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第23話 Hard to Say I'm Sorry

「まあまあ、そう(かた)くならずにだな、自宅に()るつもりで(くつろ)いでくれ」

 高志が麦茶を(すす)(なが)ら、愛想(あいそ)笑いをする。焙煎(ばいせん)した大麦の種子(しゅし)(こう)ばしい(かお)りが正太郎達を、丁重(ていちょう)(もてな)す。

(くつろ)げ、つわれてもなあ…」

 正太郎は、(たたみ)の上に胡坐(あぐら)をかき(なが)ら、多少(たしょう)迷惑(めいわく)そうに答える。ベージュのスラックスに水色のセーターと、(わり)気軽(カジュアル)な、()()ちではある。周囲(あたり)を見渡せば、黒ずんだ(たたみ)に、(くす)んだ色の漆喰(しっくい)の壁。部屋(へや)()(なか)の空間の上方には、太く()(くろ)(はり)が渡されている。(さら)に、(はり)の上には、(あたか)()(くろ)射干玉(ぬばたま)(ごと)黒猫(くろねこ)(うずくま)っている。高志は()黒猫(くろねこ)を見上げ(なが)ら、(おもむろ)(つぶや)いた。

「おお、ガンツ先生、其処(そこ)()たのか。(わり)いが、お客さんが来たからな」

 そう()うと、高志が廊下(ろうか)との障子(しょうじ)()(はな)った。ガンツ先生と呼ばれた黒猫(くろねこ)も、実に心得(こころえ)た物で、(はり)の上からひらりと飛び降り、一つ大きく欠伸(あくび)をして伸びをすると、正太郎達を一瞥(いちべつ)もする事無くスーッと音も無く廊下(ろうか)へ出て行った。

「へえ、(なん)かハイカラな名前だね」

 祐子はガンツ先生と呼ばれた黒猫(くろねこ)優雅(ゆうが)(しな)やかな後姿を見送り(なが)ら感心する。

「ああ、ガンツ先生か? もう、じいさんなんだが、ああ見えても、昔は良く(ネズミ)を取ってきたもんさ。えっ、名前の由来(ゆらい)か? 彼奴(あいつ)がああして丸まっているとガンツ玉そっくりだからな」

成程(なるほど)な」

 そう()(なが)ら、正太郎は周囲(しゅうい)顧眄(こべん)した。(まご)事無(ことな)き、農家の2階である。昭和の初期。(ある)いは()れ以前からの、年代物(ねんだいもの)の家に相違無(そういな)い。(ひど)く古びてはいるものの、質素(しっそ)朴訥(ぼくとつ)(つく)りが、高志の(かざ)()の無い天衣無縫(てんいむほう)人柄(ひとがら)髣髴(ほうふつ)とさせ、古ぼけた実用一点張(いってんば)りの調度類(ちょうどるい)も、歴史の(おも)みと()うよりも、(むし)清潔感(せいけつかん)すら(ただよ)っているのである。家の前には旧国道一号、旧東海道が走っている。(すなわ)ち、此処(ここ)は東海道五拾三次の第拾七(じゅうしち)宿、興津宿(おきつしゅく)の中心部なのである。()(はな)たれた窓からは、秋の(うら)らかな陽射(ひざ)しの中、街道(かいどう)()()けて行く爽籟(そうらい)が、(わず)かばかりの()(くさ)(ほこり)と歴史の(にお)いを置き土産(みやげ)に、足早(あしばや)に走り去って行くのが感じられた。

「へえ、(すご)いね。高志君のお部屋(へや)(なん)()いなあ」

 白のブラウス、ピンクのカーディガンにデニムのスカートを着込んだ祐子が、乱雑(らんざつ)に散らかった高志の学習(つくえ)の前に置かれた椅子(いす)腰掛(こしか)け、物珍(ものめずら)しそうに、窓から眼下(がんか)街道(かいどう)見下(みお)ろしている。お向かいは銀行の様である。目の前に大きな臙脂色(えんじいろ)の看板が見えた。高志の(つくえ)には、物理や数学の参考書が、無造作(むぞうさ)に投げ出され、奥には、小学校時代の彼の作品であろうか、木彫(きぼ)りのレタースタンドが置いてあり、()(また)無造作(むぞうさ)葉書(はがき)類が、置き忘れられたかの(てい)()さっている。

「ははは、そうだろ、そうだろ。(なん)でも、此処(ここ)は、江戸時代には庄屋(しょうや)のお屋敷(やしき)だったらしいぜ」

 高志が自慢気(じまんげ)に説明をする。今日は鼠色(ねずみいろ)のスエットに、濃紺(のうこん)のトレーナー。例に()って、背面(はいめん)にでかでかと、『ハロゲン族』と、意味不明な文字が白色でプリントされている。(まった)一体(いったい)何処(どこ)()(よう)なトレーナーを購入してくるのであろうか?

「で、一体(いったい)(なん)の用だ。態々(わざわざ)、三連休の最終日に呼び出しやがって…。(しか)も、(ダイアビーティス)(・メリタス)患者には、ハードルのたけえ店ばかり案内しやがって…。悪魔か? おめーは」

 正太郎は、(さなが)ら家康公の(しか)み像の様な格好(かっこう)で、胡坐(あぐら)をかいた(みずか)らの足に頬杖(ほおづえ)をつき(なが)ら、(しぶ)い顔で高志に説明を要求した。

「まあ、おいおいとな…」


 ()の日、(すなわ)ち、十月上旬(じょうじゅん)の三連休の最終日に、正太郎と祐子は高志の家に遊びに来ていた。昨日(きのう)、つまり、正太郎が祐子と、三保(みほ)にサイクリングに出掛けた日の事だが、正太郎が家に帰り着くや(いな)や、高志から誘いの電話があったのだ。『ちょっと、相談したい事がある。』との、事だった。()(のち)紆余曲折(うよきょくせつ)(すえ)結局(けっきょく)、祐子と二人で、連れ立っての訪問となった(わけ)である。朝の10時に興津(おきつ)名刹(めいさつ)清見寺(せいけんじ)門前(もんぜん)での待ち合わせである。そして、()の後、三人で清見寺(せいけんじ)参拝(さんぱい)して、有名な老舗(しにせ)饅頭(まんじゅう)屋で、宮様まんぢうを購入した後、興津(おきつ)の昔(なが)らの通りを()け、有名なケーキ屋で、午餉(ごしょう)がわりに、ケーキを振舞(ふるま)われ、(さら)に、有名な鯛焼(たいや)き屋を冷やかしがてら、岡本家の客人(まろうど)となったのである。饅頭(まんじゅう)やケーキ、鯛焼(たいや)きには目が無い、肥満系女子である祐子にとって、それはそれで、至福(しふく)一時(ひととき)であったのであろうが、食事制限に呻吟(しんぎん)する正太郎にとっては、難行(なんぎょう)苦行(くぎょう)の連続でもある。(しか)も、現時点に()いて、高志の用向(ようむ)きは、皆目(かいもく)見当(けんとう)()かない。

「で、一体(いったい)、用事って何なんだ。まさか、ケーキや鯛焼(たいや)きを(おご)りたかった(わけ)じゃ無いだろう」

 (ふたた)び、正太郎が先を(うなが)した。

「ああ、()れなんだが…」

 高志はそう()うと、(つくえ)の上から取り出した一枚の絵葉書(えはがき)を、ピシッと指で(はじ)いて、(たたみ)の上を(すべ)らせ、正太郎の(もと)に送った。絵葉書(えはがき)は、(たたみ)の上をクルクルと回転し(なが)ら、ぴたりと正太郎の前に止まった。

絵葉書(えはがき)?」

 正太郎は(いぶか)(なが)ら、()葉書(はがき)を手に取る。一面(いちめん)の銀世界が広がっており、画面中央(あた)りの雪原(せつげん)に、葉を落としたポプラであろうか、背の高い()が見える。()の背後には遠く雪を(いただ)いた山並(やまな)みが続いており、一風(いっぷう)物寂(ものさび)しげな風景(ふうけい)である。写真のピント、構図(こうず)具合(ぐあい)から見ても、明らかにプロの手による写真では無い。素人(しろうと)自己(じこ)の撮影による写真を、パソコンか何かで印刷した葉書(はがき)相違無(そういな)い。正太郎は(おもて)を返して見た。

寒中見舞(かんちゅうみま)い?」

「ああ」

 ()葉書(はがき)宛名書(あてながき)岡本高志(たかしあて)様となっており、横には記念切手であろうか。カラフルなエゾシカの切手が()られていた。祐子も、しげしげと、横から(のぞ)き込む。

(めずら)しい消印(けしいん)だね」

「ああ」

 消印(けしいん)は、ユーモラスなヒグマのイラストの消印(けしいん)である。(おそ)らくは、特殊(とくしゅ)消印(けしいん)であろう。正太郎が(おもむろ)に説明を始めた。

成程(なるほど)特殊(とくしゅ)消印(けしいん)だな。(ぞく)()う、風景印(ふうけいいん)って(ヤツ)だ。取り(あつか)い局は…、えーっと、東旭川(ひがしあさひかわ)局ってなっている。祐ちゃん、特殊(とくしゅ)消印(けしいん)ってのはね、()消印(けしいん)を取り扱っている郵便局に郵便物を持ち込み、希望すると押してもらえるんだ。えーと、日付はっと、今年の1月…、1月23日だ」

「へー、そうなんだ」

 祐子が目を(ほそ)めて感心する。宛名面(あてなめん)の下に文面(ぶんめん)があり、達筆(たっぴつ)なボールペンで、以下の文面(ぶんめん)丁寧(ていねい)(したた)めてあった。


寒中(かんちゅう)見舞(みま)い申し上げます。

 もうすぐ、受験ですね。高志君は、いつも無茶(むちゃ)しがちだけど、高志くんの学力なら、落ち着いて(のぞ)めば、何の心配も()らないと思うよ。お(たが)いに頑張(がんば)ろうね。高志君は小さい(ころ)、体が弱かったけど、今はスポーツマンだから、安心かな。でも、無理(むり)禁物(きんもつ)だよ。いろんな事があったけど、(すご)く楽しかったな。ありがとう。それじゃあ、元気でね。さようなら。□佐々木(ほたる)


 差出人(さしだしにん)名はあるが、特に、住所等は(しる)されていない。正太郎は文面(ぶんめん)繁々(しげしげ)(なが)(なが)ら、高志に(たず)ねた。

「高志くんの学力ならって…、随分(ずいぶん)と上から目線(めせん)なんだな。で、()葉書(はがき)如何(どう)したんだ?」

 高志が少し困惑(こんわく)した(よう)に、肩を(すく)(なが)ら答えた。

「いや、聞きたいのは、此方(こっち)なんだが…」

抑々(そもそも)()の、佐々木(ほたる)って、何者(なにもん)なんだ?」

「ああ、此奴(こいつ)は、(おれ)の同級生で、幼稚園(ようちえん)からの、(くさ)(えん)だ。(ほたる)なんて(しお)らしい名前とは裏腹(うらはら)に、とんだ山猫だ。()(かく)、ガチャついた野郎(やろう)でなあ…。(なん)にでも、首を突っ込んで来やがるし、(うるせ)え事、()の上()え。()の上、いつも、お姉さん気取(きど)りで、人のやる事にあれこれ口を出して、掣肘(せいちゅう)して来やがる」

 祐子が今更(いまさら)(なが)ら、(おどろ)いて、

「お姉さんって、女の子なの?」

「ああ、とんでも()え、お(ちゃ)っぴいだ」

「何とも、古風(レトロ)な表現だなあ。()れで、如何(どう)()う関係だったんだよ?」

如何(どう)()うもねーよ。先刻(さっき)()った(よう)に、(ただ)(くさ)(えん)だ。まあ、器量(きりょう)其処(そこ)其処(そこ)可愛(かわい)かったんだが、(なに)しろ、あの、性格だからなあ…。初中(しょっちゅう)喧嘩(けんか)ばかりしてた」

 正太郎が(たず)ねる。

「美人だったのか?」

 高志は何処(どこ)か遠い眼差(まなざ)しをし(なが)ら答えた。

「まあ、其処(そこ)其処(そこ)な。…そうだなあ。俺達(おれたち)の知ってる(やつ)(たと)えると、おお、そうだ。ひろみが、かなり近いかな。顔立(かおだ)ちと()い、勝気(かちき)(ところ)()い、あの、ガチャついた(ところ)()い、暴力的な(ところ)()い…」

「…おい」

「もう、ひろみちゃん、怒るよ」

「いや、雰囲気(ふんいき)てえか、物腰(ものごし)がだな…。だけど、いろいろ、違う(ところ)もあったぞ」

 高志は(あわ)てて、弁解(べんかい)する。

「あー、そうそう。勉強だ」

「?」

「中学校時代、(おれ)はあのお(ちゃ)っぴいに、テストでは一度も勝てなかった…」

「へっ? テストでって…、まさか、おまえがか?」

 高志は清高の中にあっても成績上位者、所謂(いわゆる)壁新聞組(かべしんぶんぐみ)だ。正太郎は目を()いた。

「ああ…」

 高志が静かに(うなず)く。

「本当かよ? おまえが一度も勝て()かったって…」

「ああ…、(おれ)が中学で学年トップを取ったのは、3年3学期の学年末だけだ。あのお(ちゃ)っぴいは中学3年間、常に首席(トップ)だった。(おれ)はお陰で、万年シルバーコレクターさ。()れとそう、胸だな」

「胸?」

「ああ、(おれ)推定(すいてい)では、99のGカップだ…」

 正太郎はじろりと高志を一瞥(いちべつ)すると、(あき)れた様に釘を刺す。

「…おい、()の情報。抑々(そもそも)、本当に、本件(ほんけん)必須(ひっす)の情報なんだろうな?」

 正太郎はそう()(なが)らも、横目でちらりと祐子の()れを流し見る。99と()えば、祐子と()い勝負である。(しか)し、目敏(めざと)(さと)った祐子が、両腕(りょううで)で胸を(かく)(なが)ら、

「もう、正ちゃんのエッチ! 一体(いったい)何処(どこ)見てんのよ」

「わったった」

 正太郎は()()になり(なが)ら、

「こら、高志。おめーが()まんねー事、()ったせいでだな…」

 高志が冷笑(せせらわら)う。

「何を()いやがる。()のムッツリめ。まあ、正太。中々、()い着眼点だ。そう、大体(だいたい)、99って()うと、祐子ちゃん規模(スケール)だ。そう()(わけ)で、()(あた)りは、ひろみが逆立ちしても(かな)わなかっただろうな…」

「もう、高志君。ひろみちゃんが本当に怒るよ」

 と、祐子が私憤(しふん)(あらわ)に、やんわりと(くぎ)()せば、正太郎もニヤニヤし(なが)ら続く。

「つまり、お前の、ドストライク・ゾーンの子だった(わけ)だな。(よう)するに、ひろみの耳に入ったら、全治(ぜんち)一ヶ月コースって(わけ)だな」

(やかま)しい。(だれ)があんなお(ちゃ)っぴいを…。まあ、そんな(わけ)だ。()し、野郎(やろう)が清高に入学していたら、学業面(がくぎょうめん)()い、おっぱいと()い、祐子ちゃんの強力なライバルになった(はず)なんだ。…入学していれば、の話だがな」

 祐子がふくれる。

「もう、私、そんなの(きそ)って無い。…後者の方は、特に…」

 正太郎は、怒れる祐子を尻目(しりめ)に、

「でも、結局(けっきょく)、清高に入学しなかったんだな。そんなに勉強が出来(でき)たんなら、静岡長谷高あたりじゃ…」

「いや、如何(どう)やら、其方(そっち)見当(けんとう)違いの(よう)だ。て()うよりも、もう、興津(おきつ)には住んで()えみてーだ」

「まさか、失踪(しっそう)事件?」

 祐子が目を輝かせ(なが)ら、(たず)ねる。高志は首を振り(なが)ら、

「いや、まさか、そんなバカな事は…」

 正太郎は唐突(とうとつ)に、

「で、一体(いったい)、何をやらかしたんだ?」

「へっ?」

「いや、お前が何かやらかしたのかなあって、(たと)えば、()の、胸か何かを触ったんじゃねーかと…」

「ば、ば、バカヤロー。()うに事欠いて、(なん)てえ事()いやがる。そりゃ、(たし)かに、食指(しょくし)をそそる魅力的(みりょくてき)なおっぱいではあったが、相手はあのお(ちゃ)っぴーだぞ。山猫みてーな野郎(やろう)だぞ。そうだ、ほれ、ひろみを想像してみろ。とても、出来(でき)る事じゃねーだろ」

「いや、()れでも、お前、ひろみには、やってたよな。()れも、何度(なんど)と無く」

「ぐっ…」

 ぐうの()も出ないとは、(まさ)に、()の事であろう。


 高志の話に()れば、佐々木(ほたる)は中学3年の二学期(まで)普段(ふだん)と変わり無く、興津(おきつ)一中に()たらしい。一体(いったい)に、受験期の()の時期になると、()た学力レベル、同じ志望校の生徒同士でつるむ事が多くなる。彼らは強力なライバルであると同時に、大切な戦友(とも)でもあるのだ。クラスも高志のクラスであり、学業的にも、高志と同等以上のレベルであった(わけ)だから、自然とつるむ事が多くなって来た。まあ、とは()っても、元来(がんらい)幼馴染(おさななじみ)であり、いつも高志のお姉さんの(よう)振舞(ふるま)っていた(わけ)であるから、相変(あいか)わらず、喧嘩(けんか)ばかりの毎日(ひび)だったそうだ。高志が聞いていた限りでは、(ほたる)の志望校は清水高校の普通科であった。彼女の成績からすれば、特進科で無いのが、若干(じゃっかん)違和感(いわかん)がある(ところ)ではあるが、高志は、『(おれ)の志望が普通科だったからな』と、(うそぶ)いていた。状況(じょうきょう)(かんが)みれば、()れも(あなが)ち、的外(まとはず)れな話では無かったのかもしれない。まあ、()れを()えば、高志の普通科志望も違和感(いわかん)が有ると()えば、()(わけ)なのだが…。(しか)し、事態(じたい)一変(いっぺん)したのは、三学期に入ってからである。冬休みが明けても、(ほたる)は学校に出て来なかった。欠席理由も、当初(とうしょ)は体調不良との事であったが、2週間程経過した1月の中旬(ちゅうじゅん)(ころ)には、家庭の事情に切り替わったとの事だった。そして、あの寒中見舞(かんちゅうみま)いである。()なきだに、不安しか残らない。高志の中の嫌な予感は、どんどん、加速して行った。そして、中学最後の学年末テストで、高志は念願の学年トップをマークした。でも、そんな事は、もう如何(どう)でも良かった。(ほたる)()ない中でとった学年トップになぞ、最早(もはや)、何の興味も無い。高志は、清高の入試会場でも、(ほたる)の姿を探した。(やが)て、時は(めぐ)り、清高の入学式の日も、(ほたる)の姿を探し求めていたと()う。(しか)し、()れらの(すべ)てが徒労(とろう)に終わった。(ほたる)は、高志の前から、忽然(こつぜん)と姿を消してしまったのだ。


「つまり、(ほたる)ちゃんとやらは、昨年(さくねん)を最後に姿を消しちまった、て(わけ)だな。それで、手懸(てがか)りは、()葉書(はがき)だけって事なんだな」

「ああ」

 葉書(はがき)を、()めつ(すが)めつしていた祐子が、口許(くちもと)に人差し指を当て(なが)ら、

「ねえ、正ちゃん。()の写真というか、()()見覚(みおぼ)えがあるの。()のポプラの()富良野(ふらの)何処(どこ)かにある、昔、CMとかで有名になった()じゃあないかなあ…」

「おー、そう()えば、(たし)かにそうだ。ケンとメリーの()だ! (たし)か、北海道の美瑛町(びえいちょう)じゃ無かったかな」

美瑛町(びえいちょう)なら、旭川(あさひかわ)市の南(となり)だよ。()消印(けしいん)にも合致(がっち)するよ」

 高志は(あき)(なが)ら、

「おめーら、随分(ずいぶん)(くわ)しいなあ。美瑛(びえい)に行った事あんのか?」

「うんにゃ。ねーよ。抑々(そもそも)(ほとん)ど静岡から出た事が無えからな。行った一番の北限(ほくげん)が東京だ」

「私は有るよ。100回位行ったかな。行くと、大体(だいたい)、ジャガイモ畑やチューリップ畑、他にも美瑛石(びえいせき)工場を買うんだよ」

「???」

 意味が分からず、呆然(ぼうぜん)としている高志を尻目(しりめ)に、正太郎が(しぶ)い顔で、

「祐ちゃん。それ、桃鉄の話だろ…。(まった)く、もう…」

「えへへ…」

 高志が()()になって、()える。

「えへへ、じゃねーだろ! (まった)く、お前らときたら…、如何(いか)にも見て来た(よう)()うから、てっきり、美瑛(びえい)に行った事があるのかと…」

 そんな事を()ってる高志に、取り合わず、正太郎が続ける。

「だが、()葉書(はがき)。いろいろと、(みょう)(ところ)があるぞ…」

「うん」

 祐子も(うなず)く。

「まず、差出人(さしだしにん)住所が無い。これは、かなり(みょう)だ」

「そうだね」

(たと)えば、(おれ)が祐ちゃんに葉書(はがき)を送る時、(おそ)らく、自分の住所は書か無い。そりゃ、そうだ。当然、祐ちゃんは(おれ)の住所を知っているだろうし、()し、旅先だとしたら、○○に()いて、とかに成るだろう。だが、()の場合は、明らかに違う。高志からみれば、(ほたる)ちゃんは失踪中(しっそうちゅう)なんだ…」

「うん。そうだね」

「でも、一方(いっぽう)で、()れに相反(そうはん)する事実が有る。()の写真のケンとメリーの樹、風景(ふうけい)印、エゾジカの記念切手。(すべ)てが北海道を指向(しこう)している。特に風景(ふうけい)印は致命的(ちめいてき)だ。北海道。それも、旭川(あさひかわ)周辺に()る事は確実だ。いや、()(どころ)か、英語で()(ところ)の、アイム・ヒア(私は此処(ここ)にいるよ)と()った意思すら感じる。少なくとも、書き手は、何処(どこ)にいるか(まで)韜晦(とうかい)する気は、更々(さらさら)、無かったらしい…」

「…そうだね。()のエゾシカの記念切手だって、高志くんに気を使っての事だと思うよ」

「だが、何よりも奇妙(きみょう)なのは、()文面(ぶんめん)だ。如何(どう)考えてもおかしい。」

「本当だね」

 高志が()って入った。

「おいおいちょっと、待て。別に、文面(ぶんめん)はおかしく無いだろ」

「いや、かなりおかしいよ。()文面(ぶんめん)要約(ようやく)すると、『受験がんばろう。体に気をつけて。色々(いろいろ)、楽しかった。さようなら。』だ」

「そりゃ、端折(はしょ)り過ぎだろ。でも、()れの、何処(どこ)が変なんだよ?」

淡々(たんたん)とし過ぎているんだよ。事務的ってうか、本心を韜晦(とうかい)しているって()うか、そんな印象(いんしょう)を強く受けるんだよ。音信不通(おんしんふつう)幼馴染(おさななじみ)が、態々(わざわざ)、筆を()って、書いているんだぜ。(なん)で、こんな他人行儀(たにんぎょうぎ)な手紙を書かなきゃならないんだ? まるで、感情を極端(きょくたん)(おさ)えた(よう)印象(いんしょう)すらあるんだぜ。普通、如何(どう)考えても不自然だろう。(おれ)が祐ちゃんと喧嘩(けんか)した後に、旅先で手紙を書いたとしても、()うはならない。もう少し、気の()いた事を書く。此方(こっち)の心情とか、風景(ふうけい)の感想とか、旅情(りょじょう)(ある)いは、()(わけ)とかさ」

「ずばずば、来るなあ」

「それを、態々(わざわざ)、筆を()ったにも関わらず、こんな淡白(たんぱく)な手紙を送って来る。其処(そこ)が一番奇妙(きみょう)(ところ)なんだ…」

 (しか)し、其処(そこ)で会話は中断された。階下(かいか)で高志の母親が、高志を(しき)りに呼んでいる。

「ったく、ばばあの奴、(うるさ)いなあ。ちょっと、行ってくらあ」

 高志は階下(かいか)に降りて行った。残された二人は顔を見合わせた。


「なあ、如何(どう)思う? 祐ちゃん。一応(いちおう)()れは恋文(こいぶみ)だとは思うんだけど…」

「正ちゃんが()ったとおりだと思うよ。でも、私はもっと不吉な印象(いんしょう)を受けたな。…()の最後のさよならだけど、英語で()(ところ)の、ソー・ロングやシー・ユー・アゲインじゃ無い(よう)な気がする。(むし)ろ、フェアウェルやロング・グッバイって(やく)すのが適切(てきせつ)だと思う。…あんまり、穏当(おんとう)比喩(ひゆ)では無いとは思うんだけど、()し、私が、今年の七夕(たなばた)祭りの直後(ちょくご)に、正ちゃんと(はな)(ばな)れになったとしたら、()()文面(ぶんめん)の手紙を書いたかもしれない…。それと、もう一つ気になるのが、署名(しょめい)の上の白い四角」

「ボールペンで()りつぶした後、ホワイトで()りつぶしてあるね」

「…名前を直したのだと思う」

「でも、名前を直すって、一体(いったい)如何(どう)()状況(じょうきょう)だよ? 普通、有り()ないだろ…」

()れはそうなんだけど、()のホワイト。そう、考えるのが、一番、自然なんだけどなあ…」


「ああっ!」

 其処(そこ)で、ぼんやりと高志の(つくえ)上を(なが)めていた(はず)の正太郎が、押し殺した(よう)悲鳴(ひめい)を上げると固まった。高志の(つくえ)の一点を凝視(ぎょうし)している。

如何(どう)かしたの?」

 (いぶか)って、体を寄せて(たず)ねる祐子に、正太郎が、(だま)って(ゆび)さした乱雑(らんざつ)な高志の(つくえ)其処(そこ)には、(くだん)のレタースタンドが置いてあり、何枚かの葉書(はがき)無造作(むぞうさ)に突っ込まれている。()の中の、一番手前の葉書(はがき)。パソコンで印刷をしたと思われる絵葉書(えはがき)(よう)だ。綺麗(きれい)な記念切手が()られており、消印(けしいん)が無い。(すなわ)ち、作成途上(とじょう)、あるいは、投函(とうかん)出来(でき)無かった物と思われる。下半分の通信面は、レタースタンドによって、ぎりぎり隠されていたが、宛先(あてさき)だけは確認出来(でき)た。宛先(あてさき)は北海道上川郡(かみかわぐん)美瑛町(びえいちょう)××北島(ほたる)様。となっていた。

()れは…、()苗字(みょうじ)…。佐々木じゃない! …北島だ。正ちゃん。()れって…」

「ああ、多分(たぶん)、高志の書いた返信の恋文(こいぶみ)だ。(ほたる)って名前は、名前自体が、かなり、(めずら)しい名前だろ。名前と()い、住所と()い、同一人物と見て、まず、間違い無い。()れが、書き掛けなのか、投函(とうかん)出来(でき)無かったのかは不明だけど…。でも、()れで、先刻(さっき)の四角の説明はつく」

 祐子が(つぶや)いた。

「今の苗字(みょうじ)を書き掛けて、(あわ)てて、高志君の知っている苗字(みょうじ)に書き直したんだ…」

 正太郎が(つくえ)上に、つと、手を伸ばし、葉書(はがき)を取ろうとした。(しか)し祐子が、(あわ)てて、それを押し(とど)めた。

「ストップ! 正ちゃん。()れだけは駄目(だめ)だよ。絶対に」

(なん)でだよ。祐ちゃん。真相に手が届くのかもしれないんだぜ」

()れでも、駄目(だめ)だよ」

 祐子の強い制止(せいし)に合い、正太郎も渋々(しぶしぶ)(あきら)めた。祐子は静かに続ける。

「でも、おかげで、大分(だいぶ)、分かったね。(ほたる)ちゃんの、今の名前と住所。それと、高志くんの()葉書(はがき)。とても、昨日(きのう)今日に、書かれた物では無いよ」

 正太郎が()(あと)を受けた。

「ああ、そうだ。葉書(はがき)自体(じたい)、かなり、日に焼けている。それに、最初の一文字。ぎりぎり、ウかんむりの字で有る事は、確認出来(でき)る。つまり…」

「…寒中見舞(かんちゅうみま)い?」

「ああ…、(おそ)らく、先刻(さっき)寒中見舞(かんちゅうみま)いの返信なんだろうな。まあ、内容は()して知るべしなんだが、(あわ)せて、推定(すいてい)出来(でき)る事実が一つ。少なくとも、高志は、()葉書(はがき)を書こうとした段階では、(ほたる)ちゃんの今の名前と、住所を知っていた事になる…。まあ、そう考えれば、先刻(さっき)美瑛(びえい)の話をした時の反応も(みょう)だったが…」

「そうだね。ケンとメリーの()の話の時だね。高志くんも、あれが美瑛(びえい)に有る事を前提(ぜんてい)に話をしてた…。つまり、美瑛町(びえいちょう)について、ある程度(ていど)、予備知識を持って()たんだ」

「だが、一方(いっぽう)で、先刻(さっき)の話では、高志は受験の時と、入学してから、清高で、(ほたる)ちゃんの姿を探したとか()っていたよな? つまり、(ほたる)ちゃんがどれ(くらい)北海道に()心算(つもり)(わか)ってはいない…。ひょっとしたら、受験の時に戻って来るかもしれないと希望的観測を持っていた事になる。()(かえ)えれば、何故(なぜ)(ほたる)ちゃんが北海道に()るのか、正確な理由は(わか)っていないと()う事じゃ無いのか? まあ、とは()っても、あの、(うそ)つき野郎(やろう)(すべ)正直(しょうじき)に話していれば、と()前提(ぜんてい)ではあるんだが…」

 一方(いっぽう)()(うそ)つき野郎(やろう)は、鼻歌()じりに、階段をとんとんと登って来る。そして、部屋(へや)の前で正太郎を大声で()ばわった。

「おーい、正太。(わり)いが障子(しょうじ)()けてくれ。両手が(ふさ)がっているんだ」

 正太郎は、(だま)って障子(しょうじ)()けてやると、大きな盆を持った高志が入って来た。(さら)に、先程(さきほど)のガンツ先生もちゃっかりと、後ろからついて来る。盆には大きな(どんぶり)が2つ載っており、(どんぶり)にはこんもりと栗が盛られている。また、盆には、バター皿も()っている。()れを見た祐子の(ひとみ)が、(たちま)ち、お星様(ほしさま)になった。

「おお、正太。サンキュー」

如何(どう)したんだ? ()の栗?」

「今日は中秋(ちゅうしゅう)の名月だからな。お袋が()でてくれた」

「わあ、栗だあ。ねえ、高志くん。()れ、食べて()いの?」

()状況(じょうきょう)で、他に何があんだよ」

「うわー、やったー。(しか)も、バター(まで)有る。早速(さっそく)、食べようよ。高志くんありがとね」

 祐子は、早速(さっそく)、ほこほことした栗を手に取ると、もしゃもしゃと食べ始めた。其処(そこ)で、正太郎が、

「おいおい、祐ちゃん。ちったあ、遠慮ってえ物を…。まあ、()いや、高志、早く続きを話せや。北島(ほたる)ちゃんの話を…」

 そう()って、続きを(うなが)す。一方(いっぽう)、高志は目を(みは)る。

「…正太。おまえ、何故(なぜ)()の名前を…」

 そう()(なが)らも、不用意(ふようい)(さら)したレターケースに気が付いた。

「あーっ、まさか見たのか?」

「いや、見ようとしたけど、祐ちゃんに止められた。やっぱ、不味(まず)いか?」

「当たり前だ。(まった)く、油断(ゆだん)(すき)()え…」

 そう、()(なが)らも、何処(どこ)かホッとした様子(ようす)の高志であった。そして、先刻(さっき)の話の続きを始めた。


()くある話さ。家庭の事情って(やつ)だ」

 高志に()れば、(ほたる)の家は、両親の夫婦仲は(あま)()く無かったらしい。(ほたる)が中学に進学した(ころ)には、完全に冷え切っており、別居(べっきょ)同然(どうぜん)の状態であったとの事だった。如何(いか)勝気(かちき)で、(しっか)(もの)(ほたる)にとっても、(さぞ)かし、(つら)い現実であったに相違無(そういな)い。()()め切った夫婦の関係が、愈々(いよいよ)破綻(はたん)したのが、昨年(さくねん)の11月。(すなわ)ち、(ほたる)が中三の秋の事だった。翌年1月より、父親の海外赴任(かいがいふにん)が決定していた(ため)(ほたる)は母親の郷里(きょうり)である、北海道の美瑛町(びえいちょう)逼塞(ひっそく)する事となった。其処(そこ)(おもむろ)に、高志が()った。

勿論(もちろん)(ほたる)の父ちゃんや、母ちゃんを責めるつもりは無え。男女の事だからな…。だけど、(ほたる)の事をもう少し、考えてあげられ無かったのかと思うとな。結局(けっきょく)()()う時に、(ワリ)()うのは、何時(いつ)だって、子供だ」

 (もっと)も、高志が、事の次第(しだい)を知ったのは今年の初夏(しょか)、学校祭の(ころ)だと()う。高志のお袋さんの知人から(もたら)された情報により、(つまび)らかに成ったとの事だった。其処(そこ)で正太郎は口を(はさ)む。

(しか)し、お前、寒中見舞(かんちゅうみま)いを(もら)った直後(ちょくご)()の手紙を出そうとしてたよな? 抑々(そもそも)状況(じょうきょう)(わか)っていた(わけ)じゃあ無いのか?」

「ああ、あいつの特に仲の良かった女の子を()め上げた。まあ、苗字(みょうじ)を聞き出せた段階で、状況(じょうきょう)については、ある程度(ていど)、想像が付くからな。だが、彼女らも、詳細(しょうさい)については、(ほとん)(なんに)も知ら無かった。知っていたのは、今の住所と名前だけで、(ほたる)(ヤツ)、メアドすら()っていなかったらしい」

 祐子は、只管(ひたすら)、栗をもしゃもしゃ食べている。余程(よほど)、栗がお気に()した(よう)だ。ガンツ先生も、祐子の(となり)で栗をがりがりと(かじ)っている。時折(ときおり)、祐子が皮を()いてやると、大喜びでがっついていた。正太郎は、そんな様子(ようす)を目を(ほそ)(なが)ら、(なが)めていたが、(やが)て、高志を見据(みす)えると、静かに問いただした。

其処(そこ)で、最初の質問に立ち返るんだが…。一体(いったい)、何をやらかした?」

「…やっぱ、そうなるか?」

「当たり前だ。状況(じょうきょう)(おおむ)(わか)ったが、()れだけでは、あの、淡白(たんぱく)な手紙の説明は、(まった)く、()()い。…何かあったんだろ?」

「やっぱ、()わなきゃ駄目(だめ)か?」

 そう、前置きし(なが)ら、高志は静かに懺悔(ざんげ)を始めた。


 それは、文字通り懺悔(ざんげ)であった。2学期も終了したクリスマスの(ころ)(ほたる)が転校をせざるを()ない事を知っている、(ごく)、少数の女子が、お別れ会を兼ねて、クリスマスカラオケパーティーを企画した。人数は男女合わせて10人前後であり、(みんな)(ほたる)幼馴染(おさななじみ)である。勿論(もちろん)、高志も(まね)かれた(わけ)である。特に、(ほたる)(ほの)かな思いを斟酌(しんしゃく)した友人達からすれば、高志の招待(しょうたい)必須(ひっす)であった。(しか)し、(ほたる)は、最後の最後(まで)、高志に事情を説明するのを躊躇(ためら)っており、()る意味、メンバーの中で高志のみが、蚊帳(かや)の外の状況下(じょうきょうか)にあった。()れでも、一同(いちどう)は、大いに歌い、食べて、楽しい一時を過ごしたのであったが、そんな中で事件は起こった。


 (ほたる)にして見れば、万感(ばんかん)(おも)いがあったのであろう。高志の(となり)の席に(おさ)まると、世話(せわ)女房(にょうぼう)(よろ)しく、(はし)の上げ下ろしから、()れこそ、おかずの選別(まで)、あれこれ、高志の世話(せわ)を焼いていた。其処(そこ)で、高志が切れて()わずもがなの毒を()いたのだ。


『なんだ、手前は、先刻(さっき)から(うるせ)えな。おめえは、(おれ)の母ちゃんか何かか? 余計(よけい)な事はしねえで、すっこんでいろ! ドブス』


 無論(むろん)、高志の稚気(ちき)(あふ)れる()(かく)しもあったのであろう。高志自身に然程(さほど)の悪意が合ったものとも思われ無い。(しか)し、()合わせた全員は(こお)りついたと()う。正太郎は多少(たしょう)(あき)れて、

「ひでえ事、()うなあ…」

 高志は頭を(かか)(なが)ら、

()うな。本当に、何であんな事、()っちまったんだろ。」

()れで、(ほたる)ちゃんは?」

「良く覚えて()え。普段(ふだん)どおりだったとは思うが…」

 (しば)し、沈黙(ちんもく)(おとず)れた。祐子は、ガンツ先生と共に相変(あいか)わらず、もしゃもしゃと栗を()っている。

()れで、あの手紙か?」

「…ああ」

 ()の時、大人(おとな)しく栗を食べていた(はず)の祐子が、突然(とつぜん)(しゃべ)りだした。

「でも、高志くん。()し、心に()い目が有るのなら、()の手紙出した方が()いよ。でないと、1年後だろうが、2年後だろうが、10年後だろうが、50年後だろうが、心に後悔として、何時(いつ)までも残ると思うよ」

()の手紙をかあ? そうは()ってもなあ…」

 高志はそう()(なが)ら、口を(つぐ)んだ。屹度(きっと)()の言葉の先には、ひろみの(はかな)げな姿があったに相違無(そういな)い。

「まあ、()めて置くよ。今更(いまさら)感が半端(はんぱ)()えしな。()れに、抑々(そもそも)、今の(おれ)には、そんな資格も()え」

 高志は、如何(いか)にも仕方(しかた)()さそうに、肩を(すく)(なが)ら、苦笑(にがわら)いを浮べている。(しか)し、其処(そこ)突然(とつぜん)突拍子(とっぴょうし)()奇声(きせい)()げた。

「あーっ、ガンツ。てめー、やりやがったな」

 それは、バター皿に()だ半分程のバターが残っていたのだが、何時(いつ)の間にやら無くなっており、(さら)に、バター皿も洗ったばかりと見紛(みまご)う程にピカピカとなっていた。屹度(きっと)、ガンツ先生が丹念(たんねん)()め回したに相違(そうい)ない。ガンツ先生は、(あたか)も、フンと()った表情で、(つくえ)を踏み台に(はり)の上に()け登ると、元()た場所で丸くなってしまった。正太郎と祐子は、高志の先程(さきほど)台詞(せりふ)から、悄然(しょうぜん)とした姿にもかかわらず、決然(けつぜん)とした断固(だんこ)たる意思を垣間(かいま)見た(よう)な気がした。二人とも、()れ以上は、何も()え無かった。()れでも、愈々(いよいよ)、高志の家を()する段になって、祐子は思い出した(よう)に、突然(とつぜん)(みょう)な事を高志に(たず)ねた。

「ねえ、高志くん。そう()えば、(ほたる)ちゃんって、アルトだったの? テナーだったの?」

 高志は、つい、釣り込まれた(よう)に、うっかりと答えた。

「ああ、あの、お(ちゃ)っぴいか? アルトだったよ」

 思わず、答えた高志であったが、祐子の何気(なにげ)ない質問の裏に隠蔽(いんぺい)された意図(いと)に気が付き、(にわ)かに、顔色を変え、つい、しまったという顔をしてみせた。高志は、正太郎達を送りがてら、『用事を思い出した』とか()って、自転車を東に向けて走らせて行った。


 秋の西日が物憂(ものう)げに、興津(おきつ)街並(まちな)みを静かに包み込む。(いにしえ)の宿場町は秋の日差(ひざ)しを受け(なが)ら、まるで、時間の流れから置き捨てられたかの(よう)に、静かに(たたず)んでいる。少々(しょうしょう)物寂(ものさび)しい情景(じょうけい)である。正太郎は、帰路(かえりみち)途次(みちすがら)、思い出した(よう)に、祐子に(たず)ねた。

「そう()えば、先刻(さっき)の、(わか)(ぎわ)質問(ものいい)。あれは、何だったの? (なん)か意味()()だったけど…」

「ああ、あれね。(ほたる)ちゃんて、中学時代、吹奏楽(ブラスバンド)をやっていたんじゃないかな、って思ったの」

「でも、アルトなら、声楽かもしれないじゃないか?」

「もう、正ちゃんたら…。声楽なら、アルトは()(かく)、テナーは無いでしょ」

()れもそうか。でも、如何(どう)して?」

「中学校時代、野球部のエースだった高志くんが、高校になって、突然(とつぜん)吹奏楽(ブラスバンド)部に入部して、アルトサックスを希望したのが、少し不思議(ふしぎ)だったの。だから、()しかしてと思ったの。当初(とうしょ)は、(わけ)()りとか()ってたけど…」

成程(なるほど)な。彼奴(あいつ)、ひょっとして、(ほたる)ちゃんが入部するかもと思って…」

「…うん」

「ひろみには、聞かせられ()え話だな」

「…」

 ()れには、祐子も答えずに、困った(よう)な表情を浮かべていたが、(やが)て、名残(なごり)惜しそうな笑顔(えがお)を浮べると、

「三連休終わっちゃったね」

「ああ、祐ちゃんも疲れたろ。明日から、また、学校だ。お腹も、ケーキと饅頭(まんじゅう)鯛焼(たいや)きと栗でパンパンだろ。今日中にガスを全部出しとけよ」

「もう、正ちゃんの意地悪(いじわる)

 ぽっと(ほお)を赤く染めた祐子が、思わず正太郎を(たしな)める。正太郎は、子供の様にハハハと笑い渋川橋(しぶかわばし)東交差点で手を振り(なが)ら、何時(いつ)(まで)も祐子を見送っていたが、祐子の後姿が渋川橋(しぶかわばし)(たもと)の坂道の頂点(ピーク)を越え、見え無くなっても、(たたず)んで(しばら)く考え込んでいた。(しか)し、(やが)て何を思ったのか、(きびす)を返すと自宅とは正反対の駅の方角に向かって、自転車を()ぎ出したのだった。


 秋の()釣瓶落(つるべお)としである。湾内に寄せる(さざなみ)(まで)茜色(あかねいろ)()まる、黄昏時(たそがれどき)赤燈台(あかとうだい)。正太郎は、ぽつんと一人、無聊(ぶりょう)(かこ)(なが)ら、突堤(とってい)腰掛(こしか)け、海に向かって足をぶらつかせていた。時折(ときおり)、吹いてくる秋の黄金色(こがねいろ)の風は、少し冷たい。冬も、もう、近いのだろう。そして、(ようや)く、西日が落ち掛かった(ころ)()れなずむ海を見つめた(まま)何処(どこ)見る(ふう)も無く、(ひど)(おだ)やかな表情で、不意(ふい)(つぶや)いた。

「いよう、随分(ずいぶん)と、遅かったな。(おれ)風邪(かぜ)をひかせる心算(つもり)か?」

「…」

 今、来たばかりの男は、()れには(こた)えずに、紋切(もんき)(がた)の質問を投げ掛ける。

「…何故(なぜ)、おまえが此処(ここ)()る?」

 正太郎は、相変(あいか)わらず、海を見つめた(まま)に、(やさ)しげな表情を浮かべ、答えた。

()るさ…。あれだけ、懺悔話(ざんげばなし)を聞かされたんだ。お前が、此処(ここ)に来るのも読める。長い付き合いだからな」

「こきやがる。()だ、たかだか、半年足らずだ」

 高志は、そう(つぶや)くと、正太郎の(となり)にどっかりと胡坐(あぐら)をかいた。正太郎は溜息(ためいき)()きつつ、高志に語り掛ける。

(まった)く、懺悔(ざんげ)って()(わり)には、今日のお前は、(うそ)()(まく)っていたからなあ…」

(おれ)は、何時(いつ)も本当の事を()うとは、(かぎ)()えんだよ」

 悪態(あくたい)を返す高志に、正太郎はすかさず()め付けた。

(ほたる)ちゃんもだろ?」


「…」


「お前、本当に素直(すなお)じゃ()えからなあ…。(ほたる)ちゃんの()の時の顔を覚えて()いなんてのも(うそ)っぱちだ。…本当は、(ほたる)ちゃん。泣いてたんだろ?」


 正太郎が、(おだ)やかな表情とは裏腹(うらはら)に、舌鋒(ぜっぽう)鋭く、高志が一番探られたくない図星(ずぼし)を突く。本来(ほんらい)であれば、全力(ぜんりょく)で、()(こう)から否定(ひてい)する(ところ)なのだろうが、高志は(すべ)てを(あきら)めた人の(よう)に、肩を(すく)めると、一言(ひとこと)(つぶや)いた。

「ああ」

 と、同時に高志は思う。


()のバカ。自分の事は、からっきし、見えねえ(くせ)して、人の事となると、一段(いちだん)と、いらん(かん)(はたら)かせやがる…)


 (やが)て、高志は深い溜息(ためいき)を一つ()らすと、懺悔(ざんげ)の続きを始めた。

「そうだ。あのお(ちゃ)っぴいが泣いているのを見たのは、(あと)にも(さき)にも、あれっきりだ。もう、…二度とごめんだ。…(もっと)も、()の先…、(たと)え、見たくても、二度と…、見れねえがな」

 最後の一言(ひとこと)は、まるで、過去との訣別(けつべつ)を自分に()い聞かせている(よう)でもあった。高志は、自嘲(じちょう)めいた独白(ひとりごと)を続ける中、最後の光景(こうけい)をまざまざと思い出していた。


 高志の(げん)()れば、(ほたる)ちゃんは、高志の(はげ)しい言葉を()びた(のち)一瞬(いっしゅん)童女(どうじょ)(よう)無邪気(むじゃき)な表情できょとんとしていたが、(やが)て、(さみ)しげに微笑(ほほえ)むと、普段(ふだん)(ほたる)ちゃんにしては、似気(にげ)()く、


「…本当だね」


 と()う、無力な同意と(とも)に、一つの完結を意味する言葉を残し、ニッコリと笑ったそうだ。(しか)し、()の美しい顔立(かおだ)ちの(ひとみ)には、(たし)かに真珠(しんじゅ)(しずく)が光っていたと()う。何時(いつ)に無い、(ほたる)態度(たいど)に、毒気(どくけ)を抜かれた形となった高志は、唖然(あぜん)として、(ほたる)()の美しい横顔を、まじまじと凝視(ぎょうし)すると共に、(みずか)らの軽率(けいそつ)な振る舞いを、(ひど)く恥じたと()う。本来(ほんらい)であれば、()の場で謝っておけば、高志の良心の呵責(かしゃく)も、然程(さほど)では無かったのであろうが、高志の稚気(ちき)が、つい、邪魔(じゃま)をした。(おそ)らく、()れが、高志の生涯(しょうがい)(わた)後悔(のちぐい)となった(わけ)ではあるが、()の当時は、よもや()の様な事になろうとは、知る(よし)も無かった。そして、()直後(ちょくご)(ほたる)ちゃんは、(だれ)にも何も()げずに、会場を(あと)にしたとの事だった。結局(けっきょく)、高志にとって、()れが、(ほたる)との永遠(とわ)袂別(べいべつ)となったのである。


 ()(すで)に落ち、西の空には、背景照明(ホリゾントライト)銀幕(スクリーン)()らし出した(よう)な、見事(みごと)(まで)(あお)(あか)両極端(りょうきょくたん)二分(にぶん)された漸次的移行(グラデエーション)(ひろ)がっており、()(あお)の部分の境界(きょうかい)付近に、一際(ひときわ)(かがや)(よい)明星(みょうじょう)が見えた。

「で、如何(どう)すんだ?」

 正太郎の(おだ)やかな一言(ひとこと)が、高志を現実に引き戻した。

如何(どう)()うも無いさ」

 高志はそう()うと、持っていた投函(とうかん)出来(でき)無かった葉書(はがき)を、びりびりと破り始めた。そして、高志の恋文(こいぶみ)残骸(ざんがい)は海からの強い風によって(あお)られ、あっという間に、粉雪の(よう)()って行った。

()いのか? おい」

 此処(ここ)で初めて、正太郎は、横を向き、高志に目を向けた。其処(そこ)には、(あらた)めて、悔恨(かいこん)(さいな)まれ、改悛(かいしゅん)の情を浮かべた、(さみ)しげな親友の横顔(よこがお)があった。

「ああ…」

 高志は一言(ひとこと)そう(つぶや)くと、

多分(たぶん)()いんだ。…()れで」

 (あらた)めて、(さび)しげに、(つぶや)いた。(あた)りは、(しば)し、静寂(せいじゃく)(つつ)まれる。正太郎は(ふたた)び、暗い波間に目を落すと、皮肉(ひにく)めいた口調(くちょう)で、(おだ)やかに()った。

贖罪(しょくざい)の記念に、一生、(つくえ)の上に(かざ)っとくと思ったぜ」

「よせやい。(おれ)はそんなに、メンタルは強くねーよ。()れに、万一(まんいち)、ひろみにでも見られたら、殺されかねねえ」

 正太郎が、殊更(ことさら)(おだ)やかな顔で警告した。

「ひろみに、同じ事すんなよ」

「うるせー」

 そう()った高志だったが、

「しねえよ。絶対に」

 と、似気(にげ)も無く、素直(すなお)()い直した。

()れにしても…、本当に好きだったんだなあ…」

()れを、(おれ)()わせるつもりか? 相変わらず、デリカシーの無い(ヤツ)だ」

「本当は、今日、(おれ)達を呼び出したのは、()うした懺悔話(ざんげばなし)をしたかったんだろ? 何しろ、あの書き掛けの葉書(はがき)は、毎日、(つくえ)の上に飾って置くには、強烈に()ぎる代物(しろもの)だ」

「…ああ、そうだ。だが、お前らは勝手(かって)謎解(なぞと)きを始めちまうし、お前にしても、祐子ちゃんにしても…。自分達の事は何にも見えねえ(くせ)しやがってよ。(まった)く、(なん)なんだよ。お前らは?」

 正太郎は夕闇(ゆうやみ)が迫り始めた水面(みなも)に目を落としつつ、(うそぶ)いた。

「岡本高志の親友なんだろ。多分(たぶん)

「…違い無え。ならば、()の親友に聞くが、(おれ)一体(いったい)()れから如何(どう)すれば()い?」

 苦笑(くしょう)(なが)らも、何時(いつ)に無く、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで、途方(とほう)()れている高志に対し、正太郎は(しば)しの沈黙(ちんもく)(のち)に、()()った。

「自分で決めろ。そんな事は」

 そう()うと、高志の方を振り向き直り、笑い(なが)ら続けた。

(おれ)は、何処(どこ)かの(うそ)つき野郎(やろう)に、そう()われたぜ。此処(ここ)でな」

 高志も笑い(なが)ら、

「そう()えば、そうだったな…」

 高志は目を閉じると、瞑想(めいそう)を始めた。


 夏休み中の興津川(おきつがわ)。中流域、和田島(わだしま)(あた)りで、小学5年のキャンプの時である。(きらめ)木漏(こも)()が少し(まぶ)しい。興津川(おきつがわ)細流(せせらぎ)(すず)しげな音を(かな)でている。()(かく)、暑い日であった。()の日、高志は、前日に買い(そろ)えた(はず)の、おやつのお菓子を家に置いて来てしまった。まあ、おやつなどは、キャンプを(いろど)るものではあっても、必需品では無い。高志は若干(じゃっかん)寂しい思いをしたものの、仕方(しかた)が無いと(あきら)めていた。(しか)し、そんな中、(くだん)(ほたる)が自分のお菓子を(すべ)て二等分にして、高志に分け与えたのであった。無論(むろん)(ほたる)の事である。高志の迂闊(うかつ)を大いに(なじ)ったのではあるが、()れでも、高志への(やさ)しさが()れを()わせたのであろう。一方(いっぽう)、高志は、(ほたる)素直(すなお)に感謝していた。()の日の夕刻(ゆうこく)(ふたた)(ほたる)に感謝の言葉を伝えた(ところ)

()いわよ、そんな事」

 と一笑(いっしょう)()された。()れでも、気の済まない高志は、(さら)に、食い下がった(ところ)


「そんなに()うなら、高志くんのお嫁さんにしてもらおうかな」


 咄嗟(とっさ)に固まる高志を前に、(ほたる)はいたずらっ子の(よう)可憐(かれん)笑顔(えがお)を浮べ(なが)ら、

「もう、冗談(じょうだん)よ。冗談(じょうだん)

 結構(けっこう)純情(じゅんじょう)な高志を、(けむ)に巻いた(ほたる)を思い出したりした。(すべ)ては、(なつ)かしくも、(はる)けくも遠い(おも)()であった。


 過去との想い出に向き合い傷心(しょうしん)する高志と、()れを見守る正太郎。時間だけが無為(むい)に過ぎて行く。とっぷりと日が()れて、夜の静寂(しじま)に包まれた赤燈台(あかとうだい)(やが)て、東の空には中秋(ちゅうしゅう)の名月が顔を(のぞ)かせる。高志は過ぎ去った過去を思い出し(なが)ら、心の中で(さけ)んでいた。


(10年だぞ、10年以上だぞ。彼奴(あいつ)との(くさ)(えん)は…。()の最後の台詞(せりふ)があんなんで(たま)るかよ…)


 そして、ふと、(われ)に帰った高志はボソリと(つぶや)いた。

「なあ、正太。(ところ)で、素直(すなお)になりついでに、もう一つだけ、懺悔(ざんげ)をしても()いか?」

「…ああ」

 (かす)かに(うなず)く正太郎。高志は、まるで別人の(よう)に遠い(ひとみ)をすると、静かに未練(みれん)吐露(とろ)した。()れは(まさ)しく、未練(みれん)であった。


「もう一度…。もう一度だけで()い…。(ほたる)に会いてえなあ…。(おれ)彼奴(あいつ)に、()だ、()わなきゃなんねえ事が…、あったんだ…」


 高志は、(かろ)うじて、其処(そこ)(まで)()うと、其処(そこ)絶句(ぜっく)した。正太郎は静かに高志の方を振り返る。親友の(ほそ)めた(ふたつ)(ひとみ)からは、ぼろぼろと大粒の涙が(こぼ)れ落ちて行った。


 そう、ぼろぼろ、ぼろぼろと。


 東の空に浮かんだ()(まる)の月は、無情にも、()情景(じょうけい)。親友の心からの無念(むねん)欷歔(ききょ)()らし出す。そして、同時に正太郎は、思った。


矢張(やは)り、此奴(こいつ)(だれ)よりも現実主義者(プラグマティスト)だ)


 そうだ、(たし)かにそうだ。()現実主義者(プラグマティスト)には(わか)っている。()れが、二度と(ふたた)び、(かえ)らない事も、二度と(ふたた)び、(もど)らない事も、そして、彼が吐露(とろ)した(ささ)やかな希望(のぞみ)(かな)う事など決してある(はず)も無い事を、(だれ)よりも良く(わか)っていたのである。正太郎は(やさ)しげな(ひとみ)で、(もく)して(しば)し、親友の声無(こえな)き、()して、(はげ)しい慟哭(どうこく)を見つめていた。(しか)し、(やが)て、立ち上がると、(やさ)しく、()れでいて、支度気無(しどけな)く、静かに親友の肩に手を置くと、潸然(さんぜん)とした親友に対して、優しく、()(つぶや)いた。

「そろそろ、行こう。 …流石(さすが)に、風邪(かぜ)を引く…」

「ああ…」

 かろうじて、そう(うなず)く高志。(やが)て、正太郎と項垂(うなだ)れた高志は、二人連れ立って、赤燈台(あかとうだい)(あと)にした。


 枯草色(かれくさいろ)(ゆる)やかに(うね)(よう)な、特徴的(とくちょうてき)波状段丘(はじょうだんきゅう)が続く北の大地を、気の早い虎落笛(もがりぶえ)が、甲高(かんだか)い声だけを残して()()けて行く。もうすぐ、()の地は、白銀(はくぎん)一色に()め、一年の半分以上を()める冬がやって来る。そんな北の大地に、高志の朴訥(ぼくとつ)便(たよ)りが届いたのは、冬の()りが間近(まぢか)(せま)った、10月も中旬(ちゅうじゅん)の事だった。


 高志からの手紙は絵葉書(えはがき)であった。裏面(うらめん)に、(おそ)らくは、高志があの日、興津(おきつ)薩埵峠(さったとうげ)から()ったであろう、陽光(ようこう)(あふ)れる、駿河湾(するがわん)(はさ)んだ富士山の写真。昔、(ほたる)が好きだと()っていた風景(ふうけい)である。表面(おもてめん)は、綺麗(きれい)な富士山の記念切手と共に、宛名(あてな)と高志の稚拙(ちせつ)字体(じたい)乱筆(らんぴつ)なるも手書きの文面(ぶんめん)であった。例によって、平仄(ひょうそく)(ととの)わぬ、杜撰(ずさん)()()めの()い内容の文面(ぶんめん)ではあったが、一点(いってん)疑義(ぎぎ)も無く、(つたな)(なが)らも今の高志の精一杯(せいいっぱい)が、訥々(とつとつ)(つづ)られていた。此処(ここ)では()の全文を抜粋(ばっすい)しよう。


『いよう。元気か? (おれ)は元気だ。てっきり、清水高校に入学する物と思ってたぞ。()れにしても、相談(くらい)しろってーの。長い付き合いじゃねーか。あっ、()れと高校に入って彼女が出来(でき)たぞ。すげーだろ。()れと、()の、最後にあった時、ひでえ事()っちまって、済まなかった。本当にごめん。そっちは寒いみてーだから、体にきをつけてな。 岡本高志』


 高志は、今更(いまさら)(なが)らに思う。こんな事をしたからとて、何が変わる物でも無い。畢竟(ひっきょう)(ただ)自己(じこ)満足に()ぎぬ。(ある)いは、(ほたる)(さら)に傷つけるだけなのやも知れぬ。()れでも、高志は()の手紙を出さずには()られなかったのである。十年の旅路(たびじ)()てが、あんな(さみ)しい風景(ふうけい)で、あんな悲しい光景(こうけい)で、あって()(はず)が無い。


 さよならだけが人生。


 ()れだけでは、(あま)りにも(せつ)なく、そして、悲しすぎるから。


 何度(なんど)か、文面(ぶんめん)を読み返した(ほたる)は、ふうっと、溜息(ためいき)とともに、軽い毒を()いた。

「バーカ、気、位漢字で書け。つーの」

 (ほたる)は、窓の外に目を()った。眼前(がんぜん)には、(すすき)の原が広がっており、穂先(ほさき)(かす)かに揺れている。()の向こうには、エゾマツ、カラマツ、白樺(しらかば)などの葉を落とした疎林(そりん)が点在している。疎林(そりん)の木立の間を、今にも()れ行く、(さなが)ら、線香花火(せんこうはなび)雫玉(しずくだま)(よう)な夕日が、(さみ)しく()える。此方(こっち)は、もう、冬が其処(そこ)(まで)来ているのだろう。()うした、透明感(とうめいかん)(あふ)れる夕焼けは、荒涼(こうりょう)たる風景(ふうけい)寂寥感(せきりょうかん)を、一段(いちだん)際立(きわだ)たせていた。


(遠いなあ。今の私にとって、清水は(はるか)かに遠い。多分(たぶん)、あの白樺(しらかば)木立(こだち)(あいだ)に見える、今にも大地に吸い込まれようとしている夕日よりも(さら)に遠い…。)


 それが、(ほたる)正直(しょうじき)実感(じっかん)であった。此処(ここ)(はる)かなる陬遠(すうえん)の地にある()の身としては、潮風(しおかぜ)の香りがする、あの素朴(そぼく)街並(まちな)みも、みんなで(かよ)った古びた小学校も、喧嘩(けんか)ばかりだったけど高志との(なつ)かしい日々も、優しかった父さんとの(おも)()も、(なに)もかもが、とても、遠くに行ってしまった。自分(ほたる)だけを置き去りにして…。

 そして、(ふたた)び、(ほたる)は深い溜息(ためいき)()らすと、(なか)ば、安心した(よう)に、そして、(なか)ば、(さみ)しげに(つぶや)いた。

「そっかー、高志君。彼女が出来(でき)たんだ…」

 直後(ちょくご)階下(かいか)から母親の呼ぶ声が聞こえた。(ほたる)は元気な声で、

「はーい、今行くね」

 と、(こた)えると、(あらた)めて、文面(ぶんめん)を読み返し、三度(みたび)溜息(ためいき)()いた。

「本当に、彼女、出来(でき)ちゃったんだ…」

 (ほたる)はそう(つぶや)くと、机上(きじょう)の写真スタンドから、野球帽を(かぶ)った中学生時代の高志の勇姿(ゆうし)を取り出し、丁寧(ていねい)にアルバムへ(おさ)めると、今、届いたばかりの絵葉書(えはがき)を、それも、宛名(あてな)面を表にして、写真スタンドに大切に(おさ)めた。


 (ほたる)()の時の心情(しんじょう)は、()(わか)らない。(おそ)らくは、今の(ほたる)にとって、物謂(ものい)わぬ写真よりも、同じ物謂(ものい)わねど、今の高志の精一杯(せいいっぱい)雄弁(ゆうべん)物語(ものがた)()葉書(はがき)の方こそが、大切だったのだろう。


 ()の日、美瑛(びえい)には初雪が舞った。()の地方の()の季節に()いて、然程(さほど)(めずら)しい事では無いのかも知れない。(しか)し、()れは、(ただ)偶然(ぐうぜん)かも知れないが、()しかしたら、高志が二度とごめんだと()った、素直(すなお)(ほたる)の涙だったのかもしれない。少なくとも、筆者にはそう思われてならない。

誰にでも、初恋の記憶と謂うのはあるものだ。例え其れが、どんな悲しく、虚しい思い出であってもである。一人の少女が忘れじの初恋の記憶。それは、少女への悲しいイジメの記憶でもあった。次回『第24話 Goodbye To Love【前編】』。お楽しみに。誰に対してであっても、いじめだけは、絶対に許されない!

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても透明感のある、ピュアなお話だと思います。 [気になる点] 少しせつなすぎるかな。 [一言] お久し振りです。しばらく拝見しないうちにテイストが変わったよね。また、読ませてもらいます。…
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