)い鳴き声を()げたのだ。


『…に…い』


 いずなの双眸(そうぼう)から、再び、涙が止めどなくあふれ出た。

(良かった…)

 と、思うのと同時に、冒頭(ぼうとう)での言葉、トリアージと()う単語が脳裏(のうり)()ぎった。


 そう、確かに現実的には、此処(ここ)(すで)に、選択(トリアージ)なのである。


 ()れも、冷酷な(まで)に現実的な、である。今から、いずなが取り得る選択肢(せんたくし)は、(おおむ)ね、以下の4つであろう。


 ①()(まま)、見なかった事にして通り過ぎる。

 ②箱を(すべ)て回収する。

 ③生きている子猫だけ回収する。

 ④一匹だけ助ける。


 いずなは逡巡(しゅんじゅん)した。以前のお話で述べた様に、いずなの自宅は医院である。()してや、今は通学途上でもある。取れる方策は(きわ)めて限定的な物となって来る。いくら、優しい両親であっても、生き物を飼う事については(すこぶ)難色(なんしょく)(しめ)すであろう。現に、いずなが小学生の時分に猫を飼いたがった時も、順子先生に反対された事を思い出した。()し、③や④を選択(せんたく)した場合、いずなの家で飼うか、()しくは、知人、友人達に里親(さとおや)探しを頼むか、再度、捨て直すかの(いず)れかであろう。(いず)れの場合であっても、いずなの責任に()いて決定する事など出来(でき)やしない。いや、()いて()えば、捨て直すと()選択肢(せんたくし)があるのみなのである。いずなは、(すぐ)()台詞(せりふ)を思い出した。()れは、(かつ)て見た、いずなが大好きなアニメの主人公の台詞(せりふ)である。


『最後(まで)、責任を持てないのなら、何もするな!』


 ()台詞(せりふ)であった。(たし)かにそうであろう。どんなに感情的に救済を願ったからとて、今のいずなには、()(せめ)(まっと)うする(すべ)など無いのである。咄嗟(とっさ)に、いずなは心を決めると、心中(しんちゅう)一言(ひとこと)(つぶや)いた。


(…ごめん。本当に、ごめんね)


 いずなは、①を選択(せんたく)する心算(つもり)であった。(おそ)らく、()れが最適(オプティマル・)(ソリューション)なのであろう。如何(どう)考えても、()の方法しか無かった。(しか)し、()れなら、安穏(あんのん)として恬安(てんあん)なる(まま)に、()()も他の兄弟姉妹達と仲良く、天国の門を(くぐ)る事が出来(でき)るやもしれない。そんな事すら考えたのだ。()れも、(はなは)だ、人情味には欠けるにせよ、()る意味、立派(りっぱ)なトリアージなのである。()れについては、いずなを責める事等、誰にも出来(でき)やしないだろう。(むし)ろ、現在(いま)()状況下(じょうきょうか)にあっては、一番、現実的な選択肢(せんたくし)なのである。


(何で、()の箱を(のぞ)き込んじゃったんだろう。…ひょっとしたら、次に見た人が親切な人で、拾ってくれるかも知れない)


 そんな事を思ったりもした。だが、()れを考えた時、(みずか)らを瞞着(まんちゃく)する(ため)自己欺瞞(じこぎまん)でしかない事を(さと)った。()れは(たし)かにそうだ。抑々(そもそも)、そんな親切な人が都合(つごう)良く現れるのなら、こんな状況(じょうきょう)になど(いた)っている(はず)が無いのである。()れに、此処(ここ)(いた)るまでの経緯(いきさつ)についても思い出したりした。いずなは道路の左側を走行していたのだ。(しか)し、前方右手の小芝神社(おしばじんじゃ)(きわ)天蓋(てんがい)が開いた白いダンボール箱を視認(しにん)した時、態々(わざわざ)、自転車の車体を道路の右に寄せ、箱を(のぞ)きに行ったのである。つまり、いずな(みずか)ら箱の中身を確認しに行ったのだ。そう、いずなには(わか)っていたのだ。いや、あの状況下(じょうきょうか)であれば、大抵(たいてい)の者にも想像がつく(はず)である。箱の中身が何であるか(くらい)は。だから、いずなにも、大方(おおかた)(わか)っていたのだ。箱の中身が、(おそ)らくは子犬か子猫であろう事は。


(…ごめんね。本当に、ごめんね)


 再度、いずなは心の中で(さけ)んでいた。(しか)し、次の刹那(せつな)


『に…い』


 再び、可細(かぼそ)い声が聞こえた。


(お願い。助けてよ)


 ()の声は間違(まちが)い無く、そう()っていた。()れは、今、(まさ)に消え行く生命(いのち)が、最期(さいご)の力を振り絞った、小さな生命(せいめい)渾身(こんしん)からの、救助を求める悲鳴(ひめい)の様な(さけ)び声であった。いずなは(のち)()状況(じょうきょう)を思い浮かべる(たび)に、涙が流れ出る事を、(きん)()ない。()()は、()だ、目も開いていない。(おそ)らくは、其処(そこ)にいる、自分を(のぞ)き込む者が見えている(わけ)では無いのだ。(わず)かばかりの気配(けはい)(さっ)し、一縷(いちる)の望みに掛けての事だったのだろう。そんな彼が、声を()げる事すら(まま)成ら無い()状況下(じょうきょうか)にあって、細く細く、今にも断ち切れそうな命の綱を()り減らし(なが)らも、懸命(けんめい)に、救助を求める悲鳴を()げているのである。実に、正視に耐えない光景であった。()の声は、とても、弱々(よわよわ)しい声だった。(しか)し、()の声は、可細(かぼそ)くはあれど、いずなのトリアージを破綻(はたん)させる程度には、充分過ぎる程の(ひび)きを持っていた。いずなは咄嗟(とっさ)の内に意を(けっ)した。感情に流されての行動などでは無い、と()えば嘘になる。(しか)し、()の瞬間だけはいずななりの正義があったのだ。いずなは、涙を(ぬぐ)うと、衝動的(しょうどうてき)に、()れでいて、確固(かっこ)たる意思を持って、()の小さな生命(いのち)を通学用スポーツバッグの上部、タオルの上に大切に置き、学校に向かって走り出したのだった。



「ねえ、いずな見なかった?」

 そう()って、ヤスベエと葵が祐子の(もと)(たず)ねて来たのは、昼休みの前、3限が終わって(すぐ)の事であった。

「えっ、いずなちゃん如何(どう)かしたの?」

 祐子が(いぶか)しんで(たず)ねる。(たし)かに、今日の英、数の選択(せんたく)クラスの授業には、いずなの姿は無かった。

「でも、彼奴(あいつ)のチャリは自転車置き場にあったぜ。あんな、紅白だんだらの悪趣味なウオーリーチャリは彼奴(あいつ)しか乗らんだろ。()われて見れば、(たし)かに、英数クラスでは見掛けなかったが…」

 と、英、数、共に上位クラス(エラ組)の高志が()う。

俺達(オレたち)下位組(バカ組)だからなあ。そうだったの? 祐ちゃん」

 正太郎は祐子に(たず)ねる。

「うん…。(たし)かに、英数の時、いずなちゃん居なかったよ」

「そうなのよねえ。あたしも下位組(バカ組)だもんで、3限(まで)気がつかなかったんだけど。一体(いったい)何処(どこ)へ行ったのかしら」

 と、首を(ひね)るヤスベエ。其処(そこ)へ、

「いずなの姉ちゃんだったら、チャリで通用門から出て行くところを見掛けたぞ。『何処(どこ)へ行くんだ?』と、声を掛けたら、元気がなさそうな声で、『うん、ちょっと』とか()っていたが…」

 と、話を横で聞いていた六助が答える。

「ねえ、一体(いったい)何時(いつ)の話よ。()れ」

「ああ、えーと、あれは、朝錬の後だからなあ…。一限が始まる前だな。8時10分位かな」

「あんた、何で、其処(そこ)で止めなかったのよ」

「いや、前店で腹ごしらえでもする心算(つもり)かと思ってさ」

「何、馬鹿(バカ)な事、()ってんのよ。優等生のいずなが、そんな時間から、授業サボって、フラフラ出掛ける(わけ)無いでしょ。あんたじゃあるまいし。大体(だいたい)、前店に行くんだったら、チャリなんか使う(わけ)、無いじゃない。(まった)く、役に立たないわね、()寸足(すんた)らず」

「な、なんだと。何て事、()うんだ。()のバカヤス」

()ったわね」

 やいのやいの()い合う、ヤスベエと六助を尻目(しりめ)に、ラインを打ち終わった祐子が、

()れでよしと。…今、ボストンティーパーティーのラインに入れたよ」

 と()えば、ヤスベエも、

「あたしも、先刻(さっき)、『清高通信』のチャットにいれた。誰かがいずなを見かけたら、応えてくれるでしょ」


 清高通信とは、清高HPに併設(へいせつ)されている。チャット機能である。まあ、便利と()えば便利なのであるが、時折(ときおり)、問題ある使われ方をする事が在る(ため)()の存続は()都度(つど)物議(ぶつぎ)(かも)す事となっていたが、情報伝達に多大な効用がある(ため)、清高では、学校公認のチャット機能として存続していた。(もっと)も、先述した様に、問題ある使用が(ため)された場合には、学校のみならず、生徒自治組織である生徒会にも緊急停止権限は付与されていた。それに、抑々(そもそも)、今のSNS全盛の時代背景を(かんが)みれば、どんなに非社交的な人間であっても、複数のラインは組んでおり、ヤスベエ(あた)りになると、学内関連のラインだけでも30近く組んでいるのが実情であった。


 何時(いつ)の間にか、(さわ)ぎを聞きつけた敬介が、会話に参戦している。

「でも、昨日(きのう)、いずなちゃんと会った時は、普段どおりだったぞ。最初は何か相談があるとか()ってたから、ちょっと心配したけど、良く聞いたら、今度のデートは何処(どこ)に行こうかって相談だったし、いつもどおり、銀座のジュース屋でメロンジュースを飲んで別れたけど、全然(ぜんぜん)普段(ふだん)どおりで変わりは無かったぞ。相変(あいか)わらず、チャーミングで可愛(かわい)かったぞ」

「何だよ。(ただ)惚気(ノロケ)じゃねーか。()まんねえ情報を、いちいち、入れに来るんじゃねえ。()(うす)らとんちき」

「何だと」

 と、(あき)れる高志に対して、気色(けしき)ばむ敬介。其処(そこ)へ2組の羽根田美羽と()小柄(こがら)な女の子が、トコトコとやって来た。すかさず、ヤスベエが声を掛ける。

「あっ、みうみう。如何(どう)だった」

 ヤスベエは友人を(たの)み、人をやって前店に確認しに行かせたのだ。流石(さすが)()()った(ところ)は判断が早く、実に如才(じょさい)ない。

「だーめー。前店にはいなかったよー」

 みうみうと呼ばれた女の子は(ひど)間延(まの)びした声で答えを返した。

「おっ、何だ。みうみうじゃねーか。相変(あいか)わらず、(ちち)がでけーな」

 とんでもない、がさつな突っ込みをいれるのは、高志である。

「ムーッ、ハロゲン族、エッチー」

 みうみうは白地(あからさま)に、笑顔を(しか)めて不快感を(あらわ)にし(なが)らも、()れでも、(つと)めて笑顔で高志に反撃する。()()った、何処(どこ)呑気(のんき)で、気さくで屈託(くったく)の無い(ところ)がみうみうの長所でもある。みうみうもヤスベエやいずなの影響からか、高志の事をハロゲン族と呼ぶのである。


 ()のみうみうと呼ばれた少女は、ヤスベエの相方(あいかた)で、何時(いつ)ぞやの遠足の際に体調不良で不参加であった少女である。彼女は身長150センチに満たない、(ひど)小柄(こがら)な女の子で、(おそ)らくは、いずなより身長が無い。若干(じゃっかん)の釣り目にキリリとした眉毛(まゆげ)。眼が大きく、割と端正(たんせい)何処(どこ)か男好きのする顔立ち(なが)ら、何時(いつ)も笑顔を絶やさない口許(くちもと)は、人にのほほんとした印象を与え、如何(いか)にもおっとりした性格である事が(うかが)える。(しか)し、()の少女には、(ほか)にもまして、(きわ)めて、特筆すべき目立った身体的(からだの)特徴(とくちょう)があり、(おそ)らくは、学年を超えて()の名前は認知(にんち)されていた。()の理由は、先刻(さっき)、高志がからかった様に、彼女は祐子規模(スケール)で胸が大きいのである。(しか)も、祐子とは(こと)なり、体型は普通(本当に祐子には申し(わけ)ないが、肥満体型では無いのだ)なのである。つまり、ただ単に、胸がでかいのである。()の様な身体的(からだの)特徴(とくちょう)は、()()った思春期集団の中に()いては、大変に目を引く、(いちじる)しい特徴(とくちょう)()え、()る意味、悪目立(わるめだ)ちとも()える特徴(とくちょう)なのである。だから当然(とうぜん)、男子生徒たちからは好奇(こうき)の目で(なが)められた上、のみならず、『ぼよよん娘』だとか、『たわわ姫』、『ロリ巨乳(きょにゅう)』、()ては、『ぽよぽよの実を食べ過ぎた女』などと、陰口(かげぐち)(たた)かれていた。祐子が入学以来、男子生徒たちから好奇(こうき)の目で見られていたのと同様(どうよう)に、みうみうも又、()の様な目に(さら)され続けて来た(わけ)なのである。(さら)に、彼女の場合、()のキャラクターもかなり特殊(とくしゅ)であった。所謂(いわゆる)、天然キャラなのである。友人たちとの会話も、何処(どこ)かと()うか、明後日(あさって)の方向にピントがズレているのである。勿論(もちろん)()れでも清水高校へ入学した(わけ)であるから、一定の知的水準は持ち合わせている(はず)なのだが、何しろ、みうみうである。他人とは一般常識の物差しが、かなり、乖離(かいり)しており、人々の通常の反応の、(はる)(なな)め上の、(さら)に、3.5次元的角度から反応していたので、良くも悪くも目立っていた。()の一方で、一部の男子からは、保護欲をそそられるだとか、ただ単に、可愛いとか、好意的に見る向きも多かった。()()った事情から、みうみうと()渾名(あだな)は学年を超えて定着しており、みうみうと()えば、大部分の清高生は、一年二組のおっぱいちゃんと、認識(にんしき)出来(でき)たのである。成績的には、ヤスベエや正太郎とどっこいどっこいであり、英数ともに下位組(バカ組)である。出身中学はひろみと同じ岡中であったのだが、抑々(そもそも)、岡中自体、一学年当りの生徒数が400人を超えるマンモス中学であり、ひろみとはまったく接点が無かった。ただ、()の様なキャラの場合、同性からは否定的に見られる事が多く、彼女の気さくで屈託(くったく)の無い人柄(ひとがら)にもかかわらず、()の肉体的な特徴(とくちょう)相俟(あいま)って、根拠(こんきょ)の無い、『美魔女』だとか、『やな女』、『ぶりっ子』と、陰口(かげぐち)(たた)かれるケースも多かった。彼女は中学校時代、吹奏楽部(ブラバン)所属(しょぞく)し、クラリネットを担当していたのである。(しか)し、高校では、二日目に見学に来ていた様ではあるのだが、何故(なぜ)か、吹奏楽部(ブラバン)に入部しなかったのだ。


 みうみうの話続く。


 彼女の(ため)(べん)ずれば、彼女は、本当に天然なだけであり、別に異性の気を引く(ため)に、ネンネを気取っている(わけ)では、決して無かった。気立ても良く、優しく、まあ、良くある誤解され(やす)いタイプであり、彼女にしても、何故(なぜ)、同性から()の様に見られ、(そし)りを受けるのかが、皆目(かいもく)、見当もついていないと()うのが実情であった。(まあ、()(あた)りが、ぶりっ子と()われる所以(ゆえん)なのだろうが…)


 ()のみうみうが続ける。

「あっ、でもねー。いずなちゃん。3年の小坂先輩が見かけたって…。ウエルシアで粉ミルクと哺乳瓶(ほにゅうびん)を買ってたって…」

 其処(そこ)で、すかさず高志が反応する。

「何だと! それで、如何(どう)なんだ。避妊具(コンドーム)は買ったのか?」

 いきなり、()けつけて来たばかりのひろみが、高志の後頭部目掛(めが)けて飛び蹴りを食らわす。

「買う(わけ)無いでしょ。()のおバカ! 大体(だいたい)、みうみう相手にそんな下ネタかまして、理解出来(でき)(わけ)無いでしょ!」

 (しか)し、みうみうも、丁寧(ていねい)に反応する。

「違うよー。近藤先輩じゃなくてー、小坂先輩だよー」

 (あん)(じょう)、と()うか、果然(かぜん)、理解出来(でき)ていないらしい。

「あー、すまん。(オレ)が悪かった」

 高志は後頭部を手で(さす)(なが)(しぶ)い顔で()った。そして、振り返ると、敬介に向かって、指を()(なが)(さけ)んだ。

「つまりは、テメーの仕業(しわざ)って事だな。おい、敬介。何て事、してくれたんだ!」

「お、(オレ)? 一体(いったい)、何の事だ」

「ああ、抑々(そもそも)が、昨日(きのう)のいずなの相談事だ。本来(ほんらい)、来るべき物が来なくなった。如何(どう)しよう。ってな相談じゃあなかったのか? 其処(そこ)で粉ミルクと哺乳瓶(ほにゅうびん)だ」

成程(なるほど)、有り得るな。其処(そこ)で、『(オレ)()われても分らないよ』とか、『何で子供なんか作ったんだよ』とか、人間(ヒト)としてとんでもない事を答えたんだろ。うわあ、やってくれたな敬介。誠さんと同じだな。如何(どう)でもいいけど、敬介。おまえ、責任だけは取れよ。()も無いと、包丁で滅多(めった)刺しにされた上に、()のうち日本中から敬介●ねとか()われるぞ」

 何時(いつ)の間にやら、隣の組の明彦がニヤニヤし(なが)ら、参戦している。みうみうが、

「あっ、明彦君だあ」

 と驚く。(たし)かに考えてみれば、みうみうも明彦も同じ小学校同士なのである。(しか)し、敬介は()(どころ)では無い。抑々(そもそも)、身に覚えの無い、あらぬ嫌疑(けんぎ)(まで)掛けられているのである。

「うわあっ、何て事を()いやがる。全然(ぜんぜん)、身に覚えがねえぞ。大体(だいたい)、何だ。ドサクサに(まぎ)れて、又、スクイズネタをぶっこんできやがって。日本中の誠さんと敬介君に謝れ!」

馬鹿(バカ)大概(たいがい)にしなさい。()のハロゲン族に眼鏡(めがね)抑々(そもそも)、来るべき物が来なくて、()明日(あした)に、いきなり粉ミルクと哺乳瓶(ほにゅうびん)(わけ)ないでしょ。()れとも、敬介。あんた。何か身に覚えでもあんの?」

 ひろみが当たり前の様に突っ込む。()れを受け、敬介が吃音(どもり)(なが)ら反論する。

「うわあ、ね、ねえよ。あ、ある(わけ)ねーだろ。何てえ事、()いやがる。大体(だいたい)、明彦。テメーは、一体(いったい)何処(どこ)から()いて出た?」

「何だと。人を孑孑(ぼうふら)みたいに()いやがって。お前らがいずなを探しているって()うから、御注進(ごちゅうしん)に上がっただけじゃねーか」

 其処(そこ)で祐子が身を乗り出して、(たず)ねる。

「それで、明彦君。何か知っているの?」

「ああ、祐子ちゃん。いや、知っているって程じゃあないが、(オレ)たち二限が化学だったんだが、化学室へ移動の際に、いずなが講堂の方に走って行くのを見たんだ。彼奴(あいつ)、何か凄く思い詰めた様な顔だったんで、気には成っていたんだが…」

 ()の時、凛子からラインが届く。


『いずながいたの。みんな、大至急、部室に来て!』


 居合わせたメンバー。(すなわ)ち、正太郎、祐子、高志、ひろみ、明彦、六助、ヤスベエ、葵、みうみうが部室に駆けつける。いずなは祐子の姿を一目見た瞬間に、緊張の糸が切れたのであろう。わっとばかりに泣き出した。

「ゆ、ゆうちん。私、如何(どう)したらいいか、分らなくて…」

 すぐさま、立ち上がって、祐子に抱きついたいずなは、声を上げて、激しく()(じゃく)る。祐子はいずなの頭を()(なが)ら、いずなが腰掛けていた椅子の前の机を見た。机上(きじょう)には、タオルが敷いてあり、()の上には10センチに満たない、縞模様(しまもよう)の物体、(すなわ)ち、(きじ)トラ模様の仔猫(こねこ)が、寒いのだろう、小刻(こきざ)みに(ふる)(なが)ら丸まっていた。

「ふわわー、ネコちゃんだあ」

 みうみうが、如何(いか)にも彼女らしい、呑気(のんき)な感嘆の声を()げる。

「あら、かわいい」

 と、ひろみも女の子らしい感想を()らす。

「でも、此奴(こいつ)。何だか元気ねーぞ」

 (つぶや)く敬介に、潸然(さんぜん)としたいずなが、涙(なが)らに(うなづ)く。

「そうなの、先刻(さっき)からミルクを飲んでくれなくて…。それに、元気も無いし、飼い主も探さなきゃならないし、授業もサボっちゃったし、私、もう、如何(どう)したら良いか…」

 そう()うと、また、いずなが泣き出してしまう。祐子は、よしよしとばかりに、欷泣(ききゅう)するいずなの頭を()(なが)ら、懸命(けんめい)(なぐさ)める。

「そうかあ。里親(さとおや)を考えないとならないのか…」

 と正太郎。葵も(うなづ)(なが)ら、

「いずなちゃんちも病院だから、生き物は(むずか)しいよね」

「う…ん、うちも病院だから、ママからは、生き物は駄目(だめ)だって()われているの」

(オレ)んちも、ガンツ先生がいるからなあ」

 困った様な顔で頭を()く高志。

「うちはペスがいるからなあ…」

 と、(つぶや)く祐子。

「うちはキューちゃんがいるからなあ」

 ひろみも吐露(とろ)する。(たし)かに、先日ひろみの家にお邪魔(じゃま)した(さい)に、大きな鳥篭(とりかご)の中で飼われた九官鳥が居た事を思い出した。

「うちは、ピピちゃんがいるよー。お(しゃべ)りがとっても上手(じょうず)なんだよ」

 と、みうみうが負けじと叫ぶ。如何(どう)やら、ペット自慢(じまん)の話だと思ったらしい。

「何だよ。ピピちゃんって」

 と()う高志の突っ込みに、

「セキセイインコの男の子だよ。パパの物まねがとても上手(じょうず)なんだよ」

「うわあ、いいなあ。今度見に行っても良い?」

「うん、いいよー。ゆうちん」


 其処(そこ)へ、ヤスベエが手ごろなサイズのダンボールを(かか)えて、部室に入って来た。

「あっ、()だ居た。良かったあ。職員室で(もら)ってきたよ。()れ」

 ヤスベエは、小さなダンボールを持って来た。矢張(やは)り、()()った(ところ)は、実に、如才(じょさい)ない。早速(さっそく)(みんな)でチビの猫箱を作る。()()えず、里親(さとおや)探しも、()だ、中途(ちゅうと)であるのだが、そろそろ、昼休みも終わりになりつつある。いずなは、午後の授業もサボってネコの面倒(めんどう)を見る心算(つもり)ではあったのだが、流石(さすが)に、それはまずいと高志が()う。

「でも、こんな(ところ)におきっぱなしでは、何か合った時に…」

大丈夫(だいじょうぶ)だ。心配すんな。(オレ)に心当たりがある。だから、いずなも安心して午後の授業には出ろ」

 高志はそう(さけ)ぶと、ダンボールを(かか)え、勢い良く部室を飛び出した。そして、みんなはぞろぞろとついて来る。

一体(いったい)何処(どこ)へ行こうってんだよ」

 正太郎が疑念(ぎねん)眼差(まなざ)しで()(ただ)す。

「まあ、見てろって。其奴(そいつ)はな、間違いなく、金曜日の4限と5限が空きコマなんだ。()(あた)りは確認済みだ」

「…空きコマ?」


 高志が向かった先は、数学研究室であった。まあ、何の事は無い。数学教師の()まり場である。入り口の引き戸を、ガラリと勢い良く開けると、高志は大声で()った。

「ちわっす。先生。いますか?」

「あら、岡本君じゃないの? 一体(いったい)如何(どう)したの?」

 加藤先生と()う、生徒達からも、すみれちゃんの愛称で親しまれている数学教師が声を掛ける。美人と()う程では無いが、清楚(せいそ)なロリ巨乳として一部生徒達から絶大な人気を誇る。印象が少し祐子に似ている。

「ああ、すみれちゃん。薬缶(やかん)はいますか?」

 すみれちゃんと呼ばれた加藤すみれ先生は、困った様な笑顔を浮かべると、

「奥に、いるわよ」

 と、同時に、

「誰が薬缶(やかん)だ! ()のばかもん」

 と()った、怒声(どせい)が奥から聞こえる。如何(どう)やら、薬缶(やかん)先生はいるらしい。高志は物怖(ものお)じせずに、()う声を掛けた。

「ああ、羅漢(らかん)先生。すんません。頼みがあるんすよ」

「何事だ」

此奴(こいつ)面倒(めんどう)を見てもらいたいんすよ。放課後まで…」

 高志は、おずおずと段ボール箱を差し出した。薬缶(やかん)は箱の中を一瞥(いちべつ)して、

()馬鹿(バカ)野郎(やろう)。何てえ物を校内に持ち込んでやがるんだ。校則違反だろ」

「ええっ、でも、生き物を持ち込むべからずなんて校則は、(たし)か無かった様な…」

「当たり前だ。常識で考えろ!」

「すみません。でも、頼みますよう。(オレ)たち、もうすぐ4限が始まるもんで…。先生は()の後、4、5限と何もないじゃないですか。先週もそう()って、パチンコしに行きたいとか、()ってたじゃないですか」

 蝟集(いしゅう)した数学教師達の目が、薬缶(やかん)にじろりと(そそ)がれる。薬缶(やかん)は真っ赤になり(なが)らも、小声で、

「こら、(ろく)でも無い事をべらべらと(しゃべ)るんじゃない」

 薬缶(やかん)其処(そこ)(にわ)かに声を(ひそ)めると、

「それで、一体(いったい)何時迄(いつまで)だ」

「すんません。部活終了まで。19時(ごろ)には回収に上がりますんで…」

「おい、コラ、岡本。冗談じゃないぞ。そんな時刻まで残らなきゃならんのか? おい、待てと()うのに…こんなもんを、人に押し付けて、如何(どう)()心算(つもり)だ…」

 (しか)し、薬缶(やかん)(のろ)いの言葉を、最後まで聞く者はいなかった。とっくに、全員(ぜんいん)、すたこらさっさと、遁走(とんそう)してしまっている。悪態(あくたい)()いている薬缶(やかん)尻目(しりめ)に、すみれ先生はくすりと笑うと、

羅漢(らかん)先生は、本当に生徒さんたちから、(した)われていますね」

「何、()ってるんですか。()い様に使われているだけですよ。大体(だいたい)彼奴(あいつ)ら、粉ミルクは()(かく)として、こんなにでかい、人間用の哺乳瓶(ほにゅうびん)で、()()が飲める(わけ)が無いだろうに」

「それもそうですね。私も4コマ目は空きなので、猫用の哺乳瓶(ほにゅうびん)やシリンジを買ってきましょう」

「ああ、済みません」

 すみれ先生はそう()うと、早速(さっそく)、近所のホームセンターへ自動車で買いに出掛けた。


 おかげで、午後の授業は、全員(ぜんいん)、何事も無く受ける事が出来(でき)た。(ただ)し、難航したのは、(くだん)里親(さとおや)探しである。()れはそうであろう。誰だって、突然(とつぜん)、猫を飼ってくれと()われ、二つ返事で承諾(しょうだく)する者など、(ほとん)ど、いないのではあるまいか? ()してや、全員(ぜんいん)、未成年なのである。当然(とうぜん)、親や家族に倚藉(いしゃ)する身の上としては、まず、()同意(どうい)があって、(しか)るべきである。()の点に()いては、相変(あいか)わらず結論の出ない状態であった(わけ)であり、当初のいずなの苦悩が全員(ぜんいん)に拡大されただけに他ならない。(しか)し、まあ、意識を共有出来(でき)たと()う点では、前進したと()えるのかもしれないが、相変(あいか)わらず未解決の障壁として、一同の上に重く()し掛かっていたのである。結局(けっきょく)、最終的に名乗りを()げたのは、正太郎である。まあ、とは()っても、()れも率先(そっせん)してと()状況(じょうきょう)にはなく、(むし)ろ、周囲を顧眄(こべん)して()むに()まれずと()った感が強く、誰も名乗り出ないのであれば仕方(しかた)が無い。と()った状況(じょうきょう)ではあった。()れと()うのも、


 ① 抑々(そもそも)、正太郎の家が学校から一番に近い。

 ② 仔猫(こねこ)を土日の間、学校に放置する事は出来(でき)ない。

 ③ だから、里親(さとおや)が決るまで預かる。


 と、()()った次第(しだい)ではあった。とは()っても、正太郎の家が一番に近い。()の要件が一番大きかったのではないかと推察される。正太郎とて、家族の同意を取り付けた(わけ)ではない。今迄(いままで)散々(さんざん)描写(びょうしゃ)して来た様に、抑々(そもそも)、正太郎の家は集合住宅である。果たして、猫や犬などを飼って良いのかすらも、(あや)しい物である。だから、正太郎自身も、()の土日の二日間だけ預かる位の心算(つもり)でいた。()の間に里親(さとおや)も決るであろうと多寡(たか)(くく)っており、()る種、他人事(ひとごと)の様な気楽さで臨んではいたのである。


 (さて)、正太郎、祐子、いずな、高志が薬缶(やかん)(ところ)仔猫(こねこ)を受け取りに行ったのが、約束よりも大分早い18時ごろの事であった。4人は口々にお礼を()うと(とも)に、薬缶(やかん)とすみれ先生にお礼の意味を込めたペットボトルのお茶を差し出した。

()まらん気を使うな」

 と、薬缶(やかん)には一喝(いっかつ)されたが、満更(まんざら)でも無さそうであった。

「ところで、一体(いったい)、誰が引き取る事になったんだ?」

 薬缶(やかん)(たず)ねる。

「取り()えず…。自分です」

 と、正太郎。

「そうか…」

 と、()(なが)らも、少し、顔を(くも)らせた薬缶(やかん)()う。

此奴(こいつ)、明日にでも病院に連れて行った方がいいかもしれん。矢張(やは)り、少し元気が無い。大分(だいぶ)、弱っている様だ。ミルクも(ほとん)ど飲まなかったし…」

(ほとん)ど泣きませんでしたものね」

 すみれ先生も心配そうに相槌(あいづち)を打つ。4人も心配そうに顔を見合わせる。正太郎が意を決した様に、毅然(きぜん)として答えた。

「わかりました。先生。明日連れて行きます」


 ()の日はそれで解散となった。いずなは本心を()えば、正太郎の家(まで)付いていって、いろいろ手伝いたかったと()うのが本音(ほんね)であろう。(しか)し、正太郎の家は手狭(てぜま)()う点を、本人も、再三、強調していた。多少(たしょう)気恥(けは)ずかしさもあるのであろうから、遠慮をする事にした。(もっと)も、祐子は手伝って行くと()う。()()った(ところ)は、近所で幼馴染(おさななじみ)の強みでもある。いずなは祐子と一緒に薬局に行き、使い捨てカイロや、仔猫(こねこ)蒲団(ふとん)代わりのタオルを数枚買い込んで、祐子に(たく)し、別れたのであった。


 いずなは、今日の事を両親に報告する心算(つもり)であった。両親の(いまし)めを破り、仔猫(こねこ)を拾った事。授業をサボってしまった事。いろんな人に多大な迷惑を掛けてしまった事。そして、()れでも、仔猫(こねこ)を飼いたい事。(すべ)ては、いずなの口から両親に話さなければいけない事の様に思われた。(ひど)く気の重い事ではある。どれをとっても両親から()められる様な内容の話ではない。()れでも、いずなは両親、吾郎先生と順子先生に()っておきたかったのだ。今回の出来事(できごと)。いずなは、(すべ)て、独力で解決する心算(つもり)であった。(しか)し、何も出来(でき)なかった。代わりに、自分が何一つ()わない内から、みんなが助けてくれた。昼休み中、部室で打ちひしがれている自分を(はげ)ましてくれたのは、凛子、そして祐子だった。如才(じょさい)ない才覚(さいかく)と行動で箱を手配してくれたヤスベエ。機転を()かせた行動で先生に助力を求めた高志。真摯(しんし)里親(さとおや)を検討してくれた葵、敬介、明彦、六助、みうみう。そして、仔猫(こねこ)面倒(めんどう)を見てくれた羅漢(らかん)先生とすみれ先生。一体(いったい)、何人の人たちに助けられたのだろう?


 いずなが遅い晩餐(ばんさん)を迎えたのは、22時を少々回った頃だった。両親とも医者であり、患者が比較的多い、休み前には如何(どう)しても、夕食が遅くなる傾向にある。一度、母親に()い掛けたのであるが、如何(どう)にも気後(きおく)れしてしまった。いずなは、一度、自室に引き取ると、改めて、両親に相談する心算(つもり)ではあった。(しか)し、其処(そこ)で、心臓が(こお)る様な凶報が飛び込んで来た。凶報は何時(いつ)だって夜に来る。


『いずな。()まない。()()、もう、駄目(だめ)かも知れない。ミルクも全然(ぜんぜん)飲まないし、先刻(さっき)から全然(ぜんぜん)動かないんだ』


 メールの(ぬし)は正太郎であった。いずなは、ひいぃっ、と()う、悲鳴(ひめい)に似た何とも()えない(さけ)び声を()げると、()の場で固まった。時間にして、23時30分。正太郎がラインを使わずに、いずなにだけSMSを送ってきたのも、深夜に全員(ぜんいん)を巻き込んだ大騒(おおさわ)ぎにしたくなかった(ため)であろう。()れだけに、状況(じょうきょう)の深刻さは、並々(なみなみ)ならぬ物がある。(あえ)て、正太郎は駄目(だめ)()う言葉を使った。普段(ふだん)の彼であれば、『(むずか)しい』とか、『(かんば)しく無い』、『容易ならざる状況(じょうきょう)』、(ある)いは、ユーモラスに『万難(ばんなん)(はい)して生還しつつある』といった修辞的技法(レトリック)を使った表現をしそうなものである。でも、()れをしなかった。何故(なぜ)か。()れは、現実が()の様な修辞的技法(レトリック)()って、等閑(なおざり)出来(でき)る様な状況(じょうきょう)には程遠く、()の様な美辞麗句(びじれいく)(もち)いる余地(よち)すらなく、『駄目(だめ)』と()う、()えて、直截的(ちょくさいてき)な表現を使用する事で、端的(たんてき)状況(じょうきょう)を伝えようとした(ため)(ほか)ならない。最早(もはや)()()命運(めいうん)は『駄目(だめ)』と()う、二文字の熟語に収斂(しゅうれん)されていたと()っても()い。


 (すべ)ての絶望を(まと)った、死と()う不吉な文字が脳裏(のうり)()ぎる。死神(タナトス)()大鎌(おおがま)高々(たかだか)()(かざ)(なが)ら、そろりそろりと忍び寄る。()し、生と死を分かつ大河(コキュートス)があるとするならば、(はなは)だ残念(なが)ら、()の小さな、()だ名も無き生命(いのち)は、他の兄弟姉妹に遅れる事24時間。静かに、気高(けだか)くも、そして、(おご)そかに()大河(コキュートス)を渡り始めた事は明白(あきらか)であったのである。

物事には全て結末があり、其の結末如何によっては、後始末と謂うものが必ずついて回る。いずなが助けた小さな生命の行く末は、既に神の手に委ねられた。次回、『第28話 トリアージ【後編】』。お楽しみに。

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