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第18話 夏休み最後の日々と坊主捲り

 合宿終了の翌日も、朝から暑い日だった。じりじりとした()だる様な暑さの中、縁側(えんがわ)葦簀越(よしずご)しに、庭の向日葵(ひまわり)(あま)りの暑さに、()の首を(かし)げている様に見えていた。時折(ときおり)、ぶら下がった江戸風鈴(えどふうりん)が、気紛(きまぐ)れに、(すず)しげな音色(ねいろ)(かな)でている。


 ()れでも、夏はとおり過ぎて()く。時刻(じこく)は朝8時30分。祐子は自室で音楽(バッハ)を聞き(なが)(くつろ)いでいたが、朝から、正太郎と会えない日常(にちじょう)に、多少(たしょう)戸惑(とまど)いを感じていた。合宿中では、当たり前であった何気(なにげ)ない日常が、想い出(セピアいろ)写真(フォトグラフ)の様に、(すこぶ)る遠くに感じる。祐子の切実な想いが(にわ)かに噴出(ふんしゅつ)する。


(正ちゃん。如何(どう)しているかなあ。正ちゃんに会いたいな)


 (おそ)らく、正太郎は宿題の追い込みの真っ最中(まっさいちゅう)であろう。確か、宿題が()だ半分位残っていると()っていた。来週には、新学期である。(しか)も、始業式の翌日には、夏休みの宿題を範囲とした全教科実力テストがあるのだ。以前にも(しる)した事でもあるが、一体(いったい)に、()の清水高校と()う高校は、(きわ)めてテスト好きである。長期休暇(夏休み)明けに、いきなり、実力テストを(かぶ)せて来る(あた)りは、発想として、実に悪魔じみている。多くの学生たちは、夏休み最後の週に、不本意(ふほんい)(なが)らも、テスト対策に、呻吟(しんぎん)せざるを()ないのだ。


 祐子は考える。流石(さすが)に、必死になって頑張(がんば)っている正太郎の邪魔(じゃま)をしても、申し訳が無い。とは()え、此処(ここ)数日間、何時(いつ)(かたわ)らにいた正太郎がいないと()う事が、()(ほど)(まで)に寂しい事だとは思わなかった。祐子は逡巡(しゅんじゅん)した挙句(あげく)に、ごく短いメールを送った。

『おはよう。正ちゃん。宿題やってる?』

 返事は()ぐに返って来た。

『おはよう。祐ちゃん。宿題は()だやってないよ。祐ちゃんと会えないだけで、落ち着かなくて。…あのね、良かったら、中央図書館で一緒(いっしょ)にやらない?』

 (たちま)ち、いつもの様に祐子の笑顔(えがお)(はじ)けた。

『うん。喜んで。うれしいな。私も正ちゃんと会えないと、落ち着かなかったの。何時(いつ)にする?』

『9時に祐ちゃんの家に行くよ』


 祐子にして見れば、少々(しょうしょう)、意外でもあった。正太郎の提案がである。正太郎が()の様なハッキリとした物謂(ものい)いで祐子を誘うのは、随分(ずいぶん)と久し振りでも有る。(ある)いは、合宿の時と(くら)べた今の日常との落差は、正太郎にしても、()(がた)いものであったのかもしれない。祐子は(はず)む様な足取りで階下に行き、支度(したく)をして、9時10分前には玄関で待っていた。背中には愛用のピンクのデイパックを背負(しょ)っており、髪にピンクのリボン、ピンクのポロシャツに青色のスカートである。正太郎が来るのを待ちきれ無かったのだ。祐子の母親が驚いて声を掛けた。

「あら、祐ちゃん。如何(どう)したの?」

「あのね、ママ。正ちゃんと宿題をやりに、中央図書館に行って来るね」

「あらあら、玄関の(かまち)でなくて、中で待っていればいいのに」

「うん。でも、正ちゃん、もう()ぐ来るし、ねえ、ママ。リボン変じゃない?」

 母親はニッコリと笑うと、

大丈夫(だいじょうぶ)ですよ。うんと可愛(かわい)いわよ。祐ちゃん」

「ありがとう。ママ」

 そう()うと祐子は、また玄関の(かまち)に腰掛けた。キキーッと()う、表で自転車が止まる音が聞こえた。

「あっ、ママ。来たみたい。じゃあ、行って来るね」

「気をつけてね。正ちゃんによろしくね」

 祐子の母親は愛娘(まなむすめ)を見送り(なが)ら思った。

(あらあら。祐ちゃんたら、本当に正ちゃんの事が大好きなのね)

 正太郎は、自転車を青紫の朝顔の(つる)(から)みついたフェンスの脇に置くと、祐子の家に向かって歩きかけていたが、笑顔(えがお)でウサギの様に飛び出してきた祐子を見付けると、すぐに笑い(なが)ら声を掛けた。

「おはよう。祐ちゃん」

「おはよう。正ちゃん」

「わあ。()のリボン可愛(かわい)らしいね。良く似合ってる」

「えへへ。ありがとう」

「あっ、そうそう、写真ありがとうね。早速(さっそく)、みんな、ダウンロードしたみたいだよ。あのね、昨日(きのう)まで、四六時中(しろくじちゅう)一緒(いっしょ)にいたもんで、昨日(きのう)の夜から、ずっと寂しかった。今日の朝、5時過ぎにお散歩しようって、メール送ろうかと思ったもん」

「私も同じ。昨日(きのう)の夜も、メール送ろうかと思ったけど、宿題の邪魔(じゃま)になってもと思って我慢(がまん)したの。本当は、今朝(けさ)も5時過ぎに正ちゃんの家の周辺(まわり)をお散歩したの。出会えるかなって思って…」

 正太郎が笑顔(えがお)で提案した。

「もし、良かったら、夏休みの残り期間、昔みたくラジオ体操に行かない? 二人とも朝型だし。彼処(あそこ)なら、今も小学生達が毎日やっているよ」

 祐子の笑顔(えがお)(はじ)けた。

「もちろん、オーケーだよ。やったー。()れで、毎日正ちゃんと会える」

「でも、今日は、わざわざ、付き合ってもらって、ごめんね。祐ちゃん、本当は宿題は粗方(あらかた)終わっているんだろ?」

「ううん。()だちょっと残っているし、多分(たぶん)、宿題の範囲が、テスト範囲になると思うし…」

「だよなー。あと、1週間がんばって見るよ」


 ()(くだん)の宿題である。まず、数学は問題集。量が多い上に、難易度が恐ろしく高い。化学も問題集。数学と同様。生物、日本史、世界史も同様。だが、()れらは()だマシなのだ。()の他の教科、例えば英語。英語リーダー1ページから22ページまで熟読(じゅくどく)の事。英語グラマー20ページまで熟読(じゅくどく)の事。古文は百人一首(ひゃくにんいっしゅ)の最初の50首を暗記の事。と()った調子(ちょうし)だ。問題集はまあ良いとして、熟読(じゅくどく)だの暗記といった、(いささ)抽象的(ちゅうしょうてき)な内容だと、つい、手を抜きたくなる。さらに、始末(しまつ)に悪いのは、今、()がらなかった教科である。()れらは、宿題が無い事になるが、宿題が無いからと()って、テストが無い(わけ)ではないのだ。当然(とうぜん)、テスト範囲も決っている。結局(けっきょく)、テストは地力(じりょく)勝負となるのだ。正太郎は、実の(ところ)、合宿のお陰で、英語以外の教科の問題集は粗方(あらかた)終わっていた。だが、苦手(にがて)な英語は、(ほぼ)、手付かずだった。

多分(たぶん)()の1週間は英語漬けだな」

大丈夫(だいじょうぶ)だよ、正ちゃんなら。頑張(がんば)ろうよ」

 中は割りと広く、自習用の個人スペースと二人がけの自習スペースがあった。正太郎たちは二人用の自習スペースに座った。宿題は非常にテンポ良く進んだ。正太郎は2時間で7ページほど終了した。矢張(やは)り、祐子は英語の語彙力(ごいりょく)がある。()進捗(しんちょく)状況は、正太郎単独では考えられないペースだった。其処(そこ)で、祐子に一服しようと持ちかけ、祐子も同意した。

「祐ちゃん。ありがと。本当に助かった。祐ちゃんがいなければ、多分(たぶん)、一日中やっても3ページくらいだと思う。だから、せめてジュースを(おご)らせて」

「正ちゃん。それは駄目(だめ)だよ。()(あいだ)、約束したでしょ」

「あっ」

 正太郎は思い出した。お互いに無理(むり)をしない様にと、デートの時は()(かん)にしようと決めた事を。事の発端(ほったん)は、(くだん)のホテルの直後だった。ホテルの支払いの時に祐子が()い出したのだが、()の時は、流石(さすが)に正太郎も(ゆず)らなかった。女の子にホテル代なぞ出させる訳にはいかない。(しか)し、結局(けっきょく)、祐子の『一生の思い出だから、私も参加させて』の一言(ひとこと)に負けたのだった。

「だから、自分の分は自分で出すよ」

「うーん。何か申し訳ないなあ」

「そお? 無理(むり)するよりも。毎日デート出来(でき)た方が()いもん」

「確かにそのとおりなのだけど…。やっぱ、申し訳無いよなあ」

 ニコニコしていた祐子が、急にイタズラっ子の顔になって、

「じゃあ。後から、ご褒美(ほうび)頂戴(ちょうだい)

「ご褒美(ほうび)?」

「そう、ご褒美(ほうび)。…合宿中は5回しか、してもらえなかったし…」

 正太郎にも何の事かは(すぐ)に分かった。(たし)かキスは、夜、河原(かわら)で星を見た時と、朝のお散歩の時しかしていない。

「なんか…恥ずかしいね。後からね」

 祐子がニコニコし(なが)(うなづ)いた。

「うん」

「場所は如何(どう)する?」

「赤灯台がいいな」

 今度は正太郎がいたずらっ子のような顔つきになって()った。

「でも、祐ちゃん。あんまり、可愛(かわい)いと俺、止まれなくなっちゃうかもよ」

「…もう。…でも、私も止まれなくなっちゃうかも…」


「何が止まれなくなっちゃうの♪」

 突然(とつぜん)、後ろから声が聞こえた。

「うわあ」

「い、いずなちゃん」

 其処(そこ)には、身長150センチそこそこの、小学生の様な体型のいずなが、炎天下(えんてんか)の歩道にニコニコし(なが)(たたず)んでいた。赤で大きく『♪』を描いたピンクのTシャツに水色のショートパンツのラフなスタイルだ。ウェーブ掛かったおかっぱボブカット、やや釣り目のクリクリッと大きな(ひとみ)に、チャームポイントの八重歯(やえば)が愛らしい。

「何で此処(ここ)に居る? って()うか、何時(いつ)から居る?」

「…ん。朝からだよ」

「そうじゃない」

 正太郎は急に声を(ひそ)めると、顔を赤らめ(なが)らも改めて(たず)ねた。

「今の会話。何処(どこ)ら辺から聞いてた?」

「最後の方だけだよ」

「具体的には?」

「んーと。ご褒美(ほうび)(あた)りかなあ…」

 いずなは、()(とぼ)けた様に(うそぶ)く。

(ほぼ)、全部じゃねーか」

(いや)あ。いずなちゃんってば」

 祐子が()()になった。いずなは確かに幼児体型だが、あの体型に(だま)されてはいけない。いつものメンバーの中でも、相方の敬介とは正反対に、洞察力(どうさつりょく)推理力(すいりりょく)はメンバー内でも、屈指(くっし)なのである。(おそ)らくは、先刻(せんこく)の会話で、(おおむ)ね、状況を把握(はあく)したに違いない。いずなはニコニコし(なが)()った。

大丈夫(だいじょうぶ)。若いんだから、止まれなくても仕方(しかた)無いよ。いずなは気にしないよ」

「だーっ、俺達(おれたち)は気にするんだよ。お前に聞かれた事の方を。ところで、いずな。こんな(ところ)で何してるんだ?」

「んー。宿題。正ちんやゆうちんと同じだよ」

「えっ。だって、いずな。おまえは粗方(あらかた)、片付いていた(はず)じゃ…」

 いずなは(ほの)かに顔を赤らめて()った。

「だから、ゆうちん達と同じ。…ケースケ君と一緒(いっしょ)に宿題やってるの」

「敬介君もいるの?」

「うん。中で頑張(がんば)ってる。数学問題集が(あと)少し。社会は終わった。今日中に問題集を終わらせたいって。いずなは、のどが(かわ)いたから、ジュース飲みに来たんだよ」

「そうか。じゃあ、(おれ)が買ってくるよ。大丈夫(だいじょうぶ)、祐ちゃん。後で請求するから。祐ちゃんはレモンティーだよね。いずなは何にする?」

「ダイエットコーラ」

「分かった。(おれ)と同じだ」

「ゆうちん。()のおリボン可愛(かわい)いね。正ちんが止まらなくなっちゃうのも、無理(むり)ないね」

(やかま)しい!」

「もう、いずなちゃんの意地悪(いじわる)

 正太郎は自販機を探して、ぎらつく太陽の(もと)、桜橋駅の方に歩いていった。祐子はいずなに向かって笑い掛けた。

昨日(きのう)まで一緒(いっしょ)にいたのに、会えないと不安になって、つい、正ちゃんにメールしちゃったの。本当は、正ちゃんの邪魔(じゃま)しちゃっているのかもしれないけど」

「あのね。ゆーちん。いずなも同じだよ。今朝から、ケースケ君に会えないだけで、落ち着かなくて、電話掛けちゃったの。『一緒(いっしょ)に宿題しない?』って、そうしたら、ケースケ君。『僕から、お願いしようと思ったんだ。一緒(いっしょ)に宿題やらない?』って()ってくれたんだ。いずな。ケースケ君に会えるって思っただけで、ドキドキしちゃって、こんな事初めてだよ」

 恋する少女二人の会話は、とても(はず)んだ。()のうち、正太郎が戻って来て、あと、2時間ほど頑張(がんば)って14時ごろファミレスに行こうと()う事で意見が(まと)まった。

「ところで、いずなちゃん達は何処(どこ)にいるの?」

「個人用のスペースだよ。流石(さすが)に、夏休み最終週だけあって、いずな達が来た時には、(ほぼ)、満席だったよ。じゃあ、ケースケ君にも伝えておくね」

 14時過ぎ。街路樹の(けやき)の幹に、油蝉が止まってがなり立てている。正太郎と祐子は図書館の入り口で待っていた。()のうち、敬介といずなが出て来た。

「おーい。正太、祐子ちゃん。写真ありがとな。早速(さっそく)、ダウンロードしたぞ。」

如何(どう)いたしまして。ところで、如何(どう)だ。宿題、進んだか?」

「いずなちゃんのお陰で、バッチリ。…と、()いたい(ところ)だが、(いま)だしの感がつえーな。まだ、先は長げーよ」

(おれ)もだ。ところで、何処(どこ)に行く」

()の近所だと、フェルケール博物館の所かなあ」

「そうだな」


 一同、ドリームプラザ近所のファミレスに到着した。店内はそこそこ混んでいた。奥で高校生らしい二人連れがノートを広げている。如何(どう)やら、宿題をしているらしい。夏休みの最終週であり、まあ、()わば、夏の様式美(おやくそく)風物詩(ふうぶつし)である。()の光景は何処(いずこ)も同じであろう。店内を顧眄(こべん)していたいずなが、突然(とつぜん)驚きの声を()げた。

「あれ、ひろみっちじゃない? おーい。ひろみっち」

 薄桃(うすもも)色のTシャツにジーンズ姿のひろみも、()頓狂(とんきょう)な声を上げた。()れには、余程(よほど)、驚いたらしい。

「あれっ。いずなじゃない。あんた。こんな所で何やってんのよ!」

「宿題だよ。げっ。ハロゲン族もいる。なんか(あや)しい」

 ひろみが()()になり(なが)らも、抗弁(こうべん)する。

「私は富士見町だよ。近所だもん。何の不思議(ふしぎ)も無いわよ。あーそうそう、正太、写真ありがとね」

 ハロゲン族も便乗(びんじょう)する。

(おれ)も近所だもん。何の不思議(ふしぎ)も無いぜ」

 正太郎が、()かさず突っ込む。

「ウソつけ。如何(どう)見ても、5km以上離れているじゃないか」

「うるさい。中央図書館に行ったけど、満室だったんだよ」

 其処(そこ)で、いずなも突っ込む。

「ヴー。(あや)しい。図書館で満室なんて()わない。()()うの、カラオケか如何(いかが)わしい施設」

 其処(そこ)で高志は、此処(ここ)ぞとばかりに(さけ)ぶ。

()れだ! ひろみ! 今度、図書館が満室なら、其方(そっち)に行けば良いんだ。平日なら、フリータイム。3500円で一日中、エアコンの効いた部屋で、勉強し放題。勉強に飽きたら、…別の事すれば()いし。ナイスアイデアだろ。あいてててっ」

「乙女に向かって、何て事、()うの。()のハロゲン族は。…もう。なんで、こんなおたんこなすを好きになっちゃたのかしら」

 ひろみは()()になり(なが)ら、高志の耳を引っ張り上げ、ふくれている。

「ひろみっちがふくれたところ、かわいー。あれじゃあ、ハロゲン族が夢中(むちゅう)になるのも分かるね」

(やかま)しい。ところで、お前らは何しに来たんだ?」

(おれ)たちも、図書館で宿題してたんだよ。でもって、今は昼飯食いに来たんだよ」

「じゃあ、(おれ)たちも一息入れて、飯にするか。流石(さすが)に、コーヒー一杯で3時間は気が引けてたんだよな」

 正太郎が(あき)(なが)()った。

迷惑(めいわく)な客だなあ。そのうち、出禁(できん)になるぞ。ところで、高志たちこそ、何でこんなとこでやってんだ。高志もひろみも、宿題なら粗方(あらかた)終わっているんだろ」

 ひろみがコーヒーを(すす)(なが)()った。

「まあ、そうなんだけど、全部終わった(わけ)じゃないし、抑々(そもそも)、あの宿題は、宿題に(かこつ)けて、休み明けのテスト勉強して置けよって、事じゃない。終わりなんか無いわよ。それに、宿題が無い教科も不気味(ぶきみ)だし」

「それな。まあ、(おれ)も朝から、やってたんだが、イマイチ集中出来(でき)無くてな、つい、ひろみに電話した訳だ。やっぱ、1日1回、ひろみ姉さんの小さな胸を(おが)ま無いと、調子(ちょうし)が…げほっ」

 ひろみが、(ひじ)うちをし(なが)ら、大きく溜息(ためいき)をついた。

「はあ、本当にもう。なんで、こんなおたんこなすに()れちゃったんだろ…」

 食事が終わったところで、敬介が提案した。

「ちょっと、みんな聞いて欲しい。ひろみと、おたんこなすも…」

「誰が、おたんこなすだ」

 高志が反論するのを(おさ)えて、ひろみが()めつけた。

「あんたよ。で、何なの?」

(おれ)が、多分(たぶん)()の中で一番遅れているから、申し訳無い提案なんだけど、今週、宿題やるなら一緒(いっしょ)にやらないか? (おれ)()調子(ちょうし)だと、あと一週間は掛かると思うけど、多分(たぶん)、図書館は毎日一杯だろう。(おれ)の家なら、少々(しょうしょう)、遠いけど、広さだけは充分にある。前に麻雀(マージャン)の時、()ってた部屋だ。如何(どう)だろうか?」

 (たし)かに、(あなが)ち、悪い提案では無い。と、()うよりも、(むし)ろ、良案(グッドアイデア)である。祐子が思案気(しあんげ)面持(おもも)ちで()った。

「願っても無い提案だけど。敬介君の家に迷惑(めいわく)が掛かるでしょ?」

全然(ぜんぜん)(おれ)の家、高志んところと同じで農家だから昼間は誰もいないし、提供する部屋は20畳。離れだから、例え、大騒ぎしても母屋(おもや)には聞こえないよ。本当は、今日いずなちゃんから電話があった時、考えたんだけど、俺の家、遠いから()めたんだ。でも、図書館がこれだけ混んでいるなら、と思ってさ。それに、離れはパソコン置いてあるから、ネットも使える。ワイハイもOKだよ。飲み物も家の前に自販機があるし、コーヒーメーカーがあるから、何時(いつ)でも飲める」

「いずなは賛成(さんせい)。それに、図書館だと、私語(しご)厳禁(げんきん)だしね」

 正太郎がニコニコし(なが)らも、多少(たしょう)不安気(ふあんげ)()った。

「願っても無い提案だけど、本当に良いのか? …()し良ければ、是非(ぜひ)お願いしたいよ。抑々(そもそも)(おれ)は英語が苦手(にがて)だから、誰かに聞けるのって、すごく有難(ありがた)いし、助かる。静粛(せいしゅく)な図書館だと、中々聞きづらくてさ…。祐ちゃんは如何(どう)かな?」

「私も是非(ぜひ)お願いしたいな。図書館もいいけど、あの混み具合だと離席(りせき)出来(でき)ないし、私語(しご)出来(でき)無いもんね。それに、やっぱり、誰かに聞けるのって、いいよね。ひろみちゃんは?」

「私も助かる。()だ、問題集も英語も少し残っているから。それに、図書館もあの様子(ようす)だと、今週は無理(むり)っぽいもんね。高志は?」

「ああ。(おれ)賛成(さんせい)。だけど、昼飯は如何(どう)する? カップ(めん)でも持ち寄るか?」

 祐子がニコニコし(なが)()った。

「お弁当なら作るよ」

 正太郎が()った。

「いや、それも申し訳ないよ。朝、ラインでオーダーとって、(おれ)が、花月でまた買ってくよ」

「いずなも賛成(さんせい)彼処(あそこ)のおにぎり、おいしかったし」

 最後は高志が取り(まと)めた。

「じゃあ、全員賛成(さんせい)()う事でいいかな? 敬介、迷惑(めいわく)掛けるけど、世話になるよ。あと、眼鏡(めがね)たちも連絡しようぜ。あいつらも、絶対(ぜったい)、単独でやってないぜ。二人で何処(どこ)かでやっているに決まっているさ。試しにメールしてみるか?」

 返事は(すぐ)に返って来た。まず、凛子からだった。彼らは自宅近所の草薙(くさなぎ)にある県立図書館に居るらしい。

()し、良ければ是非(ぜひ)参加したいわ。今、県立図書館にいるけど、すごく混んでいて、(たま)ったもんじゃないわ。離席(りせき)出来(でき)無くて、トイレにも行けないもの。でも、敬介、お(うち)の人は大丈夫(だいじょうぶ)なの?』

(おれ)も参加させてくれ。今日、一日、県立図書館で、凛子と宿題していたんだが、混み方が半端(はんぱ)ねえ。それに、聞ける(ヤツ)がいるのは大きい。(おれ)も凛子も参加だ』

 解散した後、約束どおりに二人で赤灯台に行った後、中学校の(そば)にある、コーヒー専門店のTコーヒーに来ていた。祐子は正太郎に(たず)ねた。

如何(どう)して、コーヒー専門店に?」

 正太郎は()(なが)ら答えた。

「実は、(おれ)、高校受験以来、コーヒーに凝っているんだ。折角(せっかく)、敬介が場所を提供してくれるから、せめて、コーヒー豆でも持って行こうと思って。あと、お茶菓子も」

「それなら、私も、正ちゃんち家の(そば)のスーパーでお菓子を買って行くよ」

「じゃあ、俺も付き合うよ」


 翌日、正太郎がラジオ体操の会場に行ったら、祐子はニコニコし(なが)ら待っていた。今日は、白のTシャツにグレーのハーフパンツ姿で、実に、健康そうないでたちである。愛犬のラブラドールレトリバーのペスも一緒で、ペスは『ワン、ワン』と大喜びで()え、尻尾(しっぽ)を振り(なが)ら、正太郎の方に寄って来た。相変わらず、人懐っこい()なのである。

「おはよう、祐ちゃん。おお、ペスも元気そうだな」

 ペスは()れに(こた)える様に、ワンワンと()(なが)ら、正太郎に鼻を()り寄せてくる。

「おはよう。正ちゃん。昨日(きのう)は、あの後、やった?」

「うん。12時位までやった。祐ちゃんは?」

「私もそれ位。本当は10時位に休もうと思ったけど、今日の事考えたら、わくわくしちゃって…。ところで、今日、何時(いつ)ごろ行くの?」

先刻(さっき)、おにぎりの注文のラインを回した。8時過ぎに花月に、買いに行くつもり」

「あっ、本当だ。ラインが着ている。でも、丁度(ちょうど)良かった。昨日(きのう)の夜、いずなちゃんからメールがあって、一緒(いっしょ)に行こうって事になったの。9時に学校の講堂前で待ち合わせ。あと、ひろみちゃんも。正ちゃんも一緒(いっしょ)に行こうよ!」

「分かった。敬介に時間を、知らせておくよ。ラインで。じゃあ、祐ちゃんの家に8時50分でいいかな?」

「うん、待ってる」

 正太郎が花月でおにぎりを買って、祐子の家に行ったのは8時45分頃だった。祐子は例によって玄関で待っていた。髪にピンクのリボン、白のポロシャツに紺色のスカートである。

「おはよう、正ちゃん。うわっ、おにぎり、すごい量だね。半分持とうか?」

 白のTシャツに青のハーフパンツ姿の正太郎が()った。

「いや、大丈夫(だいじょうぶ)だよ。にしても、高志と明彦。買いすぎだ。二人で20個だぞ。おにぎり屋でも始めるつもりか、まったくもう」

「えー、そんなに」

 正太郎と祐子が学校に着いたのは、8時50分位だった。いずなとひろみはもう(すで)に待っていた。いずなは、白地に紺色でト音記号が描かれたTシャツ、水色のショートパンツにサンダル。ひろみはピンクのポロシャツにベージュのキュロットスカートにサンダル。二人とも川遊びが出来(でき)そうないでたちである。

「いずなちゃん。ひろみちゃん。おはよう」

「あっ。ゆーちん、正ちん、おはよう」

「おはよう、祐子、正太。相変わらず、仲睦(なかむつ)まじいわね」

「ほっとけ。()れで全部か? あれっ、眼鏡(めがね)たちは?」

「凛子っちは二人で行くんだって。仲いいよね」

「本当ね。ところで、眼鏡(めがね)たちって、付き合っているの?」

「いずなもよく分からないんだよ」

「でも、いつも一緒(いっしょ)にいるもんね」

 と、祐子。ひろみも、それに続く。

「本当に、謎なのよね。ところで、敬介んち、誰か知ってる?」

 正太郎が笑い(なが)ら答えた。

(おれ)が知っている。一学期中に、一度遊びに行った事がある。清水いはらインターの方。庵原(いはら)球場やナショナルトレーニングセンターより向こうだ。金谷のバス停の先。結構(けっこう)登るぞ。じゃあ、行こうか」

 学校から秋葉神社の横の道を、夏の強烈な日差しに(なぶ)られ(なが)ら、汗を()()き進んだ。正太郎が自転車をこぎ(なが)()った。

「昔、明治の末期だか大正の頃、()の道は軽便鉄道(けいべんてつどう)が走っていて、今の道は()跡地(あとち)だったそうだよ。それこそ、今から行く、敬介の家(あた)りまで、軽便鉄道(けいべんてつどう)が通っていたらしいよ」

「えー。いずな、清水っ子だけど、そんな話初めて聞いたよ。ひろみっちの家の前はちんちん電車が通ってたって、聞いた事があるけど」

「それは、静鉄の清水市内線だろ。親父がガキの頃、走っていたって。親父もよくそれに乗って、横砂(よこすな)のプールに行ったって()ってだ」

 祐子も(うなづ)(なが)()った。

「うん。パパやママから聞いた事がある。横砂から港橋まで走っていたって。今の、さつき通りが()跡地(あとち)だって」

「ああ。それとは別にさ。俺も親父から聞いたんだけど、余りにも嘘臭いもんで、本気にしていなかったんだが、ウィキで調べたら、ちゃんと、『庵原(いはら)軌道(きどう)』って、載っているんだ。確かに、庵原(いはら)街道って、所々(ところどころ)道幅(みちはば)無駄(むだ)に広くなっている所があるだろ。あれなんか、駅の跡地(あとち)じゃないかなって…、思うんだ」

「正ちゃん、そう()う話大好きだよね」

 正太郎の意外な薀蓄(うんちく)披露(ひろう)に、ひろみも感心する。

「へー。流石(さすが)、清水高校の柳田国男ね。()の手の軼事(いつじ)(くわ)しいと()うか、何と()うか」

茶化(ちゃか)すのは()せよ。…あっもうすぐだな」

 山に大分(だいぶ)、分け入っており、蝉の声は(すで)に、大音響である。合宿の宿に戻ったみたいであった。敬介の家はすぐに分かった。立派(りっぱ)な門構えの大きな家だった。早速(さっそく)、敬介のお母さんが出迎えてくれた。お母さんは良二おじさんから、大分(だいぶ)、良い評判を聞かされていたらしい。

「ごめんなさいね。皆さん。うちの敬介にも、良く勉強を教えてあげて下さいね」

 通されたのは、渡り廊下(ろうか)風の長い廊下(ろうか)の先の一室だった。(おそ)らく、昔の母屋(おもや)なのだろう。近代的に改築されており、エアコン完備の、居心地(いごこち)の良い部屋だった。敬介が()ったとおり、二十(じょう)はあるであろう。部屋の真ん中にはテーブルが2つ、そして部屋の隅にはパソコンが置いてある。パソコンの前には高志が、(くだん)の、青に白地のハロゲン族Tシャツに、青のサッカーパン姿で、(ひじ)を枕に横臥(おうが)して、(くつろ)いでいた。

「よう、遅かったな」

「ムキ、ハロゲン族。自分の(うち)の様に、当たり前に(くつろ)いでる」

(そろ)った所で、早速(さっそく)始めようぜ。お宝探し」

「…?」

 高志が親指を立て(なが)()った。

()の上、敬介の部屋なんだが、当然(とうぜん)、隠してある(はず)のエロ本を探すのさ。先刻(さっき)(のぞ)いたんだが、いずなのヌード写真しか()ってねえ。水玉模様のちっぱいの…」

「ムッキー、ケースケ、何て事すんの。絶交だよ」

 敬介が(あわ)てて否定する。

「おいコラ、高志。人を()める様な事()うなよ。違うよ。いずなちゃん。高志の冗談(じょうだん)だよ。机の写真スタンドに、二人で撮った写真。とあと、…壁に…A4サイズの」

「ヌードだろ。いずなの」

「ムキーッ。やっぱり」

「違う。…いずなちゃんの…浴衣(ゆかた)姿。大体(だいたい)一昨日(おとつい)(かざ)ったばっかだぞ」

「あれ、ベッドの横だもんなあ。如何(どう)考えても、おかず用だろ…げほっ」

「あんたと一緒(いっしょ)にしないの。いい加減(かげん)にしなさいよ。(まった)く…」

「ムッキー、ケースケ。恥ずかしい使い方、禁止」

「そんな、いずなちゃんをそんな事に…使う(わけ)…ない。と、…思う」

「あー、もごもごした。怪しい」

 それを聞いていた、祐子が助け舟を出した。

「いずなちゃんは、敬介君の写真(かざ)ってないの?」

「…んーとね。ちょっとだけ」

「何枚?」

「…うーっ。…5枚位かな」

(おれ)より、多いじゃんか。いずなちゃんも、写真は一昨日(おとつい)(かざ)ったんだろ」

「…うーっ。そう。もう、宿題始める。ハロゲン族が(から)むと、(ロク)な事がない。ツキが落ちる」

 ()の内、明彦たちからメールが来た。金谷まで来たが、()の先が分からないと()う。結局(けっきょく)、敬介が迎えに行き、全員集合となった。明彦は緑白のラガーシャツにベージュのスラックス。凛子はブルーの開襟(かいきん)シャツに黒のスラックスとダンディないでたちであったが、髪にはトレードマークの桃色の大きなカチューシャをしていた。みんな、黙々(もくもく)と進め、時には聞いて、時には教えあい、効率よく、午前の部が終了した。昼食の段になった時、凛子がしみじみと()った。


「あーあ、(しか)し、本当に合宿楽しかったなあ…」

「まーな」

 高志が適当(てきとう)相槌(あいづち)を打つ。屋外の蝉の声が中に(まで)聞こえる。ひろみも、

「本当にそうだよね。来年もまたやりたいよね」

「そうだよなあ。(しか)し、たかだか、3日足らずだったが、中身の濃い合宿だったよなあ…」

 明彦もしみじみと相槌(あいづち)を打つ。高志は多少ニヤニヤし(なが)ら、

「3日足らずとは()うが、実際、リアルでは6ヶ月もやっていたと()う話だからなあ。バカ作者の(ヤツ)。前にも顰蹙(ひんしゅく)を買った癖に()りねえからなあ。(おれ)も、一時は、エンドレスエイトかアストロ球団みたくなるのかと心配したぜ…」

 凛子が難しい顔をし(なが)ら、すかさず突っ込む。

流石(さすが)に最近の子供たちは、エンドレスエイトは()(かく)、アストロ球団は知らないでしょ」

 みんながワイワイしているのが落ち着いた処で、敬介がお礼を()い始めた。

「でも、みんな、ありがとう。午前中だけでかなり宿題が進んだよ。午後は、もう一回問題集を見直してみるよ。世界史も不安だからな。最初からやり直すよ。一学期、赤点だったし」

 正太郎はニヤニヤし(なが)()った。

「おい、敬介、世界史と()えば。マケドニアの有名な王様知っているか?」

「それぐらい、知っているよ。アレキサンダー大王だろ」

「あれって。トランプの、クラブのKのモデルだって知っているか?」

「本当かよ?」

 凛子が口を(はさ)む。

「また、白地(あからさま)に嘘臭い話ね」

「そんな事無いよ。ダイヤのKは有名なローマ皇帝だし、ハートのKはフランク王国の王。でもって、スペードのKはユダヤの王だ。あと、QやJもちゃんとモデルが居るぜ。たとえば、スペードのQはギリシャ神話の女神様だしな。(もっと)も、絶対(ぜったい)にテストには出ないとは思うが」

 いずながパソコンで調べていたが、(やが)て、大声で(さけ)んだ。

「ムキーッ、本当だ。正ちんの()ったとおりだ。ダイヤのKはシーザー、ハートのKはカール大帝、スペードのKはダビデ王となってる。流石(さすが)はクイズ王だね」

 高志が(まゆ)(ひそ)(なが)()った。

「あのなあ。正の字。()無駄(むだ)に深い知識。確かに、(すご)いとは思うんだが、抑々(そもそも)、人生に必須(ひっす)の知識なのか?」

「バカヤロー。知識の本質がまさにそれだろ。俺達(おれたち)が今、必死こいてやっている()の問題だって、死ぬまで何の縁も無い、知識のきれっぱしかもしれないんだぜ」

「まあ、それはそうなんだが…」

「本当だ。スペードのQはアテナってなってる。アテナってローマ神話だと…」

 いずなが感心し(なが)()った。正太郎が引き継いだ。

「ミネルヴァだよ。『ミネルヴァの(フクロウ)は夜になると飛翔する』の」

 敬介が無邪気(むじゃき)(たず)ねた。

「それって、如何(どう)()う意味」

 いずなが引き取って答えた。

「言葉自体は、ドイツの哲学者ヘーゲルが『法の哲学』の序文で述べている。ミネルヴァは知の女神であり、()(しもべ)たる(フクロウ)は、学問の象徴。意味は、所詮(しょせん)、学問は後追いでしかない。と、()う処かな…」

「やっぱ、お前ら(すご)いよ。学校祭のクイズ大会の時、そう思ったんだ。(おれ)(なん)か自信なくなっちゃうな。午後は世界史に決めた」

「まあ、心配するな。こんなの勉強には何の関係もねえ。(おれ)だって、一学期末は総合順位298位だ。赤点こそなかったが、2のオンパレード。補習の嵐だったぜ」

「そうかな、正ちゃん。昔から、勉強だけでなく、こういう雑学が(すご)かったもんね」

「そうかなあ。あっそうだ。百人一首(ひゃくにんいっしゅ)も覚えるんだった」

百人一首(ひゃくにんいっしゅ)ていや、坊主(めく)りだよな」

 高志がぼんやりと()った。敬介も続く。

「それな。坊主(めく)りっていや、蝉丸(せみまる)だろ。大体(だいたい)、いつも、喧嘩(けんか)になるんだよな。坊主かどうか()めて」

「おお、それな。(おれ)兄貴(あにき)と良くやったんだが…」

「あんた、お兄さんいるの?」

 ひろみが横合いから口を(はさ)む。

「居ちゃ悪いのかよ。前に、風疹の話の時に、出て来た(はず)だぞ。今、京大農学部の一年だ。それでだな、家の坊主(めく)りは、蝉丸(せみまる)を引いた(ヤツ)が負けなんだ。あと、山札の何処(どこ)から抜いてもいいんだ」

大体(だいたい)、坊主(めく)りはそーだろ」

「でも、家の蝉丸(せみまる)は長年の抗争の結果、傷だらけでな。要するにガンがついているんだ。だから、蝉丸(せみまる)の札は必ず、最後まで残る。しかも、交互に一回づつ引いていくんだ。姫の二回引きボーナスもなし。つまり、後手必敗の二人零和有限確定完全情報ゲームなのさ」

 ひろみが(あき)(なが)()った。

「そんなの、坊主(めく)りでも、何でもないじゃないの。それで、その蝉丸(せみまる)爆沈ゲームのどの(あた)りが、面白(おもしろ)い訳?」

「まず、先手争いだ。百人一首(ひゃくにんいっしゅ)の札の枚数からして、後手を引いたら、必ず負けだからな。まず、其処(そこ)で、大概(たいがい)喧嘩(けんか)になる」

「…」

「でも、俺は一計(いっけい)を案じてな。箱から出す時、天智天皇の札を隠したんだ。そして、兄貴(あにき)に先手を譲ったんだ」

「…」

「これで、兄貴(あにき)を出し抜いた(わけ)だ。ざまあみろと思ったよ。だが、兄貴(あにき)野郎(やろう)卑怯(ひきょう)だからな。彼奴(あいつ)も、猿丸大夫を隠していやがってよ。結局(けっきょく)(おれ)蝉丸(せみまる)を引かされる羽目(はめ)になってな。(しか)も、あの野郎(やろう)挙句(あげく)の果てに、オモチャの散弾銃なんぞ持ち出してきてな、『兄より(すぐ)れた弟なぞ、存在せんのだあ』なんて、くっだらねえ勝鬨(かちどき)なんぞ上げやがってよ。(まった)く、頭にくるぜ。其処(そこ)で、兄貴(あにき)と取っ組み合いの大喧嘩(おおげんか)よ」

 正太郎が、鳩が豆鉄砲でも食らった様な顔で(あき)れる。

「…本当に、くだらねえなあ」

「まあ、小学生時代に有り勝ちな兄弟喧嘩(けんか)ね」

 凛子が溜息(ためいき)混じりに(つぶや)くが、高志が間髪(かんぱつ)入れずに吐露(とろ)する。

「いや、今年の正月の事なんだが…」

 ひろみが、(さら)(あき)(なが)()った。

「ちょっと、待ってよ。子供の頃の話じゃないの? じゃあ、何。京大受験を控えた受験生と、清高受験を控えた受験生が、受験直前にそう()うバカやってた(わけ)?」

「しょうがねえだろ。挑まれた戦いなんだから…。『絶対(ぜったい)に負けられない戦いが、其処(そこ)にある』って(やつ)だ」

 凛子が(あき)(なが)()い捨てる。

「…あきれた。あんたは、勿論(もちろん)としても、お兄さんも大概(たいがい)よね。お母さん悲しむわよ」

冗談(じょうだん)じゃねえぞ。あの時は、()(あと)お袋が血相(けっそう)変えて上がって来て、『勉強しなさい』って、ふたりとも、どっちかられて、お陰で、我が家は、百人一首(ひゃくにんいっしゅ)が禁止になっちまったんだぞ」

 明彦が(あき)れた。

「…また、()のオチかよ」

 ひろみも同意する。

「そんなの、百人一首(ひゃくにんいっしゅ)でも何でもないじゃないの。(ただ)蝉丸(せみまる)爆沈ロシアンルーレットでしょ。(しか)も、お互いにイカサマし合って、喧嘩(けんか)になったってだけじゃないの。受験の直前に。まったく、バカバカしい」

「いずな、知ってるよ。本当は百人一首(ひゃくにんいっしゅ)優雅(ゆうが)な歌ガルタなんだよ。ハロゲン族、藤原定家に謝んなさいよ」

(やかま)しい」

 此処(ここ)で、敬介が()頓狂(とんきょう)な声を上げた。

「えっ、百人一首(ひゃくにんいっしゅ)って坊主(めく)りが正しい遊び方じゃないの?」

 凛子が()った。

「違うわよ。…何か頭痛がしてきた。いずな、あんた、教えてあげなさいよ。()も無いと、()の子、またテストで書くわよ…」

「えーっ。…あのね、ケースケ。本当はカルタなんだよ。坊主(めく)りに使う読み札と、字が書いてある取り札があるでしょ」

「そうだったんだ。実は、ひらがながいっぱい書いてある(ヤツ)用途(ようと)が分からなくて、謎だったんだよ。何か、不気味(ぶきみ)な暗号みたいな文字が、いっぱい書いてあってさ。気味悪かったんだよ。でも、使わないから、友達にあげたり、捨てたりしてさ。今は一枚も残ってないよ。今や坊主(めく)り専用だな」

「…。本気で頭痛がしてきた。敬介のお母さんの心情を(さっ)すると、(あま)りあるわね」

 高志がニヤニヤし(なが)ら聞いた。

「じゃあ、敬介。おまえ、テストにはどんな問題が出ると思ったんだよ?」

「絵札画像がでてな。どれが蝉丸(せみまる)ですか? 的な…。(おれ)、8割方いけると思ったんだけどな…。ねえ、いずなちゃん。ところで、藤原定家って何者? 百人一首(ひゃくにんいっしゅ)の中にいなかったよね」

「ちゃんといるよ。鎌倉時代の人。歌人だよ。百人一首(ひゃくにんいっしゅ)を選んだ人。百人一首(ひゃくにんいっしゅ)の中の権中納言(ごんちゅうなごん)定家だよ。これは、テストに出るかも、日本史のね」

 高志がニヤニヤし(なが)()った。

「そんな、画像問題な訳無いだろう。でも、()()う、画像問題ならいけるかも。『()れは、誰のブラですか?』みたいな。()れは、ちっぱいのひろみ。()れは、壊滅的な胸のいずな。で、()れはデカパイの祐子ちゃん専用。そして、()の漆黒のブラは大人の雰囲気(ふんいき)満載(まんさい)の凛子の…。あいたたたた…」

「黙んなさいよ。()の女性の敵」

「ムッカー、ひろみっち、()の無礼な蝉丸(せみまる)爆沈男、黙らせて」

「ひろみちゃん。お願い。もう一発、よろしくね」

「ひろみの許可さえあれば、蹴りも入れるんだけど…」

 女子全員にボコられた高志がぼやいた。

「くっそー。折角(せっかく)、食後の優雅(ゆうが)なひと時が台無しだ。(しか)も、ちっぱいな(ヤツ)ほど、ひどい暴行を加えやがって…」

「何よ、()侮辱(ぶじょく)する気?」

「くっそー。ツキが落ちた。勉強でもやるか」

 正太郎が渋い顔で(たしな)める。

「…くだらねえ事、()うからだ」


 午後の部が始まった。正太郎は、割と早い段階で、英語の全範囲が一通り終わった。其処(そこ)で、立ち上がってコーヒーを()れに行った。コーヒーの香ばしい香りが、(あた)りに漂って来た。高志が手を上げた。

「正太。(おれ)も、もらえるか」

「いいぜ。他に飲む奴はいるかな?」

 明彦と凛子といずなが手を上げた。祐子も立ち上がって、()った。

「じゃあ、私、紅茶入れてくるね。飲む人は?」

 ひろみが手を上げた。

「ごめんね。祐子。私も頂くわ」

「分かった。敬介君は?」

(おれ)は、緑茶を頂くよ」

 正太郎と祐子がコーヒー、紅茶、緑茶を準備し、お茶菓子の最中とアソートチョコレートを持っていった。高志がそれを見て、筆を止めた。

「わりいな、正太。(おれ)たちもコーヒーブレークにするか」

 全員異存は無かった。高志はコーヒーを飲み(なが)ら、自嘲気味(じちょうぎみ)()った。

(おれ)さ、中学ん時、勉強は、学年でトップクラスだった。多分(たぶん)、程度の差こそあれ、此処(ここ)にいるみんな、似たり寄ったりだろ。()れは、(おれ)の個人的意見なんだが、勉強は一人でやるもんだと思っていた。まあ、基本、()の考えは今も変わらないがな。(みんな)で、集まって勉強会なんて、勉強をした気になっている自己満足だと思ってた。だけど、こうして、(みんな)でやった方が進む時もあるんだなってのは、新たな発見だよ。合宿の時に思ったんだ。あれだけ、日中遊んで、(しか)も、夜もがんばれる。何の事はねえ、一人でやるよりよっぽど進むんだ。それに、人から教わる事なんかねえと思ってた。だが、実際は違った。いずなや、祐子ちゃんや、明彦や、凛子、ひろみ。それに正太や敬介からも教わった。(おれ)、天狗になってたんだな。それが、良く分かった」

 それを聞いた明彦もしみじみと()った。

(おれ)だって同じだよ。(おれ)も、勉強なんて一人でやるもんだって思ってたよ。だから、合宿の話があった時、面白(おもしろ)そうだとは思ったけど、()れで、宿題はパアだなって思った。でも、実際は合宿中の方が進むんだ。結局(けっきょく)、好きな人の前ではがんばれるってのが、大きいのかなあ。出来(でき)たら、来年もまた興津川合宿やりたいよな」

 祐子がニコニコし(なが)ら、(たず)ねた。

「明彦君の好きな人って誰なの?」

「ふふふ。祐子ちゃん。それは、トップシークレットだ。まだ、誰にも()えん」

 凛子が(ひたい)に手を当て、半ば(あき)れた様に、(かぶり)を振り(なが)()った。

「あのねえ…、明彦。()の8人の内、(おおやけ)になっているカップルが3組6人。(すで)出来(でき)上がっているの…。あんたが、知らないだけで…」

「何だとおー。正太と祐子ちゃん以外にもそんな、浮いた話があったとは…。と()う事は、高志。おまえもなのか? そう、なのか?」

「いや、ははは…」

一体(いったい)、相手は誰なんだ? 分かった。いずなだな」

「ムッキー。何で私がハロゲン族と…」

 祐子が正太郎に耳打ちした。

「明彦君。()で知らないみたいね」

「ああ。あいつ、()る意味、敬介以上の天然だからな…」

 明彦が身悶(みもだ)えする様に(さけ)ぶ。かなり、混乱している様子(ようす)である。

一体(いったい)誰なんだ? まさか、凛子じゃ…。いてえっ」

 凛子が明彦の後ろ頭を(たた)く。ひろみがふくれ(なが)ら、自分を指差した。

「マジか? 一番ありそうも無い組み合わせだぞ。て、事は、敬介の相手は…」

 いずながニコニコし(なが)ら、自分を指差した。敬介は赤くなって、ちんまりとしている。そして、いずなが、

「で、もってえ、明彦が好きな子が…」

 明彦と凛子以外の全員が、凛子を一斉に指差した。凛子が()()になって小さくなっている。が、明彦も茹蛸(ゆでだこ)の様な状態である。

一体(いったい)、合宿中に何が起こっていたのだ? 抑々(そもそも)、そんな面白(おもしろ)い事になっているなら、何故(なぜ)()(おれ)を呼ばん」

 高志が(さえぎ)った。

「何を()ってやがる。おまえ、昼寝か、(のぞ)きか、芋の皮剥(かわむ)きやってたじゃねえか。大体(だいたい)、今、問題になっているのは、お前が好きな子の話題だ。それを()くまでは、宿題なぞ、出来(でき)ると思うなよ」

 凛子がぷりぷりし(なが)()った。

「あーもう。わかったわよ。…私、明彦君と付き合ってます。…これで、いいでしょ」

「ほーら。やっぱり」

 いずなが勝ち誇った。ひろみがニヤニヤし(なが)(たず)ねた。

一体(いったい)何時(いつ)からなの?」

「さあ、何時(いつ)からだったかしら…」

 高志がニヤニヤし(なが)()った。

「じゃあ、明彦を()め上げようぜ。此奴(こいつ)、優等生風でも、案外(あんがい)、バカだから、()くと思うぜ。誘導尋問(ゆうどうじんもん)にもすぐ引っかかるし」

「何だとおー」

「わー。分かったわよ。()うわよ。…学校祭の最終日からよ」

 みんなでわいわい()(なが)らも、結局(けっきょく)()の日は、午後5時位までがんばった。そして、翌日以降も勉強会を継続した。3日目には、全員宿題は終了し、テスト勉強モードとなった。8月31日金曜日には勉強会を打ち上げて、残った土日を各人思い思いに過ごすと()うことで解散となった。みんなが、口々に、敬介に場所提供のお礼を()って、帰って行った。正太郎は祐子に帰り道の道すがら、こう()った。

「祐ちゃん。良ければ、赤灯台に行ってかない?」

「うん。いいよ」


 夏の終わりではあるが、18時前では()だ明るい。暗い常磐(ときわ)色の水面(みなも)に、そろそろ、(かたむ)きかけた夕日が反射して、海面が亜麻色(あまいろ)に見えた。二人は夕日を見(なが)ら、突堤(とってい)に腰掛けた。祐子が(いぶか)しげに(たず)ねた。

如何(どう)したの? 正ちゃん」

「うん。みんなの前だと恥ずかしかったから…。あのね、祐ちゃん、お誕生日おめでとう」

 正太郎は、そう()(なが)ら、小さな紙包みを渡した。贈り物は小さな星型の髪飾りだった。祐子の(ひとみ)が見る見るうちに(うる)んでいったが、(やが)て、真珠の涙がこぼれ出す。

「ありがとね。正ちゃん。私、一生大切にする」

「いや、それ程の物でも…。安物だし」

「そんな。大好きな人からの、それも、長年片思いだった人からの、贈り物だよ…」

 祐子は、其処(そこ)(まで)()うと、言葉に詰まってしまった。正太郎が、祐子の髪を、優しく()でている。

「正ちゃん。ありがとう。本当に嬉しい」

「祐ちゃんが、そんなに喜んでくれるなら、良かった。今年の夏は、いろんな事があったけど、僕にとって、特別の夏だよ」

「私もだよ。私、()の夏の事は一生忘れないよ」

 夕闇迫る赤灯台に、二人のシルエットだけを残し、8月最後の夕日が暮れようとしている。が、二人の影は動かない。(やが)て、夜の(とばり)が下りる(ころ)、二人の影は立ち上がり、(しばら)く重なった(のち)に、突堤(とってい)から見えなくなった。

年に一度の遠足の日がやって来た。其のバスの中で、1年前の祐子と正太郎の行動を第三者が俯瞰的に観察したエピソードと、春先の『幽霊ピアノ事件』に纏わる意外な推理が明かされる。更に、3年前の遠足の日に起きた、学園を巻き込んだ騒擾事件とは? 次回、『第19話 カルネアデスの舟板』。随分と重いタイトルであるが、乞うご期待。

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