第十三話
ロクの力、逆転と呼ばれる異法は規格外かつ破格の異法である。 起きた現象の全てを逆転させ、痛みを消し傷を消し現象を消す力だ。 あいつは普段、その力を絶対に本気で使わない。 本気で使えば、自分自身の心すら消し兼ねないからだ。
過去に一度、あいつが本気で力を使ったのは一度だけ。 俺がロクと出会ったその日のことだ。 あいつはあのときまだ未熟だったからあれで済んだものの、次の日に流れたニュースを見て俺は冷や汗をかいたよ。
だって、あの巨大な公園がまるまる消し飛んでいたんだ。 それも攻撃によって消えたのではなく、まるで最初から存在しなかったかのように、綺麗に。 俺はすぐにあいつの力を理解し、声をかけようとしたんだっけ。 したら、丁度良くそのタイミングでロクから連絡がきたんだ。
ともあれ、あいつの異法は尋常ではない。 今ロクを覆っている影がその本体で、あの影に触れれば全てが逆転させられる。 そしてその逆転とはロクが普段使うような逆転ではない。 その逆転とは、存在というものを逆転させるもの。 存在の消失、それがあの異法の正体だ。 痛みという存在を消す。 感覚という存在を消す。 かつて俺に使ったように、異法使いとしての存在を消す。 ありとあらゆる存在を逆転させることができる、それがロクの異法であり最強の異法だ。
ロクの意識は今、飲み込まれている。 俺を俺と認識していないだろう。 だから、これをどうにかするにはあいつを倒すしかないのだが。
「……ツツナか? 悪い、ロクがちょっとマズイ状態だ。 みんなを遠くへ避難させといてくれ」
『分かった。 死ぬなよ、ポチ』
「さぁね。 今回ばかりは、どうだか」
『今回ばかりは? 馬鹿を言え、今回が一番マシだ』
「あ? それってどういう」
通話が途切れる。 ああ、くそ、消されたのは俺の右腕ごとか。 相変わらず全然待ってくれないね、あの子は。 しかしツツナの奴、今回が一番マシってマジで言ってるのかな。 どう考えてもそれはないでしょ。
「もしかして、鬼ごっこはヤダ? ならどーしよーかなぁポチさんが楽しいのが良いなぁ」
触手のような腕が五、六本、ロクの背中から現れる。 ひとつひとつがしっかりと腕の形をしているものの、影で出来たそれは不気味としか言いようがない。 こんなのはロクじゃない……いいや、これもまたロクか。 けれどどうしたもんか。
「あ、ボクがずっと鬼でも良いよ」
その内の一つが俺目掛け飛ばされた。 まだこれなら見える、ロク自身の腕でなければ、速度はそこまで早くはない。 距離を置きながらなんとかするってのが良さそうかな。
飛んでくる腕を避ける。 腕は後ろにあるコンテナへと命中し、そこには綺麗な穴が開いた。 音もなく、触れた場所のみ綺麗に消え去っている。 存在した物を存在しなかった物に、発動条件はただ触れるだけ。
「辺りからいつの間にか法使いが消えてるな。 全員察知したってことか、相変わらず逃げ足だけははえーんだから」
この状態のロクを止める方法を俺は知らない。 前回はロクが未熟だったこともあり、すぐに収まりあいつは逃げたらしいが……そのときでさえ、生えた腕は二本だとあいつは言っていた。 それが今は六本、間違いなく異法が強くなっている。
多分、このままだと俺は殺される。 俺があいつに勝つことは不可能だしね、俺に攻撃する意思がない以上は。 とすれば、この状況を打破できるのは先ほどツツナが言っていた「一番マシ」という言葉を信じるしかない。 しかし、その方法がどうにも分からない。
さすがにツツナでも、俺がロクを殺すということなんて想像はしないだろう。 だから違う方法があるはずだ。 今まで見てきた中で、戦ってきた中で、間違いなく一番強いのはロクだ。 この状態のロクからの攻撃は、俺みたいに修復ができなければ触れた時点でそれは死に繋がる。 それをツツナは知っているはずで、それでも一番マシと言い切る理由だ。
……俺とロクだからか? 俺とロクだから、ツツナは一番マシと言ったのか。 むしろ、それしか考えられない。 ならば次、そうなったらどうなる? 俺とロクの関係性だからこそ言えること、何年間かという長い付き合いを持った俺たちだからこそできること、だ。 そもそも、俺とロクは仲間というか、友達という関係のほうが近くて――――――止めだ。 これは俺じゃない、矢斬の考え方だ。 俺の方はとっくに、そんなことには気付いている。
「……つっても、嘘はつけねえし。 やれるだけやってみるか」
「待って待って待って待って待って、ポチさん待って、大丈夫だよね? いいよボクが鬼だから逃げてよ」
まともな受け身も取らずに、延々と俺を追い回していたロクは目の前に落下する。 折れ曲がった足と腕はすぐに元に戻り、ロクは声にならない声を漏らす。
分かっていたことだ、ロクの気持ちは。 こいつが、俺にどういう感情を抱いていたか。 そんなの、とっくに気付いていたよ。 でも、俺はその期待には答えられない。
「ロク」
名前を呼ぶと同時、俺の顔が右半分消え去った。 俺はそのまま、ロクに向けて一歩近づく。 ロクが本気で殺しにきたら、多分修復は間に合わないな。 それまでになんとかする、できなければ俺が死ぬだけだ。
「イタイ、イタイイタイイタイイタイイタイ痛痛痛痛痛痛痛。 そうだ、缶蹴りしよう。 ボクが蹴るヒトね」
ロクが目の前に現れる。 同時、ロクの右足が俺の左腕にめり込んだ。
「ポチさんが缶、みーつけた」
「ッ――――――――!」
消失じゃない? ロクの右足が影で覆われていない……? こいつ、そういう芸当もできるのかよ。 てか、マズイかこれは。
俺の体は容易く吹き飛び、数十メートル先のコンテナに激突する。 あり得ない方向に曲がった手足を異法で元に戻し、俺は再度視線をロクへと向けた。 その一瞬、俺は痛みに顔を歪める。 連続で使いすぎたか、無理をしすぎたか。 何よりロクからの攻撃で一気にツケが回ってきたか。 そろそろ少しヤバイかも。
既にロクは数メートル先に立っている。 背中から生えている腕は触手のように蠢いており、やがて静止した。
俺を消すべく俺へと向けられた。 一度構えを取るように静止した二本の腕は、俺が更に一歩踏み出したことで勢い良く動き出す。 段々と異法が強まっているのか、既に目で追える速度ではない。
なら、避ける必要もないだろう。
「元気そうで良かったよ」
俺の体に穴が空く。 先ほど失った体の修復は既に終わってるものの、ロクの攻撃はまだ本気ではない。 五本の腕で一斉攻撃が来ればどうなるかは分からないし、そもそも俺は失った体を一から作らなければいけない所為で、回路の消耗も著しく大きい。 再生ではなく作り直し、ロクの消失は結構厄介なんだよね。
「ナニ、ナニナニナニ。 オマエ、誰。 僕、オレ、オレダ。 わたし? いや、アハ、アハハ。 オイシイ、鬼がボクだね」
ロクは伸ばした腕から落ちる血を飲み込む。 体全体が影に覆われているものの、美味しそうにしていることは伝わった。 吸血鬼か何かかよ、お前は。
「あれ、あ、あ、ぁあああああアアアアアアアアアッ!!」
しかし、ロクは頭を抑えて蹲る。 何かを思い出したのか、それとも何かが分かったのか。 俺にはロクの苦悩が分からない、分かることはできない。 俺は異法使いのポチなのだから。 誰のものでもなく、誰のためでもない。
「ロク、そろそろ帰るぞ。 もう充分だろ」
「じゅ、ぶん? ボク、イタカッタのに。 イタイヨ、助けテ。 アハは」
ロクの口から六本目の腕が現れた。 その腕は俺の心臓部を容易く消し飛ばす。
「容赦ないなぁまったく……けど、お前はやっぱ優しいな」
口から血が流れ落ちる。 死ぬかもしれないほどに、修復が遅れ始めている。 回路の方はまだいけるけど、俺の異法でも追いつかないか。
「ダレが。 オレ?」
「そうだよ。 お前はそんな風になってもロクだ。 お前は優しい」
「ウソ、ウソだよね? アッハッハッハ! コロスよ?」
「それができてねーだろうが。 殺そうと思えば殺せるのに、いつまで経ってもお前は俺を殺さない。 お前はただ、俺に遊んで欲しいだけだよ。 甘えん坊が」
「――――――――ヤダ」
俺の言葉が引き金か、ロクは更に腕を二本出現させた。 最早異形の怪物、それでも尚、ロクは生きている。 だったら俺には助ける義務があるんだ。 俺が集め、俺が声を掛け、俺が導くべき仲間たちは。 そして俺のために動いてくれる仲間達が居る限り、俺に諦めるって言葉は存在しない。
ロクの腕は全てが俺へと向かって飛んでくる。 俺は笑い、それを待つ。 もしも仮にこの場で俺が死ぬのだとしたら、ロクに殺されるということだけが唯一の幸福だ。 もしも俺が死んだとしても、ツツナが居れば異端者は大丈夫だろう。 異端者が存在する限り、戦争は終わらない。 それよりも今気になること、もしも俺が死んだとして……果たして俺の仲間たちは悲しんでくれるのだろうか。 なんてことを考えてしまうのは、きっと情が移ってしまったからだろうな。
「ァアアアアアアアあああああッ!!!!」
俺の視界に腕が映った。 見えたのだ、腕が。 本来見えるべき速度ではないそれがハッキリと見えた。 つまり、腕は俺に当たる直前で全てが停止したのだ。
「あ、あ、あ、あ、あ。 いたい、ポチさん。 どうして、僕は」
俺は一歩進む。 既にロクは、すぐ目の前に居た。
「悪いなロク、助けに来るのが遅れた。 帰るぞ、俺たちの家に」
ロクを抱き締め、俺は言う。 触れた直後に俺の体は消し飛んで行くが、そんなのは無視して抱き締めた。 そして、段々とロクの異法は弱まっていった。
「……僕、は」
「謝るんじゃねーぞ、ロク。 けれど今回のことはしっかり覚えておけ。 それはお前を戒めるためでも窘めるためでもない」
「……だったら、どうして?」
影は段々と消えていく。 ロクの顔は、目は、既にしっかりと俺のことを見つめていた。
俺はそんなロクの頭に手を置き、言う。
「決まってんだろ。 お前にナメたことをしてくれたクソ野郎をブチ殺すためだ。 こう見えて俺、結構怒ってるんだよ」
「……うん、うん。 怒ってるのは、僕、とても分かる。 ポチさんの声が……少し違うから」
「いつもよりカッコいいか?」
「……いつも、だよ」
言い、ロクは目を瞑る。 まったく、俺は冗談で返して欲しかったのに、こいつは大真面目に返してくるから返答に困ってしまう。 けれどまぁ、無事なら何より、一応リン妹に状態を見てもらうとして、ともかくアジトへ戻らないとってところだな。
問題はここから。 ロクは既に眠ってしまったが、大問題が発生してしまった。 俺が大問題だと言うのだから、そりゃもうそれなりのこと。 言ってしまえば、最悪の事態と言っても良い。
「――――――――こんばんは、初めまして、ポチ。 こうしてお目にかかるのは初めてかしら?」
「……一発で分かるってのも恐ろしいものだね。 他の法使いとはさすがに訳が違うし、規格外ってのが良く分かる。 ていうか実在したんだねってレベルかな。 わざわざ姿を見せるなんて、明日は雪でも降るわけ?」
そこにいつの間にか立っていたのは少女だ。 銀髪の少女、病人のように生気がない顔をしており、ある種人形のようとも言える。 白のワンピース一枚という、この戦場では不釣り合いすぎる格好の少女だ。 そんな少女からは冷たさしか感じない。 人間なら誰しも持っている心も持っていないように感じた。
「あら、王様というのは実在してこその王様でしょう? 異法使いの王であるアナタが実在するように、魔術使いの王である彼女が実在するように。 ワタシという法使いの王が実在するのは道理でしょうに。 ふふ、面白いことを言うのですね」
「そりゃごもっともな意見だね、さすがは法者さん。 で、その前に人に挨拶するときは自己紹介が先だろう? 名前くらい言いなよ、ガキ」
「ワタシはアナタよりもきっと年上なのですけど。 それに、ワタシはワタシですよ。 他の者はワタシを「法者」と呼ぶけれど、ワタシはワタシをワタシとしか言わないので」
こいつは桁違いだ。 近くにいるだけでもそれがひしひしと伝わってくる。 正直言って、今の状況は限りなくマズイ。 消耗している俺と万全な法者、戦えば負けは必須だ。
……いーや、そういう話じゃないね。 俺が万全だったとしても、勝てるかどうかが分からない。
「……しかし、あれですね。 折角お会いできたというのに、ワタシは手土産を忘れてしまいました。 とても残念です……あ、良いことを思い付きましたよ」
法者は薄気味悪く笑う。 一刻も早くこの場から去りたいが、その手立てが見つからない。 話し合いだけで終われば良いんだけど、そんな上手くはいきそうにないね。
「別にいらないけどね。 法使いからの差し入れなんて」
「そう仰らずに受け取ってくださいな。 これがワタシの法です、いつかアナタは見たことのあるものでしょう。 ワタシは今、これを手土産にすると決めました。 どうぞ有効にご利用ください」
法者は言うと、その場で言葉を放つ。 法使いが法を執行するときの言葉を。
「法執行――――――――ワタシが命じます。 矢斬戌亥はその場で止まりなさい」
瞬間、足が機能しなくなった。 まさか、こいつ。 こいつのこの法は……。
「地下施設で見たことがあるでしょう? そしてアナタが殺したアナタのお友達の法、絶対命令。 ですがあれは失敗ですね、この上ない失敗作。 制限がある法などなんの意味も持ちません。 ですが教訓は得られました、この世にオリジナルに匹敵するものはオリジナルでしかない、と。 仮にワタシの域に達していれば面白かったのですが」
世界に命ずる、命令の強化だ。 際限なき命令、そしてこの法者の使う絶対命令は、制限がないということか?
「さて、ワタシはお土産を手渡しましたが、アナタは何かご用意が……ああ、丁度良いところに良いものが。 今日のワタシはとても調子が良いようですね。 ふふ、法執行」
「テメェ、ロクに何かしたらブチ殺すぞ」
「ご安心くださいな。 ワタシが命じます、異法使いロクを異法使いのアジトへ」
瞬間、ロクの姿が消え去る。 ……なんの真似だ、こいつ。 俺に恩でも売っている気か? だとすれば反吐が出るほど気分が悪い。
「ところでポチ、アナタは寒いところはお好きですか? 犬というのは存外寒さに強いもの、という勝手な解釈の元に行動に移させて頂きましょう。 ワタシからの手土産です、どうか有効にかつ有益にお使いくださいませ」
「あ? 一体何を――――――――」
「ワタシが命じます。 矢斬戌亥を魔術使いの城へ」
「なッ!」
これはさすがに予想外。 だが、そうは言ってもいられない。 次の瞬間俺の目に広がっていたのは、紛れもなく魔術使い、エリザが暮らしているという城なのだから。




