第三十一話
「ば……ば……バッキンガム宮殿!」
「だから、最後に「ん」が付いたら負けだよ。 ルール覚えようね」
余程の温度で凍らせたのか、未だに氷は溶けそうにない。 ある程度、身体能力が上がる回路の特性がなかったらマズイところだったけど、この温度ならば問題はなさそうだ。 なので仕方なくしりとりを継続している俺だったが、この子とてつもなく弱いな……。 その所為で随分暇な時間ではあるが、こうするしかあるまい。 この今の状態ならば勝てはしないものの、負けることもない。 それを絶やす必要もないな。
「くそう! 中々やりおるなオジサンめ……さすがに長いこと生きていると知識が半端ないということか」
「……難しい言葉を使ってるのは君の方だけどね。 なんでそうもことごとく「ん」で終われるのか、俺が不思議だよ」
しりとりは始める度に、数秒で終わってしまう。 それを何十回と繰り返し、さすがにため息が出そうになる。 遠距離攻撃を使えるという事実には、気付きそうにないな……。
「くう……ダメだ! 他の遊びをしよう。 何かない?」
「んー。 そうだ、それなら少し世間話でもするか」
俺が切り出すと、巫女装束の少女は「分かった」との気持ち良い返事をした。 素直で無邪気、それ故に恐ろしい面もあるが、こうして話している分には普通の子供だ。
「君はさ、どうして法使いが嫌いなんだ?」
「そんなの決まっている。 悪しき存在で、我々魔術使いにとって有害だからだ。 とは言っても、私自身に特別な感情はないなり。 だからこうしてお前とも話しているのだがな……いつも何かをしてくるのは、お前らだぞ、法使い。 私たち魔術使いをZ地区へと押し込んだのも、今では自らではあるが、元は貴様らの仕業なり」
「……全員がそうではないよ。 まぁ、基本的な考えとしてそういうのが根付いてしまっているのは事実だけどね。 中には良い人も居る。 過去のことについては、詫びるにも詫びようがないんだよ」
「それも分かる。 お前は良い奴だ、法使い。 言っておくが、私が萌えーとしたのは全て向こうからの攻撃があったからだ。 私は何もするつもりはなかった。 別に信じなくても良いけど! 確か第一学園とやらを襲撃した奴の中には「先に仕掛けてきたのはお前らだ」と言った奴がいたんだろう? まさにそれというわけなり。 どぅーゆーあんだすたん!」
少女は無表情で言う。 先に仕掛けてきたのは法使い、彼らがそう思うのも無理はないことだ。 それは事実だと俺も認識しているし、法使い全員が分かっていることだ。 しかし、難しい。 それ故にと言っても言いほどに難しい。 人間は結局、自分を守るので精一杯だからだ。 歩み寄ることよりも、力で押さえつけた方が楽なのは当然だ。 そして今もまた、そういう力で押さえつけようとしている。 俺たち法使いも、異法使いも、魔術使いも。 三者の思惑はその部分だけ噛み合い、止まらなくなっている。
「私がいつ、悪いことをした? それが不思議なんだ、私たち魔術使いは」
嘘を吐いているようには見えない。 それを信じても信じなくても、人が死んでしまった過去は変えられない。 だから……俺の出来ることは。
「魔術使い、俺と一緒に機関へ行かないか? お前の安全は俺が保証する。 お前は悪いことをしていないって思っているんだろ? なら、そういう悪いことが起きないように、それを守るのが俺たち機関の仕事なんだ」
「……それは出来ぬ。 ちょー不可能だ。 私がそうしたいと思っても、それは出来ないリクエストなり。 もしもしたら、私は間違いなくでっど。 速攻ゲームオーバー」
嫌だではなく、出来ないか。 そこには恐らく、魔術使い内部の問題が絡んできているな。 だが、それを取り除くことが出来れば……この少女は。
「ご無事ですかッ! 数多支部長!」
「あらら……タイミングが良いのやら悪いのやら。 悪いね魔術使いくん、どうやら迎えが来たようだ。 もしも気が変わったら俺のところへ来い。 お前となら、うまくやっていける気がする」
「ふ、ふ、ふ。 嘘だな嘘嘘。 この世は嘘で溢れているのだよ、オジサン。 お前は敵で、法使いは私たちの敵だ。 もしも次に会うときがあれば、今度こそ私が勝とう」
少女は言い、続ける。 魔術執行との声を。
直後、氷は全て消え去った。 そして開放された俺は、少女のことを見る。 少女も俺のことを見ていて、数秒そうしたあと、大きな声で言い放った。
「……今回のは引き分けだからな!? 断じて貴様の勝ちではない!」
「分かっているよ、また会おう。 不」
「……うむ!」
なんとも言えない感情、かな。 あの子はどうやら、足が氷漬けになっていても魔術を使えるということに気付いていたようだ。 それなのに、俺との話を望んだ。 選んでくれた。 本来、根本的な部分として、あの子は戦うこと自体はあまり好きではないのかもしれない。 なんて、そう思わせる出来事だった。
冷たく、暗い。 負け負け、僕の負けだ。 舐めてたし、油断してた。 能力に頼りすぎていたってのが一番大きかったかも。 とにかく、僕はここで死ぬ。 悔しさはないけど、一応これでも死ぬ気で戦っていたんだけどなぁ。 最悪、僕がもしも怒っていたらどうなっていたか分からないけど。 ああでも、そしたらポチさんに怒られちゃうや。
うーん……心残りは、ポチさんに挨拶できなかったことかな。 けど、こうして異端者として動いている以上、覚悟していたことだよ。 いつ死ぬのかなんて分からないんだから、当然だろう?
「……星が見たかったなぁ」
最後に見たかったよ、星が。 空を見上げている僕の視界には、未だに広がる雲があった。 でも、ちょっと期待していたんだ。 雲たちはどうやら、もうちょっとで隙間ができそうだったから。 それができれば、その隙間から星が見えるかもしれないってね。
仰向けに倒れ、僕は突き刺さった短剣の痛みを感じる。 熱く、けれど冷たい。 腕の感覚から足の感覚がなくなっていき、段々と痺れ、そして何も感じなくなっていく。 血が冷たくなってきたような気持ち悪い感じは全身に広がって、僕の体はもう動かなかった。 体に当たる雨粒の感触も感じられない。
「言い残すことはあるか、異法使い」
僕を見下ろし、女は言う。 危ないね、この人は。 武器の扱い方も相当なものだけど、それ以上に厄介なのは確固たる信念だ。 僕ら異法使いに屈しないという強い意志がある。 だから、この人は僕らにとって危険な存在になる。 そんな警鐘が鳴らされているんだ。
伝えないとと思った。 法使いの中にも危険な奴は居ると。 甘く見過ぎない方が良いと。 けど、伝える術が存在しない。 だったら。
「僕の負け。 だけどね……僕らの勝ちだ、法使い」
僕は死ぬよ、今日ここで死ぬ。 けど、最後に勝つのは僕たちだと決まっているんだよ。 たとえ僕以外のみんなが、同じように殺されてしまったとしよう。 それでも異端者は殺せない。 ポチさんが居る限り、君ら法使いは確実に負ける。 あの人の強さは正直言って超越しているんだよ。 全ての現象は、捻じ曲げられるほどにね。
「いいや、最後に勝つのは私たちだ」
言って、女は剣を振り上げた。 避けられないし、避ける気力もない。 矢斬さんはこれをきっと、世界の選択だと言うのだろう。 ポチさんはこれを……なんて言うんだろう? あはは、ちょっと分からないや。
視界に映る雲。 あと少しで星と月が見えそうだったのに、その動きがぴたりと止まった。 風が止み、頬を撫でる気持ち良さもなくなった。 まるで、全ての風が止まったように。
ツイてないなぁ。 まぁ、異法使いとしての罰ってところかもしれないよね。 僕にお似合いかもしれない。
「……ごめんね、ポチさん」
そう言って、僕は目を瞑った。
……あれ。
しかし、一向に攻撃は来ない。 異法無効化の武器のおかげで久し振りに痛いって感覚は味わえたけど、それすら感じられなくなってしまったのだろうか? それとももしかして、もう死んじゃっていたり。
そんなことを思う。 けど、声がした。
「――――――――ごめんな、来るのが遅れて。 ロク、大丈夫か?」
声が聞こえる。 良く知った声で、僕が好きな声だった。 それを聞き、夢だと思いながら僕は顔を上げる。 ああ、そうだ。 思い出したよ、僕は。 ポチさんから教えられた、大切なこと。
人は暖かくなくても、人は愛情を与えてくれなくても、世界はとっても暖かいという、言葉を。




