第十八話
不信を感じた。 不審を感じた。 不振を感じた。 不安を感じた。 不幸を感じた。 不吉を感じた。 不和を感じた。 不意を感じた。 不運を感じた。 不易を感じた。 不為を感じた。 不穏を感じた。 不壊を感じた。 不縁を感じた。 不朽を感じた。 不許を感じた。 不覚を感じた。 不敢を感じた。 不遇を感じた。 不筋を感じた。 不稽を感じた。 いろいろな不を感じた。
だから、私は不死となった。 不死となり、不可能となった。 この世は否定で生きている。 不という否定の文字で成り立っている。 不、不、不。 こう連ねれば笑っているようにも聞こえてくるが、それはやっぱり否定でしかない。 笑ってはいないし、悲しんでもいない。 私は全てを否定する。 疑い疑い疑い尽くし、最後には結局否定する。 私自身も信じてはいない。 いざとなれば何をするか分からないのだから、私をひと言で表すと最終的には不という文字で落ち着く。
「不、お前にエリザ様から命令だ。 矢斬戌亥という奴を連れて来いとのお達しがあった」
私が言われたのは、今から数日前のこと。 それは嘘かもしれないし、本当かもしれない。 私は何も信じてはいない。 さてはこの男、私を騙している? でも従うしかない。 断ればエリザ様の魔術でいつでも私は殺される。 ならば恐怖に従い従うしかない。
「オマエ、オマエ? 不と名前を呼んだ後、君は私をお前と呼ぶのか。 成程、意味が分からないな」
私は笑って返す。 笑わず、笑って返す。 すると男はため息を吐き、私の部屋から出て行った。
「良いか不、出発は日が沈んだらだ。 それまで壁とでも話していろ」
私の部屋の施錠をし、男は部屋の前からも立ち去った。 壁と話せと言われても、壁は答えてくれないし。 ならば私は床と話そう。 床は意外にも結構返事をしてくれる。 ギシギシというだけで何を言っているのか魔術使いの私には理解できないが、それは法使いでも異法使いでも同じだろう。 だから床は床の言葉しか分からないし、話すことはできない。 床は結局床なのだ。 イエス、ナイス答案だ私。
「出発は日が沈んだら。 だってさ、どう思う? コルシカ」
「分からないですぅ。 わたしは不様が行くときに行くだけなのでぇ」
「つまらないつまらない、つまらない回答だ。 それじゃそっちは? ラングドック」
「俺に意思などありませんよ。 コルシカ同様、不様が行くときに行くだけです。 お言葉であらば、今からでも」
「良いね、良い不敬っぷり。 と、いーうーわーけーで」
私は壁に手を添えた。 話すわけじゃなし、壊すために。 今までお話してくれてありがとう、壁さん。
「魔術執行。 壁の存在を否定シマス」
壁は消えた。 そして開けた視界に映ったのは、雲と大きな空。 私が閉じ込められた、閉じ込められてあげたここは標高めちゃくちゃ高いところ。 魔術使いが暮らすZ地区は山間部になっていて、その中でもとびっきり高い山の頂上に私は閉じ込められていた。 見下ろすのは好き、ちょー好き。 今ならほら、エリザ様が住居としてる巨大なお城すら見下ろしているなり! いやっほう。
「命令は命令ね、一応。 名前なんだっけ?」
「矢斬戌亥、と伺っております。 不様、先ずは俺とコルシカの二人が先行して対象が居るD地区へ入りましょう」
「そっか、悪いねなんか。 それなら私はゆっくりと向かって行くから、連絡は切らさないように」
「使い魔ならば当然です。 行くぞ、コルシカ」
「了解ですぅ。 不様ぁ、楽しみを奪ってしまったらごめんなさいねぇ」
「ふふふ、ふふ。 楽しみ」
二人を見送り、私はゆっくりとした足取りで向かう。 遠き旅路の到着点はどこだろうか。 俳句でも作りながら行くとしよう。
「連絡途絶えさせやがってあのバカヤローども……帰ってきたら首ちょんぱ。 マジちょー首ちょんぱ」
私がようやく数日かけてD地区へ着き、どうやって探そうと考えている今ではコルシカとラングドックからの連絡が途絶えている。 絶やすなといった連絡をだ。 死刑死刑死刑、極刑だ。 一体どこで道草食ってるあのボケカスどもが! ちなみに俳句はひとつも思い浮かばなかった。
「魔術執行。 矢斬戌亥の存在を否定シマス」
もう良いやと思い、私は言った。 存在自体を消滅させる魔術を。 エリザ様の命令なんて知ったことか。 私はいつだって否定し、不とするのだ。 何人足りとも邪魔はさせない。
が、妙なことが起きた。 私が集めた情報で、矢斬戌亥という奴はこの法執行第一学園に属しているとのものがある。 だから私はわざわざその屋上へとやって来たのだが、わざわざ消滅の魔術を執行したのだが、変化がない。
「否定されたか」
世界に否定されてしまったか、悲しきかな。 思い、私は下を見下ろす。 そこには丁度、学生が二人居た。 男と女、女の方は……こっちに気配を感じているのか。 他の誰も気付かなかった私に気付くとは。 なるほど、あの女こそ矢斬戌亥の可能性高し!
……そういや、性別も顔も確認していなかったっけ。 いやはや、失敗なり。
ともあれ、それっぽい奴は見つけた。 だが、私の魔術が効かないとなるとかなりの手練れと思える。 成功率零・零零零零零零零零零一パーセントのクソ魔術だが、私曰く失敗したことがない魔術が失敗した。 使うのが初めてだったのがそもそものミスかも。
「まぁ良い。 あいつを矢斬ということにしよう。 魔術執行。 私の居場所を否定シマス」
そうして、私はそこを離れる。 魔術というのは大変便利で、法使いが執行する力とも異法使いが執行する力ともまた違う。 起こり得ない現象を引き起こす。 それこそが魔術の原点だ。 目を瞑り、そして開いたときには私はF地区に居たのだから、そうなのだろう。 とは言っても、良くも悪くも器用貧乏だ。 法使いほど飛び抜けた強さもなければ、異法使いのように異端な力でもない。 ありとあらゆる現象を起こす力こそ、魔術の真骨頂なのだ。 とは言っても、エリザ様……エリザっちだけは別格なのでありますが。
さてと。 あの女、矢斬戌亥に意識を向けていた奴は他に居た。 隣に居た男……ではなく、このF地区に居た女がだ。 思念というのはいつどこに居ても放たれ、私にそれを教えてくれる。 矢斬と一緒に居た男はどうやら他人に興味がないタイプだったが、こっちの女は別である。 というかそれを狙ってここへ飛んでくるとか、さすが私。 ぐっじょぶ、私。
「おっじょうさん、暇? 暇してるの? 遊ばない?」
「はて、お嬢さんとは私のことか、青年よ。 残念ながら私はこの世に生を受けて早百二十六年、青年、貴様よりも年上なり」
声を掛けられ、私は声を掛けてきた男を見上げながら答える。 染色体に異常が起きたのか、茶色の髪をしている男だ。 見れば学生服に身を包んでいる。 紺色の学生服、私が集めた情報の内のひとつ、法執行第八学園の生徒だろう。 確か第八学園は素行が悪いと有名だったが、私をお嬢さんと呼ぶなんて大変良い生徒ではあるまいか。 まったく、いつのネットも嘘でまみれていて気分が悪い。 ハイテク魔術師の私にとって、そんな嘘を見破るなんて容易いことよ。 ふ、ふ、ふ。
「あはは、面白い子だなぁ。 ねえねえ良いから遊ぼうよ、なんか食べ行く? それともゲーセン? なんなら俺んち来る?」
「悪いな青年よ。 私は魔術に長ける者、原則として法使いの者とは必要以上に関わるなという掟があるのだ。 だからその申し出は受け入れることができぬなり」
「は? 魔術使い? お前、魔術使いなのか?」
私の言葉を聞くと、青年は眼の色を変えた。 濁ったような色になり、私のことを見下ろしている。 雰囲気も、空気もガラリと変わる。
「いかにも。 とある事情で遠路はるばるやってきたのだ。 ああそうだ、青年よ、この辺りで第一学園の」
そこまで口にしたとき、私の体が吹き飛ぶ。 見ると、どうやら私はその青年に突き飛ばされたようだ。 軽く触れ、その勢いを強化したか。 これが法という力だな、納得シマス。
魔術は間に合わない、後方の壁にぶつかるまであと数秒、え、これ痛くない? コンクリートの壁なんだけど、そこに向けて時速百キロくらいで吹き飛ばすって男としてどうなんですか青年よ!!
「シュート。 丁度良いサンドバッグが見つかって良かった。 イライラしてんだよな、俺」
私が壁に激突すると同時、男は言う。 というかマジ痛い。 これでもか弱き乙女なんだぞっ。 ああ百二十六歳は嘘だから。 私はまだ十三歳だ。 超……十三……歳。




