07:帰宅後と土曜日の朝
マイクロバスで組織の建物に帰った後は労うような言葉を頂戴し、集まった素材などを提出して解散になった。
茉莉達三人とも別れ、俺は受付に頼んで来る時にも乗ったタクシーもどきでマンションまで運んでもらう。
やや駆け足気味ながら階段から昇り、玄関に掛けている【固定】と鍵を解除して開くと、二人が出迎えてくれた。二人とも朝食時と変わらない寝間着を兼ねた部屋着姿である。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、ご主人様っ」
「おかえりなさい。まだ食べてないから、一緒に食べましょ?」
「そうだな」
中に入って玄関に施錠をし、部屋着に着替えて脱いだ服は洗濯機に放り込む。
そうこうしている間に作られていた料理が温め直されて、三人分がきっちり配膳された。俺が帰り着いた時間は午後八時の少し前だったのだが、なんとなく、俺の帰りが遅れても何十分か、少なくとも一、二時間ぐらいは待っていた気がする。
とりあえず、二人には優しく接しようと思った。
まぁ、それはそれ、これはこれとして。
食後のコーヒーを飲みながら少し寛いだ後は、アンナが風呂を済ませている間に俺とアニマは夕食の後片付けに取り掛かる。
アンナが風呂から上がった後で入れ替わるように二人で洗面所へ行き、アンナの脱いだ服が入っている洗濯機に俺も服を脱ぎながら放り込んで、アニマのチョーカーを外してやってから風呂場に入る。
「まずは、頭からお湯を掛けるよ」
「はいっ」
時間を掛けて温めたほうが皮脂は落ちやすいとかなんとかいう話でもあるので、頭頂部にある猫っぽい耳には入らないように前傾させて、弱めのシャワーでアニマの頭に湯を掛けていく。
ある程度髪を濡らしきったら、シャワーの正面にある椅子に座って俺用のタオルをアニマに渡し、後を任せた。
「それじゃ、流しますね。……どうでした? ご主人様」
「しっかり洗えてたし、気持ち良かったよ」
「それなら、良かったです」
「じゃ、そろそろ交代かな」
「はいっ」
俺は体を洗われてすっきりしたが、アニマはまだ頭を濡らした以外は水が跳ねた程度である。プラスチック製の椅子が立てる独特の音を聞きながらアニマと座る椅子を交代すると、正面の鏡越しにアニマと視線が合った。
以前なら曇っていたガラス製の鏡ではあるが、【固定】で空気を固めた層があり、熱伝導も止めてあるため結露ではまず曇らない。表層の汚れは簡単に取れるので飛沫が付きにくく、僅かな水滴も時折シャワーで流されていたため、綺麗なものである。
水気が大分滴り落ちてしまったアニマに湯を掛けて温め直すと、浴衣風の寝間着は全体的に水を吸って張り付き、中の黒い長手袋と長靴下や水着の濃紺色の透け方が強くなる。
シャワーを止めても大人しく待っているアニマの髪を洗うべく、シャンプーを手に取って薄く延ばし、頭の上から毛先まで、広い範囲に塗り付けてから泡立てた。
頭皮を優しくなでる様に、伸びてきた髪を手櫛で梳くように……あれ、そういえば?
「えと、どうかしましたか? ご主人様」
「や、なんか思ったより長く伸びてる気がしてな」
人間の髪は健康な状態であれば一か月に一センチメートル程度のペースで伸びるそうだが、ここ二か月ほどでアニマの髪は六センチメートル程度は伸びている気がする。出会った当初より早く伸びているので、元からこうだったというわけでもない。
「何か、悪い事だったりします?」
「どうだろう? 痛んではいないみたいだし、大丈夫かな?」
一旦止めた手をまた動かし、髪をかき混ぜてみると、しっかりとした手触りを感じた。
髪を縛っていれば早く伸びるという話はあるが、習慣的にきつく縛られ続けた髪というのは、よくよく見てみれば髪の一本一本が薄く潰れていたりする。
間違いなく物理的に伸びはするし、毛根の成長も多少は促すという話もあるが、毛に悪影響を与える場合があるのは確かなので、アニマにもアンナにもそういう真似はさせていない。
ついでに、スケベな人は髪の伸びが早いという話も聞きはするが、あれは毛髪の伸びを阻害するストレスが上手く発散できているだけ、というような話である。女性ホルモンの分泌が活発になれば本当に伸び易くなる可能性もあるそうだが、ここまで極端な結果は出ないだろう。
「……?」
「まぁ、そろそろ流そうか」
「あ……」
残念そうな声は聞こえたが、程よく泡をたたえていてそれなりに重さもある生暖かい緑色の塊から手を抜き、シャワーの湯を当てながら泡を洗い流していく。
手触りがつるりと滑る泡まみれの髪から滑らかな濡れ髪に変わり、頭皮にもシャンプーが残らないようにしっかり洗い流せたと思った辺りでシャワーを止める。軽く撫でながら蓄えられている多量の水気を払いつつ鏡を見ると、またアニマと視線が合った。
「頭はこれで終わりだよ」
「……はいっ」
少しだけ残念そうな顔を見せたアニマは元気に返事を返し、濡れた髪をひとまとめに首の横から前に垂らして、濡れた寝間着を脱ぎ始めた。
体を洗い終えた後、光沢で体の線を目立たせる黒い布地は名残惜しいが、体を洗うために脱いだ衣類を着直させるのもなんなので、雑に畳んで置いてある。よって、湯船に浸かるアニマの体を包んでいる衣類は濃紺色の競泳水着のみである。
本来は競泳用であるという点は申し訳ないが、少なくとも、水着としてなら比較的真っ当な使い方をされている気はする。
そして、黄色味を帯びた俺とは違うアニマの白い肌は、基本的に常時布が触れてはいるものの特に荒れている様子はなく──というより荒れても回復魔法で治すため、表面はきめ細かく綺麗なものだ。
体毛に包まれていた頃も別に嫌いだったというわけではないが、薄桃色に染まる今の手足もやはり素晴らしいと思う。
「あ、そのせいもあるのかな?」
「えと、何がです?」
「アニマの髪がよく伸びた理由。腕も脚も毛が生えないようにしたから、その分の栄養が髪に回ったのかなと。ついでに、アニマは獣人族、精霊の加護で肉体が変化した人間の子孫なんだから、伸ばしたいと思ってたら髪ぐらい伸びそうだ」
「確かに、なるほどです。……ご主人様は、髪の毛は長い方が好きなんですよね?」
「そうだな。洗う手間は増えるけど、触るのも弄るのも長い方が楽しくて好きだよ」
「ありがとうございます。えへへ」
そのまま髪を手で弄っていると、少し肩紐のずれたのアニマの肩が目に付いた。朝食ごろからほぼ着たままだったので、水着の肩紐の形がかなりくっきりと肌に残ってしまっている。
風呂に入るにあたって外した革のチョーカーは何の跡も残していなかったのだが、競泳水着もそうとはいかなかったらしい。とはいえ、水が入らないようにそれなりに締め付ける構造にはなっているわけだし、アニマの水着はあまり余裕がない大きさだから仕方ないとは思う。
……まぁ、サイズはわかったし、今度出掛ける時にもう少し余裕があるのを買おうかな。
「ぇー」
「……」
俺の嗜虐心を煽りにきたアニマには悪戯をプレゼントして、満足したところで風呂掃除を始めた。
一般的に言えば『悪戯』より『お仕置き』の方がいくらか近そうなのだが、『お仕置き』と言わないのにもちゃんと理由はある。というのも、アニマはなんというか、俺からされることは全て受け入れるような所があるからだ。
アニマが嫌がる行為の大半は俺が嫌がる行為に含まれているため、アニマが本気で嫌がる行為を『お仕置き』と称するのは抵抗がある。
結果として、内容としてはヌルいものであるとしても『お仕置き』と称する行為そのものは嫌がってもらう、という普通に見れば妙な約束を交わすことになって、今に至る。
その約束を交わして以降、アニマに対する『お仕置き』の実行回数は未だ〇回だが、軽く叱る程度でも反省はしてくれるので大丈夫だろう。きっと。
風呂掃除を終えたらもう一度、アニマと一緒に軽くシャワーからの湯を被って、水気をバスタオルで拭い、寝間着に着替える。アニマの寝間着もTシャツに似た普通の物だ。
脱いだ衣類を洗濯機に放り込み、起動してから洗剤を適量注いで、スイッチを操作して水音を聞きつつ寝室へ移動すると、アンナはテレビからこちらに顔を向けた。
「あ、あら、上がったのね、二人とも」
「ああ、風呂掃除もしたし、洗濯機も……あ、他に洗濯するものはないよな?」
「ええ、大丈夫よ」
「そっか」
どこか平静を保とうとしているような印象を受けたが、言及するところでもないかと、カーペットが敷かれた床の上に腰を下ろして、アニマに少しばかり体重を預ける。
「それで……えっと、行った先での話はあんまり聞かない方が良いんだったかしら?」
「面倒だけど、守秘義務とか一応あるからなぁ。まぁ、いくつかの班に分かれて森を練り歩いて、俺はコボルドを何匹か狩ったくらいだよ」
「それはまた、地味な狩りね」
「それだけ日本の魔物が少ない……というより、異世界の魔物が多すぎるのかな」
「……安全なのは良い事だと思うけど、難しいところよね」
「そうだな」
「………………ところで、その、痛くないの? アニマちゃん」
「ふぇ? いえ、今はなんともないですよ」
アンナの視線の先には、俺の手で背中を押さえられているアニマの姿がある。アニマはうつ伏せで左右に脚を開いていて、腰からへその辺りまでぴったりと床にくっついている。特に痛みを感じている様子はなく、声も普通だった。
アンナもそこまで体が硬いわけではないが、アニマのように一八〇度の開脚ができるほどではない。
「…………私も、できるようになった方が良い?」
「……とりあえず、必要性は皆無だから無理する必要はないぞ? 回復魔法やらを使えば割とすぐできるようにはできなくもないけど、それは嫌なんだよな?」
「だって……アニマちゃんはそういうのがなくてもできるようになったんでしょう?」
「あ、その点でもしかしたら関係するかもって話があるんだ。なんか、アニマの髪が伸びるのは結構早いだろ?」
「え、うん、確かに髪は早いなーとは思ってたけど、関係あるの?」
「獣人族の先祖は精霊が体を作り替えた人間だって話もあるから、理想としてる方向に変化し易かったりは、する可能性があるかなと」
「うー…………じゃあ、明日ちょっとだけお願いしたいんだけど、いい?」
「わかった」
アニマがちょくちょく体勢を変えるのを手伝いながら、アンナとは洗濯が終わるまで一時間ほど話し込み、洗濯物を干した後で川の字を書くように並んで就寝した。
………………
朝食を終えた後、異世界側の家とこちらの集合ポストに何も届いていないことを確認してから、一休みをして──
「じゃあ……とりあえず、私もアニマちゃんみたいにこれを着てからかしら?」
「いやー……これ、水着なんだけどなぁ……」
「水に入る時しか着ちゃいけないわけじゃないでしょ? 何か問題でもあるの?」
「肩紐とか、寝る前には消えてたけど結構食い込みそうだぞ?」
「……昨日はアニマちゃんにそのままやらせたんじゃなかったの?」
「……アニマ相手だと、加減がわかり難いんだよ……」
「それは……でも、私も、そのぐらいなら大丈夫よ?」
「…………うー……ん……じゃあ、良いけど、もう少し何かないか? 負担が減りそうな方向で」
「そうねぇ……下着の上に着る、とか?」
「…………じゃあ、それで」
アンナが着替えてくるのを待つべく、俺だけ先に空き部屋へ向かった。
室内プール用の上下一体型の衣類が由来になっているらしい袖のない上半身用衣類とブラジャーが組み合わさって、ブラトップ。
英語では本来レギンスと言うらしいのに、誤用だったはずのSpatsの方が伝わりやすい、腰から下の体形に適合する衣類。
アンナが着ている黒い下着は、上は首元まで覆うハイネックという形状のブラトップだし、下は太腿の半ばまでもないショートレギンス、ショートスパッツなどと言われる類のものだが、分類としてはそんな感じだ。
また、アンナにしては珍しく、今日のアンナは長手袋と長靴下も身に着けている。どちらも薄手の白いものなので、肌の露出自体は少ないがアンナの褐色肌はよく見える。
そして、その上には白い競泳水着。背中側はレーシングバックと言うらしい大きなX字があって、肩紐はちゃんとブラトップの上を通っている。もはや水着ってなんだっけという体の線を見せる服のような扱いであるが、妙に目が引き付けられる姿だ。
膝より短いスパッツの上にレオタードを重ねて着ている図は、見かければ目は引かれるものの、残念ながら主流ではないようであまり見かけることはない。たしか、エアロビクスだかの関係でなら比較的見る機会が多かったような──まぁ、流行が過ぎてしまったのだとは思うが、外で着るわけでもないので流行り廃りは関係ない。
あ、今アンナが穿いているスパッツは下着として直接穿くために作ったものだから、上着としての見せるスパッツとはまた違うか。
スパッツが見えるのははしたない、という意見もどこかで見た気はするが、女性のファッション事情は正直よくわからない。いや、これは『女性』とひとくくりに考えるのがいけないのか。
男性の趣味でも俺に理解できないものはいくつかあるように、女性同士でも共感できないことはあるだろう。ただ、少なくとも、黒い革のチョーカーまで含めたこの姿は、女性に人気が出る組み合わせではなさそうだな、とは思う。
と、色々考えているうちに、回復魔法も交えたストレッチを初めて三〇分ほどの時間が経っていた。少しずつ進めていたのでまだ前後左右とも一八〇度には少し届かない程度だが、それなりにアンナの柔軟性は増している。
「ずっとやってたし、ちょっと休憩しようか」
「……そうね」
アンナの息が少し荒くなってきた気がするので休憩を入れることにしたら、アンナは同意しながら体重をこちらに預けにきた。
「暑くないか?」
「私は大丈夫よ。ユーリこそ暑かったりしない?」
「俺も大丈夫だよ。疲れはどうだ?」
「そっちも全然。魔法を使ってたのも体を動かしてたのも大体は貴方で、私は任せてるだけだったもの」
「言われてみれば……じゃあ、続けるか?」
「んー、続きは良いんだけど、魔法はもうなしでいいわよ」
「大丈夫か? まだ開脚は厳しいと思うんだが……」
「私は全然頑張った気がしてないからいいの。やり過ぎちゃったときだけ回復お願い」
「まぁ、いいけど。できるだけやり過ぎないようにな?」
「……一応、気を付けるわ」
アンナの吸い込んだ息が俺の体重で圧迫され、少しだけ開いた口からゆっくりと抜けていく。
胴体がじわじわと床に近づいていくのをアンナと共に楽しみつつ、時折アンナの全身がいきなり強張って驚かされたりもしたが、それももう、あと少し。
「つっ、着いた、わよね」
「大丈夫、着いてるよ。この姿勢を維持したまま、ちょっと力を抜こうか」
「ええ、そ、そう、ね」
「や、無理に返事はしなくていいよ。よく頑張ったね、アンナ」
「んふふー……」
アンナの頭を撫でながら髪を整えると、その口から満足げな音が漏れた。
開脚に成功してからも少しだけストレッチを続けた後は、汗拭きやらマッサージを施したりした。
歩くのが辛そうだったので移動を手伝い、寝室に入るとアニマがPCの前から少し羨ましそうな目でこちらを見ていたので、アニマの頭を撫でてやる。
空いたところにアンナを座らせて、アンナが寝間着に使っていたTシャツを渡すと、アンナはそのまま上に着た。
「……見た目は、いつもとそんなに差はないな」
丈が長く、脚の付け根まで隠れるサイズのTシャツなので、ストレッチ中におぼろげに思い返した服装とは重ならない。
「むー……それだけ?」
「あ、いや、見た目についてだけならな。いつもと違う隠れた可愛さも良いな、とは思ってるよ?」
「そ、そう?」
「そうそう。で、アニマは何か見つけ…………いや、これホントに何を調べたんだ?」
アンナの頭を撫でてから、何か言いたげなアニマの方を向いて画面を見ると、キャラクターものではなく如何わしい方のコスプレをした画像が検索結果として並んでいた。画像そのものは成人向けじゃないのが救いか。
「えと、布の素材の名前を調べてた途中ですけど……濡れたような光沢を持たせる加工なんてあるんですね?」
「……そうらしいな。というか加工法の単語一個だけでこういう画像が出てるのか……このタブは?」
「衣装を販売してるサイトらしいですけど、注文とかは全くしてないので、ご安心ください」
「ん。……なるほど、単語の知識はここで見たのか。お、こっちは普通っぽいタブ……?」
「はい。えっと、サテンっていうこの布は、織り方が違うだけで光沢が出るみたいです」
「織り方だけで? へぇぇ……他には、エナメルの、布? レーヨンとは、ふむふむ……」
「その、調べてみたらご主人様も興味を持ちそうだなと思いまして……」
「ああ、こっちもよく見つけたね。ただ、あんまり変なサイトにはアクセスするんじゃないよ?」
「はいっ。えへへ」
一応の注意はしながら、アニマの頭を撫でて褒める。
「私も、もっと頑張らないと」
「……いや、ほら、アンナは料理と家事以外にも色々頑張ってくれてるし、俺は今でも十分嬉しいんだからな?」
「う、うん、ありがと」
手の届く距離に居たアンナを引き寄せ、腕を回して後ろから抱き締めた。




