第二十九話
「っ!」
腕、足、腹部、体はズタズタに裂かれていた。 血が出て、雨でそれは流れていく。 服に血が滲み、そして僕の服は破れていく。 だけど、それでもポチさんに貰ったお面だけは、傷付けないようにしていた。 こんなやり方、ポチさんに見られたら怒られるだろう。 自分よりも大事にしてどうすんだ……とか言って。
「どうした異法使い。 手も足も出ないか」
言葉と共に、短剣が二、三本飛んでくる。 それを僕はなんとか避けたが、それでもまた腕を掠っていった。
回数を重ねるごとに、精度が増している。 いや、ひょっとしたら僕の体力がなくなってきているのかな? そう思っている間にもまた、短剣は飛んでくる。 法使いの戦い方は、単純なものだ。
短剣を投げ、また短剣を投げ、そして接近して斬り付けてくる。 それを僕は避けることしかできないが、その避けることによって法使いに場所を与え、地面に落ちた短剣を僕に投げつけてくるという始末だ。 服の下に相当な数を予め仕込ませておいたか……用意周到だなぁ。 今ではもう、そこら中に短剣が散りばり、どこへ行っても武器の宝庫。 うん、マズイね。
「ほんとにさ、やっぱり夜の雨は嫌いだよ、僕は」
「私もだ。 よって、手早く帰宅するためにお前には迅速に死んでもらう」
一度傷を付けることさえできれば、僕の勝ち。 しかし、その手立てがない。 女は女なりに体を鍛えており、中でも反射神経がずば抜けて高い。 僕の速度で迫っても、容易に反応されて防がれる。 逆に攻撃をされるほどだ。 接近されたときも隙がなく、遠距離でも隙がないときたもんだ。 せめて、敵の攻撃をいつものように無視ができるならいくらでもやりようはあるんだけど……厄介だね、あの武器。
そんなことを思うと同時に、やっぱり違うなぁと思った。 あの学校に居た人たちとは全然違う。 日々実戦を重ねている人たちは、やっぱり強いや。 僕もそれなりに戦ってはいるけど、ここまでやれる法使いも居るんだね。 これでどうやら一等らしいから、各地区に居る支部長や本部に居る奴らは一体どれほど強いのだろう? もしかして、ポチさんよりも強い人がいるのかな?
……ないなぁ。 それはやっぱりないや。 ポチさんの力は規格外、あの人が負ける姿はちょっと想像できないよ。 僕が負けることはあっても、ポチさんが負けることは絶対にない。 そう、絶対に。
「シッ!」
「っと。 怖いなぁ、ヤダヤダ。 そういう武器、ちょっとズルくない?」
僕の異法が通用しない。 それがどれだけ厄介なことなのか、理解していなかったね。 そんなことは考えたこともなかったから、当然か。 ポチさんやみんなに言われている通り、僕の力は戦闘向きではないよ。 力の差が均衡すればするほど、それは明確に分かっちゃう。 傷を負わせられない相手には、無力なんだからさ。
「貴様に文句を言う資格はない。 お前には人の気持ちなんて分かるわけがない。 殺された者の悔しさも、無念もな」
「あは、それはちょっと分からないや。 けどさぁ、君らだって僕たちの気持ちが分からないだろう? それと一体何が違うの? 君にさ、毎日殴られて足蹴にされて、罵声を浴びせられて、人として扱ってもらえない僕たちの気持ちが理解できるのかい?」
「……」
女は、僕の言葉に押し黙った。 何かを考えているのか、それとも何かを想っているのか、その気持ちはやはり分からない。 法使いと異法使いは相容れない、それは当たり前で、当然のことだ。 何年、何十年と対立していた……もとい、虐げられていた僕たち。 その気持ちを今更分かって欲しくもない。 だから僕たちは動き続ける、殺し続ける。 気持ちを理解してもらえないのなら、理解させるしかない。 ポチさんはそう言って、僕たちをまとめてくれている。 それにハッキリとした目的なんかなく、ただの仕返しにすぎないことも分かっている。 復讐は復讐しか生まない、だからやめろって言うんだろうさ、誠実な人はね。 けど、良いじゃん別に。 僕らの復讐が原因で法使いに復讐されても、また僕たちが復讐をするだけだ。 君たちが諦めるまで、僕たちは続けるつもりだよ。
「たとえ、分からなかったとしても。 私たち法使いが間違っていたとしても、だ。 お前ら異端者の行動が正しいとは言えない。 間違った方法で物事を進める気か、お前らは」
「間違った方法? どこが? 間違っているのは君たちじゃん」
「……可哀想な奴め。 人を恐怖で従えるのが正しいと思っているのか。 人を嬲ることを正しいと思っているのか。 人を殺すことを正しいと思っているのかッ!!」
一瞬だけ、その迫力に飲まれた。 何か、あったんだ。 過去にこの人は何かがあった。 それを理解し、その重さも同時に分かった。 けど、やっぱりそれは受け入れられない。 どんなことが昔にあったとしても、僕たちは変わらず、変われない。 もっと早くこの人に会えていたらもしかしたら少しは変わったのかもしれないけど、もう手遅れだ。 一度動き出した歯車は、止められないよ。
「それを正しいと教えてくれたのは、君たちだよ、法使い。 僕は今日まで、千回以上殺されかけた。 僕は十歳だけどさ、能力が出たのは七歳だ。 七歳から十歳、三年の間に千回は殺されかけた。 一日に一回死にかけるんだよ、それが分かる? それで僕を殺そうとしてくるのは、決まって君たち法使いだ。 もちろん、僕が無抵抗でやられてたらの話だけど」
このままじゃ殺される、そう思うことが沢山あったんだ。 だから殺される前に殺すことにした。 ほんと、面白いんだよあいつらは。 殺しに来たのに、殺さないでくれって懇願してくる。 それが楽しくて楽しくてさ、ついつい遊びすぎちゃうんだ。 生身の人間、法使いじゃなくなった人間の体って、本当にオモチャみたいに壊れやすいんだよね。 泣いて許しを請う人も居た。 頭を地面に擦り付けて命だけはという人も居た。 俺以外は殺して良いからと言った人も居た。 僕はその全部を殺してきた。 楽しいよね、自分より弱い生物を殺すのは。 君たちも良く知っているでしょ?
「だが、生きている。 生きているならばいくらでもやりようも、やり直すことだってできる。 なのに、なのに貴様は……人を殺した。 殺された者は、もう戻らないということを理解しろッ!! 貴様はそれでも人間かッ!!」
「お断りだ。 僕は異法使い、異質で異常で異端だ。 君たちみたいに明るい道を歩いてきた人に、何が分かる」
僕の歩いてきた道は、ずっと見えなかった。 暗く、寒く、冷たかった。 そこで灯りを渡してくれたのは、矢斬さんだ。 そして隣に立ってくれたのが、ポチさんだ。 怖くて怖くて怖かった道を楽しい道にしてくれたのが、異端者のみんなだ。 僕はそう変われた。 みんなが居たから、変われた。
僕はさ、羨ましいのかもしれない。 感情なんてあの頃はまったくなかったけど、今では笑いもするし怒りもするし、悲しかったら泣きもするよ。 当然、嫉妬だってするさ。 ポチさんがルイザさんやリンさんたちと話していたらモヤモヤとするしね。 そういう人間の感情を持っているんだよ。 だから、今は胸を張って言える。 あのときは言えなかった言葉を今は言える。 それを否定しないでくれよ、僕は人殺しで、異法使い。 だけど。
「僕は、それでも人間だ」
同じだよ、君たちと。 法使い、異法使い、魔術使い。 それぞれ思っていることは違うし、考え方もやり方も、強さだって違うけど。 それでも元は同じ人間だ。 八歳を……僕の場合は七歳を。 その日を迎えるそのときまで、本当に世界は広かったのに。 いろんな世界があるんだなって思えたのに。
今となっては、世界がこれでもかってくらい狭いんだ。 狭くて、醜悪で、とても綺麗とは言えない。 悲しいよね、僕が夢見ていた広い世界は、まるで小さな箱庭だったのだから。
「……話は終わりだ。 やはり、お前はここで仕留める。 覚悟はできたな、異法使い」
「覚悟なんて、とうの昔にしているさ。 最初に殺されかけたときに、決めたんだ」
「……ふっ!」
僕の言葉に、女は地を蹴った。 そのまま一直線に向かってくると思ったが、飛んだのは横だ。 その際、地を蹴る寸前に僕の元へまたしても短剣を投げつけている。
飛んできたそれを避ける。 横への回避、一本ならば避けるのに苦労はせず、しかしどうにも足は言うことを聞かなくなり始めていた。 体を動かし続けるのには慣れていない。 元々、僕の戦い方は攻撃を避けはしないからね。 そういうサボりが、ツケとなって今回ってきてしまったよ。 体力はそこそこあるつもりだったのに、この女の人はどうやら機械でできているようだ。 そう思っちゃうくらいに良く動く。
「怖いねぇ」
「怖いか。 ならばもっと恐怖しろ。 お前が傷付けてきた人たちのように」
女は壁を蹴り、今度は逆方向に飛ぶ。 早いな……そして動きが手馴れている。 実践面で考えれば、かなり優秀じゃないのかな? この人。 戦闘だけが評価される世界なら、本部に居てもおかしくはなさそう。
そんなことを考えている内に、今度は二本。 数秒の間隔を置かれて放たれたそれを再び横へ避け、足元に放たれたそれは上に飛んで回避した。
「チェックメイト」
声が聞こえた。 僕よりも更に上からだ。 そして、街頭にかぶさるように女の姿はある。 僕はそれを見て、何をと思った。 いくら上から攻撃を加えても、それが当たる前に地面へと着地できる。 そうなれば、避けるのは可能だ。 そろそろ潮時、足止めも充分できたし撤退しても良いだろう。 だが、女の策に僕は既に嵌っていたみたい。
「……」
小さく、女が笑う。 そして、手で何かを引いた。
「まさか」
街頭の灯りに女の姿は浮かび上がっている。 そして、それとは別にキラリと光る物が見えた。 糸……ピアノ線、その糸を引いた? 勢い良く引かれたその先に繋がっているのは――――――――大量の短剣だ。
地面へと落ちていた短剣は、まるで生き物のように動き出す。 不自然なことに、短剣の先は全て僕へと向いていた。 直線上、僕と女の位置関係、短剣の位置、それらが全て罠だった。 女は糸を引けば、地面に落ちている短剣は直線上に居る僕へと突き刺さる。 その数、五十本以上。 四方八方から向かってくるそれを避ける術は……ない。
短剣同士がぶつかり合い、雨が降る暗い路地裏に甲高い音が鳴り響く。 そして、その短剣は僕を殺そうと向かってくる。
「……」
最悪だね、ここで死ぬことはなさそうと思っていたけど、まさかこんなことになるなんて。 まぁでも、それでもそれなりの人生だった気がするよ。
「なんてね」
「……しぶとい奴だな」
僕がしたことは、単純なこと。 身に付けていたローブを回し、その短剣の威力を消した。 絡まった短剣は当然威力をなくし、塊となって僕へとぶつかる。 しかし、それでも数本は僕の体へと突き刺さった。 深くはないが、傷を負ったといえるには充分なものだ。
「ッ!」
女はそのまま、今度は上空から僕に向かって短剣を突き刺す。 意外だったのは、女が空中で加速したことだ。 法、か。 ここで起きている現象は……落下速度? それとも重量、それを強化したということかな。 それをひたすら使わなかったのも、全てはこのときのため。 良く考えて、そして状況を利用して戦う人だ。 この人は実戦向きという僕の考えは、間違っていなかったみたい。 最初にこの人がポチさんと戦ったとき、もうちょっと観察しておけば良かったかも。
「言ったはずだ、チェックメイトだと」
「そうだね、そうみたい」
それを避けることはできなかった。 短剣に貫かれることはなんとか避けられたけど、女に覆い被さられてしまった。 でも、僕に近づいたら駄目だよ。 その態勢じゃ、僕の腕が見えないだろう?
「あれ」
指を動かし、女の体を切ろうとする。 しかし、不思議なことに女はすぐに僕から距離を取る。 僕の指は宙を切り、そして。
「ああ、そういうこと」
「終わりだ、異法使い」
予め、宙に短剣を放っていたか。 普通だったらこの態勢からでも避けられたけど……あはは、足が動かない。 駄目だ、チェックメイト、まさしくそれだ。
「かはっ……」
そして、僕の腹部に短剣は突き刺さる。 痛みが広がり、今までよりも一段と血は流れた。
雨に濡れた地面が赤く染まる。 赤い、赤いな。 僕の血はまだ赤いのかなと思ったけど、まだ赤かったよ。 良かった、僕はまだ人間だったみたい。 それが最後に知れたのは、嬉しいよ。
体が冷えてきた気がする。 腕に力が入らない。 血はどくどくと流れ続ける。 寒いなぁ……痛いな。
痛いと思ったのは、久し振り。 あの公園での出来事以来かもしれない。 そっか、痛みってのは、こういうものだったんだ。 僕はそう思って、目を閉じた。 目を閉じたそのとき、雨ではない何かが一緒に流れた気がした。




