第二十八話
「うぁあああああああああああああアアアアアアアアアアア!!!!」
唸り声をあげ、八雲は俺に飛びかかる。 かなりの速度だ、それだけ見れば……俺を除いた異端者の奴らよりも早い。 図体からは考えられない速度で、八雲は俺に迫ってくる。
「おっと」
数メートル離れた場所で、八雲は右腕を振り上げた。 その動作を見て、俺は直感的にこの位置が射程圏内だと認識する。 最早、殆ど本能だけで動いているあいつがそう動くということは、結果が伴うと見て良い。 フェイントやハッタリなんて、もうすることさえ頭にはないはず。 そう思い、俺はその一振りを右へと飛んで回避する。
「ぁああああああ……」
俺が居た場所が抉れる。 とんでもないリーチだな、大体図体がデカイ奴ってのは動きが遅いってのが相場なのに、まったく面倒だよ。 それに破壊力だけで言えばかなりのものか? ただ腕を振り下ろしただけであれならば、まともに食らえば体のどこかが吹き飛んでもおかしくない。
別にこいつの攻撃ならば、食らってもすぐに元には戻せるだろうけど……回路の使いすぎは極力避けたいな。 万が一にも備えて。
となれば、さっさと殺すのが一番良いんだろう。 でも、あはは、あれ。 駄目だ、その気が全く起きない。 だってほら、楽しくて楽しくて仕方ないから。
「うぁがァあああああああああああアアアアアアアッ!!」
俺が笑っていることが気に食わなかったのか、八雲は叫び声をあげ、俺が居る位置とは反対方向へと駆け出した。 逃げる……わけないか。
「うごぁあああ!!」
そして、八雲は反対方向の壁に足を付ける。 そのまま、足をバネとして力を入れた。 鈍い音が響き、壁にヒビが入る。 強化コンクリートで作られた壁にヒビが入るか。 それに、どうせ施設自体に法使いは強化の法を施しているはず。 それにすらただ力を入れただけでヒビを入れるとか、力馬鹿すぎでしょ。
それよりも、問題はそれがもたらす結果の方。 八雲は、その勢いで俺の元へ再び迫ってきた。
「ッ……あっぶな」
さっきの何倍だ? 早さだけで言えば、あのアレスにも匹敵するほどか。 とんでもない力、そして通常では得られない法の強化によって、完全に限度を超えたLLLの摂取、それがもたらす結果は人間を超えているよ。 助かるのは、こいつが馬鹿みたいに一直線の攻撃しかできないことかな。
「気分はどうだい? 八雲クン。 規格外の力を得て、幸せか?」
「ぁああああ……」
憎悪に満ちた眼で、八雲は俺のことを睨みつける。 シロがそれほど好きだったか。 シロがそれほど大事だったか。 シロをそれほど、幸せにしたかったのか。 小さい頃から同じ景色を見てきた想い人のことが。
「……ま、誰もいないし良いか。 なぁ八雲クンよ、お前が本気でそう思ってるなら、自己中も良いところだぜ。 どのみち俺はシロを殺していたと思うし、お前も同じ行動を取っていたんだろうけどさ」
それでも、どこかで未来は変えられたのではないかと思ってしまう。 何か、ひとつでも違えばと。 後悔はしていないし、悔しくもない。 死ぬのが必然で、その必然通りに死んだとするならば、文句はない。 ただただ、俺はそういう世界の選択が気に食わない。 その選択に逆らってみたいと、そう思うだけだ。
だが、俺がどう足掻いてもその選択には逆らえない。 ひとつを選べばそれは世界の選択となり、もうひとつを選んでもそれは世界の選択となる。 つまり、全ての枝分かれした道は世界の選択となっている。
だから俺は、その世界を殺す。 殺し、終わらせるために。
「あ……あぁ……」
八雲の視界に、恐らくシロだったモノが映ったのだろう。 膝を付き、八雲は泣いているように見えた。
……もう良いか。 早く行かないと、天上たちも心配するだろうし。
「来いよ、八雲。 一度選んだ道なら、最後までそれを貫け。 もちろん俺が捻じ伏せてやる」
「ぁああ……ァアアアアアアアアああああああッッ!!!!」
八雲は両膝を折り曲げ、三度俺へと飛びかかる。 速度は理解した、動きも理解した、威力も理解した。 ならば――――――――止められない道理はない。
「単純な話、お前がいくらLLLを使って強化されても、俺より弱かったってことだよ」
巨大な腕の一振りを片手で止める。 衝撃は後ろへと流れ、その威力で地面が割れた。 重い攻撃だ、今までで一番、力が篭った攻撃だ。 ただそれでも、俺を超えられなかっただけの話。
「お前のやり方は気に食わないね。 馬鹿だし愚かで惨めで、滑稽だ。 けど、その心意気だけは買ってやろう」
一人を想い、一人のために戦おうという心意気だけは。 八雲も馬鹿ではない。 たとえ俺が片目と片腕を失っていたとしても、勝ち目がないことは分かっていただろう。 戦力差を見極められないほどの男ではなかった。 だが、それでも戦おうと思った。 こういう奴は、珍しいんだ。
どれだけ敵が憎く、悔しく、殺意を持ったとしても、状況を冷静に分析できる奴は強い。 だが、人間としては八雲のような奴の方が、よほど強い。 あくまでも、俺が思う強さだけどな。
「異法執行」
俺は言い、攻撃を受けた腕を払い、八雲の体を掌で押す。 すると、八雲の体からは血が吹き出し、絶命した。 倒れ、その体は動かない。 苦しむことなく、死んだ。 呆気ないほどの決着が、俺と八雲の実力を表しているかのように思う。 ただそれでも立ち向かってきたこいつは、無様に殺すわけにはいかなかった。 もう疲れていただろう、こいつには万が一俺に勝てたとしても、明るい未来はきっとなかったのだから。
……まったく、今日も憂鬱だよ。
「わー! やっぱり強いねぇ、異端者のボスさんは」
「あ?」
横から声がした。 そちらへ顔を向けるも、そこには誰もいない。 気配を感じず、俺に近づいたのか? 十二法なら考えられるけど、あいつらが果たしてここに来るだろうか。
「ねぇお兄さん、ボクと遊ばない? 折角こんなジメジメしたところまで来たんだしさ、楽しいことしようよ」
「嫌だね。 少なくとも、俺はガキと遊ぶ趣味はないよ」
背後からの声に、顔を向けずに答える。 まるで霧のように動く奴だ、それに気配を感じ取れない。 相当強いな。
「まぁまぁ良いじゃん。 ね?」
恐らくは女。 年齢は俺と同じくらいか? そいつは、陽気な声を出しながら俺の肩に手を置く。 耳元で囁くように。
「触るなよ。 殺すぞ、お前」
「……へぇ」
そいつの顔をようやく見た。 虚ろな目で俺のことを見て、口角は釣り上がっている。 銀色の髪を足辺りまで伸ばし、和服。 銀髪の日本人形のような出で立ちだ。
「フフ」
笑い声を漏らし、手を更に俺の顔へと近づける。 その動作を見て、俺は殺そうと思った。 残されている左腕を乱暴に振るい、女の頭を鷲掴みにする。 そしてそのまま、その頭を地面へと叩きつけた。
ひび割れ、轟音が鳴り響く。 しかし、頭を潰した感触がない。
「あいたたたたた。 乱暴だなぁヤギリくん。 女の子はデリケートに、だよ。 ねぇ、シグレ」
「ふん、貴様の遊びに付き合わされる俺の身にもなれ、餓鬼。 こんな埃まみれの場所にいつまでも居たら魂が穢れる。 さっさと回収しろ」
女の視線の先には、男だ。 シグレと呼ばれたその男は、シャツにデニムというラフな格好をしている。 赤髪で片目を隠し、戦闘で破壊された壁や床、その瓦礫の上に立っていた。
「あーあー怖い怖い。 まったく、一体いつになったらボクに優しくしてくれる人は現れるのかなぁ!」
女は何事もないように立ち上がる。 この頑丈さ、法使いか。 にしても、随分桁外れな体だな。 そんなことを思いながら、俺は男の方を見る。 こっちの女も強いけど、あっちの男はそれ以上か? てか、機関の人間じゃなさそうだな。 軍服ではなく私服、それに肩に付けられる勲章もない。 十二法でもない……のかな。
「おい男、貴様は誰の許可を得て俺のことを見ている? 身分を弁えろ、犬風情が」
「あっはは。 そっちこそ誰の許可を得て見下しているのかな。 雑魚風情で」
「……ほお」
俺の言葉を聞くと、男は瓦礫の山から飛び降りた。 そして、ゆっくりと俺の元まで歩き始める。
「無礼を知らぬ犬が。 この俺に楯突くなど、恥を知れ。 魔術執行」
「お……魔術使いか?」
だとすると、この女も? しっかし妙だ。 こいつらほどの強さを持っていれば、魔術使い側はかなりの戦力になるはず。 少なくとも、エリザの側近の奴らよりは確実に強い。 手合わせをしなきゃ本当のところは分からないけど、軽く見積もってもそのくらいか。 雰囲気だけでそれを悟らせるということは、ヤバイ部類の奴で間違いはないね。
「俺の手を持って、俺自ら審判をしてやろう。 現界せよ、ルーエ」
男が手を天に伸ばす。 すると、その手に剣が生成された。 しかも、その剣は……凪が持つ法武器、ルーエ。 二本とないはずの剣……どうして、それがここにある?
「確か所有者は法使いだったか。 ふっ、あのような雑魚には真の価値など見出だせないだろうがな。 ゆくぞ、犬」
「異法執行」
何かが起きると思い、俺は地面を蹴り飛ばし、シグレへと迫る。 攻撃を出されたらマズイような、そんな気配を感じたのだ。
「遅い。 やはり犬は犬だな」
しかし、シグレは反応した。 とても万全とは言えない状態の俺だが、速度はかなりの早さだったはず。 それでも反応し、避けるか。 触れれば意思を奪えるが……少しそれは難しい。 なら、別の異法で――――――――。
「法執行」
「なに?」
声を放ったのは、男だ。 こいつ、法も扱えるというのか? 可能性としてはかなり低いが、法と魔術を扱うということは、そういうことか? にしても、その魔術で出したルーエと、法。 ヤバイな。
「趣としては悪くない。 ルーエよ、我が命に従い未来を確立せよ。 断ち切れ」
この男の回路からして、謎だ。 まったく読み取れないが、並大抵の回路ではない。 防ごうにも、手負いの今では防ぎきれない。 さすがに、死んだかも。
そう思ったそのとき、シグレの動作が止まる。 俺とシグレの間に割って入ったのは、先ほどの女だった。
「ストップストップぅ。 そろそろ時間切れ、別に遊ぶのは構わないけど今回は時間切れだよ、シグレ」
「……俺を止めるか、リンドウ。 ならば死ね」
そして、シグレは迷うことなくリンドウと呼ばれた女に剣を振るう。 手早く、ギリギリ見えるほどの速度で。 それは吸い込まれるように、リンドウの体を引き裂いた。
「興が削がれた。 帰るぞ、回収は貴様がしておけ」
「いきなり斬るとかひっどーい! 人使い荒いし乱暴だし、女の子に手をあげるとか最低だよ。 そんなんだからシグレはモテないんだ! 間違いないね」
だが、リンドウはすぐさま起き上がった。 最早、頑丈ってレベルじゃないね。 ゾンビみたいだ。 それこそ不の死を否定する力のように。 不の不死を再生だとするならば、このリンドウという奴の不死は生命力だ。 不の場合は一度死んでからの再生となるが、こいつのはその死まで到達していない。 さながら、死までの距離が果てしないほどに。 こいつらは一体、何者だ。
「秘密秘密。 そんな簡単に知れたら、面白くないでしょ? でもね、ヤギリくんとはまた会うと思うなぁ。 そうしたら、そのときは思いっきり遊ぼうね。 フフ」
リンドウは小さい体で、八雲の死体を抱えて歩き始める。 回収しろという言葉、この場所に現れた意味、そして、こいつらの強さ。
「……安心しなよ。 LRIは、いつか必ず潰すからさ。 正直どーでも良かったけど、売られた喧嘩だしね」
「わお。 察しが良いんだね、ヤギリくん。 でも、すこーし違うかな。 いずれ分かることだから、もうちょっとの我慢だ。 ただヒントをあげると、一応はワタシたちも十二法の一員だよ。 名前だけだけどね、フフ」
このリンドウと呼ばれる女、人の思考を読み取っているか。 俺が出した結論、そして考えたことを知っているかのように話している。 だとすれば、こいつらの強さはLLLの力ではない。 更に、明かされたのは十二法の一員だということ。 言い方から察するに、所属しながら所属していないようなものなのか?
……まぁ、無駄か。 今考えたところで解ける問題でもない。 ゆっくり、そっちは詰めていくことにしよう。
「最後に一つ教えてくれよ。 俺を今、この場で仕留めようとしないのはどうしてだ?」
それだけの力はある。 が、それをしようとしない。 その意味が分からないと、少し後味が悪すぎるね。
「時間がないから。 でも、もうひとつの理由はあれだよ」
リンドウの言葉に、シグレが続ける。
「貴様が殺せる時に殺さぬのと同じ理由だ、犬。 精々藻掻け、そして思い知るが良い。 貴様も所詮、井の中の蛙ということをな」
「……オーケー。 そこまでナメられたなら次に会ったときは必ず殺してやるよ。 それまでにくたばるんじゃねーぞ」
俺が他の奴らを殺せるときに殺さない理由と、一緒。 つまり、いつでも殺せるような奴をすぐに殺す理由がないと、言っている。
ここまで喧嘩を売られたのは初めてだね。 だから、必ずこいつらは殺してあげよう。 どこの誰かは知らないが、挑発されて乗らないほどに、俺も人間できていないからさ。
そして、二人は壁の中へと消えていく。 法か、魔術か、また違う何かか。 シグレは二種類確認したが、この分だとリンドウも二種使えてもおかしくはない。 ああ、楽しみ楽しみ。 やっぱり、こっち側だと飽きないでいられるよ。
ほんっと、憂鬱だけど最高だ。




