第二十七話
「ポチさん、ポチさん」
「ん、どうしたリン妹。 買い物終わったのか?」
それからぼーっと、特に考え事もせずに空を見上げていたところ、リン姉妹が俺の元へと歩いてきた。 しかし姉の方は困ったような顔をしていて、妹の方は背中ほどまである長い髪を揺らし、何やら忙しない様子だ。
一体何事かと思い、俺は尋ねる。 しかし、返ってきた答えは微妙なもの。
「……」
答えというか、俯いてるだけ。 その仕草や表情を見て、俺はとりあえず思いついた一つのことを口に出してみる。
「ああ、もしかしてトイレ? ならあっちにさっきあったけど」
「っ……」
睨まれた。 おかしくない? それでしかもリン妹は俺が指さした方向へ歩いて行くし。 当たってたってことだよな、ならなんで睨まれた?
「ポチさんはほんとあれだよね、人の気持ちが分からない!」
「お前に言われるとなんか腹立つね……。 まーけど、そりゃ人によって違うのは確かだしさーあ。 分からないってのも同意だよ」
リン姉は苦笑いのような表情を浮かべると、横へ座り、俺と同じように空を見上げる。 その横顔をふと見て、なんだか懐かしい気持ちになった。 少し昔を……ふと思い出してしまった。 記憶ってのはどうしてこうもこびり付いて来るのだろうか。 忘れたいことは沢山あって、覚えていたくないことだって沢山あるのに、それが嫌なものほど忘れられず、どうでも良いことはすぐに消えていく。 だから俺は、過去ってのが嫌いなんだ。
「アタシは、ポチさんに付いて行くよ」
「……なんだ、同じこと思ってたか」
「まぁね。 あのときもこうして、アタシは言ったんだ。 で、決めたんだ」
そうだったな。 俺がリン姉妹にしてやれたことなんて些細なことで、正しいものではなかったと思う。 けど、二人はそんな俺に付いて行くと言ってくれた。 嬉しかったし、安心したよ。 犬ってさ、案外寂しがりだから。
昔話は嫌いだ。 過去を振り返ることなんて、無駄なことでしかない。 けど、時にはその必要も出てくるはず。 少なくとも、一番昔の出来事に影響を受けているのは、俺だしね。
まぁまぁまぁ、そんなことは今は良い。 今度、ロクを交えてゆっくり話すことにしよう。 あいつと約束もしちゃったしな。
「うっし、んじゃまぁアタシはもうちょい見てくるよ。 ポチさんは倫が帰ってきたら、さっきの場所に居るって言っといてもらっていい?」
「うん、良いよ。 気を付けて」
「あいよ!」
リン姉は言い、敬礼をして駆けて行く。 いくら異法使いで、俺たちが異端者で、何人殺してきたとしても、だ。 結局は人間、年頃では好奇心だってあるし、普通の人間が想うようなことだって、普通に想う。 それをあいつらは理解していないだけで、理解しようとしていない。 誰にだって、自分と同じ気持ちがあるのだと。
きっと世間は、俺たちのことを狂った連中とでも批判するだろう。 けどさ、それってオカシナことではないか? まず、その狂っているという定義の話。 一体それはどこから来たのだろう? 基準、それを決める上での基準とはなんだ?
ないんだよ、そんなの。 当人から見て普通のことは、周りから見たら狂っているかもしれない。 だけど、それを決めるのは大多数の声でしかない。 ならば、それは本当に狂っていると言えるだろうか? だから俺はこう思う。
この世には、この世界には、狂った人間しかいないってね。 みんながみんな、狂ってる。 だから世界は狂ったようにしか、進まない。 そういう選択しか、出てこない。 それなら思うだろ? そんな世界終わらせてしまおうって。
「ポチさん、鈴は?」
やがて、リン妹が俺の元へと戻ってきた。 俺は近づかれてようやく気付き、リン妹へと顔を向ける。 そこで、違和感。
「……どうした、そんな焦って」
リン妹は、常に落ち着いている。 姉が姉ということもあり、自分は冷静でいなければならないと考えているからだ。 だから、こいつが動揺するっていうその意味は。
「鈴が危ない。 最悪死ぬ」
「……行くぞ。 場所、教えてくれ」
「こっち」
危ないということは、そういう未来が見えたということ。 リン妹が読み取れる先は、近い未来でしかない。 その近い未来から、俺がした行動、リン姉が単独で動くことによって、確定した未来。 その未来で「危ない」ということは、決まってしまった未来だ。 リン妹の力は、あくまでも訪れることがない未来を見るという力。 たとえば今この瞬間、俺がスナイパーによって殺されるとしよう。 それ以外の多数の未来を予知し、リン妹は避ける未来を選べる。 しかし、どうやってもその攻撃を避けることができなかった場合……その未来不知はまったく意味をなさないのだ。 だから俺は、リン姉妹と戦い勝っている。 二人での連携は手強いが、それでも圧倒的な力の前では無意味なんだ。
「鈴!」
「うおっ……と。 うひゃ、なんだよ倫かよ脅かすなよ! あーびっくりした、心臓止まるかと思った」
急いでリン姉の元へと向かった俺たちは、すぐにリン姉を見つけることができた。 リン姉はどうやらお土産屋の前で腕を組み、首を捻っている様子で、特に先ほどリン妹が言っていた「危ない」ということはなさそうだな。
「……外したってことはないよなぁさすがに。 それはないってなると」
リン妹が外す確率はゼロ。 小数点以下だとか、天文学的数字だとか、そういうレベルの話ですらない。 ゼロなんだ、リン妹が予知を外す可能性は。
「君たち、ちょっと良いかな?」
「……今からって、ことか」
その危険は、今から訪れるということ。 肩を掴まれ、俺は振り返る。 そこに立っていた男は、スーツに身を包み、右目が前髪で隠れていた。 人当たりが良さそうな風貌で、特に危なそうな奴には見えないな。 紳士風な男……といったところか。
「どうかしましたか?」
リン姉妹に任せて、また厄介なことになってもアレだしね。 とりあえずは俺が対応っと。
「いや、ここら辺ではあまり見かけない顔だったから、ついね。 他地区から来た人たちかな?」
優しそうな笑顔で、若い男は言う。 俺はその言葉を聞いてちらりとリン妹の顔を見たが、不審そうな顔をしているだけだ。 違う、ということか? だとしたら、リン妹が見た予知は……。
「ええ、まぁそうです。 こいつら俺の妹で、A地区を一回見てみたかったみたいで。 ああ名乗るの遅れましたね。 俺は矢野で、こいつらは二人ともリンって名前です」
「なるほど、観光ってわけかい。 僕は北条って言う者だよ。 そうだ、もしも良かったら案内をしようか? 矢野くん」
「あーいや、頼みたいところなんですけど、観光の醍醐味ってやっぱり自分たちでいろいろと歩くところですし。 地図も見ずにぶらりぶらり、みたいなね」
「はは、それにしては、さっきは案内機で地図を見ていたみたいだけど?」
……へえ、その部分から見ていたってことか。 良い気分じゃないねぇそれは。 それにこの男、ちょっと気になるな。
「……あは。 なら、リン。 この人に案内を頼もうか」
「ま別にアタシは良いけど。 倫は?」
「お兄ちゃんがそう言うなら」
二人は言い、こうして俺たち三人は、北条と名乗った男にA地区を案内してもらうこととなった。 夕方から用事があるとは伝え、それまでの時間、四人での行動となるのだった。
「A地区はね、基本的によそ者には結構厳しいんだ。 君たちが入っていったレストランで、嫌な思いをしただろう?」
「したした! 超した! あの店員……今でもマジ腹立つなぁ」
ショッピングセンターの中を歩きながら、北条は言う。 その言葉に条件反射のような速度で返すのは、リン姉。 気に食わないことには真っ直ぐに、俺にですら文句を言うリン姉のことだ、相当ムカついてはいたみたいだね。
「……リン妹、妙なのが見えたらすぐ言えよ」
北条はA地区のことについて説明し、それを真剣に聞くのはリン姉。 その少し後ろを歩きながら、俺は小声でリン妹に言う。 だが、返ってきた返事は少々予想外のもの。
「……それが、見えない」
「見えない?」
「入ったばかりだとまだ大丈夫だったけど、もうできない。 ポチさん、この辺りはなにかおかしい」
……異法が使えないってことか、それは。 リン妹の異法が抑えられると少々面倒ではあるが。
そのまま俺は、小さな声で「異法執行」と呟く。 すると、すぐさま僅かな訪れない未来が見て取れた。 でも駄目だな、使えるには使えるが、普段使わないもののせいで、精度が悪すぎる。 とてもじゃないが使い物にはならないか。
恐らく、この地点にはある程度の異法を制御する何かがある。 あのミラージュが放っていた電磁バリアとも違う何かが、だ。 だからこそ、異法使い、異端者である俺たちをなんの警戒もなく招いたということか? んでそうなってくると、リン姉の方も今は異法を使えないってことか。
まぁ、俺が使えるならば問題はない。 戦闘に使えそうな異法なら、今の環境でも問題なく使えるはず。
「それでね、A地区は他の地区よりも過激っていうか……攻撃的なんだよ。 組織的なネットワークがあって、他地区の人たちが入ってきたら、それが全住民にすぐ知れ渡るくらいには」
「攻撃的? それってどういう?」
前の方で、北条の言葉にリン姉が反応する。 俺はそのとき、北条の横顔を見て確信した。
「それも、こと異法使いに関しては、ね」
言葉と共に、リン姉はバランスを崩し、倒れる。 北条がしたことと言えば単純なものだ。 軽く、本当に軽く、リン姉の足に自身の足を当てただけ。 そしていつの間にか、俺たち三人は随分と人気がないところへ連れて行かれてしまったようで。 まんまと罠に嵌ったということを理解できなかった奴は、いないだろう。
「どの面下げてA地区に居るのかな、異法使い風情が」
――――――――間違いない。 こいつは、敵だ。




