三十六部
国会議事堂のある一室では国会議員が集まって、真剣にノートを取りながら、講師の話を聞いていた。その講師が
「それでは今日はここまでにしましょうか。皆様お疲れ様でした。」
講師が頭を下げると、何人かの国会議員はあくびをしながら席を立ち出て行き、残った数人が講師に向かって「ありがとうございました。」と言って出て行った。
黒木は持ち物の整理をしてから、講師に近づき、
「桂先生、お疲れ様でした。
わざわざ来て頂いているのに礼儀のない人もいてすみません。」
『桂』と呼ばれた講師は京泉大学の法学部で政治学を教えている大学の教授で、黒木よりも一回りほど年上の50代始めのきりっとした顔立ちに優しい笑顔を浮かべる男で、黒木や山本、石田もこの男が新任で授業をしていたときに受講したことがある縁で国会議員の勉強会の講師を黒木がお願いして来てもらっていたのである。
桂は笑いながら、
「いえ、いえ。国会議員の先生方に政治について教えるなんて、おこがましいと思ってます。それに大学の講義でも同じような学生はいますから、別に気にはしてませんよ。」
「それでも壮年と言われるくらいの年の大人があれでは子供に礼儀をしっかりしろとは言えないと思うんです。
大人が手本を見せて、子供がそれを見て学ぶ。マナーや礼儀のない大人ばかり見ていれば、子供が『不良』扱いされても仕方がないと思うんです。
その子が不良に見えるなら、その子の親が、周りの大人が不良なんだと私は思いますよ。」
黒木はため息まじりに言うと、桂は一段と高い笑い声をあげて、
「黒木先生は国会議員よりも教職者に向いてますよ。
大学教育も難しいものですよ。『大学デビュー』なんて言葉もありますけど、そういう子らも、元々がしっかりしていれば礼儀や最低限のマナーは守ります。
でも、小さな頃からそういうことができてない子は、大学生になって注意されてもなかなか治らないものです。
やはり初等教育の段階で礼儀やマナーを徹底しておかなければいけないのかもしれませんね。
いわゆる『三つ子の魂百まで』ってやつですよ。」
「幼児教育から様々なことを教えていくべきだということですよね。
3歳で全部決まるわけじゃないけど、それくらい早い段階からしっかりと教育は行わなければいけないということは、ことわざができた頃からわかっていたはずのことなのに、今も何も手を打てていない現状があるというのは政治家としてお恥ずかしい限りですよ。」
黒木はまたため息をつく。桂が心配そうに
「お疲れのようですね。詰め込み教育もいいですけど、適度な休憩と糖分摂取は重要ですよ。
記憶の定着のためにも疲れを残さないようにしなければいけません。
それに黒木先生ほどの方なら、それほど勉強されなくても受かれるんじゃないですか、例の試験も?」
「いや、そんなことはないですよ。
私も努力しなければ、試験には受かれないと思ってますし、試験をしようと言い始めた私が落ちて国会議員になれなかったらそれだけで笑いものになりますからね。
何が何でも合格しなければいけないんですよ。」
「そうですか。
ああ、そうだ!今後の日程に関してお話したいことがあったんですよ。
この後お時間よろしいですか?」
「ええ、私の議員室でよろしければですが・・・・・」
桂も荷物をまとめて「それでは行きましょうか。」と言ったので黒木は桂と並んで部屋を出た。




