第二十八話
「鈴?」
「ありゃ……って、テメェ今蹴りやがったな!?」
リン姉は倒れた体を引き起こし、北条の顔を見て怒鳴りつける。 しかし、対する北条は何食わぬ顔。
「矢斬戌亥、紅葉鈴、同じく紅葉倫。 ここで会えるとは思わなかったよ。 異端者の君たちがわざわざA地区になんの用事かな?」
「やっぱり分かってたのか、あんた。 まぁ俺たちを監視してたみたいだし、そりゃそうだろうけどさーあ」
さぁて、どうするかな。 問題事は避けたいという考えは変わっていないし、変えるつもりも生憎ない。 これ自体が本部の奴らの罠とも考えられるけど、北条の口ぶりからしてそれはないだろう。 どうやらこいつは、俺たちがどうしてA地区にきたのか、知っている様子ではないし。
「良いよ、答えなくても。 異法使いには人権がないからね」
「っ!」
北条はにっこり笑って、手を大げさに広げる。 同時に後ろで小さな悲鳴が聞こえ、俺は振り返った。 視界に入ったのは、北条の仲間と思える奴に捕まるリン妹の姿。 北条を合わせ、全部で三人。 数は同じだが、リン姉妹の異法は封じられている。 でも、問題はないか。
「おい……アタシの妹に何してんだコラ」
「リン姉やめろ。 なぁ北条くん、俺たちは別に殺しをしにきたわけじゃあないんだ。 だからさ、ここはひとつ穏便に済ませたいところなんだけど」
明らかにブチ切れているリン姉を制し、俺は言う。 譲歩できるところまでなら別にしても構わない。 俺は優しい優しい人間だからね、今日は殺しって気分でもないんだ。 そういう気分じゃないから、仕方ない。
「じゃあそうだね、俺たちが用事あるのは矢斬戌亥、お前だけだから」
北条は言い、もう一人の男に合図する。 合図をされた男はすぐさまリン姉の元へと行き、リン姉の体を押さえ付けた。
「こんの……」
「止めろって、リン姉」
「……チッ」
リン妹が異法を使えないってことは、当然リン姉も使えない可能性が高い。 リン妹が捕まった時点で、思うように動けなくなったってのも事実なんだ。 最初からの行動の仕方と、現在の状況が噛み合ってはいるし、何事もなく終わらせるのが手っ取り早いね、この場合は。 リン妹が確定させた未来からいって、リン姉の身は危険。 だったら、できるだけリン姉には動いて欲しくはない。
そして、北条の仲間は更にもう一人居る。 リン姉妹を押さえつけている二人と、もう一人別の奴が居るんだ。 この近くではなく、少々離れた場所から観察している奴が。 全員が当然、法使いだろう。
「ああ、分かった。 俺に用事って? 金でも出せば良いか?」
「おー、物分かりが良くて助かるよ。 さすがテロリストのボス。 それと言っておくけど、お前らが得意とする異法は使えないから、馬鹿なことは考えるなよ」
「……ということは、あんたらの仕業ってことか。 どういう仕組みか気になるところだなぁ、それ」
姿が見えないもう一人の法ってところか? それに俺が異法を使えるということには気づいていないのか? しかし、たった一人でリン姉妹の異法を抑え付けられるとも思えないな。
「機関はさぁ、対異法対策に魔術使いの力を利用してるってことは知ってるよな? けど、あんなの必要ないんだよ。 ある程度のレベルの法を重ねれば、手軽にそれは作り出せる。 あのミラージュの構造を考えたのも俺なんだよ、テロリストくん」
「ああ、お前は機関の人間か。 なるほどね、それなら少し納得かな、それ」
法を重ねる。 つまり、こいつらのうち数人は同じ法を得意とする者だ。 異法は一度、体内にある回路を通す必要がある。 リン姉の場合は物を殴る、殴りつけた物の構造を回路に取り込む、そして回路を活性化させて殴り付けた物を破壊するといったように。 リン妹の場合は、周りで起きている現象を見る、起きた現象を回路に取り込む、同じく活性化させ、起こりえない未来を読み取る……といったように。
一度取り込んでしまえば、あとはもう発動は止められない。 それを止める手立てはなく、異法そのものを打ち消すとしたら、その前段階。 取り組むその段階ということ。 となれば、こいつらの法は恐らく「流動の強化」か。 物には必ず流れというものがあり、先ほどのリン姉妹の異法もまた同様。 その流れ自体を強化し、能力発動の条件である回路を通すことを無理矢理に崩している。 理解できたはずの現象、その流れを強化し、全く別物にしているということだろう。
当然、その法ひとつひとつは小さなもの。 しかしそれを重ね、更に重ね、別物とする。 そういうやり方もあるんだね。
それは回路さえ強力にできていれば問題はないが、リン姉妹の場合は回路の許容量をオーバーしたというわけか。 それが異法力にも表れている。 これがツツナやロクの場合なら、俺同様に無視もできたかもしれない。
「そういうこと。 ってわけで、そろそろ話を済ませようか? この前君が大暴れして、ミラージュを大量に破壊してくれたおかげでさ。 俺は機関に首をはねられたんだよ。 勝手に作戦を行ったクソどもは名誉の戦死で、俺のような研究者が真っ先にはねられる。 全部、お前の所為だ」
「機関を恨むんじゃなくて、俺たちを恨むことかねぇそれ。 ま別に良いんだけどさーあ」
「当たり前だろ? 異法使いなんて、総じてゴミなんだからさ」
まぁ良いか。 それで解決できるのなら、是非もない。 危ない橋を渡る必要はないね。
「分かった分かった。 ほら、これで良いか」
金が目的ならば、そんなの手持ちの金を渡せば済む話。 こいつらがしたいのは要するに八つ当たりで、俺たちのことを徹底的に追い詰めるわけじゃない。 それなら、言われた通りにして、そのストレスがなくなってしまえば良い。 ならば俺が取る選択はひとつだけ。
「話が早くて助かるよ、テロリストくん」
「ああ、まぁそれが俺の取り柄だしッ!?」
言った直後、腹に蹴りが入った。 そして同時に、平衡感覚が失われる。 大した威力の蹴りではなかったけど……さっきのリン姉もこれが原因か。 これが、こいつの法か。
「衝撃を受けたとき、人間ってのはある程度バランスを失う。 それの強化が俺の法だよ。 どれだけ些細なものでも、俺の前じゃ倒れるしかない」
地面に倒れ込んだ俺を見下し、北条は言う。 確かにすぐ立ち直ることはできないなぁ……頭がぐるぐる回ってるよ。 まるで天と地が逆転したかのようにも感じ、吐き気さえしてくる。
「……テメェ、ポチさんに手出してんじゃねぇぞコラぁ!!」
声を張り上げたのは、リン姉。 今にも殺しかねない勢いで、リン姉は叫んだ。 それを見て、俺はリン姉に向けて言う。
「やめろって、リン姉。 ここでこいつら殺したって、なんも利益にならないしさ」
「……んだと、テロリストッ!!」
俺の言葉が気に入らなかったのか、北条は俺の頭目掛けて足を振り下ろす。 頭に鈍痛が走り、更に意識が朦朧としてきた。 異法は未だ、使っていない。 こいつらが納得すれば、全部終わる話だから使う必要も感じなかった。
「……」
リン姉も、妹も、黙ってその光景を見ていた。 俺は何度も頭を踏まれ、やがて血が垂れてくる。 嫌な気分じゃなかったし、別に良いとも思っている。 盤外の駒とも呼べるこいつらには、特に用事もないしね。 どーだって良いや。 盤外の駒はなるべく残して置いたほうが、後々良い方に動くこともあるし。 だけど、少しやり過ぎはマズイかな。
「なぁ、法使い。 ひとつ忠告しておくと……ほどほどに」
「きっこえないねぇ! たかが異法使い風情が口答えしない方が良いんじゃないかぁ!?」
北条は叫ぶように言い、一際強く、俺の頭を踏み付けた。
「ポチさん」
ああ。 あーあ、だから言ったのに。 ごめんよ、君を助けられなくて。 けど、これはもう自己責任だよね。 俺は手を差し伸ばしたんだからさ、それを振り払ったのは君なんだからさ。
俺は、勘違いをしていた。 リン姉妹の回路では、こいつらの法には対処できないものの、素の戦闘能力だけで勝てるとは踏んでいた。 だけど止めたのは俺で、その命令にも従うとは思っていたよ。 しかし一向にやめる気配がないこいつらを見て、俺は一応忠告したんだ。 ほどほどにしておけって。
でもね、見てしまった。 リン姉が、すげえ綺麗に笑ったのを。 リン姉は基本的に、男らしい笑い方をするし、女の子っぽい綺麗な笑い方なんてしない。 だが、本当に、心の底からブチ切れたときは別なんだ。
ひとつ目の勘違いは、リン姉妹が我慢すると思っていたこと。 俺が言ったことならば、従うと思っていたこと。 そのはずだったのに、リン姉妹にとって、これはたとえ俺の命令だったとしても、譲れないものだったということだ。
ふたつ目の勘違いは、この法使いたちが予想以上に俺のことを恨んでいたってこと。 予想ではもう終わっている場面で、尚もこいつらは俺に対して攻撃を続けたこと。
みっつ目の勘違いは。
「ポチさんごめん、アタシさ、ポチさんが馬鹿にされたり舐められたことされるのだけは、我慢できないみたい。 いくらポチさんの命令でも、それは従えない――――――――異法執行」
「わたしも。 ちょっとムカついたよ――――――――異法執行」
リン姉妹の力を……侮っていたということ、かな。
「おい、動くんじゃ……」
言いかけた男の頭が砕けた。 頭部は破裂したように崩壊する。 リン姉の拳が触れた瞬間、異法によって。
「鈴、二秒後三歩前に真っ直ぐ」
「テメェら!!」
呟いたリン妹に、掴んでいた男が体を投げ飛ばそうとする、が。 リン妹はそれが見えていたのか、躱してそのまま男の体を投げ飛ばす。 そして、その先に居るのはリン姉だ。
「ッシ! 相変わらず完っ璧だね!」
リン姉の拳は、投げられた男に触れる。 瞬間的に体が全て、崩れて破裂した。
「な……お前ら、お前らどうして異法が使える!?」
北条は二歩ほど後退し、動揺しながら言う。 そんな姿を見て、俺もようやくゆっくりと立ち上がった。 痛みも傷も、消え去っていた。 二人にだけ任せるってのは、もう殺ってしまった以上できないな。 仕方ない、仕方ないっと。
「これで今日の話し合いがパーになったらどうするんだよ……まったくさーあ」
「わりわり、ポチさん」
「ごめんなさい」
リン姉は頭の後ろを掻きながら、リン妹は丁寧に頭を下げて、言う。 それを聞き、俺は思わず笑ってしまった。 ああ、これは俺の負けだなぁ。 舐めてたよ、この二人がどれほど俺を信頼して、大切に想っていたのかを。 俺も少し、考え方を変えた方がいいのかな。 結局のところ俺はクソだし、だからどうせ、みんなのことだって必要ならば切ると思っている。 そういう腐った人間だということを知っているのはツツナくらいで、みんなの信用、信頼ってのは逆に重く感じてしまうんだ。
ツツナは言っていたっけ。 お前は最後に必ず後悔するって。
どうだろう。 今はまだ分からないし、そうだとは思わない。 俺が後悔することなんてないと思うしね。 まぁでも……その時が来るまで。
短くも長い間、俺には責任というのがあるんだ。 こんなに情が移ってしまうなんてさ、マジで考えてなかったよ。 こりゃ俺の人生最大の失敗かも。
「気にするな、鈴、倫。 お前らは間違ってるけど、俺から見たら最高の仲間だ。 お前らが俺がやられて腹が立つように、俺もお前らがやられると腹が立つ。 そんなことに気付いたからさ、だから」
「ひっ……」
俺は笑って、北条に視線を移す。 ああ、楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい。 最高だね、その顔。 怖いか、怖いか? ああそうだね、俺も怖いよ。 俺ってさ、ほら。 ちょっと、おかしいんだ。 あああ、ヤバイな。 ちょっと、嬉しいかも。 あは、あはは。
少し、好き放題させすぎた。 攻撃させすぎたよ。 俺も気付かないところで、ムカついてたのかな。 だって、俺は今、目の前のこいつを殺したくて殺したくて堪らないんだから。 もう我慢できないって、マジで。 狂っちゃいそう。
「異法執行」
呟いた。 そして、地面を踏み付けた。 ヒビが入り、そのままその地割れは男の元へと向かっていく。 男はそれを見て、逃げようとした。 なんでさ、なんで逃げようとするの?
「動くなって」
俺は言って、男に手を向けた。 すると男の動きはピタリと止まった。 ルイザの異法とはまた違う、俺の異法。 ルイザのは動こうとする意思に対する異法だけど、俺のこれは筋肉の固着。
「や、やめて……やめてくれ! た、頼む! 悪気はなかったんだよ! ただ、イライラしてただけでッ!!」
「ああそう。 あは、良いよ」
俺は再度、地面を蹴る。 すると、地割れは何かにぶつかって停止した。 ああ、やり過ぎた。 これじゃあ後々大騒ぎかな。 まーいいや。
「はぁ…はぁ……」
男はその場に座り込み、死にそうな顔をしている。 かわいそうに。
「あーでもさ」
一歩、踏み込んだ。 するとすぐに男の前へと移動し、俺は男を見下して言う。 そのままだと少しかわいそうだったから、しゃがみ込んで視線を合わせる。 男はもう、泣いているよ。 何を怖そうな顔をしているんだい、そんなに俺って怖いかな。 ただただ観光に来て、呼ばれたから来ただけなのに。 俺は何もしてないのにね。
「な、なんでもするから! なんでもするから殺さないでくれ! た、頼むッ!!」
「いやいや、今更お願いなんてないって。 ひとつだけね、面白いこと教えてあげようって思ったんだ」
俺は言って、男の肩に手を置いた。 そして、耳元で言う。
「俺は異法をたくさん持ってる。 それでさ、俺の異法のひとつを見せてあげようって思ったんだ。 俺が持つ、俺の異法。 それは――――――――」
「……は? そ、そんなの、あり得ない。 そんな異法、俺は聞いたことなんて」
「ああ、俺も言ったことはないから。 君が法使いじゃ初めてだよ。 でもね、言われるのは嫌なんだ。 だからやっぱり殺そっと」
「――――――――あっ」
人差し指を出し、男の右腕を斬るように、触れずになぞった。 男の右腕は吹き飛んだ。 次に俺は左足をなぞった。 男の左足は吹き飛んだ。 次に俺は男の左腕をなぞった。 男の左腕は吹き飛んだ。 次に俺は男の右足をなぞった。 男の右足は吹き飛んだ。 次に俺は男の腰をなぞった。 男の下半身は吹き飛んだ。 次に俺は男の首をなぞった。 男の首は吹き飛んだ。 最後に俺はバラバラになった男のパーツへ向け、それを掴むように手を動かす。 血も、肉も、破片も、全部がその場から消え去った。
「うん、やっぱり君は殺して正解だよ。 それと」
俺はそのまま振り返る。 いたいた、最後の一人。 遠くから俺たちを監視し続けていた、もう一人の仲間。 青ざめて、怯えて、逃げようとしている。
「悪いけど、そこも範囲内だ」
指を二本引く。 遠くから監視していた男はそのまま消し飛ぶ。 うーん、こうしてやってみると改めて分かるな。 法使いの命なんて、本当に虫けらみたいなものだって。 あの凪だってそうだし、十二法だってそうだろう。 俺は早く戦ってみたいよ、法使いで最強と呼ばれる法者様と。 魔術使いで最強と呼ばれるエリザという女と。
ま、それまではゆっくり道なりに進んであげようか。 俺が、我慢できたらだけど。
「リン姉妹、行くぞ。 そろそろ時間も近い」
「あいあいさー」
「了解」
さてさて、今日は会えるんだろうか? 法者様に。 あはは、それはとっても楽しみだ。




