第20話 13個の錘の命題に関する一考察
さわさわ、さわさわ。
嫋やかなる初秋の爽籟を受け、樹々たちが一斉にさんざめく。熾烈な暑気が何時の間にやら姿を消し、色無き風が街を駆け抜ける、9月の暮。何処か気怠い放課後の事である。其処彼処に秋の気配が溢れ漂っている。正太郎が部室の窓の櫺に手を掛け、楡の巨木を見上げて、不意に詩的な表現で、斯う呟いた。
「此の処、俄かに、秋めいて来たね」
「本当だね」
祐子が秋の穏やかな陽に手を翳して、ニコニコし乍ら、閑かに応える。木漏れ陽が少し眩しい。
さわさわ、さわさわ。
再び、樹々たちが、一斉に爽やかな囀りを始める。賑やかな、そして、静かな、孟秋の気怠い午後である。
部室には、退屈したいつものメンバーが手持ち無沙汰な日常に無聊を託ち乍らも、蝟集していた。そして、其処で、敬介が困った様に、徐に、話し始める。
「実はさ、昨日、ゆり姉から、メールが来たんだけど…。ちょっと、難問にぶつかっちゃってさ。其処で、みんなの知恵を借りたいんだ」
高志が、早速、いつもの様に、茶々を入れ始めた。此の男が調子付くと、大体に於いて碌な事が無い。
「なんだ、『高志君って、素敵ね。今度紹介して』ってか。良いぜ。ぐわあっ」
「黙って、聞きなさいよ。此のハロゲン族」
ひろみが、肘うちを入れた。最早、毎度、お馴染みの光景である。凛子が先を促した。
「で、何なの?」
「13個の錘があります。ひとつだけ重さが違うものがあります。上皿天秤を3回使って、重さが違うものを見つけなさい」
「何、其れ?」
「一個、一個、手に持ってみたら、何となく判るだろ?」
明彦が、事も無げに謂った。
「バカね、其れじゃあ、クイズにならないでしょ。真面目に考えなさいよ。此の眼鏡は」
スレンダー美人の凛子が呆れ乍ら謂った。今日は秋らしい緋色のカチューシャをしている。
「おい、此れ、クイズなのか?」
「流石にそうでしょ。他に解釈の仕様が無いじゃないの。全く、もう…」
高志が、何処か遠い目をし乍ら、物謂いたげな表情で呟いた。
「なあ、俺、時々、思うんだが…」
「何よ」
「いや、大した事じゃねーんだが…。此の作者って、ネタに詰まると、必ずクイズぶっ込んで来ねえか? あ、痛っ…。何すんだよ、ひろみ」
(悪かったな。)
ひろみが、高志の後ろ頭を引っ叩き乍ら、何処か不思議そうな表情で、自身の手を見つめ乍ら謂った。
「いや、今、何故か、高志を引っ叩けって謂う、強烈な思念波が頭の中に…」
「てんめえ、何、訳分かんねえ事、謂ってやがる!」
食って掛かる高志を尻目に、眉間に皺を寄せた凛子が考え深げに呟いた。
「でも、此れじゃあ、圧倒的に条件が不足している気がするんだけど…。此れで、本当に解けるのかしら?」
高志が謂った。
「いや、もっと、『一休さん』的な話なんじゃねーの。此の虎を捕らえてみよ。みたいなさ」
「バカね。頓智だったら、万人が納得する様な、オチをつけなさいよ。それが、イコール答えでしょ」
ひろみが答える。
「ムキーッ。結構、難易度高そう」
いずなが、ぼやいた。此処で、おっとりとした風情で、祐子が初めて口を開く。
「ねえ、敬介君。本当に問題、此れに間違いないの? 例えば、錘の重さが一つだけ重いとかじゃなくて? 或いは、錘の数がもっと少ないとか」
「いや、此れで間違い無いよ。一つだけ重さが違うって書いてあった。数も間違い無いよ」
「で、何でゆり姉が?」
高志が尋ねた。
「何でも、ゆり姉のサークルでクイズが流行っていて、此れだけ、正解が分からないって、残ったんだと」
高志が、如何にも合点が行かぬ、と謂った風情で、不平そうに謂う。
「然し、妙な話だな。抑々、答えなら出題者に聞けばいーんじゃねーのか?」
「出題者も答えを覚えて無いって。其れ処か、問題自体正しいかどうか、正確に覚えて無いって」
「かーっ、バカじゃねーのか、其奴。然し、出題者自身が、そんな状態なら、所謂、信用出来無い語り手じゃねーか。だとすると、問題自体が成立してない可能性も有る訳か…」
高志が謂った。
「ウキャーッ。何か古典部みたくなって来たねー。いずな、わくわくして来た」
「私、気になります」
祐子が真似をした。微妙に似ている。高志が怪訝な顔で、正太郎に尋ねた。
「古典部? 何だ、また、其方系のネタか?」
「…ああ。まあ。そうだ」
明彦と凛子が立ち上がった。
「悪い。今日は帰るよ。凛子と本屋へ参考書買いに行くんだ」
「何だあ? まさか、如何わしい本屋じゃねーだろうな。おもちゃなんか売ってる…。いてえっ」
ひろみが、部室備え付けの孫の手を持って立っている。高志の頭を小突いたらしい。明彦が真っ赤になって否定する。
「違げーよ、参考書って謂っただろ。大体、凛子も一緒だぞ」
「わかんねーぜ。進歩的な男女交際の参考にする為にだな…あいててて。こら、ひろみ、おめーは、先刻からポンポンと人の頭を…」
「あんたが、ポンポンと愚にも付かない事を謂うからでしょ。何が進歩的な男女交際よ」
「ムッキー、そう謂う本屋。いずな知ってるよ。お店の看板に大きなキノコが生えてるんだよ。いずなのお家の近所にもあったの。中学の時に、参考書買いに行った事があるよ」
「参考書だあ? 買いに行ったのか? ねーだろ。あの手の店には…」
と高志。
「うん。店員さんに聞いたら、置いてないって」
「き、聞いたのか?」
「うん。代わりにHな本がいっぱいあった。あと、変な道具も。どらえもんの不思議道具みたいな…」
「おまえなあ。どらえもんさんにあやまっとけよ。あと、道具の用途については、其のうち、敬介にでも教えてもらえ。いてえっ」
「あんたねえ。良い加減にしなさいよ」
ひろみが、孫の手をぶんぶんさせている。凛子が立ち上がり乍ら、
「そろそろ、帰るわね。其れじゃあね。若し、解けたら、ラインで教えてね」
明彦と凛子が帰って行った。高志が立ち上がり乍ら謂った。
「じゃあ、俺たちも帰るか。来週迄さよならだな。いずな達は、明日はデートか?」
「違うよ。いずなは明日お買い物だよ」
「誰と?」
「…ケースケ君と♪」
「あのなあ、世間一般では、そう謂うのをデートって謂うんだよ。で、何を買うんだ?」
「ううん。ドリームプラザをプラプラして、観覧車乗って、映画見て…」
「買い物ですらねえ。まんま、デートじゃねえか」
「ヴーッ。高志は?」
「おっ、俺か? 俺は、其の、社会的見識をだな…。高める為にだな。其の、観覧車乗って、其の後、映画でも」
「誰と?」
「えーっと。誰とだったかな? 確か、六助だったかな…」
「ムッキー、気持ち悪い。男二人で観覧車って…、有り得ないでしょ。じゃあ。ひろみっちに聞こうかな。ひろみっち、明日のご予定は?」
「えーと。…何だったかな。其の…、映画だったかな」
「ヴーッ。全然、人の事、謂えない。ひろみっち、明日の場所は? セノバ? 若しかして…」
「…ドリプラ」
「ヴー。猛烈に、嫌な予感がしてきた」
高志も、ウンザリした様に呟く。
「奇遇だな。俺もだ」
【急告】
クイズを楽しみたい方は此処で本を置いて、お考え下さい。論理的に解けますよ。
全員が解散した。祐子は今日歩きだったので、正太郎も自転車を引いて、並んで歩いている。
「高志たち、明日映画だって。敬介たちも。俺たちも行こうか?」
「うん。いいよ」
ポテッとした体型の祐子は、テトテト歩き乍ら、頻りに考え事をしている。路傍の秋桜が、そよそよと金風に泳いでいる。祐子は返答も、若干、上の空である。正太郎が気にして、尋ねた。
「ひょっとして、先刻の『13個の錘』問題を考えているの?」
祐子の顔が、飛びっきりの笑顔で輝いた。
「よく分かったね。正ちゃん」
「祐ちゃん。ああ謂うの好きだからなあ…」
「私、気になります!」
「其れは、もういいから…。良いよ、一緒に考えよう」
「うん!」
祐子は満面の笑みで頷く。其れを正太郎は優しく見守り乍らも、溜息混じりに呟いた。
「でもなあ。高志が謂う様に、出題者が、信用出来無い語り手の可能性があるからなあ…。若し、そうだとすると、出来の悪いリドル・ストーリーな訳で、時間の空費にしかならない、と謂う懸念もあるけど…」
「其れは、そうなんだけど…、でも、其処が楽しいんじゃない?」
矢張り、典型的な理系少女である。此処いら辺りの考え方が、正太郎とは異なる思考なのであろう。然し、すぐに正太郎の家である。二人は渋川橋東交差点で、暫く、立ち止まって考えていたが、頓て、おずおずと祐子が提案した。
「ねえ、正ちゃん。今日、お暇? 若しよかったら、私の家で考えない?」
「うん。良いけど。ご迷惑じゃない」
「ううん。大丈夫」
「わかった。家で着替えて、すぐ行くよ」
「うん。待ってる」
正太郎は紺のハーフパンツに、水色のTシャツというラフな格好で、自転車に乗って出掛けた。何処からか、夏の名残である寒蝉の声が聞こえる。渋川橋の袂を通る時に、俄かに、巴川の方から水の香りがした。9月の風が顔に当たって爽快だった。とは謂え、目と鼻の距離である。すぐに祐子の家だった。祐子の家は立派な門構えの大きな家である。祐子がお嬢様である事が良く分かる。庭では、祐子の母親が山茶花の植え込みに水をやっていた。もうすぐ、山茶花の花も見頃を迎えるだろう。彼女は丸っこい体型、タレ目、丸顔、団子鼻、愛想が良く、愛嬌のある態度。母親はあらゆる点で、祐子と遺伝学的特徴が一致していた。
「あら、正ちゃん。お久しぶり。いつぞやは、祐子の命を救ってくれて、本当にありがとうね」
未だに、あの時の事を謂われる。流石に、少々、照れ臭い。
「いえ、そんな。祐子さんいますか?」
まあ、母親の手前と謂うのもあるのだろうが、最近では、さん付けもすっかり自然になって来た。
「はい、ちょっと待ってね」
母親は、正太郎にモフモフっとしたスリッパを勧め乍ら、
「祐ちゃーん。正ちゃんよ」
「はーい。ママ。すぐ、行きます」
祐子は、奥から現れた。白のTシャツで豊満な胸の辺りに大きく赤で『LOVE』の文字が入っている。下はデニムのスカート、此方も、相当にラフな格好だ。ポテッとした体型のやや内股で、両腕で碁笥を乗せた立派な碁盤を抱えている。ちょっと、仕草が愛くるしい。
「あっ、祐ちゃん、碁盤、持とうか?」
「ううん、大丈夫だよ。ありがとね」
そう謂うと、祐子は正太郎を先導した。
「正ちゃん。此方」
2階の祐子の部屋に通された。祐子の家は小学生以来である。巴川を見下ろせる、気持ちの良い広い部屋だった。大きなベッドがあり、横に祐子の学習机がある。机の上の本棚には、辞書や参考書が整然と並び、机の上には、正太郎と祐子の二人で写した写真が、スタンドに入れてある。学習机の反対側のコーナーには、デスクトップPCがPCデスクに収まっており、上にプリンターが設置されている。部屋の4面のうち2面は本棚があり、小説、漫画、DVDがビッシリである。流石は自他共に認めるオタク少女である。祐子は、『よっこいしょ』っと、部屋の中央に碁盤を置き、部屋の窓を全開にした。相変わらず、表から寒蝉の声が聞こえる。此の辺りには、未だ生息しているものらしい。
「あら、つくつく法師。まだ、鳴いているんだね」
正太郎は窓から巴川方向を眺めた。
「ああ、つくつく法師や蜩は別名、寒蝉と謂ってね。秋の季語になるんだよ。だから、一番最後まで鳴くんだ。此の蝉の声しか聞こえなくなったら、夏も、もう、終わりさ」
季節の移ろいに敏感な正太郎は、そう謂うと、再び、窓の外に視線を移す。眼の前の巴川はゆったりと横たわっている。休日前の長閑な午後のひと時である。
「ふーん。そうなんだ」
祐子はそう謂うと、目を瞑って寒蝉の声を聞き入っている。そして、徐に口を開くと、
「今年の夏はいろんな事があったな。私、此の夏の事は、多分、一生忘れないよ」
「俺もだよ」
正太郎はそう謂うと、祐子に倣って目を瞑り、寒蝉の声を体全体で鑑賞し始めた。二人は暫しの間、石仏の様に微動だにしなかった。
頓て沈黙を破って正太郎が祐子に、徐に尋ねた。
「ところで、如何したの? 其の碁盤」
「うん、錘の代わり。先刻、考えた時に思ったの。斯う謂うのあった方が、分かりやすいでしょ? パパの借りてきちゃった」
「成程。確かに、そうだね。…へええ、本榧かあ」
正太郎はそう謂うと、黒石を手前の星にピシリと打ち込んだ。
「正ちゃん。碁、出来るの?」
「多少ね。昔、親父の相手させられるために、教え込まれた」
「そうなんだ」
「石も高級だね。白石は蛤だね。…あーーっ。祐ちゃん。何してんの?」
祐子は白石の表面に1~13まで数字を、油性マジックで書き込んでいた。
「ねっ。斯うすれば、分かりやすいでしょ」
祐子はニコッと微笑み掛けた。確かに合理的ではある。
「うん。でも、パパは泣くんじゃないかなあ…」
「そうかなあ…。ほら、斯うして裏返せば分からないよ」
二人で、石を並べ乍ら、小一時間ほど考えた。然し、取っ掛かりすら見えてこない。やはり難問だ。祐子も眉間に皺を寄せ考えている。正太郎は祐子に話しかけた。
「祐ちゃん。如何? 何か分かった?」
難しい顔で、右手人差し指を唇に当て乍ら、考え込んでいた祐子だが、正太郎の問いかけに、支度気ない表情になり、斯う答えた。
「確かに、難問だね。いろいろ考えているのだけど、あんまり、有効な物は無いよ。正ちゃんは?」
「俺も、今の処、全然」
祐子は、徐に語りだした。
「あのね、一度の計測で分かる場合は、何個迄かを考えてたの。答えは、3個。それも、重いか軽いか、分かっている場合だけ。仮に1、2、3として1と2を比較してつりあわなければ1か2、つりあえば、3。此の場合、重いか軽いか分かっている事が前提。重いか軽いか分から無ければ、不釣合いの場合、1、2で判別つかない。此の考えを推し進めれば、2回の計測で判明する限界は、恐らく、9個。そして、3回の計測で判明する限界は、恐らく、27個。つまり、重いか軽いか分かっていれば、27個の中から探すことが可能。此れからしても、13個の中から探すというのは、やはり、重いか軽いか分からないと謂うのが、前提みたいね。敬介君の謂った通りみたい。唯、重いか軽いか分かれば、一回の計測で、3個の中から1個を探せる。と謂うのは、公理として今後使えると思う。其処で、問題自体、成立しているという前提で進めてみたいと思うの。若し、如何しても解け無ければ、解け無い事を立証すれば良いんじゃないかな。如何かな? 正ちゃん」
「何か凄いね。祐ちゃん。其れは其れで、かなり難易度が高そうだけど…。分かった。其の線で進めようよ」
「正ちゃんは何か考えは有る?」
祐子がニコニコし乍ら尋ねてきた。正太郎は、生真面目な表情で、慎重に語りだした。
「此れが、高志が謂う頓智で無ければ、初手は6通り。1個づつ、2個づつ、3個づつ、…6個づつまでの6通り。俺は多分、初手は4個づつじゃ無いかと思うんだ」
「根拠は?」
「無いよ。勘だ。まあ、強いて謂えば、バランスかな」
「バランス?」
「ああ。初手で、天秤の左に載せる集団をA。右に載せる集団をB。として、載せない集団をCとした時、A、B、Cのバランスが一番良いのが4個づつのパターンだと思うんだ」
成程。確かにそうだ。祐子は正太郎の直感に感心した。勘とは謂っていたが、強ち、的外れな発想では無い。寧ろ、初手の取っ掛かりとしては、極めて有効な着想である様に思われた。
「異存は無いよ。続けて」
「続けるも何も、以上だよ。1時間掛けて此の程度。其れも、祐ちゃんみたいな、理詰めじゃ無いよ。申し訳無いけど」
「じゃあ、正ちゃん説を取っ掛かりに、進めてみようよ」
祐子は1~4の白石を左に、5~8の白石を右に、9~13の白石を一番右に置いた。そして、祐子は呟く様に謂った。
「まず、一回目。つりあった場合は、1~8は無罪。犯人は9~13の中にいる。現状では、重いか軽いは不明」
祐子はそう謂うと、1~8の白石をひっくり返し、数字を隠した。
「そして、次なんだけど、無罪の3個と9~11を比較する。釣り合わなければ、此の瞬間に、重いか軽いか判明し、容疑者は3個に絞られる。従って、先刻の公理により判別可能となる。次に、2回目が釣り合った場合、1~11迄が無罪。容疑者は12か13で、重いか軽いか不明。だから、最後の計測は無罪の1個と12を比較する。釣り合わなかったら、犯人は12。此の場合、重いか軽いかも同時に判明する。そして、釣り合った場合、消去法により最後に残った13が犯人。此の場合、最後迄、重いか軽いか分から無いけど、回答の必要条件じゃ無いから、問題無い」
「すごいね。コナン君みたいだ」
「茶化さないの。もう…」
茶化しはしたものの、正太郎は祐子の小気味良い証明に、内心、感服していた。元来、頭の良い子、所謂、勉強が出来る子と謂うだけで無く、論理的で、頭の回転が速く、明晰な頭脳の持ち主であるとは、思っていた。が、然し、此れ程とは思わ無かった。祐子の説明に、頭が付いて行くのが精一杯だった。其の上、意識するとは無しに、如何しても祐子の豊満な胸元に視線が釘付けとなってしまい、慌てて視線を逸らすと謂う、思春期の男の子の不思議な習性の繰り返しで、気も漫ろである。説明の半分も頭に定着しない。然し、祐子は、そんな正太郎を知ってか知らずか、更に続ける。
「問題は、初手で釣り合わ無かった場合だよね」
「あっ。うん。そうだね」
正太郎は、祐子の一言で、漸く我に帰った。そして、祐子の言葉を反芻すると、頭をクイズに切り替えた。
(確かにそうだ)
初手で釣り合わなかった場合、1~8の容疑者の中から、2回の計測で犯人を炙り出すのは厳しいものと思われる。結局の処、重いか軽いか分から無い以上、手詰まりになってしまう様な気がした。其の瞬間、何かが脳裏を過ぎった。
「あっ」
「如何したの? 正ちゃん」
「いや、今、何か。一瞬、閃いた気が…」
「…。がんばって。正ちゃん。正ちゃんの閃きが…。絶対に、事態を打開すると思ってたの」
正太郎は徐に語りだした。
「ねえ、祐ちゃん。最初の計測で釣り合わなかった場合、1~8に犯人がいると謂う事以外に、もう一つ、判明したものがある。9~13が無罪と謂う事。と謂う事は、無罪の錘5個をフル活用したら、って思ったんだけど、此れも、如何やら、手詰まりみたいだね」
正太郎がそう謂い乍ら、盤面の石を崩そうとした瞬間、
「待って!」
左手で正太郎の手首を、確りと掴んで離さない。祐子は、右手人差し指を唇に当て乍ら、じっと盤面を睨みつけた。人差し指を唇に当てる仕草は、祐子が思索する時の癖である。そして、ニッコリ微笑むと、大きく叫んだ。
「分かった!」
祐子が、最高の笑顔で、正太郎に語りかけた。
「正ちゃん。それ、多分、正解。…。それに、最初の計測の時に釣り合わ無かった場合、分かる情報が、もう一つだけあった。仮に1~4が下がったとしたら、1~4に犯人がいる場合、犯人は重い。そして、5~8に犯人がいる場合、犯人は軽いと謂う情報」
「祐ちゃん。それって、如何謂う事…?」
「若し、そうなら、次は、1~3と5、6の5個と無罪の5個を比較するのよ」
「…? 釣り合わ無かったら?」
「混成組が下がれば5~6は無関係。犯人は重く、1~3のどれか。重くて3個だから、公理が当てはまり、最後の計測で判明できる。混成組が上がれば1~3は無関係。犯人は軽く、5と6の何れか。此方も公理が当てはまる」
「あっ」
「そう。2手目で絞り込みと、重い軽いを判別する妙手が合ったのよ。仮に、2回目の計測結果の重い軽いが反対だったとしても、問題無い。3回目の判断基準を逆転させるだけの事だから」
「若し、2手目で混成組と釣り合った場合は、如何するのさ? 其の可能性も、当然、否定出来無いよね?」
正太郎は素朴な疑問を投げ掛けた。偶々、選択した5個の中に犯人が含まれていれば、祐子の謂う通りであろうが、そうでなければ、矢張り解けないのではあるまいか? 流石に、偶然を論理に織り込む訳には行かないであろう。然し、祐子はニコニコし乍ら続ける。
「其の場合も、簡単。3手目で7と8を比較する。此の場合、犯人がいるとすれば、軽い訳だから、釣り合わ無ければ、軽かった方が犯人。釣り合った場合は、消去法で残った4が犯人」
「あっ」
正太郎は驚愕した。確かに、理に適っている。祐子は、此の、僅か数秒の刹那と謂う瞬時に、理詰めで論理を組み立ててしまったのだ。正太郎は感心すると共に、自分の頭脳が、祐子の其れに遠く及ばない事を痛感した。が、然し、次の正太郎の行動は思いも寄らない物だった。
「すごいよ。祐ちゃん」
と謂い乍ら、祐子に抱きついた。祐子は驚いた。
(えっ、えー)
丁度、正太郎の顔が、祐子の胸の辺りに埋まっている。正太郎としては、他意は全く無く、純粋に感動しての行動だった。クイズ大会の時と同じである。祐子も、勿論、大好きな正太郎である。当然、悪い気はしなかった。正太郎を抱きしめ、頭を撫でてあげたかった。
将に、そうしようとした時、祐子の母親が入ってきた。
「祐ちゃん。お茶とブドウ持ってきたわよ。あらっ。…」
「…」
当然、祐子の母親と祐子の目が合った。余りの事に、咄嗟に弁解を始める祐子。
「ちっ、違うの。誤解しないで。ママ。此れは、アルキメデスが『エウレーカ』した、みたいなもんで」
祐子の弁明を聞いて、正太郎は慌てて飛びのいた。そして、飛びのき乍ら、思った。
(すげえ。あれで、会話が通じるのか? 此の親子、知的レベルが半端ねえ。まあ、此れ以上無い、的確な表現ではあるが…)
然し、将に土壇場とは、此の事である。如何に幼馴染であるとは謂え、母親の前で其の娘の豊満な胸に顔を埋めている処を目撃されてしまった訳である。流石に、不謹慎の謗りは免れない。正太郎と祐子は、真っ赤になって小さくなる外は無かった。一方、祐子の母親はと謂うと、
「あらあら、まあ、まあ、まあ」
と謂い乍ら、葡萄とお茶を置いて行ってしまった。全く以って、バツが悪い事、此の上無い。正太郎は持って来て頂いたデラウェアを口に放り込み乍ら、
「ごめん、祐ちゃん。何か、悪い事しちゃった。如何やら、俺、出禁になっちゃいそうだよ」
「其れは、多分、大丈夫だと思うけど…。ママ。飄々としてるし、ユーモア好きだし」
「でも、あの状況、如何考えても誤解されているよ。其の内、『祐ちゃん。ちょっと』とか謂って呼び出されると思うよ」
「そうかなあ」
「其れはそうとして、祐ちゃん凄いよ。俺、感動しちゃった。完璧な論理だよ」
「えへへ。そんな事無いですよーだ」
「いや、本当。正直謂うと少々、嫉妬した。俺には、あの論理、瞬時に組めないよ。いや、時間があっても無理だ。説明聞いてる時も、頭が付いていくので、精一杯だった」
「ううん、其れは違うよ。私の方こそ、正ちゃんがうらやましかったよ。初手の発見だったり、5個フルに使う発想だったり。いつも、直感的に正解に向かっていけるもん」
「そうかな? でも、今回は、殆ど、祐ちゃんの手柄だよ」
「そう? えへへ。じゃあ、ご褒美もらえる?」
そう言うと、祐子はベッドの端に腰掛け、静かに目を閉じた。朴念仁の正太郎にも、何をすべきか良く分かっていた。将に、それを実行しようとしたところ、祐子の一言で飛びのいた。
「待って。ママが来る!」
次の瞬間、祐子の母親の声が聞こえた。
「祐ちゃん。ちょっと」
案に違わず、祐子が母親に呼び出されたのだ。
(まずいな。ひょっとしたら、今の行動も悟られたかも)
廊下から、祐子の声が微かに聞こえた。謎の様な言葉である。
『大丈夫。必ず使うから。いや、使わないけど…』
祐子が、真っ赤になって部屋に戻ってきた。
「…おまたせ」
「大丈夫だった?」
「…うん」
「何だったの」
祐子が、もじもじし乍ら謂った。
「…いざって…時に…使いなさいって」
「?」
「此れ」
祐子が恥じらい乍ら開いた掌の上には、避妊具が乗っかっていた。当然の事乍ら、暫しの沈黙。
「…祐ちゃんのママ。…なんかすごいね」
「…」
「…流石に、祐ちゃんのママの頭の上で、そう謂う事は…」
「…私だって。…たとえ、正ちゃんとでも、ちょっと…。…だから…其の。ご褒美だけ」
再び、祐子がベッドに腰かけ、目をつぶった。正太郎は祐子の隣に腰かけると、そっと唇を合わせた。と、此処迄は良かったのであるが、正太郎も男である。それも、思春期の、である。今、祐子とのキスの時、祐子の甘い香りを嗅いで、正太郎の男の子が敏感に反応してしまった。其の上、其の前に避妊具も見ている。更に、キスの際に、ほぼ、95%意図してだが、右手が祐子の胸に触れている。全く、体は正直である。流石に此れには、閉口した。思春期の男子とは、実に悲しい生き物である。祐子もニコニコして目の前に座っている。進退窮まった正太郎が、祐子に向かって叫んだ。
「祐ちゃん。ごめん」
「?」
此処で、期待をされた多くの読者には、誠に申し訳無いが、豈図らんや、正太郎は部屋の隅に転がっているクッションを、胡坐をかいている自分の腹と謂うか、股間の前に置いてしまった。
「如何したの?」
「魔剣封印のアイテムだよ」
正太郎は其方を見遣り、目を泳がせ乍ら、真っ赤な顔で嘯いている。祐子も思春期の女の子である。状況は其れなりに理解出来てはいる。そして、正太郎はと謂うと、真っ赤になり乍ら、己の劣情と格闘中である。
「ごめんね。祐ちゃん。何か変な事になっちゃって…。俺、帰るよ。紙袋一ついただける? 其の、…前を隠せる奴」
「うん。わかった」
祐子の家をお暇しようとした時に、居間にピアノが置いてあるのが見えた。良く見ると、並んでエレクトーンも置いてある。
「祐ちゃん。ピアノ見せてもらっていい?」
「えっ。良いけど」
ピアノはアップライトピアノであった。サイドテーブルに手書きの譜面が置いてある。タイトルはEVAとしか書いて無かったが『翼をください』の様だ。
「エレクトーンも良い?」
「うん」
正太郎はエレクトーンのいすに座ると、電源を入れた。
「祐ちゃん。ピアノのベー(B♭)の音、頂戴」
「うん」
正太郎も同じ音を出した。そして、同じ作業を繰り返し。OKサインを出し。
「祐ちゃん。セッションしよう!」
「えっ。良いけど。…何をやるの?」
「其処に、譜面あるよね。多分、『翼をください』EVAバージョン。インCメジャーでしょ。それ」
「うん。…よく分かったね」
「それなら、何とかなるかも…。やろうよ」
祐子がピアノで弾き始めた。正太郎がエレクトーンを担当した。祐子は譜面どおり弾いていく。正太郎はまず、足と左手を合わせていき、そのうち、右手(主旋律)を入れ始めた。特に、間奏後の8小節、祐子はワザとスイッチした。正太郎も事前の打ち合わせがあったかのように、主旋律を自らのアレンジで弾き、また、祐子にスイッチした。とても、初あわせとは思えない見事なセッションであった。弾き終わった時、二人とも、すごい笑顔になっていた。
『パチ、パチ、パチ』
後ろから、拍手が聞こえた。祐子のママである。
「まあ、お上手。あなたたち、すごいわね。おばさん、アンコールしてもいいかしら?」
「えっ。それは…」
正太郎は困惑した。祐子が小声で、
「正ちゃん。『レットイットビー』いける? インCで」
「それなら、多分…」
それを聞くや否や、祐子は突然弾き始めた。『レットイットビー』である。前奏部の頭4小節は祐子に任せ、其の後から、正太郎も続いた。正太郎は控えめにベースとコードに徹していたが、間奏部の電子ピアノとエレキ部分は正太郎が担当した。弾き終わった時は、やはり、満足感で溢れた表情だった。母親が、また、拍手し乍ら聞いた。
「あなた達。普段から合わせているの?」
「いえ、僕は、祐ちゃんがピアノやっていたなんて、今日の今日迄…」
「私も、正ちゃんが鍵盤出来たなんて…」
「へー。其の割には、息ピッタリだったわよ。また、おばさんに聞かせに来て下さいね」
そして、正太郎がお暇していった。祐子と母親が玄関で見送り乍ら、ポツリと謂った。
「なかなか良い子じゃない。祐ちゃんの初めての人。ママ、気に入っちゃたわ」
「えっ」
祐子はぎくりとしたものの、然にあらぬ態で惚けた。無論、そうするより他は無い。
「…私達、今日、そんな事、してないよ」
「当たり前じゃない。誰も、今日だなんて謂って無いわよ。えーと、あれは確か、灯篭流しの夜、祐ちゃんが髪に立葵を挿して帰って来た日…」
再び、ぎくりとした。祐子は観念した様に謂った。
「あの、其の…ママ。ごめんなさい」
「謝る事でもないでしょ? ママもまんざら覚えが無い事でもないし」
「でも、普通、親って、斯う謂う時、怒る物でしょ」
「其れは、相手によりけりでしょ。正ちゃんだったらね、ママも大賛成。あっ、でも、積極的にそう謂う事しなさいって、謂っている訳では無いのよ。高校生なのだから、節度あるお付き合いはとても大事。でも、如何しても、と謂う時には、先刻渡したものをお使いなさい。それだけの事。それなら、ママも祐ちゃんの事、庇ってあげられるから…」
「…うん。ありがと。ママ。でも、如何して、そんなに正ちゃんの事を」
「当然でしょ。初夏の竜爪山の一件。ママは正ちゃんに本当に感謝してるのよ。正ちゃんが祐ちゃんを見捨て無かった事に。祐ちゃんは、考えもしなかったかもしれないけど、正ちゃん、天気が悪くなる前に、祐ちゃんを置いて下山する選択肢もあったのよ。『僕は助けを呼んで来るよ。此処を動かないで、待っていて』とでも、謂えば済む話だもの。尤も、其の場合、祐ちゃんは、多分、助から無かったでしょうけど」
「えっ」
「自身の生存率だけを考えればね、それがベストだったかもしれないのよ。あれだけ、山慣れしている子だもの、急峻で谷の深いあの山で、雨に打たれて、行動不能になる危険性は良く分かっていたと思うわ。でも、彼は、そんな手段は選ばなかった。祐ちゃんと二人で、生き残る道を何とか模索した。『此の子、祐子の事を此処迄思ってくれていたんだ』って、親として、感謝して当然よ」
「そう…だったんだ」
祐子は竜爪山の悪夢の様な体験を思い出して、身震いした。然し、祐子には、何故、母親に其の事がばれたのかが判らない。其処で、持ち前の好奇心が頭を擡げ、つい、母親に素直な疑問をぶつけてみた。
「でも、なんで、正ちゃんと、その…そう謂う経験したって…分かったの?」
「ママは祐ちゃんの事は、大抵、分かりますよーだ」
「もう、誤魔化さないで」
母親はニコニコし乍ら、種明かしをした。
「帯よ」
祐子には分からない。訝り乍ら、再び、鸚鵡返しに母親に尋ねた。
「…。帯?」
「そう。浴衣の」
「でも、あの時、帯はスマホで調べて、正ちゃんが…」
「そうなの? だけど、ママが結ったものと違ってたもの。ママが結ったのは都結び。正ちゃんが結ったのは蝶結び。あのね、祐ちゃん。帯の結い方はいくつもあるのよ。コナン君なら、『あれれー』って、成る処よ。あれなら、コナン君で無くても分かりますよーだ」
確かに、母親の謂うとおりかもしれない。祐子も正太郎も初体験の直後なのである。帯の結びなど眼中に無かったであろうし、気付く筈も無かった。然し、今にして思えば、ホテルからの帰路で何処か違和感を覚えたのも確かであった。祐子は口を尖らせて、拗ねた様に謂った。
「もう、充分にコナン君並みじゃないの?」
「但し、パパには、絶対、内緒。パパが知ったら卒倒しちゃうから、ママと祐ちゃんだけの秘密」
「うん。ありがと。ママ」
翌日。祐子は正太郎と映画に出かけた。
「あっ正ちゃん。まだ、5分あるって、ポップコーン買って来るね」
祐子が買いに行った。敬介の声が聞こえる。
「そう謂えば、お前ら、錘問題。解けたんだって?」
「ああ。殆ど、祐ちゃんの独壇場だったけどな」
「ムッキー、本当なの、正ちん」
「ああ、祐ちゃんから、説明を聞いて感動したよ」
其処で、正太郎は昨日の説明を口頭で示した。いずなは頷き乍ら呟いた。
「本当だ。完全に理詰めで解けている。ムッキー、すごいね。祐ちん。流石は千●田スリーエルだね」
ポップコーンを抱え、席に戻って来た祐子が膨れる。
「あー、其の変な渾名、康代ちゃんでしょ。本当に、もう…」
「えへへ、ごめんごめん」
正太郎は呆れた様に感嘆した。矢張り、いずなの理解力も半端ない。
「いや、凄いのはお前もだよ。いずな。良く聞いただけで理解出来るな。俺なんか、横で碁石を使って説明されても、咄嗟に、理解出来無かったぞ…」
現に、隣の敬介はきょとんとしている。
「待ってよ、いずなちゃん。俺、さっぱり、分から無いよー」
いずなは周囲を見渡し乍ら、ぼやきを入れる。
「後から説明してあげるから…。ムキーッ、やっぱ。ハロゲン族いた。然も、何故か、眼鏡迄いるし…」
「うるさい。それは、此方の台詞だ。くそっ、折角の凛子とのデートを…。お前ら俺に恨みでもあるのか?」
「狭い街だからね…」
ひろみの、褪めた声が聞こえる。
「如何でも良いけど、何で横一列に8人並んでんのよ!部室と変わら無いじゃない!」
凛子の声が聞こえる。高志が諦め切った様に答えた。
「…偶然だろ。くっそー。昨日、いずなから聞いた時、ヤな予感はしてたんだが…。折角、此の後、ひろみとホテルにしけこむパーフェクトプランが…。ぐはぁっ」
「ふざけた事謂ってると、たたっ殺すわよ」
ひろみが真っ赤になっている。凛子があきれ乍ら高志に謂った。
「全く。なんで、よりによって、映画なの? 他に行く処無いの? 此のハロゲン族」
「其の台詞。そっくり其の儘、返してやらあ」
「でも、私、斯う謂うデートも好きだよ」
ポップコーンを抱えた祐子が謂った。高志がそれに答えた。
「あのなあ、祐子ちゃん。斯う謂うのは、世間一般ではデートとは謂わねえ。此れは、唯の集団行動だ。デートってのはな。二人っきりで映画を見て、此処いらじゃあ、清水インター界隈か鳥坂あたりで〆るのが正しい作法だ。あいててて…」
「これ以上バカ謂うと、腕へし折るわよ」
「ゆうちん。いずなにも、ポップコーン頂戴」
「いいよ。あっ。もう、始まるみたいよ」
映画を見終わった一行は、其の後、8人で赤灯台に行った後、カラオケに行きましたとさ。めでたし。めでたし。
正太郎達が小学校以来、解き得なかった命題、孤高の僧正問題。然し、本当に証明可能な問題なのか? 此の問題に、祐子&正太郎のゴールデンコンビが立ち向かう。果たして、祐子の快刀乱麻を断つが如き推理が炸裂するのか。次回、『第21話 孤高の僧正』。乞うご期待。




