10_5:アニマの運動
アニマ視点の閑話です。閲覧注意。
時系列は、第4章10話と11話の間です。
ぱかぱかと馬が歩く音と、がしゃがしゃという兵隊さん達の音、そして時々ぱちゃっという、水たまりを踏んだ水音が耳に届く。
魔族の国の王都での交渉が終わって、帰り始めてから国境まではあと半分ぐらい。
雨は少し前に上がってて、雲の隙間から今日のお日様が高く登っているのがわかる。道の左右は森じゃなくて、木のまばらな草原が広がってる。
ここまでご主人様と一緒に馬車に乗って進んできたけど、最近、体のあちらこちらに鈍っているような、動き足りないような感覚がある。
私以外にも警戒してる獣人族は居るし、ご主人様の好みから考えても、もう少し運動をした方が良い。
だからまずは、ご主人様の許可を得よう。
「その、ちょっと体を動かしてきたいんですけど、良いですか? ご主人様」
「ん? まぁ、良いよ。一応陛下からも許可は取っておく必要があるか。っとその前に、どんな風にやる気だ?」
「えっと、普通に走ろうと思ってます」
「そっか。雨が降った後だから、体を冷やさないようにね」
「はいっ」
ご主人様に心配を掛けるのは申し訳なく思うけど、心配してもらえる事を嬉しくも思う、複雑な気分だ。
ご主人様と一緒に馬車から飛び降りて、前を進む馬車に乗っている国王陛下から許可を貰う為に早歩きで近付いた。
「──で、私は許可を出そうと思っているのですが、よろしいでしょうか」
「そうだね、許可はするよ。大丈夫だとは思うけど、気を付けてね」
「はい。それでは」
「うむ」
無事に許可も得られたところで、一旦元の馬車に戻って準備を整える事に。
「身を守るためにも、鎧は再確認しておこう。脚力の補助も要るか?」
「あ、そうですね。えと、補助の方もお願いします」
体を動かすという目的だけなら補助はない方が良いんだろうけど、ご主人様が付けてくれる補助があれば、私はより速く走れるようになる。
ご主人様の下で役立ちやすい鍛え方をするのなら、補助を付けてもらった方が実際の状況に近くて良いはず。
……単純に速く走れるのも気持ちいいから、ご主人様の言うところの一石二鳥、です。
ご主人様からは心配したい心と、しつこくし過ぎて嫌われないかと不安に思ってる心が伝わってきた。ご主人様の心はいつも複雑だ。
「よし、じゃあアニマ、気を付けてね」
「はいっ、いってきます」
今回感じられた感情はどちらも特に嬉しいものだったので、笑顔で答えて馬車から降りた。
柔らかくぬかるんだ地面を蹴りながら、軍からあまり離れ過ぎない範囲を高速で駆け回ります。軍が近くを通ってるだけあって、動物はあんまり居ない。
普通だったら走れないぐらいの速さなのにほとんど疲れなくて、景色がぐんぐんと流れていくこの感覚は、とても楽しい。
馬車のゆっくりとした移動も悪くはないとは思うんだけど、やっぱりあれだけ続くと太……鈍っちゃいそうだし。
でも今は今であんまり疲れもしないから、このままだと駄目そうな気がする。
「どうにかして、疲れるようにする?」
一番目的に近付けそうな事を呟いてみるけど、具体的にどうすれば達成できるかは、すぐには思いつかない。
そういえば、コボルドとその上位種が居る西の森に連れていってもらった時も、アンナさんが居た砦に攻め込んだ時も、私はご主人様に背負われていたっけ。
走り続けながら考えていると、ふと昔の事を思い出した。
そして、筋肉は脂肪より重いという話は聞いた事があるから、このまま私が筋肉を付けるとご主人様に背負われる時に、ご主人様の負担が増える事になっちゃう。
ならいっその事──
「うん、やってみよう」
思いついた事を試すために、ご主人様の乗っている馬車へ向かって走り始めた。
「……うん? えと、もう一回言ってくれ」
「えと、はい。ご主人様を背負って走ってみたいんですけど、駄目ですか?」
「いや、そりゃ、駄目って事はないけどさ」
「だったら、お願いします。降りたい時は言ってもらえればすぐ降ろしますから」
「……わかったよ」
アモリア殿下達はなんだか呆れた様子だったし、ご主人様は深いため息を吐いてからだったけど、応じてくれた。
ご主人様は私に背負われる事を恥ずかしがっているみたいだけど、思考が速くて詳しくは読み取れない。
私ももっと頑張らないといけないな、と気を引き締め直して、馬車から降りた。
思った通り、足に掛かる負担は鍛えるのに丁度良さそうなぐらいだった。
初めは戸惑っていたご主人様も私が出せる速さには驚いたみたいで、私と一緒に楽しんでくれるようになった。ご主人様の体重移動も、段々と私が走り易いように整ってきている。
ご主人様の力は同じ力で固まっている物とは好きなようにくっ付けられるから、重さ以外の負担は小さい。
今はまだちょっときついけれど、もっと鍛えていけば騎士を乗せる馬のように──いや、馬よりももっと的確にご主人様の足として働けるようになってみせる。
目標をしっかり見定めて、ちょっとだけ加速した。
ただ、鍛えられるのは良いんだけど、強いて言えば、鎧越しにしか触れてないのが残念かな。
鎧越しじゃなかったらご主人様の感触が背中に…………?
考えていた事がご主人様にも伝わったらしく、お互い変な気分になってきてしまった。アモリア殿下達に配慮して我慢していたご主人様に申し訳ない。
少し速度を落としながら、別の事を考えるために、声に出して先程不思議に思った事を聞いてみる。
「あの、ご主人様」
「ん、ああ、なんだ?」
「その、私に背負われる事を恥ずかしがってたのは、なんでですか?」
「そりゃあ、背負うっていったら普通は子供や弟や妹とか、体格の小さな相手にするものだからな」
……言われてみれば──
「あ、その、別にご主人様を子ども扱いしたわけじゃないですよ!? ほら、私は獣人族ですからご主人様より素の力は強かったりしますし、私がご主人様を運べるようになれば色々できそうでしょう?」
「まぁ、確かにな」
「ですです。今の私の事は、言葉を喋れる馬だとでも思っていただければ良いんですよ」
「う、馬かぁ……」
ご主人様の言葉が小さくなって、何かを思い出しているのが伝わってくる。
……ぽにーがーる? えすえむ? ぼんでーじ……? あ、なんだか具体的なイメージが……!?
「え、えっ!? 地球にはそんな物が!?」
「うわ駄々洩れだったか!? とりあえず一般的じゃないよ、ってアニマ、前前!」
「えっ? あ、ひゃぷっ、ごぼっ!?」
「ごぼ……」
突然、上下がわからなくなった。
「へぷしゅっ」
「あーあー……ほら、ハンカチ」
「しゅみません……」
焦っていた私からご主人様が降りて、抱き上げるように持ち上げてくれた。
私はご主人様を背負ったまま、浅く小さな池だけど勢いよく突っ込んじゃったから、顔が濡れて鼻からもちょっと水が入ってきた。
ただ、ご主人様の作った鎧は水が染みこんだりはしない。顔の辺りが開いていたから少しは濡れちゃったけど、それもすぐ乾くぐらいでしかない。
池に入ったのにそのぐらいで済んでいるのはやっぱりすごいと思う。
「とりあえず、もうちょっと落ち着いたら、馬車まで戻ろうか」
「は、はいっ。えと、それでは私の背中に……?」
「いや、俺が背負うよ。アニマは脚が震えてるじゃないか」
「う、すみません」
自分では気付かなかったけど、疲れが思ったより溜まっていたみたい。
この脚でご主人様を背負うのはちょっと無理をする必要がありそうだから、今から更に心配させてしまうのは、流石に気が引ける。
「それに、池に突っ込んだのは俺が気を逸らしちゃったせいでもあるからな。気にしない気にしない」
「ありがとうございま……ふぁ……ふぁ、へぷしゅっ。しゅみましぇん……」
「いいってば。じゃ、そろそろ行こうか」
「はい……」
「うん、ここは進路の前方だから、ゆっくりだけどなー」
私が気にしないように気を配ってくれているのがわかる。
あれ? 少しだけ残念そうに思っている心が混じってる。……えーと──
「……ぬれすけ?」
「げふっ……いや、濡れなかったからな。忘れるように」
「うー……」
「全く。そんな可愛い反応してると、悪戯しちまうぞ?」
「えと、どうぞ? 私はご主人様の奴隷ですから、いつでも、どこまでもお好きなようにしてください?」
「あー…………おう」
申し訳ない、嬉しい、可愛がりたい、いじめたい、好かれたい、支配したい。ご主人様の心は、私に向いたものだけでもそういった複雑な感情が渦巻いている。
ちょっと過激な心も小さく隠れているけど、私を大事にしたいという心が圧倒的に大きいのは確か。
そして私は、ご主人様の奴隷。自分でそうありたいと望んだからこそ、ここに居る。
そのまま私が終わるまで──死にたいとは思わないけど、私の死がご主人様以外の手でもたらされるのは、嫌だな。
「アニマ、何か物騒な事を考えてないか?」
「……ちょっとだけ」
「はぁ。少なくとも後何十年かは付き合ってもらうつもりなんだから、そういう事は忘れな」
確かに、これからの楽しみを陰らせてしまうところだった。これではいけない。
「そうですね、すみませんでした。その……」
「はいはい、存分に悪戯させていただきますよ?」
「はいっ」
「全くもう。……ありがとうね、アニマ」
「どういたしましてです。えへへ」
恥ずかしかったり、もしかしたらちょっと痛かったりはしそうだけど、その先には確かにご主人様とのより強い繋がりが待っている。
それがわかっている以上、悪戯でもなんでもご主人様からもたらされるものは怖くない。
「……? あ、お仕置きは怖いです。ごめんなさい」
ご主人様は「ならいい」と小さく呟いてから、撫でてくれた。
うん。『ご主人様からのお仕置き』は内容に関係なく怖がらないといけない。忘れないようにしよう。




