第十三話
「さて、着いたよ」
「ん? ここ、公園ですけど」
やがてしばらく走ったところで車は止まり、凪の兄は言う。 しかし、そこはいつもの支部とは違い、人気のない公園だ。 横を見ると、凪も不思議そうな顔をしている。
「別に事情聴取は支部でしなくてもできるしね。 ちょっと出ようか、たまにはこういうやり方もしないと息が詰まっちゃうでしょ?」
「へえ、気遣い出来る人も居るんですね」
俺の言葉に、凪の兄は笑みを見せる。 雰囲気は最初に会ったときより幾分か和らいでいた。 失礼な発言だけど、気にはしていないご様子かな。
そして、俺がそんな言い方をしたのにも理由がある。 俺と凪は別々に受けていたから、凪の方はどうか分からないが……俺の方は、とてもまともな方法だとは思えなかったからだ。 数時間待たされたかと思えば「何か知らないか?」とだけ聞かれて「知らない」と答えたら終わりとかね。 お前それ車内で聞けたろと思いつつ、そういうやり方なんだと理解している。
だから、今日のこれはちょいと嬉しい。 俺は外の空気が好きだからね。 ついでに言うと、気が利く人も大好きだ。
「……矢斬、分かっているとは思うが、私の言ったように言えよ。 兄上は一癖も二癖もある」
「うん分かってる。 てかまあなんかあるでしょ、これ」
俺は言いながら開かれた車のドアから外へ足を出す。 凪を見ると、どうやら例に漏れず今日も別々のようだ。 凪の方は運転席に座っていた黒服男で、俺の方は凪の兄ということかな。
「何かあったら大声を出せ。 すぐに私が行く」
「……俺は小さい子供なわけ? いやそう言ってくれんのは嬉しいけど」
まるで保護者のようなセリフだなぁ、なんて思いつつ外へ。 凪は未だに心配そうな顔で俺のことを見ている。
いやいや、そこまで心配要らないでしょ。 凪の兄だって鬼じゃないんだしね。 化け物ではあると思うけど、鬼じゃないなら構わないよ。 俺は別に、鬼なら好きになれないなんてことはないんだからさ。
「少し歩こうか? 天気はあんま良いと言えないけど」
「はーい。 これってアレですか? 飲み物とか奢ってもらえます? 俺、貧乏でいっつも水ばっか飲んでて」
「うん、良いよ。 と言っても自動販売機くらいしかなさそうだけど」
「おお、さっすが少佐! 懐も厚いことで」
茶化すように言う俺を相手にせず、凪の兄はただただ笑う。 そして歩き始めた。
「君は、正楠と仲が良さそうだね」
「いやぁ、ちょっと違いますかね。 俺と凪は磁石みたいに正反対ですよ。 考え方も性格も真反対。 あはは」
「へえ、そうかい。 なら、一緒に居るのが不思議だね」
「んー、ほら、磁石って言ったじゃないですか? 一般的な棒磁石。 あれって、S極とN極が一緒になってますよね? あんな感じですかね、例えるなら」
「違うからこそ惹かれる、そういうことかな。 ……はい、コーヒーで良かった?」
凪の兄は言い、俺にたった今自動販売機で買った缶コーヒーを手渡す。 俺はそれを受け取り、礼を述べて蓋を開けた。
「そんな感じです。 凪もその辺は一緒のことを考えてるんじゃないかなぁ。 あ、それより凪の兄上さんは凪のことどう思ってるんですか? 俺、そっちの方が興味あるかも」
「心加さんでいいよ。 凪、心加。 私の名前ね」
「それじゃ心加さん。 心加さんはどう思ってるんですか?」
俺が言うと、心加さんは買ったばかりの水を飲む。 自動販売機で買うのが水とは、また変わり者だね。 金を払って水を買う。 贅沢なお人で。
「優秀な妹だ。 私ですら、凪家の長男だけど能力が芽生えたのは一般的に開花すると言われている八歳だしね。 そう考えると、正楠が六歳で能力に目覚めたのは恐ろしいことだよ。 あの子はこれから強くなる。 いろいろなことを経て。 次期当主としての自覚もあるようだから……今後にも期待している」
「いろいろなこと。 それにはもしかして、今回の事件のことも含まれてます?」
「もちろん。 正楠はやがて、本部の執行者になる。 けどあの子は優秀だけど足りないものもあるんだ。 それが何か分かるかい?」
言われ、俺は考えることなく答える。 天才、歴史を塗り替えた神童とも言われる凪正楠に足りないものなんて、ひとつしかない。
「場数かな。 実戦経験が少ない、それが足りないものになると俺は思います」
「ご名答、その通りだよ矢斬戌亥くん。 ところで、コーヒーは飲み終わったかい?」
手を叩き、俺の回答を褒める仕草をする。 そして、話は急に変わり、俺は一瞬付いていけなくなりそうになるが、話を合わせる。 先ほどからペースを乱そうとしているのだが、崩れないな。 呼吸も驚くほど整っており、機械で出来ているんじゃないの、この人。
ペースを乱すつもりが、ペースに飲まれている。 まぁ俺も大概の性格だと思うけど、面倒な人だね。 こういう人に対しても、うまくできるように勉強をしておかないと。 いろんな人が居て、いろんな考えが存在する。 あーあ、やっぱりこの世界は最高だ。 愛し愛され愛が溢れそうだ。 眺めているのは本当に楽しいよ。
「ええ、飲み終わりましたよ。 ご馳走様です、でも俺、缶コーヒーの甘さって苦手なんですよね。 喫茶店とかで出てくる甘いのは好きなんですけど。 だから次の機会があれば、無糖で……あれ?」
そこまで言った時点で気付いた。 いつの間にか、視界が変わっている。 地面にうつ伏せで倒れ、先にある池を見ていた。 俺、あれ。 倒れたのか?
「それなら雑談タイムは終わり。 というわけで、矢斬戌亥くん、君にいくつか聞きたいことがあるんだ。 良いかな?」
背中から声が聞こえ、俺は首を動かして心加さんの顔を見ようとする。 しかし、それは上から頭を押さえつけられたことによって叶わない。
「いたた……。 あれ、もしかしてワガママ言ったの怒りました? あはは、嫌だなぁ、冗談ですよ、じょーだん。 あそういえば冗談通じないんでしたっけ。 参ったな」
「それだけ軽口が叩ければ上等だね。 自分が置かれている状況が分からないわけじゃないだろう? 今から私がする質問に「はい」か「いいえ」で答えてね。 もしもそれ以外の答え方をしたらどこかの指の骨を折る。 ひとつめの質問、今の説明で分かった?」
「と言われましても、いきなりのことで何が何やら……ぐぁ!?」
俺が精々笑って言った直後、心加さんは躊躇うことなく俺の指を一本折った。 左手の人差し指、ちょっと痛い痛い痛い! 痛いって! あーもう、涙が出てきたよ。
「私は本気だ。 だから君も本気になった方が身の為だよ。 ふたつめの質問、分かった?」
「……ところで心加さん、これって違法ってこと知ってます? あーあ、ちくってやろっとッ!?」
俺の答えが気に入らない様子で、心加さんは二本目の指を折る。 右手の親指、激痛が走った。
「減らず口だね。 まぁ良い、本題に入ろう。 君、あの異端者の一員だよね? 何人殺した?」
はて、困った。 痛いのは嫌だし、かと言って知らないと答えることはできない。 んで、指を折られるのを嫌がって「はい」だなんて言えば、俺は間違いなく拘束され、ありもしない全ての情報を吐き出すまで尋問されるだろう。 外の空気が吸えなくなりそうだし、ちょっと嫌だねそれも。 まったくさー、こういうことばかりするから嫌われるんじゃないの、政府の人たちって。 俺だって嫌いになっちゃいそうだもん。
「その質問、答える意味あります? こうやって拷問してる時点で俺がそうだって疑ってるのと一緒じゃないですか? ほんと、俺としてはいい迷惑って感じなんですけど」
「よく言うね。 状況的に考えてだよ、それは。 何より君が怪しいと証言する者だっている、そうだろ? 正楠」
心加さんは言うと、俺を拘束していた腕を退けた。 そして、後方に顔を向ける。
そこに立っているのは、凪だ。
「……俺を売ったってことかな、凪。 けど残念ながらさ、俺はとても売れる代物じゃないんだよね、これが」
「違う! 私はそんなことはないと言ったのだ! だが、状況的に考えると怪しいのはお前ということになってしまって……それに、お前の法で天狗の攻撃を防げるとは思えない。 だから、私は」
凪がそう叫んでいる間に、俺の体は開放される。 痛む指を使わないように、俺はその場に立って、服に付いた土を払った。
「ああ良いんだよ別にそんなのは。 ま大体どういう流れでこうなってるってのは分かるしね」
言い、俺は心加さんに笑顔を向ける。 凪も結局、随分肩身が狭い生活を強いられているってこと。 優秀な兄を持ち、しかしその兄は妹を優秀だと思っている。 そこにあるのは何か? 答えは嫉妬。 だから妹の友人……なのかな? 一応。 そんな友人に酷いことをさせて、凪から友人を奪おうとした。 そういう風に、大切な何かを奪うということで自分の強さを見せ付けたかったんだ。 俺はお前よりも強いんだぞっていう、ある意味小学生だねこりゃ。
「ところで凪さ、これ治せる? 形とか適当に直してくれると助かるんだけど」
言うと、俺は凪に右手を見せた。 あらぬ方向に曲がった二本の指を。 凪はそれを見て、一瞬で顔付きを変える。 雰囲気も、周りにある物全てが振動するような空気。 溢れ出るのは殺気だ。 それは初めてだったかもしれない。 凪が、本気で怒っているところを俺が見たのは、初めて。
「……兄上。 私との話では、暴力は振るわないという話だったはずだ。 どう説明する?」
「私が言ったのは「素直に質問に答えれば」の場合だよ。 残念ながら、矢斬戌亥くんはそれを拒否してね」
あれを拒否っていうのかなぁ。 なんて思うも、俺は黙って二人のことを見る。 ちょっと面白い展開だ。 俺の指が二本折れることによってこうなるなら、残った八本も是非とも折らせて頂きたいよ。 少なくとも、あと四回は戦っているところが見れることだし。 あ、足の指も折ってもらえばまだいけるのかな。
「許さん。 いくら兄上と言えど、私の友人を傷付けるならば……容赦はしない」
凪は言い、手を前にかざす。 すると、そこに一振りの剣が現れた。 凪が所持しているとは聞いてたけど、実物を見るのは初めてだ。 これが噂の法武器……すごいね。 やっぱ今日は良い日かな? ああもうほんっとに、飽きない世界だなぁここは!
……しっかし、この剣はすごい。 俺の眼で視てもハッキリと分かる。 周囲の風が、一切のズレもなく一斉にピタリと止まった。 凪の一振り、名前の通りってわけか。
「だから正楠、いつも言ってるだろう? 仕事中は凪少佐と呼べと。 本部執行者に対する抜刀、並びに無礼。 法の重みを教えてあげよう」
同時に、心加さんの雰囲気も変わる。 怖い怖い、こりゃ世界一怖い兄妹喧嘩だ。 そんなすごいものをこんな間近で見られるなんて、俺はなんて幸せ者なのだろう。 まぁ喧嘩をする前に指を治して欲しいところだったけど、仕方ない仕方ない。 我慢だね。 ああ痛い……。
しかし。
対峙する二人。 その距離は約十メートル。 周囲に人の気配はまったくなく、考えてみればそれはここに来た瞬間からそうだった。 特別大きい国立公園のここに、平日の午後に人がいない。
おかしいと、思わないかな? 恐らくこの公園の敷地内に存在するのは俺と凪、心加さんの三人。 他に居るとするならば。
「ターゲット捕捉。 魔術執行」
そんな声が上から聞こえた。 直後、無数の矢が地面に降り注ぐ。 俺はそれを見て、笑う。 面白い、本当に面白いよ。 飽きないし、憂鬱で厭世とも思えた毎日は変わっていく。 これを笑わずにいられるか? 少なくとも俺には、無理だね。 我慢、できないよ。




