第三十七話
あーあ、終わりだね。 ゲームオーバー、矢斬戌亥はこれで詰みだ。 この一手は正直予想外、もしもあったとしても、もうちょい後になってからだとは思っていたんだけどねぇ。 ここまで権力を活用して詰ませてくるとは思わなかったよ。 さすがに俺でも考えていなかった。
「覚悟しろよ、矢斬。 お前が笑っていられるのも今の内だ。 取り調べの管轄は俺の部隊、それがどういうことか分かるよなぁ?」
言ってきたのは、中尉の男だ。 本間という男。 ニタニタと笑い、後部座席に座らされた俺を見ている。
俺の左右には一人ずつ、恐らくこの大尉か中尉の部下だろう。 下っ端だが、本部の人間ということには変わりない。 当然、両者共に手練れだな。 特務兵、それらの一人一人は最前線で戦えるほどの力を持っている。 各支部の支部長ほどではないが、戦うことだけに念頭を置けばプロフェッショナルというわけ。
……さーて、そうなるとどうしようもないね。 俺の力じゃとてもじゃないが突破できないし、逃げられない。 かと言って、このまま拘束されるのも嫌だなぁ。 不自由ってのは嫌いなんだ。 俺は自由をこよなく愛する男だからさあ。 無理矢理与えられる不自由なことほど、嫌いなものはないんだよね。
「どこも一緒じゃないですかねぇ、そんなの」
車は現在、執行機関本部へと向かっている。 そこに繋がる直通の道路は、殆どの人間が本部の関係者。 よって、道には機関の車以外、他の車がいない奇妙な光景となっていた。 幸いなことに外の景色が見えないなんてことはなく、しかし左右の窓から見れるのは流れていく雑居ビルの数々だけ。 正面には随分と真っ直ぐで長い道路が広がっている。 左右に一台ずつ、そして後方には五台、前方に一台、計八台の護衛付きだ。 更にその後ろ、距離を開けて数十台に及ぶ別部隊のおまけ付き。 俺も随分とお偉いさんになれたものだね。 あはは、明らかに警戒しているって感じだ。
「あそうだ。 ところでさ、俺この前心加さんに指折られたんだよね。 あれって違反じゃないの?」
「……知らんな。 私が聞いたのは取り調べの際に抵抗したので押さえ付けたということだけだ」
俺の言葉に、荒井が反応する。 そんな真っ赤な嘘を平気で言える人間ってことだ。 つまりは俺が無実だったとしても、凪との約束は果たされそうにないね。 まぁまぁ、これは予想通り。 法執行機関本部、その中は真っ黒だ。 何も見えないほどに黒い黒い。 比べるのはアレだけどさ、異端者と比べても大して変わらないよ、君たち。
「そろそろ自分の立場を弁えた方が良いんじゃないかぁ? 矢斬。 お前はこれから、取り調べの対象だ。 俺の取り調べは凪少佐よりもよっぽどキツイぞ? ははは」
上司が上司なら部下も部下。 こいつらは心加さんよりも下の位のはずだけど、それでもきっと、心加さんから徹底的に絞れとか言われてるんだろうさ。 別にそれ自体は驚きじゃないけども。
「そんなことよりしっかり前見て運転しないと。 あはは、危ないですよ」
運転をしているのは、本間だ。 その横に座るのが荒井大尉。 俺のことをこの部下たちに任せているということは、それなりの信頼と信用があるのだろう。
「黙れガキが。 今すぐにでもその口を効かせなくしてやろうかぁ?」
「そりゃ怖い。 法者様にチクっちゃおうかな」
「貴様……! 法者様の名をよくも軽々しくと……!」
横に居た男が、俺の頭を掴み下にやる。 痛い痛い、痛いって。 そんな無理矢理やって、首がぽっきりと折れたらどうしてくれるのさ。
「不敬罪も欲しいのならくれてやるぞ、矢斬」
「遠慮しておきます。 あっははは」
法者というのは、法使いの頂点に位置する存在だ。 その素顔は、本部の上層部に居る人間、それも限られた者しか知らないと言われている。 性別も、年齢も分からない。 本当は存在しないんじゃないかと、都市伝説みたいな話もあるくらいに。
「いやまぁどーせいろいろ難癖付けるんでしょ? それならそれで構いはしないんだけど……ねえ、あんたらってそんなに俺のこと嫌いなわけ?」
「いいや、大好きだ。 可愛がってやりたいな」
またしても笑い、本間はルームミラー越しに俺の顔を見る。
ああ、危ないよ。 運転中の余所見は厳禁だ。 さっきも言ったのに、どうして俺の言うことは信用してくれないのかね。 そうやって誰の言うことも聞かないのはマズイよ、いろいろとね。
「ん……? あれは……本間ッ!」
「なっ!? あ、あいつは……荒井大尉! どうしますかッ!?」
目の前に人が現れた。 フードをかぶった小さな小さな女の子。 そしてその顔には、狐の面。 異法使いランク三位、ロク。 あんなところで何をしているのやら……馬鹿だなぁ。
道路の中央に立つロクは、俺が乗った車をジッと見つめている。 避けようとはせず、その場に立ち尽くしている。 狐の面の奥はきっと、笑っているんだとそう思った。
「構わん轢けッ! 異法使いだ!」
「りょ、了解!」
本間は見て分かるほどに焦り、そして荒井は俺のことを睨み付けた。 なんだい、そんな怖い顔をしないでくれよ。
「……やはり貴様は黒か! 矢斬戌亥ッ!!」
「さーあ、どうだろう? 俺は知らないけどなぁ。 誰ですか、あれ」
「クソが……!」
そして、車はそのままロクの元へと向かう。 時速百キロを超える鉄の塊が迫ってきても、ロクは動じなかった。 そしてそれは迫り、衝突する。
「……あれ?」
「消えた、だと? 本間、速度を落とさずにそのまま行け。 後方から攻撃が来る可能性もある。 追跡者は後ろに控えている部隊に……なに?」
サイドミラーを見た荒井はそこで言葉を止めた。 何か面白いものでも見えたのかなと思い、俺も後ろに視線を向ける。 するとあら不思議、後ろにいた五台、そして左右にいた二台、おまけに前方を走っていたはずの一台は綺麗さっぱり消えていた。 ああそうだ、目の前にロクが見えたってことは、そりゃ当然前の車は消えたってことになるじゃん。 うっかりうっかり、突然のことでビックリだよ、俺。 もう陣形を取りながら走っていた車が全部いない。 どこへ行ってしまったのかねぇ。
そして異変を感じたのか、距離を開けて走っていた更に後方の部隊は速度をあげたようだ。 けど、それすら消えてしまう。 ある一定のラインまで行ったところで消えているのだ。 それはまるで、瞬間移動をしたように。
「ど、どうなっているんですかこれはッ! あ、荒井大尉ッ!!」
「おのれ矢斬め……! 異端者に通じるお前を助けに来たか!?」
「殺しに来たんじゃないんですかねぇ。 仮にさ、俺があいつらと通じているとするじゃん? で、その俺が捕まったらどうします? そりゃ消すでしょ、だって情報漏らされたら怖いもん。 ま俺は関係ない被害者なんですけどね。 あっはっは!」
まったく、本当に何をしているんだか。 俺は一切そんなことを頼んでいないのに、勝手なことをしてくれる。 これでもう、俺が通じているってことは疑いようのない事実になってしまったじゃないか。 本当に……面白いなぁ。 こういう予想外の行動を取る、取られるっていうのが面白いよ。 人間の行動全てなんて、やーっぱり把握しきれないや。
「荒井大尉ッ!!」
声を震わせ、本間は再び荒井の名を呼ぶ。 その視線の先に居たのは、今度は別の人間だった。 身長の高い男、そして顔の右半分を骸骨の面で覆っている。
「……異法使いランク二位、だと。 何が起きている、お前は何を知っているッ!?」
「なんにも。 ああだけどひとつ忠告すると……あは。 あいつは轢かない方が良い気がするよ。 轢いたらマズイことになると思う。 予想ね、予想。 俺の言うこと聞いてくれると嬉しいなぁ」
この分じゃ、ロクの奴は全員に声をかけたのだろう。 たった一人、矢斬戌亥という雑魚を助けるために。 本当心底馬鹿で要領が悪い友人を持ってしまったよ。 どうせなら、本部の中も見学しておきたかったのにさ。
「戯言を……! 本間、構わず進めッ! 戦闘になったらただちに法執行の準備をしておけッ! お前らもだッ!」
「ひ、ひぃ!」
「はっ!」
本間の方はもう駄目だね。 動揺して、怯えてる。 咄嗟のことに反応できなきゃ駄目だよ。 しっかし、俺が折角助言をしてやったのに聞かないなんて。 凪の言ったことも聞かず、俺が何もしていないっていうことも聞かず、忠告も聞かず、自分の意見と意志だけで動く人間は駄目だよ。 そういうのはすぐに詰ませられちゃう。 知ってるかい? そーいう人間ってさ。
「う、うぁぁああああああああああ死ねぇえええええッ!!」
自分がもう少しで死ぬっていうことにも、気付かないんだ。 周りが見えていないから。
ドン、という音と共に、車内に振動が伝わった。 そして、勢い良く高身長の男は跳ね飛ばされる。 さすがに防弾仕様、それも法を使っての強化が行われているであろう車は速度を落とすことなく、いとも容易く男を轢いた。
「……あちゃあ。 駄目だって言ったのに」
「や、矢斬ぃ! 貴様は少し黙ってい……な、なんだ!? う、うわぁああああああ!?」
本間は言うと、俺の方へと顔を向ける。 いや、顔を向けようとした。 けど、その途中で違和感に気付いたのだろう。 そりゃあ誰だって驚くさ、悲鳴をあげるのも普通普通。 だから君はなーんもおかしくはないよ。 普通だ、平常だ、正常だ、正しいよ。 実に、法使いらしい。
だってそりゃ、助手席に座っていた荒井が、まるで車に轢かれたように潰れちゃってたら、俺だってびっくり仰天だからね。 俺でもだよ、俺でも。
「本間中尉! このままでは、我々は……!」
「分かっている黙れッ! す、すぐに本部へ連絡を入れろッ!」
「……」
「おい! 返事は!!」
いやぁ、駄目だろ。 返事はできやしないって。 もう、俺の隣には誰もいないんだからさ。 あはハ。
「はぁ……。 馬鹿野郎どもが」
俺は笑いながら、そう呟く。 誰にも聞こえないような、そんな声量で。
「こんにちは、お兄さん。 駄目だよ、誘拐なんてしたらさ。 犯罪なんだよ、誘拐って。 知ってたかな?」
「……は? ど、どうして……なんでお前がここに居るッ!?」
隣に座っているのは、ロクだ。 さっき、ぶつかる寸前に車の屋根に乗り込んでいたらしく、窓を破って中に居た奴を外へ投げ飛ばし、ロクは何食わぬ顔で俺の隣へと座っている。 少し楽しそうな雰囲気が、狐のお面越しにも伝わってきた。 こういうときが一番生き生きしてるのは、可愛い年頃の女の子としてはどうなんだろうね。
それにしても……あーあ、もう駄目だ。 出来る限り傍観者で貫こうと思っていたけど、こりゃ無理無理。 強制的に盤上へと移動させられてしまった。 適当なテコ入れはして、あとは観戦を繰り返そうと思っていたのに、これじゃあもう観戦者、傍観者としての立ち位置はなくなってしまったよ。
まぁけど、仕方ないことか。 それすら、世界の選択であったのだから。 俺という駒が置かれて、ゲームはより盛り上がってくれることをせめて祈らせてもらうとしよう。
「なぁ本間中尉。 君らのミスはさ、俺を異端者に関与してるっていう話で持っていったことだよ。 そうじゃなくて、もっと違う形でこの動きをしていたら、話は少し変わっていたんだろう。 少なくとも、この武力じゃ足りなすぎたね」
「……どういう意味だ、何を言っている、矢斬」
本間は既に、半ば諦めていた。 自分が死ぬということを受け入れるしかないこの状況ではもう、そうするのが正しい。 だからやっぱり、お前は正しい。 間違っているのは俺たちで、それはやっぱり変わらない。
「もうちょっとうまく出来ると思ったんだけど、時間切れみたいだ。 それで始まりだ、戦争をしよう法使い。 ってわけで、ひとまず今回のゲームは」
俺はそこでロクを見ると、ロクも分かっていたのか、俺にひとつの物を手渡す。 猫の耳に、犬の顔をしたお面を。 異法使いの俺に手渡した。
「――――――ワンワン。 俺の正体を見破れなかった君たちの負けだ、法使い」




