第一話
一ヶ月が経過した。 ロクの居所は、依然として掴めていない。 季節は冬も近くなり、寒さが身に染みるようにも感じられる。
「ツツナ、キグの奴はなんか喋ったか?」
「いいや、ひと言も。 むしろ、あの状態で喋るとは思えないな」
キグは今、俺たちが臨時に用意したW地区の廃墟の地下に捕らわれている。 あいつは目を覚ましてから今日に至るまで、ひと言も喋ろうとしていない。 それどころか、まるで精神年齢が後退してしまったかのように、壊れてしまっている。 恐らくは何かの法、魔術、異法だ。 しかし、仕掛けられるタイミングがなかったというのが不自然だな。 そう考えると、キグの精神をぶっ壊す何かが仕掛けられた罠自体が、天上、霧生と戦うよりも前……ということか。
「そうか」
俺はツツナに言い、その場を後にする。 アジトから出た俺の視界に、X地区と同じような景色が広がる。 異法使いの地区など、全てこんなようなものだ。 代わり映えせず、法地区とは比べ物にならないほど衰退している。 生活すらできない奴も、大勢いる。 そうやって少しずつ、異法使いを消し去ろうとしているのは明白だ。 スラム街という表し方が一番合っているかもな。 けど、案外俺はこんな異法使いの地区が好きなんだ。
ロクが連れ去られたあの日から、異端者の奴らとはまともに話はしていない。 俺の様子がおかしいというのは、恐らく皆が察している。 その所為で話しかけられることも減っていた。 気遣っているのか、恐れているのかは分からないけど。 俺がロクのことを気にかけ過ぎている……というのもあるかもな。
ロクの状態が分からない今、馬鹿をしようとは思わない。 法地区を片っ端から潰すにしても、敵の戦力は強大だ。 順序を間違えれば対応できなくなる可能性もある。 ルイザとリン妹、ハコレには調べてもらっているが……やはり十二法が絡む問題となると、並大抵のことでは調べあげることは不可能。 一応は、十二法のゼウスと呼ばれる奴に連れ去られたというのは分かっているが、どの地区に居るのかすら掴めていない。 募っていくのは苛立ちだけだ。
そして、今日で丁度一ヶ月。 ルイザの異法も未だに戻らず、芳しいとは言えない状態である。 ルイザの件もロクの件も、俺のミスだから余計にイラつくのかも。
「やっと見つけたぁ!! ポチさん! ポチさんポチさんポチさん! 大変だーっ!」
騒々しい声を出しながら、後ろから声がする。 大体誰かは分かったけど、俺は一応振り向いてその顔を確認した。
「ぽっちさぁあああん!!」
「リン姉か。 どうした……おい、お前止ま――――」
そのままの勢いで、リン姉は俺へと突っ込む。 こいつにはブレーキ機能がないのか。 そして、なんの警戒もしていなかった俺は勢い通りに地面へと倒れる。 無論、リン姉も。 俺が下で、リン姉が覆い被さるような形だ。
「……今日も元気だな、リン姉」
「おうとも! 元気と書いてアタシと読む! アタシと書いて元気と読む! それよりポチさん、ロクの件で進展あったぞ! 」
「ロクの件で?」
「ああ、そう! 法使いの野郎から連絡があったんだよ! 急いでアジト来てくれ!」
……向こうからアクションがあったってことか。 あまり良い予感とは言えないが、何もないこの状態よりはマシかもしれない。 そう思い、とりあえずはまず、目先の問題をどうにかしよう。
「分かった。 行きたいのは山々なんだけど、まずは俺の上から退いてくれ、リン姉」
「……おお! わりわり、ポチさんの上って居心地良いんだよね」
こいつどれだけ失礼なんだ……いつも口では「ポチさんのことは尊敬している」とか言ってるけど、内心馬鹿にしているんじゃないのか? 生まれて十七年、俺の上が居心地良いという事実を初めて知ったよ。 要らない情報どうもありがとう。
「ポチさん、これ。 わたしのアドレスに届いてた」
仮アジトへ戻ると、既に異端者のメンバーは集まっていて、俺の姿を見たリン妹はパソコンの画面を俺へと向ける。 そこには無題のメールが一件あり、添付ファイルが一件。 こっち方面は素人の俺だが、それが動画ファイルであることはアイコンからして理解できた。
「誰から?」
「たぶん、ロクを捕まえてる法使いの連中。 こっちのアドレスは偽物だから、わたしたちの情報が漏れてるってことじゃない。 でも、向こうから届いたアドレスも偽物」
リン妹は言いながら、自身のアドレスと差出人のアドレスを指差す。 やはり良く分からないが、とりあえず何かがバレてるわけじゃないってことか。
「そうか。 それで、これは?」
「……」
俺の問いに、リン妹は口を噤む。 そしてその反応からして、良いことではないことは、容易に読み取れた。 言いたくない……ってところだろうか。
みんなも、誰も口を開かない。 ただただ、俺に任せているといった感じだ。 というよりかは、俺の判断を待っているか。
なら、いつまでもこうしているわけにはいかないだろう。 そう思い、俺はその動画ファイルを開く。
『ぁぁああああああああああ!!』
そこには、ロクの姿が映し出されていた。 拘束され、なんらかの薬品を打ち込まれ、苦しみと痛みに叫ぶロクの姿が。
あいつが、痛みを感じている。 異法が使えないってことか。 方法は分からないが……前の一件、A地区での異法封じと関係があると見て良いな。 法使いは、そういう方法を持っているってことだ。
場所はどこだ? 暗い地下室のような場所で、映っているのはロクともう一人、法使いの姿だ。 勲章からして、十二法の一人だな。 気味悪い声を発し、ロクを拷問することを悦としているように見える。 こういうことに慣れている手捌きで、恐怖を植え付けようとしているのか。 ロクの体には既に無数の傷があり、本来なら数十回は死んでいるレベルだが……法で耐えさせられているのかな。
体には釘が刺されている。 指には針が無数に刺されている。 あいつの小さな体は、その体に刺された物の方が重いほどに、痛め付けられている。 そして映像はそれからしばらく進み、やがてロクはカメラに気付いた。 顔を向けたのだ、カメラの方に。
『……』
ロクは、無言で笑った。 その顔は、いつも俺に向けるような笑顔だ。 何も言わないが、ロクの言いたいこと、伝えたいことが理解できる。 こいつは、助けには来るなと言っているんだ。 自分は大丈夫だと。
『なぁに笑ってるんだよぉ! 嬉しいのかぁ!?』
そこで、ロクの顔を思いっきり男は殴りつける。 一度ではなく、何度も何度も。 映像からはしばらくの間、鈍い音が鳴り響いていた。 俺はその映像から目を逸らすことなく、見続ける。
やがて、それは終わる。 男は次に、画面から外れると、数分後に戻ってくる。 その手に持っていたのは、真っ赤に染まった鉄の棒らしきものだ。
男はその棒をロクの体に近づける。 顔へと近づけ、そして――――――その棒を眼にゆっくりと押し当てた。
ロクの悲痛な声が響き、同時に男の「法執行」との声が響く。 ロクが無事なのは、やはり男の法があるからか。
それから、そういった類の行為は延々と、一時間以上もずっと続いた。 俺はその間、一度足りとも目を逸らさなかった。 やがて、唐突にそれが終わりを告げるまで。
「リン妹、ルイザ、ハコレ。 この映像から場所は割り出せるか?」
静まり返った室内で、最初に声を発したのは俺だ。 三人にそう問いかけると、すぐさま返事をしたのはリン妹だった。 落ち着いた声でリン妹は言う。
「少し時間がかかりそう。 映像データの解析から、送信先の特定、経由したサーバーと――――――――」
「一週間でやれ。 これは頼みじゃなくて、命令だ」
俺の言葉に、空気が更に重くなったのを感じる。 だが、そうも言っていられないと、思った。 リン妹は「了解」と返したが、ルイザとハコレは俺の様子に違和感を抱いているようにも見える。
「ポチ」
そんな俺に向けて声をあげたのは、ツツナ。 だが、俺はそれを無視して言う。
「もしも調べ上げられなかったら、俺は全部の地区を潰しに行くことになる。 そうなったら、お前らの安全も保証できない。 頼んだよ、三人とも」
少し震える声で俺は言った。 こんな感情は、生まれて初めてだ。 昔、友達を殺されたときですら、親をこの手で殺したときですら、抱かなかった感情だ。
友達のことは、守ろうとして守れなかったわけではない。 親もそうだ。 だけどロクは、俺が守ってやると決めて、あいつが安心できる場所を作ると決めて、失敗した。 守ろうとして、守れなかったのだ。
だったらその責任は俺が負う。 あいつがそれで許してくれなければ、俺はこの命で支払っても良い。 俺の命に価値があるとも思えないが。
「一週間だ。 それまでに分かったら俺に連絡しろ、連絡がなきゃ一個一個潰しに行く。 今回の件は俺が一人でやるから、誰も手出しするんじゃねえぞ」
「……おいポチさん、ちょっと待てよ。 それじゃあ、俺らが居る意味ってなんだ?」
反論したのは、天上だ。 もっともな意見だと言っても良い。 が、今はそんな質問に冷静に返せるほど、頭が回る状況ではない。
「来ると足手まといだって言ってるんだよ。 分かったら大人しくしてろ、勝手な行動をしたら殺す」
「チッ……」
天上は聞こえるように舌打ちし、部屋の奥へと入っていく。 俺はそれを見たあとに全員の顔を見渡して、仮のアジトから去っていった。
その場に居たら、やがては誰かを殺しかねないと思って。 俺はきっと仲間ですら、障害となった瞬間に殺すのを躊躇わない人種だ。 そんな自分になりたくはなかった。 これ以上、俺は。
……ああ、駄目だ。 俺は徹しなくてはならない。 俺は決めたんだ、異法使いらしくいると。 なら、今日も言わなければ。 矢斬戌亥として、ポチとして、一人の異法使いとして。
「憂鬱だ」
空を見上げて、そう呟く。 声は誰の元へ届くこともなく、静かに消えていった。




