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第14話 露天風呂と様式美(興津川夏合宿編【3/6】)

 (うす)桃色(ももいろ)無地(むじ)のTシャツに、座橙(ライム)色のショートパンツ姿のひろみが勉強部屋Aに入ってきた。間取(まど)りは男子部屋と同じである。高志は背中に青で『ハロゲン族』と、意味不明の文字がでかでかとプリントしてある白のTシャツに、青のサッカーパンを穿()いている。高志が一人で宿題をしており、ひろみは(あた)りを見回(みまわ)(なが)ら、聞いた。

「あれっ。みんなは?」

 高志は左手で親指を立て、肩越(かたご)しに後方を指さした。(うし)ろに布団(ふとん)が二組敷いてあり、奥の布団(ふとん)にいずなが、桃色(ももいろ)の地に赤で『♪』を大きく描いたTシャツに、浅葱色(あさぎいろ)のショートパンツ姿で大の字になっている。寝姿(ねすがた)は小学生の()れと変わらない。手前(てまえ)布団(ふとん)に、初号機のTシャツに、瑠璃紺(るりこん)色のハーフパンツ姿の祐子と、青の無地(むじ)のTシャツに、灰色のハーフパンツ姿の正太郎が寝ていた。祐子の豊満(ほうまん)な胸はちょっと(いろ)っぽく、正太郎と向き合う様な格好(かっこう)で、祐子の左手は正太郎の左手の上に置かれていた。早速(さっそく)、正太郎は約束を守った様である。

「あらあら。祐子ったら」

 と、みんなにタオルケットを掛けて回り(なが)ら、(つぶや)いた。

「祐子もいずなも、大燥(おおはしゃ)ぎだったから、流石(さすが)に疲れたのね。祐子と正太は、すごく仄々(ほのぼの)としているけど、此処迄(ここまで)来ると、流石(さすが)にちょっと、()けるわね」

「まあな」

 高志が電子辞書を引き(なが)ら、ぶっきら棒に相槌(あいづち)を打った。

「で、あんたは何してるのよ? ハロゲン族」

「見てのとおり、夏休みの宿題だ」

 ひろみは欄干(らんかん)背凭(せもた)れに、出窓(でまど)腰掛(こしか)けた。爽風(そうふう)(ひぐらし)の声と(とも)に、(わず)かばかりの(りょう)を部屋の中に(まで)、届けて来る。川面(かわも)(わた)る風がとても(さわ)やかで、渓流(けいりゅう)細流(せせらぎ)(せみ)の声しか聞こえない。長閑(のどか)静寂(しじま)がひろみを()の場所へ(いざな)い、腰を上げづらくしている。ひろみは目を(つむ)り、川の細流(せせらぎ)を聞き(なが)ら、(りょう)(ひた)っていた。不意(ふい)に高志が、何かを優しく(ほお)った。

「ひろみ! ほれっ」

「?」

 ひろみはキャッチした物をまじまじと見つめる。()れは、高志が家から持って来た甘夏(あまなつ)だった。

「あっ、ありがと」

如何(どう)いたしまして。(うち)の山でとれた自慢(じまん)の一品だ」

 そう()うと、高志はまた、英文に目を落とし、一心不乱(いっしんふらん)に電子辞書を引き(はじ)めた。ひろみは、皮を()(はじ)める。ぱあっと、酸味を含んだ夏の香気(こうき)が一気に(はじ)け、一瞬(いっしゅん)のうちに、(あた)りに(ひろ)がる。一口、口にした時、思わず(つぶや)いた。

「あっ。甘い」

 そして、次から次へと口に入れ、(またた)()に完食してしまった。()(ほど)までに、一心不乱(いっしんふらん)甘夏(あまなつ)を食べたのは、何時(いつ)以来だろう。ひろみは、喉が(かわ)いていた自分に、(ようや)く気が付いた。

「ねえ、高志」

「ん?」

「ありがと」

「何が? 甘夏(あまなつ)か?」

 高志が顔を上げ、少し怪訝(けげん)な顔をして、ひろみの方を向いた。

「ううん。今回の旅行。いや、合宿かな」

 ひろみが(ひど)(おだ)やかな表情でお礼を()う。彼女が()うした表情をする時には、(すこぶ)るキュートで、やや、()れ目の、如何(いか)にも女の子らしい相好(そうごう)となる。

「何で(おれ)だ。話を持って来たのは敬介だぜ」

 高志は、ちょっと(あき)れた様に、当然(とうぜん)すぎる反駁(はんばく)をする。

「うん。分かってる。でも、女子全員、あんた達全員に感謝しているよ。みんな、本当に楽しみにしてたんだ。あたしだけじゃ無い。みんなだよ。人の事()うのは、あまり好きじゃないけど、祐子といずなは、中学の時、人間関係でとても苦労したって…」

「…らしいな」

「凛子も、あまり口には出さないけど、矢張(やは)り、苦労したみたい。あの子、クールでドライな風、(よそお)っているけど、本当は人一倍、涙もろくて、お人好しだもの」

「…知ってる」

「私だって、中学の時、クラスの中で、浮いていた自覚はあった。こんな、性格だしね。でも、今日は、本当に楽しかったんだ。初めて心から楽しいって思えるキャンプに、参加したって実感があるもの。だから、お礼()っとくね。ありがとね」

 高志は手を止めると、(おもむろ)()った。

(おれ)達だって、()た様なものさ。みんな、大なり小なり、事情を抱えているんだ。敬介は入学当初(とうしょ)()の学校に、相当(そうとう)、背伸びして入ったって()ってた。前に、キャトル(茶店)からの帰りに、『みんな、中学時代の優等生の集まりで、(おれ)なんかが混ざって良いのかって思う』なんて、(こぼ)してやがった。『つるんで、バカやるのに、学力審査なんていらねえだろ』って、()ってやったけどな。正太にしても、()の前の、竜爪山(りゅうそうざん)の一件聞いたろ。()れに、以前に正太が、赤灯台から飛び込んだって話してただろ。ふざけてとか()ってたけど…」

「うん」

「あれも、多分(たぶん)違う。本当は人命救助(じんめいきゅうじょ)だったんだと思う。でも、人命救助(じんめいきゅうじょ)となると、()の友達に傷がつく。未遂(みすい)ともなればな。彼奴(アイツ)、絶対に本当の事、()わないと思うけど…」

「あんたは、何故(なぜ)()れを知ってるのよ?」

従兄弟(いとこ)が、彼処(あそこ)(そば)の倉庫で働いているんだ。以前、聞いた事がある。正太が話した時は、(まった)く結びつか無かったけど、受験ノイローゼの中学生が発作的に海に飛び込んだんだと。一緒(いっしょ)に居た友達が、泣き(なが)ら大声で救助を求めた(のち)、救助に飛び込んだってさ。(もっと)も、(あと)から救助で飛び込んだ中学生も、(ほとん)ど、泳げ無かったらしいがな。結局(けっきょく)従兄弟(いとこ)の兄ちゃんと()同僚(どうりょう)が、数人掛かりで二人を救助したって」

「そうなの」

 ひろみは溜息(ためいき)をついた。

「あのホテルの一件も、あの時は(おれ)も頭に血が上っちまってたけど、良く考えたら、全然(ぜんぜん)彼奴(アイツ)らしく()え。彼奴(アイツ)、入学した時、『彼女がいる』なんて(うそぶ)いてたけど、そんな様子(ようす)は、微塵(みじん)も無かった。『此処(ここ)、1ヶ月間あって無いんだ』とも()ってやがった。受験っていう、人生有数の山を、乗り越えたのによ。何だそりゃ。とも、思ったよ。もう、とっくに切れていたんだと思う。あの日、途中でメールに気がついて、『なんか、昔の友達が(こま)っているみたいだから』とかほざいてたけど、呼び出されたんだろうな。(まった)く、人が()いのも大概(たいがい)にしろって話だ」

「そうだったの?」

「ああ。彼奴(アイツ)多分(たぶん)、祐子ちゃんの事も、入学式初日から意識し(まく)りだった(くせ)に、つい()(あいだ)(まで)、別の子と付き合っている自分が、節操(せっそう)が無いとか、不実(ふじつ)だとか、勝手に頚木(くびき)()けちまっていたんだろうな。ほら、彼奴(アイツ)馬鹿(バカ)だから」

 高志が(さら)に続けた。

「祐子ちゃんの事を、『(おれ)の片思いだから、(おれ)我慢(がまん)すれば済む』そう、思ったんだろうが、彼奴(アイツ)誤算(ごさん)は祐子ちゃん自身だ。まさか、祐子ちゃんが彼奴(アイツ)に片思いしているなんて、夢にも思わなかったんだろうな。(まわ)りから見たら、バレバレなのにな…」

 高志は、当時(とうじ)を思い出し(なが)溜息(ためいき)をつくと、(さら)に、続けた。

「みんな、何かを抱えているんだ。でも、(すず)しい顔して、足掻(あが)いている。泰然(たいぜん)とし(なが)ら、狼狽(ろうばい)している。飄々(ひょうひょう)とし(なが)ら、小心(しょうしん)で、笑い(なが)ら、泣いている。畢竟(ひっきょう)、人間なんて、そんなもんだろ」

 ひろみには、普段(ふだん)、お調子者(ちょうしもの)の高志が似気(にげ)も無く、真面目(まじめ)な顔で哲学(てつがく)(かた)るのが、少し意外(いがい)でもあり、そして、ちょっと可笑(おか)しかった。が、ひろみも、そんな高志につきあい、しみじみとした口調(くちょう)で、()(つぶや)いた。

「『呑気(のんき)と見える人々も、心の底を(たた)いてみれば、何処(どこ)か悲しい音がする』…か」

「夏目漱石だっけか?」

「うん。『我輩は猫である』の一節(いっせつ)だよ。(けだ)し、名言(めいげん)だね」

「…本当だな」

 (やが)て、高志は、再び、英文に目を落とし、一心不乱(いっしんふらん)に和訳を(はじ)めた。ひろみは出窓(でまど)腰掛(こしか)け、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の様に足を組み(なが)ら、ぼんやりと外の風景を見つつ、欄干(らんかん)頬杖(ほおづえ)をついた。横顔が意外と凛々(りり)しい。外から(すず)しげな(ひぐらし)の声が聞こえる。お山に()が落ち掛かっている。実に静かな夏の夕暮(ゆうぐ)(どき)である。また、ひろみが口を開いた。

「高志。今朝はごめんね」

 ひろみは、外を向いた(まま)()った。慈愛(じあい)後悔(のちぐい)の入り混じった、少し不思議な表情である。

「…らしくも無いな」

 高志は、英文から顔を上げもせず、(つぶや)く。(しか)し、其処(そこ)には、凛々(りり)しい顔立ちで男勝(おとこまさ)りな性格、()れでいてほんわりとした()れ目の不思議(ふしぎ)魅力(みりょく)を持つ、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の様な少女を常に意識する自分が居た事に、気がついた。

「かもね、でも、あんな事で、あんたに(きら)われたく無いから…」

「気にするな。ねーよ。そんな事は」

 高志は、電子辞書を引き(なが)ら答えた。そして、また、英文に目を落とすと、(すこぶ)る自然に、()()った。

(おれ)、お前の事。結構(けっこう)、好きだぜ」

 ひろみは、外を向いた(まま)である。

「そう、ありがと」

「You are welcome.(どういたしまして)」

 高志は、英文に目を落とした(まま)である。


 カナカナカナ…


 哀愁を帯びた(ひぐらし)の声が、(しき)りに聞こえる。ひろみは、日が落ち掛かった山を見(なが)ら考えた。果たして、漱石なら今のやり取りをアイラブユーと(やく)すのであろうか。二人とも、最後(まで)顔を合わせ無い(まま)であった。何時(いつ)しか、窓の外では(かたむ)きかけた夕日が、夏の名残である入道雲(にゅうどうぐも)輪郭(りんかく)をオレンジ色に()(はじ)め、(ひぐらし)一段(いちだん)と静かに、そして、哀愁(あいしゅう)(ただよ)わせて鳴いていた。


 高志は相変(あいかわ)らず顔を上げ無かったが、今一人、顔を上げられ無い状況(じょうきょう)の者がいた。祐子である。祐子の顔はカーッとばかりに()()になっていた。実は、祐子はひろみがタオルケットを掛けた(ころ)、うっすらと目を()ましたのだが、話題が自分達の事に(およ)(はじ)めたが(ゆえ)に、目を()ました振りをする機会を(いっ)してしまい、()の内に、()()し成ら無い状況(じょうきょう)(おちい)ってしまった。


()れは、起きられ無い)


 人の恋路を邪魔(じゃま)する者は、馬に蹴られて死ねば()い。誰だって、()の状況で起きる事など出来(でき)ぬであろう。(さなが)ら、『宇治拾遺物語うじしゅういものがたり』の『かいもちひ』である。祐子は寝た振りを(つらぬ)くしか無いと決意し、目を(つむ)り、目の前の正太郎の手を無意識(むいしき)に軽く(にぎ)った。()の時、正太郎が手を軽く(にぎ)り返して来た。

「えっ?」

 祐子が薄目(うすめ)()けると、其処(そこ)には、目を()けた正太郎がいた。口元に人差し指を当て、必死に『寝たふりをしろ』の意を(かよ)わしている。

此処(ここ)にも、顔を上げられ無い(ヤツ)、いたー)

 祐子はそう思った矢先(やさき)。正太郎は、(とぼ)けて軽い寝息(ねいき)を立て(はじ)めた。ちょっと、(わざ)とらしかったかもしれない。(しか)し、(さら)に、(わざ)とらしい(やつ)も居た。其奴(そいつ)は、大仰(おおげさ)に寝返りを打つと、『ぐおー、ぐおー』と、大きな(いびき)をかき(はじ)めた。いずなである。高志はパタリと教科書を置くと、血相(けっそう)を変えて()えた。

「おまえら、(わざ)とらしいにも(ほど)があるだろうが!」

 ひろみは、相変(あいか)わらず、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の様に足を組み(なが)ら外を見ていた。()の表情は(うかが)い知る事が出来(でき)無い。(しか)し、ウェーブがかった栗色の髪と肩が大きく(ふる)えて居た。

「あんたらねえ!」

 ひろみが振り向いた。()神々(こうごう)しいばかりの美しさの菩薩様(ぼさつさま)(かす)かに涙目(なみだめ)である。着ているTシャツ以上に、()()な顔だった。(もっと)も、先程(さきほど)から差し込んで来る西日に()って、(すべ)てがオレンジ色に()まっていた。ひろみは、恥ずかしさと照れくささで、一杯(いっぱい)だった。相変(あいか)わらず、表から、寂寥感(せきりょうかん)を感じさせる、(ひぐらし)の声と河鹿蛙(かじかがえる)の声が聞こえている…。


「ごめん。ごめん。起きるに起きれ無くて。まるで、『かいもちひ』みたいな状況(じょうきょう)だったよ♪ 『宇治拾遺物語うじしゅういものがたり』の♪」

 おかっぱソバージュのいずながニコニコし(なが)ら、胡坐(あぐら)をかいて、頭を()(なが)()った。祐子も布団(ふとん)の上に女の子座りをすると続いた。

「あっ。私もそれ思った。本当にリアル『かいもちひ』だったよね。よっぽど、『えいっ』て、()って起きようかと思った(ほど)だよ」

 意外(いがい)と、祐子もワルノリする。正太郎もムクムクと起き上がって、口を(はさ)んだ。

「いや、でも、かっこ良かったよ。ハロゲン族。漱石と(まで)はいかなくても、青春小説のワンシーンみたかったぞ。でも、正式に告る時は、ちゃんと、真正面(ましょうめん)からやってやれよ。でないと、ひろみが可哀相(かわいそう)だ」

 高志が、何時(いつ)に無く、激しく狼狽(うろた)える。

「頼む…。お願いだから、虐殺(オーバーキル)、やめろ。勘弁(かんべん)してくれー」

 いずなは特徴的な八重歯(やえば)で、

「いや、あの方がかっこ良いよ。お互い見なくても通じ合う心と心。いずな、キュンってなっちゃった。いずなが監督なら、やっぱり、あの演出(えんしゅつ)を取るよ」

「ちょー、待て。おまえ、何で其処迄(そこまで)見えてんだ?」

「えっ。だって、いずな、ずっと肘枕(ひじまくら)で聞いてたよ。ハロゲン族は此方(こっち)に背を向けてたし、ひろみっちは外見てたし…。そしたら、正ちんが起きだして、何とか(うし)ろを見ようとしてたの、見えたもん」

「何が、『起きるに起きれなくて』だ。ふざけやがって。くっそー、道理(どうり)(うし)ろが自棄(やけ)に、ごそごそすると思ったら…」

「あんたも、其処迄(そこまで)分かっていたのなら気づきなさいよ、()のハロゲン族! バカなの?」

「でも、ひろみっち、かっこ良かったよ。特に最後のやり取り。多分(たぶん)、漱石なら、アイラブユー。ミートゥー。って英訳すると思うな」

 最早(もはや)(ただ)可憐(かれん)な垂れ目の少女となったひろみは、両手に顔を(うず)めて、(かぶり)をブンブンブンと振った。

「お願いだから! もう()めてー」

「おーい。そろそろ、夕飯作ろうよ」

 凛子が入ってきた。グレーのアディダスのTシャツにグレーのハーフパンツ。地味(じみ)な色合いだが、元々、スタイル抜群(ばつぐん)の美人だから、地味(じみ)でも目立つ。

「お願い、凛子、助けて。みんなが(いじ)めるの」

「?」

 凛子がキョトンとしている。(いぶか)(なが)ら問い掛ける。

「…如何(どう)したの? ひろみ。キャラがおかしいよ? 何か、悪い物でも食べたの?」

「ハロゲン族が持ってきた甘夏(あまなつ)

 いずなが、()ました顔で、()った。

「何だと。いずな! おっぱいもむぞ。ぺちゃんこだけど」

「ムキーッ。乙女に何て事()うの! (だま)りなさいよ。()のハロゲン族!」

 いずなが高志に向かって、(まくら)を投げつける。

「ちょっと、やめなさい。あんたたち」

 (ひび)(わた)る凛子の(いさ)める声。また、いつものドタバタが始まった。夕日が、いつしか、(ひぐらし)の声に混じって、茜色(あかねいろ)に部屋の中を()(はじ)めていた。


 白のナイキのTシャツに、青のサッカーパン姿の敬介が大欠伸(おおあくび)をし(なが)ら、良介と千穂を連れて入って来た。

「おはよう。いやあ、爆睡(ばくすい)しちまったぜ」

 高志がチビたちに声を掛けた。

「おっ。良介、千穂ちゃん。良く眠れたか?」

「うん」

 千穂は目をこすり(なが)ら、(うなづ)いた。まだ、眠いらしい。

「そうだよな。昼寝はそうでなけりゃ。こっちは、勉強部屋で昼寝している振りして、狸寝入(たぬきねい)り決め込むバカが多くてな。おかげで…」

「何だ。何かあったのか?」

 高志が仏頂面(ぶっちょうづら)で答える。

「…何でも無え」

 ひろみが凛子に聞いた。

「あら、そう()えば、明彦は?」

「さあ。先刻(さっき)、コープさんが来た時は、一緒(いっしょ)に荷物を受け取ってくれたけど。まさか、まだ、厨房(ちゅうぼう)にいるのかしら?」

 明彦は厨房(ちゅうぼう)にいた。白のTシャツにグレーのスウェット姿で、一心不乱(いっしんふらん)にじゃが(いも)の皮を()いている。

「おう。遅かったな。ハロゲン族」

「ハロゲン族、()うな。ってか、何でバックプリントのことを知っている?」

「何でも、何も、着替えの時一緒(いっしょ)にいただろう。随分(ずいぶん)面妖(めんよう)なTシャツだとは思ったが…。だいたい、何なのだ? ()のシャツは?」

「うるさい、(おれ)は酸化剤が好きなんだよ…。あーっ。此奴(こいつ)(いも)全部、皮()きやがった。どーすんだよ。3日分だぞ。(いも)カレーになっちまうぞ」

 祐子が思案気(しあんげ)に、首を(かし)(なが)らに()った。

「そうねえ。カレーに使う分以外は、じゃがバタにしようか? それとも、肉じゃが?」

「肉じゃが!」

 いずなが八重歯(やえば)を輝かせ(なが)ら答えた。


 全員で当番の担当を決めた。本来(ほんらい)は、祐子と凛子以外は籤引(くじびき)の予定だったが、ひろみといずなが厨房(ちゅうぼう)を担当したいと懇願(こんがん)したので、厨房(ちゅうぼう)は女子全員と明彦、風呂場(ふろば)掃除(そうじ)とお湯張りが正太郎と敬介、子供の勉強担当がハロゲン族と相成った。ひろみといずなは、祐子や凛子の女子力を見習いたかったのだ。

 一方、203号室、子供部屋では、子供達が絵日記に取り組んでいた。(おもむろ)に、千穂が聞いた。朝の一幕についてである。

「ねえ、高志お兄ちゃん。ひろみお姉ちゃん。なんで、お兄ちゃんを()ったのかなあ」

「うーん。()れはだな。お姉ちゃん、本当はお兄ちゃんの事好きだったんだ。良く有るだろ?」

「あーっ知ってる。近所の花ちゃん。耕太君に蜘蛛(くも)投げつけられたり、(いも)虫投げつけられたりと、いろいろひどい事されていたんだけど…」

「…。ちょい、待て。流石(さすが)()れは本当に(ひど)いな」

 ハロゲン族は、かつて、女の子に(はち)を投げつけて、遊んでいた過去は、完全に忘れてしまっているらしい。

「本当は耕太君、花ちゃんの事好きだったんだって」

「おう、()れな。彼奴(あいつ)、メンタリティが小学生レベルだから。あと、おっぱいもな…。おっぱい小さいだろ、あのお姉ち…ぐほっ」

 無責任(むせきにん)放言(ほうげん)()れ流す高志の脳天(のうてん)に、(ひじ)が落ちてきた。

幼気(いたいけ)な小学生に、何、吹き込んでんのよ。()のハロゲン族は!」

 ひろみは高志を(にら)みつけ(なが)らも、良介と千穂にニッコリと笑顔を向けると、

「さあ、桃むいたから、食べてね。()のお兄ちゃん、勉強だけは出来(でき)るから、何でも聞いてね。勉強だけだけどね。…一応(いちおう)、あんたの分もむいて来て上げたわよ」

 ピンクのエプロンを着けたひろみは、割りと可愛(かわい)らしい。高志は頭を(さす)(なが)らも、いつもどおりに戻ったひろみがちょっと(うれ)しかった。そして、不器用(ぶきよう)にむかれた桃を見て、やはり、少し(うれ)しかった。


 ()の頃、正太郎と敬介は風呂(ふろ)掃除(そうじ)をしていた。温泉は掛け流しなので、特段(とくだん)手間(てま)は掛からない。モダンな浴槽(よくそう)結構(けっこう)広く、正太郎はモップを掛け(なが)ら、敬介に()った。

「いやー。本当に立派(りっぱ)風呂(ふろ)だな。露天風呂(ろてんぶろ)もあるし。宿題合宿、大正解だな。(もっと)も、露天風呂(ろてんぶろ)は一個だけだから、男女共用だけどな」

 敬介は男女の風呂(ふろ)の入り口を仕切る(とう)衝立(ついたて)を移動させ(なが)ら、ぽつりと(つぶや)いた。

「そうだな、(ところ)で、いずなちゃん。本当に可愛(かわい)いなあ…」

 正太郎は手を止めると、敬介を(あき)れた様に、まじまじと(なが)(なが)ら、()()った。

「…。(しか)し、お前の、バイザウェイの行き先は、()れしかねーのか?」

「ば、ばば、ばかやろ。(おれ)は純粋にだな…」

  正太郎が考え込む様に、ボソリと(つぶや)く。

「彼氏は、いないみたいだぞ」

「マジか?」

「ああ。祐子情報だ」

「そうか。希望(のぞみ)が出てきた…。ついでに、スリーサイズも調べられねえかな?」

「調べて如何(どう)する? あの体型だぞ?」

「いや、やっぱり、知りたいよな。男として」

面倒(めんどう)くせえなあ。当面の間は、50・50・50にしておけ。()()えず、今は()れで、充分(じゅうぶん)だろ」

 無責任な放言(ほうげん)を飛ばす正太郎と、恋する小学生である敬介を、レモン色のエプロン姿の祐子と赤白ボーダー柄のエプロン姿のいずなが呼びに来た。

「ごはん出来(でき)たよー」

「おう。今、行く」

 夕食のカレーライスと肉じゃがは、素晴(すば)らしくおいしかった。一同、今日の楽しい思い出を(さかな)にご飯は進んだ。全員、()の様に楽しいお泊りは経験した事が無かったのだ。良介と千穂は、今日と明日は客室で寝たいと()い出した。食後に母屋(おもや)(もど)るのが、(さみ)しかったのだろう。女子部屋の隣の203号に布団(ふとん)を二組敷いた。先程(さきほど)、彼らが絵日記をやっていた部屋である。子供達が大喜びであったのは()(まで)も無い。


 花火の後に、勉強部屋Aがゲーム部屋となっていた。祐子と正太郎がハロゲン族のお土産(みやげ)である甘夏(あまなつ)を持って上がって来た。凛子、千穂、良介、明彦が桃鉄に(きょう)じている。明彦の圧勝だった。

「ワハハハハ…。向かう(とこ)、敵無しだな」

 が、凛子が、『陰陽師(おんみょうじ)カード』をゲットすると、

「まったく、小学生相手に大人気(おとなげ)ないわね。見てなさい。お姉さんが天誅(てんちゅう)()らわせてあげる。まず、陰陽師(おんみょうじ)カードを眼鏡(めがね)に使う。そして、眼鏡(めがね)の『リニアカード』を()しげも無く使う」

「あーっ」

「そして、キングボンビーを巻き込んで、カード売り場駅、丁度(ちょうど)で止まれるところを探す。なるたけ、他プレーヤーがいないところを。他の人の迷惑(めいわく)になるでしょ?」

「あーっ」

「まだまだよ。()れから、カードを()しげもなく売り払う。特に急行系カードは(すべ)て」

「なーっ」

「それで、所持金が0に収束するまで、売買を繰り返す。で、便利系カードは(くず)カードで満たして、これで、完了。後はキングボンビーに任せましょう」

 祐子が感心していった。

「すごいね。凛子ちゃん。『陰陽師(おんみょうじ)カード』って、操作系能力だから、威力絶大(いりょくぜつだい)だとは思っていたけど、此処迄(ここまで)、えげつない使い方、初めて見た」

 正太郎も続いた。

「…考えもしなかった。鬼だな」

「ふふふ、操作系能力は早い者勝ち。相手の能力(カード)が高ければ高いほど、威力(いりょく)発揮(はっき)するからね。昔、弟相手に()れをやったら、二週間、口きいてくれなかったわよ」

当然(とうぜん)だろう。良く弟に刺されなかったな」

「そうかしら? だって、彼奴(あいつ)、昔、私の『冒険の書』を消した事があるのよ。クリヤー間近の(やつ)

 結局(けっきょく)、明彦はボンビラス星に連れて行かれてしまった。明彦が最下位になった。

「くっそー、(まった)く、何て事しやがる!」

 敬介が入ってきた。

「さあ、8時になったぜ。おーい、ちびたち。そろそろ、風呂(ふろ)入って、寝よう」


 女子全員と千穂ちゃんが露天風呂(ろてんぶろ)に入っていった。()の時間の露天風呂(ろてんぶろ)は女子専用である。ひろみが、

「あー、気持ちいい。私、露天風呂(ろてんぶろ)初めてなんだ」

「あら、実は私も」

 凛子が相槌(あいづち)を打った。祐子も続く。

「えへへ。私も」

「いずなもだよー。お風呂(ふろ)も良いけど、本当に今日は楽しかったな。お友達とお泊りって、こんなに楽しかったんだね。祐ちんは?」

「うん。楽しかったよ」

 いずなが、ニヤニヤし(なが)()った。

「愛する正ちんが一緒(いっしょ)だから? 先刻(さっき)も、一緒(いっしょ)におてて(つな)いで、お昼寝していたもんね。あれ見ていたら、いずなも、彼氏、欲しくなっちゃったよ」

「もう、いずなちゃんの意地悪(いじわる)。でも、それだけじゃないよ。みんなで、ってのがいいな。本当に楽しかったよ」

「本当だよね」

 いずなも同意した。周囲からは虫の声が聞こえる。(しか)し、其処(そこ)で、凛子が聞き耳を立て(なが)()った。

「ねえ、ちょっと待って、あいつらの声が聞こえるんだけど、何か悪巧(わるだく)みをしているみたいなんだけど…」


 ()の頃、男湯(おとこゆ)では、ハロゲン族と眼鏡(めがね)露天風呂(ろてんぶろ)入り口に置かれた(とう)衝立(ついたて)を何とかする算段(さんだん)をしていた。

「…(さて)と、此処(ここ)は一つ、様式美(ようしきび)(のっと)ってだな…」

「なんだ? 何をする心算(つもり)だ?」

 敬介が湯船(ゆぶね)の中から、大儀(たいぎ)そうに、高志に(たず)ねる。

「決ってんだろ。()の手の展開のお約束だ。…(のぞ)くんだ」

 聞き(とが)めた正太郎が、

「なーにが、様式美(ようしきび)だ。よせよせ。ひろみがいるんだぞ。また、●玉を蹴られるのが関の山だぞ」

 敬介が手拭(てぬぐい)で顔を()(なが)ら、

「でも、いずなちゃんの入浴姿、ちょっと見てみたいなあ」

「おい、本当に大丈夫(だいじょうぶ)なのか? (なん)か、地雷臭(じらいしゅう)しか、しねえぞ」

 眼鏡(めがね)()の気になりつつも、露見(ろけん)した時の女子勢(じょしぜい)報復(ほうふく)が恐ろしいのか、()の足を()んでいる。そんな明彦を高志が、無理矢理(むりやり)、仲間に引きずり込む。

大丈夫(だいじょうぶ)だ。(わか)りゃあしねえよ。大体(だいたい)露天風呂(ろてんぶろ)(のぞ)きっつったら、久米仙人(くめのせんにん)以来の日本の伝統的(でんとうてき)作法(さほう)だ。()わば、風物詩(ふうぶつし)の一つだろ」

「…おい、久米仙人(くめのせんにん)は、別に、女湯を(のぞ)いていた(わけ)じゃあねえぞ。大体(だいたい)、おまえなあ。日本人、()めてんだろ」

 正太郎が(まゆ)(ひそ)める。(しか)し、高志はお(かま)い無しに、明彦と次の算段(さんだん)()る。

「それにしても、邪魔(じゃま)だな、あの衝立(ついたて)。声は聞こえるのになあ。よし、良介。お前が行って、あの衝立(ついたて)撤去(てっきょ)して来い。(ついで)に、祐子ちゃんのおっぱいも(さわ)って来い」

「やだよ。そんな事したら、ひろみ姉ちゃんに●玉蹴られちまう」

「ちっ。根性ねーな。じゃあ、敬介。お前が行って来い。(ついで)に、いずなのおっぱいも(さわ)って来るんだ。…(ほとん)ど、無えけどな」

「やだよ。(おれ)を巻き込むなよ。そんなことしたら、いずなちゃんに(きら)われちまうだろが」

「ちっ。(そろ)いも(そろ)って、軟弱(なんじゃく)(やつ)らだ。仕方(しかた)()え。正の字。お前が行って、祐子ちゃんのおっぱい(さわ)って来い。お前なら、祐子ちゃんも怒ら()えだろ。(ついで)に、乳首(ちくび)()まんで来るんだぞ」

 高志の中では(すで)に、衝立(ついたて)如何(どう)でも良くなってしまった様だ。目的が明らかに変わって来ている。

「ふざけんな、バカ。何が、乳首(ちくび)だ。祐子が怒らない(ワケ)ないだろ。大体(だいたい)、ターミネーターひろみがいるんだぞ。殺されちまうだろが」

 明彦が冷静(れいせい)()った。

「まあ、落ち着け。高志。問題はあくまでも衝立(ついたて)だ。が、此処(ここ)は、それを逆手(さかて)に取るんだ。つまり、俺達(おれたち)二人が、衝立(ついたて)(かげ)(かく)れて、(のぞ)くんだ」

 女子連中は、呑気(のんき)露天風呂(ろてんぶろ)へ入っている。当たり前ではあるが、当然(とうぜん)、全員、全裸(ぜんら)相違無(そういな)い。絶好(ぜっこう)好機(こうき)である。千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンスと()っても良い。高志と明彦がそおっとガラス戸を開けて、衝立(ついたて)(かげ)に滑り込んだ。が、高志たちは一つだけ見落としていた。露天風呂(ろてんぶろ)の声が聞こえていたということは、男湯(おとこゆ)内風呂(うちぶろ)の声も筒抜(つつぬ)けであると()う事だ。

「あれっ。静かになっちまったな。うわあっ。冷たい」

 頭上(ずじょう)から、情け容赦(ようしゃ)なく冷水が降ってくる。ひろみがホースで、高志と明彦が(ひそ)んでいるあたりに放水している。

「うわあ、分かったよ。(もど)るから、放水を()めろ」

()加減(かげん)にしなさいよ。()の、ハロゲン族と眼鏡(めがね)

「わー。ごめんなさい」

 退散(たいさん)しようとした明彦が、バランスを(くず)し、(とう)衝立(ついたて)隙間(すきま)から(のぞ)こうとして、前のめりになっていた高志の肩に(つか)まったが、それで無くとも不安定(ふあんてい)態勢(たいせい)の高志である。

「うわあっ」

 と(さけ)ぶと、バランスを(くず)(とう)衝立(ついたて)と明彦ごと、前方に一回転し(なが)翻筋斗(もんどり)を打って湯船(ゆぶね)の方に向かって倒れこんだ。グワッシャーと派手(はで)な音を立て、(とう)衝立(ついたて)(こわ)れ、明彦は背中を強打、高志は一回転してM字開脚の(まま)、ドスンと尻で着地をした(ため)尾骶骨(びていこつ)を強打し、動きが取れない。湯船(ゆぶね)の中に居た祐子といずなは、とても元気になった高志の息子と、至近距離(しきんきょり)でご対面である。

「きゃーっ」

「うきゃあ、何あれ。むきーっ」

 一糸纏(いっしまと)わぬ姿で放水活動をしていた、ひろみはと()うと、

「きゃーっ」

 と()う、()(また)、実に女の子らしい悲鳴(ひめい)を上げ(なが)ら、湯船(ゆぶね)に飛び込み、

「何てえ物、見せるのよ。()の野蛮人」

 と叫び、胸を(かく)(なが)らも、湯船(ゆぶね)から湯桶(ゆおけ)を高志に向かって投げつけた。湯桶(ゆおけ)はスコーンと小気味(こきみ)良い音を立て、高志の頭に直撃し、

「ぷぎゃん」

 高志は情け無い悲鳴(ひめい)を上げる。湯船(ゆぶね)の中で立ち上がっていた凛子は、これまた、

「きゃーっ」

 という、大人びたスタイルにはそぐわない黄色い悲鳴(ひめい)を上げると、胸を押さえて湯船(ゆぶね)にしゃがみ込む。(しか)し、手でしっかりと、顔を(おお)ってはいるが指の隙間(すきま)から、高志、明彦のそれをじっくり観察している。ひろみが()()になって、(さら)にシャンプーを投げつけ(なが)ら、

「きゃー、早く、出て行きなさいよ。()のとんちき!」

 高志は苦悶(くもん)の表情を浮かべ、顔を(しか)(なが)ら、

「ちょっと待ってくれ。ケツを強打して…」

 と、身動きが取れないらしい。きゃーきゃーと、黄色い悲鳴(ひめい)()()う中、正太郎が心配して、ガラス戸を開けて露天風呂(ろてんぶろ)へ出て来ようとする。

「おーい、大丈夫(だいじょうぶ)か? 高志も明彦も、何やってんだ。まったく、()加減(かげん)にしろよ」

 と()(なが)ら、ガラス戸を開けた瞬間、スコーンと石鹸(せっけん)が正太郎の顔面を直撃し、『ぐわっ』っと、悲鳴(ひめい)を上げ、正太郎はすってんころりんと、背中から、派手(はで)転倒(てんとう)する。

「入ってくるな! バカー」

 と、ひろみ。てんやわんやの大騒(おおさわ)ぎである。


 10分後、Tシャツを着込み、腕組みをした女子勢(じょしぜい)を前に、男子一同が正座をしている。結局(けっきょく)、ジャパニーズ土下座(どげざ)勘弁(かんべん)してもらう事と相成った。(しか)し、怒り覚めやらないひろみは、人差し指を立て、

()い事? 今度やったら、焼き土下座(どげざ)だからね。衝立(ついたて)はあんた達が弁償しなさいよ」

 と、(すご)む。凛子も、

「本当よ。(まった)くもう、初日から、しょーもないバカやらかして…」

 良介を除く男子一同、正座し(なが)ら、シュンとしている。いずなはショックの(あま)りに、べそを()(なが)ら、愚痴(ぐち)る。

「ムッキー、もう、何あれ。気持ち悪い。もっと、象さん見たく可愛(かわい)いのだと思っていたのに…すごく、グロテスク。あれじゃあ、エイリアンだよ。正ちんと眼鏡(めがね)は象さんのお鼻だったけど…」

 正太郎は()()になり(なが)ら、

「ば、ば、バカ野郎、いずな。()うに事欠いて、何て事を()いやがる…。大体(だいたい)(おれ)()めに入っただけだぞ」

 明彦は()()になって両手をつき、orz()の物の体位で、

「うう、屈辱(くつじょく)だ…。まるで、草も生えねえ。もう死にたい。くっそー、高志のバカめ、やっぱり、地雷(じらい)()()いたじゃねーか」

 と、涙ぐむ。敬介はぶそくり(なが)ら、愚痴(ぐち)っている。

「くっそー、(おれ)、何にもして無いのに、土下座(どげざ)だなんて…、でも、いずなちゃん、安心して。(おれ)のはかわいい象さんのお鼻だから。」

「ムッキーッ、ケースケ。バカ()ってると、お口()いてあげないよ!」

 再び、項垂(うなだ)れる敬介。高志が(あき)(なが)ら、

「おい、敬介。お前、よくバカって()われんだろ」

(やかま)しい。人を巻き込みやがって…」

 初日から青春全開のバカ(さわ)ぎの一同であった。


 夜、9時頃である。勉強部屋Bでは、明彦がひとりで宿題をやっていた。凛子が入って来ると、明彦に(たず)ねた。

「あれ、ひろみとハロゲン族は?」

「ああ、ひろみなら夜食を作りに厨房(ちゅうぼう)へ。彼奴(あいつ)、おまえと祐子ちゃんの料理の手際(てぎわ)見て、相当(そうとう)にショック受けていたからなあ。高志は風呂へ。先刻(さっき)(さわ)ぎで、彼奴(あいつ)(ほとん)ど湯に(つか)って無かったから…。まあ、自業自得(じごうじとく)だけど」

「そう…、まあ、それなら、丁度(ちょうど)いいわ。」

「?」

 凛子はどっかりと明彦の正面に座ると、英語の宿題を広げつつ、()った。

「…何故(なぜ)()めたの?」

 ちょっとした、沈黙(ちんもく)が流れる。

「…何をだ? (のぞ)きか?」

「違うわよ。()()()()()

 凛子は、むっとし(なが)ら、一語一語にアクセントを込めて、明彦に(たず)ねた。明彦は頭を()(なが)ら、少々(しょうしょう)、返答に(きゅう)している。

其方(そっち)かあ…。…あまり、()いたく無いなあ。…()わなきゃ駄目(だめ)かなあ」

駄目(だめ)って(わけ)じゃ…無いけど」

 明彦は、(おもて)街灯(がいとう)視線(しせん)を移し、数学の参考書を机の上に置き(なが)ら、深い吐息(といき)()らすと、不意(ふい)()った。

(くや)しく無かったから、…かな」

「…」

「全中の…、準々で負けた時にさ…」

(くや)しく…無かった?」

 凛子は怪訝(けげん)そうな顔で、鸚鵡返(おうむがえ)しに(たず)ねた。

「ああ」

「…()れだけで?」

「ああ、充分(じゅうぶん)だろ、()れで」

 網戸(あみど)の外から、(しき)りに、虫の声が聞こえる。正面には不承顔(ふしょうがお)の凛子が座っている。二人の間には静寂(しじま)のみが存在する。明彦には、凛子の物問(ものと)いたげな視線(しせん)が、少し痛かった。凛子が、突然(とつぜん)、声を()まらせて(さけ)んだ。

「分からないよ。分かる(わけ)無いじゃない。そんな事で」

 明彦は凛子の反応にちょっと驚いた様だった。そして、(しば)しの沈黙(ちんもく)(しか)し、今度は明彦が、(おだ)やかに口を開いた。

(おれ)、準々でさ、何も出来(でき)無かったんだ。何が起きたのかも分からなかった。気が付いたら、フォールされてた。…凛子の兄ちゃんには悪いけど、(おれ)、本当は、全国レベルじゃ無い事は良く分かっていた。でも、同じ中学生だし、もう少し出来(でき)ると思っていたんだ。…でも、何も出来(でき)無かったんだ」

「そんな、…()れだけで?」

「ああ、本当に(くや)しくなかったんだ。(おれ)此奴(こいつ)に負けたんだな…。()れならば、仕方(しかた)無いって、そう思ったんだ。あの、実力差じゃあ、そう思うしか無かったよ。そして、同時に、シューズも脱ごうと思った」

「…でも」

 口を(はさ)み掛けた凛子であったが、(しか)し、二の句が継げなかった。明彦の優しげな、そして、少し(さみ)しげな()みが(すべ)てを物語っていた。凛子は()れ以上、何も()えなかった。十四歳の少年が夢を(あきら)めたのだ。(おそ)らく、第三者が想像出来(でき)無い様な、苦悩(くのう)葛藤(かっとう)があったに相違(そうい)無いのだ。遠くで川の細流(せせらぎ)が聞こえる。外の水銀灯(すいぎんとう)(あわ)い光を放っている。()()無く聞こえる虫の声が、秋の(おとず)れを静かに告げている。凛子は、不承乍(ふしょうながら)も、(おだ)やかな顔で問いかけた。

「それで、新しい夢は見つかったの?」

「まだだよ。でも、必ず見つけるさ。何しろ…、夢の挫折(ざせつ)()()えだ」

「そう、…頑張(がんば)ってね。応援してる」

「ああ、ありがとな」

 凛子は、再び、窓の外に目を向ける。窓の外から、虫の声に混じって夜の(せみ)の声が聞こえた様な気がした。(しか)し、突然(とつぜん)、虫の()()んだ。


 同じ頃、正太郎が勉強部屋Aに入って来た。其処(そこ)では、祐子といずなが宿題をやっていた。二人とも、珍しく、眼鏡(めがね)をかけている。彼女達もお年頃である。眼鏡(めがね)は可能な限り外す様にしていたのだろう。祐子は慌てて眼鏡(めがね)を外すと、()った。

「あら、正ちゃん」

「オッス。正ちん」

 二人とも、眼鏡(めがね)雰囲気(ふんいき)(すこぶ)る変わる。祐子は銀縁(ぎんぶち)眼鏡(めがね)によって、目元がパッチリするし、いずなの黒縁(くろぶち)眼鏡(めがね)は、いずなを5歳は年上のお姉さんに見せた。

「ふたりとも、ちょっと()いか?」

如何(どう)したの?」

()かったら、散歩に行かないか?」

「うん。()いけど」

 いずなは気を(つか)ったのだろう。

「私はパス。ゆーちん、行って来なよ」

「いや、いずなも。…()ければだけど。実は、敬介もいるんだ」

「ケースケが? …分かった。行くよ」

「暗いから。足下(あしもと)気をつけてね。あと、眼鏡(めがね)を持ってきた方が良いぞ」

「?」


 四人は昼間遊んだ河原に向かって、堤防(ていぼう)の上に腰掛(こしか)けた。夏盛(なつざか)りとは()え、立秋(りっしゅう)を過ぎれば、(こよみ)の上では秋である。漆黒(しっこく)(やみ)の中の闃然(げきぜん)とした空間の中にあっても、よくよく耳を()ませば、(いた)る処から、虫の声が聞こえて来た。渓流(けいりゅう)の方からは河鹿蛙(かじかがえる)のもの悲しい声も聞こえる。夜になっても(おとろ)える事の無い暑気(あつさ)(かすみ)を呼び、川面(かわも)煙波縹渺(えんぱひょうびょう)としていた。かなり、幻想的(げんそうてき)な光景である。(しか)し、時折(ときおり)、そよ吹く湿気(しっけ)をはらみ、水と土の香りがする涼風(すずかぜ)が、(かすみ)を払って行く。夜風(よかぜ)(かな)しいほど(さわ)やかで、秋の(おとず)れを感じさせてくれる。(やが)て、日ならずして、新涼灯火(しんりょうとうか)(みぎり)となるのであろう。

「暑い暑いと思ってたけど、何時(いつ)の間にか、夜はすっかり秋めいていたんだね。ところで、如何(どう)したの?」

 祐子が、(いぶか)しげに聞いた。土と水の香りが鼻腔(びこう)(くすぐ)る。とても(さわ)やかな夏の夕べである。

「いや、大した事じゃないけど、上を見てごらん」

 みんなが一斉に見上げた。視界に飛び込んで来たのは、清水市街地ではとても見られない様な満天の星空だった。天龍(あまのがわ)(つばさ)を広げ、星空の海を大きく飛翔する。

「わあ」

「すごい」

「本当だ」

「お約束の『夏の大三角形』。前に、見たいって()ってたろ」

「『夏の大三角形』って、化物語の主題歌の?」

 いずなが、プラネタリウムで見る様な星空を見上げ(なが)ら、夢見る少女の様な顔つきで()った。正太郎が上を見上げ(なが)ら、解説する。

「そう。()れだけ見え過ぎちゃうと、逆に探すのが大変だけど。真上に明るい星を3つ探すと二等辺三角形になるのがあるだろう。三角形の内側に、十字架型の配列の星があるから分かると思う。二等辺三角形の頂点が(わし)座のアルタイル。ひこぼし様だ。で、十字架型の一番上の星が白鳥座のデネブ。で、最後の一つがこと座のベガ。おりひめ様だ。()の3つが、所謂(いわゆる)、『夏の大三角形』。ひこぼしとおりひめの間には、天の川が流れていて…。あはっ、見えるね、天の川。すごくぼんやりとだけど」

「あれがそうなの?」

「ムッキー、とても綺麗(きれい)

 突然、敬介がどもり(なが)ら、精一杯(せいいっぱい)の勇気を振り(しぼ)って、いずなに話し掛けた。

「と、ところで、いずなちゃんさあ。た、誕生日はいつかな?」

「3月20日だよ」

「3月20日っておひつじ型だよね」

 混乱している敬介が、『座』と『型』を()い間違えた。

「違うよ魚型だよ」

 いずなも、敬介に合わせて答えた。

「魚型ってさ、アフロデ…。おい、正太。何だっけ?」

「あっ。バカ…」

 いずなが、ぷっと吹き出した。

「なーに。もう。軍師に頼るの? まあ、十二宮全部覚えようとした、心意気(こころいき)(めん)じてお手手(つな)いで上げる」

 と()って、敬介の手を握った。敬介は(ゆる)みきった笑顔で、(つぶや)いた。

「もう、死んでも良い」

「二葉亭四迷かしら?」

 いずなはニヤニヤし(なが)()った。でも、とても(うれ)しそうだった。分かる人には分かる。が、分からない敬介には分からない。敬介はきょとんとしている。分かる人たちである祐子と正太郎はあっちで星を見て来ると()って席を立ってしまった。いずなは、

「もう少し此処(ここ)にいるね。まだ、ケースケのお誕生日聞いていないし。ねえ、ケースケのお誕生日はいつなの?」

「1月23日。水瓶(みずがめ)型。A型」

「私は、AB型。それも、Rh-の」

「まじなの?」

「だから、良く病院から電話が掛かってくるの。輸血用血液が足りない時に。私、体重無いから、あまり沢山(たくさん)献血(けんけつ)出来(でき)無いけど、いつも、協力できる時は、する様にしているんだ。お互い様だものね。だから、ケースケが必要な時には()ってね。輸血してあげる」

「…死んじまうだろうが」

 敬介は、()冗談(じょうだん)好きで、優しくも献身的な少女を見つめた。八重歯(やえば)がとてもチャーミングだった。それまで、(こら)えて来た想いが、(せき)を切った様に(あふ)れ出た。

「あ、あのさ、(おれ)、いずなちゃんと友達になりたい」

「何、()ってるの? ケースケ。もう、とっくにお友達でしょ」

「いや、違うんだ。もっと、…その、(おれ)(おれ)、いずなちゃんの事が好きだ」

「ちょっと、如何(どう)したの? 私、そんな事、…()われた事が無いから、…如何(どう)したら良いか…」

 と、()って、いずなは言葉を切った。そして、悲しげな表情で続けた。

「私、ケースケ君に()わなければならない事があるの。自分で()うと、…悲しくなっちゃう様な事だけど、後から、ケースケ君にやっぱりとか思われたく無いから、今、()うね。私…、その、…中学の時、みんなに(きら)われていたの。『変人』とか、『がり勉』とか『ぶりっ子』とか『ばい菌』って()われていた…。だから、人の事好きになる資格なんて、…多分(たぶん)、無いよ」

 語り(なが)ら、いずなの双眸(そうぼう)には涙が(あふ)れている。自分に好意を寄せている人に、こんな話をしなければならない事自体が、とても、悲しかった。(しか)し、()れでも敬介は、そんないずなを(いたわ)る様に、真摯(しんし)()った。顔付きがとても優しく、そして、凛々(りり)しい。

「ひどいな…。そんな、自分が悲しくなる様な事、()うなよ。(おれ)は、そんな(やつ)らの目よりも、自分の目を信じる。確かに、一目惚(ひとめぼ)れだったけど、5ヶ月間、いずなちゃんを…、いずなちゃんだけを見て来たよ。優しくて、友達想いで、冗談(じょうだん)好きで、マイペースな振りして、(まわ)りに気配りして。祐子ちゃんの時も、バラバラになりそうだった(おれ)達を一生懸命(いっしょうけんめい)鼓舞(こぶ)してさ。自分が傷つく事も(かえり)みないで。いずなちゃんは強くて、優しい子だよ。(おれ)は自分の見た(まま)を信じる。そして、そんないずなちゃんが大好きだ」

「でも、私、ぺちゃぱいだよ」

「知ってるよ」

「チビだよ」

(おれ)もだ」

「小学生体型だよ」

大丈夫(だいじょうぶ)。守備範囲だ」

「ケースケ。そのうち、警察に捕まるよ」

「…大きなお世話だ!」

 いずなちゃんは、どんな状況(じょうきょう)からでも、ギャグだけはかまさないと気が済まない性分(しょうぶん)の様だ。

「ありがとね。でも、こんな私がケースケ君の事、好きになっても…良いの?…多分(たぶん)、そんな、資格無いよ」

「良いに決まっている。(おれ)だって、いずなちゃんの事が大好きだ」

「…うっ、うう…」

 突然のいずなの嗚咽(おえつ)。そして、号泣(ごうきゅう)

「うわーん。ママー」

 いずなは泣いていた。思わず、母を呼び、泣き()れていた。とめどなく涙があふれ出てきた。学校祭のクイズ大会の時と(まった)く同じだった。告白された事も初めてだったが、抑々(そもそも)、自分に好意を寄せてくれる人がいるなんて、思っても見なかったのだ。つらく悲しい小学校、中学校時代を思うと、涙は止まらなかった。

「ありがとう。ケースケ君。私も、ケースケ君の事が大好きです。…こんな、私で良かったら…」

 此処迄(ここまで)()うのが、精一杯(せいいっぱい)だった。いずなちゃんは泣き(くず)れてしまった。


 (あた)りは、星空と虫の声のみが包み込む、二人だけの世界であった。


「ムッキー、聞いてよひろみっち。いずな、彼氏が出来たんだよ」

「何よ、あたしだって…」

「ムッキー、でも、バカ作者の奴。変な覗きの話を無理やりねじ込むから…」

「全く、本当よね」

「然も、次回はクイズも無理やりねじ込んで来るみたいよ」

「と謂う訳で、次回、『第15話 池の周りを廻る』。お楽しみに」

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