第二十七話
「おいクッソガキィ! ちょこまか逃げてんじゃねーぞああん!?」
「お姉さん怖いですよぉ……いじめないでくださいぃ」
口ではそんな情けないセリフを言っているが、こいつは強い。 俺の攻撃を軽く避けやがる。 法を使っての間合いの強化ですら、その軌道が見えているように避けちまう。 反撃こそ未だにない。 今ではもう、攻撃に攻撃を重ねている間に元の場所より随分距離が離れちまったな。 あのジジイのことも気になるが、凪のことも気にかかる。 だったらとっとと相手を殺せ、だ。
「死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねッ! 俺に殺されろボケッ!! きーらーせーろーよぉぉおおお!!」
「だからキャラ変わりすぎですよぉ。 ひぇえええぇ」
刀を振るい、斬る斬る斬る。 しかし、その斬撃はことごとく避けられる。 反撃はこねえ、逃げるだけの相手を殺しにかかるのはあまり好きじゃねえが、こいつの女々しい言動が気に食わねえ。 メスガキが。
「あぁ!? てんめぇなに悲鳴あげてんだコラッ! 俺は超絶かわい子ちゃんなんだよぉ! そんなかわい子ちゃんを見て悲鳴をあげるとはどういう了見だボケカスッ!」
イラつくイラつくイラつくぜ。 こういう女々しい女が大っ嫌いだ。 その点、凪はまだマシだけどよぉ……。 今目の前に居るクソガキは本当にクソガキだ。 びくびくしやがって、気に食わねえ。 今すぐその青い髪の毛掴んで引き抜いてやりたい。 そんでもって、コンクリートの壁に顔をガシガシぶつけてやりたい。
「ねーえぇ。 引き分けにしませんかぁ? わたしって戦いとかほんとに嫌なんですよぉ。 魔術執行ぅ」
「チッ! 引き分けぇ!? そりゃあれか? テメェらが大人しく尻尾巻いて帰るっつうことか?」
俺の斬撃がことごとく躱される。 その直前に魔術を執行してるってこたぁ、何かしらの魔術で避けているってことだ。 さっきから攻撃は仕掛けてこねぇで逃げてばかり……とんだ腑抜けめ。
「そうですぅ。 そうしますからぁ、やめませんかぁ?」
女は止まり、俺も止まる。 引き分けね……まぁ、そうか。 相手に戦う気がないってんなら、俺も興が削がれるってもんよ。
「……はっ。 おう良いぜ、別に俺は勝ちに拘ってるわけじゃあねえ。 テメェらが帰るってならそれもありだからよぉ。 一度だけは許してやる俺の優しさに感謝しろカス」
「そうですかぁ。 それは良かったですぅ……魔術執行ぅ」
直後、俺の真横を風が通り過ぎる。 とてつもない威力で、後ろにあった大木が吹き飛んだ。
「おいテメェなに攻撃してんだコラァ!!」
「ありゃ……外れちゃったぁ。 ひいぃ……冗談ですよぉ」
騙し討ち、嘘を吐きやがった。 俺にだ、この俺を騙しやがった。 俺の信じた心を裏切りやがった。
「あああぁああぁあぁあああアアアアアアアアアアぁぁぁぁ!!」
叫び、辺りの気配を感じ取る。 一二三四五六七八九十……はい時間切れぇ!! 必死に頭擦り付けて謝る時間切れぇ!! ぶっ殺しぶっ殺しぶっ殺しだッ! テメェは絶対許さねぇ、俺の超絶優しい心を裏切りやがった……極刑だッ!!
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すぅううう!!」
「ひえぇ……やめてくださいぃ」
恐怖の表情を貼り付け、メスガキは走って逃げる。 俺はそのあとを追い、斬って斬って斬りまくる。 死ねゴミ死ね死ね死ね死ね死ねッ! 刀を振るうたびに木は飛び、俺がいつの間にか来ていた森の中は開けていく。 斬って斬って斬って、そして斬る。 轟音と共に木は倒れ、その中を縫うようにメスガキは逃げていく。 しかし、メスガキはあるところでピタリと動きを止めた。
「ふふふふ」
突如足を止めたかと思うと、メスガキはそんな風に笑い出した。 肩を震わせて笑ってやがる。 ああ、ついに頭おかしくなっちまったか、どっかの誰かみたいによ。 まあ関係ねぇ、死ね。
「法執行法執行法執行ぅ! あーはっはっはっはっはっは!!」
「完全に幸ヶ谷さん悪役じゃないですかぁ。 顔とか怖いですよぉ。 不様風に言うならマジやべーって感じですぅ」
斬撃を避け、メスガキが言う。 いや、避けたんじゃねぇ……斬撃の方が避けさせられた。 逸らされたかのように、メスガキの周りを通過し、そして後方にあった木を薙ぎ倒した。
「黙れガキ。 ヤベェのはテメェの頭と今後の人生だ。 腕と足、どっちがないほうが良い? なぁなぁなぁなぁどっち!? 選んだ方とは逆を切り落としてやる! あーはっはっはっはっは!!」
「人生については使い魔なのでどうでも良いですけどぉ。 頭がヤベェのはどう考えたってあなたの方じゃないですかぁ……ひえええぇ」
「ああ、知ってんぜ。 だから俺はテメェをぶち殺す。 ぐちゃぐちゃにして殺してやるよぉ!!」
地を蹴り、一直線に向かっていった。 俺の武器は相手との距離に関係なく斬れる刀だ。 斬った瞬間、僅かに割れる空気の亀裂を強化している。 その衝撃を相手に向けて飛ばしていると言っても良い。 言わば、見えぬ斬撃だ。 しかし、どういうことかそれは容易く避けられてしまう。 ならば、そんな有利なんていらねぇ。 距離を詰め、直接叩き斬るのみだ。 この前と一緒、あの霧生のときと一緒だ。 けど、今回はサシの勝負。 なら問題なしだ。
……師匠には良く言われる。 お前は戦いになると短絡的すぎるってな。 んなこた分かっているんだよ。 この俺だって、元は存在しなかった奴だ。 私が戦う上で、そういうのに有利になれそうな人格を作り上げただけ。 私が言われた「短絡的」という部分を私は治そうとしなかった。 俺という人格を作り、より短絡的に分かりやすく仕上げたのだ。 短所を直すのではなく、伸ばす。 そういう選択を取ったのが私で、それに協力してんのが俺だ。 だってそうだろうよ。
百の策よりも一の圧倒的な力。 本物の強者には、策なんてあってないようなものだ。 だから俺は、私は、こっちを選ぶ。 強者として、圧倒的な力を身に付ける。
「終いだクソガキ。 次に会うときは俺が死んだときってなぁ!」
眼前に繰り出し、俺は刀を振るう。 全身の力を左腕に込め、体の節々が悲鳴をあげていた。 人格の形成とリミッターの取り外し、それが俺に任された役目だ。 自分の体ではあるが、自分の体ではない。 ただ目の前の敵を殲滅するだけの俺は、要するに体を操作しているような感覚になっている。 人間が本能的にかけるリミッター、それが俺には存在しないのだ。
これは唯一の自慢だが、リミッターを外したときの俺は、あの凪正楠よりも早いんだぜ? 知らねえだろうけどな、魔術使い。
「嫌ですよぉ。 不様風に言うのならぁ、拒否しまぁすぅ」
直後、体がブレた。 視界が横にズレ、地を踏んでいたはずの足が浮く。 俺が振った刀はそのまま空中を裂き、そして振るった一直線に地面が裂けた。 俺はそれを横に移動しながら理解する。 何が起きたのか、何をされたのかを。
「ッ!」
とてつもない速度で吹き飛んだ中で見えたのは、迫ってくる大木だ。 つうか、飛んでいるのは俺だから迫っているのは俺の方か。 と思いつつ、空中で体を無理に動かし態勢を整える。 足を木の方向に向け、着地。 骨が軋み、少しの痛みが全身を包んでいった。
……マジィな。 俺が痛みを感じるってことは、私に戻ったら相当な痛みだぞ。 クソが、胸糞悪い戦いだ。
「あらぁ……すごい身体能力ですねぇ。 わたし困惑中ですよぉ」
「はっ、テメェらとは鍛え方がちげぇんだよ。 身体能力だけなら、俺は誰にも負ける気がしねぇ。 だからテメェもぶち殺す」
「そうですかぁ、ですけど残念ながらもうそれは無理ですよぉ。 わたしが何も考えずに逃げていたとでも思ったんですかぁ?」
ああ、分かってるよ。 このメスガキはどうやら、風を操作する魔術使いだ。 俺の斬撃を風で逸し、更に風を使い先ほどの横からの攻撃だ。 ただの突風ってレベルじゃねぇ、あの威力は風の塊をぶつけたようなもの。 人間の体がああも簡単に飛ぶ風とは、厄介なもんだな。
それも全部計算済みでこのガキはやっていた。 俺も薄々は気付いていたけどな、だからって退いたら駄目だろうがよ。 罠と分かっていても、策だと分かっていても、正面からぶっ潰す。
「入り組んだ木を使ってやがるな。 木と木の隙間を使って、風の威力を上げてるっつうことか」
巨大な面積でぶつけるよりも、小さい面積での突風。 ただでさえ巨大な風を木々の間を通すことにより、威力を増す。 なるほどね、実に魔術使いらしいくっだらねぇ戦い方だ。 俺好みじゃねえなぁ、そういうのはよ。
「ボケが。 良いぜ、なら俺がやることはひとつだ」
言い、刀を構える。 居合いの要領で、一度全身の力を抜いた。
「止めておいた方が良いと思いますけどねぇ」
「死ね。 法執行ッ!!」
俺がしたことは、実に簡単なこと。 木を利用しての攻撃ならば、その木を全部斬り捨てれば良いだけのことだ。 環境破壊とか知ったことか、そんなのは頭の良いお偉いさんたちに任せときゃ良いんだよ。 目の前に居るクッソムカつくクソガキを殺せるならば、別に地球の一個や二個なくなったって俺は一向に構わねぇ。
しかし、それはまさに失敗だった。 ガキの言った通り、止めておいた方が良かったことだった。
刀を振り抜き、数秒。 木々は一向に倒れない、まるで何もなかったかのように変化がない。 だが、俺の体は四方八方から斬り裂かれた。
「がっ……」
「馬鹿ですねぇ。 わたしが風を操作できると分かったみたいですけどぉ、それならこうなるって分かるじゃないですかぁ。 短絡的ですねぇ」
今度はハッキリとした痛みが全身を襲う。 そして、体のあちこちから血が流れた。 普通ならば意識を失ってもおかしくはないダメージ、それを何箇所にも負う。 当然、俺の体はゆっくりと足から崩れた。
刀は……離さない。 俺がこれを離してしまえば、意識は私に移る。 それだけは駄目だ。 この痛み、この何十倍もの痛みをあいつに与えたくはない。 俺を作ってくれた、あいつには。
ああクソが。 やっぱり師匠が言っていたことは正しかったってことかよ。 短絡的すぎる、その言葉をぼんやりとした頭の中を何度も反復していく。 考えりゃ分かることだ。 けど、考えるよりも前に感情で動いちまう。 俺という存在が私の感情をこれでもかというほどに発散させている。 抱え込み、悩み、俗に言う憤怒って奴を表に出すのが俺だ。 しかし、こうして負け続けていたら俺も必要なくなっちまうのかもしれない。 私が俺を必要としなくなったら、俺は消える。 それが少し……怖いな。
……まぁでも、こうして勝てないんだったら意味がねぇ。 負けていたらなんの意味もねえんだ。 一学襲撃事件のときは霧生にボコされて、今もこうしてメスガキにボコされてる。 面子がねえよ、これじゃあ。
潮時、なんだろうか。 やはり定石としては、考えながら戦うべきなんだろうか。 敵の動きを見て、こっちも動きを変えて、敵の力を見て、こっちも手の内を少しずつ出して。 そんな戦い方をするべきなんだろうか。 力だけでは解決できない、圧倒的な力ってのがあれば別だが、俺にはそんな力がねえんだ。 ただの馬鹿、ただただ短絡的でしかない。 普通に見りゃ、それはただの雑魚だ。 策を練る頭もなきゃ、敵を捻り潰す力もない。 物語で言えばそこらの雑魚キャラ。 そんな位置に、俺は居るのかもしれない。
……畜生が。
「わたしが勝つって決まっていますしねぇ。 初歩で決まっていたんですよぉ。 わかりますかぁ?」
馬鹿にしたような声が聞こえる。 お前が勝つと、決まっていたか。
……ああ、思い出した。 あのクソムカつくクソ野郎のクソ顔を思い出してきた。 矢斬戌亥、物事を全て観測者気取りで語るゴミ野郎だ。 あいつだけは絶対に何があっても仲良くなれねぇ。 あの顔を見るだけでイライライライライラすんだ。 世界はそうなるように決まってるだとか、そう動くようになっているとか、全部予め決まっていることだとか。
「……うるせえ、ボケが」
そういう目線で語られるのが、俺はいっちばん頭に来んだよ。 決まってる物事? そんなの世界に存在しねぇ。 この世に何人住んでると思ってるんだ。 そいつら全員の考えがテメェには分かんのかよ? 全員が何を考えどう動くか、テメェに分かるってのか? はっ。 そりゃすげえや。 もしもそう言い切るってんなら、俺だけはそう動いてやらねぇ。 ここで俺が死ぬっていう決まりなら、俺が負けるっていう決まりなら。
そんなもん、全部ぶっ飛ばしてやる。 笑えてくるぜ、まったくよぉ。 あんだけボコされても、俺にあるのは結局力だけだ。 力しかねぇ。
……いいや、それだけで充分か。 全てを変える、暴力的な強さがあればそれでいい。 俺は、それだけを望んでやる。
「……ぶっ殺す」
「おやぁ、まだ立ちますかぁ? わたしは楽しめるから良いんですけどねぇ」
敵を見て、俺は思う。 おう神様よ。 もしも居るなら、最初で最後の命令をしてやる。 ここで俺が負ける、俺が死ぬっていう運命なら、そのくらい聞きやがれ。 もしも聞かないっていうなら、今度はお前を殺しに行ってやるから覚悟しとけよ。
一瞬で良い。 一秒にも満たない時間で良い。 この森の中に僅かに吹いているその風を止めてくれや。
「……なんですかぁ?」
「どうやら、神様って奴は俺に屈服したようだぜ、メスガキ」
風が止まった。 それは恐らく、自然現象で起こるそれではない。 完全なる無風、一切の濁りなく、風はその瞬間停止した。




