小話その参
真っ暗だ。
冷たい空気を吸い込む。 僕の体の中にそれはすぐさま溶け、身震いした。 一体何が起きたのか、記憶が曖昧で思考もぼんやりとしている。 ここはどこで、どうしてここに居るのか。 それだけを考えるも、室内……外かも分からないけど、この場所はとても寒い。
しかしそうは言っていられない。 まずは見えない視界をどうにかしようと思い、僕は右手で目を擦ろうとする。 が、それは金属が擦れ合う音と共に阻まれた。
「……手錠」
背中に回され、手錠が付けられている。 今更ようやく気付いたけど、どうやら僕は椅子に座らされているようだ。 その椅子の背もたれに回され、固定されている。 足もだ。 足も同様に、椅子の足へと固定されている。 簡単に言ってしまえば身動きができない。 異法で脱しても良いんだけど……状況が分からないんじゃどうしようもないかも。 捕らわれたってことは、僕が負けたってことだしね。
「お目覚めかな? お嬢ちゃん」
正面から声がした。 男のものだ。 陽気にも思える声は、僕を倒したゼウスという男のものではない。 そして、同時に嫌な気配。 これもまた、ゼウスとは違う。 粘りつくような雰囲気と、ジメジメした空気。 そういうのを発する人間ってのは、大体ろくでもない奴らしい。
「ああそうだった、目隠ししていたんだった。 今剥がしてあ、げ、る」
気色の悪い声色で、男は僕の顔に触れる。 そしてそのまま、僕の目を覆い隠していただろうテープを力任せに剥ぎとった。 チクリとした痛みを感じ、皮膚が少し裂けたのを感じる。 乱暴だなぁ。
「改めましてこんにちは、お嬢さん。 いやぁこうして見ると中々に上物だねぇ。 お人形みたいだ」
「……」
声を発さず、男を睨む。 細く、背が高い。 頬は病的にコケていて、まるで死人のような目で僕のことを見ている。 そして、今更ながらに気付いたが、服は全て剥がされているようだ。 嫌な趣味してるね、このお兄さん。
「私は十二神の一人、ヘルメス。 今回はゼウスちゃんの贈り物で、君のことを自由に研究して良いんだってさ。 あぁ、異法使いの研究はたーくさんしてきたけど、君のような異端中の異端を研究できるとは、私も随分鼻が高いよ。 うっふふふ」
「……」
さて、どうしよっか。 十二神の一人と言っても、その強さには格があるだろう。 もっとも強い奴もいれば、もっとも弱い奴もいるはず。 この男がどのくらいの強さなのか分からないけど、この状況じゃ倒すしかないか。
そう結論付け、僕は言葉を口にする。
「異法執行」
だが、何も起きない。 体に何も、変化がない。 拘束すらも逆転で解けるはずだというのに、それが一向に変化しない。
……何をされた?
「うっふ! うっふふふふ! 駄目駄目駄目だよぉ。 お嬢ちゃん、私の前で異法は」
改めて状況確認。 僕が居るここは、どこかの地下室のようだ。 暗い部屋に蛍光灯がひとつだけ付いており、辺りには血の跡らしきものがある。 そして、そういうことに使うような道具がたくさん。 ということは拷問部屋か。 僕の腕には手錠、足には足枷、服は脱がされ、身動きは取れない。 そして。
首を動かして横を見ると、なんらかの機械があった。 まるで病院に置いてある点滴のような機械だ。 その先に繋がっているのは……僕の腕? 普通に考えて、この状況で僕に栄養補給なんてしてくれているわけがない。 となれば、アレが僕の異法を抑えているってことかも。
考えてみれば、そうだ。 まず僕は寒さを感じたし、痛みも感じた。 その事実だけで異法が使えないというのは、理解できる。
「まずはどうしようかなぁ……異法については体をバラバラにしないと分からないし……いきなりそれをやってもつまらないよね? だから、少しずつ色々なことをして遊ぼうか! それじゃ」
……あーあ、まったく最悪かも。 ヘルメスと名乗ったこいつは、僕に聞きたいことは何一つないのだろう。 目的は、僕を痛みつけること、そして僕の異法を分析すること。 異法の分析は今言ったように、僕の体を分解しないといけない。 ならば、それまでの間は。
「安心して。 私の法は体の超高速の治癒なんだ。 どれだけ痛めつけても、すぐに戻るから大丈夫。 もちろん、自然治癒できるレベルでしか治らないけどね?」
ヘルメスは言い、細い針を取り出した。 そしてそのまま僕の背後へと回る。
「ああ……君みたいに可憐で花のような子を痛めつけるなんて、私はなんて罪人なのだろう……大丈夫だよ、怖がらなくて。 時期、慣れるから」
耳元で、ヘルメスは僕のことを舐めるように言う。 そしてそのまま僕の右手を握り、そのまま。
「あっ……ッ!?」
そのまま、爪の間にそれを差し込んだ。 鋭い痛みが指に伝わり、血が流れだしたのを感じる。 熱い、痛い、その痛みを僕は必死で堪えた。
「あら、あらら? 痛かったかい? ごめんね、法執行」
ヘルメスの言葉のすぐあとに、指から流れだす血は止まる。 だが、痛みは依然として続いている。 治り、そして再び傷が付いている。 なるほど……そのための法ってわけ。
ズキズキとした痛みは終わらずに、延々と続いて行く。 ヘルメスは心底嬉しそうに笑うと、僕の前へ来て口を開いた。
「痛いかい? 怖いかい? だったらほら、泣かないと。 声じゃないよ、声と涙だ。 君のような美しい子が涙を流し、絶望するその瞬間。 それが私にとってもっとも甘い果実なんだ。 ほら、ほらほらほら!」
ヘルメスは僕の顔を片手で掴み、視線を合わさせる。 心底嬉しそうな表情だ。 こいつ、腐ってるな。 まぁ僕が言えた義理じゃないし、言おうとは思わないけどね。 今までしてきたことが廻り回って来ただけなんだから、それに文句を言う方がおかしいだろう。
「君に僕を泣かせられるわけがないよ、ばーか」
言って、ヘルメスに唾を吐く。 ポチさんに見られたら怒られそうな行動だ。 女の子がそんなことするなって。 だけど良いじゃん、ムカついたんだし。
「き、さま? 貴様、貴様貴様貴様ッ!? 私の顔に唾を吐いたのかッ!? 異法使いのお前が、法使いの私にッ!? 十二神が一人、ヘルメスへ向けてだとぉ!? ふざけるなふざけるなふざけるなよ異法使いがッ!!!! たかが私の玩具の分際でッ!!」
ヘルメスは声を荒らげ、僕の顔を力任せに殴りつける。 一発、二発、三発、四発、五発……終わる頃には、三十を超えていた。 口内は切れ、僕の口からは血が流れ落ちる。 だが、泣くことだけはしなかった。
「っふう……ふう……ああ、ごめんね。 ついつい気が動転しちゃったんだ。 痛かっただろう? 大丈夫だよ、私がゆっくり優しくしてあげるから。 ね?」
ヘルメスは言うと、傷ついた僕の顔を舐める。 僕は出来る限り、無表情でそれを耐えた。 それよりも、みんなが心配していないかが気がかりだった。 ポチさん、そろそろ帰ってきた頃だろうか? 僕が居ないのを知って、なんて言うんだろう? 助けに……来てくれるかな。
いいや、そうじゃない。 来なくて良いんだ。 僕を誘拐し、監禁し、拷問するということは、助けに越させようとしているんだ。 だったら、迎え撃つ準備ができているということ。 少なくとも、あのゼウスという男は相当だ。 僕よりも圧倒的に強い。 この場にはいないけど、あいつが迎え撃つとなれば油断はできない。 それも知っておかないとマズイ状況だね。
「さ、続けようか。 まだ一本だけだから、続けないと。 右手が終わったら左手。 それが終わったら両足。 まだまだ沢山楽しめそうだね。 うっふふふ」
僕にできることは、この状況を耐え抜くこと。 そして、隙を見つけること。 腕に刺さっている点滴のようなものさえ取れれば、異法を使うことができる。 まったく、ポチさんならきっとこう言ってるだろうね。 今日も憂鬱だって。
「一本、いくよ? 痛かったら言ってね。 ゆっくりにしてあげるから。 きっとだいじょうぶ、だいじょうぶ。 段々気持ちよくなるから、ね? うふ、うふふふ」
「ッ……!」
目を瞑り、僕はそれに耐えた。 爪と指の間に針は通され、鋭い痛みが頭にまで響く。 呼吸が乱れ、痛みはやがて意識を朦朧とさせる。 が、それもまたヘルメスの法で治癒されていく。
無限地獄。 そんな言葉がぴったりな拷問は、こうして始まった。




