第三十話
「おやおや、そろそろ終わりかなぁ」
俺は街を眺め、呟いた。 ところどころが光り、消えては点いては繰り返している。 幻想的で、神秘的な夜景だった。 感慨深い気持ちに勝手に一人でなって、俺は笑ってその景色を眺める。 法使い、異法使い、魔術使い。 規模は小さなものかもしれないけど、それらが混ざった。 相対した彼、彼女たちは何を思いながら戦うのか、何を目指して戦うのか、そしてその先に何があるのか、まだ知らない。 こうして傍観者でいる俺ですら、分からないんだよね。
今回のことは、半ば俺が起こしたことと言っても良い。 あの日、俺が心加さんに取り押さえられたときに現れた魔術使い、あいつらを見て思ったんだ、やっと始まったって。 けど、その中身はどうやら俺を盤上に置こうとしている誰かの仕業だったらしい。
「エリザ様ねぇ……」
恐らくは、魔術使いのトップだろう。 そいつがどうして俺なんかに関わろうとしてきたのかは分からない。 俺のような凡人に、魔術使いのボスが一体何用なのだろう? 多少、本当に少しだけ気がかりではあるけど……その気がかりと同程度くらいには、心当たりもあるんだけどね。 まそれは今はどうでもいーや。
魔術使いに、二匹の使い魔。 そして四人の法使いに、一人の異法使い。 それぞれの戦いは、終わりを迎えそうになっている。
「ま、そりゃ始まればいつかは終わるよね。 当然当然っと。 さて、俺の予想だとトータルで見れば法使い側の勝ちなんだけど……どうなったかな? ありゃ」
眼を使い、俺は周囲の状況を観察する。 だが。
うーん、どうにも芳しくない結果かも。 凪や小牧さん、それに数多という法使いが負けないのは分かっていたこと。 単純な話だよ、それこそ。 だって、将棋の歩兵が飛車や角に勝てるわけがないだろう? チェスのポーンが、クイーンに勝てるわけがないだろう? そんな当然のことは分かりきっていたんだよ。 でも、ちょーっと想定外のことがひとつあってさーあ。
「ポーンに負けそうなクイーンか。 少しイレギュラーだね、これ。 クイーンが少し手を抜きすぎてるようにも感じるけど。 あはは」
思った以上にポーンが強かったか、それともクイーンが手を抜いているか。 さぁどっちだろう? 俺は後者だとしか思えないね。 アリスは本当に強いんだからさ……負けるわけがないのに。 まそれはそれとして。
「あっちのクイーンたちはどうやら予想通りかなぁ。 意外性もなくてつまんないや。 ルーク同士の戦いは、当然引き分けで終わりそうだし」
あーあ、もっと楽しいことが起きないものかねぇ。 これだと俺が折角用意した盤上が盛り上がらないじゃん。 せっせと動いて、せっせと用意して、せっせと観客席へと来たのに。 やっぱりこういう立ち位置も、そろそろ飽きてきたかも。 見るだけってのはすぐに飽きちゃうね。 駒として参加した方がよーっぽど楽しいかもしれないよ、これじゃ。
それと、嫌な予感もひとつあることだし。 さっきも少し思ったけど、心当たりってやつ。 この心当たりが的中してたら本当に嫌なんだよなぁ。 それこそ、凪が最初に魔術使いの存在に勘付いたときのことを思い出すよ。 俺の予想は状況の視察ってところに落ち着いてたんだけど、もしもこの心当たりがそうなんだとしたら、てんで的外れの方になってしまうから。 まそれもまた最悪ではなく最高なんだけど……話の、盤上の盛り上がり方としてはね。 俺個人の意見だと嫌だなぁってのが正直なところなわけ。 まーそれはないだろうけどさ。
「クライマックスはどうなることやら。 ま別にどうだって良いんだけどさ、すぐに次の動きもあるだろうし」
俺は空を見上げ、雨を顔に受ける。 気持ち良い、最高とは言えないけど、冷たい雨が今は心地良い。 世界はとてもとても、溢れているよ。 希望とか絶望とか怒りとか悲しみとか憎しみとか幸せとか不幸に溢れている。 そんな世界は愛されているんだ。 俺によって、人々によって。 駒は今日も動いていく。 倒された駒は起き上がらない。 異法使い側にとっては、今日のこのクイーンが倒されるという出来事は寝耳に水だろうなぁ。 けど、そうなるとすこーしバランスが悪いね。 傾きすぎて、崩れてしまう可能性がある。 危うい危うい。 今のこの絶妙なバランスは保っていたいことだし……魔術使いのボスさんも、俺が思うに面倒くさがりだから重い腰を上げるのに時間はかかるだろうしね。
「というわけで、仕方ない。 それにあの子は俺の友人だからなぁ。 見捨てるのはちょっとどうかと思うから」
もしかしたら、それが本音かな。 世界のことなんかどうだって良くて、俺はあの子を助けたかった。 そう言えば聞こえは良いかもしれない。 俺のことなんて、俺ですら分からない。 世界がそう決めているのだから、分かるわけがない。 俺はこれでも、常に逆らおうとしているんだよ? 世界が決めようとする選択に。 でも、結果的にそれはやっぱり世界の選択になってしまうんだ。 AとBの道があって、Aを選んでも世界の選択。 Bを選んでも世界の選択。 その選択したあとの道は枝分かれして、その世界ではその世界の選択となるんだ。 だから、この世界もその枝分かれしていった世界のひとつに過ぎない。 俺がもしも願いを一つ叶えられるとしたら、そういう枝分かれしていった別の世界を見てみたいよ。 けど、非常に残念なことに俺が見れるのはこの世界だけ。 だから、ちょっとだけ逆らう選択をしてみよう。
「さて、今日のこの日の俺の行動が、どうなっていくのかな。 とは言っても大した変化なんてないだろうけどさ、それでも俺は面白いと思うよ」
いつか、この腐った世界の結末を見てみたい。 腐りきって、腐敗したこの世界を。 俺が変えられるとしたら、その世界にある、落ちているゴミを拾ってゴミ箱に捨てるくらいだ。 俺なんかでは、その程度しかできやしない。 けど、君ならそんなことはないだろう? 君なら世界を大いに変えられるだろう? だから俺に見せてくれ、君が変えていく世界をさ。 君が持つ最強の異法で、俺に見せてくれ。 君は確か、世界は暖かいとそう言っていたっけ。 それは俺も思うところだよ、法使いの俺でも、それは確かに思えることだった。 だから、さ。
違う俺でも、それはやっぱり同じことを思えるってことなんだ。
「避けられると思うなよ、ラングドック」
風が止んだ。 無風、そして静けさが辺りを包む。 雨は一直線に落ち、土に吸収されていく。 髪は靡かず、音は止んだ。
「……ッ!」
ラングドックは咄嗟に防御の態勢を取る。 それで防げると思うか? 思うのならば構わん、私はその上から斬り伏せるだけだ。
「――――――――法執行」
直後、世界は停止した。 この周囲だけではなく、世界の風が停止した。 凪の一閃、風なき、音なき、斬撃。 それを初めて見せてもらったとき、私は感動して涙を流したのだ。 この世にこれほど美しい剣技があるのかと、この世にこれほど感動できる一閃があるのかと。
まさにそれは、魅入ってしまう一閃だ。 水平に構えられた剣は、風を裂くのではなく空間を裂く。 無音で、風を切る音もならずに。
「……おいおい、そりゃ反則だろう、法使い」
横に構えられた剣は、周囲を斬る。 だから私としても良かったんだよ、この何もない空き地はな。 あの住宅街で使えば、家もろとも切り裂いてしまうから。 この場所の方が、私の好みだ。
「一閃する」
言い、私は剣を振った。 ひどくゆっくりとした剣は、斬ったあとに何も残さない。 風も起こさず、音も残さない。 だが、それは避けられる斬撃ではない。 受け入れる斬撃だ。
法武器ルーエ、その回路は開かれた。 私の手を介し、同時に私の回路も開かれる。 繋がり、そして斬る。
「……」
ラングドックは反応できず、その場に立ち尽くす。 その距離は百メートルほど離れていたが、それでもラングドックは危険を感じたはずだ。 それでも避けられないのだ。 この剣の一振りは。
凪の家に伝わる法、そのひとつがこの接続の法。 私が持つ七つの法のひとつだ。
「な……に?」
ラングドックの体は切断される。 そして数秒の時間を置いて、私の斬撃、到底届くわけがない距離からラングドックの斬り伏せる。
「現象とは、行動と接続、そして結果の三種だ。 行動を起こし、それを接続し、結果に繋がる。 このルーエの一閃は、その現象自体を捻じ曲げる」
数多支部長の法とも違う、私の法。 そしてこの剣だからこそ使える絶対の法だ。
だからこそ、この剣の使用は控えろと兄上にも言われていた。 まさにそれは、異法使いのような武器だから。
かと言って、法武器を扱えるのは回路を繋げられる法使いのみ。 そういう点で考えれば、やはりこの法武器も法使いの物でしかない。 異法使いにも異法武器と呼ばれる物は存在するが、その性能は天と地の差。 本物と偽物、その違いは絶対のもの。
「なる、ほどな。 結果と行動の逆転……か」
「そんな単純な話ではないさ。 だが、貴様に伝えることはない」
ルーエの法は、時間とも接続されている。 私がこのルーエを振り、そして引き起こされる結果。 その結果を未来から接続し、行動に移す。 つまり、絶対に避けられない一撃。 必中にして必殺の剣、それが法武器ルーエだ。
だが、この剣を振れるのは私が「必ず斬れる」と確信したときのみ。 そういう面で見れば、多少自信家である私にこの剣が託されたのも納得ができるというものかもしれない。 少し、納得いかん理由ではあるがな。
「……い、や。 残念なが、ら、次はある。 時間の、ようだ」
途切れ途切れ、ラングドックは言う。 そして、ラングドックの体が消滅した。
……気配があるな。 しかし、遠い。 斬っても死なないとは、魔術使い……使い魔とは不思議なものだ。 私は斬ることだけに集中していたが、致命的なミスとも言えよう。 失敗、か。
使い魔ということは戻ったのは数多支部長のもとだろうか? だとするならば数多支部長の方が気がかりになってくるが、あの人ならば問題はあるまい。
それに遠くに感じていたもうひとつの気配、それもまた幸ヶ谷さんのもとから離れていっている。 あっちもどうやら終わったようだ。
にしても、その結果を斬ることではなく、殺すことに向けていたら……いいや、どうだろう。 私がその意識を確信的に思えることは、ないかもしれない。
ともあれ、こうして一人の魔術使い、使い魔との戦いは終わる。
「俺の勝ちだゴミ虫」
「……無茶苦茶ですねぇ」
俺の前に、メスガキは倒れている。 その右腕はなく、左足もない。 全て、斬り落とした。
俺がしたのは単純なことだ。 こいつの力は、風を操作することによって起こされている。 予め起きている風を動かすことによって、俺の斬撃も突風も自由自在に操作していたというわけだ。 当然、多少の風も発生させていたのだろう。 だが、不思議なことに風がピタリと止んだんだ。 こいつは必死に風を発生させようとしたが、それすら不可能なほどの無風が起きた。 生まれた瞬間に消え、そして静かな静かな時だった。
……マジで神様とかいんのかねぇ。 いいや、居ても関係ねえか。
「テメェの敗因、教えてやろうか」
「いやぁ……どう考えても風が使えなくなったことですよぉ」
「はっ、ちげえちげえ。 全然ちげえよボケ。 テメェの敗因は、俺が一番嫌いなクソ野郎の顔を思い出させたことだ」
ああ、てか思い出したら胸糞悪くなってきやがった。 あのクソボケ……矢斬のゴミ野郎、マジ次会ったら殺そっと。
とは言っても、俺が私になればその感情がなくなってしまう。 どうやら私の方は矢斬のクソ野郎に対して嫌な感情は抱いていないようだ。 ったく……あのボケカスの何が良いのか、さすがに理解に苦しむぜ。
「そうですかぁ……そうは言ってもあなたの暴力的な力は嫌ですねぇ……」
「あ? 俺は超可愛い女子高生ちゃんだぞボケが」
「超可愛い女子高生ちゃんが森の木をなくしてしまいますかぁ……あり得ないですよぉ……」
言われ、辺りを見る。 そこでようやく気付いた。 俺はどうやら、森の木を全部斬り伏せてしまったらしい。 自分のことながら、ちょっとやり過ぎたかもしれない。 ハゲ山になっちまったな。
……ま、どうせ後始末に追われるのは私の方だ。 俺の方じゃないから構わない構わない。 っつうわけで。
「終いだ。 来世では清く正しく美しく、俺のように生きるこったな」
「それは無理です不可能ですぅ。 わたしぃ、どうやら帰らないといけないみたいなのでぇ」
「あん?」
メスガキの体は、その言葉を残して霧のように消えた。 なんだ、これが噂の魔術使いの死に姿……ってことはねぇよなさすがに。 逃げられたか。 相手の回路に残されていた力は殆どなかったし、こりゃ俺の勝ちで良いのかね。
んなわけねぇよな。 負けだ、コレは負け。
「……弱いねぇ、俺は」
刀を握り、天を仰ぎ、俺は呟く。 今回の戦いも、前の戦いも。 ギリギリも良いところだし、ボコされ具合も笑えねぇ。 だったらどうするか、そんなことは決まってる。
「もっと、力を付けてやる。 一撃で全員ぶっ倒せるような力を」
俺は言い、笑った。 力が足りないなら力を付ければ良い、一番単純明快なことだ。 策で差を付けられるのなら、その分俺が力を持っていれば良い。 やっぱり面倒くせえことは考えたくねぇ。 こそこそとするようなネズミは、拳でぶん殴るのが一番はえーんだよ。
さて。
「……さすがにまだ私には戻れねえな。 凪の奴に体治してもらうか」
あーあ、かったるい。 一段落したと思えば次は人探しか。 つうか、あいつ負けてねえだろうな?
思い、俺はまた笑った。 あいつが負けるわけねえってな。




