02:西の森の探索
「そこの男、見ない顔だが何をしている?」
「……俺?」
「ああ、お前だ」
「すみません、怪しかったですかね」
「割とな。珍しい物でもあったか?」
「はい、随分立派な門だなあと。歩いて通り抜けるのは初めてでして」
街の中と外とを繋ぐ門を通り抜けようとしたら呼び止められた。
あちらこちらに視線を向けるのは怪しく映ったようだ。確かに、俺が門番をやっていても呼び止めた気はする。次からは気を付けよう。
「うん……? 身分を証明できる物は持っているか?」
「ええと、こちらと、こちらです」
「狩人の組合証と、……国軍の予備? ああいや、通達が届いていたか、おい」
「はっ」
声を掛けられた門番が駆けていき、書類を持って戻ってきた。
「ユーリ・シライ、特徴も一致しているな。なんの用でここに?」
「狩人として登録して、日帰りできそうな手頃な狩場を聞いたら西の森を勧められたので」
「なるほどな。無理はするなよ?」
「はい、ありがとうございます」
気を取り直して、門の外に出る。遠目には見えるぐらいだが、森までの距離はそれなりにあった。
そして、平原が広がっているような光景を漠然と想像していたが、門の外に広がっているのは農地だった。収穫はまだまだ先のようで、うろ覚え知識しかない俺には何が植えられているかもわからない。
門から直接繋がる道路は石で舗装されているが、土が剥き出しの横道もいくつか見える。
前回は馬車に乗っていて見逃したこの景色、飽きるまで眺めてみるのも一興ではあるが……とりあえず、今日の目的は狩りだ。
時刻は昼を過ぎているし、あまりのんびりしていると狩る時間が足りなくなる。日が暮れた後はあまり動きたくはないしな。
しばらく歩いても途切れない農地を脇目に、道路の脇、農地との間に生えている雑草の上に立って前回と同じく──いや、前回以上の【固定】の準備を始める。
用意するのは走行補助装置、俺が個人的に『怪物の脚』なんて名前で呼んでいる機構だ。……誰に言うわけでもないが、ネーミングセンスの乏しさに泣けてくる。
足腰の調子を見て屈伸しながら、関節を保護するために可動域を制限。そして気筒と接続して、走り出す。
日本人が気筒と聞くと自動車のエンジンを思い浮かべそうだが、俺のこれは違うもの──いや、そこまで遠くはないか?
とにかく、ピストンが押し込まれれば気筒内の空気が圧縮され、内部の空気圧によってピストンが押し返される。それだけの機能しかもたない単純な機構を【固定】で作り、脚の各部と接続したわけだ。
人間が、いや、動物が地上を普通に走ろうとした場合、それなりに大きな力の損失がある。重力による下方への加速を打ち消す力が必要になるからだ。
ハンググライダーでも使って揚力を手にするか、あるいは自転車のように地上を転がるのであれば、この損失は一応小さくできる。
重力に対して直角な平地しか走らないなら、もしかしたら筋肉の弾力を使って、『前方への加速』と『上方への体重を支える程度の加速』だけで、無駄なく走れる人も居るかもしれない。
しかし、起伏のある地面の上であればそうはいかない。上昇下降どちらであっても、平地より大きな『重力とは逆の方向への加速』が必要になるからだ。その加速をしなければ、重力の影響で走者が地面に激突してしまう。
他には一応、坂を下る際なら、関節を伸ばした足で衝撃を受け止めれば筋肉は使わない。だがこの場合、骨や関節が衝撃を受け止めることになる。これもまた、無駄に消費される力だといえる。
エルヴァンとして転生し、【固定】の力を扱えるようになった俺は、そこまで考えたところで『効率よく走るための最適な体の動かし方を覚える』という努力を放棄した。
速く走ることを諦めたのではなく、『気筒とピストンの精度を高める』という努力に切り替えたわけだ。目立つ無駄を放置する気は流石にないが、体だけで至れる最適解を目指す気は間違いなく失せてしまっている。
気筒とピストンを使うのにも理由はある。
例えば、【固定】で固めた空気は流動が遅くなるだけなので、単純にバネとして使うことはできない。
気筒とピストンを作り、気密をできるだけ高めつつ、摩擦をできるだけ少なくすることでようやく、バネのように力を蓄えられるようになる。
これを用意できればあとは簡単。『関節を曲げる動作』と『ピストンを押し込む仕組み』を連動させれば、様々な力を『関節を伸ばす力』として再利用できるわけだ。
勿論、この機構と繋ぐ部分と骨や関節のほか、股関節までしっかり【固定】で保護、補強してある。そうでなければ関節への負担が大きいからだ。
ついでに言えば、気筒内の気圧を少し高めにしていたり、ピストンがすっぽ抜けないような仕組みも入れたりしているが、それは良いか。
いずれにせよ、各部を適切に保護していただけの今までと比べて、運動能力が段違いに上がっているのは間違いない。
空気の軽さで鋼鉄以上の耐久性を、ついでに高い加工精度を誇るからこそ効率を出せる、ちょっと自慢したい一品である。……【固定】を広める気はないので、自慢できないのが少し残念だが。
ちなみに、グライダーや自転車を避けた理由は、遠目からでも明らかに目立つのと、森の中では使い難く、上下の動きの制限が大きいからだ。
馬車を引いている馬を驚かせるのは可哀想なので、馬車が見えたらやや減速しつつ大きく避け、農地を抜ける。
農地の外は平原で、そこと農地を隔てるのは簡単な造りの柵だった。……あまり魔物は出ないのだろうか? あるいは多少の損失を補える程の生産量を誇るのか。
あれこれ考えながら走っていたら、農地を抜けてから五分ほどで西の森に到着した。……とりあえず、『怪物の脚』のテストは終了、と。
ひとまず気筒は圧縮したまま固定。体との接続を解除して、普通に歩きながら森の中に入ることにした。
見た感じ、以前行った南の森と同じような広葉樹が広がっていて、歩きにくさも視界の悪さも南の森と同じ印象を受ける。……まぁ、人の手はあまり入っていないように見えるから、徒歩数時間圏内で森林の植生がころころ変わったら妙な話か。
今回の狩猟の主目的は、コボルドと呼ばれる魔物である。
コボルドの見た目は、簡単に言えば武器を持って二足歩行する犬らしい。少なくとも、こちらで読んだ本に描かれていた挿絵ではそうだった。
コボルド=犬人という姿は、テーブルトークRPGだとか、TVゲームのデザインだった気がするんだが……名付けたのはそれより後にこっちに来た地球人か? あるいは、【伝達】にそういう日本語が登録されただけか?
犬型だけあって中々に大きな声で吠えるらしく、それが同種の魔物を招き寄せるとかなんとか。噛みつくのに適した顎と歯も持っているため、魔物としてのランクはゴブリンより一つ高いCに分類されている。
因みに今は森に入って一〇分ほど歩き回ったところ。いい加減現物を見てみたいのだが、中々遭遇しない。
遠吠えでもしてくれないかと耳を澄ませていると、微かな鳴き声が聞こえた。
数秒悩んだ後で、行動を決定。声が聞こえてきた方向に一分ほど進んでみると、そこには狩人らしい集団が居た。
「……狩人か?」
「ああ、今日登録したばかりの狩人だ。あんたらも狩人だよな?」
「その通りだが、なんの用だ?」
「今日はこの森にコボルドを狩りに来たんだけど、全然遭遇できなくてね。遠吠えが聞こえたから来てみたんだが──」
話しながら倒れているコボルド達に目を向け、思わず溜息が漏れた。見た目が本の通りだったことは確認できたが、事切れて崩れかけているものしかいない。
「一人で来たのか? 仲間は?」
「仲間はいないよ。コボルドの悲鳴っぽい鳴き声が聞こえた時点で引き返すべきだったと後悔してるところだ」
「いや……命は大事にしろよ?」
「そりゃ大事にするが、なんの話だ?」
「お前…………まあいい。欲しい素材でもあるのか?」
「俺は金を稼ぎに来ただけだから、特にこれといって欲しい物はないよ。邪魔したね」
そういって狩人の──六人組と別れた。
それからもしばらく浅い所を歩き回ったが、本当にコボルドと遭遇する気が全然しないので、もう少し森の奥に進んでみることにした。……その油断が命取りに、なんてな。
単独行動は創作物ではよく危機に陥ったりするものだが、歩いてみると案外遭わないものだった。
とはいえ一応、森の奥に入っただけあって、流石に多少は遭遇するようになっている。
「ガルルル、ギャッ!」
「ようやく三匹目、っと」
コボルドが振るう剣を掴み止め、返り血を浴びないように蹴り倒しながら、果物ナイフ程度の魔法を飛ばして首を狩る。
「しっかし、居ないなぁ」
先程の狩人達と別れてから、丁度三〇分ぐらい経ったが、声に出して言いたくなるぐらいには微妙な成果だった。
群れを作らない習性があるならわからないでもないが、本にはコボルドは群れを作ると書かれていた。実際、先程の狩人のパーティーが倒したコボルドは複数だったんだが、俺は一匹ずつしか遭遇しない。
声の届く範囲が広いから『コボルド達はそれなりに広がって索敵をしている』という可能性も考えたが、コボルドの死体が完全に崩れるまで待っても次のコボルドが来る気配はない。
ゴブリンだったら数匹まとまって行動していたし、コボルドももっとガンガン戦えそうだと思ったんだが……ゴブリンより強いからこそ、か?
錆だらけとはいえ、今倒したコボルドなどは鉄製の剣を装備していた。木製の粗末な武器しか装備していなかったゴブリンとは雲泥の差である。
小腹が空いてきたので、近くにある木の幹を背もたれにして地面に座り、鞄からお気に入りのパンとソーセージを取り出して食べ始めた。
流石に人気の飲食店だけあって日本のスーパーの有名な銘柄並の味はある、気がする。
若干高価ではあったが、機械化はあまり進んでいないだろうし、香辛料も市場では割と高かった。農業や畜産などの第一次産業から大半を手作業でやっているなら、妥当だと思える程度の価格ではある。
今日の狩りの成果次第では、第二次産業あたり、小麦粉や解体後の肉、香辛料等を仕入れるところから手を出してみようかな? 勿論、消費まで自分だけで担当できる範囲に抑える所存だが。
…………。
「くあっ……」
あまりにも何もないんで思わず欠伸が出た。
周りでは時折、ちょっとした虫や小動物なんかが動いているのは見えるが、それ以外は何もない。
コボルドが飯の匂いに釣られて来ないかと期待してもいたが、そんな甘い話はなかったようだ。
……流石に、血生臭いお一人様ピクニックのまま終わらせるのはアレか。
多少狩れても変わらないんだが、できれば、金稼ぎだと言える程度には稼ぎたい。
少し探し方を変えてみるかと、近くにある背の高そうな木に登ってみることにした。
小枝をバキバキと折ってしまいながらも木を登り、【固定】の足場で高さを少々水増ししながら木の上に顔を出すと、少し離れた所にもっと高い木があった。
方向は把握したので【固定】の足場を崩しつつ、『怪物の脚』の準備を整える。これは道を走るのに使ったが、別に走るだけが能でもない。
足元の幹の頑丈さを確かめると、少しばかり心許ないが、十分跳べそうなことはわかった。
トン、トンと木の上を飛び跳ねて移動する。バキバキと折れまくる枝の音のせいで恰好はつかないが、数本の木を経由して一番高い木に取り付くことはできた。
そのままするすると──もとい、ガサガサと登っていく。上の方の幹はあまり太くなかったので、【固定】を使って蛇のように広い範囲に体重を分散させながら登る。
最後にそのまま【固定】の足場を伸ばして、周囲を一望できる高さを得た。
東に目を向けると、小さいが王城が見える。他は自然が多く、街は見えない。ただ、空気が綺麗なのか、遠くの景色もあまり霞んではいない。
空には何も飛んでいなかった。ワイバーンなりドラゴンなりが飛んでいればファンタジーだと思うが、狩人組合で聞いた通りなら災害でしかないので、見えないのは良いことなのだろう。
西に目を向けると遠くに雨雲らしい低く黒い雲が見える。……さて、雲の流れはどうだったかな、この辺り。
その雲を見ながら、早めに切り上げるかと考えていると、視界の端に煙が上がっているのが見えた。色は白めで、木の少し上ぐらいで拡散してほぼ見えなくなっている。距離は、走ればそう遠くはない。
ほんのり茶色みがかっているのは……なんだったか、二酸化炭素じゃなくて、二酸化窒素?
生身の日本人としてなら無謀だが、魔法やスキルを使える今なら、多少の山火事は消せる。たき火をしている狩人が居るなら、ちょっと話を聞いてみるのも良いだろう。
そう考え、煙の発生源に向かうことにした。
作ってあった【固定】の足場から力を全て回収し、『怪物の脚』の気筒内の気圧を一割ほど増やして準備完了。
煙のある方向で、木の幹に当たり難そうな道を考え、その道に沿うように跳ぶ。
久しぶりに絶叫マシンのような浮遊感を得ながら、着地によって位置エネルギーを動力に変換──要するに、高所から落ちる力で気筒内の空気を圧縮しただけだが。
そして関節に異常がないかをざっと確認し、俺は煙の発生源に向けて走り始め──
「…………ぐぬぅ」
──ようとして、一歩目で盛大に土を蹴り上げながら転んだ。……出力に対して、加速に掛ける時間が短すぎたか。