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第22話 世界遺産を歩く

 祐子が、通学の(ため)の自転車を買った。


 祐子は元来(がんらい)、徒歩通学であったが、練習時間が長く、帰宅時刻が遅いブラスバンド部であった(ため)、自転車通学の許可は()りていた。()れでも、家も近く、一キロ以内である(ため)、通学手段は相変らず徒歩の(まま)であった。(しか)し、練習終了後、ボストンティーパーティーの面々(めんめん)と、赤灯台へ行ったり、キャトルへ行ったりと、中学時代に(くら)べ明らかに行動範囲が広がっており、多少(たしょう)不便(ふべん)を感じる事は間々(まま)あった。だから、赤灯台へ行く時などは、一度帰宅して、母親の自転車を借りて出直したりしていたのである。正太郎とは、付き合い出す前から、一緒(いっしょ)に帰る事は多かったのだが、基本、正太郎は自転車である。勿論(もちろん)(やさ)しい正太郎の事だから、一緒(いっしょ)に帰る時は、正太郎が自転車を引いて、祐子の歩く速度に合わせてくれていた。祐子はそんな正太郎の気配(きくば)りが、()れは()れで、とても(うれ)しかったし、何よりも正太郎と一緒(いっしょ)に居る時間が少し長くなる(わけ)であるから、祐子には、不満は無かった。(しか)し、反面、申し訳無くも思っていた。()()(なが)らも、不便(ふべん)不便(ふべん)であり、愈々(いよいよ)()れが(こう)じてしまい、到頭(とうとう)、父母から一台の自転車をプレゼントされたのである。そして、10月の3連休の初日に、()の自転車が届いたのであった。自転車は、所謂(いわゆる)、ママチャリではなく、スタイリッシュなタイプで、変速機(ギア)も付いていた。祐子が、正太郎との映画デートから帰ったら、ピカピカの自転車が届いていたのである。祐子の母親が、映画から帰って来た祐子に、

「祐ちゃん、明日(あす)明後日(あさって)とお休みが続くから、慣らし運転も兼ねて、サイクリングにでも行って来たら?」

「…うん」

 (あま)り、気の無い返事を返す祐子。元来(がんらい)、祐子は、基本、インドア派であり、明日は、買って来たラノベを読みたかったのだ。(しか)し、祐子の母親は、娘のツボを実に良く心得(こころえ)ている。ニコニコし(なが)ら、()(ささや)いた。

「祐ちゃん。祐ちゃんには、アウトドア志向の王子様がいるでしょ。一緒(いっしょ)に行こうって、誘ってみたら?」

 ()れを受けて、(たちま)ち祐子の顔が(かがや)いた。

「そ、そうだね、ママ。正ちゃんを誘ってみようかな。」

 祐子は、早速(さっそく)、正太郎にメールを送ってみた。(しか)し、返事が無い。がっかりした祐子は、()(まま)、本を読み始めた。が、30分後、正太郎から電話が掛かってきた。

「ごめんね、祐ちゃん。風呂に入っていたもんだから…。一体、如何(どう)かしたの?」

「ううん、大した事じゃ無いんだけど、実は自転車を買ったの。私、今まで、変速機(ギア)が付いた自転車なんて、乗ったことが無いから…。()れで、ママが慣らし運転にサイクリングにでも行って来なさいって、それでね、()し、よかったら一緒(いっしょ)如何(どう)かなって思って…」

「へー、すごいな。変速機(ギア)が付いた自転車を買ったんだ。うん、勿論(もちろん)、行くよ。時間は?」

「正ちゃん? 明日のご予定は?」

「特に、何もなし。一日中でも大丈夫(だいじょうぶ)だよ」

「分かった。9時は如何(どう)かな?」

「うん。()いよ。なら、また花月でおにぎりを買って、9時に祐ちゃんの家に行くよ」

「うん。分かった。待ってるね」


 (さて)、翌日の10月7日は、雲一つない好天(こうてん)に恵まれた。暑くも無く、寒くも無い。絶好(ぜっこう)のサイクリング日和(びより)である。正太郎はブルーのポロシャツに水色のトレーナーを羽織(はお)り、下はジーンズにスニーカー。例によって、花月で、おにぎりを4個づつ購入して、祐子の家に向かった。祐子は白のブラウスにピンクのカーディガンを羽織(はお)り、ベージュのスカートにスニーカー。髪はツインテールの(まま)である。祐子は例によって、庭先で正太郎を待っていた。横には、買ったばかりのピカピカの自転車が停めてある。正太郎は、ニコニコし(なが)ら、

「おはよう、祐ちゃん。()れが()の自転車だね。」

「おはよう、正ちゃん。」

 祐子は、満面(まんめん)笑顔(えがお)で、そう()って(うなず)くと、早速(さっそく)(くだん)の自転車を見せてくれた。自転車は、完全なスポーツタイプでは無いものの、10段変則の本格的なものであった。()れなら、相当(そうとう)な遠乗りも可能であろう。正太郎は早速(さっそく)切り出した。

「それじゃあ、早速(さっそく)行こうよ。ところで、何処(どこ)へ行く?」

「取り()えず、駅へ向かって行こうかな。正ちゃん。如何(どう)かな?」

「異議なし」

 二人は清水駅に向かって走り出した。


 清水駅へは、祐子や正太郎の家から一本道である。清水駅前から、警察署に向かって伸びる大きな通りが()の道である。距離(きょり)にして約1.5キロ。二人とも駅の(そば)江尻(えじり)中学まで徒歩(とほ)で通っていたのだ。清水駅は近隣(きんりん)の沼津、富士、藤枝と違い、東海道の江尻宿(えじりしゅく)近在(きんざい)に設置されていた。(あま)り知られていない事ではあるが、現清水駅は二代目である。旧清水駅(江尻(えじり)駅)は現清水駅より、300(メートル)(ほど)、静岡寄りで、丁度(ちょうど)江尻(えじり)踏切(ふみきり)()跡地(あとち)である。確かに、そう考えれば、江尻(えじり)踏切(ふみきり)周辺の道の構造は、踏切(ふみきり)を中心に四方に拡がっており、ひと昔前の駅前の構造と()えなくも無い。踏切(ふみきり)の脇には酒屋や写真屋、いずな達がデートで使うジュース屋、薬局など昔からの商店が(のき)を連ねている。江尻(えじり)踏切(ふみきり)(ほぼ)直上(ちょくじょう)を、国道149号が跨線橋(こせんきょう)で抜けており、()れが、清水の目貫通(めぬきどお)りにあたる。昭和の時代(むかし)には、()目貫通(めぬきどお)りには路面(チンチン)電車が走っており、清水駅前から跨線橋(こせんきょう)で東海道本線を越え、新清水駅、市役所等、港方面へ伸びており、()れこそ、ひろみの家がある富士見町、港橋(みなとばし)(まで)達しており、電車通りイコール目貫通(めぬきどお)りであったのだ。残念(ざんねん)(なが)ら、昭和49年の七夕(たなばた)豪雨(ごうう)庵原川(いはらがわ)に掛かる橋梁(きょうりょう)が流され、()れを契機(けいき)に、路面(チンチン)電車は廃線(はいせん)へと、大きく(かじ)を切る事になるが、()(まで)は、市民の足として親しまれていた。清水駅に話を戻す。現清水駅に移転したのは、(おそ)らくは明治の時代の頃だと思われるが、旧江尻(えじり)駅は、東海道本線を西から来た場合、巴川(ともえがわ)渡河(とか)した直後の(わず)かばかりの直線部分での駅であり、(おそ)らくホームや線路の増設が、不可能であったからに違いない。(しか)し、()の場所であれば、旧江尻宿(えじりしゅく)の街道のクランク部分に当たり、(まさ)に、宿場(しゅくば)の中心地であったのだ。


 先にも書いたとおり、富士方面に向かった場合、東海道本線は旧江尻(えじり)駅を過ぎると、北に大きくカーブしており、少し行った所で現清水駅に(いた)る。旧東海道は江尻(えじり)踏切(ふみきり)(かたわら)の清水銀座あたりが宿場(しゅくば)の中心地であり、銀座交差点から東海道は東に直角に曲がり、伝馬町(てんまちょう)(現江尻東(えじりひがし)3丁目)、鋳物師町(いものしちょう)(現江尻東(えじりひがし)2丁目)、鍛冶町(かじちょう)(現江尻東(えじりひがし)1丁目)と続き、旧国道1号、今の駅前から伸びる(祐子と正太郎の家に向かって伸びる)大通りを横切ると、辻町(つじまち)に至るのである。辻町(つじまち)江尻東(えじりひがし)界隈(かいわい)は、旧東海道の街道筋にあたり、(むかし)(なが)らの旧式の商店や仕舞た屋(しもたや)風の民家と()った古い町並みが続く一種独特(どくとく)なノスタルジックな空間を作り出していた。


 現清水駅周辺に目を向けると、昭和の時代、駅の海側、清水文化会館があるあたりは、東海道本線の一支線(いちしせん)である清水港線(しみずこうせん)のホームがあった。清水港線(しみずこうせん)は清水駅から分岐(ぶんき)港湾(こうわん)沿()いを三保半島(みほはんとう)中央部(まで)伸びていた、単線、非電化の赤字路線であった。元々(もともと)は、三保半島(みほはんとう)にある、工場、造船所への人員の輸送、港湾(こうわん)物資の運搬、駒越(こまごえ)不二見(ふじみ)地区にある木材工場への木材輸送、三保半島(みほはんとう)にある金属工場へのアルミナ輸送の(ため)に使われていた。(もっと)も、輸送が盛んであったのは戦中、終戦直後の頃であり、昭和も後期になると、モータリゼーション化の波に飲まれ、祐子や正太郎の父親の代には、一日一往復の(さみ)しい路線となっており、人員輸送の点ではバスに、物資運搬としてはトラックに、取って替わられていた。そんな清水港線(しみずこうせん)廃線(はいせん)となったのは、確か、昭和59年の事である。今では、()廃線(はいせん)跡地(あとち)がサイクリングロードなどに姿を変えている。同線は巴川(ともえがわ)の河口付近を渡河(とか)しており、()橋梁(きょうりょう)は国内でも(めずら)しい可動式橋梁(きょうりょう)(はね橋)であった。当時、地元でも()橋梁(きょうりょう)を保存しようと()う動きがあったのだが、船舶(せんぱく)の航行に支障(ししょう)(きた)すとの理由で、()しまれ(なが)らも姿を消していったのである。


 清水の街の(はなし)、続く。先述(せんじゅつ)した路面(ろめん)電車。静鉄清水市内線であるが、港橋(みなとばし)―新清水―清水駅前と来て、東端は清水駅前―西久保(にしくぼ)車庫前―袖師(そでし)横砂(よこすな)(いた)っていた。西久保(にしくぼ)車庫前からは路面(ろめん)に別れを告げ、単線路線となり、JRと平行する様に走行し、庵原川(いはらがわ)を越え、横砂(よこすな)が終点となっている。横砂(よこすな)袖師(そでし)には、戦中・戦後間も無い頃には海水浴場があり、()の路線も、清水市民の海水浴場への足として親しまれていた。夏の間は東海道本線にも、袖師(そでし)()臨時駅(りんじえき)が設置されており、比較的最近まで、袖師(そでし)駅を復活させようと()う市民運動もあったとの事だが、最近では、(あま)り聞かれ無くなった。()袖師(そでし)臨時駅(りんじえき)ホーム(あと)は、近年までは列車の車窓(しゃそう)からも確認出来(でき)ていたが、今では撤去(てっきょ)され、()昔日(せきじつ)(おもかげ)(しの)ぶ事は出来(でき)無くなっている。()袖師(そでし)海水浴場であるが、昭和40年頃、水質汚濁(おだく)を理由に海水浴場は廃止(はいし)となった。祐子や正太郎の祖父の時代には、清水高校では毎年夏になると、袖師(そでし)海水浴場から三保半島(みほはんとう)真崎(まさき)(まで)の約5km弱を遠泳(えんえい)すると()う、祐子や正太郎が聞けば、清水高校入学を躊躇(ちゅうちょ)する様な、途方(とほう)も無いイベントがあったと()う。


 そんな話を、正太郎は清水銀座の江尻(えじり)踏切(ふみきり)横の生ジュース屋で祐子に熱く語っていた。そして、祐子も興味深げに聞いている。

「5kmの遠泳(えんえい)大会なんて、怖いね。私、そんなイベントがあったら、絶対、清水高校に入学しなかったと思うよ」

「ハハハ…、(おれ)もだよ」

「えっ、正ちゃん。水泳苦手じゃないでしょ? 興津(おきつ)川でも泳いでいたし…」

「ううん。苦手だよ。と()うより、抑々(そもそも)、カナヅチだし」

 正太郎はケロリとして、()ってのけた。

「えーっ、興津(おきつ)川の時も、小学校の水泳も楽しそうだったから…」

「ハハハ…、水泳と水遊びは違うよ」

「本当に…もう。ところで、()の後、如何(どう)しよう?」

「そうだね、その、サイクリングロードで三保(みほ)の方に向かってみようか?」

「うん。」

 祐子も、ニコニコし(なが)ら同意する。結局、二人は国道149号を駒越(こまごえ)方向に向かった。


 エスパルスドリームプラザを越えた(あた)りから、清水の商業地域を抜け、倉庫や港湾(こうわん)施設が立ち並ぶ、所謂(いわゆる)港湾(こうわん)地域に入って行く。国道149号線は港湾(こうわん)道路であり、貨物を満載(まんさい)した大型のトラックが、引っ切り無しに走って行く。巴川(ともえがわ)の河口(まで)来ると、正太郎が自転車を止め、携帯(スマホ)のカメラで河口の方を()り出した。

如何(どう)したの?」

 祐子は(いぶか)しげに、(たず)ねた。

「うん、昔の清水港線(しみずこうせん)可動橋(かどうきょう)が架かっていた場所を()ってみたくてさ…」

 前述(ぜんじゅつ)の、(めずら)しい可動橋(かどうきょう)の事である。祐子は、正太郎がそう()った話柄(わへい)には、殊更(ことさら)、関心を示す事を良く理解していたので、興味深そうに()った。

「私は、写真でしか見た事無い(はず)だけど、何故(なぜ)か、覚えているよ。国内でもかなり(めずら)しかったんでしょ。(なん)廃止(はいし)になっちゃったのかなあ」

 正太郎は(さみ)しそうに笑い(なが)ら、

「仕方ないよ。清水港線(しみずこうせん)自体(じたい)、末期には、一日一往復の典型的な赤字路線だったそうだし、親父のガキの頃でも、旅客輸送はバスに代わられていたみたいだし。()れに、橋だけ残すにしても維持費がかかるだろうし、船の航行の邪魔(じゃま)になるって()うのが、最大の理由だったみたいだよ。基本、巴川(ともえがわ)は運河の側面が強いからね…」

 ()の話は、祐子も聞いた事があった。そして、(くだん)可動橋(かどうきょう)は、祐子の記憶の中に確かに有った。赤ん坊である自分を、祖父が(しっか)りと抱きかかえ、祐子に(うれ)しそうに話しかける祖父。祐子の家は、元々(もともと)、材木商である。清水港で陸揚げされた材木は、()れこそ、祐子の自宅(そば)の貯木場まで、港から運んで来ていた事は、祖父から聞かされていた。()の昔、祖父が、祐子を可愛(かわい)がる(あま)りに、赤ん坊だった祐子を母親に内緒(ないしょ)で連れ出し、(いかだ)曳船(ひきぶね)に乗せて家まで戻って来た時は、実娘(じつじょう)である祐子の母親が、祖父に平手打ちを食らわせたと()う話は、今でも、祐子の家の笑い話になっている。()の時ばかりは、祖父も、平身低頭(へいしんていとう)謝罪し、もう二度としないと約束させられていたとの事である。以前、祐子と正太郎が巴川(ともえがわ)の土手から降りて行った時に、母親が目くじらを立て(しか)ったのも、()の時の記憶が髣髴(ほうふつ)としたからに相違無(そういな)い。祖父は、(しばら)くは、落ち込んでいたが、今にして思えば、()の当時は、()多少(たしょう)なりとも残っていた、失われ行く昭和の原風景(げんふうけい)を、可愛(かわい)い孫に見せて()きたかったのかもしれない。そんな祖父も、(すで)鬼籍(きせき)である。祐子は、優しかった祖父を思い出し、少しセンチメンタルな気持ちになった。

(おじいちゃん。ありがとう。私、今、とても幸せだよ)

如何(どう)したの?」

 正太郎は、目に涙を浮かべた祐子を思いやった。

「ううん。何でも無いよ。おじいちゃんを思い出しちゃって」

 そう()うと、ハンカチで涙を(ぬぐ)い、正太郎に習って写真を()り始めた。正太郎はそんな祐子を優しげに(なが)めていたが、突然(とつぜん)、肩を抱くと、笑顔(えがお)()った。

「そうだ。祐ちゃん。二人で()ろうよ。」

 正太郎は、ごそごそとデイパックの中から、自撮(じど)り棒を取り出すと、スマホをセットし、巴川(ともえがわ)の河口をバックに、二人で写真を()った。海から吹いてくる秋の風が、少し肌寒かったが、ニコニコ顔のツインテール姿の祐子は、とても、可愛(かわい)らしかった。


 二人で写真を()り終えると、巴川(ともえがわ)渡河(とか)しサイクリングロードを駒越(こまごえ)方面に向かって、自転車を走らせた。あたりは一面、(すすき)が金の絨毯(じゅうたん)を作っており、風に(そよ)(たび)にキラキラと輝いている。()のサイクリングロードは旧清水港線(しみずこうせん)跡地(あとち)でもあり、正太郎はインドア派の祐子の体力を気遣い(なが)ら、のんびりしたペースで自転車を進めた。(さわ)やかな細荻(ささらおぎ)に身を任せ、(すすき)が風に(なび)くのを横目に見(なが)ら、駒越(こまごえ)東の交差点を左手に折れ、三保半島(みほはんとう)方面に進んだ。()(あた)りは、折戸(おりど)()われ、終点三保駅(みほえき)の一つ手前の折戸駅(おりどえき)がある(あた)りである。折戸駅(おりどえき)跡地(あとち)は小さな公園に姿を変えていた。祐子と正太郎は写真を()(なが)ら、一息つくと、再び三保(みほ)方面に向かって走り出した。(しばら)く走ると、(すぐ)に、三保(みほ)の中心部である。一体(いったい)に、三保(みほ)地区は造船所や金属工場が多く、清水の工業地区に当たる。また、御穂神社(みほじんじゃ)羽衣(はごろも)伝説で知られる羽衣(はごろも)の松があり、三保(みほ)の松原は、平成25年6月に富士山世界文化遺産の構成資産に登録され、清水区の貴重(きちょう)な観光資源となっている。祐子達はサイクリングロードを物珍(ものめずら)しげにキョロキョロし(なが)ら進むと三保駅(みほえき)跡地(あとち)に着いた。跡地(あとち)ではホームが保存されており、小さな公園になっていた。(さら)に、アルミナ輸送用のタンク車が、記念に据え置かれていた。三保半島(みほはんとう)の先端部分にはアルミ精錬(せいれん)工場があり、其処(そこ)へ原料であるアルミナを輸送する(ため)に使用されていたのであろう。正太郎と二人で幾枚か写真を()ると、御穂神社(みほじんじゃ)へ行って見ようかなどと相談していた。(やが)て、相談が(まと)まり、移動しようと立ち上がった矢先に、思いも()けない人物に出会った。


「葵ちゃん!」


 声を掛けられた人物は、祐子を見つけると、(すぐ)笑顔(えがお)になり、手を振った。先日、遠足で知り合った、宮城島葵である。葵は黄色いTシャツに、デニムのスカート、首に青いタオルを掛けている。買い物にでも行った帰りなのであろう。前篭(まえかご)一杯(いっぱい)、スーパーの袋が入っていた。

「祐子ちゃん、正太君、こんな処まで? 一体(いったい)如何(どう)したの?」

 葵はタオルで顔を拭うと、(たず)ねた。遠足の時よりはざっかけ無い感じである。(おそ)らく、葵にしても、正太郎達との距離(きょり)感が縮まっていたのだろう。祐子はニコニコし(なが)ら、

「自転車を買ったもんだから、正ちゃんに付き合ってもらって、慣らし運転でサイクリングに来たの。葵ちゃんは?」

「へえ、()いね。私はスーパーでお買い物の帰り。私の家すぐ其処(そこ)なの」

 葵がニコニコし(なが)ら指差した。遠足の時に見た内気さは影を潜め、溌剌(はつらつ)としている。確かに、葵が指差した正面に、大きな宮城島医院の看板が見える。診療科目は内科、外科、小児科、循環器科、婦人科となっている。葵の自宅は病院である。元々(もともと)、父親の一族が()の地で、開業しており、其処(そこ)へ嫁いだ葵の母親が手伝っている形である。従って、医師は全部で3人。祖父と父母である。葵の説明に()れば、()うした田舎(いなか)では、何でもやらなければならないらしい。従って、診療科目が多くならざるを得ないとの事である。葵は続けた。

「ねえ、祐子ちゃん、正太君。()し、良かったら、家に寄っていかない?」

 正太郎は葵の家に迷惑になると思い、一瞬、躊躇(ちゅうちょ)した。が、(しか)し、祐子はニコニコし(なが)ら誘いに乗っかった。

「うん。是非(ぜひ)行って見たいな」

 正太郎は、祐子が躊躇(ちゅうちょ)無く答えた事に、内心、驚きの目で見ていた。普段(ふだん)内向的(ないこうてき)な祐子にしてはちょっと意外であった。()れには、祐子と葵の心理的側面が酷似(こくじ)していたせいであろう。祐子も葵も極端(きょくたん)内向的(ないこうてき)な性質である。祐子は小中学時代、自宅に友達が遊びに来た事は数える程しかない。だからこそ、遊びに来た事のある正太郎やヤスベエは貴重(きちょう)な友達以上の存在なのだが、反面、何時(いつ)も、友達が遊びに来ている正太郎や六助や一平やヤスベエの事を(うらや)ましく思った事は、間々(まま)有ったのだった。()の感情は祐子の内面的(ないめんてき)部分に由来(ゆらい)する。祐子は、今迄(いままで)散々(さんざん)描写(びょうしゃ)して来た様に、性格は()の上無く温厚である。(しか)し、生来の引っ込み思案というか、内向的(ないこうてき)な部分があり、如何(どう)しても、他人との間に敷居(しきい)出来(でき)てしまう。小学校時代のお友達も、()(あた)りの微妙(びみょう)気配(けはい)敏感(びんかん)()ぎ取って、祐子の家を()まり場とする事は、(ほとん)ど無かった。裕福な家庭でもあり、自宅も広くて大きな祐子の家を、何とは無しに(はばか)り、手狭(てぜま)な正太郎の家や、六助の家が集合場所や()まり場となるのである。()の点について、祐子は何時(いつ)も、多少(たしょう)(さみ)しさを感じていた。だからこそ、葵が二人を自宅に招待しようとした心理を即座に理解出来(でき)たのであろう。


 葵の自宅は、宮城島医院の裏手に併設(へいせつ)された大きな3階建ての自宅であった。正太郎たちは庭に自転車を置かして(もら)うと、玄関で葵の母親と祖母に出迎えられた。葵はスーパーの買い物袋を母親に渡し(なが)ら、

「あっ、ママ、おばあちゃん。此方(こちら)、山本さんと高野君。高校のお友達なの。其処(そこ)三保駅(みほえき)跡地(あとち)で出会って…」

「まあまあ、よくいらっしゃいました」

「葵ちゃんがお友達を連れてくるなんてねえ…」

 二人とも、多少(たしょう)なりとも驚いている。正太郎は、

突然(とつぜん)、申し訳有りません」

 と、恐縮(きょうしゅく)(なが)挨拶(あいさつ)をすると、母親たちは非常に愛想(あいそう)よく、

「ゆっくりして行って下さい」

 と、3階の葵の部屋に通された。


 葵の部屋も、祐子の部屋同様、広々としており、部屋中、アニメのポスターだらけであった。母親が早速(さっそく)、麦茶と水蜜桃(すいみつとう)器皿(きべい)に盛ってやって来た。3人は(しばら)くの間、取り留めも無いアニメの話題に終始(しゅうし)していたが、(やが)て、それぞれの部活の話題となった。以前にも記した事であるが、葵はアニメ研究会に属している。そして、アニ研は基本帰宅部である。活動時期は学校祭の時だけであり、他の日々は学校と家を往復するだけの単調な毎日である。葵は祐子の屈託(くったく)の無い明るさが少し(うらや)ましかった。先の遠足の際に六助から聞いた話である。祐子も中学時代は、極端(きょくたん)な人見知りで、人間関係にとても苦しんでいたと。(しか)し、今の祐子は、とても、()の様には見えなかった。正太郎の影響なのかもしれない。(ある)いはボストンティーパーティーの仲間達の影響かもしれない。葵には、祐子がとても溌剌(はつらつ)(うつ)ったし、(まさ)に、高校生活を楽しんでいる様に見えたのだ。


 宮城島葵は、三保(みほ)中学校時代、体育を除く学業に関しては、(ほぼ)、学年でトップである。クラブは読書部であり、()(あた)りの立ち位置は祐子と極めて近い物があった。元来(がんらい)、おっとりとした葵である。人との争いは好まず、いつも、ニコニコとしている。こんな処も、祐子と良く似ていた。だが、葵には、祐子に()ける正太郎はいなかった。中学校時代、そして、高校時代の今に至っても誰かを好きに成った事は無い。(しか)し、遠足やクラスでのいずなやヤスベエ、それに祐子やボストンティーパーティーの面々(めんめん)を見ていると、高校生活を目一杯(めいっぱい)エンジョイしている彼らが、少々(しょうしょう)(うらや)ましくもある。()の事を言葉にすべきか、少し、逡巡(しゅんじゅん)していた(ところ)に、唐突(とうとつ)に祐子が語り掛けて来た。

「葵ちゃんも、良かったら、ブラバンに入らない?」

「えっ」

 葵は祐子の突然(とつぜん)の申し出に、少々(しょうしょう)狼狽(ろうばい)した。そして、いつもなら自然に出てくる、『私なんか無理だよ』と()う言葉を、(あわ)てて飲み込んだ。そして、躊躇(とまど)いがちに、()()った。

「…私、音楽経験。無いよ」

「平気だよ。ボストンティーパーティーのみんなも半分は初心者だよ。私も初心者だったし」

「て()うか、今でも初心者だろ」

「もう、正ちゃんの意地悪(いじわる)

「…」

 葵は此処(ここ)で沈黙してしまった。一つには、適当な断り文句が思い浮かばなかった、と()う事もあるのだろうが、心の其処(そこ)彼処(かしこ)でさんざめく物があった。(しか)し、祐子は、()れ以上の無理強(むりじ)いはせずに、ニッコリと笑い、

「考えといてね」

 と、サラリと話題を変えた。葵の家をお(いとま)したのは、それから一時間の後の事であった。(もっと)も、次の目的地である、御穂神社(みほじんじゃ)三保(みほ)の松原への道案内を、葵が買って出てくれた事により、3人による道行きとなった(わけ)である。


 景勝地(けいしょうち)三保(みほ)の松原は、清高の校歌にも歌われている。古来より天女の羽衣(はごろも)伝説があり、此処(ここ)からの富士山眺望(ちょうぼう)素晴(すば)らしいとされている。最近では世界遺産に指定される快挙(かいきょ)(ため)か、他府県からの観光客が増大しており、(にわ)かに、地元の経済を(うるお)している。3人は三保(みほ)街道を横断して、外洋(そとうみ)方面、(すなわ)ち、東へと向かって行った。旧三保(みほ)駅から()(あた)りは、三保(みほ)集落の中心部であり、昔は何らかの商店であったのであろう、仕舞た屋(しもたや)風の家が(のき)を連ねている。(さわ)やかな(おぎ)(こえ)が古い町並みを()け抜けて行く。3人は街道からの枝道に入ると、心地(ここち)()い秋の陽気(ようき)に向かって自転車を漕いでいる。(やが)て、葵の母校である小学校に行き当たると、右手に折れ、小学校を左手に見(なが)ら進むと、御穂神社(みほじんじゃ)に至るのである。


 御穂神社(みほじんじゃ)は小さな神社であるが、()参道(さんどう)は実に見事である。約500メートル程の参道(さんどう)は景勝地三保(みほ)の松原と御穂神社(みほじんじゃ)を結んでいる。3人は海岸(まで)出て、霊峰(れいほう)富士を(あお)いだ。普段(ふだん)から見慣れている(はず)の富士山ではあったが、()うして、世界遺産として見ると、また、一入(ひとしお)である。


 サクッサクッサクッ。


 三人は、潮騒(しおさい)が静かに繰り返す中、秋の(うら)らかな陽射(ひざ)しの砂浜を踏みしめ、波打ち際まで歩いた。寄せては返す波の向こうには、穏やかな陽光(ようこう)を受け、キラキラと(きら)めく太平洋が、そして、()の向うには(かす)んだ伊豆半島が横たわっている。

「あっ」

 突如(とつじょ)として、祐子の叫び声があがった。

如何(どう)したの? 祐ちゃん」

「見て、正ちゃん、葵ちゃん」

 祐子は沖合いを指差す。其処(そこ)には大型のタンカーが悠然(ゆうぜん)と航行している。恐らくは、清水港のLNG基地へ向かっているのだろう。(しか)し、祐子が指したのは其処(そこ)ではなかった。タンカーの下方なのである。

「あっ」

 続いて、葵も驚きの声を()げた。何と、船体が海上より浮き上がって見えるのである。タンカーと海上の間には、ゆらゆらとした、(あたか)もビロードの様な空間が広がっているのである。

蜃気楼(しんきろう)…。ファタ・モルガーナだ!」

 正太郎が(つぶや)く様に叫んだ。所謂(いわゆる)、浮島現象と()(やつ)である。祐子は(あわ)ててカメラのシャッターを切り、他の2人も続いた。三人は幻想的な空飛ぶタンカーの光景を食い入る様に見つめていた。(しか)し、()の光景は5分足らずで雲散霧消(うんさんむしょう)し、いつのまにか、タンカーも元の様に水上を航行している。祐子は詰まらなさそうに、

「残念。もっと、お写真に撮りたかったのに…」

「でも、祐ちゃん。蜃気楼(しんきろう)を見れた、僥倖(ぎょうこう)に感謝しなきゃ」

「私、蜃気楼(しんきろう)って初めて見た。今日、祐子ちゃん達とあってよかった」

 興奮冷めやらぬ葵は謂う。

「私もだよ、葵ちゃん」

祐子もにっこりと微笑(ほほえ)んだ。


 三人はもと来た道を戻り始める。祐子が(おもむろ)(つぶや)いた。

「本当に綺麗(きれい)な風景だね。富士山も良く見えるし…。でも、昔、遠足で来た時には、もっと、殺風景(さっぷうけい)だったと思ったんだけど…」

「そりゃそうだよ。祐子ちゃん。」

 と、葵がすかさず解説する。

「世界遺産になってから、急に、整備されたからねー」

「そうだよなあ。俺もガキの(ころ)来たけど、(あま)り、観光地化された印象は無かったもんなあ」

 しみじみと(つぶや)く正太郎。海から磯の香りを乗せた潮風がそよそよと吹いて来る。

「そう()えば、此処(ここ)に来る時に、立派なお土産物(みやげもの)屋や茶店があったもんね」

「そう()った方面にはチェックが入るなあ。帰りに寄って、お団子でも食べてくか?」

「うん!」

 祐子の笑顔(えがお)(はじ)けた。


 三人は、先の約束の通り、茶店で安倍川餅(あべかわもち)を注文した。一皿に、あんこときな粉の(もち)が3個づつで、緑茶がついて300円と意外に安く、結構(けっこう)、うまい。祐子は例に()って、もう一皿お代わりをしている。正太郎は仄々(ほのぼの)()の光景を(なが)めていたが、少し、祐子が(うらや)ましくもあった。祐子と葵は余程(よほど)安倍川餅(あべかわもち)がお気に召したのであろう。お代わりをすると、ニコニコし(なが)舌鼓(したつづみ)を打っている。正太郎は祐子たちに断って化粧室に行くと、薬剤(インスリン)を注射した。


 以前にも(しる)した事であるが、正太郎には持病(じびょう)がある。彼の病気は食物摂取(せっしゅ)には敏感(びんかん)にならざるを得なかった。通常、人間の血糖値(けっとうち)は70~110mg/dl位である。勿論(もちろん)、健常人であっても、食事直後には150乃至(ないし)200と()った数値に(まで)()ね上がる事も、決して、(めずら)しく無いのであるが、1~2時間後には、先程(さきほど)の正常値の範囲内に納まるのが、正常人の恒常性(ホメオスタシス)()う物なのである。(しか)るに、正太郎の場合、5時間たっても6時間たっても、元には戻らない。()(ため)、インスリンと()うホルモンを外部から補充する必要があるのである。インスリンの作用は血中にあるブドウ糖(グルコース)を細胞に供給する(ため)のホルモンなのだが、()の作用の結果、血中のブドウ糖(グルコース)濃度が低下する(わけ)で、(すなわ)ち、血糖値(けっとうち)が下がるのである。正太郎がインスリン強化療法に踏み切ったのは、(およ)そ、2年前に(さかのぼ)る。小学校時代から、度々(たびたび)尿検査(にょうけんさ)で引っ掛かっていたのであるが、学校からの指摘(してき)で病院での検査となったのである。そして、その(さい)に、C-ペプチドの数値(すうち)有意(ゆうい)に低かったのである。C-ペプチドはインスリンの前駆物質(ぜんくぶっしつ)であるプロインスリンの構成成分である。プロインスリンは膵臓(すいぞう)内でインスリンとC-ペプチドに分離されるのであるが、C-ペプチド自体(じたい)代謝(たいしゃ)(おそ)く、()数値(すうち)計測(けいそく)する事により、インスリンの分泌量(ぶんぴつりょう)推定(すいてい)出来(でき)(わけ)である。何分(なにぶん)にも専門的な叙述(じょじゅつ)(いた)()るが、(こう)(おつ)(へい)の3つの物質を考える。(こう)膵臓(すいぞう)内で、(おつ)(へい)の2つの物質に分離(ぶんり)する。(おつ)は比較的(すみ)やかに代謝(たいしゃ)されるが、(へい)代謝(たいしゃ)が遅い。()の場合、(こう)はプロインスリン。(おつ)はインスリン、そして、(へい)はC-ペプチドにあたる。(したが)って、正太郎の場合、糖分(グルコース)過剰摂取(かじょうせっしゅ)による高血糖(こうけっとう)(など)ではなく、インスリンの分泌能(ぶんぴつのう)の低下による、高血糖(こうけっとう)状態、(すなわ)ち、糖尿病(DM)()う事になる。結局(けっきょく)、2週間の入院期間を()て、正太郎はインスリン治療に踏み切る事となったのである。


 正太郎の様な、Ⅱ型糖尿病患者は、血糖値(けっとうち)が高い事による直接的な影響は、余程(よほど)、高くない限り、(ほとん)ど無い。(むし)ろ、インスリンが()きすぎた事による低血糖発作の方が心配である。血糖値(けっとうち)が70mg/dlを切ると、時間と共に、()れと判る症状(しょうじょう)が発現する。正太郎自身の経験に()れば、まず、目のちらつき、手足の(ふる)え、から始まって、動悸(どうき)、冷や汗、上手(うま)(しゃべ)れないと()った症状(しょうじょう)が出て来る。50mg/dlを切ると、立っては居られずにへたり込む、色彩(しきさい)が抜け落ちる、赤色と緑色が識別(しきべつ)出来(でき)ない、考えが(まと)まらない、そして、意識喪失(いしきそうしつ)へと(いた)るのである。目のちらつきと()ったが、正太郎の場合、(ただ)のちらつきとは、少し違う。彼が以前(いぜん)に読んだ、とある文学作品の描写にそっくりなのである。突然(とつぜん)視界(しかい)(はる)彼方(かなた)半透明(はんとうめい)の回転する歯車(はぐるま)が現れる。そして、歯車(はぐるま)周辺(しゅうへん)視野(しや)欠落(けつらく)していく。そう、芥川龍之介の『歯車(はぐるま)』に描写(びょうしゃ)される症状(しょうじょう)にそっくりなのである。芥川は晩年(ばんねん)屡々(しばしば)()症状(しょうじょう)(なや)まされたと()うが、経験してみれば、()れは(ひど)不快(ふかい)症状(しょうじょう)である。正太郎は、彼自身、尊敬して止まない芥川龍之介の症状(しょうじょう)と、()しくも、一致(いっち)した症状(しょうじょう)を経験する事に奇妙(きみょう)な感動を覚えた物である。()症状(しょうじょう)。今では、閃輝暗点(せんきあんてん)として広く知られている。


 閃輝暗点(せんきあんてん)()の大正期の著名(ちょめい)文豪(ぶんごう)を死に追い込んだ症状(しょうじょう)は、片頭痛(へんずつう)前駆(ぜんく)症状(しょうじょう)として、知られている。医学書を見ても、低血糖発作の症状(しょうじょう)としての、閃輝暗点(せんきあんてん)記載(きさい)皆無(かいむ)であるが、正太郎には、(たし)かに()れが起こった。(もっと)も、正太郎の場合、片頭痛(へんずつう)持ちでは無かった(ため)()の後に頭痛は起こらなかったのであるが、いずれにしても、(ひど)不快(ふかい)症状(しょうじょう)である事には変わりが無い。正太郎の経験上、()症状(しょうじょう)が起きる時は、(つね)に、血糖値(けっとうち)は70mg/dl以下であり、正太郎は()症状(しょうじょう)を低血糖発作の目安(めやす)としていた。健常人の場合、少々(しょうしょう)飢餓(きが)状態でも、()うした状況(じょうきょう)になる事は(ほぼ)無い。人間の何十種類とあるホルモンの内で、インスリン以外は(すべ)血糖値(けっとうち)上昇に作用するのである。(したが)って、()うした低血糖発作は、血糖降下剤の服用、インスリン製剤注射の特有の症状(しょうじょう)となる。低血糖発作はブドウ糖(グルコース)の補給で(すみ)やかに回復するのであるが、人間の臓器の中ではブドウ糖(グルコース)しかエネルギー源として使用出来(でき)ぬ臓器も存在するので油断(ゆだん)出来(でき)ない。()の代表的な例が脳である。だから、山歩きの好きな正太郎は行動食には、特に気を使う。山中で低血糖発作を起こして、ひっくり返ってしまっては、洒落(しゃれ)にならない。()って、ブドウ糖(グルコース)を固めただけの菓子である、ラムネ菓子は常に手の届く所に持っているのである。


 糖尿病の指標の中で、Hb(ヘモグロビン)A1c(エーワンシー)()う指標がある。グリコヘモグロビン(糖化ヘモグロビン)と()われる指標で、過去3ヶ月程度の血糖のコントロール状況を示す指標である。健常人の場合4%前半から5%後半に納まるのであるが、糖尿病患者にあっては、そうはいかない。以前、竜爪山(りゅうそうざん)遭難のお話で、正太郎は医師からの質問で、Hb(ヘモグロビン)A1c(エーワンシー)を6.9と即答しているが、或る意味、DM(糖尿病)患者にとっては名刺代わりの様な指標でもある。()れにより、此処(ここ)数ヶ月の血糖コントロール状態が判るのだ。正太郎が入院中に、年配の看護師から聞いた話では、()の数値に30を加算して、体温に置き換えるとイメージし(やす)いと()うのだ。()れに()れば、6.9と()う数値は、(すなわ)ち、36度9分と()う事になり、微熱と()う事にあたる。健康人と比較すれば、若干(じゃっかん)、不良と()う事になるのであろう。(ちな)みに、正太郎が入院時の()れは9.5であり、当時は如何(いか)切迫(せっぱく)した状況であったかが良く判る。


 正太郎が化粧室から出てくると、祐子が心配そうに(のぞ)き込んで、

「大丈夫? 正ちゃん」

 と、声を掛けて来た。(おそ)らく、優しい祐子の事だ。(はしゃ)いで、安倍川餅(あべかわもち)を食べた事が、正太郎に対して、申し訳無かったのだろう。祐子は当然(とうぜん)、正太郎の病気の事を知っている。少し、申し訳無かった。だが、正太郎は祐子を安心させる様に微笑(ほほえ)むと、ニッコリと笑って()った。

「何、()ってんだ祐ちゃん。安倍川餅(あべかわもち)を食べようと誘ったのは(おれ)だぜ」

「…うん」

 葵は()の二人を見て、微笑(ほほえ)ましくも、少し、(うらや)ましくもあった。今の様な(ささ)やかな心遣いが自然と出来(でき)る祐子と正太郎たち。(まさ)に、理想のカップルなのであろう。三人は茶屋を後にすると、其処(そこ)で解散した。


 正太郎と祐子たちは葵にお礼を()って西へ向かって去って行った。葵は二人の姿が見えなくなる(まで)見送った。葵は、今、(さわ)やかな、孤独の中に居た。今日、祐子に掛けられた誘いも大きく影響している。葵の高校生活も()()れからなのである。吹奏楽(ブラスバンド)部で、(みんな)と笑顔で活動している葵。彼女は()の様な事を夢想(むそう)(なが)家路(いえじ)辿(たど)ったのである。

或る日、忽然と、少女が失踪した。清水市興津を舞台に繰り広げられた謎の失踪劇。其の影には、悲しい秘密が伏在していた。果たして、数ある青春の蹉跌の中には、取り返しのつかない事など、存在するのだろうか? 次回、『第23話 Hard to Say I'm Sorry』。お楽しみに。

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