第11話 清水みなと祭りの夜
8月3日、金曜日。其の日は清水区最大のイベントである『清水みなと祭り』の日だった。此の祭りは、旧清水市時代から続く、伝統的祭りであり、今でも、街を挙げての最大の催しとなっている。生粋の清水っ子であるボストンティーパーティーの面々も、此の祭りは楽しみにしており、夏休みの真っただ中でもあることから、17時に清水駅前西口に全員集合と謂う事になった。然も、今回は可能な限り、浴衣着用と謂うラインが回って来た。何とも、ご苦労な次第である。正太郎と祐子は、正太郎の家の前にある新幹線の高架下のバス停から、バスで清水駅に向かった。ひどく蒸し暑い夏の夕暮れ時だった。二人とも浴衣姿である。正太郎は青藍に刺子縞の浴衣に黒縮緬の兵児帯をしている。祐子は、瓶覗の地に白抜きの川柄、蝦色の縮緬帯に、藍錆色の桔梗をあしらった涼しげな図柄である。祐子自身、やや垂れ目乍らも、丸顔で意外と眼が大きく、美人と言う程では無いが、実に愛嬌のある顔立ちである。ポテッとした肥満体型の祐子であったが、浴衣姿は、また、格別である。一体に浴衣は太めの方が似合うと謂われる。所謂、ポチャ可愛いと謂う奴で、正太郎には、とても、愛らしく思えた。
「祐ちゃん。良く似合っているよ」
祐子は恥じらい乍らも、とても嬉しそうだ。
「ううん。正ちゃんもすごい似合ってる」
「いや、祐ちゃん、とても綺麗だ」
「えへへ。でも、足許はサンダルにしちゃった。此の前みたくなっても困るしね。それに、正ちゃんには此の浴衣3回目だし」
正太郎が、早速、指を折って数え始めた。
「えーっと。七夕の時、初Hの時、そして、今日か。あっ、本当だ」
祐子が顔を赤らめ乍ら、やんわりと窘める。
「…あのね、正ちゃん。2回目は『灯篭流し』の時にしてくれる? 流石に、恥ずかしいよ…」
「あっ、ごめん」
「もう…」
清水駅前にはいずなとひろみが待っていた。いずなはウェーブがかった黒髪にコバルト色の小さな楕円の髪留めをしている。いずなは釣り目乍らも、くりくりっと大きな瞳が特徴で、所謂、美人の相で有る。ひろみは自慢の栗色の髪に、白いカモメの髪飾りをしていた。ひろみ自身、其の勝気なキャラと文楽人形の様な凛々しい眉毛のせいで見逃されがちであるが、瞳自体は、やや、垂れ目なのである。二人とも浴衣姿である。いずなは濃青色の地に躑躅色と草色と白色で鮮やかな撫子柄をあしらい、黄蘗色の縮緬の兵児帯を締めていた。ひろみは、新橋色の地に、紺瑠璃と金青の朝顔があしらわれており、鮮やかな緋色の角帯を締めていた。
「ゆうちん」
「いずなちゃん。ひろみちゃん。二人ともすごく綺麗…」
「ムッキー、えへへ」
「流石に、ちょっと、照れるよね」
祐子は、しみじみと思った。二人とも、鼻筋も通り目がパッチリした、所謂、美人の相なのである。矢張り、斯う謂う時には、頗る映える。祐子は、二人がちょっとうらやましかった。続いて、来たのが敬介だった。白地に紺の井桁模様に、黒縮緬の兵児帯と謂う出で立ちである。いつも皆にからかわれる様に、宛ら、田舎の小学生の様である。敬介は、いずなに向かって、無邪気に手を振り乍ら近づいて来ると、
「いずなちゃーん」
「ケースケ!」
「いずなちゃん。良く似合ってる。可愛いよ。お人形さんみたいだ」
いずなは、ニコニコし乍ら、袂に両手を隠し、独楽の様にくるりと一回転をして答えた。仕草が、幼女の様で、とても可愛らしい。
「うふふ。ありがと。ケースケも良く似合ってるよ。…えーっと、うーんと、田舎の小学生みたい…」
「えーっ、ひどいよ、いずなちゃん。其れ、絶対、褒めて無いだろ」
呑気に団扇を扇ぎ乍ら、駅の階段を降りて来たのが高志だった。下りの電車で来たらしい。高志も浴衣姿であったが、かなり、面妖な柄だった。深緑の地に、白抜きで唐草模様の図柄である。
「おーっす。おーっ、ひろみ、良く似合っているじゃねーか。馬子にも衣装とは、将に此の事だな」
「誰が馬子よ。失礼ね…。うっ、あんたの柄、何か凄いね」
「どーよ。ヘレニズム時代から我が家に伝わる、由緒正しき模様だ」
敬介が驚く。
「マジか?」
正太郎が横槍を入れる。
「いちいち、真に受けるな。ばかばかしい。何が、ヘレニズム時代だ。高志が喜ぶだけだぞ」
「いずな。知ってるよ。泥棒さんの風呂敷の模様と同じだよ。高志。泥棒さんに謝りなさいよ」
「喧しい!」
高志は、そう謂うと改めて、浴衣姿のひろみを、まじまじと見つめた。もともと、美人顔のひろみである。普段はお転婆だが、斯う謂う格好をして、澄ましていると、本当にお人形さんの様だ。
「しかし、本当に綺麗だな。こんな、可愛いとイタズラしたくなっちゃうな。どれ…」
高志はそういうと、人差し指で、ひろみの浴衣の襟元の袷を引っ掛けると、中をちらりと覗き見た。
「なっ」
「あっ」
「えっ」
みんなが驚いた。が、覗いた高志が一番驚いた。下着を着けてない! って謂うか、素通しで先っぽまで見えてしまった。咄嗟に高志は身構えた。当然、普段のひろみなら、こんな振る舞いを許しはしない。
『乙女に何て事すんのよ。此のとんちき』
とか謂って、ビンタか、正拳突きか、肘打ちが、場合によっては、廻し蹴りが…。あれっ。来ない。ひろみはと謂うと、真っ赤になって下を向いている。うっすらと目に涙を浮べている様子だ。いずなが心配そうに、ひろみに駆け寄った。
「大丈夫? ひろみっち。あーっ。高志が、ひろみっちを泣かした。何て事すんのよ。此の泥棒の風呂敷男」
高志は何時に無いひろみの反応に、狼狽え乍ら答えた。
「いや、だって。まさかブラ着けて無いとは。お前らも、此の前、着けるとか、何とか謂ってたから…」
「ムキーッ、何、謂ってんのよ、ブラつけていれば、見て良いって話でも無いでしょうに。早く、ひろみっちと、泥棒さんに謝りなさいよ。此の風呂敷男」
「いや、あの…」
其の時、後ろから、ひろみの声が聞こえた。ものすごく低い声だ。
「…おっぱい見られた」
「いや、その、俺、近眼だから、良く見えなくてさあ…」
「でも、先刻、謂ってた。…ブラ着けて無いって」
「いや、ははは…」
「…ううう。見られた」
「いや、その、先っぽをちょっとだけ。本当に、ちょっとだけ…。その、なんだ。夜、時々、思い出してもいいかな…?」
「いやーっ、忘れろー、バカー」
「本当に、…ごめん」
ひろみは本当に泣いていた。目には大粒の涙を浮かべている。
「…うう。もう、…お嫁に行けない。夜、独りで、ティッシュ片手に、何か変な事するって、謂ってるし…」
「わー、謂ってねーだろ。そんな事。分かった。やめろ、謂うな、恥ずかしい。ごめん。何でも奢るから、許して」
「…ストロベリーパフェ」
「分かった。ストロベリーパフェだな。頼むから泣くな」
「…ストロベリーパフェ×3個」
「3個だな。3個で良いんだな。本当にごめん。お願いだから、もう泣かないで」
敬介が、少々、呆れ乍ら呟いた。
「何かさあ。確か、前にもこんな展開あったよな」
いずなが澄ました顔で呟く。
「歴史は繰り返す。一度目は悲劇。二度目は喜劇として…」
正太郎がニヤニヤし乍ら突っ込む。
「おお、流石、いずなだ。今日の金言はカール・マルクスだな。まあ、高志の場合は、端から喜劇だったけどな…」
「喧しい!」
倉皇としているうちに、明彦と凛子がやってきた。二人とも、上りの電車で来たらしい。双方とも、浴衣姿だった。明彦は白地に紺色で、鎌や車輪やひらがなの『ぬ』の字を染め抜いている、所謂、『かまわぬ』柄に黒の兵児帯をしている。凛子は深縹の地に真珠色と雌黄で百合があしらわれている。帯は白縹の半幅帯である。そして、髪にはトレードマークである大きなカチューシャをしている。今日の色は、鮮やかなライム色だった。
「おーっす。みんな」
「あっ。凛子っち。わー、凛子っちも綺麗だね。スタイルが良いからうらやましいなあ」
「いずなも可愛いよ。撫子だね。いずなっぽさが出ているもん。ほら、隣で、田舎の小学生の目が、ハート型になっているもの」
「喧しい」
敬介がむっとして謂った。其の後、高志が恍けた顔で、
「明彦んのは、相当に、変わった柄だな」
「あのなあ…。お前にだけは謂われたくない。其の模様、押入れの奥にある風呂敷の柄と同じじゃねーか。…其れにしても、然し、女の子もみんな華やかだな。いずなも、お人形さんみたいだぞ」
明彦がニヤニヤし乍ら謂った。
「ムキッ、本当? わくわく♪」
「えーっと、あの、何つったけか? ほら、有名な…。髪の毛が伸びる奴」
高志が笑い乍ら答えた。
「あー。分かった。お菊人形だ」
正太郎も笑い乍ら、後から続いた。
「流石に其れは酷いだろ。其れよりも、あれだろ『遠野物語』にも出て来た、ほら、福を齎すと謂う、妖怪。『座敷わらし』」
いずなが真っ赤になって、本気で怒る。
「ムキーッ、凛子っち。眼鏡と風呂敷男と正ちんに侮辱された!」
「ちょっとあんたたち、良い加減にしなさいよ。こんなに可愛らしいのに…ねえ。よしよし」
凛子がいずなの横で慰める。
「いや、俺は褒めたんだが…」
と、多少、困惑気味の正太郎。感覚的に、若干、感性が異なるものらしい。
「キーッ、全然、褒めてない。正ちんのバカー」
「そうだよ、正ちゃん。女の子に座敷わらしはひどいよ。こんなに可愛いのに」
「うん。確かに可愛い」
敬介が、一人、悦に入って頷いている。高志が一同を促した。
「じゃあ、行くか」
全員は、屋台を冷やかし乍ら、新清水方面に向かった。高志は正太郎にニヤニヤし乍ら、斯う謂った。
「おい、正太。もう、メールが来ても行くなよ」
「行かないよ。お前が謂ったとおりだった。碌な事にならない。それはそうと、あの時は世話をかけた。それに、あの後も。ちゃんとお礼とお詫びをしてなかったから、本当に済まなかった」
「気にするな。俺も頭に血が上っちまって、悪かった。然し、今更だけど、お前、祐子ちゃんの事、本当に気づいてなかったのか? 祐子ちゃん、4月から全開で『大好きよ』オーラ発していたのに…。クラスの連中なんてみんな、お前ら付き合っていると認識してたぞ」
正太郎は、真っ赤に顔を染め乍ら答えた。
「ああ、面目無い。でも、幼馴染なんて、そんなもんだろ」
「そうかなあ?」
祐子がニコニコし乍ら、会話に参加して来た。
「何、話しているの? 正ちゃん。高志君」
「ああ、祐子ちゃんか。いや、正太が、祐子ちゃんの事、可愛い、可愛いって…」
「なっ」
「もう、高志君の意地悪」
祐子がポッと赤くなり乍ら謂った後、高志が謂った。
「それはそうと、先刻、ひろみ、如何したんだろ。怒ったのかなあ?」
「あんな事されて、怒らねえ女、いるのかよ。大体、お前、学校祭の時も似た様な事やりやがって。あの時に、懲りたんじゃ無かったのか?」
「いや、でも、なんか普段と違ってたぞ。今日は女の子かなあ?」
祐子が赤くなり乍ら、聞いている。
「お前、そう謂うバカ謂ってると、ストロベリーパフェ×10個にされるぞ。まったく…。女心の分からない奴だな」
「お前が、それを謂うかあ?」
暑さは夜になっても、一向に衰える気配は無かったが、時折、思い出した様に土用東風が僅かばかりの涼を運んで来る。いずなとひろみと敬介がヨーヨー釣に興じている。明彦と凛子は二人でカキ氷の屋台の前で氷メロンをつつき乍ら、楽しそうに話をしている。正太郎が、高志に話し始めた。
「俺も祐子も、お前には借りがあるから謂うけど、ひろみはお前の事、気があると思うぞ」
「おい、ば、ばば、バカな事謂うな。何より、俺は一番あいつに、殴られてんだぞ」
「そう、それ。それが、抑々なんだよな。祐ちゃん。如何思う?」
「うん。女の子同士で、余りそう謂う話、しないけど…。取り敢えず、彼氏はいないみたい。で、ひろみちゃんとは、直接そう謂う話をした事無いから、本当の処は、判ら無いんだけど…」
其処で、一旦、言葉を切り、思案気な顔を笑顔に変えて謂った。
「ばればれ、だよね」
「だろ。祐ちゃんもそう思うだろ」
「うん。鉄板だと思うよ。大体、高志君は如何なの?」
「如何って。俺はそんな事、抑々考えた事も…」
「嘘つけ。って謂うか、祐ちゃんも恍けるのは止せよ。俺の見た限り、ひろみ以上に高志の方が鉄板だぞ。大体、好きでも無い女の子の、胸元なんて覗くかよ。ばかばかしい」
「なっ、何だと…」
「俺の見たところ、俺と祐ちゃん以外の6人は、敬介は直球小僧で、見たまんま。お菊人形は不思議ちゃんだが、其の実、変化球投手だ。無邪気に振舞っている様で、悟らせない。でもって、ひろみとお前が直球小僧。判り易過ぎ。あと、眼鏡コンビだが、此れは、もう、言葉はいらんだろ。あいつら、抑々、告白したのかどうかすら、知らんけど、あれで、『私達、付き合ってません』って、謂った処で、俺達が納得しても、世間様が、絶対納得しねーだろ」
祐子がニコニコし乍ら頷く。
「何時も、一緒に居るもんね」
「だから、早く、ひろみを楽にさせてやれよ。此の儘だと、ひろみが可哀相だ」
三人で盛り上がっている処へ、いずなとひろみと敬介がやって来た。
「ゆうちん。ヨーヨーこんなに取ったよ。だから、ゆーちんにもあげる。あと、ケースケと正ちんにも」
いずながヨーヨーを4個、抱えている。
「わー、すごいね。いずなちゃん、ありがと」
敬介が横から口を挟む。
「金は俺が出したけどな」
「なっ。判り易いだろ」
「…」
「何の話だ?」
敬介が訝しげに尋ねた。其処へ、ひろみがやって来て、不愛想に、高志にヨーヨーを渡した。
「はい、あんたにもあげる。後から、ストロベリーパフェ奢ってもらうから…」
高志はヨーヨーを受け取り、
「あ、ありがとう」
と、お礼を謂うと、黙って、ひろみの手を握ると、スタスタ歩き始めた。
「ちょ、ちょっと、高志。手、…」
ひろみが慌てて謂うと、高志が立ち止まった。
「…いや、折角のお祭りだし、…その、ひろみの浴衣姿が、ちょっと…可愛かったもんで、その、手を繋ぎたくなって、…駄目か?」
「…仕方がないな。今日だけは許してあげる。ストロベリーパフェに免じて…」
ひろみは顔を赤らめ乍ら、そう謂うと、にっこり笑って、ちょっと首を傾げた。高志は、金春色の地に染め抜かれた、鮮やかな紺瑠璃と金青の、朝顔の浴衣姿の垂れ目の少女をまじまじと見つめた。栗色の毛が眩しかった。高志が、初めて、ひろみを女性として意識した瞬間だったのかもしれない。祐子と正太郎は、優しい表情で顔を見合わせた。
「判り易過ぎ、だよね」
「本当だね」
祐子は、心から良かったと思った。先日の騒動の時、高志が自分に告った事を、ひろみに申し訳なく思っていたのだ。祐子は、高志のあれは、正太郎の背中を押す為の行動だったと信じていたが、ひろみは、そうは思わなかったかもしれない。江尻踏切迄、来た処で、明彦が全員に声を掛けた。
「扨と、18時だが此れから如何する? 茶店にでも行くか?」
葉月初旬の18時である。周囲はまだまだ明るく、何処までも続く、線路の先の巴川鉄橋の向うには、瑰麗な迄に雀色の大夕焼けが何処までも広がっている。明彦の問い掛けに応じて祐子が提案した。
「赤灯台は?」
高志が答えた。
「いいけど、俺達みんな、今日はチャリ無しだぜ。然も、下駄の奴もいる。片道30分は掛かるけど…」
「良いよ。行こうよ。散歩がてらに…。いずなも夜の赤灯台行って見たい」
「そうか? 俺、割と夜も行くんだけどな。正太や明彦たちと」
ひろみが高志に突っ込みを入れる。
「何よ、あんた達だけでずるいわね。私達も連れて行きなさいよ」
凛子も同意する。
「本当よねえ。私達だって、彼処、気に入っているんだから」
「判った。じゃあ。行こうぜ」
一行は喧騒の繁華街から、赤灯台への、夜は人通りが無い道を歩いた。先頭を、高志とひろみが手を繋いで歩いている。高志がひろみに謂った。
「あの。先刻は、ごめんな」
「もう、いいわよ。ストロベリーパフェ奢ってもらうし、それに、今度やったら、はったおすか、責任取らせるから…」
「はったおされた方が、気が楽だったんだが…」
「もう、浴衣の時くらい、女の子させてよ。私だって、女の子したい時はあるんだから」
と謂って、ひろみは、ぷいっと横を向いてしまった。其の仕草も、中々に女の子らしくて、可愛らしい。其のやり取りを見ていた、天性の観察者である凛子が、眉間に皺を寄せて、祐子に耳打ちした。
「何だか、急速に進展したわね。前の二人。昨日まで、どつき漫才やっていたのに」
「高志君。ひろみちゃんの浴衣姿に恋心が刺激されちゃったらしいよ。でも、あの二人、ばればれだったもんね」
「本当。此方が、ヤキモキする位、お約束のパターンだったもんね。学校祭の時も」
いずなが横合いから口を挟む。
「そうそう、いずなも見ていて、何で告らないのか不思議だったよ」
「ねえねえ。何の話?」
敬介が割り込んできた。
「小学生には、関係の無いお話」
「えーっ。ひどいよ。いずなちゃん」
凛子がニヤニヤし乍ら謂った。
「いずな、あんたも、其の小学生、何とかしてあげなさいね。あんまりほっとくと、流石に、可哀相よ」
いずなが少しはにかんで、ふくれる。
「ぶーッ。凛子っち。意地悪」
「…?」
敬介が一人、怪訝そうな顔をしている。
薄暮の赤灯台に来た事は、何度かあったが、これから、夜に懸けてというのは、女子にとって初めての事だった。突堤に上ると、僅かばかりの風が潮の香りを運んできて、暗緑色の水面も非常に穏やかだった。薄暮の残り香の様な明るさも、頓ては、闃然とした夜の闇に消えていくのを待つだけであろう。
「あー。此処へ来ると落ち着くわね」
凛子が、慣れない浴衣で肩が凝ったのであろうか。大きく伸びをし乍ら謂った。
「本当ね。私、夜来たのは初めて。でも、夕涼みに丁度いいじゃない。あーあ、夏休みももう、一週間かあ。あっという間だね。折角、面白いメンバーが揃ったんだから、何処か旅行にでも、行きたいな」
ひろみがしんみりと謂った。
「でもなあ、コンクールが終わるまでは、動きが取れないだろ。行くとすれば、お盆の次の週か、最終週だが、お盆の次週の混み具合も殺人的だし、最終週は宿題の追い込みで、其れ処じゃ無いだろうし…」
高志が静かに謂えば、いずなも詰まら無さそうに続いた。
「いずなも、此のメンバーだったら、旅行に行きたいのになあ」
明彦が溜息をついた。
「とは謂ってもなあ。現実問題、今から、予約するのも骨だろうし、最後の週に、日帰りでって、処だろうな。其れも、全員が日程合わせて、尚且つ、宿題の目処を或る程度つけてって条件が入るんだが…」
「でも、また。チャンスがあるだろう。俺のおじさん、両河内で温泉民宿やっているんだが、今度、聞いておくよ」
と、敬介。すかさず、正太郎が聞いた。
「マジか? 俺、彼方の方、良く山歩きで行くんだ。今度、場所教えてくれよ。利用するかもしれない」
「おっ。いいぜ。確か、一泊二食で5千円位だったぜ。今度、メールで詳細教えるよ」
「正ちゃん。行く時は、私も連れてってね。竜爪山の時見たく、迷惑掛けないから…」
祐子がニコニコし乍ら謂った。
「うん。いいよ。祐子ちゃんさえ良ければ、一緒に行こうよ」
二人のやりとりを聞いた凛子が、鋭い突込みを入れた。
「祐子。今、さらっと、すごい事、謂ったよね。一緒にお泊まりしたいって」
いずなも思わず目を瞠る。
「うん。いずなも聞いた。正ちんに処女あげちゃいます発言だった」
さらにひろみが追い討ちをかける。
「然も、正太の奴、やけに、ナチュラルに応じたわよね。怪しいなあ」
正太郎は狼狽えた。疚しい処があるだけに、狼狽え振りは、一入では無かった。祐子も隣で真っ赤になっている。
「ば、ば、バカな事謂うんじゃねー。いずな。山歩きするだけだろ。大体、なんで、友達の親戚の宿で、そんな事しなきゃ、なんねーんだ」
凛子が澄まして謂った。
「あら、其の狼狽え振り、ますます怪しいわね。でも、其の辺りのラブホよりは、余程、趣があっていいじゃない。山鳥の声を聞き乍ら、破瓜の痛みに堪えつつも、愛する人と一つ布団で迎える夜明け。文学的だわ。詩情が醸しだされているわよね。家に帰った後、親に殺されそうだけど」
「妙に生々しい表現だな。おい」
透かさず、突っ込みをいれる明彦である。其の凛子の生々しい台詞を、其の辺りのラブホに行ったばかりの正太郎と祐子が真っ赤な顔で聞いている。高志もニヤニヤし乍ら参戦して来た。
「『三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい』てか、いいなあ。正の字、流石、似非風流人だな」
「喧しい!」
正太郎が吼える。祐子は殊更に小さくなっている。正太郎はオーバーキル状態であった。が、孤立無援の処に、思わぬ援軍が現れた。明彦と敬介である。
「あの、凛子さん。一つ布団になる時は、是非、此の私めを、ご指名くださりますよう…」
「なっ」
「いずなちゃん。一つ布団になる時は、僕、一生懸命、がんばるからね」
「ムキーッ。何て事、謂うのよ。ケースケのエッチ。知らない」
果然、話が逸れていった。祐子が正太郎の耳元で、小声で囁やいた。
「…助かったね。正ちゃん」
「…ああ。兎も角、バカが多くて助かった」
ひろみが指を折り乍ら、高志に聞いた。
「ねえ、先刻の川柳、いや、七、七、七、五だから、都都逸か? 誰の作だっけか? 何か聞いた事あるんだけど…」
「高杉晋作とか、桂小五郎とか謂われてるけど、諸説紛々さ。一般的には高杉晋作の作と謂う事になっている」
敬介が無邪気に聞いた。
「なあ、都都逸って何だ」
いずなが優しく答えた。
「先刻。ひろみっちが謂ったとおりだよ。多くは七、七、七、五の定型詩で内容は…」
高志が後を引き取った。
「たとえば、斯う謂うのがある。『浜の鮑は何見て育つ、磯のナマコを見て育つ』」
「…」
敬介には判らない。思わず、いずなに聞いた。
「ねえ、いずなちゃん。如何謂う意味?」
いずなは仄かに顔を赤らめ乍ら、咄嗟に、幼女の様な素振で、惚ける。
「いずな、小さいから、良く分からない。多分、ゆーちんの方が詳しいと思う…」
突然の振りに、多少、狼狽気味の祐子。
「なっ、何、いずなちゃん」
全く、お構い無しに続ける高志。
「まだ、あるぜ。『山の木通は何見て開く、下の松茸見て開く』」
「…」
「今度のは、何となく判った。俺、家が山の方だから、木通も松茸も取った事あるし…」
「…」
敬介はそう謂い乍ら、視線を何気無く、いずなの幼女体型の浴衣姿の腰廻りに落とした。いずなは真っ赤になり乍ら、
「ウキーッ。ケースケ。何処見てるの。エッチ。ひろみっち、もう、破廉恥風呂敷男を止めて」
「まだ、あるぜ…。ぎゃふふん」
久しぶりに、ひろみの肘打ちが炸裂した。凛子が褪めた面持ちで、じろりと睥睨する。
「…呆れた。2節とも、全く同じコンセプトじゃないの」
すると、敬介が無邪気に納得した様子で、頷いた。
「つまり、季語の変わりに性器を表す言葉を入れた定型詩って事だよね」
凛子が高志を窘める。
「ほら見なさいよ。小学生が誤解した。此の子、試験でまた書くわよ。いずな。ちゃんと教えてあげなさいよ」
「えーっ」
いずなが激しくふてる。ひろみも溜息混じりに謂った。
「然し、良く、そんな下品なものばかり、次々と出てくるわね。私が知っているのは『丸い卵も切りよで四角。物も謂いよで角が立つ』かな」
いずなも続いた。
「あっ。此の前のいずなだ。いずなが知っているのは、『恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす』だよ。ねっ、ケースケ。変な言葉入ってないでしょ」
「本当だ。あれだね。よく、『笑点』でやっている奴だね」
「そう。それ。主に男女の色恋を題材にしたから、情歌とも謂われているけど、諧謔や風刺が入るから、『笑点』でもやるよね。風呂敷男が披露したのは、秀逸だとは思うけど、『笑点』では、大概、お座布団を全部持っていかれるパターンの作」
「ありがとう。いずなちゃん。良くわかったよ」
「如何いたしまして。先刻。ヨーヨー釣、奢ってもらったから。お礼」
祐子が耳元でまた囁やいた。
「これで、完全に話が逸れたね。正ちゃん」
「ああ、将に危機一髪だった」
ひろみが残念そうに、呟いた。
「あーあ。其れにしても、ちょっとがっかり。此のメンバーなら旅行しても楽しそうだったのにな…」
高志が優しく肩に手を掛け謂った。
「また、機会があるよ。まだ、高校一年なんだぜ。俺達。」
「そうだね。…あっ。あれ、見て」
ひろみが、今では漆黒の闇に包まれた、暗い筈の海面を指差した。暗い海面は、ところどころ、蛍光塗料をまいたように青緑に、浅緑に、そして、常盤色に光っていた。光の大群は湾の外から流れ込んでくる様だった。
「わあ。きれい」
「すごいな」
「海が光っている…」
「うわあ、夜光虫だね。でも、此処で見たの初めてだ」
「本当に、綺麗」
祐子が思わず、正太郎の手を握り締めた。光はどんどん強くなっていく。気がつけば、湾内一面、キラキラと瞬く浅緑色に染まっていた。何時までも見ていたい美しさだった。みんな、此の幻想的な光景を、佇んで見入っていた。時々吹く潮風の香りがなんとも言えず美味しい。みんな、蛍光色に輝く海を見乍ら、他愛も無い話に興じていた。
頓て、明彦が時計を見乍ら謂った。
「扨と、20時30分だ。そろそろ、帰るか?」
「そうね。駅まで30分は掛かるし」
みんな、突堤から下りて、駅に向かって歩きだした。高志が顔を赤らめ乍ら、ひろみの手をとって、斯う謂った。
「…あの、また、手を繋いでも、…駄目かな」
「もう、しょうがないわね。…でも、高志が繋ぎたいなら…。まあ、いいか」
「あの、…ありがと」
「如何いたしまして」
「そうだ、まだ、ストロベリーパフェ×3が残ってた…」
「いいわよ、貸しにしておく。あっ。でも、今日、エスコートしてくれたから、ストロベリーパフェ×2はチャラにしてあげる」
「本当に、今日は女の子だな」
「だって、男の子と手を繋いで歩いたの…初めてだから…。たまには、いいでしょ。あっそうだ、学校祭の時、クイズで手を繋いで走ったっけ…。あと、帰りも…」
「あー、忘れてやがる」
「何よー」
そのすぐ後ろで眉間に皺を寄せた凛子が、小声で祐子と正太郎に謂った。
「ねえ、本当に、何で、あそこで告らないの? バカなの? 風呂敷男」
「さあ? でもいいんじゃないの」
一方、最後尾を歩いている敬介は隣を歩いているいずなに謂った。
「あのね、いずなちゃん。おてて繋いでもいい?」
いずなは、ちょっと、支度気無い表情をした後、優しく謂った。
「いいよ」
「ありがとう」
敬介は隣を歩いている、撫子のような少女の横顔を見つめた。学校祭に続いて、また、一緒に手を繋いで歩けるなんて、夢の様だった。いずなが、敬介の視線に気がついた。
「如何したの?」
「いや、その。いずなちゃん、浴衣姿も可愛いなって…」
「もう、恥ずかしい事謂うと、おてて繋いであげないよ」
と、謂い乍らも、いずなの澄んだ瞳は、とても嬉しそうだった。敬介は、濃青色の落ち着いた海にも似た青色の地に、躍る撫子柄の浴衣姿の少女、そして其の少女の横顔を眺め乍ら謂った。
「うわ、ごめんね」
「えへへ。でも、ありがとね」
駅までの道程を、潮の香りをはらんだ夜風に洗われて、駅までもっと遠ければいいのに、と思い乍ら歩いた、いずなと敬介だった。高校一年の夏。暫しの、真夏の夜の涼とともに、それぞれの思いが膨らんだ、みなと祭りの夜の出来事であった。
扨、コンクールも終わり、ブラスの行事もひと段落である。夏休み中も、もう練習日はない。登校日も、あと来週に一日あるだけである。要するに、いつもの、メンバーでつるむ大義名分を失った訳である。こんな時こそ、溜りにたまった、夏休みの宿題でもすれば良い訳なのだが、彼らにしてみれば、今からが夏休み本番である。従って、これからが、自由気儘な夏休みであり、斯くして、宿題は等閑にされて行くのである。こんな時こそ、日々の精進が物を言う訳であるが、夏休み中、毎日宿題をする様な、生徒は、滅多にいない。如何に清水高校の生徒とは謂え、そうそう、殊勝な心掛けの者は、祐子といずな位であり、あとは、押並べて普通の高校生である。高志が部室で伸びをし乍ら、
「あーあ。やる事が無えなあ。明日から何をするかな」
ひろみが、呆れ乍ら謂った。
「宿題に決まってるでしょ。休み明けに、いきなりテストがあるのよ」
「でもなあ。折角の夏休みだぜ」
敬介がニコニコし乍ら謂った。
「カラ箱は如何だ?」
「うーん。此の前、12時間耐久カラオケやったしなあ」
正太郎が困った様に呟く。其処で、明彦が提案した。
「麻雀は如何だ? 出来るんだろ?」
女性陣も含め全員が出来た。尤も、祐子とひろみは、ルールが分かる程度であるが、他は多少なりともやり込んでおり、それなりに、腕に自信があるらしい。高志が食いついた。
「へえ。面白そうだな。俺は良いぜ。でも、場所は如何するんだ? 謂いだしっぺの、明彦の家か?」
「ば、ば、ばかやろう。無理に決まってるだろ。『バカやってないで、サッサと宿題しなさい』って、叩き出されるぞ。お前の所は如何なんだ?」
「右に同じだ。無理に決まってるだろ。正太郎は?」
「俺の部屋3畳だぞ。一人でも窮屈なのに、全員入る訳無いだろ。それに、塩素ガス事件以来、マークされてんだよ。特に交友関係は。今度はシアン化水素でも、発生させるんじゃないかって」
「死んじまうだろうが…。いずなの所は如何だ?」
「いずなも、シアン化水素はやだよ。それに、いきなり、男友達が4人も来て、麻雀なんか始めたら、ママ、卒倒しちゃうよ。今度こそ、けも耳とけも尻尾、没収された上に、クラブ止めさせられちゃうよ。ケースケの所は?」
敬介が困惑気味に弁解する。
「俺の処は、20畳位の部屋があって、出来るんだけど、中学の時にダチが集まって麻雀やってたら、お袋がかんかんに怒って、『今度やったら、勘当だ』って、通告されてんだよ。其の上、今度はシアン化水素、何つったら…」
「祐子ちゃんの所は?」
「私もシアン化水素はちょっと…」
高志が呆れ乍ら謂った。
「お前ら良い加減、青酸ガスから離れろよ、そうじゃなくて麻雀の話だろ」
其の時、正太郎が謂い出した。
「そうだ。良い事がある。ネットでやればいいんだ」
「ネット?」
ひろみが聞き返した。
「ああ。ポンゲームの麻雀4の交流広場で、自由に対戦できる」
「お金は?」
「基本無料を標榜しているけど、2千円位入れておいた方がいいな。場代を取られるし。ゲーム内で麻雀マネーという仮想マネーを賭けて勝負するんだが、最初、麻雀マネーが1000円分補充される。でも、一回ラス引いたら終わりだもんな。リアルの千円で麻雀マネーが11000円分だ。まあ、場代だと思って、二千円位補充しておけば、一晩中遊べる。交流広場で、予めルールを設定しておいて、パスワードを決めておけば、知らない人は入ってこれない。みんな、ネット環境のパソコンはあるだろ?」
全員が頷く。謂いだしっぺの、明彦が食いついた。
「面白そうだな。俺はいいぜ」
高志も乗った。
「面白え。ルールは如何する」
正太郎がさらに続けた。
「ありありの五、十。割れ目なし、焼き鳥、赤5あり、5ピンは赤2枚。チップは赤牌、一発、裏ドラ。で、如何だ」
「面白そうね。私はいいわよ」
凛子も乗り気だ。正太郎が説明を続ける。
「通常は観客に手牌は見せないが、みんなで楽しむためには、見せなきゃ面白く無いだろ。その代り、通しはご法度だ。ルールはこんなところで如何だ?」
祐子が尋ねた。
「プレーヤー以外も入室出来るの?」
「ああ。パスワードさえ知っていればな。パスワードは『shimizu』にしておく。準備ができたら、ラインで部屋番号を知らせるよ。全員やるなら、2卓出来る。時間は如何する? 夕飯後、20時スタートにするか」
「ムキー。わくわくしてきた。此の前、侮辱した眼鏡と風呂敷男を、丸裸にしてやるんだから…」
高志がニヤニヤし乍ら謂った。
「お前こそ、丸裸になる覚悟で来いよ。いずな。ひん剥いてやるぜ。ちっぱいだけどな」
「ムキーッ。また、侮辱した。見ていなさいよ。風呂敷男」
扨、其の日、正太郎は夕飯後、早速準備に取り掛かった。途中祐子から電話が掛かってきて、ログイン方法を教えた後、空室だった125号室にパスワードを設定し、ラインを送り、みんなの入室を待った。真っ先に現れたのは明彦だった。
「あれ、未だみんな来て無いな?」
其の次に現れたのは、いずなと祐子だった。祐子は取り敢えず見ていると謂う。
「ムッキー。来たよー。あれ、風呂敷男は?」
「未だ。来て無いよ」
「おーし。おまたせ」
「あっ風呂敷男」
「よーし、早速、やろうぜ」
初戦は、正太郎、高志、明彦、いずなの組み合わせとなった。起家は高志、南家はいずな、西家は正太郎、北家は明彦の並びである。初巡は全員字牌を切っていった。静かな立ち上がりである。そこへ、ひろみと凛子が入室した。凛子がチャット機能を使って呟いた。
「あれ、もう始まっているみたいよ」
「本当だ。みんな。こんばんは」
「うす」
「よろー」
正太郎が答えた。
「ごめん。先に始めてた。おまえら、2、3抜けでいいな?」
「ロン。ピンフドラ1。2000点。赤5索1枚だから、チップ1枚」
チャットに夢中になっている正太郎が不用意に捨てた3索で明彦が上がった。
「あー。ひでえ。人が説明している時に、あがりやがって…」
「油断大敵だよ。正ちん」
高志がぼやく。
「くっそー。親流された」
祐子が尋ねた。
「ねえ。チップって、何?」
「チップは懸賞だよ。赤牌、裏ドラ、一発につき一枚。自模れば、一枚づつ。一枚2千点相当」
「へー。面白いね」
「役満は5枚だったかな。まあ、滅多に出来無いからね」
二局目は立ち上がりこそ、穏やかだったものの、5巡目にいずながリーチを掛け、一発目に自模ってきた。
「立直、一発、自模、タンヤオ、ドラ3、バンバン。ありゃ、一本足りない。6千通し。チップ4枚オール」
「親ッパネかあ」
明彦がぼやく。いずな、連荘で一本場。この局も荒れ模様であった。8巡目に高志がドラの7索を槓をした。その直後、親のいずながまた、リーチをかけた。正太郎と明彦は現物で一発を回避、高志は一発目で8索を引いてきた。
「くっそー、槓しなきゃあ良かった。勝負」
「ローン。立直、一発、七対、ドラ4、バンバン。チップ3枚。親倍ニーヨンマルZ。念能力発動、『ハコワレ』」
「うわあ、容赦無えなあ」
「まじかよ。俺、焼き鳥だよ。あれっ。高志は?」
高志は所持金不足で強制退出させられて、いなくなってしまった。
「ムッキー。あいつ、金無しで雀荘来てたの? 本当に信じられない」
「さあ、交代だ。如何する?」
敬介がやって来た。ひろみと祐子が尻込みした。
「私、当分見ているよ。これなら見ていても、面白いから」
「私も」
正太郎も続いた。
「俺も、見物に回る。敬介も来たし、祐ちゃんとひろみに解説役と、あと、記録係に回るよ」
と謂う訳で、2戦目は、明彦、凛子、いずな、敬介で始まった。祐子が聞いた。
「先刻の勝負、何で、彼処で終了なの?」
「高志が飛んだからさ。通称、『ハコワレ』とか『ぶっ飛び』とか言われている。配給原点の25000点がなくなったときに、ゲーム終了さ」
「何か、ナックルの念能力みたい」
「あれは此れから、とったんだろ」
「へーそうなんだ。罰則は? 念能力が使えなくなるとか…?」
「念能力って、何だよ。…まったく。此の設定ではないよ。但し、先刻のゲームでは、俺と高志が『焼き鳥』だった。ほら、画面の各アバターのところに、焼き鳥の絵があるだろう。その、一戦で一回でもあがると消える。終了した時点で、あれが残っている人がいたら、つまり、終了まで一回も上がれない人がいたら、その人たち全てで、計30000点放流さ。だから、俺と高志で15000点づつ。高志の巻き添えで、結構大きな出費だ」
2戦目は、敬介と凛子があがって、淡々と進んでいく。其処へ、能天気一代男、高志が再び入室してきた。
「おまたせー」
ひろみがすかさず、チャットを入れる。
「あんた、何してるのよ。いずな。カンカンに怒ってたわよ。『所持金不足で全額回収できません』とか、メッセージが出たって」
「いやー。まさか、飛ぶとは思わなかったもんで…。でも、もう大丈夫、コンビニで三千円分補充して来た」
「ムッキー。来たな風呂敷男。お金も持たないで雀荘に来るなんて」
「おいおい。いいのか、いずな。よそ見していて」
「ウッキー。大丈夫。立直だから」
凛子から声が掛かった。
「ロン。ピンフ、ドラドラ、ザンク。チップ一枚」
「うきゃー。凛子っちに振っちゃった」
その後、明彦といずなが上がり、焼き鳥はいなくなった。形勢は凛子がトップ、2000点差でいずな、3位に敬介、4位に明彦と続いた。オーラスに凛子がゴミを自模って終了となった。高志が謂った。
「おまえら、次、入るか?」
「いや、俺はいい。祐ちゃんの謂うとおり、見ていても、結構、面白い」
「私もパス。高志やんなよ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて、俺が入りまーす」
「ムッキー。風呂敷男と入替りかあ。いずな。2位だから、抜けるね」
3戦目が始まった。いずなは抜け番の為、観戦に回った。
「ゆうちん。ひろみっち。打たないの? 結構、面白いよ」
「うん。見ているだけでも、面白いよ。でも、いずなちゃん、上手だね」
「そんな事無いよ。でも、うまいって謂えば、凛子っち。本当にうまいと思うよ。何より、振り込まないもの。先刻の半荘、凛子っち、一回も振り込んでいないよ。それでいて、間隙を縫ってあがってくるもん。今、凛子っちの後ろで、打ち筋見ているんだけど、本当に上手だと思うよ。だけど、変だなあ。打ち筋、先刻とかなり変えている感じがする。…多分、回数やれば、やるほど、凛子っちがプラスになると思う」
ひろみが感心した。
「へー。そうなの」
「うん。麻雀って、コントラクトブリッジや、バックギャモン何かと同じで、運が介在するゲームだけれども、回数やればやるほど、上級者にはかなわないよ」
「へー」
祐子が感心した様に謂った後、更に続けた。
「ところで、先刻、正ちゃん、明彦君に振り込んだ3索。2筒の方が通りそうだったよ。何でかなって思ったんだけど…」
「良く覚えているなあ、祐ちゃん。俺、自分の手なのに、全然覚えていないぜ」
いずなが割り込んだ。
「あの時、2筒があったなら、2筒だね。3筒が4枚出きりで、4枚目の2筒だったから…。当たりようがないよ」
「いずなも、良く覚えているなあ。感心するよ」
「えへへ。いずな、記憶力はちょっと自信があるんだ。多分、今日の全対局の、全員の捨牌と、自分の自模と捨牌は、謂えると思うよ」
「本当かよ」
正太郎は感心した。確かに、学校祭クイズ大会決勝でのいずなは、普段のいずなでは無かった。ウィキペディアが頭の中にあるような、そんな印象であった。そう謂えば、正太郎は、いずなについての噂を、清水中学卒業のクラスメートから、聞いた事があった。『いずなは、中学校時代、全教科の教科書を丸暗記していた』と謂う物だった。正太郎も噂を聞いた時は、まるっきり本気にしなかったのだが、斯う謂う事を目の当たりにすると、強ち、噂も嘘では無いかもしれないと思った。然し、自分の捨牌だけならいざ知らず、全員の捨牌、其れも、全対局ともなれば、聊か、度が過ぎるのではないか。此れは、もう、記憶力とかで片付けられる問題ではない。記憶力というよりも、『サヴァン』とか、特殊能力に類するものであろう。確かに、正太郎は、いずなの天才性については、感じた事が、間々、あった。子供の様な無邪気な振る舞いで、巧妙に隠してはいるが、知識の正確さに於いては、他の追随を許さなかった。彼女は警句を割りと好んだが、其の引用は頗る正確であった。いずなが古典を引用する時は、極めて正確に引用していたし、また、相手を揶揄する様な時には、原典の中に巧妙に毒を忍ばせ、相手の無知を嘲笑うかの如き態度を、取る事さえあった。流石に、いつものメンバーに対しては、決してやることが無かったが、正太郎は、そう謂うシーンを目撃した事がある。相手に分からなければ、悪意は伝わらない。いずなの、孤独に満ちていた、小、中学校時代からの、彼女の世渡りの悲しい知恵だったのだろう。要するに、相手の知的レベルを正確に推し量り、其の知的レベルの限界の一歩外側で、相手を小馬鹿にするのである。実は、此の記憶力に関するいずなの発言、ある特定の人物に向けられた、メッセージの性質を帯びたものであった。だからこそ、いずなは、オープン回線とも謂うべきチャットで、発信したのである。此の記憶力に関する特殊能力が、後に大きな騒動の引き金となるのであるが、今は詳らかにしない。後の段に譲る事として、閑話休題。
3戦目は高志が1位、凛子が2位、敬介が僅差で3位、明彦が4位であった。凛子に入替り、いずなが入った。
「さあ、風呂敷男。軽く揉んでやるわよ」
「ふふふ。其の台詞、其のまま返すぜ。尤も、いずな、ちっぱいだから、揉もうにも、揉めないけどな」
「ムッカーッ。また侮辱した。もう許さない。風呂敷男、覚悟なさい」
「ちょっと、高志。良い加減にしなさいよ」
ひろみがすかさず、チャットを入れる。
「ハハハ。此奴は良いや。何、謂っても、肘打ちも正拳突きも来ねえ」
「ロン。中、ドラ3。116は切り上げ満貫か?」
敬介が、高志が不用意に捨てた4万で上がった。
「悪いな、高志。いずな。仇はとったぜ」
「あーっ」
高志の悲鳴が聞こえる様だ。祐子は抜けてきた凛子に、個人的ラインで声を掛けた。
「おつかれ。凛子ちゃん。如何だった? ネット麻雀」
「いやー。面白いわ、此れ。此れなら、4人いなくても、フリーで打てるし、私、病み付きになりそう。正太の奴、とんでもない物、教えてくれたわね」
「凛子ちゃん。麻雀好きだったんだ」
「うん。家は、父親が大好きだもんで、小さい頃から、良く、家族麻雀やってたもの。中学の時は、よく父に連れられて、雀荘に行ってたわよ」
「なんか、すごいね。凛子ちゃんのお父さん」
「そう? 普通のおじさんだよ。そうだ、後から、早速、親父にも教えてあげよ」
「凛子ちゃんから見て、みんなは如何だったの?」
「みんな、其処其処、やりこんでいるよ。うまいのは、眼鏡かな。…あと、うまいとは思うんだけど、…いずなかな」
祐子が尋ねた。
「いずなちゃんは、…違うの?」
「ううん。すごくうまいよ。でも、もっと、異質な感じ。あの子、記憶力が尋常じゃないのよね。学校祭の時にも思ったんだけど…。ほら、よく、将棋や囲碁の有段者が、道具を使わずに、頭の中で対局するじゃない。あんな、感じなの。だから、終盤の見切りが、途轍も無く早い。恐らく、終盤では、みんなの手牌。かなりの高確率で丸裸にされているわよ。先刻、あの子、抜け番だったから、私、手を間違いなく観察されていると思って、打ち筋をかなり変えたつもりだったけど」
「そう謂えば、いずなちゃん。そんな事謂ってた…」
「あちゃあ。やっぱり、見抜かれてたかあ。ちょっと、姑息かなあ、とは、思ったけど…」
「でも、すごいね。凛子ちゃんも、いずなちゃんも」
「そんな事無いよ。私の場合は、下手の横好きだから。扨と、形勢は如何かな?」
凛子はそう呟くと、チャットの方へ移っていった。決着は高志が飛んですぐについた。1位が敬介、2位が明彦、3位がいずな、4位が高志だった。2抜けで明彦が抜けた。
「いずな相手かあ。気合入れていかないとやばいわね」
凛子はそう謂い乍ら入っていった。祐子は抜けた明彦に声を掛けた。
「お疲れ様。如何だった?」
「いや、面白いよ。それにみんな、出来るんだな。麻雀自体、冗談の心算だったんだが…」
「ねえ、明彦君からみて、誰が上手?」
「そりゃ、凛子だろ。あと、いずなかな。凛子の奴、振り込まないからなあ。いずなも終盤には、まず、振り込まない。人の手が見えてる様だ。まさか、お前ら通しているんじゃないだろうな」
「そんなこと、してないわよ」
「だよなあ。まあ何にしても、うまいよ。あの二人は。でもこれで、あいつらが打てる事分かった。今度から面子が足りない時、誘おう」
突如として、敬介の手が止まった。上家である高志のリーチに考えているのである。捨牌は一見して、タンピン風のオーソドックスな捨牌である。1巡前に6索を切ってのリーチである。暫し、考えている敬介に凛子がチャットで忠告した。
「やめときなよ。敬介。其れ、多分、アウトよ」
「何だよ、凛子。俺の手が、わ、わかるのか?」
「まーね。其れ、3索でしょ。大本命よ」
「ムッキー、いずなも同感だよ」
「でも、6索を切ってのリーチだぜ。其処まで明白な事するかなあ?」
「するでしょ。此奴なら」
「はっはっは、狙わないよ、そんな待ち」
「ムッキー、何処かで聞いた事のある台詞」
然し、敬介も勝負手である。敬介の捨牌からすると、明らかに索子の一色傾向である。そろそろ、余り牌が出ても不思議では無い。
「勝負!」
「ローン! 立直、一発、タンヤオ、三色、ドラ3。ニーヨンマルだな」
「き、きたねえ」
「ムッキー。だから、謂ったでしょ。ケースケ」
「くっそー。飛んだじゃねーか」
「まあまあ、敬介。茶でも飲んで落ち着きたまえ。はい、めとろん茶」
「喧しい!」
其の日は、0時過ぎに祐子とひろみが退散、其の後、2、3抜けで続けるも、3時過ぎに夜が弱い正太郎が退散。然し、其の後、2抜けで、7時間以上続け、解散したのは翌日の午前11時だったという。結局、凛子といずなとお店が圧勝し、他はみな、持ち出し。特に、高志は充当した3千円分全て吹っ飛ばしたと謂う事だった。
こんにちは。敬介だぜ。次回は、ひょんな事から俺の親戚の民宿で夏合宿をすることになった、興津川夏合宿編第一弾だ。此の先6回に渉ってやるから、全部見てくれよな。取り敢えず、次回、『第12話 興津川へ行こう!』だ。絶対、見てくれよな。




