第二十五話
矢斬の後を付けていた結果が、これだ。 目の前には三人の魔術使い、一人からは強力な気配を感じる。 そして残りの二人からはそれほどではないが、気配はしっかり存在する。 否応なしに戦闘という流れになってしまったが……矢斬の奴め、次に会ったときは事情を一から問い質してやろう。
「……私は信じているからな、お前のことを」
元々、私と矢斬が関わることはないはずだった。 学年一位、歴代一位の成績を叩き出した私と、歴代最下位の矢斬とでは、知り合いようがなかったのだ。
だが、とある出来事でそれは変わった。 私は矢斬のことを親友だと思っている。 少し変わっているし、頭がおかしいと思うこともある。 その掴みどころがない態度も気に入らなかったりする。 しかし、それでも矢斬の行動は間違っているとは思えないのだ。
私が学園最強ということは、あいつも分かっていたはずなのに。
それなのにあの馬鹿は、公園で絡まれていた私を助けた。 助け方自体は馬鹿だったし、おかしかった。 それに私ならばあんな連中、目を瞑ってでもいなすことはできた。 けれど、それでもあいつは弱いのに……私を助けてくれたんだ。
だから決めている。 余計なお世話だったけど、要らぬ助けだったけど、私が決めたんだ。 勝手に私が助けられたと思っているだけ、勝手に私が恩を感じているだけ。 けれど、それで充分ではないか。 誰にも文句は言わせない。 私は私が決めたことを貫き通す、正しいと信じることをやり遂げる。
矢斬に何かあったとき、私だけは味方でいようと決めたように。
「――――――――法執行」
能力を使うに辺り、限界量というのは存在する。 それはいくら強くても、異法使いでも魔術使いでも同様だ。 その限界量が多ければ多いほど、強い力を行使できる。 さて、私の限界量はいくつかな、魔術使い。
「ふふ……これは貧乏くじを引いたか。 魔術執行」
男の言葉と同時に、私は地を蹴り男に接近する。 そしてそのままの勢いを活かし、拳を顔目掛けて振り下ろした。 男はそれを見て、頭の位置をズラす。 反応するか、この速度に。
空を斬った拳を止め、私は男に視線を向ける。 空気の衝撃でアスファルトの地面は容易く抉れ、その破片は宙を舞った。 それを目で見る前に、私はその破片の中でも一際大きい破片を蹴り飛ばす。 当然のように破片は割れ、そして同時に法の執行。
散らばった破片は散弾銃の如く、魔術使いの男へと迫った。 しかし、それは当たらない。
予想していたのか、男は既に魔術を放っていたのだ。 光の矢が無数に男の周りに現れ、そして放たれる。 これは……あのときの魔術か。 この男のものだったということだな。
破片のひとつひとつは矢に砕かれ、そしてそれでも尚、矢の数は多く、私へと向かって飛んでくる。 伊達に魔術使いではない、実力は相当なものか。
動体視力の強化、同時に身体能力の強化は切らない。 数百キロの速度は出ていそうな矢の群れを見極め、安全地帯に入り込む。 直後、私の周囲の地面は砕け散る。 威力、速度、共に一般的な魔術使いのそれを凌駕するか……さすがに強気な態度なだけはあるということだな。
「話が変わるが法使い……凪、と言ったか。 名乗るのが遅れて申し訳ない、俺はラングドック、不様に仕える使い魔だ」
「使い魔? なるほどな、道理で気配が薄いわけだ」
……内心では、驚いていた。 使い魔とは通常、術者の能力の半分にも満たない存在だ。 その使い魔がこの強さ、あの少女は一体何者だ? 魔術使いとは、これほどの者たちだったか? 一体……魔術使いが暮らすZ地区では、何が起きている? なんらかの異変が起きなければ、ここまで強力な魔術使いは生まれないはずだ。 純血の魔術使いならば……その例ではないが。
「お前とやり合うのは俺としても鼻が高い。 しかし、部が悪い戦いは避ける主義でな。 この場所はどうにも戦いづらい、場所を変えよう。 魔術執行」
男の言葉と同時、視界が変わった。 強制転送……感じ取れる気配が、幸ケ谷さんと数多支部長の気配が離れ、薄まった。 数キロは飛ばされたな、これは。
「入り組んでいた場所の方が貴様はやりやすいと思っていたがな、ラングドック」
「それは勘違いだ。 俺は基本的に、広くて動きやすい場所の方が好みなんだよ、凪正楠」
ラングドックが連れてきた場所は、空き地だ。 だだっ広いそこは遮蔽物はなく、足元に多少の草が生えているのみ。 まぁ、住宅街で大騒ぎをするわけにもいかない。 周囲の人間は既に異変に気付いて避難していたと思うが、好き勝手に暴れられる方が私としても好ましいよ。
「……ふう。 ならば、私も手加減は必要ないということだ」
「そういうことだ」
言葉を受け、私は駆ける。 再び地面を蹴り、ラングドックの眼前へ瞬時に移動する。 このまま拳を振り抜いては、一度目と同様に避けられるだろう。 ならば。
「ッ……っと、やはりお前の力は普通の物ではない。 法使いのそれを凌駕している。 才能、気質、それ以前に度重なる鍛錬の成果かな」
先ほどと動揺に右手で殴りつけ、その手を寸前で停止させる。 次いで、左足での蹴り。 フェイントを入れての攻撃を仕掛ける。 だが、それも寸でのところで避けられた。 ラングドックは距離を取り、私に向けて手をかざす。
「魔術執行。 これを避けるのは至難の技だぞ」
現れるは光の矢。 だが、先ほどよりもその数は減っている。 数えられる程度の数……なんだ? 見た目上では、まったく変わりないが……。
「ッハァ!!!!」
叫び声にも似た声で、ラングドックは矢を放つ。 速度は早く、前よりも一段と上げて私に襲いかかる。 数を減らし、速度と威力を上げてきたということか。 しかし、甘いな。
「舐めるなよ、魔術使い」
私はそれを容易く避ける。 私に見破れないほどの速度を出したいのなら、その十倍は出せと心の中で思いながら。 慢心とも言える感情だ。
待て……慢心?
そう、思ったのだ。 これは慢心だと。 油断だと、そう思わされた。 それを裏付けるように、ラングドックは私の顔を見て笑っていた。
「なっ!?」
背後に無数の気配を感じる。 マズイと思い、体を咄嗟に横へと投げ出した。 しかし、左足をそれは掠め取る。
……追尾、したというのか? 数を減らし、速度と威力を増しただけではなかったのだ。 コントロール性、それを上げるための数減らしだ。 クソ……舐めていたのは私の方か。
「だから言っただろう。 避けるのは至難の技だと」
再び、男の周りに光の矢が現れる。 追ってくる回数は一回か? 二度避ければ、それは回避できるのか? だが……それはあくまでも私の予想に過ぎない。 確定情報として得るためには、試すしかないのだ。 しかし避けられるか? あの矢の速度、一度避けるだけなら容易だ。 だが二度避けるとなると、話は変わってくる。 一瞬でも崩れた態勢に再度矢が打ち込まれるようなもの。 今さっきのように、体を投げ出しての回避しか満足にできやしない。 そこで更に追い討ちをかけられてはおしまいだ。 ならば……仕方あるまい。
「魔術執行ッ!」
叫び、矢が放たれる。 速度は理解した。 軌道も数も理解した。 ならば、私は。
「法執行」
落ち着き、声を放つ。 強化するのは、空気の振動。 それを強化し、私に伝える。 伝えるために、五感の強化。 目で追うのではなく、体で感じろ。 頭の中で生成しろ、現象の成り行きを。
次に行ったのは、痛覚の強化だ。 空気を痛いほどに感じ、私の感覚は研ぎ澄まされる。 もしも矢が命中すれば、私はその痛みによって意識を失うほどに。 諸刃の剣と言われればそうかもしれない。 だが、私はそれを諸刃の剣にはしない。 立派な武器としよう。
最後に行ったのは、武器の強化だ。 身体の強化を腕に集中し、同時に武器の強化を行う。 回路を通じ、力を放出していく。
「……まさか、それは」
「舐めるなと言ったはずだ……魔術使いッ!!」
剣を振るう。 存在しないはずの剣、静かに現れ静かに振られる一振りの剣。 法武器、ルーエ。
「法武器……あの幸ヶ谷という女と言い、随分豪華な武器を持っていることだ。 法使いというのは金持ちなのか? くく」
全ての風は、停止した。 無風の中で飛ぶ矢が生み出すのは、新たな風だ。 その風だけを読み取り、私は全ての矢が地面に落ちるのを感じた。 そしてまた、静寂が訪れる。
「ここはもう、私の場所だ」
「なに? 貴様……一体、何をした? 剣を振るうことなく、矢を落としただと?」
この法武器は、風を消す。 音を消し、物を消し、空間を消し去る剣。 静かなる時を求め、静かなる場所を好む。 そして静寂が訪れたそのとき、この剣は接続される。 つまり、回路は既に繋がれた。
「私は、静かな方が好きなんだ。 だから少し、静かにしてくれ」
剣を使うことはしたくなかった。 この剣は、本当に何もかもを消し去ってしまうから。 これを振るうその度に、嫌な思い出は消えていく。 その奇妙な感覚が恐ろしくもあったのだ。 得も言えぬ幸福感、感情、それらが果てしなく怖かった。 いつか、いつかとても大事にしている物すら消し去ってしまいそうで怖かったのだ。 私の家族、友達、記憶、関係。 これらは消えてしまえば、元には戻らない。 私が築き上げてきた物は、兄上に比べれば小さな、本当に小さな道端に落ちている小石と変わらない。 けれど、それでも大切な物たちだ。 ひとつひとつ、丁寧に積み上げてきたつもりだ。 それが消えてしまったら、私は私でなくなってしまうそんな気がして。
守るために振るえと誰かは言う。 それを聞き、私は答える。 果たしてそれは正しいことか? と。
正しく、正を選んで行け。 間違えた道を進まず、明るく照らされた道に沿って進んでいけ。 それが正しく、正を知るということ。 私のその道は、誰にも邪魔はされたくない。 この剣は、ルーエは。
私が正しいと信じ、正しきを貫くときにしか振らない。 今、私が正しいと信じるもの。 それは、私の親友がしようとしていたことだ。 結果的に間違いだったとしても、今の私が正しいと思えばそれで良い。 私の正しさとは、誰から見ても絶対に正しいものじゃあない。 私の正しさとは……ただの自己満足で、自己中な正しさなのだ。 だから私は、私の親友を信じるということを正としよう。
それ自体が何かは分からない。 だが、あいつが起こすことは最終的には正しいんだ。 たとえ、どんな経過を辿っても。
「……なんだ?」
ラングドックが咄嗟に距離を取る。 しかし、その距離だけでは足りやしない。
「退け。 私の邪魔をするな」
剣を構え、ラングドックの姿を見た。 全てを消し去るその剣は、音もなく風もなく、そして誰に気付かれることもなく振り抜かれた。




