第22話 世界遺産を歩く
祐子が、通学の為の自転車を買った。
祐子は元来、徒歩通学であったが、練習時間が長く、帰宅時刻が遅いブラスバンド部であった為、自転車通学の許可は下りていた。其れでも、家も近く、一キロ以内である為、通学手段は相変らず徒歩の儘であった。然し、練習終了後、ボストンティーパーティーの面々と、赤灯台へ行ったり、キャトルへ行ったりと、中学時代に較べ明らかに行動範囲が広がっており、多少の不便を感じる事は間々あった。だから、赤灯台へ行く時などは、一度帰宅して、母親の自転車を借りて出直したりしていたのである。正太郎とは、付き合い出す前から、一緒に帰る事は多かったのだが、基本、正太郎は自転車である。勿論、優しい正太郎の事だから、一緒に帰る時は、正太郎が自転車を引いて、祐子の歩く速度に合わせてくれていた。祐子はそんな正太郎の気配りが、其れは其れで、とても嬉しかったし、何よりも正太郎と一緒に居る時間が少し長くなる訳であるから、祐子には、不満は無かった。然し、反面、申し訳無くも思っていた。然は然り乍らも、不便は不便であり、愈々、其れが嵩じてしまい、到頭、父母から一台の自転車をプレゼントされたのである。そして、10月の3連休の初日に、其の自転車が届いたのであった。自転車は、所謂、ママチャリではなく、スタイリッシュなタイプで、変速機も付いていた。祐子が、正太郎との映画デートから帰ったら、ピカピカの自転車が届いていたのである。祐子の母親が、映画から帰って来た祐子に、
「祐ちゃん、明日、明後日とお休みが続くから、慣らし運転も兼ねて、サイクリングにでも行って来たら?」
「…うん」
余り、気の無い返事を返す祐子。元来、祐子は、基本、インドア派であり、明日は、買って来たラノベを読みたかったのだ。然し、祐子の母親は、娘のツボを実に良く心得ている。ニコニコし乍ら、斯う囁いた。
「祐ちゃん。祐ちゃんには、アウトドア志向の王子様がいるでしょ。一緒に行こうって、誘ってみたら?」
其れを受けて、忽ち祐子の顔が輝いた。
「そ、そうだね、ママ。正ちゃんを誘ってみようかな。」
祐子は、早速、正太郎にメールを送ってみた。然し、返事が無い。がっかりした祐子は、其の儘、本を読み始めた。が、30分後、正太郎から電話が掛かってきた。
「ごめんね、祐ちゃん。風呂に入っていたもんだから…。一体、如何かしたの?」
「ううん、大した事じゃ無いんだけど、実は自転車を買ったの。私、今まで、変速機が付いた自転車なんて、乗ったことが無いから…。其れで、ママが慣らし運転にサイクリングにでも行って来なさいって、それでね、若し、よかったら一緒に如何かなって思って…」
「へー、すごいな。変速機が付いた自転車を買ったんだ。うん、勿論、行くよ。時間は?」
「正ちゃん? 明日のご予定は?」
「特に、何もなし。一日中でも大丈夫だよ」
「分かった。9時は如何かな?」
「うん。良いよ。なら、また花月でおにぎりを買って、9時に祐ちゃんの家に行くよ」
「うん。分かった。待ってるね」
扨、翌日の10月7日は、雲一つない好天に恵まれた。暑くも無く、寒くも無い。絶好のサイクリング日和である。正太郎はブルーのポロシャツに水色のトレーナーを羽織り、下はジーンズにスニーカー。例によって、花月で、おにぎりを4個づつ購入して、祐子の家に向かった。祐子は白のブラウスにピンクのカーディガンを羽織り、ベージュのスカートにスニーカー。髪はツインテールの儘である。祐子は例によって、庭先で正太郎を待っていた。横には、買ったばかりのピカピカの自転車が停めてある。正太郎は、ニコニコし乍ら、
「おはよう、祐ちゃん。此れが其の自転車だね。」
「おはよう、正ちゃん。」
祐子は、満面の笑顔で、そう謂って頷くと、早速、件の自転車を見せてくれた。自転車は、完全なスポーツタイプでは無いものの、10段変則の本格的なものであった。此れなら、相当な遠乗りも可能であろう。正太郎は早速切り出した。
「それじゃあ、早速行こうよ。ところで、何処へ行く?」
「取り敢えず、駅へ向かって行こうかな。正ちゃん。如何かな?」
「異議なし」
二人は清水駅に向かって走り出した。
清水駅へは、祐子や正太郎の家から一本道である。清水駅前から、警察署に向かって伸びる大きな通りが其の道である。距離にして約1.5キロ。二人とも駅の傍の江尻中学まで徒歩で通っていたのだ。清水駅は近隣の沼津、富士、藤枝と違い、東海道の江尻宿近在に設置されていた。余り知られていない事ではあるが、現清水駅は二代目である。旧清水駅(江尻駅)は現清水駅より、300米程、静岡寄りで、丁度、江尻踏切が其の跡地である。確かに、そう考えれば、江尻踏切周辺の道の構造は、踏切を中心に四方に拡がっており、ひと昔前の駅前の構造と謂えなくも無い。踏切の脇には酒屋や写真屋、いずな達がデートで使うジュース屋、薬局など昔からの商店が軒を連ねている。江尻踏切の略直上を、国道149号が跨線橋で抜けており、此れが、清水の目貫通りにあたる。昭和の時代には、其の目貫通りには路面電車が走っており、清水駅前から跨線橋で東海道本線を越え、新清水駅、市役所等、港方面へ伸びており、其れこそ、ひろみの家がある富士見町、港橋迄達しており、電車通りイコール目貫通りであったのだ。残念乍ら、昭和49年の七夕豪雨で庵原川に掛かる橋梁が流され、其れを契機に、路面電車は廃線へと、大きく舵を切る事になるが、其れ迄は、市民の足として親しまれていた。清水駅に話を戻す。現清水駅に移転したのは、恐らくは明治の時代の頃だと思われるが、旧江尻駅は、東海道本線を西から来た場合、巴川を渡河した直後の僅かばかりの直線部分での駅であり、恐らくホームや線路の増設が、不可能であったからに違いない。然し、此の場所であれば、旧江尻宿の街道のクランク部分に当たり、将に、宿場の中心地であったのだ。
先にも書いたとおり、富士方面に向かった場合、東海道本線は旧江尻駅を過ぎると、北に大きくカーブしており、少し行った所で現清水駅に至る。旧東海道は江尻踏切の傍の清水銀座あたりが宿場の中心地であり、銀座交差点から東海道は東に直角に曲がり、伝馬町(現江尻東3丁目)、鋳物師町(現江尻東2丁目)、鍛冶町(現江尻東1丁目)と続き、旧国道1号、今の駅前から伸びる(祐子と正太郎の家に向かって伸びる)大通りを横切ると、辻町に至るのである。辻町と江尻東の界隈は、旧東海道の街道筋にあたり、昔乍らの旧式の商店や仕舞た屋風の民家と謂った古い町並みが続く一種独特なノスタルジックな空間を作り出していた。
現清水駅周辺に目を向けると、昭和の時代、駅の海側、清水文化会館があるあたりは、東海道本線の一支線である清水港線のホームがあった。清水港線は清水駅から分岐し港湾沿いを三保半島中央部迄伸びていた、単線、非電化の赤字路線であった。元々は、三保半島にある、工場、造船所への人員の輸送、港湾物資の運搬、駒越・不二見地区にある木材工場への木材輸送、三保半島にある金属工場へのアルミナ輸送の為に使われていた。尤も、輸送が盛んであったのは戦中、終戦直後の頃であり、昭和も後期になると、モータリゼーション化の波に飲まれ、祐子や正太郎の父親の代には、一日一往復の寂しい路線となっており、人員輸送の点ではバスに、物資運搬としてはトラックに、取って替わられていた。そんな清水港線が廃線となったのは、確か、昭和59年の事である。今では、其の廃線跡地がサイクリングロードなどに姿を変えている。同線は巴川の河口付近を渡河しており、其の橋梁は国内でも珍しい可動式橋梁(はね橋)であった。当時、地元でも此の橋梁を保存しようと謂う動きがあったのだが、船舶の航行に支障を来すとの理由で、惜しまれ乍らも姿を消していったのである。
清水の街の話、続く。先述した路面電車。静鉄清水市内線であるが、港橋―新清水―清水駅前と来て、東端は清水駅前―西久保車庫前―袖師―横砂と至っていた。西久保車庫前からは路面に別れを告げ、単線路線となり、JRと平行する様に走行し、庵原川を越え、横砂が終点となっている。横砂や袖師には、戦中・戦後間も無い頃には海水浴場があり、此の路線も、清水市民の海水浴場への足として親しまれていた。夏の間は東海道本線にも、袖師と謂う臨時駅が設置されており、比較的最近まで、袖師駅を復活させようと謂う市民運動もあったとの事だが、最近では、余り聞かれ無くなった。此の袖師臨時駅ホーム跡は、近年までは列車の車窓からも確認出来ていたが、今では撤去され、其の昔日の俤を偲ぶ事は出来無くなっている。其の袖師海水浴場であるが、昭和40年頃、水質汚濁を理由に海水浴場は廃止となった。祐子や正太郎の祖父の時代には、清水高校では毎年夏になると、袖師海水浴場から三保半島真崎迄の約5km弱を遠泳すると謂う、祐子や正太郎が聞けば、清水高校入学を躊躇する様な、途方も無いイベントがあったと謂う。
そんな話を、正太郎は清水銀座の江尻踏切横の生ジュース屋で祐子に熱く語っていた。そして、祐子も興味深げに聞いている。
「5kmの遠泳大会なんて、怖いね。私、そんなイベントがあったら、絶対、清水高校に入学しなかったと思うよ」
「ハハハ…、俺もだよ」
「えっ、正ちゃん。水泳苦手じゃないでしょ? 興津川でも泳いでいたし…」
「ううん。苦手だよ。と謂うより、抑々、カナヅチだし」
正太郎はケロリとして、謂ってのけた。
「えーっ、興津川の時も、小学校の水泳も楽しそうだったから…」
「ハハハ…、水泳と水遊びは違うよ」
「本当に…もう。ところで、此の後、如何しよう?」
「そうだね、その、サイクリングロードで三保の方に向かってみようか?」
「うん。」
祐子も、ニコニコし乍ら同意する。結局、二人は国道149号を駒越方向に向かった。
エスパルスドリームプラザを越えた辺りから、清水の商業地域を抜け、倉庫や港湾施設が立ち並ぶ、所謂、港湾地域に入って行く。国道149号線は港湾道路であり、貨物を満載した大型のトラックが、引っ切り無しに走って行く。巴川の河口迄来ると、正太郎が自転車を止め、携帯のカメラで河口の方を撮り出した。
「如何したの?」
祐子は訝しげに、尋ねた。
「うん、昔の清水港線の可動橋が架かっていた場所を撮ってみたくてさ…」
前述の、珍しい可動橋の事である。祐子は、正太郎がそう謂った話柄には、殊更、関心を示す事を良く理解していたので、興味深そうに謂った。
「私は、写真でしか見た事無い筈だけど、何故か、覚えているよ。国内でもかなり珍しかったんでしょ。何で廃止になっちゃったのかなあ」
正太郎は寂しそうに笑い乍ら、
「仕方ないよ。清水港線自体、末期には、一日一往復の典型的な赤字路線だったそうだし、親父のガキの頃でも、旅客輸送はバスに代わられていたみたいだし。其れに、橋だけ残すにしても維持費がかかるだろうし、船の航行の邪魔になるって謂うのが、最大の理由だったみたいだよ。基本、巴川は運河の側面が強いからね…」
其の話は、祐子も聞いた事があった。そして、件の可動橋は、祐子の記憶の中に確かに有った。赤ん坊である自分を、祖父が確りと抱きかかえ、祐子に嬉しそうに話しかける祖父。祐子の家は、元々、材木商である。清水港で陸揚げされた材木は、其れこそ、祐子の自宅傍の貯木場まで、港から運んで来ていた事は、祖父から聞かされていた。其の昔、祖父が、祐子を可愛がる余りに、赤ん坊だった祐子を母親に内緒で連れ出し、筏の曳船に乗せて家まで戻って来た時は、実娘である祐子の母親が、祖父に平手打ちを食らわせたと謂う話は、今でも、祐子の家の笑い話になっている。其の時ばかりは、祖父も、平身低頭謝罪し、もう二度としないと約束させられていたとの事である。以前、祐子と正太郎が巴川の土手から降りて行った時に、母親が目くじらを立て叱ったのも、其の時の記憶が髣髴としたからに相違無い。祖父は、暫くは、落ち込んでいたが、今にして思えば、其の当時は、未だ多少なりとも残っていた、失われ行く昭和の原風景を、可愛い孫に見せて擱きたかったのかもしれない。そんな祖父も、既に鬼籍である。祐子は、優しかった祖父を思い出し、少しセンチメンタルな気持ちになった。
(おじいちゃん。ありがとう。私、今、とても幸せだよ)
「如何したの?」
正太郎は、目に涙を浮かべた祐子を思いやった。
「ううん。何でも無いよ。おじいちゃんを思い出しちゃって」
そう謂うと、ハンカチで涙を拭い、正太郎に習って写真を撮り始めた。正太郎はそんな祐子を優しげに眺めていたが、突然、肩を抱くと、笑顔で謂った。
「そうだ。祐ちゃん。二人で撮ろうよ。」
正太郎は、ごそごそとデイパックの中から、自撮り棒を取り出すと、スマホをセットし、巴川の河口をバックに、二人で写真を撮った。海から吹いてくる秋の風が、少し肌寒かったが、ニコニコ顔のツインテール姿の祐子は、とても、可愛らしかった。
二人で写真を撮り終えると、巴川を渡河しサイクリングロードを駒越方面に向かって、自転車を走らせた。あたりは一面、芒が金の絨毯を作っており、風に戦ぐ度にキラキラと輝いている。此のサイクリングロードは旧清水港線の跡地でもあり、正太郎はインドア派の祐子の体力を気遣い乍ら、のんびりしたペースで自転車を進めた。爽やかな細荻に身を任せ、芒が風に靡くのを横目に見乍ら、駒越東の交差点を左手に折れ、三保半島方面に進んだ。此の辺りは、折戸と謂われ、終点三保駅の一つ手前の折戸駅がある辺りである。折戸駅跡地は小さな公園に姿を変えていた。祐子と正太郎は写真を撮り乍ら、一息つくと、再び三保方面に向かって走り出した。暫く走ると、直に、三保の中心部である。一体に、三保地区は造船所や金属工場が多く、清水の工業地区に当たる。また、御穂神社や羽衣伝説で知られる羽衣の松があり、三保の松原は、平成25年6月に富士山世界文化遺産の構成資産に登録され、清水区の貴重な観光資源となっている。祐子達はサイクリングロードを物珍しげにキョロキョロし乍ら進むと三保駅跡地に着いた。跡地ではホームが保存されており、小さな公園になっていた。更に、アルミナ輸送用のタンク車が、記念に据え置かれていた。三保半島の先端部分にはアルミ精錬工場があり、其処へ原料であるアルミナを輸送する為に使用されていたのであろう。正太郎と二人で幾枚か写真を撮ると、御穂神社へ行って見ようかなどと相談していた。頓て、相談が纏まり、移動しようと立ち上がった矢先に、思いも掛けない人物に出会った。
「葵ちゃん!」
声を掛けられた人物は、祐子を見つけると、直に笑顔になり、手を振った。先日、遠足で知り合った、宮城島葵である。葵は黄色いTシャツに、デニムのスカート、首に青いタオルを掛けている。買い物にでも行った帰りなのであろう。前篭に一杯、スーパーの袋が入っていた。
「祐子ちゃん、正太君、こんな処まで? 一体、如何したの?」
葵はタオルで顔を拭うと、尋ねた。遠足の時よりはざっかけ無い感じである。恐らく、葵にしても、正太郎達との距離感が縮まっていたのだろう。祐子はニコニコし乍ら、
「自転車を買ったもんだから、正ちゃんに付き合ってもらって、慣らし運転でサイクリングに来たの。葵ちゃんは?」
「へえ、良いね。私はスーパーでお買い物の帰り。私の家すぐ其処なの」
葵がニコニコし乍ら指差した。遠足の時に見た内気さは影を潜め、溌剌としている。確かに、葵が指差した正面に、大きな宮城島医院の看板が見える。診療科目は内科、外科、小児科、循環器科、婦人科となっている。葵の自宅は病院である。元々、父親の一族が此の地で、開業しており、其処へ嫁いだ葵の母親が手伝っている形である。従って、医師は全部で3人。祖父と父母である。葵の説明に因れば、斯うした田舎では、何でもやらなければならないらしい。従って、診療科目が多くならざるを得ないとの事である。葵は続けた。
「ねえ、祐子ちゃん、正太君。若し、良かったら、家に寄っていかない?」
正太郎は葵の家に迷惑になると思い、一瞬、躊躇した。が、然し、祐子はニコニコし乍ら誘いに乗っかった。
「うん。是非行って見たいな」
正太郎は、祐子が躊躇無く答えた事に、内心、驚きの目で見ていた。普段の内向的な祐子にしてはちょっと意外であった。此れには、祐子と葵の心理的側面が酷似していたせいであろう。祐子も葵も極端に内向的な性質である。祐子は小中学時代、自宅に友達が遊びに来た事は数える程しかない。だからこそ、遊びに来た事のある正太郎やヤスベエは貴重な友達以上の存在なのだが、反面、何時も、友達が遊びに来ている正太郎や六助や一平やヤスベエの事を羨ましく思った事は、間々有ったのだった。此の感情は祐子の内面的部分に由来する。祐子は、今迄、散々描写して来た様に、性格は此の上無く温厚である。然し、生来の引っ込み思案というか、内向的な部分があり、如何しても、他人との間に敷居が出来てしまう。小学校時代のお友達も、其の辺りの微妙な気配を敏感に嗅ぎ取って、祐子の家を溜まり場とする事は、殆ど無かった。裕福な家庭でもあり、自宅も広くて大きな祐子の家を、何とは無しに憚り、手狭な正太郎の家や、六助の家が集合場所や溜まり場となるのである。此の点について、祐子は何時も、多少の寂しさを感じていた。だからこそ、葵が二人を自宅に招待しようとした心理を即座に理解出来たのであろう。
葵の自宅は、宮城島医院の裏手に併設された大きな3階建ての自宅であった。正太郎たちは庭に自転車を置かして貰うと、玄関で葵の母親と祖母に出迎えられた。葵はスーパーの買い物袋を母親に渡し乍ら、
「あっ、ママ、おばあちゃん。此方、山本さんと高野君。高校のお友達なの。其処の三保駅の跡地で出会って…」
「まあまあ、よくいらっしゃいました」
「葵ちゃんがお友達を連れてくるなんてねえ…」
二人とも、多少なりとも驚いている。正太郎は、
「突然、申し訳有りません」
と、恐縮し乍ら挨拶をすると、母親たちは非常に愛想よく、
「ゆっくりして行って下さい」
と、3階の葵の部屋に通された。
葵の部屋も、祐子の部屋同様、広々としており、部屋中、アニメのポスターだらけであった。母親が早速、麦茶と水蜜桃を器皿に盛ってやって来た。3人は暫くの間、取り留めも無いアニメの話題に終始していたが、頓て、それぞれの部活の話題となった。以前にも記した事であるが、葵はアニメ研究会に属している。そして、アニ研は基本帰宅部である。活動時期は学校祭の時だけであり、他の日々は学校と家を往復するだけの単調な毎日である。葵は祐子の屈託の無い明るさが少し羨ましかった。先の遠足の際に六助から聞いた話である。祐子も中学時代は、極端な人見知りで、人間関係にとても苦しんでいたと。然し、今の祐子は、とても、其の様には見えなかった。正太郎の影響なのかもしれない。或いはボストンティーパーティーの仲間達の影響かもしれない。葵には、祐子がとても溌剌と映ったし、将に、高校生活を楽しんでいる様に見えたのだ。
宮城島葵は、三保中学校時代、体育を除く学業に関しては、略、学年でトップである。クラブは読書部であり、此の辺りの立ち位置は祐子と極めて近い物があった。元来、おっとりとした葵である。人との争いは好まず、いつも、ニコニコとしている。こんな処も、祐子と良く似ていた。だが、葵には、祐子に於ける正太郎はいなかった。中学校時代、そして、高校時代の今に至っても誰かを好きに成った事は無い。然し、遠足やクラスでのいずなやヤスベエ、それに祐子やボストンティーパーティーの面々を見ていると、高校生活を目一杯エンジョイしている彼らが、少々、羨ましくもある。其の事を言葉にすべきか、少し、逡巡していた処に、唐突に祐子が語り掛けて来た。
「葵ちゃんも、良かったら、ブラバンに入らない?」
「えっ」
葵は祐子の突然の申し出に、少々、狼狽した。そして、いつもなら自然に出てくる、『私なんか無理だよ』と謂う言葉を、慌てて飲み込んだ。そして、躊躇いがちに、斯う謂った。
「…私、音楽経験。無いよ」
「平気だよ。ボストンティーパーティーのみんなも半分は初心者だよ。私も初心者だったし」
「て謂うか、今でも初心者だろ」
「もう、正ちゃんの意地悪」
「…」
葵は此処で沈黙してしまった。一つには、適当な断り文句が思い浮かばなかった、と謂う事もあるのだろうが、心の其処彼処でさんざめく物があった。然し、祐子は、其れ以上の無理強いはせずに、ニッコリと笑い、
「考えといてね」
と、サラリと話題を変えた。葵の家をお暇したのは、それから一時間の後の事であった。尤も、次の目的地である、御穂神社と三保の松原への道案内を、葵が買って出てくれた事により、3人による道行きとなった訳である。
景勝地三保の松原は、清高の校歌にも歌われている。古来より天女の羽衣伝説があり、此処からの富士山眺望は素晴らしいとされている。最近では世界遺産に指定される快挙の為か、他府県からの観光客が増大しており、俄かに、地元の経済を潤している。3人は三保街道を横断して、外洋方面、即ち、東へと向かって行った。旧三保駅から此の辺りは、三保集落の中心部であり、昔は何らかの商店であったのであろう、仕舞た屋風の家が軒を連ねている。爽やかな荻の声が古い町並みを駆け抜けて行く。3人は街道からの枝道に入ると、心地良い秋の陽気に向かって自転車を漕いでいる。頓て、葵の母校である小学校に行き当たると、右手に折れ、小学校を左手に見乍ら進むと、御穂神社に至るのである。
御穂神社は小さな神社であるが、其の参道は実に見事である。約500メートル程の参道は景勝地三保の松原と御穂神社を結んでいる。3人は海岸迄出て、霊峰富士を仰いだ。普段から見慣れている筈の富士山ではあったが、斯うして、世界遺産として見ると、また、一入である。
サクッサクッサクッ。
三人は、潮騒が静かに繰り返す中、秋の麗らかな陽射しの砂浜を踏みしめ、波打ち際まで歩いた。寄せては返す波の向こうには、穏やかな陽光を受け、キラキラと煌めく太平洋が、そして、其の向うには霞んだ伊豆半島が横たわっている。
「あっ」
突如として、祐子の叫び声があがった。
「如何したの? 祐ちゃん」
「見て、正ちゃん、葵ちゃん」
祐子は沖合いを指差す。其処には大型のタンカーが悠然と航行している。恐らくは、清水港のLNG基地へ向かっているのだろう。然し、祐子が指したのは其処ではなかった。タンカーの下方なのである。
「あっ」
続いて、葵も驚きの声を挙げた。何と、船体が海上より浮き上がって見えるのである。タンカーと海上の間には、ゆらゆらとした、恰もビロードの様な空間が広がっているのである。
「蜃気楼…。ファタ・モルガーナだ!」
正太郎が呟く様に叫んだ。所謂、浮島現象と謂う奴である。祐子は慌ててカメラのシャッターを切り、他の2人も続いた。三人は幻想的な空飛ぶタンカーの光景を食い入る様に見つめていた。然し、其の光景は5分足らずで雲散霧消し、いつのまにか、タンカーも元の様に水上を航行している。祐子は詰まらなさそうに、
「残念。もっと、お写真に撮りたかったのに…」
「でも、祐ちゃん。蜃気楼を見れた、僥倖に感謝しなきゃ」
「私、蜃気楼って初めて見た。今日、祐子ちゃん達とあってよかった」
興奮冷めやらぬ葵は謂う。
「私もだよ、葵ちゃん」
祐子もにっこりと微笑んだ。
三人はもと来た道を戻り始める。祐子が徐に呟いた。
「本当に綺麗な風景だね。富士山も良く見えるし…。でも、昔、遠足で来た時には、もっと、殺風景だったと思ったんだけど…」
「そりゃそうだよ。祐子ちゃん。」
と、葵がすかさず解説する。
「世界遺産になってから、急に、整備されたからねー」
「そうだよなあ。俺もガキの頃来たけど、余り、観光地化された印象は無かったもんなあ」
しみじみと呟く正太郎。海から磯の香りを乗せた潮風がそよそよと吹いて来る。
「そう謂えば、此処に来る時に、立派なお土産物屋や茶店があったもんね」
「そう謂った方面にはチェックが入るなあ。帰りに寄って、お団子でも食べてくか?」
「うん!」
祐子の笑顔が弾けた。
三人は、先の約束の通り、茶店で安倍川餅を注文した。一皿に、あんこときな粉の餅が3個づつで、緑茶がついて300円と意外に安く、結構、うまい。祐子は例に因って、もう一皿お代わりをしている。正太郎は仄々と其の光景を眺めていたが、少し、祐子が羨ましくもあった。祐子と葵は余程安倍川餅がお気に召したのであろう。お代わりをすると、ニコニコし乍ら舌鼓を打っている。正太郎は祐子たちに断って化粧室に行くと、薬剤を注射した。
以前にも記した事であるが、正太郎には持病がある。彼の病気は食物摂取には敏感にならざるを得なかった。通常、人間の血糖値は70~110mg/dl位である。勿論、健常人であっても、食事直後には150乃至200と謂った数値に迄跳ね上がる事も、決して、珍しく無いのであるが、1~2時間後には、先程の正常値の範囲内に納まるのが、正常人の恒常性と謂う物なのである。然るに、正太郎の場合、5時間たっても6時間たっても、元には戻らない。此の為、インスリンと謂うホルモンを外部から補充する必要があるのである。インスリンの作用は血中にあるブドウ糖を細胞に供給する為のホルモンなのだが、此の作用の結果、血中のブドウ糖濃度が低下する訳で、即ち、血糖値が下がるのである。正太郎がインスリン強化療法に踏み切ったのは、凡そ、2年前に遡る。小学校時代から、度々、尿検査で引っ掛かっていたのであるが、学校からの指摘で病院での検査となったのである。そして、その際に、C-ペプチドの数値が有意に低かったのである。C-ペプチドはインスリンの前駆物質であるプロインスリンの構成成分である。プロインスリンは膵臓内でインスリンとC-ペプチドに分離されるのであるが、C-ペプチド自体は代謝が遅く、此の数値を計測する事により、インスリンの分泌量が推定出来る訳である。何分にも専門的な叙述で痛み入るが、甲、乙、丙の3つの物質を考える。甲は膵臓内で、乙、丙の2つの物質に分離する。乙は比較的速やかに代謝されるが、丙は代謝が遅い。此の場合、甲はプロインスリン。乙はインスリン、そして、丙はC-ペプチドにあたる。従って、正太郎の場合、糖分の過剰摂取による高血糖等ではなく、インスリンの分泌能の低下による、高血糖状態、即ち、糖尿病と謂う事になる。結局、2週間の入院期間を経て、正太郎はインスリン治療に踏み切る事となったのである。
正太郎の様な、Ⅱ型糖尿病患者は、血糖値が高い事による直接的な影響は、余程、高くない限り、殆ど無い。寧ろ、インスリンが効きすぎた事による低血糖発作の方が心配である。血糖値が70mg/dlを切ると、時間と共に、其れと判る症状が発現する。正太郎自身の経験に因れば、まず、目のちらつき、手足の震え、から始まって、動悸、冷や汗、上手く喋れないと謂った症状が出て来る。50mg/dlを切ると、立っては居られずにへたり込む、色彩が抜け落ちる、赤色と緑色が識別出来ない、考えが纏まらない、そして、意識喪失へと至るのである。目のちらつきと謂ったが、正太郎の場合、唯のちらつきとは、少し違う。彼が以前に読んだ、とある文学作品の描写にそっくりなのである。突然、視界の遥か彼方に半透明の回転する歯車が現れる。そして、歯車周辺の視野が欠落していく。そう、芥川龍之介の『歯車』に描写される症状にそっくりなのである。芥川は晩年、屡々、此の症状に悩まされたと謂うが、経験してみれば、此れは酷く不快な症状である。正太郎は、彼自身、尊敬して止まない芥川龍之介の症状と、奇しくも、一致した症状を経験する事に奇妙な感動を覚えた物である。此の症状。今では、閃輝暗点として広く知られている。
閃輝暗点。此の大正期の著名な文豪を死に追い込んだ症状は、片頭痛の前駆症状として、知られている。医学書を見ても、低血糖発作の症状としての、閃輝暗点の記載は皆無であるが、正太郎には、確かに其れが起こった。尤も、正太郎の場合、片頭痛持ちでは無かった為、其の後に頭痛は起こらなかったのであるが、いずれにしても、酷く不快な症状である事には変わりが無い。正太郎の経験上、此の症状が起きる時は、常に、血糖値は70mg/dl以下であり、正太郎は此の症状を低血糖発作の目安としていた。健常人の場合、少々の飢餓状態でも、斯うした状況になる事は略無い。人間の何十種類とあるホルモンの内で、インスリン以外は全て血糖値上昇に作用するのである。従って、斯うした低血糖発作は、血糖降下剤の服用、インスリン製剤注射の特有の症状となる。低血糖発作はブドウ糖の補給で速やかに回復するのであるが、人間の臓器の中ではブドウ糖しかエネルギー源として使用出来ぬ臓器も存在するので油断は出来ない。其の代表的な例が脳である。だから、山歩きの好きな正太郎は行動食には、特に気を使う。山中で低血糖発作を起こして、ひっくり返ってしまっては、洒落にならない。因って、ブドウ糖を固めただけの菓子である、ラムネ菓子は常に手の届く所に持っているのである。
糖尿病の指標の中で、HbA1cと謂う指標がある。グリコヘモグロビン(糖化ヘモグロビン)と謂われる指標で、過去3ヶ月程度の血糖のコントロール状況を示す指標である。健常人の場合4%前半から5%後半に納まるのであるが、糖尿病患者にあっては、そうはいかない。以前、竜爪山遭難のお話で、正太郎は医師からの質問で、HbA1cを6.9と即答しているが、或る意味、DM患者にとっては名刺代わりの様な指標でもある。此れにより、此処数ヶ月の血糖コントロール状態が判るのだ。正太郎が入院中に、年配の看護師から聞いた話では、此の数値に30を加算して、体温に置き換えるとイメージし易いと謂うのだ。此れに因れば、6.9と謂う数値は、即ち、36度9分と謂う事になり、微熱と謂う事にあたる。健康人と比較すれば、若干、不良と謂う事になるのであろう。因みに、正太郎が入院時の其れは9.5であり、当時は如何に切迫した状況であったかが良く判る。
正太郎が化粧室から出てくると、祐子が心配そうに覗き込んで、
「大丈夫? 正ちゃん」
と、声を掛けて来た。恐らく、優しい祐子の事だ。燥いで、安倍川餅を食べた事が、正太郎に対して、申し訳無かったのだろう。祐子は当然、正太郎の病気の事を知っている。少し、申し訳無かった。だが、正太郎は祐子を安心させる様に微笑むと、ニッコリと笑って謂った。
「何、謂ってんだ祐ちゃん。安倍川餅を食べようと誘ったのは俺だぜ」
「…うん」
葵は此の二人を見て、微笑ましくも、少し、羨ましくもあった。今の様な細やかな心遣いが自然と出来る祐子と正太郎たち。将に、理想のカップルなのであろう。三人は茶屋を後にすると、其処で解散した。
正太郎と祐子たちは葵にお礼を謂って西へ向かって去って行った。葵は二人の姿が見えなくなる迄見送った。葵は、今、爽やかな、孤独の中に居た。今日、祐子に掛けられた誘いも大きく影響している。葵の高校生活も未だ此れからなのである。吹奏楽部で、皆と笑顔で活動している葵。彼女は其の様な事を夢想し乍ら家路を辿ったのである。
或る日、忽然と、少女が失踪した。清水市興津を舞台に繰り広げられた謎の失踪劇。其の影には、悲しい秘密が伏在していた。果たして、数ある青春の蹉跌の中には、取り返しのつかない事など、存在するのだろうか? 次回、『第23話 Hard to Say I'm Sorry』。お楽しみに。




