第二十一話
「数多中尉ッ!! 数多中尉ッッ!!」
「鹿名、落ち着け! 無闇に殴ったってどうしようもねえだろ!!」
「黙れッ!! このままでは数多中尉が……」
私は言いながら、肩を掴んできた木高の手を振り払う。 そして振り向き、この状態で落ち着かせようとしてくる木高に文句の一つでも言おうとした。 貴様は助けようと思わないのかと。
だが、それは言葉にできなかった。 木高の顔を見て、そんなことを言える私ではなかった。
「……すまない」
「構わねえ。 それより、この壁を破る方法を考えるぞ」
今現在、あの異法使いと数多中尉は会話をしているようだ。 何を話しているのかここからでは全く聞こえない。 しかし、良い雰囲気とは思えない。 いくら手負いといっても、あの異法使いは化け物すぎる。 数多中尉一人に任せるわけにはいかない。
「焦るなよ、鹿名」
「……ああ」
木高も、数多中尉が受け入れた魔術使いの奴も、気持ちは一緒か。 私同様に、数多中尉に助けられたのだ。
私が数多中尉と出会ったのは、まだD地区支部に配属されてすぐのことだったか。
「精が出るな、新人」
「……はっ! お疲れ様です、数多支部長」
支部へ入って数日、地下にある訓練室で鍛錬に励んでいた私に声をかける人がいた。 通常鍛錬は既に終わっていて、新兵である私は担当教官に頼み、この訓練室を使わせてもらっている。 夜も遅いというだけあり、残っているのは私と警備員だけかと思ったが……まさか支部長が残っているとは。
「こんな時間まで、お仕事ですか?」
「それは俺のセリフなんだけどなぁ。 新人が残業ってなると、他の奴らも残らせないと示しが付かないんだよね、鹿名ちゃん」
「それは、申し訳ありません。 ……あれ、私の名をご存知だったのですか?」
私は数多支部長へ向け、頭を下げる。 数秒後に疑問点が浮かび、頭を上げた私を見ると、数多支部長はお茶を差し出しながら言った。
「俺の部下だ。 その名前を覚えるのは当然だろ? それより、少し休憩にしたらどうだ?」
「……はっ。 ありがとうございます」
最初に受けた印象は、部下想いの人だというものだ。 こういう人に出会うのは、生まれて初めてのことだった。
「よいしょっと。 それで、鹿名はどうして機関へ来たんだ?」
数多支部長は端にあったベンチに座る。 それを見て、私は一人分を空け、横へと座った。
「志望動機ですか。 それは、異法使いが許せないからです」
「異法使いが、ねぇ。 それは多くの法使いが思うことだ」
大きな図体で腕を組み、数多支部長は難しそうな顔をしていた。 私と同じ理由で入ってきた人も多いということは知っている。 そもそも、法執行機関と呼ばれる組織自体、そういう傾向ではあるのだ。 だからこそ、私もここへと入ってきた。
「両親を殺されました、異法使いに」
「……なるほどね。 それで、それをやった異法使いは?」
数多支部長は片目を開け、その目で私のことを見る。 困っているようにも見え、悩んでいるようにも見えた。
「死にました、機関によって、殺されたんです。 数多支部長、狼煙という異法使いを覚えていますか?」
「狼煙……ああ、昔、法使いに対して襲撃をしていたっていう、あいつか。 確かあいつは、俺が殺したはずだな」
私は、目を瞑って息を吸い込み、そして吐いた。 きっと覚えていないだろうと思い、だけどもそれを伝えたかったんだ。 私にとって、転換点とも呼べる日のことを。
「その日、私は自宅におりました。 そして、狼煙は私の家へと狙いを定めました」
「……」
「悲鳴を聞き、リビングへ向かうと、両親は死んでいました。 それを見た私はその場へ座り込み、声をあげることも逃げることもできず、狼煙はやがて私の方を向き、一歩一歩近づいて来たのです」
あまり、思い出したくないことだ。 だが、ここで、この人に話さなければいけないことでもある。 そうしなければ、私がわざわざここへ来て、この支部に入隊したこと自体に意味がなくなってしまう。
「そこで助けてくれたのが、数多支部長、あなたです」
「……まさか。 いや、そうか。 そうか……そうだったのか」
数多支部長は思い出したのか、目をパチパチと瞬かせ、大きな顔を両手で覆う。 そして息を大きく吐き、立ち上がり、そして。
「すまなかった、鹿名。 俺は一歩及ばず、お前の両親を救うことができなかった。 申し訳ない……ずっと、謝ろうと思っていたんだ。 今日ここで再会できたことを嬉しく思う」
数多支部長は頭を下げ、そして、涙を流したのだ。 申し訳ない、すまないと、言いながら。
……私は一体何をしたかったのだろうか。 それを伝え、どうして欲しかったのだろうか。 謝って欲しかったのか? こうやって、同情をして欲しかったのか? 思い出して欲しかったのか? 苦しめたかったのか?
いいや、違う。 私はただ……。
「頭を上げてください、数多支部長。 私は、あなたに恩を返したかった。 あのときは私も子供で、お礼すら満足に述べることができなかった。 ただただ泣き叫ぶ、子供だった」
「……恩、か」
数多支部長は頭を上げ、赤くなった目で私のことを見る。
「あのときはありがとうございます、数多支部長。 今度は、私が強くなり、数多支部長を助けて見せます」
「はは、はっはっは! 何を言うかと思えば、また生意気な新人だな。 だが、そのときが来たらよろしく頼む。 約束な」
豪快に笑い、再び数多支部長はベンチへと腰をかける。 それを見て、私はどこか安心していた。 同時に、この人には何があっても付いて行こうと、そう思ったのだ。
「だが、鹿名。 一つだけ忘れないで欲しいことがある」
「はっ。 なんでしょうか?」
そのときの雰囲気は、私が感じたことのないもの。 怖くはないし、威圧されるようなものでもない。 だからといって、柔らかいものでもなく、穏やかなものでもなかった。 強いて言うならば、それは数多支部長という一人の人間の、言葉だ。
「異法使いや魔術使いを嫌う法使いは大勢いる。 だが、同じ人間だ。 もちろん悪事を働く奴もいるさ、そういうときのために執行機関があるんだしな。 でもな鹿名、同じ人間ということだけは、忘れては駄目だぞ」
「……はっ!」
言いたいことは分かっていた。 だが、どうしても異法使いを前にすると、それを守れるとは思えなかった。 小さい頃のことが切っ掛け……と言えば、言い訳にはなる。 しかしそれで我を忘れてしまうのも、事実であった。
人をまるでゴミのように殺す異法使い。 殺しという行為を楽しむ異法使い。 無差別に殺人を行う異法使い。 ところ構わず憎しみをぶつける異法使い。
この世はとても、共存できるような状態ではなかった。
「作戦いいか? 鹿名、不。 俺と鹿名のタイミングが最重要だからな」
「分かってる。 早くやるぞ」
約束を果たすときがきた。 ここで数多中尉を助けず、いつ助けるのか。 ここで何かをできなければ、返さなければ、いつ返すのだ。 そう言い聞かせ、そしてそれがかつてないほど、私の心を落ち着かせていた。
「一箇所に集中して突破する。 法、魔術、それと木高の剣でなら、可能性はある」
「おう。 タイミング間違えんなよ、鹿名」
「私がそんなミスをするわけがないだろう。 お前が思う最高のタイミングに合わせてやる。 だからお前こそ力を抜くなよ、木高」
木高とは、喧嘩こそ多いものの、戦闘面での息はピッタリだった。 そしてこいつの境遇も、私と似たようなものだった。 だからこそ、きっと数多中尉は私と引きあわせたのだろう。 そういう気遣いもまた、あの人らしい。
不のことは、詳しくは聞いていない。 だが、不もまた、数多中尉には随分懐いているようだ。 あの人ならば、もしかしたら共存という道を示せるのかもしれないな。
未だ、矢斬と数多中尉の戦闘は始まっていない。 まだ、間に合う。
「行くぞ、鹿名ッ! 不ッ!!」
「ああ、法……執行ッ!」
「おーけぃ。 魔術執行」
不の魔術を最大限使うため、二人の使い魔は一旦姿を消させている。 不の魔術は水を操作するもので、今はごく少量の水を細く鋭利な刃物とし、壁へと突き刺すために操作している。
「うぉおおおおおおおおおらぁああああああああああああああ!!!!」
木高は叫び、巨剣を振り下ろす。 そのタイミングを見て、完璧に私は合わせる。 同時、不の魔術が壁へと一瞬だけ突き刺さり、その部分目掛け剣は降られた。
激しく当たり、振動は壁全体に伝わり、衝撃が外部と内部に伝わってくる。 私は全身全霊を使い、更に加重を強化する。 回路が痛み、悲鳴をあげていたが、気に留めている暇はない。 私は約束を果たすために、数多中尉を助けなければいけないのだ。
「いいいいけえええええええよおおおおおおおらあああああああああ!!!!」
バキッという音が響く。 それが鳴ったあと、ことの終わりは簡単なものだった。 見えない壁、全体に亀裂が入り、ガラスのように破片が散らばる。 瞬間、外の空気が一斉に中へと入り込む。 砕けた透明の欠片は粉々となり、やがて元から存在しなかったかのように、消滅した。
「断る。 悪いけど矢斬戌亥、君のその提案に乗ることはできないよ。 俺はあくまでも、ただの法使いだからな」
「そう言うと思ってた。 だけどね、数多さん。 俺にならそれは可能なんだ」
間に合った。 この距離ならば、数秒もあれば数多中尉の元へ行くことは可能だ。 こちらが全員揃えば、ジリ貧となっても負けることはない。 既に応援は呼んでおり、別部隊が駆けつけるのも時間の問題。 更に、矢斬は私たちが抜けだしたことには気付いていないな。
だが。
「だから悪いけど、数多さんにはここで退場してもらう。 せめてその死が無駄にならないよう、俺は頑張るよ」
「……すまない」
矢斬の言葉に、数多中尉はそう返した。 それは、矢斬に向けたものではない。 その言葉は、私や木高、不に向けたものだった。 そして、その言葉が意味することは。
「数多――――――――」
「苦しめはしない。 あんたは法使いながら、俺のことを知ってくれた。 さようなら、数多さん」
「が……はっ」
ポチは一瞬で間合いを詰めたかと思うと、残った左腕で容易く、数多中尉の体を……貫いた。 そしてそれを引き抜くと、大量の血が数多中尉の体から流れだした。
「……数多、中尉?」
「ん。 あれ、驚いた。 あの壁を破ったのか、自ら。 やっぱり君たちは想像以上かもしれない」
「おい、お前……テメェ、てめぇええええええええええええええ!!!!」
木高が横から飛び出して行き、矢斬へと向かう。 それを視界の隅で見たが、私の体は弱々しく数多中尉の元へと向かっていた。 不は、その場から動こうとしなかった。
「数多、さん。 数多さん? 大丈夫ですか」
「……しか、な……か」
「はい、私です。 今、法で治します」
傷口に触れ、治癒の法を使う。 専門でもないせいで、焼け石に水だったかもしれない。
「むだ、だ……しか、な。 さいご、いってお……く。 みちを、たがえるな、おまえの……ぐふっ……みちを……すす、め」
「数多さん?」
体に触れた。 まだ熱を持ち、私の手は数多さんの血で赤く染まった。 体を揺さぶっても、数多さんは一切反応をしない。 もう既に、息はなかった。
別れの挨拶すら、できなかった。 約束を果たすことができなかった。 守ることも、できなかった。 もしかしたら、私たちがいなければ数多さんは助かったのかもしれない。 私たちが捕らわれていたからこそ、数多さんは本来の戦い方をできなかったのかもしれない。
いいや、それ以前に私が弱かった。 守るべく力も、戦えるだけの強さも、持っていなかった。
「……数多さん」
その場に座り込み、私は何もない空間を見た。 不思議とそのとき涙は出なかった。 それよりも、私はひとつだけ、確信したんだ。
「お前らはさ、人は死なないものだと思っている。 そりゃゲームとか小説とか世界に溢れている娯楽物なら、人は簡単に死なないよ。 でも、これは戦争で、これは現実だ。 人は簡単に死ぬよ、法使い」
「……貴様は、貴様は人間か、異法使い」
私は立ち上がり、背後にいるポチを見つめる。 木高は遠くで倒れており、意識を失っているようだった。 不は今尚、その場から動こうとはしていなかった。
「人間さ。 お前と同じ、そこで死んだ数多さんとも同じ、人間だよ」
「誰が、認めるか」
拳を目一杯の力で握り、唇を強く噛む。 血の味と、両手から血が垂れ落ちるのを感じる。
「さぁね。 もしもそれを否定したいのなら、俺という存在を消してみろ。 今日この日、俺はお前の記憶に焼き付けられた。 恨め、憎め、殺したいと思い、死んでくれと願え。 お前らの憎悪がいつか俺の喉元に辿り着くのを楽しみにしているよ」
「ああ、そうだな。 そうさせてもらう」
精々、私はそう言い切る。 勝てないということは分かっていた。 最早、精神状態的にこの状態で戦っても、勝ち目はゼロに等しい。 そんな冷静に判断できている自分が嫌いになりそうだ。
「それじゃあバイバイ。 また会おう」
「――――――――必ず、殺してやる。 化け物め」
「いい顔だ」
そこで、私の意識は途切れた。




