七十部
八畳ほどの和室の中央で机を挟んで対面している男達がいた。片方の男の後ろにはもう一人が少し下がったところで、二人の男の話を静かに聞いていた。後ろに男を控えさせていた方の男が
「それでは・・・という内容でよろしいですね?」
「ええ、私の要望は全て満たして貰ってます。
後はあなたの身の振り方だけではないですか?」
「責任の所在が明確になってから、としか申し上げられませんね。」
「あなたが辞職せずに済む結果を願っていますよ。」
和室のある家の持ち主はそう言って立ち上がり、和室から出て行った。ここで会談は終わりを告げた。
「今の御心境はいかがですか?」
「上杉、会見というのは何度やっても緊張するものだ。
お前もよく覚えとけよ、次の会見をするのはお前かもしれないんだから。」
「嫌ですよ。武さんの後釜になるくらいなら、あなたが辞めなくても良いように全力でバックアップしますよ。」
このやり取りがいつも面倒な会見に向かう時のお決まりのパターンになっていた。警視総監・武田晴信は一世一代の勝負の会見に向けて、緊張もほぐれたところで歩きだした。
『武田総監の緊急記者会見が行われると言うことで、警視庁には多くの報道陣が詰めかけています。
あっ、今、総監が入ってきました。それでは会見をご覧ください。』
テレビの画面の中心に武田総監の姿が写った。
事前に総監の緊急記者会見があるから、警察官は重要な捜査がない者や持ち場を離れてはいけない者等の例外を除いて、全ての警察官が見るようにとの通告があり、山本たちも課のテレビの前に集合していた。
「何かあったんですかね?」
上田が聞いたが誰も答えずに、というか誰も答えられずにテレビの画面を注視していた。そして会見は始まった。
『皆様、お忙しいなか、急な会見であったにも関わらずお集まり頂きありがとうございます。
早速ではありますが本題に移らせていただきます。
かねてより、警察ならびに法務省間で議論をしておりました最新型信号機の通常捜査への利用の件に置きまして、正式に私、武田晴信警視総監の名において本格導入を実施することが決定しました。
信号機に取り付けられたAI装備のカメラによって、今までに多くの交通犯罪を取り締まり、実際に多くの違反者を逮捕してきました。
そのかいもあり、交通犯罪は信号設置以前の70%減という結果も出ています。
日本では現在、多種多様な犯罪が発生し、路上での暴行や強盗、あるいは巧妙に仕組まれた犯罪手段によって、かつて世界のなかで治安のよかった国と呼ばれた頃の日本ではなくなってきています。
他の国に比べればと言う人もいますが、いつ他の国と同様のレベルに下がってしまうかというのも言い切れません。
下がってから、あの時対策をしていればと話している間にも被害を受け悲しみにくれる人が出てしまうでしょう。
被害者を出さず、的確に加害者を取り締まり、そして人を加害者にない社会を作らねばなりません。
確かに監視社会になることは否定できず、プライバシーの侵害だと言う意見も出ることは重々承知しております。
しかし、そういうあなたを守るためでもあり、あなたが大事な人を理不尽に奪われないためでもあることをお考えください。
世界は常に危険な状態にあります、世界を震撼させたテロ組織の思想をもとに未だに罪のない人たちを無差別に攻撃するテロ行為が世界各地で起こっています。
甘い言葉に惑わされて、命を落としてしまった人たちも大勢いました。犯人がもっと早く見つかっていれば犠牲者も減らせたでしょう。
行方不明になったお子さんや知人を見つけることだって、できるようになるでしょう。
帰りを信じて、何年、何十年と苦しまなくて良い世の中になるでしょう。
百を得るために十を犠牲にしなければいけないなら、迷わず十を捧げて頂きたい。
誰かの幸せが、いつかあなたの幸せに繋がるのだと思い、十を失うことを恐れないで下さい。
これはあくまで、私の私見に基づいた話であり、国民の皆さんに強制できるものではありません。
ですが、今この時も犯罪の被害にあい、涙を流し、そしていえない傷を負っている人がいることもお考えいただきたい。
過去を変えることはできませんが、未来を、明日を、今日この後を変えることはできます。
それでも、許せないと言う方がいるなら、3年待っていただけないでしょうか。
3年のうちに、日本を世界で一番安全で安心して暮らせる国にして見せます。そうなっていなければ、制度の廃止、そしてその責任を全て私がとり、職を辞させて頂きます。
私一人で負いきれる責任ではありませんが、それでも私を後世まで罵り続けて頂いても構いません。
一人でも多くの人が犯罪の悲しみから救われるなら、私はどんな荊の未来でも受け入れる覚悟があることをここに宣言いたします。
詳細に関しては、後日法務省の方より発表がありますが、今言えることは、犯罪捜査に関してのみの利用であり、個人のプライバシーを侵害することには決してしようしないのであり、極一部の捜査員のみがデータの管理、画像処理を担当し不正使用が起こらないような厳重な管理を行って参りますことだけは固くお約束します。
一方的な会見になってしまい申し訳ありませんが、法務省の発表後に申し入れがあればまた会見を行います。』
武田総監はそう言って頭を下げて、会見場を後にした。
それを追いかけるように記者が質問をしようとしたが、武田総監は立ち止まらなかった。司会者の方で『質問は後日受け付けます。』と言う言葉と共に会見は終了した。




