第二十九話
「お待ちしておりました、矢斬戌亥様。 わたくし、レイラと申します」
それから本部へと向かった俺たち。 危惧していた問題にはなっておらず、まだ耳に入っていないと考えるのが正しいかな。 しっかしまぁ、本部ともなれば建物の大きさは半端じゃないな。 A地区の四分の一を占めるほどとも言われる巨大な建物が眼前に広がっており、更に高さも相当なもの。 最大の機関にして、最大の権力を持つ法執行機関本部。 法執行機関という組織を形成し、支える心臓部。 いいね、一度見ておきたかったから、丁度良い。
「本当に待ってたのかな、あはは」
正門へ回ると、すぐさま一人の法使いが現れた。 どうやらこの人が受付などをこなしているらしく、戦闘面で言えばそれほどプレッシャーも感じない。
「ええ、ですが存じているのはごく少数の人間なので、こちらからお入りください」
レイラは言うと、正門脇にある小さな建物の中へと俺たちを案内する。 その中に入り、更にドアを開けたその先には、長そうな階段が伸びていた。 鉄筋独特の匂いが広がっており、真夏の暑さからは一応開放されそうか。 けど、客人を通すのがこの地下ってのはねぇ。
「随分な扱いだね、折角来てやったのに」
「申し訳ありません。 極秘のこと故、辛抱してください。 もしも宜しければ、わたくしが道中の話し手となりましょう」
レイラは言い、無表情ながらも黒い目で俺たちのことを見つめた。 端正な顔立ちは笑えば随分綺麗なものになりそうだったけど、今に至るまでまったくの無表情。 それがなんだか人形みたいで、ちょっと怖いね。 真夜中に見たら幽霊かと思っちゃうよ。
「お! なんか話してくれんの!? マジで!?」
そんな歓喜の声をあげたのは、リン姉。 リン妹の方は既に眠そうな顔をしている。 結構体動かしたし、疲れたのかな。
「面白い話をひとつ持っておりますので。 ここから内部までは十数分はありますので、案内がてらお話しましょう」
そういうわけで、俺たち三人はレイラの話を聞きながら、機関内部までの道のりを歩くこととなったのだった。
「では、わたくしが昔飼っていたペットのカエルのお話を致します」
「ペットでカエルって珍しいね。 爬虫類が好きなの?」
俺が尋ねると、レイラはすぐさま返事をする。 案内人、どちらかというとメイドのような対応かな。 まるでお屋敷みたいなところだ、ここは。
「ええ、それなりに。 たった一匹だけですが、わたくしがまだ小学生の頃です」
水路のような道を歩きながら、前を歩くレイラは今では珍しい灯籠で照らしながら道を進む。 俺たち異端者というテロリストを相手にしているというのに、どうにも油断しきっているな。 舐めているってわけでもないし、ただの馬鹿かもしれない……なんて失礼なことを考えつつ、俺は付いて行く。 俺がレイラのすぐ後ろで、その更に後ろをリン姉妹という並び順だ。
「まず、一番最初に迷ったのは名前です。 カエルといえば、ぴょん吉やピョコ太、ぴょん助ぴょん太ぴょん子、とりあえずピョコピョコした名前を付ければ良いと、誰しもが考えることでございます。 ですが、そんなありふれた名前では他者との差異は生まれません」
……なんだか無表情で言うから怖いな。 ていうかカエルに他者との差異は必要なのか。 こういう人がもしかしたら、子供に変な名前を付けるのかもしれない。 まぁ俺も人のことは言えないけどね。 苗字みたいな名前だとはよく言われるよ。
「そこでわたくしが考えたのは、力エルという名前です。 カではなく力、似ているようでよく見ると違う。 尚且つ力強く育って欲しいという思いを込め、わたくしは力エルという名前を付けました」
「あっはっは! それ、それ面白いって! かわいそうじゃんカエル! あっはっはっはっは!」
大声で笑い出したのはリン姉。 迷うことなく笑う姿はさすがと言わざるを得ないね。 というか今のどこにそんな大笑いする要素があったんだろ? まぁ良いけど、それよりもさ。
「紅葉鈴様、失礼ですが今の部分は真面目な話で、笑うべきところではございません。 わたくしのペットの力エルのことを笑わないで頂きたいです」
「え、あ……わ、悪い悪い」
くるっと振り返り、レイラは言う。 なんというか、怖いな……ホラー映画とかは大っ嫌いな俺だけど、そんな感じを受けるよこれ。 下手なホラー映画よりもよっぽど怖い。 水路みたいな道に加え、辺りは真っ暗で、レイラが持つ灯籠の光だけが頼り。 そんな中、照らし出される無表情はかなり怖い。
さすがのリン姉もその迫力に飲まれたのか、素直に謝った。 そしてその言葉に満足したのか、レイラは再度前を向き、歩き出す。
「力エルはその名の通り、力強く生きました。 ですがわたくしが中学卒業を間近に控えたとき、力エルの容態が急変したのです」
「見て分かるものなの? それって」
俺が気になり尋ねると、レイラはすぐさま頷いた。 自信ありげに答えるその姿は、とても嘘を吐いているようには思えない。 カエルのことに関してなら、見間違いはないという意味か。
「様々なことがありますが、わたくしの飼っていた力エルの場合は寄生虫による病気でした。 日に日に体が乾いていき、やがて……力エルは、帰らぬカエルとなってしまいました」
「帰らぬカエル。 あっはっは! ちょ、それ面白い! 帰らぬカエルって。 あははははは!!」
「紅葉鈴様、失礼ですが今の部分は真面目な話で、笑うべきところではございません。 わたくしのペットの力エルのことを笑わないで頂きたいです」
「あ、えっと……ごめんなさい」
いやはや、それにしても相変わらず怖いね。 というか、リン姉の笑いのツボが良く分からない。 確かにギャグっぽい言い回しではあったけどさ。
「カエルが死んでるんだぞ、リン姉。 今のはお前が悪い」
「うん。 カエルさんがかわいそう」
「なんかポチさんと倫に言われるとすげえムカつくんだけど……ま良いか」
どうしてだよ。 カエル、可愛いじゃん。 俺は結構好きだけどね。 あくまでも見ている分は。 飼うっていうのは遠慮しておこう。
「で、そのあとは?」
少し静かになったタイミングで、俺はレイラさんに続きを促す。 このあとどういう風に話が進むのか、興味は一応あったんだ。 だから聞いたんだけど、返ってきた答えは予想外のもので。
「いえ、終わりです。 丁度、着きましたので」
……あれ、終わりなの。 ていうかこれ、普通に悲しい話で面白い話ではないよね。 一体全体どの部分が面白かったのだろう。 ていうかオチの部分はどこなのこれ。
「オチはどこか、という顔をしておられますね。 お三方、この話はとどのつまり、オチなき話なのでございます」
「……レイラさんさ、もしかしてめっちゃ話すのとか苦手なわけ? すっげえつまらなかったんだけど」
「うわ、ポチさんまた直球だな……」
俺がレイラに言ったところ、後ろからリン姉のそんな声がした。 お前にだけは言われたくないよと思いつつ、俺はレイラの言葉を待つ。
「全ての話にオチがあるとは限りません。 そしてまた、予め宣言された通りの話になるとは限りません。 お三方には、そういったこともあるのだと、知っておいて欲しいのです」
「つまりあれ? レイラさんが今言った自称「面白い話」も、レイラさんがそう思っているだけで、受け手によって変わるってことかな。 俺がつまらない話だと思ったように、リン姉が笑うべきところじゃないのに笑ったみたいに」
「ええ、その通りです」
「……それってあれじゃね? ウケが悪かったから適当なことを言って誤魔化してるだけじゃね?」
「……わたしもそう思う」
「お静かにッ! 今、この場で誰が聞いているか分かりませんッ! 私語は謹んでくださいッ!」
リン姉妹の話し声が聞こえたのか、レイラは声を張り上げて言う。 しかしそうは言ったものの、この辺りには人なんていない。 というか一番私語を放っていたのは間違いなくレイラだ。 水路のような地下道を辿り、ようやく着いた鉄扉の前で、聞こえる音と言えば俺たちの呼吸音、それと吹き抜ける風の音のみ。 レイラが声を張り上げたことによって、余計にそれが鮮明となっていた。
「……さ、行きましょう。 この扉の奥は法執行機関本部、その喉元ともなります。 くれぐれも、不審な行動は取らぬよう、重ねてお願い申し上げます」
「誤魔化したな」
「誤魔化したね」
「誤魔化した」
そんな俺たちの呟きは意に介さず、レイラは扉を開ける。 とても重そうな扉ではあったが、片手でなんなく開くレイラはやはり、法使いだ。 そして扉を開けると、レイラはすぐに振り返り、歩いてきた道を戻っていく。
それを見た俺は、視線を開かれた扉へと向ける。 次に俺たちの目に入ってきた光景は。
「おー来たか! この前はどーも、異法使いクン」
「……あーあ、気分悪いなぁ」
十二法が一人、アレス。 その人だ。




