第九話
「幸ヶ谷くん、私から離れないように」
「はい、師匠」
私と師匠……戦馬戦次さんがここへやって来たのは、今から数日前のこと。 どうやら最近、あまり良くない話が入るとのことで、それの調査といった感じで、私たちはアースガルドを訪れていました。 その良くない話というのも、どうやらこのアースガルドから、地上部へ危険な薬が流通しかけている、とのことで。 それならばどうして機関に頼らないかというと、師匠が頼んだ結果、なんの協力も得られなかったということで。
師匠はとても正義感が強い人なんです。 悪を許せない、正しいことを正しいように行う、そういったタイプの人で、凪さんとはまた違った形で、正しさを持ち合わせているんです。
決定的な違いは、凪さんが天才と呼ばれる分類ならば、師匠は無才と呼ばれる人たちと同じということでしょう。 ですが、師匠はそれでも鍛錬を欠かさず、人の数倍鍛錬をして、今の強さを得ることができました。 驚くべきことに、凪さんでも肉弾戦では師匠に勝てないんですよ。
「さて、恐らく薬はここにある研究機関だろうね。 だけど証拠がないと来たものだ」
師匠は細い目で周辺を眺める。 腰に差すは日本刀で、私と違い、なんの変哲もないただの日本刀。
「まずは、周辺の方たちから情報収集でしょうか?」
「うん、それも良い案だ。 けれど、幸ケ谷くん。 それよりも、詳しそうな人たちがいるようだ」
入り口は、この地域にしては一際高台に位置している。 そこから階段を降り、鉄の街に入るような形になっていて、そんな高台から目を凝らし、師匠は先を見つめている。 私もそれに気づき、習って目を凝らす。 すると、そこに見えたのは。
「……あれは、あのときの」
「特徴は一致するね。 茶髪にピアスを付けた男、それと金髪碧眼の女。 あの短髪の男は、天狗と呼ばれている人かな。 それと、もう一人は見ない顔だ」
その内の二人とは、私は戦ったことがある。 そして、一度負けている。 正体不明の、動きを制限する異法によって。 霧生という名の人の異法は、身体構築という体を作り変えるもの。 天狗さんの異法は、空を飛び、そして爆発物であるカラスを作り出すもの。 現在不明なのは、金髪の人と見たことがない男の人の方。 男の人は、顔にある大きな傷が特徴か。
「幸ヶ谷くん、無知というのは恐ろしいものだ。 人は皆、知らぬということに恐怖を覚える生き物なんだよ。 でもね、人は最初、何も知らない。 けれど、知って生きていく。 皆、最初の一歩は必ず踏み出しているんだ。 そこから次を踏み出せるか、出せないかで」
師匠は私に笑いながら言う。 優しそうな顔付きで、性格もとても穏やかな師匠。 私のことを優秀な門下生だと言ってくれて、そして今回の私情にも付き合わせてくれた。 師匠の言葉は、努力の賜物でもある。
「だから知ろう。 彼らの企みと、その理由を。 何も斬り合うことはないさ」
「はい、師匠。 念のため、警戒はしておきます」
「うん、悪いね」
そして、私と師匠は彼らの元へと向かう。 恐怖は少し、あった。 前に刺された部分が痛むような気もした。 それでも、私は知りたいと思い、進む。 彼らは矢斬くんへと通じている。 それは、凪さんに聞かされたこと。 凪さんは私に教えるかで随分悩んでいたみたいですけど……教えてくれたことには、感謝をしないと。
異端者という十人の異法使いからなる組織。 それをまとめている存在が、矢斬くんだという事実。 やはり、師匠が言うように知るということは恐ろしいことです。 今もこうして、怖いんですから。
だけど、それをしなければ見えないこともある。 向き合えないことも、ある。 知るか知らないか、そのどちらかを取れと言われたのなら。
私は、知る方を選ぶように。
「失礼。 少し、聞きたいことがあるんだ」
「あ?」
師匠は正面に立ち、話しかける。 威圧する空気もなく、本当にただの一般人のような雰囲気だ。 ここまで完璧に気配を押さえられる人間を私は他に知らないし、居ると思えない。 計り知れない訓練、それが与えてくれるものなのです。
「……あんた、学校のときの」
「あのときはどうも」
私の顔を見て呟いたのは、碧眼と呼ばれる女性。 その横で、霧生さんは「ああ、懐かしい顔だ。 本当にまた会えるなんて」と、呟く。
「にしても、この前とはだーいぶ雰囲気違うね。 今の君ならとっても俺っち好みだよ、マジで」
「ごめんなさい、私は底が知れる人は好きにはなりません。 敢えて言うなら、矢斬くんのような底が見えない方がタイプですね」
「矢斬……ボスの友達ね、あなた」
その言葉を聞いて、私は息を短く吐く。 それには「やっぱりか」という気持ちと「矢斬くんらしい」という気持ちが含まれていた。 彼と過ごした数ヶ月、それは面白くも、楽しくもあった。 彼はよく冗談を言って、それで凪さんに叱られて、その愚痴を私に言ってきて。 そんな毎日が、私にとってはたまらなく、かけがえのないものだったんです。
些細な日常はもう帰ってこない。 矢斬くんにこの話をすれば、彼はきっと言うでしょう。 俺たちは異法使いで、君たちは法使いだからだよ、と。 たったそれだけの違いで、こうも歪が生じてしまった。 それに気付かなかったのは、一番近くに居た私と凪さんの責でもあります。 ならば、私がするべきことは……彼を正してあげること。 そして、道を踏み外さないこと。
「オーケー、おっさん、あんたが聞きたいっつうことはなんだ? 生憎オレたちも急いでる身でよ、邪魔すんなら容赦はしねぇよ? ここじゃあ法使いも異法使いも関係ねぇしな」
言ったのは、顔に大きな傷がある男。 タバコを咥え、紫煙を吐き出しながら言う。
「……うん、そうだね。 分かった、それなら質問だ」
師匠は返す。 優しそうに微笑みながら、言葉を口にした。
「LLLと呼ばれるクスリ。 そのデータが存在する場所を私は知っている。 と言ったら、協力してくれるか? 君たちは」
「……へぇ。 だったらとっとと吐け。 拒否れば殺す」
師匠は、一体何を……? LLLという名称ですら、このアースガルドに来てから聞いた名前だというのに、そのデータが存在する場所を知っているだなんて。
「幸ヶ谷くん、彼らは私たちを敵とみなしているようだ。 そして、今の言葉に食いつくということは、彼らもデータは持っていない。 私たちと大して変わらない知識量だよ。 だったら、争う意味もない。 ……悪かった、今の話は嘘で、私はデータどころか薬の外見すら知らない。 だから、お互いここは下がるとしようか」
小さな声で私に言ったあと、師匠は目の前の異端者に向けて言う。 争いをしないための言葉……確かに、お互い探りを入れれば入れるほど、無意味な争いになる可能性が高い。 それを避けるため、わざとそんなデタラメを言った……ということですか。
師匠らしい考えで、師匠らしいやり方。 ですけど、この人たちに果たしてそれは……。
「はっ、ここまで馬鹿にされたのは初めてかもしれねぇなぁ……法使い。 テメェら戦馬戦次と幸ケ谷小牧で間違いねーんだよな? お生憎様、ポチさんにテメェらは殺して構わないって言われてんだ。 だから分けるとかありえねぇ」
「……そうかい。 君は確か、天狗と呼ばれている人だったね。 どうしてそこまで法使いを恨む?」
師匠は雰囲気を張り詰め、問う。 意味がない戦いはしないのが師匠のやり方。 ですが、この方たちは意味のない戦いでも起こそうとする。 そんな違いは、確実にここに存在する。 避けられる戦いでは、ない。
「……法使いだからだよ。 それ以上の理由なんてねぇ」
その言葉は、どこか取って付けたかのようなものだった。 師匠はそれも分かったのか、短く「そうか」と呟き、自らの腰にある刀に手を置いた。
「君たちがやると言うのなら、応じなければ一人の剣士として、名が泣いてしまう。 幸ヶ谷くん、最初は君がやりなさい。 危なかったら私も入らせてもらうからね」
「はい。 師匠、足を引っ張ったらごめんなさい」
「いいよ。 そういうのを直していくのもまた、戦いなのだから」
そして、師匠は後ろへと下がる。 雰囲気も、空気も、何もかもがその瞬間に変わった。 それは相手の方も同じようで、一気にその場の空気は鋭利な刃物のようになる。
「戦馬流道場、門下生。 幸ヶ谷小牧、参ります」
私は風走を引き抜き、言った。




