第七話
その日はすぐにやって来る。 待ち遠しくはなかった。 いつものように殺し、いつものように奪うだけでしかない。 私の楽しみは一瞬で過ぎ去るそこだけにしか存在しないし、それだけで充分。 その頃はもう、小さい頃の記憶なんて全てなくなっていた。 小さい頃、父親や母親、兄や妹と遊んだ記憶すら、消え去っている。 そんな私よりも幼かった妹は、現在父親による指導を受けていて、日に日に様子が変わっていくのは近くで見ていた私なら、良く知っている。 それは嫌なことではない、当たり前のこと。 私と同じ道を辿るべく。
「誕生日の仕事がこんなのだなんて。 プレゼントにもなりそうにないわね」
一人呟き、空を見る。 星が瞬くその空は、私とは無縁のものに思えた。
「それにしてもあの男、日付と場所まで指定するなんて……よっぽど近い関係なのかしら」
三日後の夜十時。 男に指定された路地へと私はやって来ていた。 どうやらここを矢斬戌亥は通るらしい。
仕事着である黒のレザースーツを身に纏い、私は息を短く吐く。 殺しは一瞬で行うべき。 相手に認識される前に、全てを片付けろ。
「……んで、こんな時間になんの用? お前の方から連絡とか珍しいよね」
曲がり角の奥から、声が聞こえてきた。 声色、足音、気配。 それらが全て、対象だと認識させる。 私は基本的に、殺害対象の情報は事前に精査をしておき、個人情報は集めきってから仕事をする。 今回は日付と時間帯を指定された所為で限界はあったけど、それでも声や顔、癖みたいな情報は全て手に入れることができていた。 だから問題なし、あと十秒。
思えば、自分よりも年下を殺すのは初めてだ。 何十歳も年上だとか、近くても五個以上離れた奴らを殺すことしかしてこなかった。 短い人生で恨みを買うなんてことは当然なく、長ければ長いほど、その確率は高まっていく。 今までしてきた仕事内容から考えて、それが当たり前だった。 だが、今回ばかりは少し違う。 それだけの違いだというのに、私はどうしてか、嫌な予感というのがした。
……中止するか? いや、それはダメだ。 鉄則として、どんな状況であれ失敗するイメージが浮かんだ瞬間、改めろとは教えられている。 だが、今回の仕事は時間、場所を指定され、それを承知の上で受けたもので、今更それはできない。 ひょっとすると、そのプレッシャーが私の勘を鈍らせているのか? 落ち着け、相手はガキで、それがいつもの感じから遠ざけているだけ。 息を吸って、吐け。
「……よし」
先ほどまでの嫌な予感は消え去った。 私はもう一度、前を見据える。
「ん? それってどういう」
今だ。
男の足が、見えた。 確認し、私は腰に付けていた四十四口径のマグナム銃を手に取る。 そして、地を蹴った。
「あら」
男の顔を確認する。 対象人物で間違いなし。 距離はほぼゼロ、迷いはなし。 オーケー、これで終わりだ。
引き金に置いていた指を引く。 男は私を視認すると同時に死ぬのだ。 この瞬間のために、私は生きている。
「……え」
しかし、思わず声が漏れた。 銃弾は止まらない。 爆発音と反動、それを感じた瞬間、私は男と目が合った。 その表情も、見えた。
笑っていたのだ、男は。
「なんだってのよ」
男の頭は吹き飛ぶ。 間違いなく殺した、これで仕事は終わり。 だけど、あの男はどうして笑っていたんだ。 それに何より恐ろしいのは、笑ったということは状況を理解したということ。 私の方は仕掛ける側だったからまだしも、男は何も知らないはず。 だというのに、一瞬で状況を理解したのだ、あの男は。 そして、笑った。 死ぬということを理解して? 殺される、頭を吹き飛ばされるということを理解した上で、笑ったのか? おぞましい、せめてこの男を今日ここで殺せたことに感謝をしよう。
「……帰るか」
血が溢れ、男の頭を失った体は数秒置いて、地面へと崩れ落ちた。 確認するまでもなく、殺した。 だが、こいつは法使いとも異法使いとも違う。 死を見て、笑った男。
……少し気分が悪い。 今思えば、嫌な予感はこれだったのかもしれない。 殺しを殺しと実感させない、最悪な出来事。 帰ったらとっととお風呂に入って、今日のことは忘れよう。 また明日、新たな獲物を探せば良いだけ。 それで上書きをしていこう。
思い、私は振り返って歩き出す。 一応はあの男に報告をして、終わりだ。 そう思ったそのとき、後ろで気配がした。
「驚いた。 君、俺に何か恨みでもあるの? 俺は君みたいな金髪美人の子とは知り合った記憶がないんだけど」
「……は?」
何が起きた。 私は間違いなく、この男を殺したはず。 なのに、生きている? まるで何事もなかったかのように、立っている? 外した、あり得ない。 男の血液は私の顔にも飛び散っている。 この血が偽物なわけはない。 なら、法か。 幻覚? それとも記憶の書き換え? マズイ、一発で殺し損ねた。
「って言ってもさーあ? やり方とか、格好とか、随分手馴れてるね。 そっちの人か」
「……何者よ、あんた」
男は平然としている。 死というものを感じていない。 むしろ、感じているのは私の方だ。 これはもう、仕事を失敗したと考えるしかない。 なら、ここに残る意味はない。 逃げろ、どこへだ。 後ろは道が長すぎる、なら横は……駄目だ、あっちは行き止まり。 なら、男の横を通り抜け、男が来た方向から逃げるしかない。
「みんなは、ポチって呼んでくる。 まそんなことはどーだって良いよ。 君、どうするの? まだ俺とやるわけ?」
「そうね、どうしようかしら」
ここで戦うという選択肢はない。 男はどのみち、私に隙があれば襲ってくるはず。 ならば、隙を作らず、隙を作らせる。 それを突いて、この場から立ち去る他ない。 よし、ここは少し会話を引き伸ばすか。
「あは。 やっぱやめた」
「なッ!」
笑い、男は消える。 否、消えたのではない。 背後に、回られた。 そしてそのまま、私の首は掴まれ、ビルの壁へと押し付けられる。
「ぐっ……は、なせッ!」
「やだよ。 君も殺すなと言ってきた奴を殺してきたんだろう? ルイザ」
どうして、私の名を。 そう思い、私は男の顔を睨みつける。 息が苦しく、意識が段々と遠のいていくのを感じながら。
「……ツツナの野郎、勝手なことをしやがって」
男の声が、聞こえづらい。 男は既に、私への興味をなくしているようにも見えた。 間違いない、これは相手の力量を見極めきれなかった私の負けだ。
「あそうそう、今の一回は本当に意表を突かれたよ。 良い動きだったし、迷いがないね。 だから、君の言うことを一回だけ聞いてあげようか。 あは、何かお願いとかある?」
「ッ……」
そこで、私の首を掴んでいた腕が離された。 私の体はそのまま重力に従って地面へと落ち、私は咳き込みながら、男の顔を見る。 男は笑い、私のことを見下ろしていた。 心底楽しそうな表情で、私は生まれて初めて、恐怖した。
殺される側、殺す側、ずっと殺す側でしかなかった私が、逆に回った。 これが、殺されるときの感覚か。 これが、恐怖というものか。 これが、私が今まで悦としてきた感情なのか。
「ないなら、それはそれで良いんだけどさーあ。 さ、どうする?」
「……助けて」
生きたかった。 死にたくなかった。 殺されたくなかった。 それだけが私の頭を埋め尽くし、私は媚びるようにそう言った。 恥ずかしさとか、羞恥心とか、プライドとか。 そんなものは、消え去ってしまっていた。 死にたくない、怖い、助けて。 それだけを思い、私はそれだけを言う。
「はは、素直な人は嫌いになれないや。 うん、良いよ。 しっかりと聞こえた」
男は言い、私から視線を外す。 すると、迷うことなくどこかへと歩き出していった。 そのまま私は地面へ座り、壁に背中を預けながら、男を見続ける。 戻ってこない、男はそのまま消えていく。 助かった……。
「……帰ろう」
まるで、狐に包まれたかのような出来事。 あれは一体なんだったのか、頭を吹き飛ばされて生きている人間なんて、法使いなんて、異法使いなんて、魔術使いなんて……聞いたことがない。
ともあれ、死ぬことだけは回避できた。 その安堵が私を包み込む。 恐怖からの開放がこれほど嬉しいとは思わなかった。 同時に、私が今まで殺してきた人たちの恐怖を知った。 私がしてきた罪を、知った。
だが、そうだからと言って私が仕事を止めるわけはない。 母と父、そして兄から教えられ、それだけが私の生き甲斐なのだ。 今の私なら、死んでいった母親、兄の気持ちが分かる。 だからこそ、この仕事は続けなければならない。 母も兄も、私が感じたような恐怖を知りながら死んでいったのなら。
その無念も、はらさなければならないだろう。 帰ったら、父親に聞いてみよう。 母と兄を殺したのは、一体誰なのか。




