第十六話
……妙だな、これは妙としか言いようがない。
矢斬戌亥、確かに法使いとしての状態ならば大した脅威ではない。 異法使いならばそれこそ強大、かつ無敵な存在だが……法使いの状態は、極めて弱い。
だから、なのか? いやしかし、それにしてもこうもあっさりと。
「その上で言ってるんだぜ、降参だって」
負けを認めると、言うのか。
考えろ、何か企みがあるはずだ。 この場で諦め、降参した場合……待てよ、そうか。 さては、私が矢斬を殺そうと近づいた一瞬の隙を突こうとの企みか?
それでもそれが成功する可能性は極めて低いし、当てになるレベルではない。 私自身がそう来ると少しでも頭に入れておけば、確実に反応できること。 諦めきれず、愚策でくるか。
……さすがに詰めが甘い。 いくら異端者のリーダーと言えど、まだ子供だな。
「ミラージュ各機に告ぐ」
ならば私が取る選択はひとつのみ。 みすみす矢斬にチャンスをくれてやる理由もなければ、道理もない。 着実に、確実に葬れる方法を取るだけでしかない。 もしも私が矢斬に個人的な恨みがあれば、この状況は変わっていたかもしれない。 自分のこの手で殺したいと思っていない私にとっては……矢斬戌亥という存在を消すことだけを目的にしている私には、その手は通じない。
ミラージュの編隊は私の指示通りに動き出す。 全てのミラージュに囲まれた矢斬に、逃げる術はない。 しかし、そのときだった。
遥か遠く、西の方角の空が強烈に光った。 私は何事だと思いそちらに視線を向けると、そこにあったのは巨大な隕石だ。
……あの方角、B地区か? しかし何故、B地区にあんなものが?
まさか。
「あっちもあっちでヤバそうだね」
この状態すら、何かの策か? B地区への隕石……一体あれは、なんの仕業だというのだ。 法でも異法でも、あのような現象を起こすことは確実に不可能。
……ん、いや、待て……現象を起こすだと?
さては魔術使いか!? 一体どういう繋がりだ? それにB地区への襲撃の意味は。
あそこには確か、ロイスがいる。 ロイス・アリモンテ。 今ある魔法武器や魔法兵器の根幹を補っている存在だと言っても良い魔術使いで、そして……同胞である魔術使いたちからは、裏切り者と呼ばれる人物。
報復、か? 魔術使いの報復攻撃。 そう考えれば合点が行くが……今まで鳴りを潜めていた魔術使いが、たったそれだけのために行動に出るのだろうか?
いや、頭を冷やせ。 今、この状況を考え、そして正しく堅実な方法を取れ。 私が今すべき仕事だけを頭に入れろ。
私が今すべきこと、それは。
「……構わん、殺れッ!!」
矢斬戌亥という存在を葬ること、それだけだ。
「あは、あはは……あっはっは!」
何が、起きた。
絶対に死んだ、殺したと思った。 矢斬戌亥には避ける気も、抵抗する気も感じられなかった。 だというのに、どうして矢斬は生きている? どうして、逆に私が斬られた? 更に、存在していたミラージュのほぼ全ての機体が、破壊された?
「き、さま……一体、何を」
「いーやさーあ、俺もぶっちゃけ予想外っていうか、ああいや予想はどこかでしてたのかもね。 けど、結果から言えば俺は俺に騙されたってことかな」
違う。 目の前にいるのは、矢斬だけではない。
「これが貴様の異法か、首切り……!」
「私とて、こうするつもりは最初はなかったさ」
殺したと思った瞬間、私の脳裏にひとつよぎったこと。 それが、今現在のこの状況を表している。 私はあの瞬間まで、刈谷島とコクリコの存在を忘れていた。 頭から、抜け落ちていた。 しかし、矢斬を殺したと思ったその瞬間、二人の記憶が蘇ったかのようにハッキリとしたのだ。 恐らくこれが、刈谷島の持つ異法。
「バリアは消えたようだナ」
巨大な鎌を持つコクリコが言うように、辺りを覆っていたバリアは消え去っている。 この状況、最悪だ。 ミラージュを破壊したのは、コクリコの鎌で間違いはない。 しかし恐るべきは、それを可能とさせてしまったことと、それを計算して行動していた矢斬だろう。
いつの間にか、全てのミラージュは対異法になっていた。 対物理のミラージュだけを破壊し、対異法のミラージュは避ける。 それを繰り返すことによって、比率を限りなく偏らせた。 結果としてコクリコの鎌、その広範囲における攻撃で、ミラージュのほぼ全てが破壊されたのだ。 同時に、私の足も深く傷付けられ、満足に立つことはもうできない。
……負け、か。 前言撤回、矢斬戌亥という男は、その存在自体が危険でしかない。 異法使い、法使い、どちらの状態でもない。 矢斬戌亥というその男自体が、危険なのだ。
「もしもーし、ロク? ああ、そんな驚くなよ、幽霊にでもなった気分だからさ」
見ると、矢斬は無線を使い仲間と連絡を取っている。 バリアがない今、回線を遮断するものは何もない。 アリアナ中佐の戦艦から多少のジャミングはできるが、それも役に立つレベルではない。 全てが終わりだ。 矢斬が異法使いに戻ってしまえば、打てる手の全てが封じられる。 ただ、ただひとつの方法を除いて。
「いや、距離があるから集中しないとダメでしょ。 だから先にそっちのそれ、なーんか隕石みたいのどうにかしとけ。 てか、それって誰がやったわけ?」
「……エリザ? ふうん、へぇ。 ま良いや、とりあえずその隕石はお前にしかどうにかできないから、頼むぜ。 終わり次第、俺を元に戻してくれ」
エリザ、と言ったか? 矢斬の言葉を繋げると、あのB地区に落ちている隕石はそのエリザという魔術使いによるものだ。 そしてエリザ……その名を私は知っている。 これ以上ないほどに、聞き覚えがある。
……いよいよこれは、戦争に発展しそうだな。 止める者も力も、ない。
「さーて、どうする法使い。 まぁでも俺も俺で騙されていたわけだし、嘘を吐いたってわけじゃないんだよ。 こいつらさ、ドッキリみたいな真似して本当に性格悪いよね。 そんで何より性格が悪いのは、二人に案として出してた俺かな。 とは言っても、作戦通りに行動してくれたのは二人の優しさだね」
「黙れ、私はコクリコの意思に従っただけだ」
「……待テ刈谷島。 いツ私がそんナ意思ヲ伝えタ? オ前ノ意思だろウ?」
「なんだ、二人してツンデレ? いやまぁ良いんだけどさーあ。 それよりアレ、今はこの法使いよりあっちだね」
矢斬が顔を向ける方向には、戦艦グレンダ。 ただでさえ強力な兵装を持つグレンダに加え、その火力を最大限まで引き上げるアリアナ中佐の法。 私が負けたとしても、最早勝つ術はこいつらにはない。 たとえ異法使いの状態だったとしても、グレンダの主砲を受けられるとは思えない。 地区ひとつを軽く焦土と化すほどの火力に加え、アリアナ中佐の法がある。 さすがに見過ごせない方法ではあるが……この男をここで仕留められるというのなら、是非もない。 それが、私とアリアナ中佐に残されたたったひとつの方法。
だが、どうしてだろうか。 私は今、まったく違うことを考えていた。
法者様が治める全地区。 そのひとつを守れるというのなら……私は、この男に。
『やはり貴様では無理だったようだなぁライン少佐ぁ! だがまぁ良い、貴様もろとも消し飛ばしてくれる』
「……アリアナ中佐、私を殺すと言うのでしたら、最後にひとつお聞かせください」
無線機から聞こえてきた声に、私は言う。 アリアナ中佐の考えが、最後に聞きたかった。 この人は一体、何を胸に宿しているのか。 何を思い、機関に入ったのか。
「あなたにとって、法とはなんですか?」
『あぁ? 法? そんなもの決まっているではないか、笑わせてくれるなよライン少佐ぁ。 私にとっての法、それは――――――――ゴミどもを殺す道具だ』
「……そうですか、分かりました」
私はそれを聞くと、無線機を置く。 話は既に済んだ。 アリアナ中佐は、何も宿していない。 胸の内に信念も、決意も。 そしてなければならない法者様に対する忠誠心ですら、ない。
「矢斬戌亥ッ! 貴様ならあの戦艦を落とせるというのか!?」
「……さぁね。 問題は俺が異法使いに戻ることが間に合うか間に合わないか、それだけだよ」
矢斬は一瞬だけ驚いたような表情をするも、すぐさま最初から見せていた余裕の表情へと変わる。 だが、今はそれすら頼もしくも思えてしまっていた。
落とせること自体が分からないわけではない。 異法使いの状態ならば、落とせると矢斬は言っている。 ならば、もう私は迷わない。 きっとこれは法者様に対する反逆行為で、この場で生き延びたとしても、私は間違いなく始末されるだろう。 だが、それで良い。 私の手はもう、汚れてしまったよ。 心もきっと、汚れてしまった。
だが、これ以上想いを捻じ曲げることはできない。 私は、法使いだから。 残された家族のことだけが、私にとっての悔いとなる。 すまないと、心のなかでそっと謝った。 それで筋が通るわけでもない、許されるわけでもない。 こんなことになるくらいなら、機関になど入らなければ良かったと、一瞬でもそう思ってしまった自分の弱さが、一番の原因だろう。
……すまない。
「私の法を使う。 貴様をあの戦艦の場所まで吹き飛ばす、だから貴様はあれを落とせ。 できるか?」
「頼まれたなら、仕方ないね」
『ライン!? 貴様、裏切る気かッ!? おのれ格下の分際で……!!』
「黙れッ!! 貴様に私の何が分かる!? 法に信念を置かぬ貴様に、格下と呼ばれる筋合いなどないッ!!」
『後悔、するなよ。 ライン少佐ぁああああ!!』
そこで、通信が途切れた。 最早後戻りはできやしない。 そして同時に、するつもりもない。 法使いが起こすことこそ、法となる。 そんな言葉が法使いの間にはあるが、真意はきっと……アリアナ中佐のすることでは、ない。
「あっはっは、良いの? それってさ、あんたが尊敬する法者様を裏切ることになるけど」
「ふっ……今更、何を言うか」
自虐的に笑うと、矢斬はそんな私を冷めた目で見ていた。 無表情で、その眼差しは氷のように冷たくも感じる。 だが、それも一瞬のことで、すぐさま矢斬は笑い、私に手を差し伸ばした。
「オーケー、あんたの考えは分かった。 乗ってやる。 別にこのままあれを撃たれても、俺の異法なら俺は生きられるんだけどね。 けどまぁ……地区を潰されるのは良い気がしないし、協力してあげよう。 感謝しろよ、法使い」
「ああ、感謝しよう。 異法使い」
私は死ぬ。 そんなことは、もう分かる。 振り絞れる最後の力を使えば、私の回路は再起不能だ。 少々傷を受けすぎている今、回路が壊れてしまえば生身の人間と変わらない。 そうなれば、この怪我にも耐えられる構造ではなくなる。
だが、見えた。 それが何かは分からない。 しかし、私とこの異法使いが言葉を交わしたその瞬間に見えたのだ。
矢斬は笑い、グレンダを見据える。 クッション材としてコクリコが異法を足場に使い、私はそこへ向け、法を放つ。 剣を引き抜き、渾身の力を込め、吹き飛ばす。
「任せたぞ……矢斬戌亥ッ!!」
剣先が衝突したその瞬間、法が執り行われる。 同時に体の中で回路が引き裂かれる音も聞こえ、体中に激痛が走った。 しかし、手は止めない。 振り抜き、矢斬をあの場まで届けることこそが、私が背負う最後の罪。
「ああ、引き受けたよ」
矢斬は何事かを言う。 だが、その声は私では既に聞き取れない。
まぁ、良い。 なんとなくではあったが、何を言ったのか私には理解できたのだから。
もしかすれば。
私が果たせなかった夢を……矢斬戌亥、お前は成し得ることができるのかもな。




