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異法使いのポチ  作者: 枚方赤太
一章 終世
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第二十話

「うまいか? アリス」


「うん、美味しい。 久し振りにまともな物を食べた気がするよ」


 矢斬(やぎり)さんは正直変わり者だけど、良い人だ。 僕の恩人でもあるし、今となってはテロリスト認定されている異法使いの僕にも変わらず接してくれる、唯一の法使いだ。 尊敬と、感謝。 矢斬さんに対してはそういう面が大きいと思う。


 あれから近所にあったファミレスへ僕を連れて行ってくれて、好きな物を食べろとの言葉を貰って、僕は大好きなハンバーグを食べている。 矢斬さんはそれを見て「まだまだ子供だねぇ」だなんて言っていたが、気にはならなかった。


「癖は相変わらずなんだな」


「……癖?」


 僕の言葉に、矢斬さんはすぐさま口を開く。 その時点でもう、矢斬さんが指す「癖」というものがどんなものか、大体見当が付いてしまった。


「知っている道ならば一歩のズレもなく、同じ道を歩く癖」


「うん、まぁね。 気づいたらやっちゃってる」


 僕の場合は、そうなんだ。 確実に同じ場所を踏んで歩く、数ミリのズレだってきっとない。 だって、そうしていれば踏み外すことはないんだから。 そうするしか、ないんだよ。


 矢斬さんはそれはとても悲しいことだと言うけれど、僕はそうは思わない。 安全な道が分かるということは、幸せなことだと思う。 僕みたいな異法使いだからこそ、そうするべきなんじゃないかな。


「話、変えるか。 アリスの顔について常日頃から思ってるんだけど、お前普通に顔出してた方が良いんじゃない? 西洋人形みたいだし」


「それはどうも。 でも良いんだ、あのお面はポチさんに貰った物だから、大切にしてる」


「そっか」


 矢斬さんは言うと、水を飲む。 どうやら矢斬さんもご飯は食べていない様子だったけど、僕がご飯を食べるということで夕飯を食べるのはやめているようだった。 申し訳なさと、感謝。 それを感じながら僕はハンバーグを咀嚼する。


 ……そういえば、出会いも似ていた気がする。 僕と矢斬さんの出会い、それを思いながら、僕は暖かいご飯を食べることにした。





 僕はその昔、普通の学校に通って普通の生活をして普通に暮らしていた。 普通、それはつまりみんなと変わらず、法使いが全てを握る世界で暮らしていた。


「――――、今日はどうだった?」


 僕の母親は頭に手を置きながら言う。 顔は覚えていない、そのときなんて呼ばれていたのかすら、覚えていない。 もう覚えていないんだ、忘れてしまった。 名前なんてのはただの記号で、その記号を忘れてしまったら思い出すのは難しい。 矢斬さん曰く、名前に大した意味なんてない、大した意味があるのはその人間自体だ、とのこと。 だから今となっては、思い出そうともしていない。


「普通だよ、普通。 ふふ、友達がね、今度のお休みに一緒にプールに行こうって言ってくれたんだ」


「それは良いね。 最近暑いから……でも気を付けなさいよ? 変な人には付いていかない、分かった?」


「うん、分かったよ」


「偉い偉い。 今日の夜ご飯、ハンバーグにしよっか?」


 僕のお母さんは頭を良く撫でてくれた。 暖かくて、愛情が感じられるそれが僕は好きで、悪いことをしようと思ったことは一度だってなかった。 人から愛されるのは素敵なこと。 そう教えてくれたのはお母さんなんだ。


「ほんとに? ふふ、やった」


 あの頃はまともだったなと、思う。 正常で、正しかった。 間違ってはいないし、異端なこともなかった。 僕は七歳で、小学生一年生だった。 そろそろ能力が目覚め始める頃ということもあって、テストや身体測定も頻繁に行われていた、夏だった。 来年には、クラスが変わる。 その目覚めた能力の種類で分けられる……というよりか、法使い以外は学校に通えなくなってしまう。 でも、僕に不安はなかったんだ。 母親も父親も、立派な法使いだったから。


 研究結果として、定説はこう。 法使い同士の子供はほぼ百パーセント、九十九・九九九九……くらいの確率で法使いとなる。 法使いと異法使い、法使いと魔術使いの場合でも、法使いが生まれる確率は九十九パーセントとなっている。 百人居ればその内の一人が、千人居ればその内の十人が、一万人居れば百人が。 そう考えるとちょっと怖かったけど、それでも両親共に法使いの僕にとって、そんな心配は頭になかったね。 母親や父親のように、立派な法使いになれると思っていたし。


 事件が起きたのは、その友達……名前を忘れてしまったから友達としか言いようがないけど、その友達とプールに行ったその帰り道でのこと。 信号は青だった。 だから僕と友達は渡った。 今日は楽しかったね、また行こうね、だなんて当たり前の会話をしながら。


 けど、その「また」は来なかったんだ。 一歩だけ、友達は前を歩いていた。 それだけだったのに、その友達は死んでしまった。 目の前で、物凄い速度で走り去った車によって。 不快な音は耳に残り、不快な光景は目に焼き付く。 あれは本当に、嫌だったな。


 泣いた、と思う。 あれは結構悲しかったから、それなりに泣いたと思う。 僕にはそのときのことがあまりにも衝撃的すぎて良く覚えていないんだ。 でも、気付いたときには僕は『審判の矢』による判別を受けていた。


 どうやら、その事故のときに能力が芽生えたらしい。 大きすぎるショックが、能力の開花を早めたとかなんとか。 覚えてはいないが、そういうことだったらしいんだ。 そして、僕の能力は車の場所を戻してしまった。


 過ぎ去る前の場所、そこまで戻してしまったんだ。 戻しても、車は結局また通り過ぎるし、一度轢かれた友達が戻るわけでもない。 時間を戻したわけではなく、車の位置を戻しただけ。 結果は変わらない。


 ああいや、変わったんだ。 それで僕の世界は変わった。


 言っただろう? 僕は車の位置を戻したって。 それってさ、どう考えても法使いの力ではなかったから。




「……あなたのお子さんは、異法使いです」


 病室で、ベッドの上で横になっていた隣で、お医者さんは僕の母親に向けて言った。 僕は寝ているふりをしていたけど、その言葉を最初は信じられなかったよ。 だって、僕が異法使いだなんて……一体どんな確率を引いたのか、こんなところで運は使いたくなかったよ。 そこに居たのは母親だけで、父親は基本的に多忙で、僕がこんなことになっていても現れなかった。 ひょっとしたら、大体の予想が付いて、それで会いに来なかっただけかもしれない。 今ではもう、分からないことだね。


「そんな……」


 それからのこと? そんな酷いことを聞くなんて、酷い話だね。 分かりやすく言っちゃえば、全部が変わったよ。 能力の開花が早かった所為で、強制的な退学手続きを取れない学校側は来年度まで僕を通わせることにして、そして同時に僕が異法使いになったということを全生徒に知らせた。


 結果どうなるかなんて、分かっていたはずだ。 分かっていた上でやったのだ。 常識だったんだ、それが。 今でも蔓延している法使い以外に対する差別だなんて、別に珍しいことじゃない。 珍しいのは僕という存在で、たったそれだけだ。 いつの時代も、どんな状況も、少数は悪となる。 当たり前の話だろう?


「……ただいま」


 肩身は当然狭かったよ。 学校では誰も話してくれなくなり、家に帰っても両親は僕のことを居ない者として扱う。 ましてや学校では、僕がその友達を殺したとも言われた。 そんな風に、僕が異法使いになったその日から、全てが変わった。 ご飯は出てこなくなり、僕が起きていても電気は消されて、僕が何を言っても両親は反応しない。 家に入って「ただいま」と言う。 反応はない。 父親が仕事を終えて帰ってくる。 僕は「おかえり」という。 反応はない。 幽霊になった気分だったね、あれは。 僕の目の前で、母親も父親も楽しそうに話しているのに、僕はそれを眺めているだけだった。 そういうことがあって、学校でもまったくそれは同じで、これが異法使いになるということだと実感した。 僕自身は何も変わっていないのに、嘲笑うかのように周りは変わっていったんだ。 誰が悪いか、それを決めようとは思わない。 でも誰に責任があるかと言われれば、それは異法使いになった僕に責任があるのだろう。 悪いのは僕で、周りのみんなは悪くない。 僕は、そう思うことにした。


 そして時間は少し流れる。 あの日は、確か冬だ。 寒くて寒くて、寒かった日のことだ。


「……」


 その頃はもう家に帰っても「ただいま」ということはない。 おかえりと返してくれる相手がいないのだから、言う必要はないと思って。 挨拶なんて、ただの言葉のやり取りだ。 なくたってなんも変わらない。 けど、その日を境に本当にそれはなくなった。


 家に入ったら、もぬけの殻だった。 家具も、食器も、本当に必要最低限の物しか置いてなかった。 僕の私物だけはしっかりと残っていて、それがなんとも奇妙な光景で。


 手紙があった。 そこに書いてあったのは「この家は学校を退学になると同時に引き払う」とだけ。 僕の名前も書いてなくて、床に置いてあっただけ。 重しもなくて、ひょっとしたらどこかへ隠れてしまうかもしれないのに……僕の両親には、もうそんな気遣いさえなくなっていたんだ。


 お金はあった。 支援金として、名目上学校に通う間だけ渡されるお金が。 その頃からずる賢かった僕は、なんとなく嫌な予感がしていた数日前にそれを確保しておいた。 両親……あの人たちが寝静まった頃を見計らって、こっそりとね。


 次の日から、僕は全部を一人でやることにした。 給食という概念が存在しない学校の所為で、みんなは基本的にお弁当を持参している。 だから僕は自分でそれを作って、持っていった。 最初の数日はなんだか押し込んだだけみたいなお弁当だったけど、それも次第に慣れていき、一ヶ月が経った頃には見栄えも大分よくなった。 学校に行かないという選択肢も選べたけど、僕はそれは選ばない。 思えばあの頃から負けず嫌いだったのかも。


「今日は天気が良いなぁ」


 休みの日、僕は気分転換に外出することを決める。 お弁当作りが楽しくも感じていたから、それをして、それで一人で出かけよう。 近所にある公園にでも行って、日向ぼっこでもしよう。 話す相手も居なければ遊ぶ相手も居ない僕は、一人で遊ぶしかない。 慣れてしまえばそんなのはどうとでもなったんだ。 人間って、案外環境には慣れていくものだよ。


「……」


 公園に入って、僕はすぐにベンチに座る。 空を見上げると、眩しいくらいに輝いている太陽があって、その太陽を雲が覆う瞬間、心地良い感じがした。


 僕には光は強すぎる。 少し暗いくらいが、薄暗いくらいが、丁度良い。 枯れた空気は痛すぎる。 ジメジメしたくらいが丁度良い。


「おい居たぜ、異法使いのガキだ」


「うわマジだ! あっははは! くっらい顔だなぁ!」


 そんなことを思いながら空を見上げていたとき、目の前に知らない人たちが来た。 僕のことを指さし、見下している。 一人は坊主頭で、一人は長髪。 最初に話しかけてきたのはその二人で、その周りには後三人居る。 年上に見えるけど……どうして年上の人が僕のことを知っているのだろう?


「……あ」


 見えた。 その人たちは五人くらい居たけど、その姿に隠れている子が。 同じクラスの子だった。 僕がこうなる前は、普通に話すし普通に遊んでいた子だ。 僕は、友達だと思っていた子。


「なあ、俺ら法使いなんだけどさ、お前って異法使いなの? おい答えろよ、折角話しかけてやってんだぞ」


「……そうだけど」


 小さい声でそう言った。 そのときは慣れていなかったんだ、そういうことに。 怖かったし、泣きそうにもなっていた。 何個も年上の人が、何人も。 その状況に慌てて、周りを見る。 休みの日の公園は人で賑わっていたけど、僕のことを見ていた人も何人か居たはずなのに、誰一人として関わろうとしてこない。


 当然だ。 僕は異法使いだから、それが当然だ。 間違ってはいない。 僕に責任がある。


「じゃあ何しても良いんだよな……っと!」


 ベンチに座っていた僕の体は、最初に話しかけてきた坊主頭の人、恐らくはリーダー格の人の蹴りによって地面へ投げ出された。 腕の辺りの痛みと、地面にぶつかったときに手のひらを擦ってしまい、血が出ていた。 満足に異法に慣れていなかった僕は、体を守る術を知らなかった。 そして僕が蹴られた理由は異法使いだから。 それなら、仕方ない。


「あっはっは! ちょっと幕田(まくだ)さんひっでー! やり過ぎっしょ!」


「いやいいんじゃね? だって異法使いだぜ? ってかお前も笑ってんじゃん、ははは!」


 よっぽど面白かったのか、その人たちは笑う。 後ろに隠れていた子も、悪いことをしただなんて微塵も思っていなさそうな顔だ。 当たり前のことだけど、その当たり前が受け入れられない。 そんなのを求める方がおかしい。 でも、それでもおかしいのは僕の方。


 良かったんだ、もう。 逆にこうやって人と話せたこと自体、僕は幸福だと思わなければいけないんだ。 いくら酷い目に遭っても、悪いのは僕の方。 そう何度も教えられてきたじゃないか。 どうせ学校を退学させられたら死のうと思っていたし、それが少し早くなっただけ、たったそれだけのこと。 今更、どうでも良い。


「……ん? 幕田さん、見てこれ。 こいつ弁当なんか持ってるよ、誰が作ってんのかな」


 僕のバッグを勝手に漁っていた男は、僕が作ったお弁当箱を取り出した。 そしてそれを坊主頭の男へと見せる。


「弁当? きっもちわる、誰が作ったのこれ?」


 そのお弁当箱を受け取ると、坊主頭の男は僕の前にそれを持ってきた。 そして質問をし、僕の髪の毛を鷲掴みにする。


「……僕が作った」


 答えなければ殴られる。 そう思い、僕は素直にそう返す。 異法使いは家畜のようなものなんだ。 面白いね。


「へえ、そっかぁ! お前が作ったのかぁ!」


 男は笑う。 楽しそうに、最高のオモチャを見つけたように嬉しそうだった。 僕というオモチャと、僕が作ったお弁当箱というオモチャ。 その二つは、男にとってよっぽど嬉しかったのだろう。


「でも今日お前昼飯抜きな。 おら」


 蓋を開けて、逆さまに。 中に入っていたご飯も、朝に作ったおかずも、地面へと落ちていく。 僕は何も出来ず、それを眺めているだけ。


 何をするにも、できない。 してはいけないと、異法使いは決して法使いに逆らってはいけないと、教わってきた。


「ははははは!」


 中身を地面へぶちまけるだけじゃ満足しなかったのか、男たちはそれを踏む。 すぐに僕のお弁当は、食べ物じゃなくなってしまった。


 何も考えないで、見ているつもりだった。 何も感じないで、これが終わるのを待っているつもりだった。 だけど、どうしてだろう。 どうしてこんなにも、悔しいのだろう。 悔しくて、悔しくて、堪らない。 なんで、僕ばかり。 異法使いというそれだけで、こんな目に遭わなければいけない? どうしてお母さんは僕を捨てた? 僕に愛情をくれなくなった? 僕がいつ、悪いことをしたんだ。 僕が、僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が僕が。


 ――――――――お母さん、お父さん。 人に愛されるって、なんだろうね。


「……助けて」


 気付けばそう言っていた。 小さい小さい、本当に小さな声。 僕のお弁当を踏みにじることに夢中な男たちには聞こえていない。 僕が助けを求めても、誰も助けてはくれない。 誰にも聞こえないその声は、消えていく。 僕はもう愛されることなんて絶対にないのだから。 そう思ったそのときだった。


「仕っ方ないなぁ、俺が助けてやろう。 行くぞー、ホームラン目指して!」


 楽しそうな……とっても楽しそうな声が聞こえたんだ。

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