第十二話
私は目を瞑った。 そして、心を落ち着かせた。 冷静に、怯えずに、怖がらずに、だけど確かな殺意を持て。 優しさは切り捨てろ、慈悲は切り捨てろ、ただただ殺すことだけを考えろ。 かつて教えられたことを頭の中に張り巡らせる。 だが、あのときの私とは違う。
もうひとつだけ、思うこと。 ここで仲間は絶対に殺させないという、確かな想いも持て。 そして、ポチさんに教えられたこと。
「見捨てる覚悟も必要だ。 だけど、その覚悟を持つなら見捨てない覚悟を捨てるということを理解しろ」
生憎、今の私には前者の覚悟は持てそうにない。 だから、私が持つのは見捨てない覚悟だ。
「驚いた、五刀を避けるとは。 だけど、私の範囲を見切れないのもまた事実。 悪いことは言わない、引いたほうが良い」
「んじゃーよぉ、オレからも言ってやるぜ。 オレが本気出す前に、アンタもとっとと引いたほうが良い」
「……君の法は厄介だね。 それと、今のを見て分かったことがひとつある」
八雲の法は、丁度視界が遮られて見えなかった。 だが、この戦馬という男が警戒するということは、それなりの法か。
「へぇ、そりゃ尚更生かしておけねぇなぁ」
指の骨をバキリと鳴らし、八雲は殺気を出す。 底が見えない男、強さで言えばひょっとすれば、私たちと同等なのかもしれない。 一般的な法使いよりは、何倍も強い。 恐らく経験、そして実戦を重ねてきた賜物か。 私から見ても、この男は充分に危険な存在でもある。
「そこで提案をしよう。 今この場で、君は手を出すのをやめてくれ」
「何を言うのかと思えば。 そんなの、飲むわけ……」
私は言う。 馬鹿としか思えない提案に。 しかし、それに対して八雲は。
「……ああ、良いぜ。 お互いにメリットしかねえなら、飲まざるを得ないね。 オレとしちゃ、別にこいつらと仲間同士ってわけでもねーし」
「八雲、テメェ!!」
「うるせーよ、天上。 オレはオレのために動いてんだ。 シロもテメェらも関係ねぇ。 言ってんだろ? 人は自分のために動くときが一番つえーんだってさぁ」
……マズイか、これは。 近距離で戦える戦力は、八雲と私と霧生。 しかし、霧生は負傷し、まともに戦える状態でもない。 だというのに、更に八雲までが戦線離脱となれば、戦馬を私と天上で相手しなければいけなくなる。 加えて、天上の異法では相性が悪く、私の異法も相性が良いとは言えない。 なら、やっぱりやるしかないわよね。
「異法執行」
「……ん」
既に八雲はだいぶ距離を取り、見学へと回っている。 霧生は後方で壁にもたれて倒れていて、天上はカラスを操作しているが、やはり範囲内に入った瞬間に切り落とされる。 今戦えるのは、勝てる可能性があるのは、私だけだ。
「私の異法は意思排除。 人の持つ意思を捻じ曲げ、動こうとすれば体は止まる。 だったら私がするのは、無意識での殺人だ」
最大限、意識を沈ませろ。 暗い暗い海の底にいるように。 心を落ち着かせろ、何も耳に入らないまでに。
人間がもっとも素早く反応できる瞬間。 それは集中し、意識を向け、気を張り詰めたときではない。 意識せず、体の力を抜き、ただひたすら心を無にしたとき、人間はもっとも早く反応することができる。
だが、反応するその瞬間、人はその物事を意識しなければいけない。 だから私の異法だ。 私の意識、その殆どを自身の異法によって排除する。
ぼーっとしているとき、何も考えずにいるとき、人は……考えられないほどの速度で身に迫る危険を察知する。 来ると意識するのではなく、殺されると意識するのではなく、ただその事象を自然体で無意識の内に察知すること。 俗に言われる「意識しないほうが良い」というのは、こういうことだ。
「……」
目は開き、対象を見る。 だが、何も私は思わない。 すると、体は勝手に動き出した。
「やばいか――――――――五刀、滅刃」
刀が振られ、斬撃が私の体を捉える。 が、それは寸でのところで命中しない。 私の体は斬撃をすり抜けるように、躱していった。
この方法を使うとき、それは追い詰められたときだ。 死を明確に私が見て、感じたそのときに使う方法。 そしてこの方法は、酷く怖い。 恐ろしいのだ、私自身が。 ロボットに身を任せると言っても良いこの方法は、一か八かとも言える。 しかし、その恐怖は抑え付けなければいけない。 全ての感情をなくさなければいけない。 少し昔を思い出すコレは、だから嫌いなんだ。
「……躱すか? 仕方ない」
戦馬は言い、刀を収める。 そして静かに口を開いた。
「六刀、一閃」
研ぎ澄まされた殺気は、まるで針のような痛みを持ち、私の体を貫いていく。 あの型、そしてこの威圧感。 間違いなく、居合いだ。 が、それを理解しても私の無意識状態は終わらない。 理解し、賭けるしかないのだから。
「尚来るか。 ならば、それも良いだろう。 私の速度と君の異法、悪くない」
そして私の体は一歩踏み出した。 直後、今までよりも更に、戦馬の気配は鋭くなる。 剣山に貫かれるかのような殺気と、押し潰されるような圧迫感。 が、私の体は止まらない。
単純な話、この一瞬で決まるのは私の異法が上回るか、戦馬の剣技が上回るかの話。 異法で意思を捻じ曲げられる私自身には、意思確認、意思決定、意思反映の三つが省略される。 攻撃が来たと認識し、避けねばと認識し、回避しようと行動に移す。 そういったものが全て、省略される。 無意識状態の私には、たとえ銃弾だとしても命中することはない。
「……」
更に踏み出した。 間合いからして、もう一歩で射程内へ入る。 もっとだ、もっと意識を落とせ。 暗く、沈ませろ。 だが決して、仲間を見捨てないということだけは忘れるな。 それは意思ではなく、決意だ。 一度救われた命……それを救ってくれた人のために使うことは、嫌ではない。 むしろ、そうしたいくらい。
そうして私は更に一歩、踏み出した。
「……」
戦馬の指が動く。 手が動く。 腕が動く。 視線が動く。 そして刀は振り抜かれる。 それほどの動作を持って行われるそれが、ただ「回避する」とだけ認識した無意識の私に命中する道理はない。
だが、それでも正直、想定外の速度だった。 銃弾とは比べ物にならないほど早く、コンマ数秒で振り抜けるほどの速度。 これに反応することは、ひょっとすればボスでも敵わないかもしれないと、そう思った。
が、そのときの私はひどく落ち着いていた。 迫り来る刀を見て、死を感じない。 恐怖も、逃げ出したいという欲求も、感じない。 頭の中はとても冷たく、だが確かな熱さを持ち、そして私の体は反応する。
「ッ!」
振り抜かれた刀は、私の首を狙っていた。 その速度に反応できたのは、この異法を持っても奇跡としか言いようがないかもしれない。 今日の私の体調、状況、そういったものが全てうまく噛み合って、ようやく反応できる速度。 本当に、努力だけでここまで到達するとは恐ろしい男だ。
だが、そんな努力も無駄なもの。 才ある人間の前には、ひれ伏すしかない。
刀は私の眼前数ミリを通過する。 私は寸でのところで反応し、空を仰ぎながら私の首を跳ねるべく過ぎ去る刀を見つめた。 速度によって流された髪が少し落とされ、そのまま私は体を無理やり捻じ曲げ、戦馬との距離を詰める。
「……驚きだな」
仕留めるなら一撃。 私はそのまま戦馬の心臓目掛け、拳を突き出す。 しかし、この男はそれすらも予測していたのだ。 可能性のひとつとして、考えていた。 戦闘を行う上で、相手の出方を見るということはもっとも重要になる。 同時にそれは、相手の手を見るということ。 どのような場面で、どのような選択を取り、どのような結果を叩き出すか。 それを予測するということが、最重要になる。 だがそれは並大抵のことではできない。 私でも、それには限界がある。 たとえば、そう。
戦馬が、私の攻撃を回避するという、結果を予測することは不可能だった。
「……いてて、さすがに避けきれないか。 六刀を避けたのは君が初めてだよ、驚いた」
「チッ……」
落ち着け、まだ大丈夫。 距離はだいぶ詰めることができた。 なら、もう少し詰めて一気に片を付ければ良い。 近づき、自分にかけた異法を解き、そして戦馬に異法を使う。 そうすればもう、勝ちは確定する。
「正直、嘗めていたよ。 だが、力を抜いていたわけではない。 君は相当な実力者だ、認めよう」
戦馬は刀の先を下へ向ける。 とても、力を抜いた構えだ。 腕をだらんと垂らし、刀を握る両手には力が入っていない。 そして戦馬は息を深く吐く。
「これで最後だ。 行くぞ、異法使い」
ゆらりと、戦馬の体が動く。
「七刀――――――――神羅」
「ッ!?」
異法が解けた。 驚異的な殺意、殺気によって、無理やりに解除させられた。 どう足掻いても死ぬと、いくら心を落ち着かせていたとしても、分かってしまった。 勝てないと一瞬で判断し、殺されると一瞬で理解する。 私はすぐさま、後方へと飛んだ。 そしてその殺気を感じたのは私だけではなく、天上も霧生も、八雲も同様らしく、退避行動を取っている。
「異法執行ッ! ルイザ掴まれッ!!」
天上は既に霧生を抱え、異法を使用している。 私は天上の伸ばした手を掴み、上空へと飛んだ。
「……ったく、ポチさんの知り合いってまともな人は居ないのかなぁ」
呟いたのは霧生。 既に戦馬からはだいぶ離れ、ここならばもう安全だろう。 殺気もかなり薄れ、脅威はない。
「日本にはあれでしょ、類は友を呼ぶって言葉があるんだから。 別に不思議じゃないと思うけど」
「にしても最後のはなんだ、一体。 俺のとこまで嫌な感じがしたぜ、あのクソ野郎」
やはり、天上のところまでも射程内だったということか。 そうだとするならば、とてつもない脅威だ。 たった一振りの刀、そして法を使わない法使い。 ボス曰く半端ではない努力を重ねた結果があれなのだとしたら……馬鹿にもできはしない。
「ほんっと、そうよね。 私も今だって殺気を感じるくらいで」
言って、気付く。 そうだ、未だに私は殺気を感じている。 天上の飛行速度は早く、二人を抱えていても普通に走るよりかはずっと早い。 もうあそこからは数百メートルほどは離れていて、攻撃が届くはずはない。 入り組んだ路地のようなあそこから、今はかなり開けた場所まで飛んでいる。 だが、もしもあいつの攻撃がここまで届くのだとしたら……?
「……嘘でしょ」
あり得ない。 いや、あり得てしまったのか。 遥か遠く、建物と建物の間、その奥。 そこに戦馬は立っている。 私を見据え、刀を構え。 そして。
「ほんっと、さいってー」
半ば諦めにも似た笑みを浮かべて私は言う。 直後、私の体を何かが貫いた。 そして私の視界は、黒く染まった。




