表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/54

第26話 祭礼の日に

心配をお掛けして、大変申し訳有りません。今後、健康管理には充分気をつけます。また。よろしくお願いいたします。

 (あざ)やかな七竃(ななかまど)(ほのお)の様に赤い実が(たわわ)(みの)り、冬の足音が本格的に聞こえ始める十一月二十日火曜日。()の日は静岡市清水区本町にある西宮(にしのみや)神社の祭礼(さいれい)の日である。えべっさん、おべっさん、おいべつさん、などと呼ばれ、地元の人々から親しまれている。おいべつさん、()呼称(こしょう)から(さっ)するに、祭神(さいじん)恵比寿(えびす)様なのであろう。一体(いったい)に、恵比寿(えびす)様と()うのは、不思議(ふしぎ)で謎の多い神様である。所謂(いわゆる)蕃神(ばんしん)(あた)り、狩衣姿(かりぎぬすがた)で右手に釣竿(つりざお)、左手に(たい)(かか)え、ニコニコとしたふくよかな()みを浮かべているお姿が一般的である。抑々(そもそも)恵比寿(えびす)()う言葉は、『夷』や『戎』と表記し、(すなわ)ち、異民族、異邦(いほう)の者を表している。恵比寿(えびす)様自体、ご存知(ぞんじ)のとおり、七福神の一柱(ひとはしら)でもある。(あたら)蕃神(ばんしん)なれど、日本各地で信奉(しんぽう)されており、主に神格化された漁業の神様として、(くじら)など大きな魚で()のお姿を(あらわ)し、海から福をお(さず)けになるとされている。()れらを(かんが)みるに、所謂(いわゆる)()(がみ)信仰(しんこう)であろう。豊漁(ほうりょう)や商業の神様としても知られており、元来(がんらい)、清水の様な小さく貧しい漁村(ぎょそん)では、()うした()(がみ)信仰(しんこう)的な神様は、当然(とうぜん)の事として歓迎されたものと(さっ)せられる。(しか)し、一方(いっぽう)では、恵比寿(えびす)様は別表記すれば蛭子様(えびすさま)とされ、()れは記紀神話(ききしんわ)()ける蛭子(ヒルコ)とも()われ、()うなって来ると、最早(もはや)、神ですら無くなってしまう。記紀神話(ききしんわ)を当時の正統政府の歴史書であると解釈するのであれば、差し詰め、ヒルコは追放された反対勢力と()った(ところ)であろうか。何時(いつ)の時代にあっても、()うした権力闘争に敗れた者の末路(まつろ)は、常に、(わび)しく。想像(そうぞう)(たくま)しゅうすれば、恵比寿(えびす)信仰(しんこう)()うものは、国津神(くにつかみ)としての、所謂(いわゆる)、反主流としての信仰(しんこう)を、連綿(れんめん)と、そして、細々(ほそぼそ)と集め続けていた結果(けっか)に過ぎないのかもしれない。


 ()祭礼(さいれい)は、(にわか)に冬の足音が聞こえ始める、十一月十九日(およ)び二十日に行なわれる。()の年の十一月二十日。ボストンティーパーティーの面々(めんめん)はひろみの家を拠点(きょてん)に、()祭礼(さいれい)の見物に行く事になっていた。抑々(そもそも)の事の発端(ほったん)は昨日の月曜日、部活の練習後に(さかのぼ)る。偶々(たまたま)、ひろみといずなが、自宅近所のおいべつさんの祭礼(さいれい)について話題にしていたのだ。()れを横で聞いていた祐子が()れは何かと(たず)ねる。其処(そこ)へ、習俗(しゅうぞく)民間伝承(みんかんでんしょう)に異常な関心を示す正太郎が首を突っ込む、いずなの一挙一投足(いっきょいっとうそく)を気にする敬介が、()かさず参戦。お祭り男の高志が聞き(とが)め、結局(けっきょく)は、()れから()れへと、花が咲くと()った展開で、翌日の練習休止日にひろみの家へ集合する事となったのである。(もっと)も、ボストンティーパーティーの面々(めんめん)全員と()(わけ)では無く、サッカー部のでこぼこコンビは練習の(ため)、合流が難しかろうし、ヤスベエも情報部の活動の(ため)、参加は出来(でき)ないとの事であった。(しか)し、(あおい)は帰り道の途中でもあるし、寄って行くとのメールがあった。


 (さて)此処(ここ)で改めて記述(きじゅつ)しておくが、抑々(そもそも)()西宮(にしのみや)神社の祭礼(さいれい)は、()して大きな祭りでは無い。神社の所在地が静岡市清水区本町と()(わけ)であるから、学区的にはひろみと()うよりは、(むし)ろ、いずなの住んでいる清水学区に該当(がいとう)する。(しか)し、近所と()う点に()いて()えば、断然(だんぜん)、ひろみの家の方が近いのである。以前にも叙述(じょじゅつ)をしたが、ひろみの家はさつき通り(旧電車通り)に面している。清水駅前から続く目貫通(めぬきどお)り。()れこそ以前、昭和の時代には、路面電車が走り、両側にデパートや商業施設、映画館やボーリング場、銀行や証券会社が立ち並ぶ繁華街(はんかがい)が、終点である港橋(みなとばし)(まで)続いていたのである。ひろみの家は港橋(みなとばし)程近(ほどちか)い富士見町に古くから構える茶舗(ちゃほ)である。間口(まぐち)()して広くも無いが、奥行きはかなりある。さつき通りから巴川(ともえがわ)に至る(まで)(すべ)て家の敷地(しきち)なのである。所謂(いわゆる)(うなぎ)寝床(ねどこ)の様な細長い敷地(しきち)なのであるが、()れはひろみの家の家業と無関係では無い。稲森茶舗(ちゃほ)はさつき通りに面した清水の商業地区に、明治の時代(ころ)から開業しているお茶屋であり、()れには家の前を走っていた軽便鉄道(けいべんてつどう)が大きく(かかわ)ってくる。


 元々(もともと)、ひろみの家の前を走っていた路面電車(静岡鉄道清水市内線)は、清水の港湾部から江尻宿中心部を()て、興津(おきつ)手前の横砂(よこすな)とを結ぶ軽便鉄道(けいべんてつどう)で、かつては旅客(りょかく)加之(しかのみならず)、地場産品であるお茶などの物資をも運搬(うんぱん)していたと()う。一方(いっぽう)の起点である港橋(みなとばし)はさつき通りのどん詰まり、(すなわ)ち、波止場(はとば)の横にある。つまり、江尻宿側から向かえば、さつき通りが行き当たった丁字路の左が波止場(はとば)であり、右が巴川(ともえがわ)其処(そこ)に掛かる橋が港橋(みなとばし)()(わけ)である。先に述べたとおり、ひろみの家は(うなぎ)寝床(ねどこ)の様な細長い家であり、裏手は巴川(ともえがわ)に面しており、昔は巴川(ともえがわ)の水運を利用した荷揚げ場があり、家業のお茶の搬入に利用されていたのである。軽便鉄道(けいべんてつどう)自体(じたい)港橋(みなとばし)から横砂(よこすな)(まで)敷設(ふせつ)されていたが(現在は廃止されている)、新清水で現在の静岡鉄道静岡―清水線(こちらは現存)に連絡しており、(あおい)区の鷹匠(たかじょう)町にある新静岡へと(いた)っている。


 (さら)に、静岡側では、JR静岡駅前を起点とした路面電車(静岡鉄道静岡市内線)が敷設(ふせつ)されており(昭和三十七年に廃線)、静岡駅前―新静岡―県庁前―中町―呉服町―茶町―安西(あんざい)と運行されており、静岡の目貫通(めぬきどお)りを駆け抜ける様な構造となっていた。安西(あんざい)・茶町地区は現在に()いても、製茶(せいちゃ)工場が立ち並ぶ静岡市の一大製茶(せいちゃ)地区であり、今でも初夏になると、()の地区ではお茶を()(こう)ばしい香りに包まれる。(さら)に、昭和の初期(まで)(さかのぼ)れば、井宮(いのみや)(現静岡銀行しずはた支店付近)を起点とした安倍(あべ)鉄道と()軽便鉄道(けいべんてつどう)が、安倍川(あべかわ)沿いに、北部の牛妻(うしづま)(まで)、約10キロ(ほど)(わた)って敷設(ふせつ)されていた。現在では、()りし日の(おもかげ)(しの)ぶ事は出来(でき)無いが、静岡銀行しずはた支店周辺から、北方に向かって伸びる、不必要な(まで)に一直線の細い道路が()跡地(あとち)であるとの事である。()の鉄道は沿線(えんせん)の木材資源、お茶、みかんの運搬(うんぱん)旅客(りょかく)輸送の為に営業されていた。大正初期から昭和初期に掛けての約20年(ほど)営業されていたのだが、アメリカのウォール街の株価暴落に(たん)を発する世界恐慌(きょうこう)(およ)び昭和恐慌(きょうこう)の荒波に()まれ、()の姿を消した。(しか)し、()のお話でも分る様に、()軽便(けいべん)を使って、安倍奥(あべおく)、井川と()ったお茶産地から、お茶や木材と()った一次産品が、運搬(うんぱん)されていた事は想像(そうぞう)(かた)くない。安倍奥(あべおく)には、梅ヶ島、玉川、井川、足久保と()った県内有数のお茶の産地があり、前述の通り、()軽便(けいべん)の起点部に当る、安西(あんざい)地区に製茶(せいちゃ)工場が集中している点から()っても、()軽便鉄道(けいべんてつどう)が当時果した役割については、()して知る()しなのである。従って、安倍(あべ)鉄道、静岡市内線、静岡清水線、清水市内線。()の4つの軽便鉄道(けいべんてつどう)の役割は、比較的明白(めいはく)であり、静岡地区の地場一次産品の運搬(うんぱん)、そして、()れらの、港湾部への運搬(うんぱん)()の輸送システムの眼目(がんもく)であった(わけ)である。(さら)に、()れらを補助していたのが、安倍川(あべかわ)巴川(ともえがわ)の水運である。


 今でこそ、安倍川(あべかわ)は静岡市を南北に(つらぬ)いているが、江戸時代、(ある)いは、()れ以前の地図に()れば、()の姿を大きく変えている事になる。抑々(そもそも)安西(あんざい)()う地名は、安倍川(あべかわ)の西岸と()う意味合いで命名されており、今の、安西(あんざい)(はる)か西側を流れる安倍川(あべかわ)からは、まるで()()まらない。江戸時代以前の古地図を紐解(ひもと)いて見れば明白なのであるが、安倍川(あべかわ)賤機山塊(しずはたさんかい)()ぐ西側を、(おそ)らく、今で()安倍(あべ)街道(あた)りを流れており、(()自体(じたい)、今の安倍川(あべかわ)(くら)べたらかなり東側であるが)賤機山塊(しずはたさんかい)()(はし)(すなわ)ち、現浅間神社(せんげんじんじゃ)舳先(へさき)で、(おそ)らくは、片羽町(かたはちょう)安倍町(あべちょう)の交差点(あた)りであろうか、(さなが)ら、龍が馳騁(ちてい)闊歩(かっぽ)するかの(ごと)く、幾重(いくえ)にも分岐(ぶんき)している。()れらは、北川、賤機(しずはた)川、横尾川、妹川、稲川と()う名称の川であった様である。()れらの川は、今は、(すべ)て現存しない。今となっては何処(どこ)如何(どう)流れていたのかすら判然(はんぜん)とはしないが、()の内の北川だけは、(わり)と明確である。()れは現在でも、ごく一部を確認する事が出来(でき)る。浅間神社(せんげんじんじゃ)前の川幅(かわはば)(わず)か1m程の小川が()名残(なごり)であり、賤機山麓(しずはたさんろく)の東側を麻機(あさばた)沼に向かって北上していたとの事である。現在の筆者の自宅は浅間神社(せんげんじんじゃ)近隣(きんりん)の丸山町にあるが、()れが事実であれば、筆者の自宅は、差し詰め、かつての川底と()(わけ)であり、災害ハザードマップ的には、危険な事、()の上無い。だが、記憶を辿(たど)ってみれば、50年近く前の記憶ではあるが、(たし)かに筆者の家の前には小川が流れており、朝などは、どうどうと()う、結構(けっこう)、大きな川音で目を覚ましていた位である。つまり、かなり大きな水音を立てる川が流れていたと()う事になる。(しか)し、何時(いつ)しか水が()れ、(やが)ては暗渠(あんきょ)と化し、埋め立てられてしまった。静岡の各地の地名から()(はか)れば、市街地北部の安東と()う地名は安倍川(あべかわ)の東側。横内は横尾川の内側の中州、と()った意味なのであろう。又、水落(みずおち)()う地名も、如何(いか)にも、水辺(みずべ)連想(れんそう)させる地名ではあるが、どの川の事であるかは(さだ)かでない。場所的に()っても、駿府城のお堀の水源となったものと推察(すいさつ)されるが、()の源流が何処(どこ)であるかは良く分からない。()れらの川が静岡の市街地を縦横無尽(じゅうおうむじん)に駆け抜けていたのは、江戸時代以前の事と思われる。


 (おそ)らく、有名な家康公の天下普請(てんかぶしん)により、安倍川(あべかわ)の流れは当時より、かなり、西寄りの現在の流れに改変されてしまったのだろう。

『それが、家康のド(ぎたな)(ところ)だ』

 正太郎は()の話しを、薩摩(さつま)(鹿児島県)出身で家康公嫌いの父親より、小さい頃から耳に胼胝(タコ)出来(でき)る程、聞かされていた。(おそ)らく、家康公の天下普請(てんかぶしん)の事を()っているのであろう。家康公は有力外様(ゆうりょくとざま)大名の経済力を()(ため)に、日本各地の土木工事の(にん)に当たらせた。薩摩(さつま)の島津、長州の毛利、加賀の前田、米沢の上杉、仙台の伊達、秋田の佐竹、肥後の細川、福岡の黒田等が()槍玉(やりだま)に上がったのであろう。安倍(あべ)街道沿いには薩摩(さつま)土手(どて)、あるいは薩摩(さつま)通りと()った地名があるのだが、()れは家康公の天下普請(てんかぶしん)名残(なごり)であろう。正太郎の父親はそれらのワードを聞く(たび)に、家康公を(なじ)り倒すのを(つね)としていた。正太郎の父親は学識(あふ)れた理知的な男ではあったが、()の点に()いては、(およ)そ、理性の対極に()った様で、正太郎は子供心に、何故(なぜ)、父親が地元の英雄である家康公を、此処(ここ)(まで)誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)するのか、皆目(かいもく)見当も付かなかった。(もっと)も、父親は、『日本の首都は太閤さん以来大阪だ』と()って、(はばか)らない人物であった事から、一風変わった史観の持ち主ではあったのかも知れない。


 静岡市の話、続く。


 国土交通省のホームページに()れば、静岡平野は安倍川(あべかわ)流域に出来(でき)扇状地(せんじょうち)であると()う。国交省のホームページに掲載(けいさい)されている位であるから、(おそ)らくは、事実なのであろうが、甲府(こうふ)盆地の()れとは異なり、特徴(とくちょう)的な扇型(おおぎがた)の地形では無い。筆者も、長年に(わた)り、()の街に住み(なが)ら、扇状地(せんじょうち)である事を意識した事はまるで無い。試しにと、国土地理院の電子国土で確認してみる。一体(いったい)安倍川(あべかわ)身延(みのぶ)山地、八紘嶺(はっこうれい)(たん)を発し、山間(やまあい)渓筋(たにすじ)を南に向けて一気に駆け下りる構造である。安倍川(あべかわ)の東側を賤機山塊(しずはたさんかい)、西側も身延(みのぶ)山地の残滓(ざんし)である安倍奥(あべおく)の山々とで、東西から狭窄(きょうさく)される形となっており、細長い谷間を丿乀(へつほつ)として左右の山々を(けず)り取り、蛇行(だこう)を繰り返し(なが)ら下って来るのである。そして、現在の浅間神社(せんげんじんじゃ)附近(ふきん)()頸木(くびき)から一気に解放され、広闊(こうかつ)なる静岡平野へと至る形となっており、()の際に運んで来た万斛(ばんこく)土塊(つちくれ)を、一気に解放する様な地形となっている。()(あた)りの仕組(しくみ)扇状地(せんじょうち)特徴(とくちょう)一致(いっち)すると()えなくも無い。現在の安倍川(あべかわ)周辺の海抜(かいばつ)は、静岡平野の、他の地域の海抜(かいばつ)(くら)べ、(おおむ)ね、高めであり、所謂(いわゆる)天井川(てんじょうがわ)である事が(うかが)える。浅間神社(せんげんじんじゃ)付近から東方面、(すなわ)ち、清水方面へ向けて約10km掛けて、緩慢(なだらか)に下っているのである。(さら)に、浅間神社(せんげんじんじゃ)から麻機(あさばた)(すなわ)ち、北へ向かっても、(ゆる)やか(なが)ら、下っている。麻機(あさばた)は静岡平地部の最奥部に位置するのだが、現在でも、低湿地帯(ていしっちたい)であり、沼や池などがかなり残っている。つまり、浅間神社(せんげんじんじゃ)からみれば、東(およ)び北方面へと下っており、これらの箇所(かしょ)は、先程(さきほど)消失(しょうしつ)されたと(もく)される川の跡地(あとち)と、(いみ)じくも、一致(いっち)する。河川の消失(しょうしつ)()現象(げんしょう)自体(じたい)は、扇状地(せんじょうち)特徴(とくちょう)とも()える現象(げんしょう)でもあり、此処(ここ)でも()の説は裏付けられる。


 賤機山塊(しずはたさんかい)は、静岡市街地を南北に(つらぬ)く様に位置しているのであるが、賤機山塊(しずはたさんかい)尾根道(おねみち)を一本の線と見立て、線対称の位置の海抜(かいばつ)を電子国土(国土地理院地形図)を元に、左右、(すなわ)ち、賤機山塊(しずはたさんかい)の西側と東側とで比較してみる。出来(でき)るだけ線対称となる様な位置を選んだ心算(つもり)ではある。まず、東側、城北公園三角点18.8m、西側、籠上(かごうえ)標高点(ひょうこうてん)38m。東側、池ヶ谷東標高点(ひょうこうてん)10m、西側、与一(よいち)標高点(ひょうこうてん)47m。東側、唐瀬(からせ)標高点(ひょうこうてん)7m、西側、松富(まつとみ)標高点(ひょうこうてん)54m。()の様に、賤機山塊(しずはたさんかい)の西側(安倍川(あべかわ)側)では北に向かって、かなり急激(きゅうげき)に登っているのに対し、山塊(さんかい)の東側では、緩慢(なだらか)に下っているのである。海抜(かいばつ)、54mと7m。(ゆう)にビルの十四、五階に当る高低差である。先日、筆者は賤機山(しずはたやま)尾根道(おねみち)をハイキングしたのであるが、山塊(さんかい)の東側と西側を一望(いちぼう)出来(でき)(ところ)何箇所(なんかしょ)かあった。俯瞰(ふかん)して見るに、一目瞭然(いちもくりょうぜん)であり、西側の風景の方が、(きわ)めて、近くに感じる。(すなわ)ち、素人目(しろうとめ)に見ても、西側の方が、海抜(かいばつ)が高いのが明らかなのである。()れは、国道一号バイパスを安倍川(あべかわ)付近から東上してみても分る事であるが、山塊(さんかい)西側では賤機山(しずはたやま)トンネルの手前から、平地をまるで地下に向かって、掘り下げて進んでいるにも(かかわ)らず、800m程のトンネルを抜けた東側では、かなり高い高架の上に出て、静岡市街地を俯瞰(ふかん)する様な風景が現出(げんしゅつ)するのである。そして、()のバイパスの北方には麻機(あさばた)沼を中心とした、麻機(あさばた)遊水池(ゆうすいち)()低湿地帯(ていしっちたい)が広がっている。以前にも記述した七夕豪雨(たなばたごうう)の大災害も()の地区の干拓(かんたく)などの開発にあると()われている。干拓(かんたく)によって、水を(たくわ)える許容量、(すなわ)ち、余力(バッファ)が低下してしまった(ため)に起こったと()われているのである。そして、()の地区に(たん)を発して、巴川(ともえがわ)が清水方面へと注いでいるのである。


 (さて)閑話休題(かんわきゅうだい)。ひろみの家は、今でこそ、富士見町の茶舗(ちゃほ)(おも)家産(かさん)となっているのであるが、先代の頃には、安西(あんざい)地区に製茶(せいちゃ)工場、清水区内に缶詰工場を、そして、足久保地区に茶畑を所有しており、大層(たいそう)羽振(はぶ)りが良かったとの事である。(しか)し、先代、先々代と、二代に(わた)って道楽者が続いたお陰で、()れらは(すべ)て、人手に渡ってしまった。今では、祖父母が経営する茶舗(ちゃほ)と、入江地区に(わず)かに残った家作(かさく)の家賃収入により、細々(ほそぼそ)と暮らしている。(もっと)も、細々(ほそぼそ)暮らしているとは()っても、家賃収入のある世帯(せたい)などは、裕福(ゆうふく)な部類な世帯(せたい)()えるだろう。つまりは、昔日(せきじつ)栄華(えいが)(くら)ぶればと()う話であり、()れ程までに、昔の稲森家は、清水でも有数な分限者(ぶげんしゃ)所謂(いわゆる)素封家(そほうか)であった。ひろみの父親は、茶舗(ちゃほ)()がず地元有数の商社に就職した為、以前にも描写(びょうしゃ)をしたかもしれないが、ひろみの小さい頃は、転勤族である父親の影響で、横浜、甲府、浜松と目まぐるしく(きょ)を変え、父親の本社勤務に成ったのを(しお)に、父親の実家、(すなわ)ち、現在の家に、祖父母と同居する事となったのである。


 (さて)愈々(いよいよ)祭礼(さいれい)当日、メンバーは三々五々(さんさんごご)、ひろみの自宅に集まりつつあった。もとより、ひろみの家に遊びに来た事のある者はいなかったが、さつき通りに面した、清水でも古くからの茶舗(ちゃほ)()う事もあり、流石(さすが)に迷う者はいなかった。まず、正太郎、祐子、高志の4組勢がやって来た。彼らは、愛想の良い祖母に迎えられると、店舗から、(すす)けた大福帳が掛かった帳場(ちょうば)の前の薄暗い土間を抜けて、ひろみたち世帯の住む新宅に案内された。新宅の入り口には、大きな鳥篭(とりかご)が吊られ、中には九官鳥(きゅうかんちょう)が飼われており、(しき)りに、何か侏離鴃舌(しゅりげきぜつ)な言葉を(しゃべ)っている。ひろみの部屋は2階であり、稲森茶舗(いなもりちゃほ)の最奥部に当る。巴川(ともえがわ)を見下ろす明るい部屋であり、清水の港湾地区の中心にありながら巴川河畔(ともえがわかはん)を見下ろす静かな(たたず)まいは、実に、澹乎(たんこ)とした(おもむき)がある。ひろみらしからぬ、と()ったら幾分(いくぶん)失礼に当るのやも知れぬが、部屋全体の壁が薄い石竹色(せきちくいろ)(すなわ)ち、桃色を基調とした女の子らしいカラーの八畳程度の部屋である。部屋にはベッドが()()けられており、(おそ)らくは、全員が(そろ)う頃には、少々(しょうしょう)手狭(てぜま)になるものと推察(すいさつ)される。()れを案じてか、ひろみが申し(わけ)無さそうに()う。

少々(しょうしょう)、狭いけどごめんね。ベッドをソファ代わりに使ってね」

 案内された3人は、キョロキョロと室内を顧眄(こべん)(なが)ら、思い思いの場所に腰をおろす。真っ先に目に留まったものは、学習机の机上(きじょう)に有る、数人の学生服とセーラー服の一団の写真である。中央に、紺色のスカーフ、セーラー服姿のひろみがいる。まじまじと(なが)める3人を、ひろみが見咎(みとが)めて説明をする。

「ああ、()れね。岡中の生徒会の写真なの。あたし、生徒会長だったから」

「ええっ、ひろみちゃん。生徒会長だったの?」

「うん」

 驚く祐子。(しか)し、()れも、考えてみれば、(むべ)なるかなと()った話であり、人に物怖(ものお)じする事なく、堂々と自分の意見を主張出来(でき)るひろみには、如何(いか)にも適任の感があった。ベッド横の壁には高志の筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)とした上半身裸の写真が貼ってある。腹筋が六つに割れ、厚い胸板。興津(おきつ)川合宿の時の物らしい。

「わっ、見ちゃ駄目(だめ)ぇ」

 と、ひろみが()()になる。()素振(そぶり)意外(いがい)とかわいらしい。(さら)に、目を机上(きじょう)に戻すと、生徒会写真の横には2Lサイズの一回り大きな写真。ピンクのノースリーブのユニフォームを着た6人程の写真。明らかにバスケットチームの写真であり、前列中央にはバスケットボールを小脇(こわき)に抱えたひろみが座っている。今度は高志が目を丸くする。

「お前、バスケをやっていたのか?」

「そうよ。悪い?」

 先程(さきほど)()(かく)しもあるのであろう。ひろみが突っかかる様な調子(ちょうし)で答える。

「いや、悪かあねーが。空手じゃあなかったのか?」

「うちの中学は空手部はなかったからね。女バスの主将(キャプテン)で、名ポイント・ガードだったんだから…」

「自分で()うかあ。()れを」

 高志も、流石(さすが)()の事は知らなかったらしい。高志はまじまじと()の写真を見つめる。今より、明らかにふっくらとしている。(おそ)らく、60kg近くあったに相違(そうい)無い。(さら)に、高志は見つめる。やや、()れ目で、(いま)だ、あどけなさは残るが、(たし)かに美人である。そして、にこやかな()みを浮かべている。だが…。屈託(くったく)の無い笑顔(えがお)()うには、少し、程遠(ほどとお)印象(いんしょう)があった。何処(どこ)か、困った様な、(うれ)いを(たた)えた笑顔(えがお)とでも()おうか。そんな笑顔(えがお)であった。以前にも描写(びょうしゃ)したやもしれないが、(おそ)らく、曲がった事が嫌いなひろみの真直(まっすぐ)ぐな性格である。ひょっとしたら、周囲とは無用な衝突(しょうとつ)軋轢(あつれき)があったのかもしれない。小柄な体型である事は()(まで)も無い。頭の上で無造作(むぞうさ)に髪を束ねている。やや、()れ目で端正(たんせい)な顔立ちである。所謂(いわゆる)、美人の相とでも()うべき、すうっと通った鼻筋を、若干(じゃっかん)(なが)らの()れ目で緩和(かんわ)している様な形である。表現力に(とぼ)しい稚拙(ちせつ)な筆者の描写(びょうしゃ)では中々(なかなか)に伝わりにくく、大変申し(わけ)無いのであるが、(ファイナル)(ファンタジー)()のポロムちゃんが一番近いと()えるかもしれない。正太郎はそんな高志の横顔を見て、再び、(くだん)の写真を見た。正太郎は、今、()瞬間(しゅんかん)完璧(かんぺき)に高志の心的状況(胸の内)をトレース出来(でき)ていた。(たし)かに、高志はそんな中学時代のひろみの写真に、見とれているのである。


 正太郎は高志と割りと近しい。クラスも一緒(いっしょ)で、クラブも一緒(いっしょ)である。高志の嗜好(しこう)(おおむ)把握(はあく)しつつある。()の男は、ぽっちゃり型、所謂(いわゆる)、肉付きの良い女の子が好きなのである。()れは、祐子への告白((もっと)も、()れは正太郎の背中を押す為ではあったが)。(ある)いは、蛍ちゃんの話からも、推測は出来(でき)る。今でこそ、ひろみは小柄でボーイッシュな、丸みの無い体型をしているが、中学校時代はふっくらした体型であったのである。正太郎は口には出さねど、(ひそ)かに確信していた。

如何(いか)にも高志が好みそうな女の子だな)

 ()れが、正直(しょうじき)な正太郎の感想である。高志も(くだん)の写真を食い入るように見つめている。其処(そこ)へひろみがニヤニヤし(なが)ら、横から茶々(ちゃちゃ)をいれる。

如何(どう)しちゃったの? あたしの中学校時代の姿にみとれちゃった?」

「うん。とても綺麗(きれい)だ」

 高志は、意外にも素直(すなお)(うなず)いた。今度は、流石(さすが)にひろみの方が、少々(しょうしょう)(あわ)てる。

「ちょっと、やめてよ。…()の頃は、今よりも大分(だいぶ)、太っていたし」

「でも、昔の方が、ふっくらして健康的でかわいらしいよ。おっぱいも今より巨乳(きょにゅう)だし…。ぐえぇ」

 すかさず、ひろみの右(ひじ)が高志の鳩尾(みぞおち)(あた)りにめりこんでいる。

「失礼ね。(しぼ)ったって()うのよ」

 ひろみは、少々(しょうしょう)、気を悪くした様である。横合いから、正太郎がそんな高志を小声で(たしな)める。

馬鹿(バカ)だな。(まった)く、余計(よけい)な事を()(ヤツ)だ」

「いや、だってよ」

 正太郎は思う。今のひろみは50kg前後であろう。写真の頃、(おそ)らくは、1年前なのであろうが、(およ)そ、10kg程度絞った勘定(かんじょう)になる。成長期の、それも年頃の娘が、()のレベルで減量すると()うのは、(なみ)大抵(たいてい)の事では無い。

此処(ここ)は、嘘でも、スレンダーになったね。と、()(ところ)だろーが」

「…すまん」

其処(そこ)! 何、ごしょごしょ()ってんの」

 ひろみの(とが)った声が追っ掛けて来る。正太郎は(さら)に小声で()う。

(後できっちり、フォローしておけよ)

(分ってるって)


 蒼惶(そうこう)としている内に、2組のいずなと(あおい)、そして、1組の敬介が到着。(さら)に、明彦と凛子が到着した。流石(さすが)に、9人も納まると、室内もかなり手狭(てぜま)に成った。()れを見た高志が、

(さて)と、じゃあ、そろそろ、行くか」

 と音頭(おんど)を取ったのだが、ひろみがもじもじし(なが)ら、()()った。

「ごめんね、もうちょっと待ってくれないかな…。おばあちゃんが、今、玉露(ぎょくろ)とお茶菓子を用意しているところなの。おばあちゃん、お客さんが(うれ)しくて」

「お茶菓子?」

 祐子が、目をキラキラさせ(なが)ら、食いつく。

「うん、追分羊羹(おいわけようかん)栗最中(くりもなか)

「わあ」

 ()う成ると、祐子は梃子(てこ)でも動かない。結局(けっきょく)、一同は玉露(ぎょくろ)追分羊羹(おいわけようかん)栗最中(くりもなか)の登場を待つ事となったのである。


 (やが)て、(くだん)玉露(ぎょくろ)追分羊羹(おいわけようかん)栗最中(くりもなか)が運ばれてきた。備前焼(びぜんやき)と思われる湯飲みに、同じく、古備前(こびぜん)と思われる(さら)羊羹(ようかん)がのっている。一見(いっけん)質素(しっそ)素朴(そぼく)印象(いんしょう)を受けるが、()の様な器皿(きべい)にあっても、昔乍(むかしなが)らのお茶屋の其処(そこ)()と無い気品(きひん)風格(ふうかく)を感じるのである。

「そう()えばさ…」

 少々(しょうしょう)、手持ち無沙汰(ぶさた)となった明彦が、無聊(ぶりょう)(かこ)ちかねて続ける。

如何(どう)したんだよ?」

「?」

「いや、馬鹿(バカ)作者の(ヤツ)さ」

 ああ、と諒解(りょうかい)を示しつつも、(うなづ)くひろみ。

「そう()えば、()(ところ)(しばら)く、休載(きゅうさい)していたわね」

 敬介が、

彼奴(あいつ)(たし)か、正太と同じ持病(じびょう)持っていただろ。()れで、入院でもしてたんじゃねーの?」

 ()の言葉を受け、高志が反論する。

「いや、そーじゃあねーよ。厳密(げんみつ)()うと、現実(リアル)の時間軸では、昨年末に近所の総合病院に、矢張(やは)DM(糖尿病)で教育入院していたんだ。だけど、()の時でも、(ひま)な時間に()かせて、執筆(しっぴつ)活動をしていたらしいぞ」

「ふーん、そうなの? まあ、入院中はやる事が無いからね」

 凛子が同意する。

「久し振りに、沢山(たくさん)執筆(しっぴつ)と昼寝が出来(でき)たって話だ。()れに、入院中に同級生と後輩がお見舞いに来てくれたとかで、野郎(やろう)無邪気(むじゃき)に喜んでやがった。欲を()えば、お見舞いの品に大福が欲しかったとか、能天気(のうてんき)戯言(たわごと)をほざいていやがった」

 祐子がしみじみと(つぶや)く。

「うーん、()の気持ち分るなあ」

 祐子の放言(ほうげん)に、正太郎が目を丸くする。

DM(糖尿病)患者の見舞いに、そんな物を持ってくる(ヤツ)は、流石(さすが)にいねーだろ」

相変(あいか)わらず、病気の自覚が無い(ヤツ)ね」

()れでも、以前の教育入院と較べて、全然(ぜんぜん)、楽だったそうだ。20年前の入院の時の食事療法(ダイエット)は、一日(あた)りの総カロリーが1800キロカロリーだったんだが、ひもじくて、ひもじくて、夢に大福が出て来て、食おうとした瞬間(しゅんかん)に目が覚めたそうだが、今回は総カロリーが1600キロカロリーだったんだが、そんな事はなかったそうで、全然(ぜんぜん)、楽勝だったそうだ」

「なんか、浅ましい夢ね。まあ、彼奴(あいつ)自身、()の当時と(くら)べ、30キロ程減量しているらしいから、大分(だいぶ)、標準体重に近づいている(はず)だし…。()れで、今回の活動休止は()の関係なの?」

「まあ、関係が有るか如何(どう)かは、良くわからんのだが、胸痛(きょうつう)が続いたらしい」

心筋梗塞(しんきんこうそく)とか狭心症(きょうしんしょう)?」

「いや、違う」

心不全(しんふぜん)?」

 中々(なかなか)に、生々(なまなま)しい病名が飛び出す。

「いや、()れも違うらしい。って()うか、抑々(そもそも)心不全(しんふぜん)なら、()(ところ)野郎(やろう)、毎年夏になると発症している。暑さが厳しくなると、(ひど)く息苦しく成るんだそうだ。彼奴(あいつ)()れば、最早(もはや)、毎年、夏の風物詩(ふうぶつし)だって()ってた」

 凛子が(あき)れる。

「何だか()風物詩(ふうぶつし)ね」


 正太郎が興味深げに(たず)ねる。(まさ)に、同病(どうびょう)相哀(あいあわ)れむと()(やつ)であろう。

抑々(そもそも)、教育入院とか()ってたが、A1cはどれ位だったんだ?」

「ああ、なんちゃらエーワンシーって(やつ)か? 大体(だいたい)、10・0位だったらしい」

 正太郎も(あき)れる。

「かなり、(たけ)えなあ」

「でも、退院時には7・3位に(まで)、下がったとか、()ってたぜ」

「おい、そんなに急激(きゅうげき)に下げて大丈夫(だいじょうぶ)なのか? 普通はもっと(ゆる)やかにやるだろ」

 正太郎が驚く。まあ、正太郎が驚いたのも無理(むり)は無いだろう。血糖状況(けっとうじょうきょう)(あま)りにも急激(きゅうげき)に改善し過ぎると、(かえ)って、神経障害(しんけいしょうがい)などが亢進(こうしん)する事があるのである。

「ああ、()のせいで、神経障害(しんけいしょうがい)顕在化(けんざいか)したそうだ。そして、まあ、本当に、()のせいか如何(どう)かは不明なんだが、気が付けば、胸痛(きょうつう)不整脈(ふせいみゃく)増悪(ぞうあく)したらしい」

「ふーん、なかなか大変なんだね。あっ、でも、お父さんが()ってたなあ。血糖状況(けっとうじょうきょう)急激(きゅうげき)に改善すると、かえって、症状が進む患者さんもいるって…」

 (あおい)(つぶや)く。正太郎も同意する。

「そうなんだよ。(おれ)が入院した時も、座学でそう教わったんだ」

「もともと、(ヤツ)は、6、7年前に不整脈(ふせいみゃく)が発覚してな。なんちゃらとか()う薬が処方(しょほう)されて、ぴたっと収まっていたらしいんだが、()(あいだ)の入院の際に、()の薬がジェネリックに変わったらしい。()れ以来、結構(けっこう)、激しい不整脈(ふせいみゃく)が出る様になったと()うんだ」

「そうなんだ」

「とは()っても、主治医の話だと、(まった)く、命に別状の有る不整脈(ふせいみゃく)じゃあ無いから、心配する必要は無いとも()われたらしいが…」

「そうなの?」

「でもなあ、そう()われた(ところ)で、激しい動悸(どうき)が続くと()うのは、()れは()れで、恐怖感が半端(はんぱ)無いだろうに。何でも、(ヤツ)(げん)()れば、生まれて初めて、女の子とホテルに行った時の様な胸の高鳴りが、四六時中続いて、日常生活に支障を(きた)して困っている状態らしい…」

「…」

 流石(さすが)に、蝟集(いしゅう)した女性陣が(あき)れる。まあ、比較的最近、似た様な経験を体験したばかりである祐子と正太郎は、顔を赤らめ(なが)ら、思わず目を合わせるも、(あわ)てて、目を()らすと、お互い外方(そっぽ)を見やり(なが)ら、目を泳がせている。顔を赤らめた凛子が(あき)(なが)ら、

相変(あいか)わらず、随分(ずいぶん)特殊な(いかれた)表現をする(ヤツ)ね」

 と、()えば、ひろみも、

「本当。最低」

「ムッキー。エッチなんだよ。彼奴(あいつ)は」

 と、散々(さんざん)である。唯一(ゆいいつ)、高志だけが、

「そうかなあ。でも、此方(こっち)の方がピンポイントで状況が伝わるだろ。彼奴(あいつ)も、病状(びょうじょう)を説明する際には、看護婦さんにもそう()って説明していたみたいだし…」

「えええっ、看護婦さんに()れを()ったの?」

 流石(さすが)に顔を赤らめ(なが)ら、祐子が(あき)れる。

「なんしろ、馬鹿(バカ)だからなあ。彼奴(あいつ)は」

()れって、ただの、医療従事者に対するセクハラじゃないの?」

 と凛子が(いきどお)る。

「そうかなあ。(おれ)は、文学的で良い表現だと思うがな。」

何処(どこ)がよ。()のおたんこなす」

「うわあ、待て待て。暴力反対」

 (いき)り立つひろみを、高志が(なだ)(なが)ら、祐子が先を(うなが)した。

()れで、動悸(どうき)不整脈(ふせいみゃく)の方は治ったの?」

「まあ、徐々(じょじょ)(おさ)まって来た様だ。(ただ)、生活態度を見直す事を強く(すす)められたらしい。()れと、当面(とうめん)の間の安静かな」

「まあ、()れはそうでしょうけれど…。でも、執筆(しっぴつ)活動って、()ったって、元々(もともと)彼奴(あいつ)が好きでやっている事でしょう。()れ程、無理(むり)をしているとも思え無いのだけど…」

「いや、()れがそうでも無いらしい。()れは、彼奴(あいつ)直接(じか)に聞いたんだが、()(ところ)、月間執筆(しっぴつ)作業量が原稿用紙に換算(かんざん)して、(おおむ)ね、百枚程度らしいんだ。まあ、先刻(さっき)、凛子が()った様に、()(この)んでやっている事だから、然程(さほど)、苦痛でも無かったらしい。だが、()れでも、アップ前には、不眠不休(ふみんふきゅう)で作業をして、()(まま)、会社に行ったり、丸一日、絶食(ぜっしょく)したりと、年齢(とし)も考えずに、随分(ずいぶん)無茶(むちゃ)真似(マネ)をしていた様だ」

「おい、絶食(ぜっしょく)したのなら、血糖状況(けっとうじょうきょう)は改善する(はず)だろ?」

 疑問を(てい)するのは明彦である。

()れが、そうでも無いらしいのさ。正太ならわかるだろ」

「ああ、高志の()うとおりだと思うぜ。(かえ)って悪化(あっか)すると思うぞ」

「ええっ、何で?」

「決められた時間に、決められた食事量。そして、決められたインスリンの方が絶対に血糖状況(けっとうじょうきょう)が安定するんだよ。(たし)かに、絶食(ぜっしょく)すれば血糖値(けっとうち)は上がらないだろうけど、永遠に絶食(ぜっしょく)を続ける事は出来(でき)やしない。いつかは必ず食事をする。だが、(おれ)の経験則で()えば、()の時、間違い無く、普段(ふだん)以上に食事を摂取(せっしゅ)する。つまり、食い過ぎる(わけ)だ。結果(けっか)血糖値(けっとうち)()ね上がる。()れも、途轍(とてつ)も無くな」

 ()れは、正太郎の持論(じろん)の通りであろう。決められた量(カロリー制限された)の食事自体(じたい)習慣化(しゅうかんか)する事は、かなりの難易度であり、多くの人は、()れを定着化(ていちゃくか)する事に、心を(くだ)いているのである。()習慣(しゅうかん)自体(じたい)、意志の弱い人間にとっては、相当(そうとう)な困難が伴う事に違いない。そんな状況下で、絶食(ぜっしょく)などすれば、()の反動で、摂取(せっしゅ)時には、過剰摂取(かじょうせっしゅ)になるに決っている。

「だから、彼奴(あいつ)が入院する前の血糖状況(けっとうじょうきょう)は、相当(そうとう)手の付けられない状況だったに違い無いぜ。何より、高々、2週間の入院で其処(そこ)(まで)、劇的に血糖状況(けっとうじょうきょう)が改善すると()うのは、()(まで)相当(そうとう)出鱈目(デタラメ)な食生活を送って来た証左(しょうさ)に他ならねえ」

(たし)かにな」

「つまり、入院生活で健康的な生活を送ったお陰で、血糖状況(けっとうじょうきょう)は改善されたけど、神経障害(しんけいしょうがい)亢進(こうしん)したと()(わけ)ね」

「まあ、そう()う事だな。ああ、()れと神経障害の薬を追加されたんだが…、()れが中々に剣呑(けんのん)でな」

一体(いったい)如何(どう)したのよ?」

「何でも、男性機能障害になったらしい」

「男性…機能…障害?」

「何でも、野郎(やろう)。前に神経障害の薬を追加された時は、ただのビタミン剤だったから、結構(けっこう)、軽く考えていたらしい。(ヤツ)自身も神経障害を劇的に改善する薬は無いと()う認識を持っていたそうだ。(ところ)が今回処方(しょほう)されたのは、なんちゃらとか()抗鬱剤(こううつざい)だったそうで…」

抗鬱剤(こううつざい)?」

「ああ。知ってのとおり、野郎(やろう)()る意味、(うつ)対面(といめん)にいる様な(ヤツ)だろ。(しばら)くはかなり騒々(そうぞう)しかったそうだ」

「ふーん」

()れで半年くらい()の薬を服用して、初めて異常に気がついたそうだ」

「でも、アレが元気なくなったのなら、(すぐ)にでも気がつきそうなものじゃない?」

 顔を赤らめ(なが)ら、凛子が突っ込む。(しか)し、高志がにやつき(なが)ら、全力で否定する。

(ところ)が、()れがそうじゃあ無いんだな。つまり、勃起不全(インポテンツ)()(わけ)では無く、何でもイケ無くなったらしい」

「はあ?」

「つまり、射精出来(イケ)なくなったんだそうだ。(ヤツ)()わせると、(まさ)()の世の地獄の様だったみたいだぜ。先刻(さっき)、凛子が()ったとおり、元気がなくなるのなら、野郎(やろう)(いく)馬鹿(バカ)でも、(すぐ)にでも気がついたんだろうが、そうじゃ無いからなあ。まさか、感じなくなるのが、薬の作用とは思わなかったそうだ。結局(けっきょく)、しまいには(ヤツ)のかみさんも怒ってしまったそうだ」

「何で、かみさんが怒るんだ? 喜ぶんじゃないのか?」

 無邪気(むじゃき)な敬介の問い掛けに、女子は()()になり、いずなは憤然(ふんぜん)とする。

「ムッキー。ケースケのエッチ」

 祐子は酢を飲んだ様な顔をしている。ひろみが(つぶや)く。

「でも、()の状況を説明するだけでも一苦労(ひとくろう)ね。(いく)彼奴(あいつ)でも、看護婦さん相手に流石(さすが)()いにくいでしょ」

「何を()いやがる。野郎(やろう)馬鹿(ばか)だからな。(おれ)が聞いた話では、看護婦さん相手に嬉々(きき)として説明していたそうだぞ」

「…」

()れで、如何(どう)なったの?」

「何でも、薬を()めて一月ほどした(ところ)で、かみさん相手に(しか)るべき(ところ)で試してみたそうだ。無事(ぶじ)出来(でき)たみたいだぞ。何でも嬉しくて年甲斐(としがい)も無く3回ほど抜いたそうだ。まあ、結局はかみさんに怒られたそうだがな。『彼処(あそこ)()りきれ過ぎて痛い。前と同じ』だって。まあ、今日の教訓は過ぎたるは(およ)ばざるが(ごと)し、と()う事だな」

彼奴(あいつ)馬鹿(ばか)なのは仕方(しかた)ないとしても、あんたも大概(たいがい)よね。普通、女の子を前に、そう()う話する?」

()いんだよ。なんでも彼奴(あいつ)十日物語(デカメロン)やカンタベリー物語みたいな小説を目指しているみたいだから」

()れ、絶対に嘘だろ。十日物語(デカメロン)にしても、カンタベリー物語にしても、()話程(はなしほど)下品(げひん)じゃあ無いぞ。彼奴(あいつ)、絶対に読んだ事ねーだろ。」

 (いき)り立つのは正太郎である。

「まあ、なんしろ、野郎(やろう)の話だからなあ。…彼奴(あいつ)、若い(ころ)から、向精神薬(こうせいしんやく)(たぐい)とは相性が悪いらしいんだ。なんでも、30代の頃、(ひど)い肩こりと眩暈(めまい)に悩まされたそうだ。大きな病院へも行ったんだが、なかなか診断が付かない。結局(けっきょく)不定愁訴(ふていしゅうそ)()う事になったんだが、肩こりは治まらない。そんな時、同級生のやってる耳鼻科に行ったんだが、筋緊張性(きんきんちょうせい)頭痛炎(ずつうえん)()う事で、ある薬を処方(しょほう)されたらしい、()の薬を飲んだら、立ち処(たちどころ)に肩こりは雲散霧消(うんさんむしょう)したらしい」

「へえ…」

(やつ)無頓着(むとんちゃく)だからな。何の薬か良く判らずに服用をしていたらしい。其の薬、確かに肩こりは(おさ)まるんだが、(ひど)く眠くなったらしい。仕事中は勿論(もちろん)の事、パチンコをし(なが)ら寝入ってしまった事もあったそうだ」

 葵が(たず)ねる。

一体(いったい)、何の薬だったの?」

「精神安定剤」

「安定剤?」

「ああ、挙句(あげく)()てに、野郎(やろう)。かみさんと(いた)している時にもグーグーと寝入ってしまったそうだ」

「…」

 葵が()()になって(うつむ)く。ひろみが(たず)ねる。

「…()れで、如何(どう)したのよ?」

「怒ったかみさんに()(ぱた)かれたんだそうだ。何でも、()(あと)、2週間、させてもらえなかったそうだぞ」

 凛子が(あき)れた様に(つぶや)く。

結局(けっきょく)何方(どっち)此方(こっち)其方(そっち)の方向に話を持っていく(わけ)ね。真面目(まじめ)に聞いて損した」

「ムッキー、ハロゲン族。最低」

(おれ)がか? 野郎(やろう)じゃねーのか?」

何方(どっち)何方(どっち)でしょ」

 (いき)り立つひろみ。祐子が(あわ)てて閑話休題(かんわきゅうだい)をする。


()れで、肝心(かんじん)の神経障害の方は?」

「ああ、それも、大分(だいぶ)、落ち着いて来た様だ。昨日(きのう)、うちに来て、快気祝いとか(しょう)して、親父と()んでやがった」

相変(あいか)わらず、胡散臭(うさんくさ)い、人間関係ねえ」


 凛子が(あき)れた処で、皆も羊羹(ようかん)を食べ終わり、おいべつさんへ出発と()う事にあいなった。来月には、学校の(そば)、秋葉神社の祭礼(さいれい)が十五日にあるが、(もっと)も、()の頃は、完全に冬となっているだろうし、何よりも期末試験直前である。今日の様に集まる事は難しいであろう。正太郎はそんな事を考え(なが)ら、晩秋(ばんしゅう)祭礼(さいれい)を楽しんだのであった。

どんなに平穏な日常を送る者であっても、其の一瞬の判断が他者の生死を分かつ瞬間がある。其の時にどんな判断を下すのか? それは、人それぞれの人生観に基づいた、個人個人の考え方によって判断は分かれて来るのである。そして、若し、其の救助に優先順位があったとしたのならば…。次回、『第27話 トリアージ【前編】』。お楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ