第二十八話
「魔術執行、腕の傷を拒否シマス」
「はっ……化け物だね、まさしく」
目の前の少女、不と名乗った少女は魔術を執行する。 すると、次の瞬間になくなっていた腕が元に戻った。 瞬間治癒、そして異様なのは魔術を執行するときの顔付きだ。 まるで同じ人間とは思えないような違和感がそこにはある。 機械のような発音と、受けた傷をなんとも思っていないような淡々とした詠唱。 少し、妙だ。 俺が知っている魔術とは少し異なる異様な雰囲気。 この子、一体何をしている?
「私のことを化け物とな。 であれば、そんな化け物の腕を落としたオジサンはちょー化け物」
「オジサンねぇ。 俺はまだそんな歳を食っているつもりはないんだけどな。 魔術使い、お前はどうしてここへ来た?」
身体能力ではこちらに部がある。 不が執行する魔術も、多種多様だが対処はできる。 人体発火の魔術を使われたらそれこそ終わりと思えたが……どうやら、あの魔術は自分より遥か下位の者にしか効かないようだ。 それは魔術だけでなく、法や異法も一緒だな。 たとえ同じ能力であろうと、その能力が強い方が打ち勝てる。 唯一安心できるのは、俺の回路が不の魔術を上回っているということだけってのがあれだけどな。
「さっきもそれは言ったはずだよ。 私は上司の命令でここへ来た。 矢斬戌亥の誘拐……連行……あいや、招待が任務なり」
「……矢斬戌亥、ね。 一応言っておくと、それはこっちの世界じゃ違法行為だよ。 誘拐罪ね」
「へえ、そうなんだ。 けれど、あいつは法使いだから別に良いでしょう? 法使いには何をしても良いというのが、魔術使いのルールなり。 お前らが私たちにしたようにな」
……そうか。 やはり、異法使いだけではない。 魔術使いもまた、俺たち法使いを恨んでいる。 かつてあった異法使い、並びに魔術使いに対する差別は根強く残っている。 一度長く続いたそれは、もう消し去ることはできない。 その結果が、この状況に繋がっているというわけだ。
「だがな、魔術使い。 お前ら魔術使いの一部は機関と繋がりを持っている。 知っているか? 法回路と魔術回路を組み合わせた武器が作られたのを」
事実だった。 以前から変わり者と言われていた魔術使いは、俺たち機関と繋がりを持っている。 そして、その成果が最新の武器として出来上がった。 能力を消し去る武器、魔法武器。 法使いと魔術使いの回路が似通っていることから、成功した道筋だ。 それが関係を修復する第一歩となり、道筋を照らしてくれるような気がしてならないんだ。
「ああ、知らない。 それは知らないな。 けど、どうせライムの奴らだろう? ライム・シューイ・ハンベルグ。 卑怯で姑息でゴミのような奴だ。 あいつらの一派はクソゴミ共だからね」
「……派閥があるのか? 魔術使いの中には」
聞こえぬように、俺は呟いた。 法使い、異法使いにはそのような派閥はない。 敢えて言うなら法執行機関という上位の組織はあるが……。 そして、俺たち法使いを一番恨んでいるであろう異法使いにも、そういう話はまったくない。 逆に、結束力が高い奴らが異法使いだ。 それとは逆に、魔術使いには内部で派閥があるのだろうか?
「まぁでも、もうないけども。 この前、エリザっちが駆逐しましたので。 根城ごと吹き飛ばしたなり。 今も絶賛なうで進行中なり」
「な……!」
エリザといえば、矢斬戌亥の誘拐を命令した張本人だ。 この不という魔術使いの口振りからして、現在魔術使いたちを束ねている存在かと思われる。 そいつが、仲間である魔術使いを殺したのか? この子の言葉から対立をしていたことは伺えるが……それでもそんな簡単に。
……仲間殺し、それもかなり大規模なものだ。 法使いが異法使いを、異法使いが法使いを、というのは存在する。 だが、法使いが法使いを、異法使いが異法使いを、というのはほぼ存在しない。 極稀に気が触れた者が起こすことはあるが、それでも俺が聞いた事例は数少なく、そして大量にというのは俺が知る限り、一度だけだ。 そんな仲間殺しが、日常的に起きているのか?
だとするならば、マズイな。 この先、近い将来大規模な戦いが起きる可能性がある。 それは魔術使いの内部ではなく、法使いや異法使いを巻き込んだ戦いが、だ。 予想以上に、魔術使いの内部は統制されている。 異法使いのように気まぐれで起きるようなものではなく、それは軍隊のような統制だ。 そうだとすれば、魔術使いが動き出したそのとき、戦争は始まる。
「伝える必要があるね、本部に」
「別に構わない。 だが、生きて帰れる保証は否定する。 魔術執行、水の生成を肯定シマス」
水。 不の周囲に、水の渦が表れた。 それはうねりを上げ、巨大な渦となって天へと登っている。
「さて、オジサンは結構強いので面倒だ。 なので、ここで殺しちまおう。 みねらるうぉーたー」
不は言い、腕を振り下ろす。 直後、天へと登っていた水の渦は俺目掛けて襲いかかった。 量が量だ、避けることはできないか。
「法執行。 だから言ったでしょ……! 俺はオジサンじゃないって」
それとね、ミネラルウォーターは飲むもので人にぶつけるものじゃないよ。 そう思い、俺は法を執行させる。
俺が持つ法、結果の強化だ。 起きている最中の現象ではなく、過ぎ去った現象を強化して起こす力。
「捉えたなり」
「残念だけど、捉えてないよ」
水は確かに俺を飲み込んだ。 一歩動いたその程度では、避けきれない水量だったからだ。 しかし、俺はそこには居ない。
「……ぐぬぬ! 理屈が分からぬ!! というかせこい! 絶対当たったじゃん今のぉ!」
「駄々をこねられてもね。 一歩進めば二歩進んでいる、そういう力なんだ」
至極分かりやすく言えば、それに尽きる。 たとえ攻撃を受けたとしても、現象の強化でそれをズラすことができるのだ。 言ってしまえば結果が起き、その後に結末がやってくる。 結果は俺が死んだとしても、結末の方では生きている。 それが結果の強化。
一歩踏み出した結果、俺は逃げきれずに水に飲み込まれた。 だが、その結果を強化し十歩進む。 すると、結末では水から逃れられる。 そういう類の法だ。
「くっそぅ! 魔術執行、水の生成を肯定シマス」
「通用しないね、それはッ!」
俺は言い、不に接近する。 そしてその勢いで、右腕を斬り飛ばした。 が、その直後に不は再び腕の修復魔術を執行する。 まるでこれではトカゲの尻尾切り、終わりが見えそうにない。 法を使い続ければやがて動けなくなるが……それは魔術も同じはずだ。 こうなってしまえば、どちらが先に動けなくなるかの勝負かな。 だが、俺は既に増援を呼んである。 やがて、機関の奴がやってくるだろう。 そうなれば、こっち側の勝ちは明白だ。
「ああもう! みねらるうぉーたーくらえよぉ!」
腕を治し終えた不は、またしても俺に水を投げ付ける。 が、一度効かなかった手を繰り返すのは愚策だ。 最早、法を使わずとも避けられる。
「ジリ貧だな。 鹿名の方が気になるが……君も中々しぶとい奴だ」
「ジリ貧。 成程、確かにそれは言えている。 だがな法使い、魔術使いを侮る無かれ。 生憎だが、それは拒否しよう。 拒絶しよう」
……なんだ? あの不の勝ち誇った顔は。 何か、隠し玉でもあるというのか?
そう思ったが、事態はもっと単純なものだった。 二度に置ける大量の水、それは住宅街を文字通りの水浸しにし、軽く湖のような状態になっている。 この水が捌けるのには時間がかかりそうで、動きづらいだけかと思っていた。 しかし、不はその状態で魔術を執行する。
「魔術執行、水の温度を否定シマス」
「ッ!」
一瞬だ。 一瞬で、周りの水が凍りついた。 俺も俺で法を使ったが、結果でも結末でもそれから逃れることはできなかった。 さすがに半端ではない魔術だね……ここまでの範囲を同時に、かつこの威力で魔術を使えるとは。 伊達に単身で法使いの地区に乗り込んできたわけじゃないってことか。
「ふ、ふ、ふ。 どうだ、思い知ったか中年め。 動けなくなったお前など、飛んで火に入る夏のバードよ」
「……飛んで火に入る夏の虫ね。 バードは鳥だよ、お嬢さん」
「ちょーびっくり。 成程、つまり飛んで火に入る夏の……虫とは英語でなんという?」
「バグ」
「オーケィ! 飛んで火に入る夏のバグ! ふ、ふ、ふ。 つまりはそういうことなり」
馬鹿なのかと思い、俺は不を見る。 確かに強い。 治癒能力も、執行する魔術も相当なものだと伺える。 その魔術も随分なものだが、驚くべきは治癒能力の高さだ。 最早、不死といっても差支えがないほどに。 だが……とてつもなく馬鹿だ。 まるで戦いというものを知らないような戦い方。 恐らく、こいつは自分と同程度の相手と戦ったことがないのだろう。
「よし、というわけで終わりだ、法使いよ。 殺してやろう、萌えーと冷えーはどっちがよい?」
「俺はどっちかと言えば春が好きだけどね。 それに、そうは言っても君も動けないみたいだよ、お嬢さん」
「なぬ……うわマジだ! 私の足元めっちゃ凍ってる!?」
やっぱり、馬鹿だ。 さて、問題はあの子が「自分は遠距離攻撃をできる」という事実に気付くか気付かないかだね。 そうなってしまえば、俺はまさしく飛んで火に入る夏の虫。 この状態じゃ動けず、まともに魔術を食らうしかない。
「これじゃあ俺も君も攻撃できないな。 仕方ない、氷が溶けるまでの間、しりとりでもするか?」
「しりとりか……ふむ……良かろう。 私は言っておくが強いぞ、マジでね」
「ああ、俺もしりとりは結構強い。 それじゃあ、しりとりの「り」からだ。 先攻と後攻はどっちが良い?」
「強者は常に余裕であるべき。 後攻で構わない。 私の真髄は、しりとりにあり……!」
少女は言うと、般若のようなポーズを取る。 足元を凍らせながら格好付けるそれは、なんとも妙な光景だった。
心の中で、俺の相手はどうしてこんなに馬鹿だったのだろうと思う。 これでは、必死に矢斬を追跡している鹿名や、使い魔であるラングドック、並びにコルシカの相手をすることになった幸ヶ谷小牧と凪正楠にどう顔向けをすれば良いものか。
「りんご」
「ところ変わってオジサンよ、お前は絵画に興味があるか?」
「……絵画? どうしてまた」
「私はあるぞぉ! ちょー興味ある! だからな、ゴーガン! フランスの画家だ!」
「はは……」
大丈夫かな、本当に。 しりとり、まだ始まって十秒も経ってないぞ。 扱いやすく、子供のような性格で良かったよ。 しかし、この無邪気さは逆に恐ろしい。 いつか、今日が終わってもいつかだ。 戦いというものを覚えてしまったら、この子は間違いなく強くなる。 それが果たして、俺たち法使いにとって吉と出るか凶と出るか。 この子供の不死性は、常軌を逸している。 俺はこの状況になるまでの間、百回は止めを刺したつもりだ。
頭部を吹き飛ばしても、再生した。 心臓を貫いても、再生した。 腕、足、腹部、胸部、肩部、下半身上半身、そのどれを貫いても再生された。 さすがに体の三分の二を吹き飛ばしたときに再生しだしたのは、恐怖だったよ。
そこから分かることは、魔術の執行をせずともこの子の体は再生するということだ。 再生……と言えば、思い出すのはポチと名乗った異端者のリーダー。 あいつも頭部を狙撃されたが、何事もないように起き上がった。 しかし、あれは再生ではなく防御だ。 貫いたはずの弾丸が、貫いていなかった。 その弾丸は一体どこに消えたのか、結局見つかることはなかったのだ。
あっちもあっちで恐ろしいほどの力だが、この子もこの子で恐ろしい力の使い手である。 不死鳥のように生き返り、作り物のように体が修復されていく。 まさしく、不死身と例えるのが相応しい。
「ゴーガンだゴーガン! ほら、次早く!」
「いや、最後に「ん」が付いたら駄目だよ? しりとりのルール、分かる?」
「も、ももももちろん知ってるさ! 知ってるとも! ちょー知ってる! だから……良いから早くルール教えろよぉ!」
つくづく、子供で良かったと思う俺であった。