01:地下でのひと時
「うーん……やっぱり呼び方はユーリにするわね。慣れてないなら慣れていけばいいのよ。うん」
ベッドでしばらく寛いでいると、先程まで悩んでいた様子だったアンナが何やら言い出した。
「アンナの好きな呼び方で構わないが、なんでまた?」
「私が好きになったのはエルの中身だもの。……外見と中身がそれぞれ独立する、なんて事があるとは思わなかったけど」
「それは、確かに俺も思わなかったな。あのままエルヴァンとして生きるもんだと思ってたし」
「それに、エルとして生きててもユーリの名前に愛着はあったんでしょ? 結構いろんな物に書いたり彫ったりしてたわよね?」
「愛着がなかったとは言わないけど、あれはどちらかといえば俺の持ち物であることを示す模様って感じだな。この世界に来なかったら、読めないままだっただろ?」
「……確かに、そうね」
俺という意識は『白井悠理』という名前の身体で生きた経験が確立したものであり、これは俺を指す名前として認識していた。
しかしアンナの知っている俺、『エルヴァン・イルビデム』という名前の身体で一八年間生きてきたのも、確かに俺である。
その後は再び『白井悠理』の身体に戻り日々を生きているという、改めて考えてみても奇妙な状態だ。
俺がエルヴァンになっていた理由は不明なままなのだが、この身体に戻った理由は駆が使った【蘇生魔法】である。
仮説としては、エルヴァンの身体を支配する生霊だった俺が仮死状態だった体に戻された、とか、オカルト染みた表現をすればこんなところだろうか。
母親の腹の中に居た頃からあの身体は俺の支配下にあったし、俺以外の別の意思にそれを邪魔されたような記憶もないので、妙な気がする仮説ではある。
しかしエルヴァンの身体は、俺と分離(?)した後で改めて自我を持ったらしいので、この線が一番あり得そうだ。
いや、そもそも霊魂がどうのというだけで記憶と経験を持ち運べるのかというと、体験した上で尚、今一つ断言しきれないところではあるのだが。
まぁ、俺の経緯はひとまず置いておくとして。
エルヴァンの身体で生きている間に得た戦闘経験や、【固定】と名付けたあの世界の力はとても役に立った。
その経験を積ませてくれたエルヴァンにも恩があると言えなくはないので、俺じゃなくなった後のエルヴァンの身体については、とりあえず幸福に生きてもらいたいところである。
アンナは今の俺の下に来てしまったが、まぁ、それはそれだ。来てしまったものは仕方がない。仕方ないとして──
「……どうかしたの? ユーリ」
「いや、少し考え事をな」
「?」
説明する分には楽だったが、アンナがあの短剣を持ち込んでいたという事実は、中々に考えさせられる。
アンナが腰に差していた短剣に俺の名前が彫ってあった理由は、その短剣の元の持ち主が俺だったから。誕生日に何か欲しい物はあるかと聞いてみたところ、あの短剣が欲しいと言われたので譲ることにしたという経緯だ。
エルヴァンがアンナ以外の子と付き合って子供まで作った後で、寝ている時に召喚されたアンナがその短剣を持ったままだった、というのはよくよく考えてみれば微妙に怖い話である。
まぁ、蔑ろにしなければ問題はないだろう。ない、はずだ。ないよな? いや、幼馴染だったアンナが俺の奴隷になっている時点で大問題ではあるのだが。
「その、アンナさんにもご主人様と呼ばせたりはしないんですか? ご主人様」
アンナに対する接し方をどうするか悩んでいると、若干不満げな様子のアニマが話しかけてきた。
「……奴隷になったとはいっても、アンナからそう言われると俺の違和感が凄いことになるからな。俺の為に行動しようって精神さえあれば細かいところは気にしないよ」
「ううん、そういうものなんですか?」
「そういうもんだよ。奴隷を奴隷らしく扱えってのなら、アニマが俺のベッドで寝て、俺と同じ食事を摂るのも変な話だし」
「うっ……そうですね」
「奴隷に着せる服を自分で作る主人なんて、俺の他に居るのかどうか?」
「わ、わかりました、気にしませんっ」
「それでいい。アニマがアニマなりに頑張ってるのはわかってるから、ね?」
「はいっ」
アンナと比べれば付き合いの短いアニマだが、接触の深さで言えばアンナ以上だ。
アニマについてはスリーサイズどころか骨格や筋肉の付き方まで知っているし、俺が作った衣類も多い。
アンナにそういう類の物を贈った事はない、というより作り方を覚えたのもこの世界でだから、作りようがなかったともいう。
……アニマとアンナって、よく考えてみると名前が似てるな?
「……アニマちゃんが着てる服を、エ……ユーリが作ったの?」
「今アニマが着てる長袖とズボンは違う物だぞ。靴下や手袋を含む下着類は俺が作った物だけどな」
「へ、へぇぇ……」
「……欲しいのか?」
「えうっ!? ……うん」
「今は糸が無くて作れないけど、まぁ……この戦争が終わったら作るよ」
「そ、そう? 悪いわね」
「いや、構わないよ。そこまで手間ってわけでもないしな」
アンナとこれからどう接するかも曖昧ながら決まりはしたが、変に気疲れしたのでベッドに体を横たえた。
「また寝るんですか?」
「やる事もないしな。一応最前線だし、いつでも動けるように疲れは取っておいた方がいいだろ?」
「まぁ、そうね。……ベッド、くっつけていい?」
「ああ、いいよ」
俺達が寝ている地下牢は壁と天井を【固定】で補強してあるので、砦が崩壊するような事があっても潰れはしない。
何かがあれば寝ていてもアニマが気付くだろうということで、平服のまま三人並んで普通に寝た。
………………
「ふぁ……うん」
昼寝を始めてから、しばらく時間が経ったころだろうか。俺の目は覚めたが、二人はまだ起きていないらしい。
水音がするので耳を済ませてみると、どこからか水が垂れてきては排水口に消えているようだ。外で雨でも降ってるんだろうか?
この世界の火薬がどんな物か、どんな管理をされているかは知らないが、湿気ったら大変そうだな。
「ごひゅりんしゃま……?」
若干寝ぼけてた様子だが、アニマは俺が起きたことに気付いたらしい。とりあえず頭を撫でておく。
「ふぇへへー……」
「……」
アニマはそのまま再び眠りに就いた。……まぁ、いいか。
首を回して反対側を見ると、眠りこけているアンナの姿がある。
アンナの頭も撫でてみると、こちらもさらさらとして──いない。石鹸を節約してたらこんなもんかな、という程度だ。
この世界に持ち込めたシャンプーは王都にあるので、帰ってから使わせてみようと思う。
眠気は覚めてしまっていたので左右からの寝息を聞きつつのんびりしていると、アニマが何やらピクリと動き、視線を向けると目が合った。
「おはようございます」
「おはよう。何かあったのか? 緊急ってほどでもなさそうだけど」
「はい、地下に降りてくる足音がいくつか……エドワルド様とホンドー様でしょうか」
「そっか。とりあえずアンナも起こすかな」
アンナを揺すって起こしたところで、俺達が寝ていた牢の前に足音の主が到着した。
アニマが言っていた通りここまで来たのはエドワルドと駆で、他には誰も連れていないようだ。
「こんにちは」
「ようっと、寝てたのか、すまんな」
「暇だったから寝てただけですし、構いませんよ」
アニマとアンナの二人も軽く挨拶を交わしている。
「それで、なんの用です?」
「場所が場所だったんで様子を見に来たんだが……なんっつうか普通にしてんなぁ」
「ありがとう、ございます? 暇すぎてダレてたところですけどね」
「あはは……図太いというか、凄いですね」
「緊張ってのは意外と消耗する物だから、この位が丁度良いんじゃないかな」
「いざって時に動けないよりはマシか」
エドワルドは俺の言葉に同意こそしたものの、溜息を吐いている。
「……並んで昼寝してただけですよ?」
「いや、なんで昨日の今日でそんな事やってんだって話だよ。知り合いだったのか?」
「知り合いといえば知り合いでしたけど、違うといえば違うというか……」
「煮え切らん返事だな」
「まぁ、ちょっと複雑な縁があったんですよ」
俺がエルヴァンだった件については、そのうち話すのもアリかもしれないが、駆達にはまだ話していない事なので曖昧にぼかす。
「……でなきゃ、同じ力は扱えるはずもないか。習得には年単位の時間が必要と言っていたが、学び方を知ってるのか? 何かの才能が必要だったりするのか?」
「才能はよくわかりませんが、使えるようになったきっかけは……まぁ、死ぬか覚えるかの二択を迫られたからですね」
「えっ……? ちょっとユーリ、なんの話?」
「あれ、知らないか?」
「私は気付いたら当たり前に使えるようになってたし、わからないわね」
アンナからは意外な反応が返ってきた。……案外、そんなものなんだろうか?
「どういう事だ? ユーリ」
「無意識にやってたんだと思いますよ。できるようにならなきゃ死ぬだけだったんで」
「? ああもう、知ってるなら言ってみろ」
「まぁ、いいですけど」
そこまで長い説明をするつもりはないが、一応エドワルド達にも座る物を用意してから実演を始める事にした。
まず、【固定】で作った透明なコップに水を注いで見せてみる。
「簡単な例えになりますけど、ここに水がありますね?」
「ああ、そうだな?」
「で、これに緩く力を掛けます。そうすると……」
「む……」
「あれ、水の動きがゆっくりになりました……?」
掛ける力の加減で流動が遅いだけの物も作れるのが【固定】である。一か〇かだけではない。
俺がコップを振る動作にあわせて動く水は、流動は遅いのに飛沫が落ちる速度だけ通常通りという、不思議な動きを見せている。
「では、この水を飲んで喉を潤そうとした場合、どうなるでしょう?」
「えっ……? と、どうなるんです? 白井さん」
「掛かっている力を解除しない限り、血管が破れたり、内臓に負担が掛かることはあるでしょうね。もしくは、単純に吸収できないだけかもしれませんが」
「……」
「同様に普段の食事でも、解除しなければ噛み千切れないパンや肉があり、吸えない空気が流れていたりもします」
「……なるほどな。覚えなければ死ぬというのは、そういう事か」
「ええ、あちらの世界では母親の腹の中に居る時から、流れてくる血液が少なからず固まっていたり、生まれてからも水や栄養を摂るにはそうするしかない、という環境で暮らしています。親に助けてもらう事も全くないとは言いませんけど、虫ですら使える世界である以上は、そうでもしなければ死ぬだけですし」
「つまりは、ユーリかそっちの嬢ちゃんが付きっきりで世話をするのが習得のための第一歩である、と」
「使い方を覚えるまでにも色々ありますし、本当に第一歩ですね」
「へぇー……」
俺の話を聞いてアンナまで感心している。駆もその点は気になったようで、視線を向けている。
「なんでアンナさんまで感心してるんですか……?」
「言われてみれば覚えはある事だったから、かしら? ここまで詳しく認識してはいなかったけどね」
俺はエドワルドを見据えて、コップの中のゆっくり動く水を振りながら問いかける。
「で、どうします? これを飲んでみて、子供が物心つくまでに覚えていくような事を一気に学んでみますか? 当然、それだけで確実にできるようになるなんて保証は無理ですし、できたとしても鍛えなければ弱いままですけど」
「……そっちのアニマの嬢ちゃんは、ユーリが教え込んでても使えるようにはなってないんだよな?」
「いえ、アニマにはまだ教えてないですよ?」
「そうなのか?」
「俺らが召喚されてから魔王との闘いまで、元々は長くて三か月って期限だったじゃないですか。実用レベルにするにはいくらなんでも短いです」
「……無駄に広めても危険があるって話だったか」
「ここまで有効だなんて思いませんでしたし」
「そうだったな」
アニマに教えていなかった理由は今言った以外にも、単純に忘れていただけなんて事がなくもなかったりするのだが……アニマに覚えさせてみるのは、安全圏で時間を取れたらにしようと思う。
覚えたては割と本気で危ないので、こういう場所では流石に避けたい。王都に帰ってからの予定が着々と増えているが、そのあたりは仕方ない物として諦めておく。
さて、話題は一区切り付いたが、他に話題があるわけではないらしく誰も話を始める様子はない。
このまま見つめあっても仕方ないので、俺は自分の興味を優先してみる事にする。
「そういえば、外の天気はどうなってます?」
「下りてくる前は、雨だったな。見てくるか?」
「はい。周辺はじっくり見てなかったので、屋上辺りから周囲を見回せればと」
「……見張りの邪魔にならないよう、気を付けろよ?」
「そうですね、気を付けます」
エドワルドに断ってから、俺達三人は階段に向かった。




