第二十話
「対象の死亡を確認。 魔術回路自体は生きているけど、刻印を打った魔術使いが全て尽きたようだね」
終わりはやって来る。 エリザは既に床へ倒れており、その体には右腕だけが残されており、他の四肢は損失していた。 体自体もかなりの傷が付いており、修復が間に合わなかったことを知らせている。 その目は見開かれ、生気は宿っていない。 最後に見た光景はなんだったのか、感情の読み取れない表情をしていた。
「んじゃ、死体回収は任せたぜ。 俺が殺してやったんだから、そんくらいの雑用はしろよテメェら」
「誰のおかげで楽に戦えたと思っているの? 戦うことしか脳のない子供はこれだから」
「んだとクソビッチ」
「何かしら? クソガキ」
……この人達の仲の悪さは決して治らないとして。 私たちの当初の任務はエリザの捕獲だったはず。 果たして今現在の状態でも捕獲と言えるのだろうか? なんてことを考えてしまう。 とてもじゃないが、満足に人の形を保ってすらいないエリザの状態では……。
「問題ないよ、正楠。 我々執行機関が重要とするのはその回路だからね。 回路自体は生きている、よって問題はなし。 私は研究員じゃないからその辺の理屈は分からないけど、強力な回路はそれだけで研究対象としての価値があるんだとさ」
「ええ、その通り。 法使い、異法使い、魔術使いの回路はその形状からして異なっております。 法使いが真っ直ぐの線だとすれば異法使いは曲線、魔術使いは角ばった線と言えば分かりやすいかと。 あくまでも例え話ですが」
「その仕組みを理解することで、技術に応用できるというわけですね。 それもエリザほどともなれば、価値があると」
法使い全体の技術向上のため、というわけか。 最終的に行き着く場所は……この場合、兵器か。 異法使い、魔術使い双方と戦争の最中であるため仕方ないことかもしれないが……いつの時代も技術力を身に着けるというのは変わらないらしい。
ともあれ、これで魔術使いとは片がついたと言っても過言ではない。 強靭な頭を落とされた魔術使いは、既に敗北が確定した。 向こうが降伏するのも時間の問題といったところか。 残された者たちには満足に抵抗する力もないだろう。
「さて、そろそろ引き上げよう。 あまり長居しても無駄だし、何よりここは寒いしね」
兄上の言葉を聞き、私たちは部屋を後にするべく振り向き、歩き始める。 この分だとどうやら死体回収は兄上が行ってくれるようだ。
室内には既に、微かに残された気配しか感じない。 及び、残された極微量の魔術の痕跡のみだ。 そんな中、私たちは歩みを進める。
ん? いや――――――――待て、私は今何を思った?
振り向いた。 何かがおかしい、エリザは間違いなく死んでいた……ならばどうして気配を感じる? 魔術回路の所為か? その疑念を確証させるためにこの目で見なければ。
「な……これは、なんだ」
「……まずいな。 作戦ミスだ」
目の前に広がる光景は、幻想的でもあり神秘的でもあった。 エリザは立ち、それは四肢が修復されたことを意味している。 そして、その背後には壁一面を覆うほどの巨大な魔法陣が存在している。 計り知れないほどの膨大な魔力……間違いなく、今まで見てきたどんなものよりも凶悪な魔術。
エリザは、死んでいない。
「チッ、しぶてぇガキだな。 もういっぺん殺っとくか」
「止まれ神田大佐ッ!!」
兄上は咄嗟に叫び、同時に魔法陣から巨大な氷の柱が出現した。
……氷系統の魔術か? だが、エリザはそれを得意としているわけでは――――――――まさか。
「ほんとーに、馬鹿な子たち。 でも喜んで良いわよ、わたしが本気を出すのってあなたたちが初めてだから。 けれどごめんなさい、加減が分からないの。 死体すら残らないからあまりやりたくはないんだけどね」
エリザは口元を抑えて嗤う。 狂気に満ちた目と、狂気に満ちた表情だ。 そして、その顔には殺意が溢れている。
「わたしが炎を得意とする? だからその弱点を突く? うふふ、笑わせないで。 わたしが炎を使うのはハンデ、こっちを使えばつまらなく終わってしまうから。 本当の奥の手というのは最後に見せるものよ? だからほーら、あなたたちも奥の手を見せて頂戴。 うふ、もしもないのならそのまま死んで? もしもあるなら踊って見せて。 可愛い可愛いお人形さん」
もしも、エリザのその言葉を本気とするならば……かつてB地区にて行使した隕石魔術ですら、苦手な系統のものだったということ。 そして、それが意味するのは。
「さようなら」
「法執行ッ!!」
それに反応できたのは、兄上のみであった。 瞬きをした一瞬の内、まるでページが数枚飛ばされたかのように光景が変わっていた。
「兄上ッ!?」
「……撤退だ。 ここは私が抑えこむ、その間に皆は撤退を」
兄腕の左腕は、その一撃によって消し飛んでいた。 引力の法を使い、自らの左腕にその氷柱を寄せることで最悪の事態だけは防いだのだ。 しかしそれでも、生半可な攻撃どころの話ではない。 兄上の腕が、まるで消滅したかのように吹き飛ばされたのだ。 格が違う、手に負えない。 この任務は、失敗だ。
この状況は……正直マズイ。
「ガキが……! 法執行ッ!!」
神田大佐はその指示を無視し、法による攻撃を行う。 先ほどの攻撃とは比べ物にならない密度、出力だ。 城全体を破壊しかねないほどの数の氷槍はまるで一本の巨大な槍のようにエリザの下へと落ちる。
「うふふふ、ふふ、なぁに? ねぇねぇなぁに? おにーさん、これってオモチャ?」
が、圧倒したのはエリザだ。 エリザがしたことと言えば、その攻撃に目を向けただけ。 たったそれだけの動作でエリザと氷槍の間には氷の壁が出現し、完全に攻撃を無効化した。 触れた瞬間に氷槍は砕け、周囲に結晶となって散らばったのだ。
「さぁどうするの? 戦う? 逃げる? 命乞い? 謝罪? それとも寝返る? ねぇねぇねぇ! どちらでも良いわよ、戦えば殺してあげる、逃げれば殺してあげる。 口を開けば殺してあげる。 前を向いて死ぬか後ろを向いて死ぬかの違いでしかないもの。 もちろん、たーっぷり可愛がってから。 わたしの快楽に溺れさせてあげるわよ。 代わりにせめて、わたしに快感をちょうだい? 見つめあって、絡み合って、触れ合って溺れましょう。 ああ、興奮してきちゃった」
今度は鋭利な形状をした氷が複数出現した。 それを見て、私たちは構えを取る。 不意を突かれなければ見えるはず。 そして見ることさえできれば反応も反撃も可能だ。
「何をしている早く逃げろッ!!」
「手遅れよ」
「……馬鹿な。 見えない、だと」
私は思わず声を漏らす。 ひとつのシーンとひとつのシーンが無理やり繋ぎ合わされたかのように、次の瞬間私の目に写った光景は氷に右手と右足を貫かれた兄上の姿だ。 横を見ると、他の三人もその光景に思考が追いついていないように見えた。
「凪大佐、後はお任せします。 総員撤退を」
ラムさんの抑揚ない言葉が耳に入る。 そんな冗談を言えるほどに余裕であれば、或いは。
「正楠さん、早くッ!」
だが、既にラムさんと神田大佐は部屋の後部へと移動している。 私の腕を引いたのは、猩々大佐だ。
「一体、何を。 そんな冗談を言っている場合じゃ……」
「魔術執行」
声が聞こえ、私は顔を再び兄上の元へと向けた。 既に数十本の氷が兄上を貫き、しかしそれでも兄上は倒れない。
「正楠、後は私に任せなさい。 時間稼ぎは私がする」
死ぬのではと思えるほどの血を流し、兄上は言う。
「……ふざけるなッ!! そんなことをすれば、兄上はッ!!」
力の差は圧倒的と言っても良い。 文字通り本気を出したエリザが相手では、瞬く間に全員が殺されるのは間違いない。 兄上が今、法を使い全ての魔術を自身へと向けているのも分かっている。 分かっているが……それでは!!
「離せッ!! 私も戦うッ!!」
「正楠さん!!」
腕を振り解こうと、前へ歩こうと、力を傾ける。 そんな私を見て、兄上は小さく笑う。
「正楠、お前は私の誇りだよ。 だから、だから正楠」
兄上の体からはおびただしい血が流れている。 だが、兄上は決して倒れない。 決して、逃げようとしない。 その全ては、私たちを生かすために。 しかし兄上、その言い方ではまるで……そんな言い方をされてしまえば、それを私が聞いてしまえば、それは。
「黙れ黙れ黙れッ!! ふざけるなッ!!」
目の前が滲む。 どうしてかは分からない。 受け入れたくないことが、あった。
「普段からそれだけ可愛げがあれば良かったんだけど。 正楠、これは上官命令ではない、お前の兄としての言葉と思ってくれ」
兄上は言うと、笑った。 その横顔はまるで覚悟を決めたような顔で、私はその表情を見て歯を食いしばる。 唇が切れ、血の味がした。 悔しかった、何もできない自分が歯痒かった。 そんな考えなどお構いなしに、兄上は続ける。
「正楠――――――――生きろ」
生きろと、そう言った。 たったそれだけの短い言葉であったのに、その言葉が意味することは嫌というほど理解ができてしまった。 いつだってそうなのだ。 兄上はいつも、私の先を歩いていく。
いつだったか、兄上に言われたことがある。
お前は私より綺麗に生きろと。 それを聞いたとき、私はまだ幼くて意味もよく分からなかったけれど。 それでも、今同じことを言われたら私はきっとこう返す。
「私は……私はッ! ずっと、あなたのことを尊敬していたんだッ!! だから先に死なれてたまるか、私より先に死ぬなど絶対に許さんぞッ!!」
「参ったな。 少し、気分が変わりそうだよ」
「一体、何を――――――――」
直後、私の後頭部に強い衝撃が走った。 薄れ行く意識の中、どうやら暴れる私を抑えるために神田大佐が取った行動だったようだ。
「良い判断だ。 後のことは任せたよ」
それが、私の聞いた兄上の最期の言葉であった。




