第二十一話
「なんだおま――――――――」
目の前に、一人の男が現れた。 その男は手に金属バッドを持っていて、そのバッドを戸惑いなく、坊主頭の男目掛けて振り抜いた。 呆気に取られ、その結末を僕は見る。 恐ろしいことにその人は、坊主頭の男の頭部を狙ったのだ。 一切の手加減なく、下手をしたら殺してしまうことになるかもしれないその行動を思いっきりやりのけた。
幸い……と言っていいのか、坊主頭は寸でのところで反応し、腕で防ぐ。 だが、すぐ後ろにあった池へとその体は投げ出された。
「あっれぇ、全然飛ばないじゃんこのボール。 不良品かなぁ? んじゃ次君だね、行っくぞー!」
馬鹿が来たと思ったよ、僕は。 それか随分頭のネジがハズレた人が来たんだとね。 だって、その人はそこに居た奴ら全員を……僕と同い年くらいの子ですら、全員に向けて次々とバッドを振り抜いたのだから。 迷いなんて一切なく、人が歩くのと同じくらい当たり前に、振り抜いたんだ。 一瞬のことで、呆気にとられたのは僕だけじゃない。 僕に絡んできた奴ら全員も呆気にとられ、それが終わるまでなされるがままで。
「なんだよー、六球打って全部池ポチャかぁー? これじゃあ俺には野球選手は無理だね、ああ残念」
「て、てめぇ!!」
そのまま溺れた者は居なかったようで、池の中から一人が這い上がろうとする。 だが、頭のおかしい男は本当に頭がおかしくて、その登ってこようとした人の頭部目掛け、今度はバッドを振り下ろした。 それに驚いた人は咄嗟に離れ、またしても水しぶきをあげる。
「あぁダメダメ、ここ俺が今から上がるの禁止にしたんだよ、分かる? 禁止されたことはしちゃダーメ。 だから上がるとしたらあーっち。 ほら、対岸からなら上がって良いよ。 泳げ泳げーあっはっはっはっは!」
「……ッ!」
さすがに殺す気でやっている男に怖気づいたのか、男たちは次々と対岸に向かって泳ぎ始める。 そうするしかなかったのだと思うけど、その姿はちょっと面白かったっけ。
「いやぁ良い運動をしたね。 やっぱ天気が良い日は体を動かすに限るよ、本当に。 お前もそう思うだろ?」
「え……っと、僕は」
「なに、あもしかして俺のこと頭おかしい人とか思ってない? いや当たってるから良いんだけどさ、お前もおかしなおかしな異法使いなんでしょ? 人のこと言えないじゃん、あっはっは!」
「……ごめんなさい」
「ん? なんか言ったか、今。 それより何してんの、地面がベッドとかそういうノリ? あ、俺は矢斬って言うんだ、矢斬戌亥。 よろしくな、えーっと」
男は僕の話に聞く耳を持たないように自分のペースで話す。 それに飲み込まれ、僕は男に対する恐怖心は消えていた。
「名前……覚えてない」
「記憶喪失少女ちゃんかぁ。 まぁ別に名前なんてどーでも良いや。 けど呼びづらいから決めてくれよ、今から五秒あげる」
「え、ご、五秒? ちょ」
「いち、に、さん、し」
「明らかに五秒じゃない! アリスで良い!」
元々の名前も、それに近かったと思う。 だから僕は咄嗟に言う。 すると、矢斬と名乗った男は満足そうに笑う。
「おっけぃ。 んで、アリスは何してんの? え、てかお前……もしかして吐いた? そうならちょっと寄らないでね、服汚れるから」
あいつらが踏み潰した僕のお弁当を見て、矢斬……さんは言った。 僕も一応女の子ではあったから、そう思われるのは心外で、咄嗟に言う。
「吐いてない! これは、僕のお弁当で……」
「なんだ、大きな声出るじゃん。 だったらもうちょっと声出して「助けて」って言えよ。 俺が聞き逃してたらどーしてたの、アリス。 ま別に良いんだけどさーあ、そのお弁当ってアリスが作ったんだ。 なんでこんなことになってんのさ」
「聞こえてたの?」
「ん? ああ、さっきの? 聞こえてたよ、俺結構耳が良いからね。 てか俺の質問無視すんな」
矢斬さんは言うと、僕の頭を小突く。 さっきの蹴りとは全然違うそれは、嬉しかった。 お母さんがたまにやってくるのに、似ていた。
「……僕が作ったよ。 ぐちゃぐちゃなのは、あいつらに踏まれたから。 でも、どうして助けたの? 僕は異法使いで、だから」
「踏まれたねぇ……食べ物を粗末にするなって教わらなかったのかね、あの人たちは。 てか、だからなに? 俺はそういうの納得してないからだよ。 法使いも、異法使いも、魔術使いも。 みーんな仲良くできれば良いのにそれが出来ない。 だったらせめて天罰くらいは与えないとさぁ……面白くないじゃん」
「そんなことしたら、矢斬さんが」
「良いの別に。 てかさ、納得できないならやっちまえよ。 俺はD地区で暮らしてんだけど、C地区に異法使いが出たってこっちまで噂届いてるんだよ? これからたーくさんそういうことあるんだろうし、そうなった時にどうすんの? 世界ってのはなアリス、常に弱肉強食。 弱い者はいじめられるだけなんだぜ。 だったら喰う側になればいいんだよ。 俺はお前にそういう力、あると思ってるんだけどなぁ……」
「……ふふ、やっぱり頭がおかしい人だ」
「良く言われる。 ああてか、この弁当アリスが作ったってマジ? 食わないの?」
矢斬さんはまたしても話をお弁当に戻し、地面にぶち撒かれ、踏み潰され、ぐちゃぐちゃになってしまったお弁当を指さして言う。 こんなのを食べるとか、さすがに無理だ。
「食べれないよ。 家に帰ればご飯はあるから、また作れば良い」
「そっか。 んじゃ俺が貰う」
「え?」
矢斬さんは迷うことなく、そのお弁当を手で取る。 石粒と、土が混ざってしまったそれを手に取った。 僕は何をしているのかと目を丸くして見ていると、矢斬さんは馬鹿なことに……本当に馬鹿なことに、それを食べ始めた。
「お前これめっちゃ土混じってるじゃねーか! 土は食材じゃねーからな!」
「いや、そりゃそうでしょ……ふふ、あはは、あはははは!」
「なに笑ってんの……折角食べてやってるのに。 まぁでも美味い美味い。 とりあえず俺の妹よりかは料理上手い」
妹が居るんだと言おうとして、止めた。 そう言った矢斬さんの顔は、踏み込んで欲しくなさそうなものだったんだ。 このことばかりは、未だに僕は聞けていない。 いつかは聞こうと思っても、聞けない日々が続いている。
「ふう……ご馳走様でした。 良いかなアリス、俺の言いたいこと伝わった?」
「ちょっと微妙だけど……頑張れってことで良いのかな、それ」
「違う違う。 もーっと単純なことだよ。 気に食わないことがあったらぶっ飛ばせ、喧嘩を売られたら売り返せ、最初にやって来たのは向こうの方だろ? なら、何をされても文句は言えないよねって」
「ふふ、だからあんなことをしたの?」
「うーん……そう言われると微妙だね。 俺はただ気に入らない相手の頭をかち割ってやろうって思っただけだし。 だからさーあ、アリスもそういう勢いで行けば良いよ」
矢斬さんはそこまで言って、一旦言葉を止めた。 そして目を瞑って、開ける。 雰囲気が変わったのを僕は感じ、矢斬さんの言葉を大人しく待つ。
「自分の道は自分で決めろ。 それは誰にも否定できないし、させるな。 俺はお前がブチ切れて大量に法使いを殺したって、気にはしない。 それがお前の選んだ道なら、俺はそれを受け入れる。 世界はそういう風に出来ているんだ。 生きるのに疲れたら俺のところに来い」
「……うん、分かったよ。 ありが」
「ああ良い良い! 言葉とかいらないから! 俺は現金主義者だからさ、そういうのは俺の得になることして返してくれればいいんだって。 というわけでこれからなんかあったらよろしく、アリス」
矢斬さんは言うと、僕に紙切れを渡した。 そこには番号が連なっていて、矢斬さんの携帯の番号だと認識するのにそれほど時間は要らなかった。
「またね、矢斬さん」
「ああ、また。 ま俺の予想だとお前とは長い付き合いになるよ。 そういう流れな気がするからね」
「ふふ、やっぱりおかしな人だ」
僕の言葉に、矢斬さんは笑って背中を向ける。 その背中が消えるまで、僕は矢斬さんのことを見つめていた。
いろんな人が居るものだ。 僕のことなんて、関わってくる人なんて居ないと思っていた。 それに矢斬さんは……あれ、そう言えばあの人は、法使いだったのかな? まぁでも、今現在でもこの周辺地区で暮らしていてってなると、法使いだよね。
「はぁ……はぁ……チッ! あのクソ野郎、どこか逃げやがったな! もうテメェで良い。 元はと言えばテメェの所為だ!!」
目の前に、男が居た。 いち、に、さん、し、ご。 五人。 服はずぶ濡れで、どうやら本当に対岸まで行ってここまで戻ってきたらしい。
「ふふ、ふふふふふ」
そうだ、僕は異法使いだ。 受け入れるよ、それは。
「……何笑ってんだクソガキがッ!!」
矢斬さんが持ってきたバッドを持ち、男は僕目掛けて振るう。 殺す気でかかられた、そう僕は思った。
だから、さ。
「あは」
――――――――何をされても、文句は言えないよね。
その日、僕はこっち側へとやって来た。




