第十話
「あっあっ。 危ない危ない、しかし面白い異法だねぇ? 調整しつつでも充分分かるよ、君の異法はずば抜けて奇妙だってね。 今まで沢山異法は見てきたけど、捻じ曲げるどころか消しちゃうなんてねぇ……うふふ、実に興味深い」
「……」
数日。 一週間は経ったかな? 何も食べず、ただただ拷問を受け続け、耐え続けていた。 体を裂かれ、死にかけたときには治癒できるほどの異法を強制的に使わされる。 僕の体に付いている様々な器具が、恐らくそれを可能にしているんだと思う。 ポチさんはよく「法使いの技術力は高い」と言っていたけど、なるほどって感じだね。
「で、さ。 そろそろお仲間のことも話してみない? 私も君のような可愛らしい女のコをいたぶるのはねぇ……うっふふ、心苦しいんだ」
ヘルメスは薄気味悪く笑い、僕の眼球に針を刺した。 不愉快な音と感触が頭に響くも、もうこの痛みにも慣れてきてしまったな。 だから僕は悲鳴も出さず、ただただ無表情で一点を見続ける。 今見えるのは、片目だけ。
僕がするのは、この場でできる最善のことだ。 僕は捕まった時点でポチさんたちの足を引っ張ったと言って良い。 その原因だって、ツツナさんに言われていたのに抑えきれず暴走し、挙げ句の果てには敵に捕まるというものだしね。 だから責任は僕にあって悪いのは僕だ。 ポチさんや他の皆が助けに来なかったとしても、僕は誰も恨まない。 それよりも、僕が異端者の一員としてできることは、僕が知っている情報を外に出さないというものだけ。 皆の異法とポチさんの異法、それを口に出さないこと。
この拷問には、そんな目的もあるのだろう。 未だに僕たちがそれぞれに持っている異法の詳細は悟られておらず、大雑把にしか理解されていない。 アジトの場所もそうだしね。 だから僕ができるのは、何も喋らずに延々、下手をしたら何年間もこの拷問に耐えるということだけ。 それが、僕ができる恩返しというわけ。 まぁ、正直ポチさんの異法は知れたところで既に手遅れなんだけど。
もしかしたら黙っていること自体が無駄なのかもしれない、けれどそんなのは苦じゃなかった。 僕がポチさん、そして矢斬さんからもらった様々なことを考えれば、これくらいのことはして当然だし。 この状況で一番嫌なのは、あれだよ。
一番嫌だけど、一番嬉しいことは。
「ヘルメス様ッ!!」
「ぁあああっ!! 一体! 誰がっ! 私が遊んでいるときに入ることを許可したんだよぉ!! なぁ! なぁなぁなぁ!!」
突如として、僕が監禁されている部屋に法使いが二人入ってきた。 それが気に食わなかったのか、ヘルメスは憂さ晴らしに僕の顔を足の裏で踏みつける。 椅子の背もたれに後頭部が当たり、顔には何回も足が打ち付けられた。 鼻が折れる感触と、眼球に刺さったままの針が中で折れる感触がした。
「も、申し訳ありませんッ!! ですが、緊急でお耳に入れたい案件がございまして……」
怯えたように謝った法使いは、言いながら僕の姿を何度かチラリと見る。 どうやら、僕には聞かれたくない話らしい。 さすがにヘルメスも十二法の一人だけはあり、それを即座に察するとその法使いに耳打ちをさせた。
「……ほおう、なるほど! うっふふふふ、ふふふ! これは面白いねぇ、おいカワイコちゃん」
「ヘルメス様!」
「良いんですよ、こんなこと……むしろ逆かもしれないでしょう? それ以上私の部屋で汚い口を開かないでください」
「……っ!」
言われた法使いは深く頭を下げる。 それを見てヘルメスは満足したのか、再度僕の方へと顔を向けた。 そして、短く告げたんだ。
「君のだぁいすきなポチくんが、来てるってさ」
「……ポチさんが?」
掠れた声で僕は言う。 声を発したこと自体、随分久し振りのものだった。 だが、思わず声に出してしまった。 ポチさんが、来ている。 何のために?
そんなの、決まっているじゃないか。 僕を助けにだ。 ここで、違うと思えるほどに薄情な人間ではない。 そう思ってしまうことこそ、ポチさんのことを侮っているといっても良い。 ポチさんは、捕まった僕を助けに来たんだ。 あの人ならばそうするはず、何年も一緒に居たんだから分かる。 僕のメッセージは伝わっていたはずだけど、それでもポチさんは。
僕はそのとき、初めて後悔した。 迷惑をかけてしまったことを。 足を引っ張ってしまったことを。 役に立てなかったことを。 捕まってしまったことを。
僕がポチさんから貰った物は多すぎて、大きすぎて、返し切れるものではない。 だから頑張っているというのに、こんなことになるなんて。 分かっていたんだ、僕が捕まったらポチさんが来るということくらい。 僕の予想が正しければ、あの人は一人で乗り込んでくるはず。 そういう人だから、ポチさんは。
問題は、法使いの方にその対策があるという可能性か。 それでもポチさんなら大丈夫だとは思うんだけど。
「ぁあああ……やっぱり可愛い声だねぇ。 うふふ、もっと聞きたいなぁもっといろんな声が聞きたいなぁもっともっともっとぉ! ねぇロクちゃん、最強の異法使いであるポチくんが来ているというのに、どうして私はこうも余裕だと思う?」
「……さぁね。 頭がオカシイからじゃないかなぁ」
「まそれもあるかもだケド。 それよりもさぁ、今日この日、この場所にはある御方が来ているんだ。 これは十二法しか知らない、極秘情報なんだけどね? さて問題だよぉロクちゃん、その御方は誰だと思う? どんな法使いだと思う?」
「……」
なんだろう? 誰が来てもどうにもならないと思うんだけど、もしも対抗できる手があるとしたら、それって……あれ。 法使いの機関、法執行機関の組織図は、巨大だ。 本部と各地区の支部があり、その本部に所属する法使いはどれも手強いと言って良い。 そんな手強い連中でも屈指の実力を誇るのが、今目の前に居る十二法の連中だ。 僕が負けたのも、そんな十二法の一人にだしね。
それで、今。 目の前に居るこいつは十二法の一人、ヘルメス。 そんなヘルメスが「この場所に来ている御方」と言った。 御方、その言い方はまるで自身より上司に当たる人物のことを言っているようだ。
更に上、十二法よりも上なんて、一人しかいない。
「まさか」
「はぁい時間切れぇ!!」
「――――――――うっ」
お腹の辺りにヘルメスの蹴りが入る。 言葉を出そうとしていた所為で、また声が漏れてしまった。
けれど、分かった。 今日この場に来ているのは、他でもない……法者と呼ばれる、法使いの中で最強の存在だ。
これはさすがにポチさんでも分が悪いかもしれない。 いくらポチさんだとしても、最強の法使いを相手にしたらどうなるかが分からない。 相手の力が分からない以上は。
「さぁてさてさて! 残念ながらハズレのロクちゃんには、罰ゲームぅ! おいお前ら、あれ拾え」
ヘルメスは口角を吊り上げ、さぞ嬉しそうに笑う。 そして項垂れていた僕の頭を髪を掴み引き上げ、更に笑う。
「君にとってのとーっても大切なヒト、分かっちゃったんだよねぇ。 ずぅっと黙ってたのに、ポチの名前が出た瞬間に眼の色が変わったねぇ。 私さぁ、君が初めての相手じゃないから分かっちゃうんだよねぇ……うふふ、うっふふ!」
「……」
僕は何も言わず、ヘルメスの顔を見る。 僕が言うのもあれだけど、醜いと思った。 人をいたぶることでしか楽しみを見出だせないのか、幸せを見つけられないのか。 それはとても醜いことだね。
……まぁ、それは僕も似たようなものか。
「これ、君の服」
傍らにいた法使いから僕の衣服を受け取ったヘルメスは、それを僕に見せつける。 今更それがどうしたのだろう? まさか裸だということを再認識させるため? だとしたら本当にくだらない。 僕が今更そんなので恥ずかしがるとでも思っているのか。
「んーんーツマラナイ反応だなぁもう。 ならほら、これは?」
僕の服を投げ捨て、ヘルメスの手に残ったモノ。 それを見て、僕は、僕は。
「返せ。 その手で触れるな、殺すぞ」
「あっは、うふふふふ! やっぱりほらほら、大当たりだ! あーもう、最初からこっちの方が良かったよぉ。 身体を引き裂いたり串刺しにしたりより、やっぱりこっちの方が面白かったんじゃないかなぁまったく! 私ももっと勉強しなきゃ駄目みたいだ」
ヘルメスが手にしたのは、僕のお面だ。 ポチさんが僕にくれた、異法使いである僕が、人から貰ったたったひとつの宝物。 僕とポチさんの繋がりで、僕が何より大切にしている物。 それを見て思い返す……ポチさんから貰ったあの日のことを。
「そういやさ、ロク。 お前も異端者の一員ってわけになったんだし、なんかこうカッコいい決めゼリフとか考えてみない?」
「いきなりどうしたの、ポチさん。 ここってそういうの決めないとダメなの?」
僕が異端者に加わってから数日、いつも通りにアジトで暇を潰していたところ、ポチさんが唐突にそう言い放った。 僕はツツナさんの方を見て尋ねる。
「……適当なことを言うな、ポチ」
この呼び方っていうのもすぐに決まったもので、僕が入ったその日にポチさんは僕に「誕生日っていつ?」と尋ねてきたんだ。 で、僕は「六月六日」と答えたら「じゃあお前はロクだ」と決められてって感じ。 ちょっとだけ適当な決め方にムッとして、僕は「じゃあ矢斬さんはポチさんね。 犬のお面だから」と言ったんだ。
そのお面というのも、ポチさんは随分大切にしているようだった。 聞くと「顔を見られないように」としか言わないけど、ただそれだけの物ではないようにも見えた。
「嫌なの? ったく子供はワガママだからなぁ……ま良いや。 けどさ、これからもっと人を増やしていく予定なのに、特徴なかったら目立たなくなっちゃうよ?」
「別に目立たなくて良いし。 構わないよ」
ポチさんの言葉に素っ気なく返す。 それを聞いたポチさんは腕を組み、何かを考えている様子だった。 このときの僕らは正直言って暇で、異端者としての活動も殆どしていない。 だからこうしてアジトに来ても、ポチさんは僕に話しかけていたりぼーっとしていたり、ツツナさんは小難しそうな本を読んでいるだけで、僕はと言えば外の景色を眺めるだけの日々。 嫌ではなかったけど暇だった。
「あそうだ。 ロクさ、祭りって行ったことある? 興味ない?」
「お祭り? 別に興味はないよ」
「お前ってなんか俺より子供っぽくないよね。 まだ若いんだし楽しまねーと損だぜ、ロク」
言うと、ポチさんは立ち上がった。
「つうわけで俺とロクは祭りに行くけど、ツツナはどうする?」
「俺は良い」
「つれないねぇ」
肩を竦めながらポチさんは言う。 だけどちょっと待って欲しい、僕が一体いつお祭りに行くと言ったんだろう? そもそも興味がないと言ったし、僕が一緒に行くことになっている理由が分からない。
「それじゃロク、いこっか。 丁度夕方だし、俺の地元の小さな祭りだけど悪くないしさ」
ポチさんは言うと、僕の頭に手を置く。 なんだか子供扱いをされている気がする……けど、気のせいかポチさんはそのお祭りに行きたいような雰囲気を出していた。 だって言い出したのはポチさんだし、行く流れにしているのもポチさんだったから。 別に僕が行きたいというわけじゃないけど。
「分かったよ。 僕も行く、ポチさんの奢りね」
「ああ、良いよ。 さすがに年下の女の子にお金を出させるほど男を捨てたつもりもないしね」
ポチさんはその後、笑って「人間は捨ててるけど」と言った。 その言葉は異法使いとしての自分を指しての言葉だ。
そう、ポチさんは異法使い。 それも僕よりも前から。 異法使いということを今は隠している。 その方法自体、ポチさんの持つ異法というのがとんでもないものだと僕に認識させたんだ。 まさにそれこそ人間離れした異法、ポチさんの異法は回路を捻じ曲げる異法なのだから。
「おお、良いね。 よく似合ってる」
ポチさんは言い、僕に向けて笑顔。 祭りだからという理由でどこから持ってきたのか、浴衣を僕に着せてきた。 一体どうしてこんなのを持っているんだろう……ひょっとして、ポチさんってちょっと危ない人なのかな。
「そうかな? それよりポチさんは着替えないの?」
「俺? 俺は良いんだよ、お洒落とか興味ないし。 何より汚れたら嫌だしね」
「……だったら僕に着替えさせないでよ」
ちょっとムスッとした顔をして睨むと、ポチさんは笑って誤魔化した。 本気で怒っているわけじゃないから良いけど。
「それじゃ行くか」
言いながら、ポチさんは犬の面を付ける。 それを見て、僕は口を開いた。
「それ付けてくの?」
「うん。 今日は無能力者じゃなくて、異法使いとしてだからな。 顔はまだバレたくないんだ」
「ふうん?」
こうして、僕とポチさんはD地区で行われるというお祭りに向かって行った。 そのお祭りというのも、大きなものではなく比較的小さなお祭り。 神社で行われる町内のお祭りのようなものだ。 だけど、人生で初めてのそれに少しだけの好奇心と、少しだけの緊張を覚えながら歩いていたのは確かだった。
「ポチさんはお祭りって行ったことあるの?」
「何回かは。 人が集まるところは好きなんだ」
結構意外な答えが返ってきた。 ポチさんって正直変わり者だし、そういう所謂大勢でわいわいやるのとか嫌いだと思ったんだけどな。
「へえ、だから異端者も人を集めようとしているの?」
「それはちょっと違うかな。 俺が集めてるのは、異法使いとして強力な奴ら。 一人でも法使いを圧倒できるほどの力を持った奴らだよ。 ツツナにしろロクにしろ、そのラインは余裕で超えてるし」
「戦力を集めてるってことかな? もしかしてポチさん、法使い相手に戦争でも起こす気だったり?」
僕は冗談混じりにそう聞いた。 けれど、返ってきた答えはその冗談を軽く超えてしまうものだった。
「いいや、俺は世界を終わらせる。 この腐った世界、腐りきった世界を終わらせるんだ。 もう手遅れ、元に戻すことなんて出来はしないから」
「ふふ、それちょっと楽しそうだね」
僕の言葉に、ポチさんは一瞬呆気に取られていた。 そんな珍しい表情が面白く、僕はまた笑ってしまう。
「そう言われたのは初めてかな。 だけどロク、これだけは分かっておいて欲しい。 どんな形であれ、人殺しってのは等しく悪なんだ。 俺はもう何人も殺してるし言えることじゃないけどな。 その罪っていうのは必ずツケとして回ってくる、何年後か何十年後かは分からないけど、必ずだ。 それは理解しておいてくれ」
いつになく真面目に、ポチさんは僕に向けて言う。 その声色は落ち着いていて、不思議と聞き入っている僕がいた。
随分ふざけた人だとは思っていたけど……意外と真面目なところもあるのかな。 変な人だ、やっぱり。
「ロク、本は読むか? 小説とか、漫画とかでも良い」
「え? うん、たまにね」
「なら、俺たちはそこで出てくる悪役だよ。 最後は絶対に負ける、殺される、そういう役回りだ。 それが分かっていても俺は世界を終わらせないといけない」
「良く分からないけど。 でも、僕はポチさんに付いていくよ。 どんな最後だったとしてもね、ポチさんならどんな物でも乗り越えちゃいそうだし」
「……そっか」
ポチさんは僕の方を見て言った。 どうしてか、どこか悲しそうな声色だった。
だけど僕は今より幼くて、それ故に思ったことはどんどん聞いてしまう。 今では無神経だと思う僕は、このときポチさんにこう尋ねたんだ。
「どうしてそこまでその目的に拘るの?」
それに対し、ポチさんは言ったんだ。
「約束のため。 俺が全てを賭けて成し遂げなきゃならねえんだ。 誰にも言うなよ?」
その約束がどんなものだったかは、さすがに僕でも聞くことは出来ていない。




