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第19話 カルネアデスの舟板

 『よしっ』


 9月も上旬(じょうじゅん)綺麗(きれい)()(わた)った空を見上げて、祐子は小さく(うなず)いた。祐子は学校指定のブルーのジャージの上下で身を(まと)いリュックと水筒を背負って自転車にまたがった。颯爽(さっそう)とした瑠璃色(るりいろ)の風が、目の前の巴川(ともえがわ)川面(かわも)を渡って行く。暑くも無く、寒くも無い。実に心地(ここち)()い陽気である。祐子は()の季節が大好きなのである。(しか)し残念な事に、()の季節はいつも、(とど)まる事無く、全速力(ぜんそくりょく)()け抜けて行ってしまう。

「ママ、行って来るね」

「あっ、祐ちゃん、ちょっと待って。カメラ、カメラ」

「あっ。大変」

 祐子は、母親からカメラを受け取ると、(あらた)めて、母親と(しき)りに尻尾(しっぽ)を振るペスに向かって手を振って、出発した。渋川橋東(しぶかわばしひがし)交差点で、祐子が信号待ちしていると、左手の集合住宅(マンション)の門から、同じ清高のブルーのジャージに身を包んだ正太郎がテトテト現れた。


(よしっ。どんぴしゃ)


 祐子は、心の中で快哉(かいさい)(さけ)ぶと、小さくガッツポーズをした。祐子が笑顔で正太郎の方を振り返ると、微笑(ほほえ)みかけた。

「おはよう、正ちゃん」

「おはよう、祐ちゃん。今日も会っちゃったね」

「えへへ」

「じゃあ。行こうか」

 二人は学校に向かった。今日は、年に一度の遠足の日だったのである。目的地は御前崎(おまえざき)灯台と浜岡砂丘である。バスは8台。クラス(ごと)である。祐子は、今日ほど正太郎と同じクラスであることに感謝した事は無かった。


 祐子と正太郎がバスに乗り込むと、正太郎は中程(なかほど)の座席を確保し、祐子を窓側に、そして、(みずか)らは通路側に座り込んだ。祐子が正太郎に(たず)ねた。

「正ちゃん、窓側で無くて()いの?」

「ううん。祐ちゃん、大丈夫(だいじょうぶ)だよ。祐ちゃん乗り物に弱いだろ。酔い止めは飲んできたの?」

 正太郎が心配そうな相好(かおつき)で、祐子を気遣う。

「うん」

「相変わらず、(やさ)しいな。正太」

 一つ前の座席から高志が声を掛ける。そして、(さら)に、()の高志へ声を掛ける者がいた。

此処(ここ)()いかい?」

「いいぜ。あれ、何だ。六助(ロク)じゃねーか、なんでえ、他人行儀(たにんぎょうぎ)に」

「うーす。よっ、正太。祐子ちゃんも、おはよ」

「おっす。六助(ロク)

「おはよう。六助君」


 正太郎と祐子の前の座席には、窓側に高志、通路側に六助が座った。酒井六助は身長160足らずではあったが、(れっき)としたサッカー部員である。彼は正太郎や祐子と同様、江尻中学の出身であり、小学校も同じ二の丸小学校の出身であった。彼らは、同じクラス、同じ中学、小学校と()うだけでなく不思議な因縁(いんねん)があった。六助も正太郎や祐子と、同じ町内会であったし、六助自身、祐子に対して、(ほの)かな恋心を(いだ)いていた時期もあった。祐子のポテッとした体型や顔立ちは六助の好みであったし、優しい人柄も大好きであった。だが、祐子に近づけば、近づくほど、祐子の正太郎への想いが手に取る(ほど)に伝わって来る。正太郎は自分の最も親しい友達の一人である。(まさ)に、莫逆之友(ばくぎゃくのとも)()っても()い。祐子の気持ちが一途(いちず)で有れば有る程、六助は居た(たま)れ無かった。結局(けっきょく)、中学3年間は祐子と同じクラスであったにも関わらず、気持ちを伝える事は出来(でき)無かった。(おそ)らく、気持ちを伝えたならば、関係は其処(そこ)終焉(しゅうえん)を迎えていたであろう。六助には、其処(そこ)()と無く、それでいて、明確な予感があった。六助は、小学校時代から続く()の3人の関係を絶対に壊したくは無かった。(たと)え、何を犠牲にしてもだ。だから、六助は自分の気持ちを心の奥底深くに(しず)め、(みずか)らの本心を韜晦(とうかい)した。誰にも悟られてはならない。()れは勿論(もちろん)、祐子にも、である。そして、高校に進学し、正太郎と祐子が付き合い始めたと聞いた時、多々(たしょう)悲哀(ひあい)と共に、()れでも、なお、我が事の様に喜んだ。そう()った清清(すがすが)しさが六助にはあったのである。


 小中学校時代の六助は、サッカーでは、(すこぶ)る有名人であった。二の丸小三羽烏(さんばカラス)の中心的人物として、近隣(きんりん)()の名を(とどろ)かせていた。パス良し、ドリブル良しの華麗(かれい)なテクニックを持つ天才的MF(ミッド・フィールダー)として、勇名を()せていた。中学校時代には、地元プロチームからの勧誘もあったとの噂だった。が、(しか)し、中学校に上がった頃から、彼の前途(ぜんと)暗雲(あんうん)(ただよ)い始めたのだ。理由は簡単である。身長の成長が(まった)く止まってしまったのである。中学校時代は、なんとか、中盤プレイヤーとして使われていたものの、高校にあがってからは先発ですら無くなり、ポジションもDF(ディフェンダー)だったり、MF(ミッド・フィールダー)だったり、FW(フォワード)であった事すらあった。所謂(いわゆる)、ユーティリティプレーヤーとしての使われ方である。(しか)し、六助は(くさ)る事無く、黙々(もくもく)と練習を(こな)していた。勿論(もちろん)、こだわりのポジションはあった。(しか)し、()れ以上にサッカーに対するこだわりがあった。何故(なぜ)なら彼はサッカーが大好きであったのだ。(さら)に、持ち前の底抜けの明るさと、呑気(のんき)人柄(キャラクター)が、彼自身をかなり助けたのは事実であった。彼は、中学時代に進路を決めるにあたって、慎重(しんちょう)に考えた。過去に、インターハイそして選手権と、全国制覇(ぜんこくせいは)の実績を(ほこ)り、何人ものJリーガーを輩出(はいしゅつ)した清水高校と、(さら)なる、強豪(きょうごう)高である清水梅ヶ丘高校。当然(とうぜん)何方(どちら)の高校からも、誘いの声は掛かった。(さら)には、地元プロチームのユースからも、声は掛かった。が、(しか)し、プロチームユースに対しては、彼は丁重(ていちょう)にお断りをした。身長が()(まま)伸びなければ、プロとしては難しいだろうし、仮にプロになれたとしても、多寡(たか)が知れている。彼の家は、然程(さほど)裕福(ゆうふく)な家では無かった。家は仕出しの弁当屋である。正太郎達が良く使う『花月』が、()れであった。彼の中学時代の勉強の成績は、学年で30~40番程度と、上位二割程度である。清水高校を志望とするにはかなり厳しい成績と()わざるを得ない。(しか)し、彼は迷わなかった。彼は清水高校を受験したのである。


 そして、彼の入学は、清水高校を昔日の如き、サッカー強豪高へと一躍(いちやく)押し上げた。彼の存在は(あたか)も小さな巨人であった。小さな巨人、()の表現は割と陳腐(ちんぷ)で使い古された、撞着語法(オクシモロン)ではあったが、()れまた、反復語法(トートロジー)を恐れずに()えば、彼は()の名に恥じない、文字通り小さな巨人だったのである。


 清水高校に入学した際のクラスは、祐子や正太郎と同じ4組であった。六助は(となり)の席の高志とは明るい性格同士、波長(はちょう)が合った。また、幼馴染(おさななじみ)の正太郎とは呑気(のんき)者同士、波長(はちょう)が合った。六助は、彼の(はな)やかなサッカー人生にも(かかわ)らず、(すこぶ)る気さくな男であった。誰とでも分隔(わけへだ)てなく接した。そして、彼は特に4組のブラス部員3人組と仲が良かったのである。


 バスが出発すると、六助が早速(さっそく)切り出した。

「おい、高志。聞いたぜ。お前ら夏休み中に、興津川(おきつがわ)で勉強合宿をしたそうじゃないか? (オレ)も呼べっつーの」

「何、()ってやがる。お前ら毎日練習があるだろうが」

「それは、そうなんだが、でも、()の頃も、最終週も3日程、オフがあったぜ。(もっと)も、宿題を写す(ため)のオフだったがな。最終週も、1組の今井の家で勉強合宿やったんだってな。(まった)く、どんだけ、勉強が好きなんだよ」

「あれは、敬介や正太が、宿題が終わってなくて仕方(しかた)無くな…」

 正太郎がニヤニヤし(なが)ら、突っ込んだ。

「嘘つけ。おまえは、ひろみと会いたかっただけじゃねーか」

「ひろみ? ああ、あのひろみちゃんか。」

 六助は学校祭を思い出した。

「ああ、此奴(こいつ)、7組の稲森ひろみと付き合ってんだ」

「あーこら、正太。てめーは、何、余計な(つまんねえ)情報を暴露(ばくろ)してやがんだ」

「へー。そうなんだ。本当に仲がいいのな、お前ら。今度、遊ぶ時には(オレ)も誘ってくれよ」

「まあ、いいけどよ」

 正太郎たちは道中(どうちゅう)、六助と他愛(たあい)も無い話で盛り上がった。


 2号車。いずなのクラスでは、いずなが車両中程の窓際(まどぎわ)に一人で腰掛けていた。いずなは中学校時代程では無かったが、矢張(やは)り、周囲との垣根(かきね)が存在していた。クラス内には、仲が()いと()える程の友人はいない。遠足は(いま)だに、苦手である。だが、突然(とつぜん)、クラスメートに声を掛けられた。ひどく、おどおどした子である。

「…あの、…(となり)、…()いて…ますか?」

 眼鏡(メガネ)を掛けた、身長160位の、ロングの黒髪を三つ編みに(たば)ねた、地味(じみ)な女の子である。胸は大きくDカップくらい。体型はぽっちゃり型。物腰が柔らかく祐子と似た印象があった。名前は確か宮城島(あおい)。英語、数学ともに上位選抜クラスであり、いずなとは、常に進退一緒(いっしょ)である。成績は常時、学年100番以内なのだが、恐ろしく、無口で引込み思案であり、いずなは、一度も話をした事が無かった。

「うん。空いているよ」

「…私、座っても…()い?」

勿論(もちろん)だよ」

 いずなはそう()うと、ニッコリと微笑(ほほえ)んだ。いずなも、()(あた)りが、高校に入って、(こな)れた部分(ところ)なのだろう。(あおい)の緊張は目に見えて(やわ)らいだ。

「…良かった。私、地味(じみ)だし…。嫌がられるかなって、思って…」

「そんな事ないよ。えーっと、宮城島さんだったよね」

「うん。宮城島(あおい)。…小泉さんだよね」

「うん。でも、『いずな』でいいよ」

「?」

「そう。小泉菜月。略して、いずな。ブラバンのお友達は、みんなそう呼ぶよ」

「そうなんだ。こいずみ、あっ。いずなちゃん。よろしくね」

「うん。(あおい)ちゃん。(あおい)っちって呼んで()い?」

「うん」

(あおい)っちは部活何やってんの」

「私はアニ研」

「えーっ。いずな、最初はアニ研に入ろうとしたんだよ…。アニメ大好きだから」

「そうなの。私もアニメ大好きで。確か、いずなちゃん、学校祭の時にブースに来てたよね。でも、アニ研って、実質、帰宅部だよ」

「そうなんだ。私、ブラバン。一年生は変人ばかりだけど、みんな、(すご)()い奴なんだよ。本当は、私、小、中学校時代、お友達が全然(ぜんぜん)出来(でき)なかったけど、高校に入って今の部活に入ったら、いっぱいお友達が出来(でき)ちゃったの。みんなで、喫茶店に行ったり、カラオケに行ったり、夏は興津川(おきつがわ)で川遊び&宿題合宿をしたり、とても、楽しいんだよ」

「へー、そうなんだ。何か、素敵(すてき)だね。ちょっと、うらやましいな」

「そうだ。(あおい)っち。()の後、ブラスの友達と合流するんだけど、一緒にお弁当食べ無い?」

 (あおい)(うつむ)きがちに()った。

「えっ、でも、私、部外者だし、暗いし…」

「何、()ってるの。大丈夫(だいじょうぶ)だよ。呑気(のんき)(ヤツ)らだし、そんな事、気にしないよ。お弁当も、一人で食べるより、おいしいよ」

 ()の時、突然(とつぜん)、前の座席にいた女子からも、声が掛かった。前の座席は()の子だけだった。

「やっほー、いずな、(あおい)。私もご一緒しても()いかな? 久し振りに祐子にも会いたいし…。ちょっと待って、あんた達の(となり)に移動するから」


 ヤスベエだった。ヤスベエは本名を高山康代といい、祐子や正太郎の幼馴染(おさななじみ)である。情報部と()う、活動内容が少々謎の部活と、ギター部に所属しており、春先の『幽霊ピアノ事件(インシデント)』の際には、()風聞(ゴシップ)(デマ)流布(るふ)拡散(かくさん)尽力(じんりょく)していた。()(かく)面白(おもしろ)ければ(すべて)()しの考え方の持ち主である(ため)何時(いつ)(デマ)(ネタ)を、()の目(たか)の目で探している(ところ)があり、他人の色恋沙汰(いろこいざた)には(いちじる)しい関心を(しめ)(くせ)に、自身の()れや勉学には割りと淡白(たんぱく)で、()わば、風聞(ゴシップ)(デマ)にステータスを全振(ぜんぶ)りした様な人柄(キャラクター)なのである。意外(いがい)にも、フラメンコギターの名手なのであるが、他にも、()のヤスベエの特技(スキル)の中に、誰とでも気さくに話せると()うものがある。ノリが良く、何時(いつ)だってクラスの中心周辺にいる様な女の子であった。今日はヤスベエの相方である美羽(みう)が体調不良で不参加の(ため)、ヤスベエは一人で座席に居たのである。()のヤスベエが(あおい)(となり)の補助席に移動すると、いずなに語り掛けた。

「そう()えば、いずな。祐子さあ、正太と付き合いだしたんだってね。本当に良かったよ。1年前は如何(どう)なる事かと、心配したもん」

「ムッキーッ、一年前、何かあったの?」

 ヤスベエはちょっと表情を(くも)らせたが、(やが)て、笑顔を作ると、

「もう、過去の事だから()いか…」

 と()い、(おもむろ)に口を開いた。

「実は、祐子。中3の夏の最後に正太に告ったのよ…。まあ、私達、幼馴染(おさななじみ)の間では、誰が360度何処(どこ)から見ても、相思相愛(そうしそうあい)だったからね(第13話参照)」

「ムッキイ、本当なの?」

「うん。確か、『私には、(私の目の前に)好きな人がいる。()の人と同じ学校に進学したい』みたいな事、()ったらしいんだけど、なにしろ、相手があの朴念仁(ぼくねんじん)の正太でしょ。あのバカ、何を勘違(かんちが)いしたのか、『祐子には好きな人がいる』が、イコール『祐子には、((おれ)以外の)誰か好きな人が出来(でき)た』と、勘違(かんちが)いしたのよね。バカと()うか、何と()うか…。()れで、祐子に見当違いのエールを送って、勝手に自爆。挙句(あげく)に、別の子に告られ、()の子と付き合う羽目(はめ)に…」

 いずなと(あおい)は悲しげな顔で聞いていたが、(あおい)が困った様な顔で()った。

「正太君って奥ゆかしいんだね」

「それを世間一般の言葉で()うと、バカって()うんだけどねー」

 ヤスベエが(にべ)も無く切り捨てた(ところ)に、いずなが合いの手を入れた。

「あちゃあ…。それで、ゆうちんは?」

「祐子も、祐子なのよねー。『受験期間中だから、正ちゃんに余計(よけい)な迷惑は掛けられないよ。受験が終わったらもう一度チャレンジするから』とか()っていたら、()間隙(かんげき)()って、正太が同じクラスの子に告られ、(しか)も、それを受け入れた(ため)()()く撃沈。あの子、秋口から受験直前(まで)、毎日、泣いていたわよ…。一時は、家の前の巴川に飛び込むんじゃないかと、心配した程だもん」

「ムキ、ゆうちんらしい発言、と()うか行為だけど…」

「それも世間一般の言葉で()うと、まぬけって()うんだけどね」

「ムッキー、ヤスベエったら、一刀両断だね。(まった)く、あの二人は…。でも、ゆうちんも、告った時に、変だと思わなかったのかなあ…」

「何か、オーヘンリーの話にありそうだよね」

「そう、それよ。祐子も告った日に、(みょう)だと思ったらしいんだけど、あの子も内向的でしょ。確かめられ無かったみたい。でも、あたしに()わせれば、絶対、確かめるべき事案(じあん)じゃない? 大体(だいたい)、内向的って点で()えば、正太の方が(はるか)に上だからねー。特に異性に対しては、もう、ATフィールド全開。ゼルエルレベルよ」

 成程(なるほど)(たし)かに、ゴシップフリークとしては的確(てきかく)観察眼(かんさつがん)である。

「ムキ、本当だよね。4月に花見に行った時も、あの二人、そんな感じだったよ。牴牾(もど)かしいと()うか、何と()うか、『もう()い加減、あんた達、付き合っちゃいなさいよ』みたいな、感じでさあ」

 いずなの感想に、ヤスベエが(そく)、同意する。

「そう、それ。本当に見てられ無いのよねえ。あの二人は。でも、()の後、祐子があんまり毎日泣くもんで、あたしも一肌(ひとはだ)脱いで、大塚●夫というかスネークしたんだけど…」

「『待たせたな』。ムッキー、懐かしい。メタルギア。先刻(さっき)のゼルエルといい、ヤスベエもかなりのオタクと見た」

「まあね。祐子と一緒に文芸部やってたし…。それに、あたしは、中学校3年間、正太と同じクラスだったからさ。それで、相手の子、千春って()うんだけど、()の子も必死だったのよね。もともと、千春が正太の事好きなのは、見ていて分かってたんだけど、祐子が動いたのを聞きつけて、千春も勝負に出た。と、此処(ここ)までは良かったんだけど、でも結局(けっきょく)、千春にも分かっちゃったのよ。『正太の心は此処(ここ)に無い』って事が…。そう()うのって、好きに成れば成るほど、分かっちゃうものだし…」

「本当だよね」

 (あおい)がしみじみと()った。いずなも、七夕(たなばた)祭りの夜を回想する。そして、千春という少女の、()き出しの敵意の理由が、少し分かった様な気がした。(すべ)ては必然(ひつぜん)であったのであろう。ぼんやりと、思索(しさく)するいずなを尻目(しりめ)に、さらに、ヤスベエが続ける。

(しか)も、正太って無駄(むだ)に優しい(ところ)あるじゃん。()れに、初めての交際だから、一生懸命(いっしょうけんめい)。おまけに、千春に対して不実だと思ったんでしょうね。祐子の事は意図的に避けていたみたい。でも、それは、祐子にとって、強烈にショックだった(わけ)よ。だけど、千春にとっても、そう()うのって、かえって(わか)るじゃない。結局(けっきょく)、千春の方が居た(たま)れなくなって自然消滅。あたしも、祐子の(ため)を思ってスネークしたけど、途中から見ていられ無かったわよ。千春が、かわいそうで…」

「でも、正太君優しいのに…。優しさで其処(そこ)(まで)、傷つけちゃう(なん)て事、あるのかなあ?」

 (あおい)思慮深(しりょぶか)()に疑問を(てい)した。()れに対してヤスベエは、決然(けつぜん)()った。

「そりゃ、そうだよ。他に好きな子がいるのに、無理(むり)して、違う人に笑顔で優しくしようとする。(あおい)ちゃんだったら、如何(どう)思う?」

「…ちょっと、(つら)いかも」

「でしょ。あれは、見ていて、痛いというよりも、残酷(ざんこく)だったわよ。(しか)も、本人が悪意なく、真面目(まじめ)にやっているんだから、始末(しまつ)に悪い…。当人達にとっては地獄でしかないわよ」

「ムッキー、正ちん、罪作り。それで、如何(どう)なったの?」

如何(どう)()うも無いわよ。結局(けっきょく)、去年の暮れに別れた。一応(いちおう)形而下(けいじか)では、正太が振られた形には成ってはいるけど、あたしに()わせればね、形而上(けいじじょう)、振られたのは千春の方だったわよ。でも、可笑(おか)しいのは、()の事で、正太がとてもショックを受けてた事。あいつ、正月から卒業位(まで)、とても、落ち込んでいたもん。()れこそ、家の前の巴川に飛び込むかと思ったわよ」

「正太君センシティブなんだね」

 (あおい)(つぶや)くと、ヤスベエはさらに続けた。

「まあね。でも、それを世間一般の言葉で()うと、自業自得(じごうじとく)って()うんだけどねー。それでも、あたしは祐子の(ため)に動いていた訳だし、目的を達成したから、それを祐子に伝えたんだけど、流石(さすが)に千春がかわいそうで、かなり(ぼか)して伝えたの。だって、()(まま)行けば、祐子と正太は同じ清水高校に入学する(わけ)じゃない。だから、『待てば海路(かいろ)日和(ひより)あり』みたいな事を伝えたんだ。でも、泣いている祐子は一向(いっこう)に耳を貸さない。それで、仕方(しかた)なく、正太が千春に振られた事を伝えたの。それが、今年の2月の事」

 いずなも興味津々(きょうみしんしん)面持(おもも)ちで、先を(うなが)した。

「それで、ハッピーエンディングに成ら無かったの?」

「うーん、全然(ぜんぜん)(むし)ろ、其処(そこ)からが大変だったわよ。まず、祐子はありったけの勇気を振り絞って告ったのに、最悪の勘違(かんちが)いをされて、あのザマでしょ。正太はと()うと、千春に((わけ)の分からないうちに)振られて、元々、異性に臆病(おくびょう)だったのに、完全に拒絶態勢に成っている。あの(まま)じゃあ、百年()っても結ばれ無かったわよ。て()うか、二人とも、良く受験自体こけなかったなあって、感心したもの。まあ、あの二人、あたしと違って勉強は良く出来(でき)たんだけどねー」

「それで、如何(どう)したの?」

 今度は、(あおい)が先を(うなが)した。

「それでも、今年の2月、受験の直前位まで、祐子、毎日泣いていたわよ。其処(そこ)で、あたしが祐子に多少(たしょう)虚構(うそ)(まじ)えて、()()ったの。『そんな、泣いてばかりいると本当に嫌われちゃうよ。あたしの情報だと、あいつ、笑顔の子が好きなんだから』とね。すると、あの子、ぴたっと泣き止んで、『うん、がんばる』とか()っているの。まあ、一途(いちず)(ところ)可愛(かわい)いんだけど…」

「ムッキー、ゆうちんらしいよね」

「そして、合格発表。まあ、あの二人は、受験自体は、全然(ぜんぜん)、心配していなかったみたい。(むし)ろ、あたし自身の方が心配だった。相当(そうとう)、背伸びしての受験だったからねー。そして、クラス割りの発表。そしたらさ、祐子、見事に7分の1の当たり(くじ)を引き当てた(わけ)よ。其処(そこ)で、祐子、俄然(がぜん)()の気になって、春休み中は、毎日、祐子の家で作戦会議」

()れで。()れで?」

「実際、あたしの見た(ところ)では、お互いに、相思相愛(そうしそうあい)なんだけど、まあ、なにしろ、相手があの朴念仁(ぼくねんじん)の正太でしょ。それで、いくつか、アドバイスしたの。まず、祐子の絶対的に有利な点は、同じ幼稚園、小中出身の幼馴染(おさななじみ)である事と、家が近所である事。それを踏まえて以下の4点を目標とした。

 ①早い段階でメアドと携帯(スマホ)番号を交換する事。

 ②部活が決る(まで)の間、可能な限り、行き帰り行動を共にする事。つまり、一緒に登下校する事ね。

 ③正太が何処(どこ)の部活に入るか可能な限り調査し、一緒に入部する事。

 ④好意は恥ずかしがらずに、前面に出す事」

「うん、ゆうちん、()の通りに行動していたよ」

「本当は、あたしも、ブラバンに入って見届けたかったけどね。小さい頃からフラメンコギターやってたから、ギター部に入りたかったんだ。でも、学校祭で一緒にいるの見て安心したんだもん」

「本当だね。私も、学校祭でアニ研に来た二人を見て、ちょっと思った。『祐子ちゃん、素敵(すてき)な彼氏が居て()いなあ』って。いずなちゃんもだけど…」

 (あおい)がしみじみと()えば、ヤスベエも続く。

「そう、学校祭の二人を見ていて、てっきり付き合っていると思ってたんだけど。実際はまだ、告っていなかったみたい。何でも、バカ正太の(ヤツ)、千春に義理立てしたのか、はたまた、女の子()けのつもりか、『千春と付き合っている』って、()い張っていたみたいだし…」

「ムッキー、いずなもそう聞いてたよ」

「まあ、正太の事だから、見栄(みえ)を張ってた(わけ)じゃあ無いんでしょうね。女の子()けの側面もあったとは思うけど、実際は、千春に義理立てしたんだと思う。で、()(あと)七夕(たなばた)の時に、すったもんだがあったんだって? それで、()(のち)、祐子が告った時には、あたしにもメールが来たわよ。いろいろ、有難(ありがと)うって」

「ムッキー、ゆうちんらしいね。本当に義理堅いからね」

「うん、まあ、そうなんだけど、多分(たぶん)()れだけじゃあ無いわね。…あたしに()っておけば、学校中の(うわさ)になるのは、時間の問題じゃない? 正太が祐子と付き合っていると()(うわさ)が広まれば、第三者からの干渉(かんしょう)をある程度、排除(はいじょ)出来(でき)る。実際、そう()計算(おもわく)もあったと思うわよ。祐子、あれでなかなか、そう()(したた)かさも持ちあわせているからね」

「私も、同じ事、したかも…」

 (あおい)(つぶや)く。いずなも、感に()えた様に()った。

「はあ…。ゆうちんも水面下では色々画策(かくさく)してたんだね。(しか)も、こんな、謀略(ぼうりゃく)のプロみたいな参謀(さんぼう)まで(しつら)えて…」

「何、()ってんのよ。いずな。あたしは(ただ)幼馴染(おさななじみ)なんだし…。それより、あんたの話を聞かせなさいよ」

「ムキ?」

「ほら、いつも、一組から、何かと用事を(かこつ)けて、あんたをスネークしに来てた小柄な子。えーっと、今井君だっけ。あんたたち、つきあってないの? 先刻(さっき)(あおい)()っていたけど…、で、如何(どう)なの? 江戸川君?」

「誰が、江戸川君よ。如何(どう)って…、ただのお友達だよ」

 ヤスベエがニヤニヤし(なが)ら、()った。

「本当? スネークするわよ? あたしの情報網を()めてくれちゃってると…」

「ムキー、分かった。()うから、お願いだからスネークだけは()めて。…夏休み中に告られた」

「で、あんたは?」

「…その、…OKした」

 それを聞くと、ヤスベエは優しげな表情になり、いずなに()った。

「そう、良かったじゃない。いずなは知らないかもしれないけど、あの子、あれで意外とファンが多いのよ。無垢(むく)田舎(いなか)の小学生みたいな(ところ)が母性本能を(くすぐ)るって…。それに、優しいし、裏表(うらおもて)が無いから。庵原(いはら)一中の誰に聞いても、あの子の事、悪く()(やつ)いないわよ。まあ、隠れ優良物件って(ところ)かしら」

「ムッキー、そうなの?」

「そうだよ。でも、いずなったら、4月からATフィールド全開で、まるで、気付いて無い振りしてたし…。最初は正太みたいな天然パターンかな、とも思ったんだけど、()の内に、意図的に気付いていない風を、(よそお)っている事が分かったから…」

「ムキー。実は昔、いろいろ、嫌な事があって…」

 (あおい)が驚いて()った。

「えー、学校祭の時は、(いま)だ付き合って無かったんだ…」

「…うん」

「で、如何(どう)なの? 彼」

「…すごく、優しいよ。それに、一緒にいると楽しいし」

「へー、そうかあ。あたしもそろそろ、彼氏が欲しいなあ。何たって、彼氏いない歴、イコール実年齢だからね」

「ムッキー、ちょっと待ってよ。ヤスベエって、男の子と付き合ったことないの? ゆうちんにアドバイスなんかしていた(くせ)に」

 ヤスベエはけろりとして()った。

「無いよ。あたし、理想が高くてさあ。祐子には、人間観察のテクニックを伝授しただけ。つまり、此処(ここ)の3人は、最近まで彼氏いない女子の集まりだった(わけ)(もっと)も、いずなが先陣を切ってクラスチェンジしちゃったんだけどねー」

「ムッキー、本当にもう…」


 バスは150号線を只管(ひたすら)南下する。視界には茫洋(ぼうよう)たる太平洋が飛び込んで来た。信号で停車したバスから離れて行く様に、(カモメ)が、秋の(うら)らかな日差しを浴び(なが)ら、キラキラと輝く海に向かって、のんびりと飛翔(ひしょう)する。いずなは、ぼんやりと海を見ている。(カモメ)たちが向かって行く岸から程遠く無い波間(なみま)に、小さな板切れが(ただよ)(なが)遊弋(ゆうよく)している。いずなは、()の板切れを(なが)めている内に『カルネアデスの舟板(ふないた)』の故事(こじ)を思い出した。


 カルネアデスの舟板(ふないた)()(いにしえ)希臘人(ギリシヤじん)の名を(かん)した命題(テーマ)は、昔から、法律論を論ずる上での、主要(しゅよう)寓話(ぐうわ)となっている。要旨(ようし)として、波間を(ただよ)う板を、遭難者二人が奪い合い、結果、相手を死に至らしめた場合、加害者を罪に問えるかと()う、命題(めいだい)である。()の思考実験は、古来より、散々(さんざん)、議論がなされ、現在でも、刑法上、緊急避難、正当防衛等の考え方に色濃く反映(はんえい)されており、(ある)いは、医療に()けるトリアージにも()の考え方は活かされて居るのかも知れない。いずなは其処(そこ)(まで)考えた(ところ)で、静かに眼を閉じた。そして、再び目を開くと、悲しみの光を静かに(たた)えた()の瞳を波間を遊弋(ゆうよく)する板切れに向けた。(くだん)七夕(たなばた)騒動。千春という少女の攻撃的で、冷酷な振る舞い。内向的な祐子を傷つけ、いずなも激しく怒ったものだが、()の本質は、正太郎と()う一枚の板切れを巡っての遭難者同士の争いでは無かったのか? (しか)も、()の争いに関して()えば、圧倒的にマウントを取っていたのは、(むし)ろ、祐子の方では無かったのか? 勿論(もちろん)、祐子はいずなの数少ない友人の一人であり、大切な友達である。いずなは、今でも祐子に加えられた情け容赦(ようしゃ)が無い攻撃を(ゆる)すつもりは決して無い。(しか)し、あの時の千春は、(おのれ)の不利を誰よりも自覚していたのだろう。そして、()の追い詰められた状況の中で、心では血の涙を流し(なが)ら、絶望的な戦いに身を投じて行ったのではあるまいか? そう思うと、少々(しょうしょう)、千春が哀れに思えた。(おそ)らくは、現時点に()いて、()の様な状況に身を置く事の無い、(みずか)らの僥倖(ぎょうこう)を感謝すべきなのであろう。いずなが、再び、波間の板切れに眼を移した時には、バスが発車し、(すぐ)に板切れは見えなくなった。


「ところでさあ、いずな。あんたに聞こうと思ってたんだけど、春先の『幽霊ピアノ事件(インシデント)(第4話参照)』、()(あと)如何(どう)なったの?」

 ヤスベエの一言(ひとこと)が、いずなを現実に引き戻した。

「幽霊ピアノ事件(インシデント)?」

 学内の噂に(うと)(あおい)は、ぼんやりと反芻(はんすう)する。如何(どう)やら、(まった)く事情を知らないらしい。其処(そこ)で、ヤスベエが事情を()(つま)んで説明した。それを聞いた(あおい)が驚いた。

「へー、そんな事があったんだ。(なん)か、怖いね」

「ムッキー、大丈夫(だいじょうぶ)だよ。(あおい)っち。()()は、妙な事は何にも起きて無いし…」

 (しばら)く、いずなの顔を見つめていたヤスベエがぼそりと()った。

「ねえ、いずな。あたし思うんだけど。あれって、正太が一枚、()んで無いの?」

「ムキ? 正ちん? いや、違うでしょ。だって、あの時、正ちんダウンしてたし、抑々(そもそも)、ピアノなんか()け無い(はず)だよ」

 いずなは、あの時、祐子に頼まれた事を思い出して、咄嗟(とっさ)(とぼ)けた。

「そうなんだ。…実は、正太にも、同じ事聞いてみたんだ。同じ事、()われたけど…」

「でしょう…。それに、ゆうちんが()ってたよ。ピアノ幽霊のレベルがピアニストレベルだって。でも、何で、そう思うの?」

 ヤスベエが眉間(みけん)(しわ)を寄せていたが、(おもむろ)に口を開いた。

「一つは、祐子の態度かな」

「ゆうちんの態度?」

「そう、あの子、小、中学校時代、途轍(とてつ)も無く内向的だったけど、パズルとか、謎解きに関してはすごく積極的で、解け無い謎に対しては、『私、気になります』状態だったの。(しか)も、本家の3倍はすごい。ってんで、文芸部でついた渾名(あだな)が、千●田スリーエル…」

「ちょっとお、流石(さすが)にいずな、ゆうちんにその渾名(あだな)は、()えないよお。アウトでしょ、それ。いろんな意味で…」

「当たり前でしょ。あたしだって()えないわよ。特に、祐子の場合、(まった)く、洒落(シャレ)になって無いから…。て()うか、スリーエルじゃあ厳しいんじゃないかと…。でも、()のスリーエルが謎解きを放棄(ほうき)する事自体、極めて不自然な事なのよねえ。其処(そこ)で、祐子が犯人を知っていて(かば)っている。じゃあ、誰を? 其処(そこ)(まで)考えると、一本(いっぽん)(すじ)が通るじゃない? ()の仮説」

「ムキー、でも、ピアノの謎は? 一体、誰がピアノを()いたの?」

其処(そこ)なのよねえ。だから、あたしは、正太がピアノを()けるという前提で、スタートしたんだ」

「何か分かったの?」

 (あおい)もヤスベエに(たず)ねる。ヤスベエは、大仰(おおぎょう)に肩を(すく)(なが)ら、(かぶり)を振る。

「ううん。全然(ぜんぜん)。だけど、ちょっと、妙な話があるんだ」

「ムッキー、聞かせて」

「あたし達が中学3年の時、江尻中でも似た様な事件があったの。多分(たぶん)、祐子も知らない事だと思うけど」

「何なの?」

「実は、あたし、()(ころ)、ギター部の助っ人で音楽準備室で練習してたんだ。そうしたら、(となり)の音楽室から途轍(とてつ)も無く上手(じょうず)なピアノが聞こえたんだ。曲は『ナイナイ』」

「ナイト・オブ・ナイツかあ。十六夜咲夜(いざよいさくや)だね。だけど、抑々(そもそも)、リアルにピアノで出来(でき)るの? あの曲。無茶苦茶(むちゃくちゃ)、難易度高そうなんだけど…」

「そうなんだよねえ。誰かが()いたのは間違い無いんだけど、でも、誰が()いているか、皆目(かいもく)、分からなかった。当時、音楽室はブラバンの練習場だったから、ブラバンの誰かだとは思うんだけど、演奏者は不明の(まま)結局(けっきょく)、30分後に、出て来た正太を捕まえて聞いたんだけど、分からない。彼奴(あいつ)、『先生じゃないか?』って。でもねえ、状況からして、正太が一番、嫌疑濃厚(けんぎのうこう)なのよねえ。そして、()の後、ナイナイは二度と()かれ無くなったんだ…」

「ふーん。興味深いね」

 (あおい)も食いついてくる。さらに、ヤスベエが続けた。

「あとね、これも、直接的には(なん)の証拠にも成ら無いけど、今年の学校祭の話。あたしがカノンフラメンコ()いたじゃない。()後日談(ごじつだん)なんだけど、正太があたしに()ったの。『いや、ヤスベエ上手(うま)かったよ。あれだけ、自由に()けて(うらや)ましい』って。()(かく)彼奴(あいつ)、芸術家肌だから、やたら感動しまくっていてさ…。でも、ちょっと変な()い回しじゃない? 自分で()うのも何だけど、『あれだけ、上手(じょうず)()けて(うらや)ましい』なら、分かるけど、『自由に()けて』だからねー。()の時、思ったんだ。ひょっとして、正太の奴、ギターが出来(でき)るのかなって、で、(なん)らかの理由で自由に()けないのかなって、でも、本人はそんな事、()わない。そして、後から、ギターをピアノに置き換えたのよ。そうしたら、一本(いっぽん)(すじ)が通るじゃない? ()の話」

「…ヤスベエ、()の事は誰かに…」

 ヤスベエは勘良く(かぶり)を振ると、

()って無いよ。()ったら、祐子に怒られそうだしね」

「そう…だね」

「それと、もう一つ。()の時、正太と話した時に、正太、()ったんだ。『ヤスベエ、音も、テンポも完璧だった。うまかったけど、一ヶ所、とちっただろ。途中、サビの部分でアスの音が飛んでた…』って、あたし、アスって何の事かわかんなくて、祐子に聞いたんだけど…」

 いずなが静かに(つぶや)いた。

「…A♭」

「そう、祐子も同じ事()ってた。確かに、正太の指摘(してき)した通り、A♭の三十二分(さんじゅうにぶ)を一ヶ所、()ききれずに、飛ばした。多分(たぶん)彼奴(あいつ)、カノンフラメンコの原曲を知っていて、比較していたんだと思う。そして、あの会場でそれに気が付いたの、(おそ)らく、彼奴(あいつ)だけだったと思うよ。それで、確信したんだ。彼奴(あいつ)、ピアノが()けるか如何(どう)かは分から無いけど、一つだけ分った事がある。それは、正太が途轍(とてつ)も無く、耳が()い事と、絶対音感を持っている事だね…。まあ、あたしの調査も此処迄(ここまで)だね。()れ以上の調査は祐子も望まないでしょうし…」

 いずなは意外そうな顔でヤスベエの話を聞き入っていた。いずなの印象では、ヤスベエはもっとおしゃべりで好奇心旺盛(おうせい)な女の子だと思っていたのだ。正直、誰にも()っていないというのは、少々(しょうしょう)意外だった。そして、()(あと)、いずなと(あおい)とヤスベエは、アニメの話や、学校内の恋愛事情で盛り上がった。


 御前崎(おまえざき)は南国情緒(じょうちょ)(あふ)れる素晴(すば)らしい所だった。黒潮洗う眺望(ちょうぼう)()い岬に、ワシントンパームや竜舌蘭(りゅうぜつらん)の緑の葉が、秋風に()れている。清水から50キロと離れていないのに、一気に南国へワープしてしまったかの様だった。いずなが携帯(スマホ)で調べると、一組の敬介が、御前崎(おまえざき)灯台の下に場所を確保したとの事だった。駐車場から灯台へ登る長い階段をいずなと(あおい)とヤスベエは眺望(ちょうぼう)を楽しみ(なが)ら登った。風が(ほとん)ど無い穏やかな陽気である。時折(ときおり)、吹く秋風が実に心地(ここち)よい。名も知らぬ、南国の植物が(かす)かに()れている。振り返れば、眼前に太平洋を俯瞰(ふかん)する眺望(ちょうぼう)である。沖合い(はるか)彼方(かなた)に、大型のタンカーがのんびりと横たわっている。

「何か、エキゾチックな風景だね」

「うん。日本じゃないみたい」

 上まで登りつめると、灯台横の歌碑があるところで、敬介がレジャーシートを広げていた。敬介は、懸命(けんめい)に手を振り(なが)ら呼び込んだ。

「おーい。いずなちゃん。此方(こっち)此方(こっち)。あれっ、そちらさんは?」

「あっ、ケースケ。えーとね、こちらは、宮城島(あおい)ちゃん。うちのクラスの子。で、此方(こちら)はヤスベエこと高山康代ちゃん。うちの学校のCIA要員。先刻(さっき)、二人とも、お友達になったの」

「?。…へー、そーなんだ。(おれ)、今井敬介。よろしく」

 其処(そこ)へ、正太郎たち4組勢がやって来た。六助も一緒だ。高志が鷹揚(おうよう)()った。

「おう、敬介。場所取りご苦労。あーっ、テメーは、やじろべえじゃねーか。まーた、出やがったな…」

 六助も反応する。

「おう、ヤスベエ、久しぶりだな」

「おーっす、六、相変らず小さいねー。何よー。脱糞(だっぷん)男じゃないの。そう()えば、あんた、彼女が出来(でき)たんだってね。おめでとう」

脱糞(だっぷん)はしてねーって()ってんだろ。相変わらず、(ろく)でもねえ誣罔(ふもう)(ざん)を広めやがって。てか、彼女って、大体(だいたい)、なんで、おめーが、そんな事、知ってんだよ」

「ふふふ、私が知らない秘密なんて、無いわよ」

「…相変らずとんでもねえ女だな…」

 敬介が高志に文句を()う。

「なーにが、場所取りだ。偉そうに…。あれっ、酒井じゃねーか? あっちに、サッカー部の杉本がいたぞ」

 ヤスベエもピクリと反応する。

「一平かあ、あいつと一緒だとなあ。(から)(づら)いんだよ」

「なんだ。仲悪いのか?」

「んな(わけ)あるか。幼稚園からのコンビだぞ。ただ、あいつ、極端に無口でなあ。三言以上しゃべったの、滅多(めった)に聞いた事ねーんだよ。つきあいは長いけど、あいつ、日本語がしゃべれないんじゃないかと思うぜ」


 六助がぼやいた。話題になった杉本は、でこぼこコンビのもう一角、杉本一平と()うサッカー部の美形長身俊足FWで、学校祭リレーのアンカーを勤めた、二の丸小三羽烏(さんばカラス)の二羽目(わめ)である。身長194㎝と()う恵まれた体格であり(なが)ら、足下の技術も確かで、得点もヘディングによるものは4分の1程度であり、残りは全て足による得点だった。六助が()った様に、恐ろしく無口で、表情も固いイケメンではあるが、性格は温厚でとても、優しくもあった。(しか)し、口数が少なく、むすっとした顔立ちは、誤解される事も多い。サッカーに関しては、六助と同様、超一流であり、中学卒業時は、地元プロチームのユース組織から誘いがあったが、断ったとの噂があった。当然(とうぜん)、一年生(なが)らレギュラーを張っており、清水高校の現在のエースストライカーであった。そして、何を隠そう、ヤスベエの片思いの相手でもあった。そして、()の辺の事情を知悉(ちしつ)している祐子が、ニコニコし(なが)()った。

()いよ、杉本君も呼ぼうよ。おーい、杉本君。一緒にお弁当食べない?」

 杉本は(いぶか)しみ(なが)ら、やって来た。そして、抑揚(よくよう)の無い話し方で、()()った。

(おれ)も…、()いのか?」

「うん。勿論(もちろん)だよ。六ちゃんも、康代ちゃんもいるし、良かったら、ねっ」

 杉本の無口振りを知っている祐子は、即座に同意し、ヤスベエと六助の間に招いた。ヤスベエにいつもの気楽さが消え、借りてきた猫の様におとなしく成った。其処(そこ)へ、明彦、凛子、ひろみがやって来る。六助は明彦を見つけると、ちょっと驚いた風に()った。

「なんだ、滝。お前もブラバンだったのか?」

「ああ、おまえこそ、珍しいな」

「まあ、うちの学校あの部は無いもんな…」

 ()い掛けて、矢庭(やにわ)に六助が言葉を(にご)す。明彦が、(しき)りに唇に人差し指を当てている。(しか)し、いずなが聞き(とが)めた。

「ムッキー。なんか、もごもごした。怪しい」

「まあ、()いじゃねえか。ところで、此方(こちら)さんは?」

 高志が話を()らせつつ、いずなの(となり)にいる(あおい)について、(たず)ねた。いずなはすぐに答えた。

此方(こちら)は、宮城島(あおい)ちゃんだよ」

「…よろしく」

「こちらこそ、よろしく。英、数の上位選抜クラス(エラ組)で見掛けるよな…。いずな、でかした」

「…?」

「こんな、おっぱいの大きな子を呼んでくれて…。おかげで、昼飯時も(はな)やかに…。まあ、やじろべえはぺったんこだがな。ぐえぇっ」

「まーた、始まった。()の女の敵が…」

 ひろみが、すかさず(ひじ)打ちを放つ。いずなが後を受けて、(あおい)とヤスベエに紹介し始めた。

「今、下品な事(しょーもない事)()ったのが、ハロゲン族。根は()い奴なんだけど、見ての通りバカなの。あと、お化けが苦手。でも、勉強だけは出来(でき)るみたいなの。むかつくけどね。趣味は坊主めくりと(のぞ)き。私も合宿中、(のぞ)かれたの。それに、巨乳好きらしいの。でも、付き合っているのが、何故(なぜ)かひろみっち」

 ひろみは、()()になり(なが)ら怒る。

「いずな。あんたねえ」

「誰がバカだ、いずな。あーっ、こら、やじろべえ。てめえも何メモってやがる…」

「で、(となり)にいるのが、正ちん。先刻(さっき)散々(さんざん)話題に上った…。晩熟(おくて)に見えるけど、()(となり)のゆうちんと付き合っているから、手を出しちゃ駄目(ダメ)だよ。二人とも大のアニメ好き。で、ゆうちんはブラバン第一の胸の持ち主。すごくおとなしいけど、どうも、正ちんと一緒になると、止まれ無くなっちゃうんだって…。(しか)も、みなと祭りの夜、二人でお泊まりする計画を立ててた。止まれ無い二人が、お泊まりすると如何(どう)なっちゃうのか、いずなも興味津々(きょうみしんしん)

 正太郎と祐子が赤くなり(なが)ら、いずなを(さえぎ)った。

「こっ、こら。誤解するだろ。大体(だいたい)、ヤスベエがいるんだぞ。滅多(めった)な事を()うんじゃねえ…。それに、先刻(さっき)散々(さんざん)話題って、何の話題だよ?」

「いずなちゃん。…もう。宮城島さんこんにちは。学校祭の時はありがとね。康代ちゃんはお久しぶり」

 祐子はヤスベエに手を振って見せた。

「で、此方(こっち)眼鏡(メガネ)コンビが、凛子っちと眼鏡(メガネ)。いつも、二人一緒にいるけど、付き合って無いオーラを出してた。だけど、()の間、眼鏡(メガネ)が自供した。Hな事、しちゃったんだって…」

 すかさず、ヤスベエがメモを取る。明彦と凛子も茹蛸(ゆでだこ)の様になって(さえぎ)る。

「おい、こら。してねえだろ。大体(だいたい)、誰が眼鏡(メガネ)だ」

「…あの、ねえ」

「で、こっちの小さいのがケースケ君♪。以上」

 高志が突っ込んだ。

「ばかやろー。何が以上だ。敬介との関係性をはっきりさせやがれ」

「ヴウー。…お友達」

 ひろみが、流眄(ながしめ)(さら)に突っ込んだ。

「とても、親密な…でしょ。二人で仲良く、おてて繋いで、お昼寝しちゃう位の」

 いずなは、(あわ)てて、(となり)に居る、六助と杉本を紹介しようとした。

「うー、次。で、()のでこぼこコンビは…。誰だっけ?」

「誰がでこぼこだ。大体(だいたい)、おめーとは初対面じゃ無いだろ。うちで、おにぎり食わせてやったじゃねーか。俺はサッカー部の酒井。で、()のでかいのが、サッカー部の005。…ジェロニモだ」

「…杉本だ」


 騒然(そうぜん)とした一同が少し静まるのを待って、正太郎が六助に問い掛けた。

「そう()えばさあ、昨日、HRの時に薬缶(やかん)が変な事を()っていたじゃねーか」

「?」

「ああ、(なん)でも、『明日、雨天の場合は遠足は中止になりますが、実力テストは行ないません。通常の授業を行ないます』ってさ。まあ、(さいわ)い今日は晴れたんだが、(なん)理不尽(りふじん)な事、()ってるなあ、とは思ったんだが…」

 祐子も不審気(ふしんげ)な表情で、正太郎に続く。

「うん、私も思った。遠足が延期で無くて中止ってのは、日程の関係だから、止むを得ないのも分るけど、実力テストって(くだり)がね。先週やったばかりなのに…」

 ひろみも同意する。

「うん、()われた。()われた。あたしも実力テストって(くだり)(まった)く意味不明で、誰かに聞こうと思ってたんだけど」

 ヤスベエも首を傾げ(なが)ら、追随(ついずい)する。

「そう()えば、うちのクラス担任の弓原も同じ事、()ってた。通常の授業をするのに、何で実力テストの話を持ち出したんだろ? 葵、判る?」

「うーん」

 凛子も続く。

「うちん(ところ)も、同じ様な話が出たわね。妙な事、()い出すなあとは、思ってたけど。何でも、以前は遠足中止の日は、実力テストだったって奇怪(きっかい)な噂が広まっていて…」

 ()れに対して、高志が、ニヤニヤし(なが)ら、

「ああ、()(けん)か。実は、3年(ほど)前に、遠足雨天中止により実施(じっし)された実力テストに(たん)(はっ)して、騒擾事件(そうじょうじけん)が発生したからなのさ」

騒擾事件(そうじょうじけん)? (おだ)やかじゃあ無いわね」

 凛子が首を(かし)げる。


 高志に()れば、3年程前の遠足の日の事である。(もっと)も、()の当時は、今と(こと)なり遠足の日程は、7月の中旬(ちゅうじゅん)(すなわ)ち、一学期の期末テストと終業式の間に予定されていたとの事だった。遠足の荷物と、授業の荷物の両方を用意するのは大変であろうと()う学校側の配慮(?)により、雨天時は遠足中止の上、実力テストと()う日程は、(あらかじ)め決められていたのであった。もとより、梅雨時(つゆどき)のそんな時期に遠足を予定しているのが間違いの元で、3年前の当日は、果然(かぜん)()うべきか、小雨(こさめ)がそぼ降る、見事な(まで)の雨天となったのである。生徒たちは、微妙な天候の為、遠足の装備で登校してきたのであるが、学校側は実力テストを敢行(かんこう)する事となったのである。()れには生徒たちは愕然(がくぜん)とすると(とも)に、(はげ)しく、反発(はんぱつ)した。もとより、実力テスト云々(うんぬん)(くだり)は、多くの生徒たちからは、(きわ)めて出来(でき)の悪い、笑えぬ冗談(じょうだん)として(とら)えられており、()の実力テストの実施(じっし)には、俄然(がぜん)紛糾(ふんきゅう)したのだった。抑々(そもそも)、先週に一学期の期末テストが終了したばかりであるにも(かかわ)らず、テストを実施した学校側の無節操(むせっそう)(なじ)る者。テストであるならば、当然(とうぜん)、準備をする真面目(まじめ)な生徒もおり、にも(かかわ)らずテスト範囲を開示しない学校側の不誠実(ふせいじつ)(なじ)る者。そして、それらの者が、至る所で跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、煽動活動(アジテーション)を行った(ため)、清高始まって以来の一大(いちだい)騒擾事件(そうじょうじけん)に発展したのだった。(もっと)も、騒擾事件(そうじょうじけん)とは()っても、実際、暴力沙汰(ぼうりょくざた)は、然程(さほど)、無く、約4割の生徒は大人しくテストを受けた。(しか)し、一方で、その他の者は、勝手(かって)に帰宅する者、部室に立て()もる者、カラオケに行く者、(さら)には、意味不明な行動として、成人映画を見に行く者など、実に混沌(こんとん)とした状況に成ったと()う。中でも特筆すべきは、当初の遠足の目的地である日本平(にほんだいら)目指(めざ)し、約三十数名の生徒達が、雨中、蟹工船(かにこうせん)の労働者(よろ)しく、ずぶ()れの(まま)、日本平に向けて出発した。出発前に『おい、地獄さ行ぐんだで!』と謎の言葉を残しつつ、途中、様々(さまざま)艱難辛苦(かんなんしんく)()え、無事、日本平登頂に成功し、怪気焔(かいきえん)を上げたとの事であった。(もっと)も、()代償(だいしょう)は決して安い物では無かった。日本平登頂をした三十数名と煽動活動(アジテーション)を行った者、違法に成人映画を見に行った者、合わせて五十数名が停学3日間となり、(さら)に、ずぶ()れで登山した事により肺炎を罹患(りかん)して、入院一週間となった者が1名いたとの結末に、終わったとの事であった。


「何だか、バカバカしいわね。まあ、何方(どっち)何方(どっち)ね。如何(いか)にもうちの学校らしいと()えば、()(まで)だけど」

 凛子は(なか)(あき)れ顔である。

「ムッキー。(すご)い行動力。って()うか、()のベクトルの方向が明後日(あさって)()うか…」

 明彦も(うなづ)く。

「確かに、()の話なら聞いた事があるぞ。弓原が世界史の授業中に話していた。(さなが)ら、セポイの乱の様だったとか…」

「また、分りにくい(たと)えを…」

「マジか? 彼奴(あいつ)、セポイの乱を見た事があるのか!」

 驚嘆(きょうたん)する敬介。横合いから、いずなが(たしな)める。

「ムッキー、そんな事ある(わけ)ないでしょ。おばかっち」

「ええっ、ひどいよ。いずなちゃん」

 いずなと敬介をじゃれ合いを楽しんでいる。()の横から、(にわ)かに、ひろみが口を(はさ)む。

(しか)し、高志。あんた、やけに(くわ)しいわね。まるで、見て来た様に話すけど…」

当然(とうぜん)だろ。兄貴(あにき)(だい)の話だからな。うちのバカ兄貴(あにき)に直接聞いたからな」

「そうかあ。あんたのお兄さん、特進科だっけか? 真面目(まじめ)にテストを受けてた(わけ)ね?」

「ふふふ、うちの馬鹿(バカ)兄貴(あにき)を甘く見るなよ。彼奴(アイツ)がそんな殊勝(しゅしょう)な玉かよ。当然(とうぜん)煽動騒動(アジテーション)を起こして、日本平に登った方に、決ってんだろ」

「うわあっ、マジか。特進科史上で、唯一(ゆいいつ)停学を()らった先輩(せんぱい)がいると()う噂を聞いた事があったが…。まさか、お前の兄ちゃんだったとは…」

(しか)も、オチ(まで)付けてやがるぜ。野郎(やろう)、前の日から、若干(じゃっかん)風邪気味(かぜぎみ)だったんだ。現に、当日朝も微熱があった位だからな。でも、野郎(やろう)、悪ノリが趣味(しゅみ)みたいな(ところ)があるからなあ。(やつ)の性格からして、恐らく、成り行きに便乗(びんじょう)して、演説でも()ったんだろうな。『全校の生徒達よ、団結せよ』みてーな感じでさ。でも、元々(もともと)、体調不良だった(ところ)へ、雨登山だろ。日本平山頂に到着した時には、熱が40度近くあったらしいぜ。其処(そこ)で、吃驚(ビックリ)した山頂の土産物屋(おみやげや)のおばちゃんに、警察と消防に通報されたって(わけ)だ。救急車で(ふもと)の市立病院へ(かつ)ぎ込まれた時には、肺炎の一歩手前だったらしいぜ」

「うわあっ、其方(そっち)も、お前の兄ちゃんかよ…」

 明彦が驚くのと同時に、ひろみも感心する。

「つまり、()の手の悪ノリは血筋って(わけ)ね」

「バカヤロー。失礼な事、()うんじゃねえ。まあ、野郎(やろう)馬鹿(ばか)だからな。何でも、肺炎で(かつ)ぎ込まれなければ、()(あと)、ネカフェでエロゲをやる計画だったらしい。退院して来た後、親父にボコボコにされ(なが)白状(ゲロ)してた」

「うーん、心底(しんそこ)(ろく)でもねえなあ」

 正太郎が()えば、凛子も(あき)れる。

「本当。まあ、煽動政治家(デマゴーグ)なんて、一皮向けば、大抵(たいてい)、こんなもんでしょ」


 みんなで、わいわい()(なが)ら弁当を食べた後、灯台を見学しに行った。六助と(あおい)が残った。六助がレジャーシートの上で寝そべり(なが)()った。

「何か、すげー連中だな」

「うん」

「宮城島さんだっけ? あいつらとは、如何(どう)いう関係?」

「今日、小泉さん。ううん、いずなちゃんに声を掛けて、康代ちゃんに声を掛けられただけだよ。それも、多分(たぶん)、初めて話をした」

「そうか。でも、いいなあ。こういう高校生活も()いと思うぜ。楽しそうで…」

「本当。楽しそうだよね」

 (あおい)は、はにかんだ様な笑顔を浮かべた。

「でも、宮城島さんも()い笑顔だったぜ。そう、()の顔」

「私は、多分(たぶん)、駄目だよ。引っ込み思案だし、暗いし…」

「そうかな、すごく馴染(なじ)んでたじゃん。俺、良く似た奴を知ってるよ。あの中に居た祐子ちゃん。あいつも、半年前までは、極端な人見知りだったよ。今でこそ、あんなに明るくなったけど」

「そう…なんだ」

 二人は、レジャーシートの上に荷物を重石(おもし)代わりに置いて、展望台の方へ歩いていった。(あおい)は、知らない男の子と会話を楽しむ自分が信じられなかった。これも、六助の気さくな人柄と、日本離れをした素敵(すてき)な風景のせいなのであろう。

「何か、外国の風景みたいね」

「うーん。そうかな。俺には純和風に見えるが…。ドイツもイタリアもシンガポールもこんなんじゃ無かったぞ」

「えっ。酒井君。外国行った事あるの?」

「六助でいいよ。うん。今、()った3カ国だけだけど…」

「家族旅行?」

「まさか。うちは、唯の潰れかかった弁当屋だぜ。観光で海外旅行なんて行けるかよ。海外遠征。小学校の時と中学校の時。一応、県代表だったんだ。サッカーの。プロチームからも誘いがあったんだぜ」

「そんな、すごい人だったんだ」

「すごくないよ。過去の話さ」

「何で。怪我(けが)でもしたの?」

「うんにゃ。怪我(けが)はしない方」

「なら、如何(どう)して?」

「宮城島さん。身長、160位だろ。多分(たぶん)(おれ)の方が低い。(おれ)、158しかない」

「…?」

()の身長さ。(おれ)、小学校3年の頃から、5㎝位しか伸びてないんだぜ。()の身長では、今より上のカテゴリーは無理だ。うち、父ちゃんも、母ちゃんも、小柄だから。こうなる事が分かっていた。だから、プロユースの誘いは断った」

 (あおい)は、目の前の小柄な同級生を見つめた。自分の大好きなサッカーのプロへの夢が絶たれようとしているのに、こんなに明るく、屈託(くったく)が無く話せるなんて、余程(よほど)、人間が明るく出来(でき)ているのだろう。自分の努力とは関係の無い所で夢が()たれるなんて、(あおい)は今日初めて会った()の少年の事を思うと悲しくなった。が、次の瞬間、六助が叫んだ。

「ストップ。そんな顔しちゃ駄目(ダメ)。俺の話でそんな顔されちゃあ、立つ瀬が無い。折角(せっかく)、可愛いんだから、笑顔で居なきゃ。先刻(さっき)みたいな顔。そう、()の顔」

 (あおい)が困った様な笑顔を浮かべたが、六助は喜んでいる。本当に優しく、気さくな人なんだ。六助がまた、(しゃべ)り出した。

「一平、正太と祐子ちゃんとヤスベエとは、小学校の頃からの友人(ダチ)だ。特に、一平、正太とはいつも、つるんで、バカやってた。それに、祐子ちゃんは、中学校3年間一緒のクラス。ちょっと、…好きだった。でも、()えなかったな」

「…如何(どう)して? 正太君に気を使ったの?」

多分(たぶん)、違うと思う。あいつらの(そば)にいると、判るんだ。祐子ちゃんがどんなに、正太の事思っているか…。気がつかねえのは、正太のバカだけだよ。流石(さすが)(おれ)(あきら)めた。それに、(おれ)も正太の事も好きだからなあ。だから、サッカー以上に(あきら)めたよ」

「…そうなんだ」

 そう()(なが)らも、(あおい)は先程のヤスベエの話を思い出した。きっと、千春という子も同じ思いを感じたのだろう。

「正太は、今でこそ目立たなくなっちまったが、小、中学校時代は、飄々(ひょうひょう)としている(くせ)に化物見たく勉強が出来(でき)てなあ。いろんな事を良く知っていた。でも、(えら)ぶるところが、全然(ぜんぜん)無くて、何でも気さくに教えてくれた。中学校の時に、進路で悩んでいたら、あいつ、清水高校へ行く気なら、って、勉強のコツを教えてくれた。『数学自体はお前のサッカーと同じでセンスだけど、受験は算数だから、問題集を数こなせばいい。英語は語彙力(ごいりょく)だから、ひたすら、単語、連語を覚えろ。国語は本を読む事だけだ。(おれ)も国語に関しては、勉強した事無いから、良く分からん。余地(よち)があるのは理科と社会だ。()の二つは、基本、丸暗記だから、あと、一年半あれば、何とかなるだろ』ってさ。何だか、学校の先生見てーだろ。でもって、それに、輪をかけて凄いのが祐子ちゃんだ。あの子も、親切で丁寧(ていねい)に教えてくれるけど、学年トップなのに、見下した処なんて(まった)く無い。(おれ)も、ジェロニモもあいつらに引っ張られて、何とか、()の学校に入った様な物だ。頭が上がら無いよ」

「そうなんだ。でも、六助さんも、同じだと思うな」

「?…何で?」

「だって、私、サッカーの県代表の人とお話したの、多分(たぶん)、初めてだよ。でも、全然(ぜんぜん)、偉ぶらないもの」

「まあ、過去の栄光だからね。それに、(おれ)自身、大した事だと思ってないし。それよりも、あいつらみたいに、自由に青春を謳歌(おうか)するのも、悪くないなって」

「そうだね」

「ところで、宮城島さんは、中学は何処(どこ)? 今度は、宮城島さんの事も教えてよ」

「私は、三保中。部は、アニ研だけど、実質帰宅部。…お友達はいないの。私、暗いから…。でも、今日、お友達が出来(でき)たかも…。いずなちゃんと康代ちゃん」

「えっ。(おれ)は?」

「そ、そんな。サッカーの県代表の人とお友達なんて…」

「だから、そんなの関係無いって…。じゃあ、友達決定な。今度、勉強も教えてくれよ。(おれ)もジェロニモも赤点の数が半端(はんぱ)無いんだよ。過半数が赤点だもん。特にジェロニモは、ほぼ()()。だけど、俺達(おれたち)二人とも体育だけは、10だからなあ」

 (あおい)は、思わず、ぷっと噴出(ふきだ)してしまい、(あわ)てて謝った。

「ご、ごめんね」

「なーに。いいって、それより、()の顔。今の笑顔の方が絶対にいいよ」

「うん。ありがと」

「さあ、俺達(おれたち)も、灯台、登ろうぜ」

「うん」


 灯台では、みんなが思い思いに景色を(なが)めていた。二人が登っていくと、いずなが()った。

「あっ。来た来た。遅いよ、(あおい)っち。もう、帰ろうかって()ってたんだから。何してたの?」

「ごめんね。いずなちゃん。六助君とお話してたの」

 高志がニヤニヤし(なが)ら、茶々を入れた。

「ははあ。分かった。(あおい)ちゃんのおっぱいでも見とれてたんだろ」

 六助は少々(しょうしょう)赤くなり(なが)ら、

「お前と一緒にするな。ってか、お前、良く公衆の面前(めんぜん)で、そう()うバカ()えるのな。ひろみちゃんだっけか? あんたも大変だな」

「もう、慣れたわよ。って、良く私の名前知っているわね」

「ああ。先刻(さっき)、バスの中で高志から聞いた。『(おれ)のひろみちゃんが可愛くて、可愛(かわい)くて』って、(うるさ)かったぞ」

 ひろみは、カーッっと、真っ赤になり(なが)ら、

「ちょっと、あんたは、また、公衆の面前で…。そう()うバカを…」

 と、()いつつ、高志の胸倉(むなぐら)(つか)んだ。

「わー、待て待て。そりゃ。六の創作(でっちあげ)だよー。こらっ、やじろべえ。テメーも、メモなんか取ってるんじゃねえ」

 六助はひろみに追求されている高志を尻目(しりめ)に、正太郎に()()った。

「本当に面白(おもしろ)いな。お前ら部。何時(いつ)も、こんなんか?」

「ああ。何時(いつ)もはもっと…、酷いんだが…」

「楽しそうで()いじゃねえか。ところで、お前ら、()のメンバーでラインしているんだって?」

「ああ、『ボストンティーパーティー』の、事か?」

「ボストンティーパーティー?変わった名前だな」

「『ボストン茶箱事件』の事だよ」

「なんで?まあ、()いや。(おれ)も仲間に入れてくれよ」

「だってさ。高志、如何(どう)する?」

「別に、()いんじゃねえの。ブラバン専用って訳じゃねーだろ。みんなは?」

 全員異存が無かった。高志は総意を受けて、六助、一平、ヤスベエ、(あおい)の4人を招待した。

「ありがとな。げっ。ジェロニモも一緒(いっしょ)かよ」

「…(おれ)駄目(ダメ)なのか」

 祐子が(たしな)めた。

「もう、(ひど)い事()うわね。六助君。一平君も()いに決まっているでしょ」

「いや、ライン、メール、手紙関係は…。祐子ちゃん、後悔するぞ」

「…?」

 祐子が首を(かし)げたのも(つか)()、ひろみと凛子が()頓狂(とんきょう)な声を上げた。

「ちょっと、何これ」

 ライン上に一平から招待お礼の挨拶(あいさつ)が届いた。文字数にして745文字。原稿用紙約2枚分である。六助がぼやいた。

「あーあ。だから()ったのに…。此奴(こいつ)、無口な癖に、メール、手紙は、無茶苦茶(むちゃくちゃ)、長文なんだよ」

「だから…、短くした」

()れでかよ」

 高志が呆れた。凛子がメールを見(なが)()った。

「ところで、一平君って何組?」

 敬介が答えた。

(おれ)と同じ一組」

「ねえ。みんなで写真撮らない?」

 祐子が愛用の一眼デジカメを構えた。尻込みする(あおい)をいずなが引き込み、全員で写真に納まった。みんな笑顔の素敵(すてき)な写真の出来(でき)上がりである。(やが)て、高志が、名残(なごり)惜しそうに音頭(おんど)を取る。

「そろそろ、集合時間だ。下を片して、急ごうぜ」

 みんなで、片付けて、灯台の崖の小道を、駐車場へと下りていった。階段を下り(なが)ら、(あおい)がいずなに()った。

「いずなちゃん、康代ちゃん。今日は本当にありがとう。とても、楽しかった。…明日からも、お友達でいてくれる?」

勿論(もちろん)だよ。(あおい)っち」

「あたしで良かったらね…。そのかわし、面白(おもしろ)いネタあったら、すぐ、教えてね」

 高志が後ろから、笑い(なが)ら、声を掛けた。

「いずなや、やじろべえだけじゃねえ。俺達(おれたち)もだろ。なあ、六」

「ああ、だから、来年夏に合宿する時は、(おれ)と一平を誘えよ。勿論(もちろん)(あおい)ちゃんもな。あと、おまけで、ヤスベエもな」

「何がおまけよ。失礼ね、()寸足(すんた)らず」

「何だとー」

 (いき)り立つ六助を(おさ)え、高志が()った。

「わかったよ」


 バスは、次の目的地である浜岡砂丘に向かって、発車した。進行方向左手には茫洋(ぼうよう)とした遠州灘が広がっている。行きに見てきた駿河湾の光景より、幾分(いくぶん)波が強くなっている様だ。海鳥が、白い波濤の合間を()って飛んでいる。2号車では、いずなが(あおい)にこう持ち掛けた。

(あおい)っち。場所変わらない?」

「うん。でも、何で?」

「行きは、いずなが、窓側だったから、帰りは、場所交代。ねっ」

「…うん。ありがと」


 ()の頃、4号車では、祐子が正太郎にそおっと(ささや)いた。

「あのね、正ちゃん。あのね」

「ん。どうしたの?」

「あのね、お誕生日おめでとう」

 そう()うと、祐子は紙包みを手渡した。

「えっ、あっ、ありがとう」

 正太郎はひどくはにかみ(なが)らも、真っ赤になってお礼を()った。

「家に帰ってから、開けてね」

「…うん」


 祐子は思った。一番見たかったものが見れたのだと。祐子は照れ(なが)らも喜ぶ正太郎の顔を見てそう思った。正太郎が家に帰って開けた中身は、コーヒー好きの正太郎の(ため)に買った、大き目のマグカップだった。濃紺の地に白でアイラブユーと書いてあった。

まだ暑さが残る初秋の清水高校。ほのぼのとした時間が流れるボストンティーパーティーの面々。ふとしたことから、例に因って、祐子のパズル好きの巻き添えとなる正太郎。一見不可能と思われる難問に挑む正太郎と祐子。スッキリと解く事が出来るのか? 次回はパズルネタをお送りします。

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