00:プロローグ
初投稿です。
自分でも小説を書いてみたくなって書き始めました。
拙い所も多々あるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。
………………
…………
……
「……! …………」
「…………」
何か、言い争うような声が聞こえる。
いや、どちらかと言えば一方だけが怒っているような印象か。
「…………?」
「…………だろ!」
怒られていた方も少し腹に据えかねて来たらしい。しかしなんというか、全身が怠い。そして、全身に違和感がある。
状況がよくわからないので目を開いてみ──ようとしたが、だめだ。きつい。
ゆっくりとしか動けず、体が休みたがっている。このまま眠ってしまいたい気もする。
「「……!」」
どうやら動こうとしたことに気付かれたらしいが、現状では対話を成立させることもできそうにない。
目はなんとかうっすら開いたが、焦点が上手く合わない。耳鳴りが大きすぎて周囲の音がよくわからない。息も苦しく、呼吸するための力が足りていない。
ただ、注目されているのと、あまり敵意は抱かれていないらしい、気がする?
俺に配慮したのか、先程までよりは声量を落として、また話し合い始めたようだ。聞き取れるほどの聴覚は戻っていないので、もどかしい。
とりあえず──全身の怠さは少しずつ抜けているようなので、目を閉じて少しずつ呼吸を深くしていく。
しばらくはまともに動けそうにないが、何かあったらそれまでだと諦め、なぜこんな状況になったかを少しずつ思い出してみることにした。
◆
俺の一番古い記憶は、小学校に入る少し前。
夕暮れ時、父と一緒にゴミを出しにいった帰りに、「今日覚えた、こっちが右で、こっちが左」などと言って頭を撫でられた時だ。
この時から『ちゃんと物事を思い出せるように覚えよう』という無意識が芽生えた気がする。あるいは、覚えられるようになったのがこの時だったのか。
これ以前の記憶を思い出そうとしたことは多々あるが、結局一度も思い出せなかったことも覚えている。
この時に挙げた手の左右が逆だったという嘆かわしい記憶は残っているのに、理不尽なものである。
苗字を含めて、自分の名前が白井悠理であると認識できたのは、さて、いつだったか。
漢字も含めてちゃんと覚えられたのは、小学校の三年生ごろだったと思う。
その後は、中学高校大学と多少グレかけつつも普通に育った。身長はそれなりに伸びて体格もがっしりとはしていたが、スポーツはやらなかった。
会社に入ると同時に一人暮らしを開始。大企業の一番下の歯車として働き、食事・睡眠等以外の時間はテレビや漫画や小説やゲーム、時には適当にネットサーフィンで潰す。
そんな、ありがちな会社員生活を送っていた。
そして、あれはたしか、二五歳になった年が終わり、年が明けた後、最初の満月の日だったと思う。
普段は月齢など全く気にしてはいなかったので、もしかしたら一日二日ぐらいは外れていたかもしれない。
風呂の準備を終えた後。シャンプーを切らしていたことに気付いて、買いに行くのに天気が悪かったら嫌だなと思った。
天気が悪かったらシャンプーのボトルに水を注いで薄めるつもりだったが、窓から空を見上げたら綺麗な月が見えた。
だから俺はこの日、買い物に出かける気になった。
近所の二四時間営業のスーパーまで自転車で向かい、シャンプーの詰め替え用パックと、ついでに安売りだったポテトチップス(大袋)やコーラ(二リットル二本セット)を(衝動的に)購入した。
購入した物をマイバッグに放り込んだ後は、少し運動しておこうかと自転車を押して歩く。
その帰り道で、猫らしき何かがトラックに轢かれかける場面に遭遇した。
まぁ、本当に遭遇しただけだ。
その時の俺は車道の脇、段差の上にある歩道をのんびり歩いていた。
そして、俺の横を通り過ぎていったトラックが、少し先の交差点で黒い小さな影と重なった、という話である。
俺が交差点に近付いても小さな影はそのままだったので、『更に後続車に轢かれるのは流石に可哀想だろう』というような感覚で拾ってやることにした。
倒れていたのは黒毛で、自転車の籠に入るサイズの猫。拾ってから大雑把に認識した情報としては、首輪なし、体温あり、出血なし、呼吸あり、意識なし。要するに、轢かれそうになったか頭がぶつかったかして気絶していたんだろう。
この小動物が飛び出してきた道を進むと、そう遠くない位置にそこそこ自然の残る山があったなと思い出し、俺はそちらに進路を変更した。
向かう途中でこの猫が目を覚まして逃げるならそれも良し、素人にわからない重症を負っていて自然に還るならそれもまた良しという判断だ。
ペットを買う、もとい、飼う趣味はなかったので動物病院がどこにあるかを知らなかったのと、そろそろ眠くなってきていたという理由もある。
結局、山の麓に来るまで何も変化が無く、この猫も寝たままだったので予定通り山に入った。
そのまま、LEDにでも切り替えられたのか、少し前からちらつかなくなった街灯がぽつぽつと立つ道を進む。
街の光がまだよく見える範囲、本当に山道をほんの少し上ったところで自転車から降り、そのまま道の脇に生えていた木の根元に雑に寝かせて、自転車に戻る。
自転車の横まで戻ったところで空を見上げて月を見ながら、今日はそこそこ新鮮な経験ができたかなと、数秒程度うっすらとした充実感に浸った。
その後、自転車を発進させようと視線を下げ、自転車を立たせていたスタンドを折りたたんだ所で、何か妙な感覚を受けた。
空を見上げる前より周囲が妙に明るくなっている気がした。何があったのかと周囲を見回して──
………………
──次に意識が戻った時は、しばらくは状況を理解できなかった。
五感がどれもうまく働かず、周囲を認識できなかったせいだ。
状況を理解し、受け入れられたのはそれからおよそ数か月後。
漫画や小説では比較的メジャーだった気がするアレ。記憶を保持したまま転生する、つまりは別の身体で新たな生を受けるという体験をしていたようだ。
ちなみに、意識が戻った時点ではまだ産まれるまで少し間があった、という余談も無くはない。
しかし、まさか本当に、現実に体験することになるとは思わなかった。
受け入れられるまでに時間が掛かった大きな理由は一つ。
ゲームの世界に本当の意味で入り込めるタイプのVRゲーム機が実現するまで年を食って、プレイ中に痴呆症でも発症したんじゃなかろうか、という疑問に対する回答を用意できなかったせいだ。
尤も、意識と記憶を保持したままの転生と本当に入り込めるVRゲーム、実現する可能性が高いのはどちらか、などと聞かれても回答には悩む所だが。
転生したと考えても、生きたままでも記憶や判断能力を失う場合もあるというのに、脳味噌ごと別物になってなお、記憶と思考を維持しているというのが意味不明である。
そして、白井悠理だった頃に、まぁ、なんだ。X指定だZ区分だといったのコンテンツにはそれなりに触れてきた。
もう少し言うなら、『空想と現実の区別をつけられるか?』という類の問いに、数える気を無くす程度にはYESと答えてきたわけだ。
その俺が、『記憶を持ったまま転生した』などという現実を素直に受け入れられないのは、当然のことだろう。
数か月という時間についても、自分の感覚を単純に信じて導いたわけではない。
懲役刑の受刑者用に数時間で千年も過ぎたような感覚を味わわせる薬を開発できる、なんてニュースを目にしたことはある。
これは簡単に言えば、百万倍の時間が経過したように感じる薬らしいが、流石に百万倍の速度で思考ができるようになる薬ではない。
現実に作り得る薬というのは、ライトノベルを一冊読むのに百年もかかったように感じる程度が精々である。……これはこれで絶望を感じられそうではあるか。
閑話休題。
一日が経過する間にできる思考は、前世と大差なかった。
もしかしたら数倍程度の差はあるかもしれないが、それでも倍率はせいぜい一桁。なら誤差だろうという判断だ。
少なく見積もっても丸一か月以上VRゲームをプレイし続けられる状況にあり、それまでの記憶や実感を一切持たない自分というのは想像し難い。
だからといって、記憶を持ったまま転生した、という現実を受け入れるのはまた難しいと言わざるを得ない。
だから、つい先程回想したように、新しい身体でも白井悠理の記憶を思い返す試みはしてみた。
結果として、子供の頃から意識を失う直前までの記憶は、悠理だった頃と同様に辿ることができた。いや、少なくともそのように感じたと言うべきか。
思い出せない漢字はいくつもあったが、そういう問題は悠理だった頃と変わりはしない。
答え合わせをしてくれる相手もなく、確認できる書物もない状況で、常用漢字を全て書けるほど国語力に優れた人などそうはいないだろう。……思い出せないのは俺だけじゃないよな?
記憶は唐突に途切れているが、今以上に消えていくこともない。赤ん坊から白井悠理の体に戻れるわけでもない。
なら、記憶を持ったまま転生した可能性が高い、という現実を受け入れて生きるしかないだろう。……自殺は、試してみようとは思えなかった。
こちらで付けられた名前は「エルヴァン・イルビデム」。前半が名前、後半が苗字だ。どこの家庭でも苗字はあるので貴族だったりはしない。
眼や髪は肌は日本人より遥かに薄い茶色系統で、稀に碧眼や銀髪も居た。顔つきは洋風(アジア系ではない、という程度の認識)で、割と美形が多いように見えた。
美形が多い理由は、歯並びや骨格の歪みを手軽に矯正する手段がありふれていた関係かもしれない。
周囲の文化については、電子機器の類は存在しなかったが、それ以外はある程度発展していたと思う。
電力や蒸気機関が発明されないまま二〇世紀に至った文明、とでも考えれば丁度良いところだろうか。
人と人との殺し合いなどを見ることもなく、それなりに平和で充実した日々。
ゲーム以外で狩猟を体験するのは初めてだったが、慣れることはできた。
勉強については、現代知識を披露して驚かれる場面などは訪れなかった。
数学は、円周率はせいぜい数十桁程度までしか求められていなかったが、効率の良い求め方は存在していた。三角関数の他にも、自然対数や、自然対数の底の求め方も存在は確認できた。PCでも無ければ非効率な方法なので、ほとんど趣味の世界だったが。
そして、『バケガク』と読める方の化学分野についてはほぼ全滅だった。電気や永久磁石が実用化されておらず、俺は俺でそれらを一から作り上げる知識を持ち合わせていなかったからだ。
文系科目は異世界でそうそう有効活用できるはずもない。強いて言えば、他人に読めない日記を認めるのに向いていたぐらいか。とはいえ、漢字の少なさは推して知るべし。一応、小学生が書く文と比較すれば、漢字が多かったとは思う。
転生してなお微妙な成績だった事実はともかく。それらとは別に面白い分野が存在していた。
魔法、と言うにはできることが少ない、ある程度体系化された念力とでも言うべき何か。
母親の無意識による胎教に耐えた成果か、俺も自然と扱えるようになっていた。訓練によってある程度使いこなせるようになったが、原理は正直、よくわからない。
しかし限定的な範囲に限るが、地球の物理法則と異なる現象を起こせる力は面白かった。
種によって差はあるものの、野生動物でも大なり小なりその力を扱えたために猛獣の類はそれなりに脅威だったのだが、まぁ、それは置いておく。
そんな風に知識を貯め込み、時折街を襲う猛獣を狩り、道具の製作や手入れなども経験する日々を過ごした。
そして一人前として認められ、自分の家も持ち、一八歳になった春。少々遠出はしたものの、いつものように狩りを成功させた次の日。
道具の手入れを済ませ、近所の皆と騒いでから自宅で就寝した──はずだった。
◆
そう。自宅で就寝したはずだった。
あれから思考を重ねること、数分ほど。ようやく目もある程度見えるようになってきて、耳鳴りも随分落ち着いた。
体はまだ怠いが、いつもの寝起き直後程度には動く。
普通に歩ける状態まで回復するにはもう少し時間を必要としそうだが、ここまでのペースからして、あと十数分もあれば大丈夫だろう、と思いたい。
とりあえず、体をゆっくりと起こしてみる。
床は石造りで、金髪碧眼でドレスを着たお姫様(?)がいて、足元にはうっすらと光る大きな円形の複雑な模様。……これは、魔法陣だったりするのか?
とにかく、俺はその西洋ファンタジー風の室内に寝転がっていたらしい。服は着ていた。
そして一番大きな違和感の正体が目に映り、納得すると同時に大量の疑問が湧き上がる。……本当にわけがわからない。
湧いてきた疑問を消化できずにいると、正面に居た、先程何か言い争っていたらしい二人の片方が俺に近付いてきた。
日本人に見える顔つきの、高校生ぐらいの普通の少年だ。
「あの、大丈夫ですか?」
「……? ……ズェッヒュッグェッホ、ッゲホ」
質問の意図がよく理解できなかったので聞き返そうとしたら、声を発そうとした直後に咳が出た。まだ発声には早かったらしい。
一連の咳が収まった所で、喉も多少落ち着いてきたらしい。ひとまず頷き、視線を向ける。
「ええと、日本人、ですよね?」
「ああ、日本人、ゲホン。……白井、悠理だ」
少年がまた質問を発したので、俺は先程回想したばかりの、この身体だった頃の自分の名前を答えた。
夢にしては感覚が現実的に過ぎるが、現実だとしても白井悠理としての最後の記憶から現状には繋がらない。勿論、エルヴァンとしての記憶からも繋がらない。正直、わからないことが多すぎる。
俺は大きく深く息を吸い込み、ゆっくりと溜息交じりに吐き出した。